佐貫町駅の駅名標

※訪問は2022年12月17日

旧佐貫町の代表駅

再び上総湊の内側つまり木更津寄りの朝は本数の多い区間に戻り佐貫町で下車。もう架線も張られていない線路が見えるが、ほかにも多くの側線跡が残り、かつてはかなりの規模だったことが分かる

ホームの待合室に記された番線の数字はなかなかクラシックなものである

内房線の古風な駅舎で必ず見かける精算所。こちらも現役ではないが、窓口が2つもあることで、かつての利用者数を感じさせる

旧佐貫町の代表駅。大貫駅の項で触れたものと同じになるが、1955年に佐貫町と大貫町が合併して大佐和町が誕生。自治体としての佐貫町は消滅した。ちなみに「大佐和」というのは元々の地名ではなく、合併の際に町名をどうするかで大いにもめ「大貫」「佐貫」の一文字ずつをとった上で「仲良く和をなそう」と「和」が付けられたものである。もっとも、この新たな地名は16年後の1971年に新たな合併で富津町が誕生(間もなく富津市となった)したことでわずかな「使用期間」を終えることになる

開業は1915年(大正4)。木更津から上総湊まで線路が延伸された際に設置された。駅舎は当時からの木造駅舎。かつては特急「さざなみ」の停車駅だったが、現在は週末を中心に臨時特急として走る「新宿さざなみ」も通過する。みどりの窓口は2017年に営業を終了したが、無人駅ではない。私の訪問時は駅員さんのいない時間帯で

券売機もシャッターを降ろしていた

先にあった「佐貫駅」

内房線で、わざわざ「町」が付くのは当駅のみ。理由は常磐線沿線に詳しい人なら分かるだろう。先に茨城県に「佐貫駅」があったからである。千葉県の「佐貫駅」も大正の開業と長い歴史を持つが、茨城県の佐貫駅は明治期の開業。こういう場合は頭に旧国名を付けて「上総佐貫」となるのが一般的だが、そうはならず「佐貫町」となっている

茨城県の佐貫駅は3年前に「龍ケ崎市駅」と改名され、同居する関東鉄道の駅は佐貫のままになったことでニュースになったことが記憶に新しい。なぜなら関東鉄道は龍ケ崎市の中心部に「竜ヶ崎駅」があるからだ

もっともJRにおいては佐貫駅がなくなり、佐貫町という自治体も70年近く前に消滅しているが、駅名はわざわざ変更されることはないと思われる

こちらにも舞子海岸

ホームの名所案内に

新舞子海水浴場の文字。有名なのは東京湾観音だが、神戸の人間としては「舞子」の文字に目が行ってしまった。まさかと思ったが

駅前の案内地図を見ると新舞子海岸について「瀬戸内の舞子の浜に似ているので名付けられたという」とある。北陸本線の各駅訪問でも紹介した

小舞子駅。海ではない琵琶湖に面している近江舞子をはじめ、各地には「舞子浜」が多く存在する

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