中松駅

復旧の南阿蘇鉄道にようやく初乗車~震災後もずっと走り続けていた路線

※訪問は2025年8月27日

あらためて駅舎内

あらためて中松駅。こちらは列車を降りた際の駅舎の出迎え。「19870401」とあるのは、新駅舎が開業した1987年4月1日の日付だ

こちらは駅舎入口。ぶらさげられたちょうちんが、近代的なフォルムの駅舎と微妙なミスマッチをしていてかえって目立っている

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駅舎ではカフェが営業

当駅にはカフェが「秘密の基地ゴン」が入居している。週末と金曜日の営業ということで私の訪問日は休業だったが、名物というイノシシ肉のミートボール入りカレーが人気メニューだそうで

待合スペースにはワンピースにちなむ装飾が施されている

そして地元の中松小学校の生徒さんによるイラストが張られている。2001年となっているので、手がけた小学生は30代半ばに達しているが、この中松小学校は今はない。2021年春に他校との統合によって閉校になった

明治維新から間もない1875年(明治8)に開校された歴史ある学校だった。学校のHPは今も残されていて、行事日記も細かく更新されていたことが分かる。以前、山陰本線の長門粟野駅を訪問した際、駅舎内の装飾を地元の小学生が手がけていたことを知り、学校のHPを調べたところ、すでに廃校となっていてカウントダウンの日記に思わず目頭が熱くなってしまったことがあったが、同様の思いで、コロナ禍の時期になってしまった閉校式までの日々は苦労を感じさせる。閉校式まで3週間という時期にアップされた動画は校歌に合わせてドローン撮影した校舎の風景を描きながら、最後は生徒関係者が集合して「145年間ありがとう中松小学校」と幕を掲げて締めくくられるもの。わずか4年前のことだけに迫る思いがある

バルタン星人からのメッセージ

2023年に全線復旧した南阿蘇鉄道だが、多くの人がおそらく間違った印象を持っていると思われるのは、2016年の熊本地震以降も列車は走っていたという事実だ。2016年4月に熊本地震が発生。南阿蘇鉄道は全面運休となったが、7月には中松~高森で運行が再開されている。だから表現も「全線復旧」となっている。ここ中森駅は折り返し駅だった。三セク移管後に列車交換可能駅となり、信号設備が設けられたことが役立った。とはいえ豊肥本線の立野駅とつながっていないと各方面から列車で南阿蘇村、高森町に来ることはできない(豊肥本線の全面復旧も2020年である)ので1日3~4往復と限られた運行数だったが、7年にわたり全17・7キロ中の7・2キロを走らせ続けていたことが、その後の全線復旧につながったことは言うまでもない

そんな中松駅で出会った「人物」がいた

お手洗いにあったバルタン星人からのメッセージ。「科学特捜隊九州支部」の「中松駅特務清掃課」から「きれいに使って」と地球人に呼びかけている。ウルトラシリーズを通して登場する「人気悪役」。後期のものについては私は見ていないので何も語れないが、ウルトラマンは子どもの頃にリアルタイムで見ていた。実は最初の登場は「極悪星人」でなかったことを知る人は意外と少ない。最大の特徴である大きなはさみでこのように言われたのでは、素直に言うことを聞くしかないのである

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復旧の南阿蘇鉄道にようやく初乗車~悲しい説明文と80年前の弾痕

※訪問は2025年8月27日

今朝も直通列車でスタート

朝7時20分の肥後大津駅。南阿蘇鉄道の全駅訪問を再開する。といっても前日に「奇跡の飛行機早着」があったおかげで10駅のうち7駅の訪問を終えることができ、残りは3駅。天気も良さそうなので、午前中にここまで戻ってこられそうだ

朝の7時29分、9時26分と、1日2本のみ運行される南阿蘇鉄道直通列車に乗車。昨日は9時26分の方で今日は7時29分。通学の時間だが、方向的には下りになるので楽勝だろうと思っていたら、単行列車の車内はあっという間に高校生で埋め尽くされてしまい、少し驚いた。結論から言うと、私が下車した中松まで誰も降りなかったので、この先にある学校へと通うのだろう

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独特のフォルムに包まれた駅

約30分揺られて中松駅に到着。ご覧のように列車交換が可能な駅。南阿蘇鉄道の駅はすべて単式ホームで、起点の立野、終点の高森も単式ホーム(高森駅には留置線があるので列車を停めるスペースは他にもある)。つまり同時に2つの列車の乗り入れが可能な駅は当駅だけだ

外に出ると

独特なフォルムの駅舎が利用者を出迎えてくれる。中松駅は1928年(昭和3)の開業。国鉄高森線の1期生の駅だが、国鉄時代に駅舎は撤去され、三セク移管時はプレハブ小屋のような仮駅舎の姿になっていたようだ。現在の駅舎は南阿蘇鉄道となって1年後の1987年(昭和62)からのもの。熊本を中心に活躍する建築家桂英昭さんの設計によるもの。こうやって各駅を訪問していくと南阿蘇鉄道の発足時は「生まれ変わった鉄道」として、どの駅も気合の入った駅舎が建てられたことがよく分かる

ただふと目にした説明文の前で足が止まってしまった

阿蘇の山中を襲った米軍機

1945年5月に中松駅に停車中の列車が米軍機の機銃掃射を受け、乗客に死傷者が出たとの解説文がある。事前に情報を知らなかった私は衝撃を受け、駅舎や駅周辺の探索は後回しにして再びホームに戻った

白く囲われたホームが欠けている部分が、80年経っても残る弾痕だ。そこにも案内板があり

ここにも解説板がある。このような山中に米軍が目標とする施設があるはずもない。山中で思い出すのは、廃線となった三江線の船佐駅(広島県)

こちらは廃線前の2016年に訪問した際のものだが

ホームに解説文がある。廃線後の2022年にも訪問したが、すでに立ち入り禁止となっていたホームながら、この解説文の前までは行けるようになっていた。中松駅と同様、軍事的に標的とするものがない山中の出来事。船佐駅の空襲からわずか8日後に阿蘇の山中で同様の悲劇があったことになる

戦争末期には、ゲーム感覚で米軍が機銃掃射をしたとしか思えない悲劇が全国で起きている。ここ阿蘇の山中でも80年前に同じ出来事があったことを知り、しばし立ちすくんでしまった

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