日田彦山線BRT

私的に最後の「JR路線」に乗車する~山中のホームに県境のある駅

※訪問は2025年5月27日

必ず行くと決めていた駅

今回の日田彦山線BRT乗車の際、必ず行くと決めていた駅が宝珠山(ほうしゅやま)

夜明から再びBRTで彦山方面へと向かい下車した。ここからBRTは鉄道線の路盤を利用した専用軌道に入る。先の記事でも紹介した東峰村の区間である

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化粧直しの後だった駅舎は健在

宝珠山の駅舎。開業は1937年(昭和12)で夜明駅側から日田彦山線(当時は彦山線)が難工事区間つまりBRTでも専用軌道となった区間に入る一時的な終着駅として開業した。だが戦争によって工事は中断。先までつながったのは戦後になってからのことだった

現在の駅舎は1998年(平成10)にそれまでの駅舎を踏襲する形で新たに建て直したもの。今回現地を訪れて分かったのだが、BRT区間の駅舎は2017年(平成29)の豪雨被害の少し前に新たに建て直されたものが多い

当駅も駅舎はそのまま利用されているが、BRT移行のタイミングでキッズスペースが設けられたりと、中身は手を加えられている

かつてのホーム跡は駅舎の隣にある

ホームが残り、その上にはミュージアムが建てられている

ホーム上の県境は今も残る

宝珠山の駅名は平成の大合併まで存在した宝珠山村に基づく。これは話題となった合併で、宝珠山村と小石原村の2つの村が合併して誕生したのが東峰村。つまり村と村が合併して新たな村が誕生したという「ミニ合併」だったのだ

ただし宝珠山村の中心部はこの付近ではなく、後に出てくるが、お隣の大行司駅付近。というのも宝珠山駅の近くはなかなか村の中心部になりようがないのだ

ホーム跡に建つミュージアムの前にある「県境の駅」の碑。当駅のホームは県境をまたいでいて、3分の2が福岡県で3分の1が大分県にあった。ホーム上に県境のある駅としては東海道本線の山崎駅が大阪府と京都府をまたいでいることで有名だが、山間部の村にある駅が県境をまたぐのは珍しいケースだ(大分県側は日田市だが、駅の開業時は大鶴村だった)

鉄道駅時代はホーム上にこの碑が置かれ、県境を示す線が引かれていたが、BRT転換によってこの位置に移動となった

線路のあった場所にはモニュメントが設置されている

日田彦山線沿線地域振興記念碑の解説がある

線路はかつてのホーム、大分県に入った後にフェードアウトするように途切れている。鉄路が消えたことの証でもあり、心が痛む

さて14時36分に当駅に到着した私は15時28分のBRTに乗車して再び日田方面へと向かう予定だ。まだ少々時間はある。橋を渡って右に行くと、すぐ県境があるので見に行ってみようと歩をすすめる。ただ歩き始めるうちに別の考えが浮かんできた

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私的に最後の「JR路線」に乗車する~久大本線との結点は絶対名前を忘れない

※訪問は2025年5月27日

大いに役に立ったBRT

歓遊舎ひこさんからバスに乗り込み、あらためてBRTを大分県方面へと向かう

今度は大きいバスがやって来た。実を言うと最初に添田から彦山まで乗車したバスを「小さい」と表現したが、彦山で下車すると後ろからもう1台。2台セットでの運行だったのだ。もちろん私は1台目に乗車していて、2台目を見るとお客さんはいないように見えたが、満員で乗れないという危険を避けるため時間帯によってバスの大小や台数を決めているようだ

そしてもうひとつ、BRTに乗車して気付いたのが

USBポートの存在。最初に乗車したバスでは気付かなかったが、その後は携帯の充電に大いに役立った。私的ポイントは極めて高い。特にこの後は1時間の乗車となったので満タン充電である

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まずはJRの「鉄道路線」完乗

1時間かけて到着したのは

夜明駅。こちらはれっきとした鉄道駅で日田彦山線と久大本線の結点で日田彦山線の終着駅。ただし日田彦山線は鉄道時代から、すべての列車が2駅お隣の日田まで乗り入れていた。いわゆる帳簿上の終点だったわけで、そのなごりで今もBRTは日田まで運行される。夜明~日田は鉄道とBRTの両者が並行して走る区間となっている

とにかくこれで日田彦山線は完乗、JRの運営している「鉄道路線」は、これですべて乗車したことになる。もっともこの後、どうしても行きたいBRTの駅があるので再び添田方面のバスに乗り込むのだが、本数がそう多くはないため1度夜明まで来たのだ

高台に立つ駅舎

夜明駅の駅舎は階段を昇った高台にある。鉄道はこちらから、BRTのバスは階段の下からの発着となる

かつては日田彦山線が合流する2面3線の構造だったが、現在は2面2線となっている。周辺は特に何があるわけではないが、印象的なのは何といっても駅名だろう

開業は1932年(昭和7)で久留米側から少しずつ伸びてきた久大本線(当時は久大線)が福岡県との県境を越えた最初の駅だった。大分県最西端の駅である。2年後に日田まで延伸されるまでは終着駅だった。現在の日田彦山線の前身にあたる彦山線の乗り入れは1937年から

駅名は当時の夜明村に基づく(1955年から日田市)。もともとは焼き畑によって開墾され「夜焼」という地名だったものが現在の地名に変わったという説があるが、夜明という言葉の響きは何とも素晴らしいものがある。1度聞くと絶対に忘れない地名、駅名だ

夜明けの鐘や寅さん

現在の駅舎は2010年(平成22)に新築されたもの。すでに無人駅だったが、開業以来の駅舎の雰囲気を引き継ぐ形で建設された

駅舎の隣には

夜明けの鐘

駅舎内に解説があるが、地元の小学校で大正時代からチャイムとして使用されてきたもの

その隣には平成24年九州北部豪雨(BRT転換となったのは平成29年九州北部豪雨)の際に押し出されてきた岩を加工した石碑が設置されている

また映画の中で重要なシーンとして登場する「男はつらいよ」のロケ地にもなっていて駅舎内には当時の写真が飾られている。利用者は決して多くはないが、見どころもあり、駅名標の写真を撮るだけでも尋ねる価値のある駅である

なお私は10代のころに当駅の存在を知り、私が子どものころの青春スター石橋正次さんのヒット曲「夜明けの停車場」(興味のある方は検索してください)に関係があるものと長らく思い込んでいたが、そちらは違うようである

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私的に最後の「JR路線」に乗車する~路線内の最新駅で安心の昼食のはずが

※訪問は2025年5月27日

本日は不安なし

ローカル線の駅訪問を行う際、最も不安なのはランチタイムをどうするか、になる。近年はかつて優等列車が停車していた地域の代表駅ですら、駅前はシャッターや雨戸で閉ざされた店舗の跡があるだけで、その昔は駅で時間待ちをする旅人の胃袋を満たしてくれた駅前食堂は、いにしえのものとなりつつあり、不安というよりはなから諦めていることが多い。あらかじめ出発駅のコンビニでおにぎりやパンを一つ二つ購入して空腹を凌ぐのがほとんど。その分、駅の近くでたまたまコンビニがあったりすると、それを「神駅」と称している

だが今回については閑散ローカル線でありながらも、その心配はなかった。とにかく「食堂」がある場所で横付けしてくれるのだから

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日田彦山線で最も新しい駅

添田方面からBRTに乗車すると、最初にある旧鉄道駅が今回訪れた歓遊舎ひこさん駅(バスの停留所は途中に3カ所ある)。何やらバス停のような名前だが、豪雨被害までは、れっきとしたホームのある駅だった。バス停のように思ってしまうのは

駅の場所がそのまま「道の駅 歓遊舎ひこさん」になっているからだ

こちらが道の駅の駐車場に設置された停留所

道の駅は1999年(平成11)のオープンで、その裏手をたまたまレールが走っていたことで2008年に新駅を設置。鉄道と一体化した道の駅となった。日田彦山線では最も若い駅である。の鉄道に揺られて車窓をぼんやり眺めていると目の前の道の駅を通過していく体験は皆さんお持ちだろう。だが、そのほとんどは駅からはかなり離れた場所にあった、道の駅に立ち寄ろうにも不可能なことがほとんどだ。そもそも道の駅そのものが、もともと何もない場所に造られることが多いので鉄道駅とは無縁だ。それでも近年は北海道の木古内駅や福井県の美浜駅、越前たけふ駅のように鉄道駅と道の駅がセットとなった例も見られ始めた。ライバル同士だった鉄道が飛行場に直接乗り入れる方式が全国で広まったように、鉄道と車がセットになる可能性を感じることだと思う

わずか9年だった鉄道駅

ここが鉄道駅だった痕跡は入口にもまだ残っている

今も残るホームにはレジャー施設利用者のみが入れるようになっているが、入口前の裏側には

このようにJR九州のマークとともに駅名が書かれている。そしてこれは鉄道駅としては廃止ではなく、あくまで休止扱いなので間違ってはいない

また隣に回り込むとホームの一部が残されている。豪雨で被災したのが2017年のことなので、ホームに列車が停車したのは、わずか9年のことだった

一瞬絶句も

さて駅については一通り見たので、ここでランチタイムである。道の駅なので、すっかり安心してうどん店に入ると

無情の本日休業の立て札。事前に調べなかったが火曜日が定休日らしい。お隣の韓国料理店は開いているが、12時24分に当地に到着した私は12時58分発で再び夜明方面へと向かうつもりで、到着後にお手洗いを借りたほか、前述した写真を撮ったりしていたため、残り時間はとうに30分を切っている。サッと食べられるうどん店が休みとなると、何か道の駅の中で、この際お菓子でも酒のつまみでも何でもいいのでお腹に入れられるものはないかと店内に入る

地元の名産品を幅広く取り扱っているなぁ、と店内を歩いていくと、なんと

お弁当を発見。しかもこれで480円と超良心的な値段である。残り少なくなっていたものを素早くゲット。外のベンチで食べようとしたら、他にも複数の「お弁当グループ」が。皆さん車で来られていたようだが、有名なのだろうか

とにかくすっかり満たされた私は

子育てに精を出すツバメさんに別れを告げて無事予定のBRTに乗り込めることになった

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私的に最後の「JR路線」に乗車する~戦時中に建設された立派な駅舎を有した駅

※訪問は2025年5月27日

バスのサイズに驚く

こちらは彦山駅で撮影したものだが、添田駅で最初にバスを見た時の印象は「小さ!」だった。定員は25人となっているようだが、座席の数は20人に満たない。添田駅では私より年配の方が一緒にBRTを待っていたが、この方も初乗車だったようで「小さいんだね」と漏らしていた。ただ考えてみると、このサイズで間に合うからこそのBRT転換だったのだろう

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BRT転換で駅舎解体

BRT転換の要因となったのは2017年(平成29)の九州北部豪雨。特に添田~夜明間では駅舎の倒壊や橋脚の被害、トンネルへの土砂流入など甚大な被害が発生。長期運休は必至で、そもそもそれ以前に再開が可能なのかどうかというレベルの深刻な状況だった。福岡県と大分県の山間部の県境を走るこの区間は、当時すでに閑散区間となっていて復旧までの経費とその後の利用者数を考慮すると、採算がとれない試算だった。地元は鉄道による復旧を求めたが、2年間の話し合いの末にBRT転換で合意。2023年から、それまでの代行バス運転に代わっての日田彦山線BRTの運行が開始された。その際、バス転換で不自由になると予想された東峰(とうほう)村に所在する彦山~宝珠山については既存の鉄道路盤を利用した専用軌道とすることも盛り込まれた

彦山駅は添田町に所在するが、ここから大分県との県境に向けてが東峰村となる

彦山駅とお隣の筑前岩屋駅を車で行こうとすると、このようなとんでもない悪路になる。普通に考えると国道経由の遠回りルートで実際、代行バスもこの迂回ルートを通っていたが、鉄道は地図を拡大していいだけると分かるが、4000メートル以上もある釈迦岳トンネル経由で真っ直ぐ結ばれていた。そしてこの区間は戦前では工事が終了せず、戦争によって中断。戦後10年以上も経た1956年(昭和31)にようやく全通した難工事の箇所でもある

英彦山神宮への最寄りとして

あらためて彦山駅。添田方面から当駅までは1942年(昭和17)に開通した。1942年といえば、まさに戦時中だったが、英彦山(ひこさん)神宮への最寄り、入口として神社を模した立派な駅舎が建てられ、戦後の全通、そして路線名が日田彦山線となっても路線を象徴する豪華なものだった

ただ、その駅舎はBRT移行の際に解体され、現在の形へと姿を変えた。2面3線という駅の大きすぎるスペックはBRTに向かないものだった。駅舎の隣には休憩所も設けられ、駅としての規模は大きい。新駅舎も英彦山神宮の要素を採り入れたもので

生まれ変わった駅舎内はきれいで居心地がいい

こちらは停留所で、ここから先は専用軌道

こちらはバスが去っていくところで、専用軌道となる代わりに非電化単線の路盤を使用しているため、すれ違いはできなくなる

高台にある駅は被害時の防災拠点として添田町が整備していて駅舎横にあるベンチは、緊急時は炊き出しスペースとなるそうだ

こちらは駅前の様子。英彦山神宮への参拝拠点として栄えたなごりがある。正面の飲食店は、おそらくまだ現役のはずだが、訪問当日は営業していなかった

ということで次の夜明方面へのバスはしばらく来ないため「食」を求めて専用軌道を戻る形で添田行きのバスに乗り込むことにする

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私的に最後の「JR路線」に乗車する~不思議な路線名誕生までは複雑な経緯

※訪問は2025年5月27日

路線名ゆかりの駅が第一歩

添田から約20分。BRTのバスは彦山駅に到着した。予定の時刻より5分ほど遅延しているが、ここまでは道路を走るバスだったので、遅延もやむを得ない。写真で見ていただければ分かるが、ここからバスは専用軌道に入っていく。つまり線路跡を利用したコース。ここから約14キロはバスのみが走るコースなのでBRTならではの強みが発揮されるコースとも言えるが、非電化単線の線路跡を走るためバス同士のすれ違いは、かつて駅だった場所でしかできないことが、かえって弱みであるが、これが後に各駅訪問の悩みのタネとなる

そして駅名からも分かるように路線名「日田彦山線」のゆかりになった駅でもある

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変遷の末に現在の路線名に

日田彦山線は小倉から3駅目の日豊本線城野駅から分岐。久大本線の夜明を結ぶ路線で68・7キロ。この両駅が帳簿上の起終点だが、現実的には列車は小倉から久大本線の日田まで運行されていた。そのなごりでBRTも夜明を経て日田まで運行されている。つまり日田~夜明は列車とBRTが並行して運行されている区間となる

路線名は日田駅と彦山駅からとられているのは一目瞭然だが、彦山駅は城野から47キロも離れた場所にある途中駅。普通なら起点と終点の1文字ずつをとったり、路線内の代表駅を路線名とするところだが、ちょっと違う。これには路線の成り立ちが変化した歴史が関係している

もともとは小倉の東側にあった東小倉という駅(今も形の上での駅として残るが旅客扱いはしていない)から日豊本線を経由することなく添田までを結んでいた私鉄路線だった。話はややこしいが、この線路は現在のコースとは異なり、田川地域の中心地である田川伊田も田川後藤寺も通っていなかったため別の会社が当地を通って添田に向かう路線を敷いた。その後、両線とも国鉄となり前者が添田線となり、後者が行橋から伸びる田川線の一部となった。田川線は1942年(昭和17)に彦山まで延伸する。このころまでは現在の西添田駅が添田駅を名乗っていた

一方、夜明側からは1937年に大分県と福岡県の県境である宝珠山まで線路が完成。彦山線という名称だったが、戦時下で工事が中断。線路がつながったのは1956年と戦後10年以上も経ってからのことだった。全通したことにより、添田線と彦山線そして田川線の添田~彦山が統合されて日田線が誕生したが、この時点で日田線は田川地区の中心部を通らないコースを通っていた。そのため間もなく日田線と田川線を結ぶ短絡線を設けた上で、4年後には中心部から外れた部分をあらためて添田線と命名。中心部を通る田川線のコースを日田線に組み込み、名称が日田彦山線となった

文字だけだと何のことか分からないかもしれないが、ざっくり言うと小倉から添田、田川から添田、添田から夜明と3つの路線の組み合わせで成立した路線で、そのうちの一部が分離された上で廃線になったということ。また歴史をさかのぼると路線名に使用できそうな名称がことごとく先取りされてしまっているような気がする。ただ1度なくなった「彦山」という文字がすぐ復活しているあたりがおもしろい。なお2代目となった新たな添田線は中心部を通らないことで利用者が低迷。国鉄末期に廃線となっている

路線の紹介をしていると随分と長くなってしまった。ただ専用軌道の部分にもかかわってくる話なので、できるだけ説明してみた

次回でようやく戦時中に誕生した駅の訪問記をお届けしたい

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私的に最後の「JR路線」に乗車する~初乗車の日田彦山線BRT

※訪問は2025年5月27日

目指すは添田駅

前日に大分空港に到着して日豊本線を北上。行橋で宿泊して平成筑豊鉄道で田川伊田へ

当駅でJRの日田彦山線に乗り換える

1駅先の田川後藤寺で再び乗り換え。渋い車両同士の連絡だ。目指すは4駅目の乗車列車の終点、添田である

到着は11時15分だった

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駅名標が物語る

添田駅の駅名標をじっくり見てみる

片方の「にしそえだ(西添田)」は駅という感じだが、逆側の「はたがわ 畑川(医院前)」はどう見ても駅の名前ではない。「医院」は、なかなか駅にはならないだろう

こちらは列車とBRTの接続駅。つまり列車とバスが同一ホームで乗り換えられるようになっている。これから乗るのはBRT。日田彦山線の一部だが、添田から久大本線との接続駅である夜明までは専用のバスが走る

BRTとは「バス・ラピッド・トランジット」の意味。訳すと「バス高速輸送」になるが、要は専用軌道などを利用してスピードのあるバスを運行するシステム。日本でもいくつかの例があるが、鉄道の線路跡を専用軌道にする方式が多い。有名なのはJR東日本が手がける東北の気仙沼線・大船渡線BRTだろう

今回の日田彦山線BRTも一部は専用軌道を走るが、その他は一般道を走る。つまりはJR九州の運営するバスだ。ただし気仙沼線・大船渡線BRTと同じく鉄道のきっぷでも乗車できるところがポイント。分かりやすく言うと青春18きっぷでも乗車できる。JRが手がけるバス路線は多数あるが、青春18きっぷでも乗車できるバス路線はこの2つだけ。そして私にとってJRの最後の未乗区間である

2年前の夏の思い出

そもそも日田彦山線そのものに縁がなく、ずっと未乗だった。だからBRT転換されても、これが初めて。JR線の定義と言われると、いろいろな考え方があるだろうが、青春18きっぷでも乗車できる上、もともとはBRT区間も鉄道路線で、今も以前の鉄道駅には停車する。だから私の考え方ではレールはなくてもJR路線の一部である。同じく18きっぷで乗れる広島の宮島フェリーも、かつては青函連絡船や宇高連絡線がJR(国鉄)の通しきっぷに含まれていたことを考えると広義のではJR路線の一部となる

添田駅には2年前の7月2日にも来ている。この時は小倉から添田まで来て折り返した。BRTの開業が2023年の8月28日だったので約2カ月前。同業者の姿もチラホラ

駅舎にはまだ「JR添田駅」の駅名板があった

当時の時刻表は、まだ代行バス扱い。旧JR駅にはすべてのバスが停車しているが、新たに設けられた停留所には1日3本の停車しかない。あくまでも鉄道の代行バスのゆえんだろう。また彦山と筑前岩屋の間がボトルネックのようになっている理由については、後々の記事で紹介する

そして、いよいよバスが入線。最後の路線の完乗を目指す旅の始まりである

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