※訪問は2024年4月25日
80段の階段を利用
階段の途中には殺風景さを避けるため、絵画などが飾られている。その数80段。天空の駅として知られた三江線の宇都井駅(島根県)がバリアフリーなしの116段だったので、同様の80段もかなりの高さだと言える
階段を降りきると券売機はここにあり、ホーム改札部分と同様に時刻表が設置されている。待つにはそれほど困らない本数はあるが、昇りきった後にしばらく電車が来ない絶望感を味わうのを防ぐ意味でも、階段の上下に時刻表を置くのは良いことだと思う
見上げるとこんな感じ。まず高台への階段を昇ると券売機の場所に到達して、そこからはビルの階段を昇る形でホームへと上がる
前掲は裏側から見た方が分かりやすい
駅前には土俵?
駅前には国道201号が走り「山手」の交差点がある。朝の時間帯なので営業については分からなかったが、民家は少ない。公民館があり
これはおそらく土俵だろう。最近は見る機会が少なくなったが、小学校や公共施設には土俵が置かれていたものだ
駅周辺の地図があり、こちらを見ても山中の駅だということが分かる
篠栗線の歴史に起因
2022年の駅利用者は「データなし」となっている。公表されているコロナ禍前のものが約100人なので現在はさらに少なくなっていると想像できるが、電化されていて本数も多く、IC乗車もできる路線になぜこのような天空の駅ができたのかについては篠栗線の歴史をひもとく必要がある
篠栗線の歴史は古く、開業は1904年の明治37年で今年で120歳を迎えた。なぜこのような長い歴史を持つかと石炭輸送のためである。元々は同じく炭鉱で栄えた飯塚への短絡線として計画された。ただし開業時は吉塚から篠栗まで。なぜかというと篠栗から飯塚(桂川)方面には交通の難所である八木山峠があったためだ
鉄道図でなく道路図で示すと分かりやすい。現在は筑前山手駅ホームから見える八木山バイパスの一本道だが、筑前山手駅前を通る旧道を見るとクネクネが連続するつづら折りとなっている。道路でこれなので鉄道工事となると、さらに難所で筑前山手駅を含む篠栗~桂川の開業は1968年(昭和43)。短絡線としての計画から60年以上が経過し、石炭産業は曲がり角を迎えていた。全通から20年も経たない国鉄時代に篠栗線の貨物輸送は廃止される
転機が訪れたのはJR移管以降。博多への通勤通学圏として注目されるようになり、博多~吉塚に独立した線路が敷かれたことで、すべての列車が博多まで直通。篠栗までの間に3つもの新駅が設置され、やがて電化。沿線はマンションが建ち並ぶ住宅街となった。新駅設置で駅間が短いにもかかわらず、篠栗までの各駅の利用者はいずれも1000~4000人である。飯塚の事実上の中心駅である新飯塚から博多までは快速で50分で結ばれている
電化時には利用者増に備えるため、各駅で列車交換可能な構造への改良工事が行われたが、唯一そうならなかったのが、構造的に無理な筑前山手駅だった
駅近くには篠栗四国八十八箇所の第五十二番札所がある。山手地区には6つの札所があるようだ
ホームからの階段に篠栗町立篠栗小学校萩尾分校の紹介もあった。当駅からも車で10分かかる分校は、同校のHPによると開設は1883年(明治16)で現在の児童数は10人だという。過去の学校日記も公開されていてホームでの電車待ちの間、楽しく読んでしまった
トンネルから出てくる電車を待つ。わずか3キロしか離れていない、お隣の篠栗駅の利用者は4000人を超える。これからの盛夏に80段の大変かもしれないが、アクセス容易なパノラマ駅は、旅のお供にぜひ加えてほしい
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