氷見駅

氷見線の各駅訪問~鉄道ファンならずとも憧れの景色は入場券の売れる貴重なローカル駅

雨晴駅の観光駅名標

※訪問は2020年3月1日

氷見線の代名詞

こちらは昨年9月に城端線のタラコ車内に掲げられていたもの。氷見線の雨晴海岸から立山連峰を望んだ写真であることは説明不要だろう

というとこで、今回の目的はもちろん雨晴駅からの、この景色である。鉄道ファンでなくても有名すぎるこの場面をお目当てに全国から(もはや各国といえるかもしれない)多くの人が集まってくる。そしてベストシーズンといえば、もちろん冬から春そして初夏にかけて。絶景はいわば氷見線の代名詞

ということで、氷見駅に着くと、折り返しの「べるもんた」を雨晴駅でキャッチすべくタクシーで先回りすることにする

自分の予想では2000円ぐらいだろうと思っていたが、3000円以上かかって、ちょっとビックリ。ただ、こういう時はお金ではないのである

とはいえ、往路のべるもんたの車窓からは

なんとなく結果が出ている気がするが、じゃあまた明日というわけにいかない

知名度は最高でも利用者数は最低

そして到着した雨晴駅。美しい光景で知られる割には無骨な感じを受ける駅舎だ。本来は古い木造駅舎だが、老朽化した外壁に手が加えられてこのような形となった。全景ではなく、この角度の写真しかないのは車が停まりすぎていたためである。ご覧のように駅前は手狭なので、400メートル離れた道の駅に車を置くことが勧められている

それにしても「雨晴」という駅名は実に素晴らしい。開業は1912年(明治45年)4月。すでに1900年に伏木まで中越鉄道が開通していたが、12年経って伏木~島尾が開業。途中駅となった。終点の氷見まで最後の1区間が開通したのは同じ1912年の9月である(7月30日から大正元年)

当初からの駅名だが、雨晴という地名はない。これは訪れた初めて知ったことだが、駅周辺の地域名は「太田」で駅の住所は氷見市でもなく「高岡市渋谷」。当然だが人が多数行き交うスクランブル交差点があるはずはなく、それどころか駅の乗降者は氷見線全7駅(高岡駅除く)で最小。2021年のデータでは1日の乗降者数は128人。6位能町が266人なので、この時点でダブルスコアである

それでも地元に委託された簡易委託駅でホームへの立ち入りは乗車券または入場券が必要となる(私は当時発売されていた、おとなびパスというフリーきっぷを持っていた)。事実、駅舎内には多くの人がいて入場券というのが当駅らしいポイントだ

ホームは2面2線。構内踏切で行き来する

駅の裏手はすぐ雨晴海岸。雨晴の由来は義経と弁慶に基づくもので、海岸で大雨に見舞われた義経を守るべく、弁慶が大きな石を持ち上げ、雨がやむまで、その石を傘代わりにして持ち続けたという伝説に基づくという。駅名を地名ではなく海岸名にしたあたり、当時駅名を考えた人のセンスを感じる

べるもんた到着

べるもんたがやってきた

列車が目指す先には立山連峰の美しい姿…といきたかったが、ホームに出た時、すでに答えは出ていた

こればかりはしょうがない。2015年にもチャレンジしたが見事に失敗していて、これで2打数ノーヒットだが、雨晴海岸からくっきり立山連峰が見られるのは年間で50~60日しかなく、青い空と白い山々となると、さらに確率は下がるという

この後、島尾駅にも立ち寄るつもりなので氷見行きのタラコに乗る。この写真だけでも背後の景色が異なれば、赤と白のコントラストで全く違ったものになっていたのだろう

さて、そんな雨晴駅だが、近い将来、簡易委託が解消されて無人駅になる。三セク移管後の展望は不明ではあるが、ローカル線の小駅ながら入場券が売れるという貴重な存在である。駅舎内の観光案内所が残るのであれば、せめて入場料ぐらいは徴収してもいいのではないかと感じてならない

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氷見線の各駅訪問~「べるもんた」で到着の終点駅には2つの地名表記

氷見駅の駅名標

※訪問は2020年3月1日

微妙な時期に乗車

話は4年前にさかのぼる

高岡駅から観光列車「べるもんた」に乗車。氷見へと向かった

美しい調度品と美味しい食事がべるもんたのアピールポイント。車窓には美しい海。正式名称は「ベル・モンターニュ・エ・メール」でフランス語で「美しい山と海」の意味だそうだが、これでは外国のお客さんにはアピールできても、日本人客にはアピールしづらい。ということで「べるもんた」の愛称の知名度が高い。週末を中心に高岡~氷見間を1日2往復する(始終着駅については新高岡、砺波、城端があって列車ごとに異なる)

キハ40を改良。扇風機にも列車名がしっかり刻まれているなど、なかなか凝っている

だが乗車時は大変微妙な時期だった。2020年の3月1日といえば、コロナ禍に覆われ始めたころ。ただきっぷを購入したのは、それよりかなり前で、なおかつ、その後社会生活において、あれほど制限を受けるようになるとは想像すらできなかった

飲食類の提供はまだ普通に行われていて、手指消毒というものもなかった

街の中心部までが遠い終着駅

高岡~氷見は16キロと城端線の半分程度。線内には区間運転はなく、普通でも30分で着いてしまう。べるもんたは停車駅は少ないが、景色の良い場所で徐行するので、やはり30分

氷見駅はもちろん氷見市の代表駅で氷見の観光拠点でもある。駅にはみどりの窓口もあり(やがて無人化されることは決まっている)、観光案内所も入居しているが、初めて駅に降り立った人は、街の中心部までの距離にちょっと面食らうはず

観光ポイントの目印ともなる忍者ハットリくんのからくり時計まで、徒歩で10分以上かかる。からくり時計のある湊川を渡ると商店街がある町の中心部で、さらに駅から遠のく

JR(国鉄)の駅と街の中心部が離れているのは、よくあることとはいえ、ローカル線の終着駅となれば、もう少し駅から近いものだが、駅ができた時期と町の歴史の古さにも理由がある

氷見駅の開業は1912年(大正元年)。氷見線の敷設は城端線と同じく中越鉄道が担ったが、1900年(明治33)に高岡~伏木が開業して以来、徐々に延伸。さて、いよいよ氷見まで到達しようとなった際、当初は港の予定地でもある湊川の河口付近に駅を設けることとなったが、町の真ん中を線路が走ることに難色を示す住民が多く、土地の買収に難渋。結果として現在の駅に落ち着いたという

実は2015年の10月、富山から氷見を目指していた私は、もちろん高岡経由の氷見線に乗車する予定だったが、富山の駅前で全く偶然見かけたのが

氷見の番屋街まで直通で行けるバス。道の駅でもある、ひみ番野街は、氷見駅からだと中心部を抜けてさらに北上しなければならないので駅から20分はかかる。これはラッキーと飛び乗り、そこから先は七尾行きの直通バスがあることを知り、氷見の町を散策することなく離れてしまったのだ

氷見と比美、2つの表記

氷見の地名の由来は、氷見市のホームページによると「海の向こうに立山連峰の万年雪が見えるので氷見」「海の漁り火が見えるので火見」「海が干しあがった場所なので干海」と、地名の由来には諸説あるという

そしてもうひとつ、市内には「比美」がある。あるというか町の中心で、先述した商店街は「比美町商店街」。奈良時代の万葉集に「比美乃江」という言葉が出ていて、現在も公園や橋の名前にもなっている。これは混在しているというより、使い分けができているようで、コンビニにも「氷見比美町店」が見られる

というような氷見駅周辺の散策もしたいところだったが、折り返しのべるもんたを途中で捕まえる、という作戦があったため、駅からタクシーに乗り込むこととなった

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