JR

若狭湾に沿って走る84キロのローカル電化路線小浜線を行く~簡素な棒状駅が駅舎で見違えるように

※訪問は2025年3月26日

意外と難読な駅

加斗から約20分。三松駅にやって来た。高浜町にある若狭和田駅から小浜市の加斗駅に行き、再び高浜町に戻ってきたことになる。読みは「みつまつ」。意外と難読だ。初見だと読めない人の方が多いのではないか

ご覧の通りすれ違いのできない単式ホームのみの構造だ

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もともとは待合室のみの駅

開業は戦後の1961年(昭和36)。小浜線はこのころから無煙化され、気動車が投入されたことで細かく停車することが可能になった。敦賀と東舞鶴をのぞくと全21駅の小浜線だが、3分の1にあたる7駅が昭和30年代の開業だ。この頃になると国鉄も意識が変わっていて駅=駅舎の意識はなくなっていて、待合所のみの簡素な構造の駅が全国で設置されている。この7駅もいずれも単式ホーム+待合所のみの駅だった

「だった」と記したのは当駅においては事情が異なるからだ

現在はラ・ポルト三松という洋風のおしゃれな駅舎が建てられている

ガラス張りの駅舎にはお手洗いもある。春が間近の3月末とはいえ、若狭路はまだまだ冷え込む。利用者にはありがたい構造だ。車いす用のスロープも設置されている。小浜線は2003年に電化されたが、その後の2005年に新たに駅舎が建てられ、駅前の駐車場が整備された

駅の目の前を国道が走っていてロードサイド店やコンビニもある。少し歩くと海岸に出て海水浴場がある。2023年度の1日あたりの利用者数は156人。路線内では前回まで紹介した加斗駅の108人を上回っていて、主要駅のひとつである三方駅とほぼ同数だ。ただし路線内には駅舎のないホーム+待合所の構造ながら当駅より利用者の多い駅は存在する

張り板に目がいく

駅で目につくのは

柱に張られた板。簡単に言ってしまうと原発によって駅舎が建てられたということになる。このように紹介すると「原発のおかげで造ってもらった」という、どちらかというとシニカルな意見が必ず出てくるが、私が思うには、これは地域の選択なのだから外部から何も言うことはない。それなりのリスクを背負って受け入れたわけである。まず私には自分の暮らす町に原発がやって来る、やって来るかもしれないという経験をしたことがない

そもそも「電源立地地域」の駅の張り板は何も原発に限ったことではなく、大糸線の沿線でも見かけた。こちらは水力発電所によるもの。張り板がイコール原発と考えるのは、ちょっと違う

「降り鉄」としての意見を言わせてもらうと駅が立派になるのは良いことだ。このような寒冷地で日々利用する100人以上の方は喜んでいるはず

ただその一方で、このように路線内の駅が立派になって、わずか20年で廃線へ向けた動きがあることが話を複雑にしているのも事実である

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1年間ありがとうございました~2025年をふりかえる…その3

九州で強い味方

例年、暑さゆえあまり遠くまで行かない8月ですが、こちらもまたタイムセール航空券の都合で2度もお出かけ

6日に東京で用事があったのですが、ホテルの高額ぶりに都内には泊まらず近頃恒例となった千葉に宿泊し、そこから青春18きっぷを利用して総武本線と成田線をウロウロ。その日のうちに帰宅して残り2日間は近場で済まそうと思いきや

17時に東京駅に着くと沿線火災で運転見合わせ。ちょうどストップした直後だったようで、常磐線の中でエクスプレス予約を操作している間は告知が出ておらず、ここで再開のめどが立っていないと聞かされる。過去にも新幹線のストップは経験していますが、再開直後はバカ混みしている上、下手をすると在来線の終電が終わってから新大阪駅に到着という地獄パターンの可能性は大いにあるので急きょ予定を変更。帰宅ラッシュが始まってなんとか座れた東海道線の中で平塚のホテルを確保して平塚に宿泊しました

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真夏につき、汗だくになる可能性もあるため着替えを1日分、多めに所持していたことと、その気になればどこまでも行けてどこでも降りられる18きっぷのおかげで助かりました

ということで翌日は東海道線を下りながら御殿場線の駅を堪能しながら浜松までたどり着き、そこから新幹線に乗車して帰宅。残り1日分の18きっぷは小浜線の仕上げに使いました

26日からは九州へ

ようやく念願かなった南阿蘇鉄道に乗車。そして2日かけて全駅訪問。決して本数が多いとはいえないので珍しく観光などしましたが

白川水源がとても良かったです。夏は冷たく冬は温かいという年中一定の温度を保つ新鮮な水が本当においしかった。阿蘇牛のステーキ丼を食べたのですが、そこの店舗で出される水が白川水源のもので暑かったこともあり、ガブガブ飲んでしまいました

1年で2度九州に行き、ともに利用したのは旅名人きっぷで当然ながら新幹線を含め特急の乗車はゼロ。ただ私鉄や三セクにも乗れるこのきっぷは本当に強い味方でした

9月以降はひたすら私鉄と三セク

8月の反動からか9月以降は動きが鈍化しました

9月は名古屋に行くついでに豊橋鉄道渥美線の全駅訪問を行ったのみ。こちらは平日は15分に1本、週末も20分に1本の運行があるので気楽でした

強めの旅は10月の長良川鉄道。18日からダイヤ変更で運行本数が減少するということで予定を前倒しにして4、5日に訪問。2025年の旅は天候に恵まれたと前記事で記しましたが、その反動が一気に出てしまったかのように2日とも本格的な雨が降り続き、岐阜の山中は寒かった。もしもに備えて持参したセーターが大いに役に立ちました。こちらもそのうち記事化したいと思います

11月は長野県の旧友のもとへ。こちらは鉄オタ旅ではなかったので初めて地獄谷へ向かい

暖かい日だったのでサルの入浴は当然なく、入り口で「今日はサルの目撃情報がありません」との了承のもと入園料を支払ったのですが、突然1人だけ現れたサルさんの撮影会が始まりました

この後は11月に山陽電車の1日フリーパス、12月にJR西日本大阪近郊エリアの1日QRコード乗車券のみの利用となりました

2026年はどこへ?

1年前の記事で「今年は私鉄と三セクに力を入れる」と書きましたが、結果的にその通りになりました。さまざまな駅を紹介してきましたが、最近のJRの記事といえば、津軽線、日田英彦山線とJRの路線ながら列車は走っていないものぱかり。廃駅を待つばかりの秋田港駅もありました。「現役の」JR路線といえば、大糸線の全駅下車を達成した(厳密には1駅残っています)4月24日の記事が最後で年末に始めた小浜線まで8カ月も記述がありません。これにはいろいろな要素があってJRの駅訪問を行っても中途半端な虫食いに終わっていて路線全駅として紹介するに至っていないことが大きく、また18きっぷのルール変更で身動きが取りにくくなったこともそこに加わります

今年もそのようなきっぷの縛りに負けることなく、各地へと赴いてみたいと思っていますが、ちょっと困ったことといえば、クマの出没情報です。東北方面といえば、この2年は3月に平日キュンパス、7月に北海道&東日本パスを利用して向かっていて、今年も少なくとも夏の北海道&東日本パスは利用しようと思っていました。特に廃止予定の津軽線にはいくつか未訪問駅があります。ただ当然ながら、それらは駅はあってもバスでしか立ち寄れない場所ばかりで、どうしようか、と思案しているのが正直なところ。怖いのは当然ですが、目撃しただけで地元の警察や役所、消防署に迷惑をかけることになります。今年の夏あたりまでは想像もしていなかったことですが、春以降の状況を見て考えなければと思っています

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1年間ありがとうございました~2025年をふりかえる…その2

最も印象に残った旅

5月は今年一番印象深かった日田英彦山線BRTに乗車

こちらもタイムセールで確保した航空券とともに大分まで飛び、杵築から日豊本線を北上。自分の予想をはるかに越えた大きい街だった行橋で宿泊して

平成筑豊鉄道で田川を目指します。この区間は2年前に豪雨と直面して乗車できなくなった場所で今回無事に完乗。そのまま田川伊田、田川後藤寺、添田を経て乗車。JRが運行して鉄道のきっぷも有効という意味では、最後の路線となったこの区間

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最初は完乗が目的で、いくつかの駅で降りられたらいいな、ぐらいの気持ちでしたが、乗車しているうちに「これはもっと見て回りたい」と急きょ予定を変更。たまたま日田に宿をとっていたことも幸いして、ほぼ2日間張り付きに

私の知識は一般道路を走る区間とBRT専用軌道の区間があるぐらいのものだしたが、すべてをバス路線にしてしまうと、道路事情から福岡県と大分県の県境にある東峰村をほとんど素通りしてしまうことを知る

本数が少ないので初夏の季節に1駅間を1時間近く歩くことになりましたが、雄大なめがね橋の景色を眺めることができ、当時の難工事を知ることもできました

駅舎崩壊後、地元の手によって再建された大行司駅とホームへの階段は深く印象に残ります

また区間内にあるいくつかの駅が改築されたばかりだったことも知り

県境にまたがるように造られた駅や

別区間の徒歩で見た路盤にも思いをはせることができました

最後の週末パス

6月はその月いっぱいでの終了となった週末パスを利用すべく、仙台空港へと飛ぶ

18きっぷの変更もそうですが、関東から南東北、甲信越の私鉄や三セクにも乗車できる上、特急料金を払えば新幹線や在来線特急にも乗れる週末パスの終了は痛い。駅訪問というジャンルにおけるアイテムがどんどん減っています

仙山線を山形へと向かい、愛子や山寺などでも降りましたが、意外とうれしかったのは東北福祉大前駅での初下車。東北福祉大OBの方には仕事柄数多く出会いましたが、実際に駅で降りたのは初めて

こちらはインバウンズも含め、大いににぎわっていた山寺駅

そして山形鉄道フラワー長井線にも終点の荒砥まで初乗車

JRのままだったら、とうに姿を消していたかもしれない登録有形文化財の駅にも行くことができました

今年も北海道&東日本パスでふらり東京から

6月はこのほかにも陽の長さを生かした小浜線訪問。そして7月の声を聞くと

前年も行った北海道&東日本パスでのふらり東北旅。駅を降りつつ、宿は行ける所まで行って当日確保というもので、昨年と違って今年は道中一泊のみで青森まで到達しなければならず、慌ただしさもありましたが、それなりに楽しむことができました。実はこちらも記事化できていません

この旅の大きな目的が2つあって、ひとつは正式廃線へカウントダウンとなった津軽線の蟹田以北への訪問。そして

3月に積み残した弘南鉄道大鰐線の残り駅訪問と弘南線の各駅訪問

猛暑というより酷暑の影響は東北地方も例外ではなく、夏場は35度という日も珍しくなかったようですが、なぜか私が青森に滞在した数日間は最高気温26度という日が続き、早朝の列車に乗ると長袖の人も珍しくなかったほど。3月訪問時の暖かさといい、2025年はおおむね気候には恵まれました。もっとも、その後に大きなお返しが来るのですけど

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今年もありがとうございました~2025年をふりかえる…その1

年明けはサンキュー♥ちばフリーパスから

2025年も間もなく終わろうとしています。当ブログも3回目の年越しを迎えることができました。いつもお読みいただきありがとうございます

年またぎになりますが、簡単に2025年を振り返ってみたいと思います

1月のスタートは

サンキューちばフリーパスを利用しての旅。どうしてこの時期になったのかというと、JALのタイムセールでチケットを確保できたため。この後も出てきますが、東北にせよ九州にせよ(今年は北海道には行かず)タイムセールが最優先。東京も少なくとも往路はタイムセールです

京成が参加したことで急激に乗れる路線が拡大した当フリーパス。こうして見ると、とてもじゃないけど2日では乗り切れないですね

そしてこの券面には「新京成電鉄」と、今はなき会社名が印字されています。夏は利用しなかったので分かりませんが、おそらく名前はなくなっているはず

ということで

新京成へ

わざわざ本社の写真も撮りに行きました。料金の高さでも知られる北総鉄道もバンバン乗って、あっという間に料金回収となりました。ただ利用して初めて知ったのですが、JR以外は自動改札機を通れないという欠点があり多少のストレスも

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入手できなくなったフリーパスも

2月は三岐鉄道三岐線の残り駅回収です

昨年から今年にかけて三岐鉄道の北勢線と三岐線の全駅訪問を行ったのですが

今にして思うと良い時期に行けたな、と。というのも今春までは共通で利用できたものが、その後、2線それぞれでパスが必要になりました。昨年の11月あたりから始めた両線の各駅訪問ですが、そのころはこのような変化が訪れるなど全く知らず、偶然のギリギリセーフでした。こうして見ると青春18きっぷの変化といい、週末パスの廃止といい、降り鉄を巡る情勢は厳しいものとなっていると言わざるを得ません

3月はWESTERポイントを利用したJR西日本2日間乗り放題で北陸新幹線の敦賀~金沢の全駅訪問。全駅訪問といってもわずか6駅しかないので、新幹線のダイヤとスピードで瞬時に終了。次の日は七尾線の各駅訪問を試みましたが、あまりの寒さに志半ばで断念。実はそのままで課題のひとつとなっています

この月は慌ただしく翌週に青森へ。これもうまくタイムセールスと合いました。弘南鉄道大鰐線の各駅訪問。自分の住んでいる所は雪が舞うことがあっても数センチ積もることすらないので背丈までの雪に圧倒されました。ただ幸運にも気温は10度を超えていて痛めた膝を引きずりながらの駅間徒歩も気候的にはちょうど良いぐらい

翌日から平日キュンパスで秋田へ。クルーズ船利用者のために貨物専用駅をきれいに改修したものの、10年も経たずに廃駅となってしまうことになった秋田港駅へ。この駅を紹介した記事はかなり読んでいただけました

3月というのは、いろいろな変化が訪れる季節でもあるので活動量も増えるのですが、この月は精力的に活動していて現在紹介中の小浜線を青春18きっぶで訪れています

新機軸に挑戦

4月は3月の反動でほとんど動きはなし。ただ

QRコード乗車券に初挑戦。利用者を広げたいのか実験的な意味が強いのか分かりませんが、JR西日本ではQRコード乗車によるフリーパスを数多くリリースしています。しかも私鉄と合同による商品が多く、なかなか魅力的

堺まで行きはJRで帰りは南海とか、京都まで行きはJRで帰りは阪急といった利用ができます。もっとも大手私鉄の駅では、ちょっと規模が大きくなるとQR改札口が複数あったりするのに対してJRは基本的にひとつ。しかも利用路線内にあるにもかかわらずQR改札がなく、その場合は改札付近に張られているQRコードを読み取って駅員さんに見せたりと手間が多い。また駅員不在時はインターホンの呼び出しが必要となったりするのですが、なかなかインターホンに反応がなくイライラしたり、駅員さんがいても「これは何でしょう?」と言われたりする始末

また駅の容量がインバウンズに対応しきれていない京都市内の駅を5月に訪れた際は、入口と出口が臨時で分けられたりしているのですが、QRコード対応の改札はひとつしかないわけで大変でした

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若狭湾に沿って走る84キロのローカル電化路線小浜線を行く~高校の新聞部に感謝

※訪問は2025年3月26日

駅舎内の理髪店といえば

駅舎に入る理髪店と聞いて真っ先に思い浮かぶのは

因美線の因幡社駅。2020年の8月23日。予備知識なしで朝8時過ぎに駅に降り立った私は人の気配がするので様子を見たところ

駅舎内に理髪店が入っていて、すでにテレビがつけられていて驚いた記憶がある。駅が無人化された1970年代からずっと入居していたそうだが、私の訪問後まもなく50年の歴史に終止符を打ったようだ

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美方高校新聞で歴史を知る

あらためて加斗駅駅舎。加斗という地名は加斗庄という荘園から来ていて鎌倉時代にはすでにあっという。明治の町村制施行で加斗村が誕生し1955年(昭和30)から小浜市。駅舎はおそらく1921年(大正10)の開業時からのものだ

入居する理髪店が営業している時間帯はきっぷ販売も行う。カタカナの「キップ売場」の文字がなかなかいい

駅舎内に2022年の美方高校新聞が張られていた。これだけで歴史が分かるようになっていて、とても優れている。理髪体験記まであって完成度も高いし、上から目線に感じられてしまうと申し訳ないが、長らく記者をした私が高校生の時には、これだけの原稿はとても書けなかったと思う

ほとんどが、この記事の受け売りになってしまうが、店主のご婦人は戦後間もなく加斗駅前で開業した理髪店が実家で、1973年にご主人とともに実家を継いだ。時を同じくして加斗駅は無人駅となり、駅が荒れないように夫婦で駅の掃除をしたり、花を植えたりしていた。JR移管の10年以上前で、国鉄の民営化など、まだ具体化していないころである。

そのような日々の活動を行ううちにJR西日本の社員とも知り合いになり、ボランティア活動を20年以上続けた1995年に理髪店が立ち退かなければならなくなったところで、簡易委託のきっぷ販売を条件に駅舎内での理髪店営業を持ちかけられ、以降30年間営業を続けている。厳密には1973年の無人化から半世紀以上にわたって駅を守ってきた。2018年にご主人が亡くなられた後も、一人で店と駅舎を守り、予約制で理髪店を続けているという。駅や駅付近に住んでいるのではなく、小浜線を利用して毎朝の通勤だ

駅で降りてみて、このような物語に触れることはなかなかないが、たまに出会うと目頭が熱くなってしまう

1日の利用者数は約100人

同じ場所には「加斗の宝物」と書かれた絵が張られていた。当駅とお隣の勢浜駅が旧加斗村の村域にある駅。ただ勢浜駅は小浜市になってからの開業だ

加斗駅の1日あたりの利用者数は108人(2023年)。駅舎には徳川家康の人生訓があり「堪忍は無事長久の基」だそうだ。「うーん」とうなりながら、やって来る列車を待った

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若狭湾に沿って走る84キロのローカル電化路線小浜線を行く~床屋さんが守る開業からの木造駅舎

※訪問は2025年3月26日

もうひとつのメインディッシュ

若狭和田駅から敦賀に向けて2駅目。加斗駅に到着。この時間帯になると列車の本数も、やや増える。電車に揺られる時間も減ってきて、ようやく駅訪問の時間が来たという感じだ

そしてこの駅は今回の小浜線で松尾寺に次ぐもうひとつのメインディッシュである。「もうひとつ」と記したのは、やや質が異なる、和食と洋食のようなイメージだろうか

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瓦屋根のホーム待合所

掲載した写真にもホームの待合所が写っている

瓦屋根の待合所という変わった構造。観光地にある駅では、たまに見かけるが、ここは観光地ではない。オリジナルの待合所のようだ

近づくと財産票もしっかり張られている。大正10年(1921年)3月とある。駅の開業は同年4月なので、開業に先駆けて造られ、100年以上頑張っていることになる

当駅は小浜線が舞鶴方面へと延伸される途中、小浜から若狭高浜までが開業した際に設置された。小浜線は翌年、全線開通している

当時は加斗村に所在し、戦後の1955年(昭和30)から小浜市。今も加斗は地名として残る

駅の位置は内陸部にあるが、20分ほど歩くと加斗海岸に出る。線路沿いに西側に歩いていくと海が開けて鯉川シーサイドパークへと行くことができる

かつては島式1面2線ホームだったようで、線路がはがされた部分は空白になっている。その向こうには貨物ヤード跡も残る

路線内の貴重な駅舎

駅舎に向けてはかつて構内踏切があっただろう敷地内を抜けていく。木造駅舎が見える。駅舎があった小浜線内の多くの駅舎は前記事の若狭和田駅の項でも触れた通り、この20年で大きく様変わりしている。開業時からの姿を、ほぼそのまま残すのは先に紹介した松尾寺駅と、ここ加斗駅の2駅だけだ。木はきれいに手入れされていて、駅舎にはBSアンテナも見える。生活感を感じる

改札から駅舎内へと向かう

駅舎内のイスには丁寧に座布団が置かれているが、なんといっても目を引くのは「キップ売場」というカタカナ文字そして理髪店のサインポール。当駅は駅舎内に入居しているのだ

もちろん駅舎入り口にも理髪店のサインポール

松尾寺駅は取り壊しの危機から舞鶴市のものとなって後に登録有形文化財となったが、当駅は登録有形文化財でもなければ、小浜市のものでもない。その意味では小浜線内の唯一無二の駅だが、理髪店が入居しているために、ほぼ手つかずで形を残している。駅前には花壇がきれいに並んでいた。いわば理髪店が守る駅となっているのだ

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若狭湾に沿って走る84キロのローカル電化路線小浜線を行く~お腹いっぱいの大満足でした

※訪問は2025年3月26日

待ち時間を有効に

こちらは東小浜駅の時刻表。朝の通勤通学時間帯にそれなりの本数があって、しばらくお休み。正午ごろに1往復だけあって、また夕方までお休みというローカル線の典型的なダイヤとなっている。それでも14時台から動きがあるのは、本数の多い方だ。沿線には高校が複数あり、それに対応したものだと思われる

今から12時20分発の東舞鶴行きに乗車するが、2時間の空きは有効に利用しよう。ふだんの駅訪問では列車のダイヤ優先で時間がなければ、コンビニおにぎりやコンビニ惣菜パンでやり過ごすのがスタイルだが、時間もちょうど良いのでどこかでランチとしよう。そういえば朝の7時に長浜から電車でやって来たが、それこそ朝食は長浜駅近くのコンビニで買ったおにぎりのみだ

その後のダイヤも調べると、「若狭○○」が3駅続く若狭本郷、若狭和田、若狭高浜の3駅のどこかが候補になるが、若狭和田に決定。駅前の規模は本郷と高浜だろうが、各駅訪問には若狭和田が良さそうだ。コンビニが駅近くにあることは確認しているので、最悪何も口にできないということはない

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ピースフルな駅舎

約30分で若狭和田駅に到着

ご覧の通り、単式ホームのみの構造

駅前には「WADA BEACH」の文字。若狭和田海水浴場の最寄り駅。もともとの駅の設置理由が海水浴客向けで、1922年(大正11)の小浜線全線開通から3年後の1925年に仮停車場として設置された。当時の所在地は和田村。正式な駅となったのは昭和に入った9年後である。和田村は1955年(昭和30)に高浜町となった

若狭地方は関西圏からの海水浴客でにぎわい、小浜線も重要なアクセスを担っていた。私も幼少期に若狭まで両親に連れられ海水浴に来たことがある。1960年代終わりごろの話で、どこの海水浴場に行ったのか全く記憶にないが、交通手段はもちろん鉄道である。すでに世の中は車社会に突入していたが、自動車専用道などは数えるほどしかなかった時代。マイカーは浸透しつつあっても、道路というハード面が不備だったので、もちろん長距離バスもなく、アクセス手段はまだまだ鉄道が優勢だった

そして駅舎。観光案内所「ピースフル和田」が併設されている。開業時代からの駅舎がずっと残っていたが、2005年(平成17)に現在の駅舎となった。おしゃれな洋風である。小浜線の電化は2003年。路線内の駅舎の多くはこのころに変化している。現在各地で見られる簡易化ではなく、むしろ立派なものとなった。電化も駅舎の改築も原子力発電所によるものが大きいが、小浜線を語る上で避けられないものなので、どこかでまとめたいと思う

地元の繁盛店で大満足

10分ほど歩いたうどん店で、うどんとカツがセットとなった定食。地元の有名店らしく平日の13時を過ぎた時間でもお客さんは多く、私ももちろん大満足

駅前の漁港を眺めながら駅に戻る

駅舎内の待合室の様子と、こちらは到着時の窓口の様子

訪問時は自治体への簡易委託駅だったが、いずれは無人駅になる予定だという。並びの様子を見ると、そうなのかなぁ、と思ってしまうが、おなかいっぱいの満足感とともに次の駅を目指そう

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若狭湾に沿って走る84キロのローカル電化路線小浜線を行く~新幹線を待つ駅

※訪問は2025年3月26日

美しい若狭湾を眺めながら

松尾寺から敦賀方面へと戻る。すぐに福井県へ入り、美しい若狭湾を眺めながら進む。海沿いに走る単線区間ということで、JR西日本名物の速度制限区間があるが、日常的に利用される方はイライラするかもしれないが、旅人は目の保養になる

列車は東小浜駅に到着。約50分のトコトコ移動。最初に乗車した敦賀から1時間50分かけて松尾寺、そして50分かけて東小浜と、なんとも効率が悪いが、通勤通学時間帯以外は空白の多い路線なので、やむを得ない

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超難読駅になった可能性も

こちらは東小浜駅と、その周辺地図だが駅の住所が「遠敷」だということが分かる。「おにゅう」と読む。かなり古い地名で、もともとは「小丹生(おにふ)」と記されていたものが、7世紀には転訛して現在の読みと漢字が充てられるようになった。隣町となる小浜が発展するまで長らく若狭国の中心地だったため、文献にも多数登場するので地名の歴史も分かりやすくなっている

駅の開業は1953年(昭和28)と戦後で、その際も駅の所在地で由緒ある地名の遠敷を駅名にすることが地元の要望だったが、難読すぎるということで東小浜となった。確かにこれは読めないが、もし実現していれば、難読駅クイズの上位常連駅となっていたことは間違いないだろう。ちなみに私のPCとスマホは「おにゅう」と入力すると、ちゃんと一発変換できた

駅舎は小浜市総合福祉センターとの合築で、とても大きい

ガラス張りの待合室があり、夏や冬も快適に過ごすことができる

小浜市への簡易委託駅となっていて、きっぷ売り場もあるが、改札業務は車内で行う。単式ホームのみの構造で、ラグビーの強豪として知られる若狭東高校の最寄り駅で、時間帯によっては多くの生徒が下車するが、大量の利用者をさばきやすい構造となっている

新幹線を待つ

基本的な順序からだと逆になってしまうが、駅正面からの写真がこちら

大きな駅舎に大きな駅名板。そしてその横に「北陸新幹線小浜・京都ルート 早期実現」の看板がある。北陸新幹線の新駅を当駅の西隣に設置することが、すでに発表されている。東小浜駅の西側には舞鶴若狭自動車道の小浜インターがあり、車との接続も便利。小浜駅の周辺が手狭なので、こちらに新しい小浜駅(駅名未定)ができる。大阪方面への延伸については、2016年に敦賀から小浜を経て京都へと至るルートが決定した…はずだったが、工事は敦賀駅から先は全く手が付けられていない

京都市内で地下水枯渇のおそれがあるとのことで、長大トンネルが多くなる京都・小浜ルートについて懸念の声が出て、石川県から米原ルート再考の声が出たと思ったら、先日あらためて8つのルートの再考案が出てきた。小浜・京都ルート以外はこれまでに議論されて一度却下された形になったものばかりで、9年を経て「振り出しに戻る」となってしまう可能性もある

京都・小浜ルートはトンネルが多い分、工事費もかかるルートになっていて、簡単に着手できず、予算確保の時間を費やしているうちに、他の意見が出てきたと形だ

すでに春休みに入っているはずだが、お昼すぎのホームは高校生でにぎわっていた。3月末といえば、まだまだ寒い日もあるはずだが、この日の気候は春の訪れを感じるもの

このころら最初の訪問を行った小浜線の紹介がなかなかできなかったのは、私が様子見をしていたこともある。もっとも、まさか8ルート再検討なんていうものが出てくるとは思ってもいなかったが

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若狭湾に沿って走る84キロのローカル電化路線小浜線を行く~京都府唯一の駅は登録有形文化財

※訪問は2025年3月26日

1時間半の待機

松尾寺駅の時刻表。9時37分に到着して11時13分の敦賀行きで折り返す。1時間半の待ち時間があるが、それぐらいは滞在しないと、とこちらの駅については最初から思っていた

いくつかのトリビア

時系列は前後するが

ホームから階段を降りていくと、雰囲気のある木造駅舎が出迎えてくれる

あらためて駅舎。1922年(大正11)からの駅舎が健在。当駅はいくつかの「トリビア」を持つ駅でもある

まず読みは「まつのおでら」である。初見だと「の」はなかなか出てこない。そして松尾寺駅の最寄りということで駅名がつけられているが、名刹松尾寺は

駅から山を登ること、徒歩約1時間の場所にある。公共交通機関はなくタクシーもしくはマイカーでの訪問が一般的なようだ。駅の開業した大正時代はマイカーという概念はなく、現在とは徒歩に対する価値観は異なる。当時は立派な最寄り駅だった

そして駅の所在地は京都府舞鶴市。終着駅の東舞鶴は、帳簿上は舞鶴線の所属となっているので小浜線唯一の福井県にない駅となっている

そして駅舎は

登録有形文化財となっている。登録有形文化財の駅舎は全国に多数あるが、JRの駅というのは駅数を考えるとかなり少ない。登録有形文化財になってしまうと、自由に建て替えができなくなってしまう。立派な駅になるならいいが、ローカル線の現状は駅舎の建て直しは、ほとんどが簡易駅舎への転換である

舞鶴市に譲渡された駅舎

当駅の駅舎も取り壊しの危機があったが、地元から駅の保存を求める声が上がり、2008年に舞鶴市へ無償譲渡される形で決着。改修工事を経て現在のものとなった。古い駅舎の自治体への譲渡という話題が出ることがよくあるが、簡単なことではない。引き受けたからには、税金も含む駅の維持費を捻出する必要がある。利用の少ない駅がほとんどで、松尾寺駅の2022年度の1日あたりの利用者数は54人。自治体の住民のほとんどが利用しないわけで、予算の捻出に自治体も理由付けが必要となるため、JRからの譲渡の申し入れを断るケースや、後に維持をあきらめるケースが多い。国鉄の施設をそのまま受け継いだ三セクの駅に登録有形文化財が多いのは、そんな理由もある

駅舎内外はきれいに改修れていて

昔からのものが、そのまま残る

貨物で栄えたことを示す黒板が残るが、金額が記入されていたのだろうか。ただ一般の旅客に見えるように掲示するものではないので、駅舎に眠っていた業務用のものがこうやって掲示されていると思われる

駅舎内にはカフェが入居している。舞鶴市はお茶の名産地としても知られ、日本茶カフェ「流々亭(るるてい)」

お茶の販売も行われていて

舞鶴の茶葉を利用した紅茶を土産に買って抹茶ラテを味わう。営業時間は10時から17時で日・月曜日が定休日。「私のSNSで紹介させてください」と、お願いしながら掲載まで9カ月も要してしまい、申し訳ありませんでした

ユニークなバス停

駅の周辺も歩いてみよう

駅から国道27号までは歩いてすぐ。店舗の跡があった

バス停があった。小浜線の若狭高浜駅から東舞鶴駅を結ぶ府県境をまたぐバスが運行されていて、松尾寺駅近くを通る

停留所の建物では、視力検査ができるようになっていた

バス停の向かいには

どう見てもコンビニの跡。背後に駅が見える。コンビニが現役だったら、さらに時間を潰せる神駅だったかもしれない

あっという間の1時間半だった。ラッチを眺めながらホームに戻ることにしよう

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若狭湾に沿って走る84キロのローカル電化路線小浜線を行く~まずは2時間近い乗車

※訪問は2025年3月26日

125系で出発

東舞鶴行きに乗車して出発である。小浜線で使用される車両は125系のみ。電車車両の125系は小浜線と加古川線のみしか運用に入っていない。後に詳しく触れたいが、2003年デビューと新しい車両でありながら、寂しさも漂う車両である

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メインディッシュを先にいただく理由

目指すは松尾寺駅である

どこにあるかというと

敦賀からはるか彼方78キロも先。東海道本線の大阪から姫路までが87キロなので、姫路市内に入るぐらいの距離を進むことになる。もちろん新快速はおろか快速もないのでトコトコ進むのみ。1時間50分もかかる。さらに言うと松尾寺駅は終点の東舞鶴のひとつ手前。小浜線は敦賀と東舞鶴をのぞくと全22駅。つまり21番目の駅となる。途中の駅がいくらでもあるだろうと思われるかもしれない。私もそうしたい。だが、そうはさせてくれない理由がある

こちらが敦賀駅の時刻表。私が乗車するのは7時49分の東舞鶴行き。その後の列車はというと、9時50分の小浜行きがあるように見えるが、そこには「土休日運転」と注釈がある。つまりこの後は3時間半ほど運行がないのだ。朝の通勤通学時間帯を過ぎると、お昼に1本運転があって、またしばらくお休み。逆方向も同様の運行体系なので、途中駅で降りてしまうと3時間ぼんやりすることになる。もうひとつ言うと、松尾寺駅は小浜線のメインディッシュ。この駅では多めに時間を確保しようと思っていた。それらの条件を合わせていくと、最初の選択は松尾寺駅の一択となってしまうのだ

若狭湾の絶景を見ながら電車は進んでいく。小浜線に乗車するのは2016年10月以来9年ぶり。その時は京都から山陰本線に乗り、福知山から東舞鶴を経て小浜で遅い昼食をとって帰宅した。前日や翌日の活動記録がないので、どのようなきっぷを利用をしたのか全く記憶にない。ひとつ言えるのは下車したのは小浜のみだったということだ

荒涼とした敷地とスノーシェッド

1時間50分かけて松尾寺駅に到着。見れば分かるが、かつてはすれ違い可能な構造だった

荒涼とした空き地と線路跡が残る

そして今は使用されていないスノーシェッドも。駅名から風光明媚なものを感じるが、かつては軍事路線その後は貨物の重要駅だった歴史を有する

6番線まであった構内

松尾寺駅は1922年(大正11)の開業。若狭高浜~新舞鶴(現東舞鶴)が開通して小浜線が全線開業した際に設置された。駅名は同名のお寺から

戦時中の1943年(昭和18)に転機が訪れる。当駅から海にかけて線路が敷設された。路線名は「第三海軍火薬廠鉄道側線」。随分おどろおどろしい名前だが、火薬工場への線路である。終戦を迎えると工場は連合軍に接収されたが、やがて舞鶴市へ返還。そこに日本板硝子舞鶴工場ができ、火薬を運んでいた線路は、そのまま工場と小浜線を結ぶ専用線となった。当駅は貨物駅として栄えた

こちらは駅舎内に張られていた当時の構内図。工場図に昭和61年11月1日現在とある。松尾寺駅の貨物線が旅客用の1、2番線とは別に3~6番線まであったことが分かる。昭和61年11月といえばJR移管の半年前。この貨物輸送はJRになっても続けられ全盛期は国鉄時代は福知山鉄道管理局で最大の貨物量だったという。1990年代に入って鉄道による貨物輸送は終わり、トラック輸送へと転換。工場は今も現役だ

ホーム近辺の探索は終わり、ようやく駅舎の外に出てみる

なんとも美しい木造駅舎がそこにあった

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