三岐鉄道三岐線

貨物を担う私鉄としてもうすぐ100年の三岐線~その4 三岐線の運行をつかさどる中枢駅

保々駅の駅名標

※訪問は2024年11月20日

※現在、三岐鉄道の三岐線と北勢線は別々の1日乗車券が必要です

懐かしい列車

山城駅の次の訪問は保々(ほぼ)駅だが、その際にやって来た電車が

懐かしい塗装の西武車両。おそらく西武の701系。私は1982年春に大学生になった時から4年間、西武新宿線沿線で暮らしたが、今でこそ「赤電」復元塗装としてウリになっているものの、当時はまだ西武線は完全冷房化となっておらず、真夏に赤電(そのような愛称は当然知らない)がやって来ると「わぁ~、これかぁ」と思ったものだ

昭和41年生まれというから間もなく60歳。元気に走り続けているが、三岐鉄道ではこのほどJR東海から211系を大量に導入。間もなくデビューする予定となっている

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車両区にはさまざまな電車

保々駅が近づいてくると車窓には車両基地が現れ、さまざまな電車が目の保養になる

客車だげでなく三岐線らしく機関車の姿も見える

グーグル地図でも線路を表す線が多く描かれていて規模の大きい駅だということが分かる

ホームを降りると、まず目につくのは三岐線のコントロールセンター。当駅は車両区と運転区を備える路線の中枢駅。乗務員の交代も行われ、当駅止まりの運行のみならず、先に行く電車の車両そのものの交代もある

もともとは保々村

当駅は1931年(昭和6)の開業。富田~東藤原が7月に開業した際、途中駅として設置された(同年12月に終点の西藤原までが開業)。当時は保々村に所在した。「保」とは平安時代の公領にある行政の単位をだそうで、明治の町村制施行の際、複数の村つまり保が集まって新たに誕生した村ということで名付けられた。1957年から四日市市となった

運転区や車両区も備わっている駅としては、駅舎はそれほど大きくはない。ただし2023年の1日あたりの利用者数は824人。近鉄富田駅をのぞくと、これは暁学園前に次ぐ路線内2位の数字である

駅名板は駅舎入口にぶら下げられる形になっていて、これは独特

駅前の周辺案内図は保々地区を描いたもの。近鉄富田から朝明川に沿うように西向きに進んできた三岐線が、ここから弧を描くように北上し朝明川を渡ることがよく分かり、当駅に車両区が設けられている理由が分かりやすい。大雨の時、三岐線は朝明川を渡ることなく保々で折り返すことがある

ホームと駅舎は構内踏切で結ばれていて、当駅始発の列車はどちらのホームからも出発できるようになっているほか、貨物車が旅客車を待避できるよう貨物専用の線路も設けられている

本日はここまで。三岐線は少ししか回れなかったが、一度帰宅してまたこの後の駅を回収することにしよう

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貨物を担う私鉄としてもうすぐ100年の三岐線~その3 原則的にはほぼ全駅が有人駅

山城駅の駅名標

※訪問は2024年11月20日

※現在、三岐鉄道の三岐線と北勢線は別々の1日乗車券が必要です

読みは「やまじょう」

山城駅にやって来た。ご覧のように読みは「やまじょう」である。当駅の駅舎は路線内の他駅とは、やや異なる雰囲気を持っている

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火災から復活

ホームの先にある構内踏切を渡って駅舎に向かうが、見た目は新しく、かといって前記事の大安駅のように豪華というわけでもない

当駅は1931年(昭和6)の開業。どう見ても当時からの建築物とは言えないが、これは火災に遭ったためである

2014年4月に当駅で不審火が発生。当時すでにコンクリート駅舎となっていたため全焼は免れたが、駅舎の半分ほどが延焼。周辺では他にも不審火があったようで、酷い話である。駅舎はその後、建て替えられたもの

山城駅のかつての所在地は下野(しもの)村。1954年の合併で四日市市となった。駅名はかつてあったお城が地域名となっていたことに基づく

織田信長に滅ばされた城址があったが、三岐線建設の際、中心部が鉄道用地となったため分断される形になっているという

新旧が混じり合う

駅前にはバスの停留所が並ぶ

かつては当駅にバスの車庫があり、華やかな雰囲気があったというが、現在も始終着としての役割を担う。イオンモールを経て北勢線の東員駅に向かうバスもある。地図だと並行して走っているように見える三岐線と北勢線だが、この間を結ぶバス路線は複数あるため、バスを利用しての両路線訪問も頭に入れておきたいところである

待合室は鉄道、バス共通のものとなっていてエアコンも備えられている

こちらは改札口

こちらはフリーパス(現在のものと異なる)の裏側だが、有人駅は黒い丸で表示されている。これで分かる通り、北勢線とは異なり、三岐線は1つの駅を除いてすべて有人駅。もちろん営業時間外で無人の時間帯もあるが、きっぷ販売や定期販売だけでなく改札も行う。現在は都心の大手私鉄の駅でも無人駅が目立つ時代である。そんな中、旅客扱いをしている全15駅中14駅と、ほぼすべての駅が有人というのは、地方の私鉄としては貴重な存在である。ただこうなると、無人となっているたった1つの駅はどんなところだ、というのが気になるところだが、そのあたりは当該記事でお伝えしたい

火災によって大きな被害を受けた山城駅だが、構内踏切の手前には、このようなクラシックな案内も残る。なかなか味のある駅だといえる

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貨物を担う私鉄としてもうすぐ100年の三岐線~その2 図書館併設の駅には駅名標が並ぶ

大安駅の駅名標

※訪問は2024年11月20日

※現在、三岐鉄道の三岐線と北勢線は別々の1日乗車券が必要です

最初の駅は立派な造り

記念すべき三岐線の最初の下車駅は大安。漢字だけ見ると「たいあん」と読んでしまうかもしれないが「だいあん」である。歴史ある駅が多いイメージの三岐線だが、単式ホームながらも当駅には降りた時から新しさが漂っている

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三岐の岐は岐阜県の意味

当駅は1931年(昭和6)の開業。三岐線は富田~東藤原が同年7月に開業して同年12月に西藤原までが開業して、ほぼ現在の姿となったが、当初の予定とは違って、今もこの形だ。路線名でおおよその察しはつくが「三」は三重県、「岐」は岐阜県からそれぞれ1文字ずつとったもの。このまま県境の山深い地域を貫いて関ヶ原方面まで敷設されるはずだったが、結果的に西藤原以遠の工事は行われず、早々の1937年に敷設のための鉄道免許が失効。岐阜県に入ることなく路線名だけに岐阜の文字が残った。新たに敷設されたのは戦後に設けられた近鉄富田駅へのわずか1キロの連絡線のみである

このような例は全国にもあり国鉄では越前(福井県)と美濃(岐阜県)を結ぶ予定だった越美線は県境を越えることなく越美北線と越美南線(現長良川鉄道)に分かれたまま終わっているし、山陽地方には行かず兵庫県で完結している山陽電車もある

当駅は最初の開業時に誕生し、当時の所属自治体は梅戸井村。梅戸井駅は今も隣駅として存在するが、駅名となった大安はまだ自治体名としてはなかった。開業時の駅名は地域に基づいて大井田駅だった。その後、1959年に梅戸井村と三里村が合併して大安町が成立。当地がかつて奈良の大安寺の寺領だったことに由来する

一方で駅名はそのまま大井田のままだったが、1986年に現在の駅舎が新たに建てられた際に大安町が建設費を出資して駅名変更となった

大きな駅舎は図書館が併設されている

きっぷ売り場があって、その奥が図書館。大安町は平成の大合併でいなべ市となるが、駅舎が誕生した際は、もちろん大安町の図書館

観光協会も入居している

旧大安町の代表駅

大安町の成立後は、当駅が代表駅の役割を担うようになった

大井田城跡を経て旧大安町役場(現大安支所)の役場の最寄り

駅前の周辺案内図は大安町時代のものが、そのまま残されている

駅へと戻る。窓口の営業時間はかなり長い

駅舎の待合室機能も充実している。そして下車した時にまず思ったのが

かなり「これでもか」と並んでいるホーローの縦型駅名標。まるで北海道の駅のようである。新旧の駅舎が並んでいるのが三岐線の魅力でもある

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貨物を担う私鉄としてもうすぐ100年の三岐線~その1 桑名から富田へ移動

近鉄富田駅の駅名標

※訪問は2024年11月20日

※現在、三岐鉄道の三岐線と北勢線は別々の1日乗車券が必要です

桑名から富田へ移動

三岐鉄道北勢線の西桑名駅へと戻ってきた。北勢線の全駅訪問は次回へ持ち越しとして近鉄に乗り換え、近鉄富田駅へと移動して少し三岐鉄道三岐線に乗車することにする

いかにもハンパな行動だが、理由はひとつでお腹がすいたから。北勢線沿線の駅近くで飲食店を探す気力が今ひとつなかった。今日は最終的には津からひのとりで大阪へと戻る予定なので近鉄で南下することにした

桑名駅にあるレストランで桑名らしいハマグリ入りの天丼を食べて元気も復活。1日乗車券を持ったまま、近鉄富田駅へと移動した

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駅も様変わり

近鉄富田駅に到着。桑名からは急行だと1駅、普通で4駅だが10分ほどで到着する。当駅に来たのは2022年3月以来なので2年半ぶり。何か前回と違うな、と思って当時の写真を探すと

衣替えが行われたようだ。変わったことといえば

特急券売り場があった場所はシャッターが降ろされている

訪問の2カ月前に閉鎖されたらしい。前回の訪問時にここで近鉄特急のきっぷを購入したことを覚えているが、偶然ながら私もその後、近鉄特急についてはネット予約&購入にシフトしている。近鉄においても、特急は停車せずとも利用の多い駅では窓口で特急券を販売していた時代は終わったのだな、と感じてしまう

ちなみに前回はJRの富田駅から5分ほど歩いてやって来た

実はこれも三岐線と密接な関係があるのだが、それは当該記事で振り返りたいと思う。ひとつ言えるのは、三岐線は1931年(昭和6)の開業以来ずっと独立した私鉄路線でありながら貨物列車も走り続けている貴重な存在だということ

フリーきっぷに注意

ここで朝から使用してきた1日乗車券を取り出す

北勢線、三岐線で共通の乗り放題パスとなっていて、直接の接続のないそれぞれ独立した路線ながら、どちらをどのように乗車しても良い形になっていて、私はこの日のほかにも12月に再び当地を訪れて両路線を乗りまくったが、こちらはすでに過去のものとなっている

北勢線では3月からICOCAシステムを導入。このため三岐線と北勢線では別々のフリーパスが必要となった。料金はともに1200円。つまりこの時の私のように1枚のフリーパスで2路線は乗れない。三岐鉄道HPによるとICOCAシステムへの加入が必要なようだ。ちなみに11月の訪問時の私は、このシステム変更について全く知らなかった。発表前だったのか、発表後だったのかも定かではないが、とにかく偶然ながらギリギリ滑り込んだことになる

さっそくホームへと向かうと三岐線の列車が待っていた。近鉄富田駅は2面3線構造で1、2番線を近鉄が、3番線を三岐線が利用するが、近鉄は標準軌、三岐線は狭軌のため両線の列車が相互乗り入れすることはない。三岐線については旅客輸送の始発駅となっているに過ぎない。「旅客輸送の始発駅」というのが三岐線の特徴を表してもいるのだが、それについても今後の記事で触れる

三岐線ではIC乗車ができない旨が駅とホームのあたらこちらで案内されていてホームには乗り換え用のICリーダーも設置されている。見ていると地元の方々は何の違和感もなくリーダーにタッチしている。地方路線や三セクなどでもよく見かける光景だが、初体験の都会の方は戸惑うかもしれない

ホームの前には路線図と全駅紹介。当駅を除くと14駅。もちろん今日一日では終わらないが、まずは出発しよう

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