川内駅の駅名標

※訪問は2023年10月3日

新幹線開業時に大きく変化

川内駅に到着。これで九州新幹線のすべての駅を訪問したことになる。2018年の9月にも川内に来たが、その時は新幹線ホームに立っていない。その時は宮崎空港から日南線で志布志まで行き、旧大隅線沿線を走る路線バスに2時間揺られ垂水下車。フェリーで鹿児島に渡り、当地で1泊した後、指宿枕崎線で指宿、西大山、枕崎を経て加世田までバス。加世田で宿泊した後、バスで伊集院へ。ちょうどサッカーW杯の直後で「はんぱねぇ~」が流行語になっていた大迫勇也選手の母校である鹿児島城西高校の最寄りが伊集院だったので、よく覚えている

その後、川内まで来て当地泊。翌日は改めて鹿児島へと向かい、今度は肥薩線で八代(正確にはSL人吉の終着熊本)まで行った。八代駅の項で紹介したのはその時の写真である

川内駅は大きな橋上駅舎を持つ。開業は1914年(大正3)と古く、国鉄時代から拠点駅として機能してきた。戦後に建てられた、いわゆる国鉄コンクリート駅舎が続いていたが、2004年の九州新幹線部分開業時に現在の駅舎となった。新幹線開業の直後に周辺の町村と合併して川内市から薩摩川内市となったが、駅名はそのまま川内である

薩摩川内市が誕生した際、甑島(こしきしま)の上甑村、下甑村も参加している。読み書きともに難易度激高の島への高速船乗り場へは当駅からバスで向かう。改札を出ると分かりやすく案内がある。キビナゴで知られる甑島は観光地でもあるが、大きく「通常運行」と目立つように表示されていることで分かる通り、気候の影響を受けやすいので運行には注意が必要

鹿児島本線の「飛び地」で他駅とは事情が異なる

肥薩おれんじ鉄道との共同使用駅となっているが、改札は共通で八代から117キロにも及んだ肥薩おれんじ鉄道はここが終着。川内から鹿児島中央までは再び鹿児島本線となり、約50キロがJRとなる。いわば鹿児島本線の「飛び地」。九州新幹線の成り立ちを各地に照らし合わせると、こちらも三セク移管となりそうだが、西九州新幹線のような時限的措置がとられるわけではなく、恒常的にJRのまま推移しそうだ。しかもIC乗車が可能。いろいろ「大人の事情」があるのだろうが、推測で私が触れるわけにはいかない。ひとつ言えるのは、今回のようにJRしか乗れないきっぷを手にした場合、利用者目線からだと大いに助かるということ

こちらは新幹線の改札(写真は2018年のもの)。その横にあるのが

在来線と肥薩おれんじ鉄道の改札がある(写真は2018年3月のもの)

新幹線については部分開業時した時からの鹿児島中央をのぞく他駅とは大きな違いがあって、当駅には鹿児島中央~熊本の速達タイプの「さくら」が停車し、わずかではあるが最速達タイプの「みずほ」も停車する

肥薩おれんじ鉄道の一部乗り入れ

在来線の構造は島式ホームの2面2線。左にホームが見えるが現在は使用されていない。廃線となった宮之城線ホームも加え、以前は3面5線だった

車止めの向こうが肥薩おれんじ鉄道。つながっていた線路をさえぎるように車止めが置かれていて、その向こうにホームとしては同平面の肥薩おれんじ鉄道が島式ホームを持つ

JR線乗り放題の権利を生かして鹿児島本線の駅を回った。当日は薩摩川内市内に宿泊し、翌朝はお隣の隈之城駅へ。肥薩おれんじ鉄道は朝夕のみ一部列車が川内のひとつお隣の隈之城まで直通するので、そちらに乗ってみたかった

なぜ1区間のみ乗り入れるかというと、隈之城の駅前にはれいめい中学・高校があるから。多くの高校生が降り、折り返し列車内は閑散としていた

くまモンに癒やされる列車に揺られて川内に到着となるが、列車は在来線ホームを通過するかの勢いで進み、肥薩おれんじ鉄道のホームに到着。車止めの写真を掲載したが、片側のホームはつながっている

乗車してきた列車が見える。肥薩おれんじ鉄道の駅舎はホーム上。同一ホームだが、JRが1、2番線なのに対し、3、4番線がふられている

こちらは肥薩おれんじ鉄道の駅名標。奥に貨車が見えるが川内はJR貨物の駅でもある

前回は鹿児島中央まで在来線に乗車したが、今回はきっぷの特性を生かし新幹線乗車である。川内~鹿児島中央は在来線で約50分だが、新幹線だとわずか11分。1区間利用はかなりあるようで乗車は8時16分だったが、通勤と思われる会社員の姿が多く見られた。車両基地の関係もあって早朝には川内始発の鹿児島中央行きという1区間だけの列車も運行されている

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