京成津田沼駅

約80年の歴史と間もなく「お別れ」の新京成線を行く~その4 あらためて全線乗車してみよう

※訪問は2025年1月15日

いったん京成津田沼駅へ

新津田沼駅から1駅、京成津田沼駅にやって来た。新京成には過去に1度だけ乗車しているが、その時は単に乗りつぶしを行っただけ。私自身、おそらく「新京成電鉄」という会社に乗るのはこれが最後になる。途中駅もいくつか訪問する予定だが、せっかくなのであらためて京成津田沼から松戸までを乗車してみよう。新京成は昼間も10分間隔で運行される。快速や急行、特急などの優等列車はないので、途中駅での下車や折り返しは容易だ

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習志野市の中心地

こちらは駅前の周辺案内図。前記事でも紹介した新津田沼から京成津田沼までのスネークな線路が先に目に入ってしまうが、習志野市役所は当駅が最寄り。その意味では習志野市の中心駅ということになるが、駅の利用者そのものはJRの津田沼駅の方が多い。これには歴史的経緯があって、もともとの津田沼町の中心地は京成津田沼駅周辺で、JR(当時は国鉄)の津田沼駅は町の外れに位置していた(駅の開業は国鉄が明治期、京成が大正期で国鉄の方が古い)が、終戦により軍の所有地が民間に転用されてから急速に発展したため。習志野市の成立は戦後10年近くが経ってからのことだったので、正確には旧津田沼町の中心地ということになる。「習志野」というターミナル駅が見当たらないのはそのためだが、新京成線に存在する習志野駅については後述する

ただ離れているとはいってもJRと京成の駅は歩こうと思えば十分歩ける距離ではある

習志野市役所を起点にすると市役所~京成津田沼駅が徒歩7分、京成津田沼駅~津田沼駅が17分と表示される

ただこうして徒歩ルートを見ようとしても、どうしても目を見張るのは新京成線の線路だ

1日10万人が利用

1日約17万人というJRの津田沼駅より利用が少ないとはいっても、京成津田沼駅も新京成、京成両駅を合わせると約10万人もの乗降があるターミナル駅だ

サンロード津田沼という駅ビルが入口となっている。なかなかクラシックな建物で1978年(昭和53)の建築というから新世紀近くの歴史を持つが、東日本大震災を受けて耐震工事済みである

開業は1921年(大正10)。京成船橋~京成千葉が開業した際に設置された。当時の駅名は津田沼で昭和の声を聞いて現駅名となった。後に成田へと向かう現在の京成本線ができて分岐駅となり、戦後にできた新京成線が乗り入れを開始したのは1953年。駅と利用者増によってホームが足りなくなり、現在は3面6線と私鉄としては大規模な構造となっている。駅近くの踏切は朝の通勤通学時間帯は開かずの踏切となる

当然ながら、電車の本数も方向も豊かで、新京成線については行先が松戸しかないからなのか(ラッシュ時と深夜帯は車庫のあるくぬぎ山行きがある)、別会社なのか電光表示がない。張り紙があるだけだが、中間改札は設けられていない。それは当然で新京成から京成への直通乗り入れがあるからだ。5番線については両方向の列車が来るため、電光表示が複雑になるという側面もあるだろう。両会社の共同使用駅で、駅の管理は京成となっている

6番線まであるホームのうち新京成は5、6番線を利用するが、6番線は切り欠きホームで折り返し列車が使用。5番線は京成線への直通列車が使用。ただし朝夕は直通列車の運行はなく、すべてが当駅折り返し。昼間は直通運転と折り返し列車が交互に運行されている。直通運転は半世紀にわたって行われていなかったものを2006年に再開した。これだけ本数が多いと別会社の意味も薄れる

また複線化されている新京成だが、新津田沼~京成津田沼については単線で、本数の多さをさばくため朝の通勤通学時間帯は新京成電鉄での折り返し運転も行われている

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約80年の歴史と間もなく「お別れ」の新京成線を行く~その3 約20年で3度引っ越しの新津田沼駅

※訪問は2025年1月15日

18きっぷリターン

新津田沼駅から新京成線に乗車。1日の利用者数(2023年)が5万8399人と新京成線で全24駅中2位の利用がある駅(1位は松戸の8万9715人)とあって自動改札機がズラリと並ぶ

毎年、期間を区切って発売される「サンキュー♥ちばフリーパス」だが、私は初めての利用。当然のようにきっぷを取り出して改札機に投入して通過…のはずがはねられてしまった。しばしぼう然。駅員さんのいる改札へと向かうと「JRの自動改札機は通れますが、それ以外は通れません」

さらにぼう然。確かにJRの企画きっぷなので、言われてみればその通りだが、今日明日とこのパスを利用して訪問するのは私鉄駅が多い。そして計画では自動改札機のない駅はない。12月の青春18きっぷから自動改札機が使用できるようになり、有人改札を目指す手間はなくなったが、まさか首都圏の私鉄駅で「18きっぷリターン」を体感するとは思わなかった

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移転を繰り返した新津田沼駅

2階にある改札口へと向かう駅ビルのエスカレーター。私の現在の生活圏にはイトーヨーカドーがないのだが、ここも閉店となったようで文字の跡だけが残っていた

その新津田沼駅だが、戦後の開業にもかかわらず、3度の引っ越しを行っている。開業時の1947年(昭和22)は国鉄(現JR)の津田沼駅に近い場所に設置され、行き止まり構造だったが、やがて京成津田沼駅まで線路を伸ばそうということになり、1953年にひとつ松戸寄りの前原駅から真っ直ぐに線路を敷いた

現在の新京成線は実に不自然な形でカーブして津田沼駅付近を通っている。1953年の敷設では国鉄の駅付近は通らずショートカットのコースとなっていて、印を付けている新津田沼駅の北側に広がるイオンモールのさらに北側あたりに2代目の新津田沼駅が設けられ、初代は線路とともに廃止となった。ただ国鉄の駅から遠くなってしまったことが不評だったようで、1961年に初代の駅と線路が復活して3代目に。しかし行き止まり構造だったため、京成津田沼への線路は維持され、2代目新津田沼駅は藤崎台駅に改名。分岐駅となった前原から新津田沼駅行きと京成津田沼駅の2つの路線ができた

だが今度は「2つの行先があって分かりにくい」との声が出た。そこで1968年に現在の形への敷設が改めて行われ、ショートカットの線路は廃線。一度西へ向かって、また東へ向かうという線形が生まれ、藤崎台という名前の駅はわずか7年で姿を消した。その際、3代目の駅がカーブの妨げになるため、4代目となる現在の場所に落ち着くことになった。1977年に駅ビル形式の橋上駅舎となっている。微妙なJRとの駅間は21年で3度もの引っ越しを行った歴史の積み重ねの結果である

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