※訪問は2025年9月23日

新豊橋駅から出発

朝8時の新豊橋駅。休日だけに人もまばらだ。かつてはもう少しJR豊橋駅の近くにあったが(2代目)、三河田原寄りに50メートル移動させ、単式ホームを島式ホームに拡張させて輸送力をアップさせた

すでに列車はホームで待っている。少し見えにくいかもしれないが、右手には東海道本線が走り、多くの留置線が設けられている

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車窓の見どころ

新豊橋駅を出発すると、すぐに車窓の見どころがやって来る

しばらくJRの線路と並行して走る形になるのだが、多くの留置線が車窓に展開される。そして眺めても豊橋鉄道の線路とつながっていそうでつながっていない

かつては渥美線でも貨物輸送が行われていた。渥美半島とを結ぶ路線として物資流通も大きな柱のひとつだった。目を凝らさないと一瞬で終わってしまうが、JRの線路とながっていそうな箇所がある。ここが、かつて貨物輸送にかかわっていたポイントである。戦時中までは旅客駅もあったそうだ。三河田原方面から乗車すると分かりにくいかもしれない。新豊橋から車窓の右側に展開する。ちなみに初代の新豊橋駅はここに設置されていた

そして留置線が見えなくなったと思った瞬間、柳生橋駅に到着である

かつては路面電車も乗り入れ

柳生橋駅に到着。地図でも分かる通り、新豊橋駅もしくは豊橋駅からは徒歩圏といっても良い距離にある。それでも2023年度の1日あたりの利用者数は1081人と、全16駅中7位。ちなみに渥美線の利用者数で、4ケタの駅は当駅まで。以下3ケタの数字が並ぶが、最も少ない駅でも350人で、2ケタ以下の駅はない

かつては渋い駅舎があったそうだが、現在駅舎はなくICリーダーが設置され、そのまま駅前のクリニックに入れるようになっている

駅としての出入口はスロープの先。自販機の後ろに見える空き地に駅舎があったらしい。開業は1925年(大正14)。渥美線の敷設そして延伸は新豊橋から始まったのではなく、高師駅から三河田原駅に向けての部分から先に開業。現在の終点である三河田原(当時の駅名は)に1924年に到達。新豊橋までの到達は翌年で、その際に設置された

開業時の駅名は「松山」。これは現在の地名でもあるが、5月1日に開業してわずか1カ月後の6月1日に現在の駅名に変更された。駅の近くを柳生川が流れていて、そこにかかる柳生橋が駅名となった。改名理由は調べても分からなかったが、愛媛県に同名駅があるからという理由でないのは確かで、愛媛県の松山駅の開業は、これより後の1927年(昭和2)なのだが、改名後間もなく現在の豊橋鉄道の市内線の柳生橋支線が当駅まで敷設され、乗り換え駅となった(1976年に廃線)。後にこの支線にはあらためて松山停留所が設置されている

ちなみに江戸時代に当地を治めていたのは吉田藩だったが、明治維新の際、同名の吉田藩が伊予(愛媛県)にあるため、同名でまぎらわしいと新政府から改名を命じられ、いくつかの候補の中から豊橋藩となった。この時の影響で豊橋には愛媛県に所在するものと同じ地名がいくつか誕生したとされている

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