あおなみ線

大都会に残る未成線跡~南方貨物線その5

愛知県武道館横の南方貨物線橋脚

2022年11月10日9時30分

今度こそ大願成就を

前回から1カ月半が経過。またもやあおなみ線に乗車し南荒子駅で下車。今日こそは完全走破しますよ。妙に暑い日があると困るので10月はパスして11月まで待って、もう朝はかなり冷え込むぐらいとなっています。さすがに歩くことは苦にならないでしょう

私も前回の失敗を踏まえ少し賢くなりました

前回ギブした武道館前からリスタートですが、荒子ではなく南荒子からバスに乗るのが効率が良いようで1時間に2本という時刻も調べてバスに乗車

武道館前で降ります。紅葉した木が物語るように季節は冬に向かって進んでいます

武道館の横には橋脚。現地では何も思いませんでしたが、こうして見るとなかなかのコントラストです。武道館の開館は1993年なのですでに橋脚はあり、所有者が国鉄からJR東海となって、せっかく建設した路線をどうしようかと論議していたころです。旅客路線として使う案もあったので「武道館前」という駅ができていたかもしれません。確かに武道館は鉄道のアクセスはそれほどよくはない

貨物の因縁がここにも

橋脚の北側は南郊公園となっています。ここは中川運河の一部を埋め立てた公園です

となると中川運河とは何か、という説明が必要になってきます。現在のあおなみ線「ささしまライブ駅」近辺は「笹島」という貨物駅でした。だったら笹島駅まで列車で運んだ貨物を名古屋港まで運べばいいじゃないか(もちろん港から鉄道という経路も成り立ちまて)、となったのが大正時代。昭和初期に掘られた運河は大型船も運行できる立派なものでした

今でも船たまりは残っていてクルーズ船が運行しているようです。あまり歩くことはないと思いますが、これから歩く南郊公園付近をゴールとしてみました。徒歩だと1時間というかなりの距離ですが地図を拡大すると運河は南北だけでなく細かく掘られていたことが分かります

ただこの笹島駅は結局のところスイッチバックせざるを得ない構造となっていて、その解消も兼ねたものが南方貨物線というわけです

この中川運河は排水に対する考えが今ほどなかった昭和初期のものですから、その後、現在に至るまで水質汚染が名古屋の大きな問題のひとつにもなっています

南方貨物線は用地獲得が容易なこの部分を走りました

橋脚の上は屋根がついているようだけど何に使用されているのだろう、なんて思いながらスタート

気持ちよく歩いていこうとすると、ちょうど公園の地図がありました

いつ掲げられたものか分かりませんが、興味深いというか一帯を明確に示してくれています。南北が逆になっています。右の縦の線路があおなみ線で左の縦の線路が今も現役の貨物の名古屋港線(現役といっても本数は極めて少ない)

あおなみ線から分岐する白い線が南方貨物線。未成線なので白で描かれているかもしれませんが、前回の9月、私はあおなみ線からの分岐をたどって南郊公園の南側(地図では上)にある武道館まで来たわけです。武道館が描かれているので少なくとも93年以降の地図ですね

地図は、とにかく公園を歩いていけばいい、と教えてくれています

ということでズンズン歩く。散歩の方が、いいナビゲーターをしてくれます。そして橋脚もズンズン進む。それなりの年齢の方のようなので南方貨物線について聞いてみようかと思ったぐらいです

歩いていくと遊歩道が狭くなっていって

この青い建物が地図で示したTOTAL GAKUENです

橋脚を再利用していますね

今は営業していないのでしょうか

と、ここで大きな問題が

目の前の中川運河を渡れません

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大都会に残る未成線跡~南方貨物線その4

南方貨物線の橋脚

2022年9月26日12時40分

北海道の山中を思い出す

森の中に入っていくと公園というか遊歩道のようになっていました。貨物線の敷地が名古屋市に払い下げられて森になったと推察されます

そして現れた橋脚。高架線の遺構とポツンと置かれたベンチの対比がシュールすぎる。同行者がいれば、間違いなくここに座って記念撮影をしていたはず

橋脚が2つあるのは、ひとつが中部鋼板の工場への引き込み線となっていたからでしょう

この部分は橋脚がスパッと切断されています。下が遊歩道になるにあたって危険を考慮したのか。だったら、どうして他の部分が残されているのかは分かりません。単純に撤去費用が惜しかったからか

この光景を見て思い出したのは北海道の山中で見た越川橋梁です

訪問は2010年9月。こちらは斜里(現知床斜里)と根室標津(廃止)を結ぼうとした根北線の未成線部分で橋梁は早々にできたものの、斜里~越川の部分開通から十数年で廃線となったため、橋梁は使用されることなく終わりました

こうして今、写真だけを見ると戦前にできたものだけあって全く違いますが、国道の改良工事で国道の上の部分だけが切り取られている構造が似ているな、と思い浮かんだ次第

そもそも斜里町の山中と名古屋市内では随分と到達難易度が異なる。初めて行ったのは、これより数年前で携帯の電波が入らなくなり「こんなところでレンタカーにトラブルがあったら、どうしよう」と不安になったのを覚えています。南方貨物線沿線は携帯電話が広まった初期から圏外になったことはないはず

ただし越川橋梁

登録有形文化財ですが、南方貨物線はそうではありません

季節外れの猛暑

話を戻しましょう

遊歩道を歩いていくと看板で名古屋市の土地になっていることが分かります。そして写真ではよく分からないかもしれませんが随分ニャンコに出会う

器用に乗っかって決めポーズ。お見事!

ホーム跡のようなものがありました。ホームにしては小さすぎるし低すぎる。何でしょう?

この後は工場の敷地の南側に沿っていくことになります。道路も途切れ途切れで回り込みを必要とする。その道中で正保小学校の前を通ります。開校が1979年。南方貨物線は73年から80年にかけて住民の反対により工事が中断されています。ちょうどそのさなか。現在の「沿線」はすっかり住宅街ですが、工事の計画時では、まだそうでもなかったことが事象として分かります

再び橋脚。建物の入口部分だけ撤去されています

橋脚の下の部分は駐車場となっていますが、こうして見ると完全に現役の橋脚です

さて、この日の名古屋は9月末にもかかわらず最高気温が30度超えという真夏日。歩き始めて20分ほどで、かなりバテバテになってしまいました。ネコの写真を撮っていたのは休憩中です

建物と一体化した橋脚が途切れているのは名古屋市道環状線とぶつかるから

右側にチラリ写っているのは愛知県武道館。この橋脚から向こうが「本番」なのは、よくよく分かってはいたのですが、申し訳ありません。炎天下にギブアップ。たった30分の散策でした

近くにバス停がありました。あおなみ線の南荒子駅~地下鉄高畑駅~あおなみ線荒子駅という路線のようです。考えてみれば、朝のもっと早い時間帯に廃線跡を回ってからエアコンの効いたリニア・鉄道館に行くべきでした。あおなみ線のフリーきっぷを買うのだから、1度離れてもまた名古屋から乗り直せばいいのです

徒歩コースは、おおよそこんな感じ。正確にはあおなみ線の東側にある遊歩道を歩いています

ということで、もっと涼しくなってから再々チャレンジすることにしました。それにしても家電量販店や駐車場付きのコンビニがあって、これだけ交通量の多い200万都市の片側3車線道路に未成線があるなんて想像がつきません

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大都会に残る未成線跡~南方貨物線その3

あおなみ線の中島駅を降りるとすぐに怪しい形の構造物

2022年9月26日12時30分

3カ月の空白を経て

前回の訪問から3カ月後。あおなみ線の中島駅にいました

ホームから名古屋貨物ターミナル駅の建物が見えます。そもそもが貨物線だったあおなみ線ですが名古屋駅から、ともにやって来た貨物専用線はここで唐突な感じで終わっています

前記事までで説明した笠寺からの貨物線はここにつながる予定でした。夏場はの暑さは未成線訪問には全く適していない。涼しさも増してきた9月の終わりに今回は「終点」となるはずだった中島から歩いていきたいと思っています

さて前夜は名古屋に宿泊していたにもかかわらず、駅への到着時間が12時半という遅い時間になった(名古屋~中島の所要時間は10分)のには理由があって、朝は

のんびりリニア館を訪れていたから。当然、開館時間に合わせるので早朝というわけにはいきません。まさに「のんびり」と満喫していました。この行動が後に大いに後悔することになります

話を戻します

駅を降りた地図で付近のチェック。当駅はバス路線も多いので先に予習しようというわけです。地図は南北が逆(北が下)になっていますが、自分の向かう方向を見るにはわかりやすい。あおなみ線以外にニョロニョロと描かれているのが貨物線。駅の北側で終わっている感じがよく分かると思います

ターミナル駅は先に完成

南方貨物線が目指したターミナル駅は1980年10月に開業。1967年に工事が開始された貨物線は1972年には全通・開業する予定だったので、これでも随分遅れていますが、それでも駅だけが先行開業。名古屋から西側からの貨物列車はスムーズに入れるようになりました。しかし東側からの列車は名古屋からずっと東海道本線を西に行った稲沢駅(もう名古屋市ではない)でスイッチバックを行う不便な運行が続くことになります。機関車がけん引する貨物列車は単純に方向を変えることができません。「機回し」という機関車は先頭に付け替える作業が必要となるからです

この作業は現在も続けられていて、東側から来た貨物列車は名古屋駅を2度通ることになります。名古屋駅にいると「名古屋は随分と貨物運行がにぎやかだな」と感じるのは、そのため。その煩雑な作業を解消するのが南方貨物線の目的でもありました

中島駅からあおなみ線沿いに南側へ歩いていくと

さっそく不自然な構造物

不自然な空き地

こちらも

このあたりも

そして会社の建物や事務所もあります

高架はあおなみ線。看板を見ると、会社はいずれもJR東海関連のようです。南方貨物線の用地はJR東海に引き継がれました。現役路線の高架下での営業というのは限られますよね

建物の構造を見ると、このあたりであおなみ線と別れて左側に向かうようです。その先は森のようなものが見えます。歩き始めて、まだ10分ほどです

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大都会に残る未成線跡~南方貨物線その1

笠寺駅から歩くと最初に未成線と会う

2022年6月12日11時30分

完成間近の高架脚?

東海道本線の笠寺駅

こちらは駅名標ですが

音楽やスポーツイベントが行われる日本ガイシスポーツプラザの最寄り駅として有名です。駅の写真は昨年11月のものですが

駅直結でとても便利。このようにイベント告知もあり、快速の臨時停車も行われて多くの人でにぎわいます

当駅はJR貨物、名古屋臨海鉄道の貨物駅としての顔を持ち、多くの側線を持っています。6月でしたが、まだそれほど暑くはない日でした。鉄オタはガイシホール方面には、ほとんど興味を示さず、側線の端はどうなっているかを確認するため、側線に沿ってトボトボと歩きます

すると

側線の切れ目となる道路を挟んだ先に建設中とも思える橋脚が見えてきました

実際には東口から出て線路沿いを歩いてから踏切を渡っているので、徒歩時間は10分ほどですが、側線の端までにしてはかなりの距離と時間で規模の大きさが分かります

しかし、これは建設中のものではありません。「南方貨物線」という未成線跡です

ほぼ完成も列車は走らず

南方貨物線は旅客、貨物ともに好調だった昭和30年代の国鉄黄金時代の香りがまだ残る中、東海道新幹線が開業した少し後の1967年(昭和42)に工事が始まりました。名古屋駅を貨物と旅客の両列車が走ることで名古屋駅は満員状態となって、これ以上需要に応えられないということで、名古屋の南側に新たに貨物駅を設けて貨物列車は名古屋駅を通らないようにしようという計画

言われてみると東京駅や大阪駅に貨物列車はやって来ません。両駅を通らないよう専用貨物線が設けられているからです。名古屋も同様の構造にしようとしたのは自然な流れで計画そのものはかなり前からありましたが、先に新幹線計画と建設が始まったため、一度貨物線計画は凍結。新幹線開業によって東海道本線の優等列車はかなりそちらに振り分けられましたが、結局はゴーサインが出ました

専用線は武豊線との結点となる大府からスタート。笠寺までは既存の東海道本線を複々線とし、笠寺から新貨物駅までは新たに新線を建設するというものでした。複々線計画については東海道線の車窓で確認できます。明らかに複々線の用地と思われる不自然な空白があるからです

笠寺からは貨物新駅の間に建設される新線となります

ただ結論としては施設は国鉄時代にほぼ完成したものの、実際に列車は一度も走ることなく未成線に終わりました。貨物新駅は設けられて運用が開始されたものの(もちろん今も現役です)、そこに至る短絡線は未成線となりました。大都会でほぼ完成しながらの未成線というのは、かなり珍しいですが、35年が経過しても遺構は多く残っていて、中には街の風景に溶け込んでいるものもあります

その遺構見学を昨年の6月、9月、11月と3回に分けて行いました。実際に歩いたルートは微妙に異なりますが、大体こんな感じです

なぜ3回も足を運ぶことになったのかというと、他にやることがあったり、暑くてヘタレたりとかなのですが、比較的お手軽に行けるのは大都会の未成線ならでは

次回から順番に紹介していきます

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あけましておめでとうございます~リニア館

2023年元日 あけましておめでとうございます。本年もよろしくお願いいたします

実は初めてです

9月26日の10時半

名古屋駅から、あおなみ線に乗ります。リニア館へ。実はあおなみ線に乗るのもリニア館へ行くのも初めてです。こういうのって「いつでも行ける」「いつでも乗れる」と思うと意外と行かないものです

25分で終点の金城ふ頭駅に到着

リニア館は歩いてすぐです

前を行く方の服装でお分かりのように、この日は9月下旬とは思えない暑さで私は日陰となる屋根のある部分をテクテク歩いていきました

あおなみ線の一日乗車券を購入しました。名古屋~金城ふ頭は360円ですが、一日乗車券で入館料が1000円→800円と200円の割引になるため、元は取れます。私は各駅訪問という目的もあるため、どうやっても元は取れるのですが

かなりはしゃげます

※展示物の写真については掲載確認済み。係の方によると動画は制約があるそうですが写真については他のお客さんが写ることに留意すればSNS掲載は大丈夫だそうです

あまり説明せずに写真だけで十分だと思いますが

オッサンでも結構楽しめます

リニア館というのですから基本テーマは東海道線の歴史、つまりスピードの歴史と未来のリニア線です

3時間がテーマだったのですね。子供の時に初めて新幹線に乗ったころは親や学校から「東京~新大阪は3時間10分」とヘビロテのように教え込まれました

私の場合はどうしても古いものに目が行ってしまいます

古い車両のリバイバルが言われますが、外見はともかくとして同じ座席に長時間座るのは、今はもう無理です。こういう急行車両で夜を徹して走るというのは、ごく一部の方にしか受け入れられないと思います。学生時代にいわゆる大垣夜行で東京から帰省していましたが、当時はそんなものだと思っていましたから受け入れていましたが、大垣夜行が進化したムーンライトながらの踊り子号車両でも「しんどい」の声は多かったぐらいです。リクライニングの有無もそうですが、向かいに他人や他のグループがずっと座っているのって、かなりキツい

鶴見線のイメージが強いのですが、JR東海のイベント電車にもなっていたのですね

国鉄バスの第1号。昭和初期に登場したようですが、路線図は愛知環状鉄道のコースです。多治見に行くことなく終わり名前だけが残った「岡多線」が愛知環状鉄道に引き継がれたわけですが、バス小さい! この大きさで需要はまかなえたということでしょうか

いろいろ写真を掲載していくとキリがないので、ぜひ現地で体感してください。人気のシュミレーターのほか、お食事処では駅弁販売を行っています。現地にいる間にお昼時を迎えたため、かなりの人気でした

この日の私には、あおなみ線の中島駅から南方貨物線の遺構を巡るというテーマがあり、お昼過ぎには去ることとなったのですが、いくらでも時間をつぶせるものでした。ちなみに遺構巡りは、あまりの暑さに、わずか30分で投了という結果が待っていました(泣)

というヘタレな私ですが、あらためまして今年もよろしくお願いします

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