上総亀山駅

酷暑の激闘・久留里線3駅その3

8月19日14時33分

ちょっと怖いが降りるのが醍醐味

上総亀山のとうに使われなくなった側線にポツンと置かれているキロポスト(起点からの距離つまり木更津から32キロということ)を横目に同駅を出た列車は、わずか5分ほどで、お隣の上総松丘に到着。もちろん初めての駅。2、3人のお客さんが乗ってきたようですが、そちらはほとんど見ていません

この1区間だけで降りるのは、当然のように私一人です。降り鉄旅をしていて、ここから先の列車がないと分かっていて降りる際にやって来る、妙な優越感と妙な怖さと2つが交錯するいつもの感覚

当駅の横は国道410号が併走しており、車がビュンビュン走っています。県道24号との併走区間のようです。しかし

国道側のホームにあったはずの線路は既になく、ホームの跡だけが残っている。念入りに見たわけではありませんが、駅からダイレクトに国道へは行けないようです

駅舎は単式になっているホームの逆側にあります。ログハウス風の駅舎は松丘ふれあい館という施設も兼ねているようです。ちゃんとお手洗いもあります

開業からの木造駅舎が残っていたそうですが平成に入ってすぐ火災に遭い、あらためて建て直されました。駅舎が復活してくれたというのは、うれしいことです

ミッション発動

さて私が国道の位置などを妙に気にするのにはワケがあります

まず久留里線3駅について見てみましょう

あえて車移動でのルートを張ってみました。国道410号は、ほぼ久留里線に沿って走っているので問題ないと思います。国道を道なりに進めば10・8キロ。車で16分とあります。実は鉄路でもほぼ同じで9・6キロで18分。逆に言うと、それが乗車人口を減らすことにもなったのでしょうけれど

そして駅舎内の時刻表を見てみましょう

詳細に時刻が書かれた分かりやすい時刻表。私は14時33分でやって来たわけです。となると次に列車が来るのは17時21分で、ほぼ3時間後。平山駅に到着すると今度はさらに1時間待って、ようやく木更津まで行くことができます。その場合、木更津着は20時38分。今日のうちに神戸まで帰るので、とてもムリ。というか、ここで3時間も待ってられないでしょう。8月中旬過ぎの18時26分なんて、かなり暗そうだし。ということで、ここは

平山駅まで歩きます

久留里線の項の1回目で記しましたが、今日は涼しい1日だと天気予報も連呼していました

国道に直接行けそうにないのが痛いですが、多少遠回りをしても国道に行けない道なんてないのです。平山駅までは約3キロで、暑さにへばったとしても1時間もあれば着く。では平山駅で2時間ほど待つのかと言われると、それもおそらく大丈夫。万全の作戦を考えています。さっそく歩き始めました

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酷暑の激闘・久留里線3駅その2

8月19日14時11分

上総亀山にやって来た

13時53分に久留里を出発した列車は終点の上総亀山に到着しました。11年越しの悲願ともいえるわけで、ちょっと感無量です。当時、久留里線では手渡しによるタブレット交換が見られていました

青春18きっぷのシーズンです。金曜日の平日でしたが、一見それと分かるお客さんの姿もかなり見られ、中には夏休みの部活を終えて帰宅する生徒さんもいて座席は8割は埋まっていました。駅舎をじっくり見て写真を撮るとか(早い話、私もその一人です)、あきらかに鉄道ファンでしょう

駅舎は1936年にレールがここまで到達した際のものに手を加えながら使われているようです。利用者云々よりもタブレット交換のための駅員さんは必要なのでずっと駅員さんはいました。自動閉塞になった際、無人化されています

歴史に阻まれ終点まで行かず

久留里線の歴史は古く大正期に木更津から久留里までが開業しています。久留里という町の重要性からでしょう。昭和になってさらに上総亀山まで進んだのですが、そこから先が延伸されることはありませんでした

元々は現在のいすみ鉄道である国鉄木原線と上総中野で接続し、大原まで行く予定でした。山陰と山陽を結ぶ陰陽連絡線が数多く敷設されたように房総半島を横断するのも鉄道黎明期には重要なことで県営、民営と工事が行われました。久留里線は元は県営で、その後国鉄となり上総中野を目指します。元々「木原線」の「木」は木更津で「原」は大原です。また五井発の小湊鐵道はずっと私鉄ですが「小湊」は今の安房小湊で、小湊を目指していたことが会社名に残ります

それが昭和初期に現在も小湊鐵道といすみ鉄道の接点である上総中野駅で接続が可能となり、資金面、その後の戦時体制などで両線の延伸計画は中止。小湊まで至らなかった私鉄の小湊鐵道と木更津まで至らなかった木原線が路線名にそれぞれの地名を入れたままで戦後もずっと走り続け、木原線はJR移管時に三セクいすみ鉄道へ。木更津を示す「木」の文字はなくなりましたが同じ体制が続いています

無人化と同時に1面2線だったホームは単式化されています

山中の駅周辺は住宅街ともなっていますが、生活路線というよりダム湖である亀山湖への拠点の側面が強くなっています

後から設置された久留里からの3駅は、本来は房総半島横断を目指した途中駅という性格が強く、当初から利用者は少なかったのか、戦時中には不要不急路線として休止の扱いも受けています

線路はこの先で終わっています。70年以上前、上総亀山までの工事にあたっていた方は、どんな思いだったのでしょうか

列車はわずか15分の滞在で折り返します。この駅で次に列車が見られるのは約3時間後。備後落合にでも来ているような感覚になりますね。私も短い滞在を終えて乗り込みます

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