茂尻駅の駅名標

※訪問は2023年9月3日

本来は滝川~富良野全駅予定も

根室本線の廃線予定区間である富良野~新得間の全駅については先日までに紹介するつもりだったが、本来の予定だと富良野~滝川間の駅もすべて回る予定だった。それが宗谷本線の思わぬトラブルですべての訪問を変更せざるを得なくなり、来年以降に持ち越しとなってしまったが、その中でも訪問できた2駅について、いろいろな事情を含んでいることもあり紹介します

まずは茂尻駅

前夜は滝川に宿泊。ジンギスカン松尾本店に立ち寄り迎えた朝、滝川から3駅目となる茂尻に到着

この駅については車窓からの眺めの時点でグッとくる

このたたずまいというか存在感。赤平は必ず行くとして(芦別は訪問済み)他は2駅ほどしか行けないな、と思っていたが前日の車窓からの眺めで最優先に決定

これは車窓からも見えるのだが「もしり」のひらがな3文字に心を揺さぶられるものがある。北海道でおなじみのホーローが目に入らないぐらいだ

茂尻炭鉱の中核

駅舎については後回しにして、まずは外に出てみよう

うーん、ザ・高台である。駅の周辺は住宅街。かつて栄えた茂尻炭鉱の中核をなす地域でもあった。急行「狩勝」も停車していた

かなりの規模の町が広がる

階段から駅はまさに「見上げる」

そして駅舎は

かなり風雪に耐えた感がある

茂尻駅の開業は1918年(大正7)。すでに現在の根室本線の形は出来上がっていて、お隣の赤平駅も5年前に開業していたが(当時の駅名は上赤平)、新たに茂尻炭鉱を開坑することになり、炭鉱の貨物専用駅としてスタート。8年後に旅客駅となった。駅舎は当時からのもの。急行停車駅でもあったため、大きな駅舎を持つ

駅舎内も驚き

そしていよいよ駅舎内である

駅舎の写真を見てもらえば分かるが、窓の部分が板張りになっている

つまり朝も昼も中は薄暗い。訪問は朝の8時だったが、一体この暗さは何だろうと思ってしまう

そして左側に見える

ツルの絵画。丁寧に陳列されているが、一体なぜここにあるのか分からなかった

大正期から戦前、戦中そして戦後と休みなく石炭が産出されていた茂尻炭鉱だが、エネルギーの転換期に起きた1969年のガス爆発事故をきっかけに閉山。露天掘りは続いたものの1974年には完全に使命を終えた

1965年、まだまだ元気だったころの風景画も飾られていた

再び駅構内に戻る

ホームとは跨線橋で結ばれている。右手の跨線橋と駅舎の間の空間からもホームに入れる、つまり駅舎には入らなくても済むようになっている

カサカサと乾いた音がしたので身構える。世の中の活動が始まっている時間帯ではあるが、やはり怖さはある。すると奥の茂みから出てきた小動物がスルスルと駆け抜けていった。イタチ風だったが、硬直してしまった分、写真は撮れなかった

次の目的地である東滝川に向かおう

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