行川アイランド駅

師走の外房線各駅訪問~内房線を通じて初めて同業者と出会った

行川アイランド駅は通過列車も60キロ制限

※訪問は2023年12月14日

今も残る「特急」停車

今の状況からは信じられないことだが、行川アイランドはかつて全列車停車駅だった

周辺に民家はほぼなく、あるのは行川アイランドという施設のみの単式ホーム構造。すべての列車が停まっていたという事実が凄い。ダイヤから急行が消え、特急のみとなった後も一部の特急が停車していた。特急の停車位置番号も残っている…と思ってしまうが、事情はやや異なる

ホームの端まで来るとカーブ状のホームを見渡すための乗務員用モニターがある。このようなものは無用の上物かと思ってしまうが時刻表を見ると現役だということが分かる

安房鴨川方面の夜の部分だが、20時50分と22時44分発の列車には「特急車両で運転」の文字がある。これはいわゆる間合い運行というもので、東京からの「わかしお」のこの時間の2列車は勝浦まで特急として走った後、車両はそのままで普通列車へと姿を変える。特急車両ではあるが、もちろん「タダ」である。時刻表には車両編成も記されていて22時44分発については10両編成。かつてはすべての列車が停車していたため、カーブ状の単式ホームにもかかわらず11両に対応する長いホームを有する当駅が存在意義を示す機会が残っていた

ただし今春のダイヤ改正で、この時刻表には大きく手が加えられた。20時50分のわかしお17号はダイヤこそ20時47分と、ほぼそのままだが15号に変更。22時44分のわかしお21号は19号に変更された上、勝浦止まりとなり、行川アイランドまでは来なくなった。代わりに千葉からの勝浦止まりの普通が安房鴨川行きとなって勝浦で乗り継げば、ほぼ同じ時間に行川アイランドまで来られるようになった(といっても、その時間に下車する客がどれぐらいいるかは不明だが)

春から全車指定となったわかしおは、すべて5両編成で運行されることが発表されている。では長い編成の特急車両は、もう来ないのかとなると、話はちょっとややこしく、時刻表を見ると唯一、間合い運転となる15号については「6月28日まではグリーン車併結」となっている。これは9両編成車両。どうやらダイヤ改正後も自由席があると思い込む人が多く乗ってきて座席があふれてはいけないので周知期間を設けているものらしい。つまりあと3週間ほどは10両ではないものの、9両の運用が見られる。しかも期間限定ながら、グリーン車も「タダ」である

現在の利用者は?

そろそろ列車が来るころである。待合所は吹きさらしだが、この日は穏やかな晴れで師走でも問題のない気候だった

JR東日本では駅別の利用者数を乗車人員という形で発表していて、単純計算だと乗降者はその2倍ということになるのだが、実はこの表に行川アイランドという駅名は登場しない。最小が飯山線の平滝駅で4人。つまりそれ以下の測定不能レベルの利用者ということになる。駅から1キロの所に浜行川の街があり徒歩で10分ちょっと。それほど遠い場所ではないが、鉄道利用とはなっていないようだ

ちなみに「行川」(なめがわ)は、私にはなかなかの難読だが、千葉県や茨城県には「行」を「なめ」と読む地名がいくつかあって、それぞれの町に近い人にはなじみのある読みらしい。元々の地名は「滑川」で地形に基づいたものとされる

こうして料金表を見ると100キロ圏が西船橋のようだ。千葉まで80キロなので東京まではかなり遠い。ディズニーランドの浦安で客足を止められると、園としてはなかなか辛いものがある。園の跡地の今後については前日出会ったご婦人が「温泉ができるって聞いたけど、話が前々進まないね」と話していたが、一応レジャーホテルができる予定にはなっているようだ。ただし予定は未定の世界である

ふと気付くとホームで盛んに写真を撮っている方の姿が。明らかに同業者(鉄道ファン)である。下車したのは私一人と認識していたが、もう1本前の列車で来たのか、どこかから徒歩で到達したのだろうか。外房線の2日間で初めて出会った同業者。こういう「有名駅」では、なかなか貸切というのは難しいのだが、ちょっとうれしい気分にもなって、やって来た電車に乗り込んだ

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師走の外房線各駅訪問~交差点に名前だけでなくイラストも残す

行川アイランド駅の縦駅名標

※訪問は2023年12月14日

周辺は痕跡がごっそり

行川アイランド駅周辺の散策に入る。入るとは言っても周辺に民家は全くなく園の痕跡が残るのみ。ちょうどこのあたりは上総の国と安房の国の境界にある山中で、元々集落のない場所だった。集落がないので巨大な園を造ることが可能だったと言える

駅を降りると園に向かう道路。現役感のあるようなないような。南国らしい木はちょっと元気がないように見えるが、ちゃんと生きている。道路も雑草で埋め尽くされるところをギリギリ整備している印象だ

トンガリ屋根の、いかにも観光地ですのムードを醸し出している電話BOX。年間でどのぐらいの利用者がいるか不明だが、公衆電話というのはほとんど利用者がなくても天災などの緊急用に駅前など一定の設置が定められている。きれいに刈り取られた正面と乱雑に枯れ草が積み上げられた右側が対照的。そういえば利用者が限りなくゼロに近いような駅でも公衆電話は設置されているが、対自然の管理はどこが主体なのだろう

ちょっと陰の関係で見にくいが勝浦の地図もある。ただし行川アイランドは、現役の園のまま表示されている。左のフラミンゴのイラストとセットのまま

園とは道路をまたいで跨線橋でもつながっているが、下まで降りてみる。外房線の高架のふもとに大きな交差点があるが、ここは国道128号の分岐となっていて左に行くとバイパス、右は従来の国道。従来の国道を1キロほど行くと行川の集落と港に出る

分岐の交差点名が「行川アイランド前」だったので近づいてみると名前だけでなく、しっかりとフラメンゴのイラスト入り。細やかさがうかがえるが、閉園からすでに20年以上が経過。信号は新しいものに更新されているようだが、この案内板も20年も経っていないようにも見える。詳細は分からないが、交差点では園もフラメンゴも現役だ。考えてみると、ここはバイパスと旧道の分岐という重要な交差点で名称を変更するとカーナビに重大な影響を及ぼす。簡単に変えるわけにはいかないのかもしれない

子どもの時に見ていた特撮の舞台

さて、この交差点の右側にあるのが行川アイランドの痕跡だ

駅から最短で行ける跨線橋から見るとこのようになっている。手前は駐車場で建物は、その管理棟だったのだろうか。自然との共生をテーマにした行川アイランドはフラミンゴのほかに多くの鳥や動物を飼育、展示していたが、同時にテレビドラマのロケ地にもなっていた。最も多いのが子ども向けの、いわゆる特撮もので、特に「行川アイランド」「仮面ライダー」で検索すると多くのヒットがある。私がリアルタイムで見ていたものが、こちらで撮られていたのかと思うと感慨深いがある

跨線橋で駅へと戻る

おせんころがしとは

駅に残る名所案内を眺める

園は閉園になっているので残っているのが不思議だが、もうひとつの「おせんころがし」が理由かもしれない

上総と安房の国境は古代より断崖絶壁で船以外で通過するには危険な道を行かなければならない交通の難所だった。道の名前がおせんころがし

勝浦市のHPによると、古代に当地を治めていた非道な豪族が住民を苦しめ、娘のおせんが父親に改心を懇願するも受け入れられず、断崖から身を投げた伝説が道の名前になったという

何とも悲しい話だが、今も供養塔が残っている

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師走の外房線各駅訪問~メインイベントの駅にいよいよ降り立った

行川アイランド駅の駅名標

※訪問は2024年12月14日

前日に解けた謎と初めて知ったこと

いよいよ到着である

行川アイランド。私の記事を連日読んでくださる方なら、お分かりと思うが外房線の各駅訪問では当然メインイベントになる

今さら説明不要かもしれないが、当駅は駅前にあった同名のレジャー施設の最寄り駅として開業したもの。同園の閉園後も駅名はそのままとなっていることで鉄道ファンは知られる存在だ

話は前日にさかのぼる。上総興津駅を訪ねた私は茂原方面へと折り返すべくホームで電車を待っていた。同じ乗車口で待つご婦人と、しばし雑談。地元の方で実家の年老いた母の様子を見に来た帰りだという

上総興津の隣駅が行川アイランドである

「行川アイランドって地元の皆さんはよく行かれたのですか?」

「そうねぇ。子どもを連れてよく行ったよ。といっても今50歳の息子が小学生の時だから」

えっ、と思った。そんな昔からあったのか

「ちなみにそこには何があったのですか?」

「一番有名なのはフラミンゴじゃないかな」

ようやく意味が分かった

ここでも記したが上総興津の駅前にある池になぜフラミンゴの置物があるのか、私にはさっぱり意味が分からなかった。電車に乗ってようやく理解できた。そうか、行川アイランドのウリはフラミンゴだったのか。しかもそんな以前からあったとは。無知だと言われればそれまでだが、呉ポートピアランドや倉敷のチボリ公園のように1990年代に各地で誕生し、やがて閉園したテーマパークのひとつだと思い込んでいた

調べると開園は1964年(昭和39)とかなり古く、私と2歳しか変わらない。1980年代の前半に東京で学生生活を送っていた私は知っていそうなものだが、全く知らない。情報量という意味では、当時は現在と比べると圧倒的に少ない。テレビや新聞のニュースで流れるか口コミ以外に情報はないのである。もっとも学生時代にディズニーランドが華々しくオープンしたことは大きなエポックとして知っている。同じ千葉県内でのディズニーランドの開園は行川アイランドの客足に大きな影響を及ぼしたというが、東京により近い場所に鳴り物入りで、そんな施設ができたのでは、それも当然かもしれない

時間を調整して訪問

行川アイランドには前年の暮れに内房線の各駅訪問を行った際に実は訪れるはずだった。安房鴨川まで到達して外房線の行川アイランドだけ訪問の予定だったが、滞在時間がハンパになってしまうので断念。1年待っての訪問となった

当駅の時刻表だが、9時32分に到着して10時10分で去る予定なので約40分の滞在。もっと効率的に15分ほどの滞在とする旅程もあったが、それではさすがに短すぎる。しっかり時間は調整したつもりだ

駅の開業は1970年。開園より8年も後のことで当初は臨時駅。まだ電化もされていない時代。優等列車の一部が停車する一方、普通の通過もあるという、いかにも臨時駅の風情だったが、1987年4月1日のJR移管時に正式駅に昇格した。すでにすべての普通が停車するようになっていたという。臨時駅としてのスタートを含めても外房線で最も新しい駅ということになる

かつては駅舎があったが、2001年の閉園からしばらく経って解体。現在は待合所とホームのみの駅。ICリーダーはホームの外に設置されている。開業時から棒状ホームで外房線で単式構造となっているのは三門駅と当駅の2駅のみである

駅周辺といっても遺構しかないのだが、ここから散策に入る

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