北陸新幹線

東日本の新幹線単独駅を巡る~繁栄の駅

佐久平駅の在来線駅名標

2022年10月22日14時30分

※新幹線単独駅の訪問は終わっていますが同一行程なので同タイトルで伝えています

在来線が新幹線の上を行く

新幹線駅訪問では最後となる佐久平に到着しました。小海線の駅で降りたことはあるのですが新幹線の改札には入らなかったので新幹線ホームの利用は初めてです

軽井沢と上田の中間に位置します。まずは鉄道駅としての見どころから紹介します

前述した通り、小海線との接続駅となっています

新幹線の改札を出て小海線ホームを目指します。かなり長い通路です

在来線は無人駅。それでもホームと通路の間に待合室となるスペースがあり、両方にドアがあるため寒さ対策はできています。入口は無人駅ではなかなか見かけない自動ドア

高架ホームに出ると下を走るのは、なんと新幹線。ここでは新幹線が地上駅、在来線が高架駅という常識を変える構造となっています

棒状ホームなので間違えないよう方向が示されています。初めての人が利用する可能性もある新幹線接続駅だからこその親切な表示。それにしても新幹線の屋根の上にいるというのは不思議な優越感に浸れます。新幹線敷設の際、地形的に新幹線は地上を走った方が理にかなっているとされたため、だったら在来線をこの区間だけ上にした方が経費も安いのではないか、ということでこのようになりました

例によって駅名でもめる

こちらが駅舎。なかなか凝ったデザイン。上越新幹線で見てきた無骨な駅舎とはかなり違います

新幹線駅の紹介をするたびに同じようなことばかり書いていますが、こちらも駅名でもめました。付近の大きな駅と都市といえば、長らく小諸でした。ただ当駅の設置場所は佐久市。だったら佐久駅で良いのではないかとなりそうですが、駅名に小諸を入れることで小諸市が譲らなかった。なぜかというと元々の長野までのルートは山形新幹線のようなミニ新幹線として信越本線を走る予定で当然、小諸も通る。すっかり安心していたら方向転換でフル規格となり小諸は素通り、信越本線は三セク化。急に手のひらを返されるような形になった上、駅名までも「素通り」されるのではたまらない。一理ある主張です。最後は佐久平には小諸も含まれるということで決着しましたが、佐久平駅が大きな成功例となりすぎたため、都市名を入れなかったという一件が「都市名は入れなければならない」と後々、一人歩きすることになります

全国から視察が続々

その佐久平駅の周辺は

このような感じ。ご覧になれば分かる通り、新幹線駅の周囲はグルリ自動車専用道に囲まれています。これが大当たり。自動車道が近いということで物資や自動車の集積する場所にもなり、それまで何もなかった場所ということも幸いしてか、多くの商業施設やマンションが建設され、街が形成されました。ちなみに駅の住所は佐久市佐久平駅東1の1。まさに「一丁目一番地」で、新幹線駅設置の後に街ができたことがよく分かります

そのおかげで全国の自治体から視察が続々とやって来ました。私が実際に知るところでも九州の遙か遠い自治体の公務員が見学に訪れたそうです

何もないところがこんなに繁栄した、といういわば大成功例となったわけですが、高速道路神話と新幹線神話を必要以上に助長した感は否めません。大人口集積地である首都圏と観光地がズラリ並ぶ軽井沢~長野への近さが大きな成功要因だということを忘れてはいけません

などと言いながら実際の私の行動はどうだったか。この日は上田で友人と落ち合うことになっていて次の新幹線まで1時間ある。時計は15時になろうとしていますが、乗り継ぎが良すぎたり、時間がある駅周辺には何もなかったりという、いわゆるローカル線あるあるを食らって朝から食べたものは上越妙高の乗り継ぎの際に購入したサンドイッチだけで猛烈な空腹状態。18時ぐらいから食事となっていたのですが、それまでもたないと出かけたのがイオン

フードコートのリンガーハットでこのような案内を見て

小腹を満たすにはちょうど良い皿うどんの小を注文。新幹線駅から徒歩5分でイオンに行けるというのも佐久平らしいところなのですが、その恩恵を目一杯甘受することになりました

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東日本の新幹線単独駅を巡る~グルリ一周

軽井沢駅の駅舎

2022年10月21日14時40分

※単独駅の訪問は終わっていますが、同一行程なのでタイトルはそのままにしています

在来線特急で新幹線間を移動

長岡駅に到着しました。さすがに何度か来ています。時間はまだまだ早い。燕三条で乗り逃した弥彦線の分、上越線や信越本線の駅巡りに多少は充てることができそうですが、最初の予定が狂った分、朝の6時過ぎから行動していた私は完全に燃料切れ。10月後半でしたが昼間は暑く、宿泊したホテルが大浴場付きだったこともあり、15時にチェックインしたところ「今から入れますよ」と言われたため、ビジネスホテルで一番風呂に入ってしまうと、もう何もやる気が起きず活動限界となってしまいました

翌日は朝7時すぎに長岡駅からスタート。前日の分を少しでも取り戻すため、信越本線の三条駅や弥彦線の燕駅などいくつかの在来線駅を訪問。11時前に東三条に戻ってきて

特急「しらゆき」の上越妙高行きに乗ります。長岡から乗っても同じなのですが、新幹線駅ではない東三条から特急に乗るという体験は、今後なかなかないと思われるので東三条から

しらゆきは新潟県内で新潟、長岡といった上越新幹線の駅と北陸新幹線の駅である上越妙高を結ぶ貴重な優等列車。直江津から長野方面が三セクのえちごトキめき鉄道に転換されてしまいましたが、しらゆきは、その間を結ぶ貴重な在来線特急となっています。1日4往復で、うち2本が新井まで運行されます。新潟県内だけを通るという在来線特急では珍しい体型ですが、それでも新潟~上越妙高は2時間と距離は長い。かつて常磐線の「フレッシュひたち」として活躍した車両が使用されていて懐かしい

さて、ここで私は今旅初めての指定席利用を行うことに。新幹線にはいっぱい乗ってきましたが、駅訪問が主眼のため短い区間ばかりで、すべて自由席だったのです。この先も同様の行程なので、せっかくだから、この1時間半は指定席の権利も使おう、えきねっとにも一度ぐらい登板してもらおうと指定席を利用。しらゆきには過去2度乗車したことがあるのですが、それほど混雑してはいませんでした。車両は4両編成指定と自由が2両ずつ。自由席が半分を占めるのは区間利用も多い特性に対応しています。結果的に指定席もそれほど混雑しせず、窓際に陣取った私の横には誰も来ることなく上越妙高に至ったのですが、途中から「自由席が混み合っているので座席に荷物は置かないようにお願いします」のアナウンスが連呼されてビックリ。今回の150周年記念パスの威力を思い知ったのでした

再び新幹線に

12時25分に上越妙高に到着。駅名標はえちごトキめき鉄道のものとなっています

北陸新幹線に乗り換え。当駅は北陸新幹線内のJR東日本とJR西日本の境界駅。管理は前者なので駅名標は東日本スタイルです。駅の所在地は上越市で当初の仮称も「上越駅」でしたが、妙高市の中心部にも近く議論の末に現駅名となりました

13時発のはくたかに乗り込み20分で長野に到着。長野駅では同一ホームの3分連絡で各停パターンのあさまに連絡します。各停といっても安中榛名はかなり通過されるのですが

そして軽井沢に到着。前日の安中榛名から、ほぼグルリと一周したことになります。実は乗車したあさまは貴重な安中榛名に停車するパターンで、行ってしまえば、それもおもしろいなぁ、とも思ったのですが安中榛名まで行ってしまうと、その後の行程がまたややこしくなるので軽井沢下車

同時刻に東三条を出発した場合、長岡から上越新幹線に乗って高崎乗り換えの方が40分ほど早いのですが、新幹線に乗る距離が短かったり、高崎乗り換えで新幹線料金がリセットしてしまうことなどで、普通に運賃を支払うと1000円以上、高崎経由が高くなります

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東日本の新幹線単独駅を巡る~ここが安中榛名

2022年10月22日8時30分

新幹線駅で初めてときめく

到着しました。安中榛名。各地で念願の駅の手前で降りる時はドキドキします。枚挙するとキリがない。ただ新幹線駅の手前でドキドキしたのは初めてです

帳簿上は高崎から始まる北陸新幹線で唯一の新幹線単独駅(敦賀延伸で越前たけふが加わる予定)。かなり狭い場所に設置されていて速達列車は停車しないのに通過線がありません

改札に向かいましょう

自動改札機が2つだけ。ただし利用者が増えれば増設できるスペースは確保されています

開業25周年

開業25周年でお出迎えしてくれました。北陸新幹線は「長野新幹線」という通称で1997年10月に高崎~長野が開業。かなり大急ぎの工事で慌ただしい開業でしたが、それは翌98年2月に長野冬季五輪が控えていたため。当然それまでに開業しなければならないのですが、ここで群馬県から「待った」が入ります。北陸新幹線は、最初に計画された新幹線(東海道、山陽、東北の盛岡まで、上越、成田)の後からの、いわゆる整備新幹線で「地元が工費の一部を負担」することになっています

北陸新幹線の当初の予定では軽井沢まで駅は設置されない予定でしたが、そうなると群馬県内には単なる素通りになってしまうため「だったらお金は出さない」となったわけです。近年、整備新幹線を巡る工費について、いろいろな事象が起きていますが、当時は長野五輪に向けて開業することが急務で安中榛名駅が登場することになりました

ちなみに北陸新幹線を巡っては、金沢延伸の際「県内に最速達の列車が停車しない」との理由で新潟県がお金を出さない、という一幕もありました。こちらは最終的に境界駅の上越妙高で乗務員が交代するので必ず全列車が停車するだろう、という読みのもと工費捻出に至ったという話があります(ふたを開けると長野駅での交代となった)

新幹線の夢と現在

外に出てみましょう

とても悠々しい駅舎です。整備新幹線より前の昭和時代に開業した新幹線の駅は、よく言えば機能重視で遠方から単に目立つだけ、という無骨な構造が多いのですが、そうではありません

地域の中心駅となるべくような駅舎です

ただ駅からロータリー方面を見ると

おそらくいろいろな施設が立つべき場所なのでしょうが何もない。道路は大変立派で気持ちの良い秋の朝の空気が味わえる空間が広がっています。駅前に商店はありません。コンビニがありましたが撤退したそうです

ただし地図で分かる通り、少し行くと住宅街が広がっています。駅開業後に「びゅうヴェルジェ安中榛名」という広大な住宅街で「びゅう」という名称で分かる通り、JR東日本が山中の土地を購入、分譲したもので副業ができなかった国鉄時代ならできなかったことを民間移管後に行っています。名誉のためにちゃんと触れておきますが、駅前の光景だけを見ると大赤字のミッションだったと思われるかもしれませんが、10年以上の歳月をかけて601区画が完売。そのためか駅前の駐車場は私が訪れた時点で、ほぼ満車でした

県知事による宅地開発の協力記念碑があります

現に開業時は1日300人程度だった乗降者がコロナ禍直前では600人にまで増えていました。もっとも600人という数が新幹線駅として多いか少ないかは別問題で、何かと失敗駅の代名詞のように言われる山陽新幹線の新尾道駅の数字を挙げるとコロナ禍以前は2000人でした

狭き門

駅に戻ります

1日12往復。これが多いのか少ないのかは何とも言えませんが、駅名を伏せて時刻表だけを見せられると朝は上りが多く、夕方は下りが多く、昼間は2時間停車列車がない、よく見かける通勤通学に配慮したローカル線のダイヤだと思うかもしれません。ちなみに私は8時31分着の下りで到着し、9時7分の上りで撤退しました

料金案内は今や古典的なものです。出発の10分前になり、人が集まり始めました。眺めていると皆さん券売機の扱いに慣れているようで、いつも利用されている方ばかりなのでしょう。考えてみれば観光客というのは、あまり考えられず常態的な利用者か私のようなオタクばかりなのでしょう

残念ながら峠の釜めしも駅そばも開店前。ここで立ち食いそばでもいただければ、もっといい記念になったのでしょうが、先もあるのでなかなかそうは行きません。そもそもめん類販売時間は11時から14時のわずか3時間で、時刻表をご覧になれば分かりますが厳密に営業時間を守ると上下1本ずつしかありません。なかなか狭き門です

在来線とのアクセス

私が到着した際、駅前にバスが停車していました

信越本線の在来線へのアクセスバスが安中と磯部に向けて出ています。本数は磯部の方が圧倒的に多い。磯部への時刻表を見ると新幹線との乗り継ぎを考慮したものになっているようで

マイカーなら20分、バスでも25分。これもまた近いか遠いかは微妙なところですが、バスの車窓は見たいものです

名残惜しいですが上りがやってきました

次回来る時はぜひ在来線とのバスアクセスを体感し、駅そばを所望したいなぁ、と思いながら新幹線に乗り込みました

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東日本の新幹線単独駅を巡る~やっぱここ一択でしょう

2022年10月21日7時

鉄道開業150周年記念 JR東日本パス

朝7時の山手線。記事には何の関係もありませんが、初めて黒い山手線に乗車したので記念の意味でも載せておきます(笑)

手には「鉄道開業150周年記念 JR東日本パス」。JR東日本の全線に加え、一部の三セク、私鉄にも乗車できます。これが2回目の利用。1回目については、また日をあらためて紹介させていただきます(アイキャッチの写真は1回目のもの)。この「全線」というのが大きなポイント

7時24分発の「あさま」に乗り込みます

意外と困難な新幹線駅訪問

駅巡りをしていて意外と難易度が高いのが「新幹線駅」です。なぜかというと「カネがかかる」からです。いろいろなフリーきっぷが出ていますが新幹線も含むものは、ほとんどありません。新幹線に乗れるが乗車券部分のみ有効で新幹線は別料金というものがほとんど、というかすべてと言ってもいいぐらい。新幹線駅なので、それなりに本数はあるので到達難易度はそれほど難しくないですが、料金はかかります。自由席に限ると1駅もしくはそれに準ずる区間で1000円に満たない料金が設定されていますが、それでも乗車駅も含め、駅で乗降することを条件とすると3駅2区間で2000円ほどのお金が必要になります。JR各社によって指定席の有無やB特急券の設定、複線または単線による所要時間の違いで一律にはくくれませんが、先日までお伝えしていた高山本線なら、岐阜から高山まで2時間特急に揺られても自由席特急料金は1860円。新幹線料金がいかに高いかが分かります

しかも各社とも新幹線はドル箱なので、新幹線も乗り放題というきっぷは、なかなか出ません。最も収益の高い東海道新幹線などは聞いたこともない。山陽新幹線については一昨年の秋にJR西日本が乗り放題をリリースしましたが昨年は出ませんでした

私は東海道新幹線については初乗車から40年以上かけて全駅乗下車を達成しました。本格的に始めてからも20年はかかりました。東海道本線への乗り継ぎが容易なので前述した通り、作業そのものは難しくないのですが、なかなか別の目的がないと先立つものがないと二の足を踏みます。新駅ができると、また理由をつけて行かなければならない。最後に利用したのは掛川でした

山陽新幹線についてはコロナ禍以前に50歳以上を対象とした「おとなびパス」という西日本全線のフリーきっぷが青春18きっぷのシーズンを避けるようにリリースされていて、そちらを利用したところ、こちらはかなり瞬殺でした(笑)。ただ山陽新幹線のこだまは昼間は1時間に1本なので東広島には本数の多い朝に訪問したことを覚えています。最後の訪問は新下関でした

そんな状況下でリリースされた東日本パスですから、これは利用しないわけにはいきません

第一歩は安中榛名以外に選択肢なし

一応、旅程を組んでみて前日に東京入りし、今回は上越新幹線と北陸新幹線のJR東日本部分を回ることに。2泊目は長野の知人宅に宿泊することが決まっているので反時計回りで上越新幹線、北陸新幹線を巡っていくことにしましたが、朝という本数の多いアドバンテージや私的な行きたかったランキングを考慮すると第一歩は安中榛名にならざるを得ません

旅にハプニングはつきものなので、関西からの訪問がかなり困難な同駅をまず回収しておきましょう

乗車から1時間ちょっと。安中榛名を告げるアナウンスが始まると、かなりドキドキしてきました

到着です。実は同駅に停車する北陸新幹線に乗車したのも初めて。こんなに細いホームとは知りませんでした。誠に失礼ながら、10人以上の人が下車してちょっと驚きました(謝)

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宿も取らずに青春18きっぷで高山本線に突っ込んでみる~JR西日本区間そして、また来ます

9月9日12時

4時間の空白も不安なし

笹津駅前にあった付近の案内図。さすがに50年近く前に廃線となった富山地鉄の線路は描かれていませんが、往時を感じさせるものです

そして当駅の時刻表をといえば

11時21分の富山行きに乗ってきたので、次の富山行きは4時間後、猪谷行きも3時間半後と、おそろしく長い空白区間があることになります

ただ私に全く焦りはありませんでした。JRの時刻は分かっていて、それからのことをろくに調べもしていません。これが飛騨の山中だったら、いろいろな交通機関を必死で調べていてから下車したはずですが、ここはまず大丈夫

なぜかというと、富山地鉄の廃線跡だから。もう富山の市街地ともいえる場所なので、廃線後を担うバスがあるはずです

これは楡原の駅前で見たバス停。猪谷~富山を結ぶバスがあって、これだけの本数がある。きっと笹津も通るのでしょう

そして結果から言うと、私の考えは半分正しく、半分間違っていました

笹津駅前のバス停。1時間に1本の富山行きがあります。12時5分の富山駅行きバスまで45分の待ちです(※訪問当時のバス時刻表です)

駅舎は立派でお手洗いもあります。駅に着いた途端に雨が降ってきたのですが問題ありません。こちらの駅舎でしたら、原稿を書いている今の冬の季節でも大丈夫だと思います

バスに乗って富山駅へ向かいます

ただ後で分かったことですが、猪谷から出ているバスとは異なる路線のようで、猪谷からのバスは駅前を通らず国道41号を走って行くので、こちらのバス停から徒歩5分ほどの次の停留所まで行けば、さらにもうひとつの路線もあって1時間に3本ほどの便利な区間だったのです

JR西日本区間内でも温度差

全長225キロにもなる高山本線でJR西日本区間は36キロしかありません。全体の6分の1ほど。しかし、その中でも随分と温度差があります

こちらは婦中鵜坂の時刻表。明らかに笹津とは違う。特に7時台は高頻度です

これは運行形態を富山~越中八尾の17キロと越中八尾~猪谷の19キロで分けているから。前者の区間運転が設定されていて特に通勤通学時間帯は本数も多い。越中八尾以南の東八尾、笹津、楡原の3駅は停車列車がかなり少なくなります

岐阜から国道41号とほぼ並行して進む高山本線ですが、一部離れている場所もあり、笹津と富山の間は鉄道が旧八尾町を経由して迂回する形になるのに対し、国道は真っ直ぐ富山の中心部を目指します。富山地鉄笹津線は国道沿いを進んでいたわけで、廃線で地域の足がなくなることに対し、猛烈な反対運動が起きたこともうなづけます

ちなみに笹津~富山に限って言うと運行も多いバスは約50分、770円なのに対し、鉄道は約40分、510円とコストと時間では鉄道に軍配が上がります。ただしバスは富山の繁華街である総曲輪(そうがわ)を通ります。総曲輪は全国各都市で多く見られるように、JR富山駅からは若干離れています

富山駅に到着。13時前です

越中八尾は10年以上前に行ったのが最後で千里や西富山は降りたこともありません

適当旅らしく駅構内にある回転寿司で、今さらながら午後の作戦を練る。西富山の駅は路面電車で富山大学まで行けば十分に徒歩圏内だ、などと調べていると電話が鳴って家で緊急事態の報告。すぐ帰宅しなければならなくなりました

ついているというか、ついていないというか、これが山中の無人駅だったら、すぐ帰ろうにも帰れないところでしたが富山駅にいるので、すぐに帰れる

予定外でしたが早い時間に北陸新幹線のホーム

まだ明るいうちに大阪駅到着となりました

高山本線は地形上、たびたびの豪雨被害に遭ってきました。その度に懸命な復旧工事が繰り替えされています。過去には電化の計画もあったようですが岐阜市近郊も未だ単線非電化のまま

私が降りたことのない魅力ある駅舎も、まだあります。次回は計画を練って訪問したいと思います

これで夏の青春18きっぷの旅は終了です

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JRのうちに…北陸本線各駅を訪ねる 最終回~三セクからの将来

8月26日16時15分

最後の駅は芦原温泉

芦原温泉に到着です。この日は青春18きっぷを使用しなかったので金沢から特急で36分。ちなみに普通だと途中の通過待ちにも左右されますが70~80分かかります。各駅停車と有料特急しかないので課金し甲斐があります

北陸新幹線の駅にもなるのでJRの駅としては残りますが、在来線は三セクとなるので駅名標は変更となります

そして今は当時よりかなり進んでいると思われますが、この当時は駅前のスペースがほとんどないほどでした

廃線なのに駅は存続

写真付きの出口案内に観光地を感じます。ただ明治期に開設された時は金津を名乗っていました。金津は町名で、こちらから芦原(現在のあわら湯のまち駅)を経由して三国港へ至る三国線があり、芦原温泉の最寄りは芦原でした。駅名が変更されたのは50年前で三国線が廃線となったのを契機に現駅名となっています

今は同じあわら市ですが、以前は温泉のある芦原町は別の自治体で、金津町に芦原温泉駅ができることになりました

両駅というか、温泉街へはタクシーでも10分ほど。バスでも結ばれているほか、旅館の送迎バスも主にこちらにやってきます

ちなみに、これはちょっとしたトリビアですが、路線の一部が現在のえちぜん鉄道に引き継がれたため国鉄の廃線駅が今もすべて現役駅という、なかなか珍しいことになっています

工事中で駅舎も駅の中も、なかなか見にくい状態でした

まぁ、こちらの方はしっかりいらっしゃいます(笑)

観光センターも外からは分かりにくい状態で、ちょっと気の毒でした。新幹線開通となれば、ドンと目立つ場所に来るのでしょうけど

ただ、こちらの看板はやたらデカかったです。「複数ルートの安全な国土」の文言は要らない気がしました。だったら日本中の迂回ルートをしっかり残すのか、ということになりますよね

必ずしも負の面だけではない

さて春と夏、2度にわたって敦賀~金沢間の全駅を訪問したわけですが、ひとつ感じたのは地元の利用者にとっては便利になることも、かなりあるのでは、ということです

例えば金沢~福井間。現在、昼間は金沢~福井間が1時間に1本、金沢~小松間が1時間に2本の運行となっていますが、毎時○分とは決まっていません。それは特急による通過待ち時間によるもので、サンダーバードが1時間に2本運行される時間帯もあるほか、米原もしくは名古屋に行くしらさぎも1時間に1本ぐらいのペースで運行され、特急が優先される以上、普通はそのあおりを受けて決まった時間に運行とは、なかなかいきません。また所要時間にも大きく差ができていて、小松~金沢は基本的には約30分なのですが、中には40分ほどかかるものもあります

貨物列車は残りますが、特急ほど頻発していないので現在の通過待ちがほぼなくなって所要時間もかなり少なくなることが予想できます

北陸本線はかつて特急王国と呼ばれ、北陸新幹線の金沢延伸前までは富山や新潟へと向かう特急が特急がバンバン走っていて鉄道ファンには目の保養となっていました。みどりの窓口とともに、その光景がなくなるのは寂しいことですが、運賃値上げは予想されるとはいえ、必ずしも負の面だけではないと感じました

改札口はいかにも仮状態。芦原温泉での購入は今後、なかなかないでしょうから、こちらできっぷを買うことにしました

ほんの少し節約しようと(200円ほどです)福井までは普通に乗り、早めの夕食としてサンダーバードで帰路につきました

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JRのうちに…北陸本線各駅を訪ねる その25~北陸鉄道の駅からは離れています

8月26日8時30分

朝の通勤電車で

宿泊地の小松から約30分。野々市に到着です。この後は北陸鉄道にひたすら乗る予定で帰路途中にある芦原温泉に寄って春から2回に分けての敦賀~金沢間の北陸本線全駅訪問となるわけですが、この日は青春18きっぷを利用する予定はなく、芦原温泉は特急停車駅でもあるので、そう大変ではない。事実上、当駅でコンプリートのようなものです。朝の通学通勤電車なので4両編成。お客さんはいっぱい。小松始発を選んで乗りました。朝は本数も多いので、このあたりは選び放題です

北陸新幹線の高架下駅としては異色

当駅も北陸新幹線の高架が上を通る形になっています。その形状はいくつかありますが共通するのは新幹線の高架ができるタイミングで駅舎も改築されているということです。こちらも

南口が10年前に新築されています。元々はこちらの南口だけでした

こうして見ると、すっぽり高架下にできています

では新たにできた北口はというと

ユニークな形状。野々市北口プラザとなっています。新たにできたとはいえ25年前のこと

南口側のホーム(上り)には両出口への案内があります

こうして見ると他の北陸新幹線の高架下駅とは、ちょっと異なることが分かります

他の駅は新築時に橋上駅舎化されているのに、こちらはされていません。橋上駅舎は線路をはさんで、南北(または東西)どちらにも行けるのが利点で改札もひとつで済むため全面改修の時は、橋上化されることが多いのです。そうならなかったのは、先にできていた北口プラザが立派すぎて、さすがに壊せなかったからではないでしょうか

もうひとつの野々市駅

さて「野々市駅」と言えば、かなり以前に紹介したことがあります

もう2ヶ月以上も前の記事です。こちらも野々市駅ですが

かなり離れています。歩いて行こうという距離ではないですね。関西では私鉄同士や私鉄とJRでよく見かける光景ですが、他地域では珍しい

これは地形的なものによるようで、野々市市というのは南北に長い上、市域が入り組んだりしていています。JRの駅は野々市市をかすめるように走る北側にあり、北陸鉄道の駅も市境にあります。JRの駅は戦後に地元が全額出費した請願駅として設置されているので同名駅が2つ存在するのも納得だったと思われます

ちなみに野々市市のホームページによると、最も市役所に近い最寄り駅は北陸鉄道の額住宅前で徒歩20分ですが駅の所在地は金沢市です。野々市市では市内に細かくコミュニティーバスを走らせることで住民サービスを行っています

駅の全景です

請願駅としての出発でしたが、地形上、野々市市以外のニーズもあり利用者は右肩上がりで(コロナ禍以前の数字)、米原や長浜など滋賀県の駅も含めた北陸本線の利用者ランキングは乗降客4000人で11位。特急が1本も停車しない駅としては北陸鉄道との乗り換え駅である西金沢に次ぐ2位となっています。昨年無人化されました

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JRのうちに…北陸本線各駅を訪ねる その22~誰でも読める難読駅。でもちょっと違いますよ

8月25日16時30分

自動改札機もある特急停車駅

松任駅に到着しました

福井駅ではホームで乗り換えただけだったので、今回の旅程では小松に次ぐ2番目の自動改札機設置駅。もっとも青春18きっぷでは関係ないのですが

北陸本線としては重要な駅で車両基地も備わっています

以前は貨物駅でもあったこともあって広い構内を持っています。左に伸びていくのが車両基地へ向かう線路。ホームの上には北陸新幹線の高架が走っています。高架工事とともに現在の橋上駅舎となりました。間違っていれば申し訳ないのですが私のかすかな記憶では、かつての出口(北口)は左に見えるマンション付近にあったはず。現駅舎は11年前からです

上に北陸新幹線の高架が見えます。在来線の車両基地そしてすぐ近くには新幹線の車両基地。現在も一部の特急が停車する。当駅は白山市の中心駅ですが新幹線駅を設置してくれ、という要望は分からなくもありません。ちなみに白山市は県内最大の自治体で人口は金沢市に次ぐ2番目です

もっとも金沢から松任までは10キロもなく在来線の普通でも10分、特急なら8分ほどで着いてしまいます

偉大なシンガーソングライターのおかげで

白山市の成立までは松任市の中心駅でした。駅前に地名の由来がありました

松木さんというお公家さんが町を作り「松木氏に任せる」という意味で松任という地名になったそうです。ちなみに加賀の国といえば前田利家ですが、最初に入ったのはここ松任城です

松任の由来はよく分かりましたが、それにしても客観的に見れば、なかなか難読です。特急停車駅をつかまえて難読というのは、どうかという話ですが普通はなかなか読めない。ただほとんどの方は読めるのではないでしょうか。今年で50周年を迎えた偉大なシンガーソングライターのおかげで。半世紀もトップスターであり続けているので誰でも知っていますよね

しかし、それは微妙に違います。駅名標をよく見ると

「まつとう」ではありません。「まっとう」です

前記の解説板では、そのあたりのことは書かれていませんが、元々は「まつとう」と読んでいたのが、繰り返し読まれている間に「まっとう」となったという説が有力なようです。ちなみに白山市の公式ホームページはボタンひとつで英語表記にもなるのですが、そこでも「Matto」と表記されます。私の携帯は「まつとうえき」と入力しても「松任駅」と変換されますが、PCでは変換できません

逆に言うと「Matto」というローマ字を見せられて地名を答えよ、と言われても答えられない人が多いのかもしれませんね

車両基地の駅らしく、駅前にはデコイチが静態保存されています

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JRのうちに…北陸本線各駅を訪ねる その19~ひとつ手前の存在感

8月25日14時40分

大切な駅

西金沢までやってきました。もう金沢までは、あと1駅です。もっとも、この後再び金沢市から出ていくのですが

ご覧のように北陸新幹線の高架下に橋上駅舎が設けられています。1面2線の島式ホーム

特急停車などはないのですが重要な駅です。私が乗車した電車も一番多いのは次の終点・金沢で降りる方ですが、こちらでもかなりの方が降り、そして乗ってきました

貴重な乗換駅

駅舎の外に出ると

屋根付きの通路があり

奥にあるもうひとつの駅まで延びています

ご覧の通り、北陸鉄道の新西金沢駅と目と鼻の先です。もちろん乗換駅

※2枚目の写真は翌日撮影したものです

北陸鉄道は現在、北鉄金沢~内灘の浅野川線と野町~鶴来の石川線の2路線を持っていますが、それぞれ孤立した路線となっています。また浅野川線は金沢駅に乗り入れていますが(北鉄金沢はJRの金沢駅とほぼ同じです)、石川線は野町という、やや街外れ(金沢の繁華街でもあね香林坊までは徒歩10分ぐらいですが)が終点。そのためJRとの唯一の接点が、ここ西金沢で貴重な乗換駅。正式な駅名は新西金沢。なんでも大正時代から、この駅名だそうです。「新○○」という駅名は近年のものとばかり思っていましたが大正期にもあったのは、ちょっと驚き

時間帯にもよりますが北陸鉄道では貴重な有人駅。私はこの日と翌日、現地に滞在しましたが計3回お世話になりました。利用者が多いのは当然です

かつては乗り換えとなる側に駅舎があり、逆側の方は不便でしたが10年ほど前に現在の橋上駅舎となり、両側に出られるようになっています。利用者が多いのですから当然と言えば当然ですね

もちろん、みどりの窓口あり…と言いたいところですが、さる10月いっぱいで閉鎖。無人駅となっています。駅員さんが花束を受け取るニュースが流れていました。まだ1年以上あるのですが、三セク転換はすぐそこまで迫っている実感があります

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