※訪問は2012年11月22日など

終着駅は過去の思い出で

全駅訪問と言いながら、今回は終着駅の三河田原は訪れていない。2012年11月と2022年6月の2度訪問しているからだ。そしてその2回で見た風景は全く別のものだった

こちらが2022年の訪問当時のもの。美しい駅舎は伊良湖岬観光の拠点駅にふさわしいもの。渥美線が到達できなかった分、当駅からバスが出ている。2022年はここからバスで伊良湖岬を目指した

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レールと歴史を残す

終着駅の三河田原は当然のように行き止まり構造。2面4線と路線内では最も大きい。駅前広場も整備されている。もちろん有人駅

そして駅前には

レールと車止めが残されている

渥美線の歴史を記した解説板があり、予定されていた伊良湖岬への路線図と駅名。今も残る未成線の路盤の場所も記され、これが後にバスに乗る時、大いに役に立った

こちらが三河田原駅とその周辺地図。線路の先にある田原駅前通り線いう道路を挟んで、やや不自然な広い道があることが分かるが、これは未成線ではなく廃線跡。2012年の訪問時の写真とともに説明していきたい

何も知らずに下車

杉山駅の時と同じく当時の携帯の写真ではこれ以上大きくするわけに行かないが、2012年の訪問時の三河田原の駅舎は現在とは全く違うものだった。駅舎の位置は線路の北側にあった。タクシーが停まっているところをみると、それなりの需要があるのだろう。ちなみに2023年度の1日あたりの利用者数は2306人で全体の5位。利用者1000人を超える駅は7駅しかなく、うち6駅が豊橋市に所在していることを考えると、規模が分かる。田原市の代表駅でもある

現在の駅舎は線路の先端に設けられているが、2012年当時は線路の北側に駅舎があるということは、線路の先は異なっていたことになる。その様子は

3本の線路がひとつになったその先で唐突に終わっていた

その先はというとこのような構造で、さらに先に向けて線路があった跡地のようでもあった。さすがに鈍感な私でもさすがにこの時は調べてみた

戦時中の休止からそのまま廃線

三河田原駅は田原駅として1924年(大正13)に開業。この年の1月に最初の高師~豊島が開業した後、南北に延伸。田原にたどり着いたのはこの年の6月だった。もともと伊良湖岬まで延伸される予定で、なおも工事は続けられ、1925年には新豊橋(現在の駅よりやや三河田原寄りにあった)まで延伸されて国鉄と連絡され、伊良湖岬方面へは1926年(大正15)に加治、黒川原と2駅が設けられ、約3キロ延伸された。田原駅は1925年に現在の駅名に変更されている。そして渥美鉄道の財政難により、この先は国鉄によって工事が進められることになった

三河田原駅前の解説板にあるように駅名も決まっていた工事だったが、その後、戦時色が強まって工事は中断。そればかりか戦時中の1944年(昭和19)には三河田原~黒川原が不要不急路線として休止され、渥美鉄道を引き継いだ名古屋鉄道が、戦後の1954年にこの区間を廃線とした。豊橋鉄道への移管はほぼ同じタイミングで、その後は新豊橋駅の移動をのぞき、ほぼ現在の形となっている

こちらは2012年に使用したフリーきっぷ

後で分かったことだが、私の訪問直後に駅舎の解体工事が始まり、翌2013年に現在の駅舎が使用を開始している。2012年といえば、駅舎の解体や建て直しについてネットニュースでは、今のように流れる時代ではなかった。ツイッターなどのSNSも浸透しておらず、ローカルニュースを誰かが引用してあっという間に拡散する時代でもなかった

私の訪問は秘境駅号乗車がメインの全くの「たまたま」だったが、その偶然に今は感謝するばかりである

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