戸出駅

成り行きで大糸線の全駅訪問になってしまった話~クラシックな駅舎にクラシックなホーロー

※訪問は2024年3月7日

こちらも合成駅名

突然、大糸線の全駅訪問を目指すことになり

松本駅の大糸線乗り場へ。とはいえすでに11時になっていて、今日は15時ごろの特急「しなの」で帰宅するため、それほど時間はない。持ち時間の範囲で頑張ろう

松本から14キロ。約30分の電車旅。わずか14キロで30分も要するのは駅数が多いため。松本から9駅目。14キロで9区間もあるのだから、出発するとすぐ到着のイメージだ

ご覧のように1面1線の単式ホーム。右側に「いかにも」のスペースがあるが、かつては島式ホームだったらしい

かつての島式ホームの跡を利用したと思われるスロープで駅舎へと向かう。その駅舎はというと

どう表現して良いのか、いかにも「駅」である。最近見かけなくなりつつある1文字ずつ分離した駅名板がいい味を出している

開業は1915年(大正4)。松本と豊科を結んでいた信濃鉄道が延伸された際に設置された。豊科~松本市(現北松本)から開業したのが1月で柏矢町までの1区間延伸が6月。一時的に終着駅だったが、まさに一時的で1カ月後には穂高まで延伸。その後も続々と延伸され、翌年には信濃大町まで信濃鉄道としての全線が開通した

駅舎は開業時からのものとされる。ユニークなのは駅名で「柏矢町」という地名は当時も今もない

駅の所在地は「安曇野市穂高柏原(かしわばら)」。駅から近い2つの地名である「柏原」と「矢原(やばら)」を合わせて駅名としている。柏原駅といえば、近畿圏に3駅もあって、それぞれ微妙に読み方が異なることで知られるが、そのまま地名を付ければ、もうひとつの柏原駅が誕生していたかもしれない

ただ当時の所属自治体は西穂高村。戦後まで続いた自治体で1954年(昭和29)に合併して穂高町となっているが、それまで自治体としての「町」になったことはなく、なにゆえ「町」が付いたのかは調べても分からなかった。そもそも長野県内の自治体の「町」は「まち」が原則(唯一、阿南町のみ「ちょう」)で、柏を「はく」と読んだことも含め、私にとっては謎のままである

思わぬ発見

駅前には住宅街が広がる。単式ホームの駅とはいえ、1日に1000人以上と利用者も多い

安曇野市の簡易委託駅。安曇野市内の駅は篠ノ井線の駅も含め、営業時間は異なるものの、市の簡易委託でいずれも駅員さんがいる

そして

こちらは駅の窓口利用を促進する案内。来春にはIC乗車ができる区間となるが、駅の将来について現時点での発表はない

駅舎内では

「指差確認」のギリギリ残されたホーロー。いつからあるのかは分からないが、少なくとも10年20年というものではない。そしてもうひとつ

これはもっと貴重だ。思えば城端線の戸出駅で同じようなものを見た

戸出にあったものは「計量器使用事業場」で、やや文言は違うがおそらく同じ意味のもので、旅客の荷物を計る駅に与えられた認可のようだが、富山県から遠く離れた長野県で、ちょっと感動の再会となった

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城端線の全駅訪問を思いつく~県内最古参の駅舎は復活の駅名板も丁寧に保存

福野駅の駅名板

※訪問は2023年9月10日

「ほどほどに」ゆえの保全

福野駅に到着。見ただけでクラシックな雰囲気が漂ってくる。富山県では北陸本線がやって来る前に現在の城端線である中越鉄道が県内最初の鉄路となったことは以前記した。また国鉄とともに使用する予定だった高岡駅の位置が決まらなかったため、黒田仮停車場を今の新高岡駅あたりに設けて仮開業したことも紹介した。その仮開業は1897年(明治30)5月。その年のうちに線路は城端まで到達しているが、5月の開業は、こちらの福野までだった。設置されたのは仮停車場の他に戸出、出町(現在の砺波)そして福野の3駅。仮停車場は高岡駅の開業とともに消滅したので、残る3駅が県内で最も古い駅となり、当時からの駅舎が今も現存すれば、それがつまり富山県最古の駅舎ということになる

127年前という気の遠くなりそうなぐらい以前のこととなるが、福野駅の写真で見れば想像がつくように、今も当時の駅舎がしっかり残っている。それが当駅と戸出駅。言い方は悪いかもしれないが、これはローカル線ならではの事象。沿線で最も大きい町で利用者も最も多かった砺波駅(高岡を除けば、今も新高岡に次ぐ2位)が、開業後2回も改築されたことでも分かるように、利用者が多かったり幹線上にある駅は改築、改修される運命にある。逆に利用者が少なすぎると今度は簡易化されてしまう。つまり本数、利用者とも「ほどほど」が残りやすい

こういう条件は満たそうとして満たせるもものではなく、それこそ時の流れに任せるしかないのだが、戸出、福野の両駅は条件を見事にクリアしている

さて、次は2駅のどちらが古いのか、という比較になるが

こちらは福野駅の財産票。明治30年5月とは開業時。そして当然といえば当然だが、戸出駅にも全く同じものが張られている。となると「最古」の基準は、いつ建物が完成したかになるが、これについては調べても分からなかった。というか、駅は人または貨物が使用してこそなので、現役であればこそ。開業は同じなので、私としては両雄を並べた上での「最古の駅」としたい

かつてのターミナル駅

現在は南砺市に所在するが、2004年の平成の大合併までは福野町の中心駅だった。さらには加越能鉄道加越線の乗り換え駅でもあった。加越線は北陸本線の石動駅から福野駅を経由、井波町を経て庄川町へ向かっていた路線で、大正期から運行を開始し、1972年(昭和47)まで営業していた。井波駅は寺院風の駅舎で知られ、登録有形文化財として今もバスの待合室などに利用されている。現在は福野駅からバス連絡である

福野駅には、もうひとつ見逃せないものがある

改札を入ってすぐ左手、跨線橋に向かう途中にある、これまたクラシックな駅名板。駅舎に掲げられていたものが、一時破棄されてゴミ扱いとなっていたが、しっかりアクリル板でカバーされて復活した。これだけでも見る価値はある

駅周辺は旧福野町の中心部

有人駅で、みどりの窓口あり。こちらも福光駅と同じく簡易委託ながらみどりの窓口がある(こちらも福光駅と同様に将来は無人化の予定)という珍しい形式。なにげに「自動券売機」の文字がシブい

訪問時はまだまだ暑い9月初旬だったが、冬を感じさせる車両がホームから少し離れた場所に残る駅名標と並んでいた。いつも置かれているのか、冬への準備のために出てきたのかは分からなかったが、きっと今はこちらの車両が、活躍しているのだろう

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城端線の全駅訪問を思いつく~ハッと思ってしまう意外な難読駅名の由来

油田駅の駅名標

※訪問は2023年9月10日

隣駅とセットで理解

東野尻に次いで油田にやって来た。ご覧の通りの単式ホーム。ただ向かいに廃ホームが残る。かつては、交換設備があったようだ

ただ注目は駅名である。「油田」は「あぶらでん」と読む。多くの人が思うのは「ゆでん」だろうが、いわゆる湯桶読みという訓音読みは、それだけで難読になってしまう

一瞬、富山にかつて油田(ゆでん)があったのか、と思ってしまうが、そうではない。これはお隣の戸出駅とセットにすると分かりやすい

城端線の駅は1駅だけ紹介したことがある。昨年2月にグリーンきっぷで旅をした際、当駅に立ち寄った

「戸出」(といで)だけだと、油田との関係は分からないが、時代ははるか昔の平安時代までさかのぼる。このころから当地は油の産地だったようだが、そのころに石油なんてものが使用されるはずはない。油というのはごま油のこと。付近ではエゴマが多く栽培されていた

それにちなんで「灯油田」(とうゆでん)が地名の由来で、歳月を重ねるうちに「とうゆでん」→「とゆで」→「といで」と変化したとか。隣町となる油田は、文字もそのまま残った

明治の町村制では、それぞれ戸出町、油田村となり油田村は、戦後の1952年(昭和27)の砺波町誕生まで存続。現在は砺波市である

現在は簡易的な駅舎

油田駅の誕生は1900年(明治33)で、1897年生まれの戸出駅より若干若い

現在の城端線が最初に開業したのが戸出駅設置の1897年で、同じくその時に開業した砺波駅(当時の駅名は出町)との間に開業した。少し遅れたとはいえ、もう120歳を超える歴史を持つ

ただし駅舎は簡易的なもの。かつては木造駅舎があったようだが、国鉄末期に無人化され、JRになって間もなくの1989年(平成元年)に現在の姿となった

簡易的とはいっても駅舎には事務室があり(どのぐらい使用されたのかは不明である)、待合室も扉が開閉できるものとなっている。駅舎そのもののデザインも欧州風なおしゃれなものだ

駅からすぐのところには江戸時代から続く若鶴酒造があり、ここには北陸唯一のウイスキー蒸留所がある

そんな油田駅だが、駅舎はあるものの少し気をつけなければならないことがある

最近の流れではあるがお手洗いにはカギがかけられ閉鎖されている。長時間滞在する場合には事前に備えが必要である

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グリーンきっぷの2日間~明治生まれの駅舎で締める

戸出駅の駅名標

2月22日14時20分

パンダさんじゃなかった

富山駅の軌道線からの乗り継ぎが大変よく、ギリギリで「つるぎ」に乗車することができました。これに乗ると城端線にうまく乗り継げます。「金沢のサンダーバードの発車までの時間をどうしよう」と時刻表を何度もパラパラめくっていた悩みが一気に解決

富山~金沢の2区間だけを編成車両の一部だけ利用して運行するという、つるぎですが需要の多い区間を1時間間隔から30分間隔に補完する、なかなかのアイデアだと感心します

城端線の新高岡駅は新幹線とは改札外連絡の無人駅で単式ホーム。高岡までは1駅で新幹線からの乗り換えでの需要はかなりあるほか、大きなイオンの最寄りも兼ねています。城端線は昼間は1時間に1本の運行ですが、イオンのおかげもあって高岡~新高岡はバスも頻発しています

10分もかからない絶妙な乗り換えでキハ40に乗ります。昨日の今ごろは鳥取県にいたわけですが、24時間後に富山県で再びタラコに乗るというのは感慨深いものがあります

ホームにいた女子高生が「1両かな、2両かな」と会話していました。確かに容量が2倍違うのですから、その差は大きい。やって来たのは2両編成。下校の高校生でにぎわっていました

車内で目をひいたのは津波の際の注意事項。私が気づいていなかっただけなのかもしれませんが、かなり斬新でした。というのも過去に見たものは

こちらが特急「くろしお」の車内のもので

こちらが紀勢本線の普通で見たもの(ともに2021年12月の撮影)。いずれもパンダさんがモデルになっていて、かわいいな、と思っていたのですが、これが和歌山仕様だったことを知りました。確かにジャイアントパンダがはしごで降りたら相当な時間を要しそう

130歳近い年齢にしびれる

今回向かうのは高岡方面ではなく城端方面。10分で到着したのは

戸出です。旧戸出町の代表駅で、こちらの素晴らしさは

こちらの駅舎

まだ北陸本線もない時代に開業した城端線ですが当駅は、ほぼ1897年の開業時の姿のまま

こちらが明治30年の財産票。まもなく126歳の誕生日となります。長い歴史を持つ城端線ですが、当時からの駅舎が残るのは他に福野と城端の2駅だけです(城端駅の開業は戸出、福野より半年ほど遅い)

一部は手が入っていますが、他はほとんど変わらない

「計量器使用事業場」。これは初めて見ました。調べると、はかりなどの計量器を適切に扱う事業所としての認可だそうです。旅客の荷物を扱う駅に与えられていたもののようですが、考えてみると日本中の駅がそうだったことになります

利用者の多い駅で、今は簡易委託駅としてきっぷ販売を行っています

訪問時は、まだストーブがありました

戸出周辺は灯油(植物油)作りが盛んでかつては「灯油田」の表記もあったそうで、お隣の駅は「油田(あぶらでん)」

駅舎のホーム側に掲げられていた城端線の案内図。JR移管後に設置されたもののようですが、新高岡駅ができる前のもののようで、年季は入っています。ホームには多くの高校生がいたのですが頭上にある写真を撮っていると「わー、こんなのあったんだ」と見上げていました

その後、新高岡に戻って金沢へと向かいました。北陸新幹線と北陸本線の特急をフリーで乗れるきっぷは過去にも利用しましたが、それぞれの駅にローカル線が接続しているので発売されるタイミングは貴重です

サンダーバードで帰ります

最後の指定券

出発前に用意したきっぷは無事すべて使うことができました。パノラマグリーンから始まり、かなり「乗っている時間」が長かったですが、未乗車区間の穴埋めも含め、後半は適当旅でローカル線の乗車や駅巡りもでき、密度の濃い旅となりました

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