きっぷ

加古川線100年、阪神淡路大震災から30年~その3 早朝から単行電車に乗車したわけ

黒田庄駅の加古川線100周年を祝う張り紙

※訪問は2024年12月10日

薄いダイヤ

福知山線の分岐駅である谷川駅の時刻表

パッと見ただけで本数の違いは一目瞭然。福知山線も昼間は1時間に1本の運行となっているが、さらに少ない

拡大するとこのようになるが、時刻表の空白部分に告知などを掲載するのは全国共通である

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9時発では次がない

このダイヤを見ると利用状況の調査うんぬんよりも、これに乗らざるを得ないことがよく分かると思う。平日のみ運行の6時9分は物理的に乗車できないし、次の9時ちょうどでは単純に西脇市まで乗って終わりになってしまう。「次」がないのである。西脇市以降は1時間に1本の運行が確保されているが、過去に全駅訪問済みとはいえ、せっかく来たのだから、特に本数の少ない谷川~西脇市はいくつかは降りてみたい

9時ちょうどに乗ってしまうと次は3時間以上空いて12時10分、さらにその次は再び3時間以上の空白で15時13分。朝が終わると夕方までほとんど運行がない、これまでも当ブログでたびたび出てきた典型的なローカル線の運行パターンだ。西脇はそう遠い場所ではなく、神戸の中心部からだと車なら1時間ちょっとで行けてしまう場所なのだが、もちろんそれは高速道路の使用があるからで、鉄路でも神戸の中心部である三ノ宮からだと15分に1本の新快速に乗り加古川まで30分、加古川からの乗り換えも1時間に1本の運行があって西脇市まで50分と、乗り換えを入れても90分もあれば行ける場所のイメージがあるが、少し離れただけで、このような現状が待っている

JRでは貴重な単行可能な新車の電車

今回主に乗車したのはJR西日本の125系である。ご覧のように単行での運転が可能で加古川線内では主に単行の運用となっている

電車というのは車内にいろいろな装備を詰め込む必要があるため、長らく最低の運行単位は2両とされてきたが、近年は技術の進歩で単行でも可能な車両が生まれたり改造されたりしている。ただJRでの新車となると四国の7000系と、この125系しかない

JRの単行電車といえば

今も現役で宇部線、小野田線を走るJR西日本の123系が有名だが、これは余剰戦力となった郵便荷物用の電車を改造したもので新車ではない。JRで単行可能な電車の新車が生まれない理由は、基本的な考えとして電化区間=利用客の多い路線だからだ。古くから電化されていて現在は乗客の少ない区間や路線はできるだけ最低単位の2両で運行するか、古い車両の改造で対処するというのが基本的なスタンスである。電車の新車を投入するなら利用の多い路線となる。近年は蓄電方式の車両も登場しているが架線は不要である

だが、この125系は2003年デビューと近年になってからのものだ。投入は小浜線と加古川線。JR四国7000系は四国内で電化が進む中で製造されたもので、同じ路線には特急列車も走る。特急車両が電化なら、普通用も電化となる道理だが、小浜線と加古川線に優等列車は走らない。ではなぜ21世紀になって新車が投入されたかというと、両線がほぼ同時期に電化され(小浜線が2003年、加古川線が2004年)、しかもそれは地元負担によるものだった。加古川線に話を絞ると、当時すでに西脇市~谷川は利用者の少ない区間だったが、それでも電化された。それには30年前の阪神淡路大震災が大きくかかわってくる

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加古川線100年、阪神淡路大震災から30年~その1 新生18きっぷの旅は早朝から

谷川駅の駅名標

※訪問は2024年12月10日

早朝の尼崎駅からスタート

時刻は朝の6時前。冬至目前のJR尼崎駅前は真っ暗だ

手には改訂されて初めて手にする青春18きっぷ。たまたま18きっぷ期間の初日となったわけだが、それは今回の件とあまり関係ない。少しでも寒さがマシなうちに、というのが本音である。さらに言うと3日間利用のこの日がメインイベントであって、朝の時点では翌日と翌々日のことは考えていなかった。前日の時点では天気が悪ければ、訪問日を翌日か翌々日に変更してもいいと思っていたほどだ

前記事で三岐鉄道北勢線での自動改札機におけるオペレーターとの通話システムについて記したが、その時に例として挙げたJR西日本の同システムは尼崎ほどの大きな駅にもある。西口は有人だが、東口はほぼ無人状態で、ここを通らなければならないが、新生18きっぷはここでの面倒な作業は必要なくなった

とにかく6時1分の福知山線福知山行きに乗車して出発である

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多くの高校生でにぎわう

大阪から福知山に行くには、この列車が事実上の始発となる。福知山線のさらに早い便もあるが、宝塚や新三田止まりで福知山まで行かない。また時間が経つと福知山線は篠山口での乗り換えが必要となるため貴重な1本。過去何度乗ったか分からない。ただ4両編成という窮屈さで朝の5時台という時間ながら、かなりのお客さんがいる。今日は座れないということはないだろうが、18きっぷの最盛期は大阪から乗らないと着席に危険信号が灯る列車である

何とか座席にはありついて篠山口も通り過ぎて下車したのは

1時間半後の谷川駅。「たにがわ」ではなく「たにかわ」と読む

広い待合室がある。5年以上前に来た時は自販機が並んでいる場所が売店だったはずだ。待合室で多くの人がテレビを見ていた。今もテレビはあるようだが、訪問時は消えていた

それでも1899年(明治32)の開業で昭和初期に改築された立派な駅は多くの高校生でにぎわっていた。過去、高校生の記憶がないのは当駅訪問が週末ばかりだったからかもしれない。自宅からご両親に駅まで送ってもらう地方都市ではおなじみの光景

緑の窓口もあって一部の特急も停車する

にぎわうホームの片隅に

ただ私が用事があるのは

跨線橋の隣を抜けての切り欠きホーム

西脇市行きの電車が待っていた。100周年のヘッドマークが付いている。加古川線は昨年暮れの12月27日に100周年を迎えた。式典のニュースもテレビで流れていたが、厳密に言うと全通100周年で、野村(現西脇市駅)~谷川が開通して現在の加古川線の形となった。手がけたのは播丹鉄道という播磨と丹波から1文字ずつとった会社である。国鉄の谷川駅に間借りの形となった。それゆえ福知山線と加古川線の線路はダイレクトにはつながっていない

線路そのものはつながっているが、スイッチバックのような形をとらなければならないので旅客列車は直通できないのに等しい。それが問題になるとは、30年前の阪神淡路大震災まで誰も予想だにしていなかっただろう

加古川線ホームは現在、番線の数字も与えられず単に「加古川線のりば」となっているだけで、まるで別会社のようで現状を物語っているようでもある

30年前は多くの人が谷川線と福知山線の間にあるホームを慌ただしく行き来していた。今回は再確認の半日旅である

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カワイイ電車は開業110年 北勢線を行く~その9 通年販売フリーきっぷの利用方法

西別所駅の駅名標

※訪問は2024年11月20日

敷設から開業の駅

馬道から1駅戻って西別所駅に到着。ご覧の通り狭いカーブ状のホームに張り付くように電車が着く。1914年(大正3)の北勢鉄道開業時に設置された110年の歴史を持つ駅である

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今回利用したきっぷ

西別所駅の改札。これまでずっと紹介してきたように、三岐鉄道移管後、北勢線の各駅には自動改札機が設置され、ここを通らないとホームには入れない。当駅は無人駅でご覧のように窓口も閉鎖されているが、無人駅の自動改札機も遠隔操作で必要に応じて開閉できるようになっている

今回利用したのは「三岐鉄道1日乗り放題パス」。西桑名駅で購入した。通年販売されている。1200円で三岐鉄道の北勢線と三岐線の両方が乗り放題。北勢線の西桑名~阿下喜が510円、三岐線の起点となる近鉄富田から終点の西藤原までが560円なので、どちらか片方の路線だけでも終点まで行って、途中どこかの駅1つだけで降りても元が取れるなかなかお得なきっぷである

ただ西桑名駅で購入した際、利用の注意を同時に渡された。一体何のことかと思っていたが、最初に降りた穴太駅で理解できた

各駅の自動精算機横にはインターホンときっぷを乗せる台があり、ここにきっぷを置いてインターホンを押し「フリーきっぷです」と告げると、オペレーターの「確認できました」の声とともに自動改札機を通れるようになる

JR西日本の幹線でよく見られる

この形式と同じである。このシステムの難点はオペレーターがなかなか出ないことがあってイライラさせることで、昨夏までは「青春18きっぱーの敵」とも言われていたが、同じシステムでもJRで利用するのと北勢線で利用するのでは、こちら側の意識もなぜか大きく変わる。北勢線にオペレーター役を何人で担当しているかは分からないが、おそらく小規模の兼任だろう。駅の出入りで必ず2度使用することになるが、駅によってはダイヤの都合もあって10分ほどで呼び出しボタンを押すこともある。先ほど手を煩わせたばかりなのに、すぐにまた仕事をさせることになるので申し訳ない気持ちでいっぱいになってしまう。と同時に私のように各駅を細かく回る利用者はオペレーターの人も「またこの人か」と、なるだろう。ちょっと気恥ずかしかった。だから有人駅で降りるとホッとする。12月にも当地を訪れているので、結果的に十数回この作業を行ったというか、行わせてしまったことになる

すぐ隣をバイパスが通る

西別所駅の駅舎は三岐鉄道移管後に新たに建てられた。単式ホームで駅舎が線路に沿って建てられていることで想像できるように、馬道駅と同様に駅前は狭くパーク&ライドの駐車場は設けられていない。西別所は昔の村名で古い文献で名前が見られる。町村制施行で在良村となり、戦後桑名市に編入となった

駅のすぐ東側を国道バイパスが通り、駅からすぐの場所には新興の住宅街が広がる

時刻はお昼の12時半を回った。三岐線にも乗ってみたいので、残る駅はまた次回の宿題として一度北勢線から離れることにする

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カワイイ電車は開業110年 北勢線を行く~その8 唯一ホームにフリーで入れる駅

馬道駅の駅名標

※訪問は2024年11月20日

西桑名駅から1駅

終点の阿下喜から、ぐーんと戻って西桑名の手前の馬道で下車。一見どう読むのかと身構えてしまうが普通に「うまみち」と訓読みが並ぶ。当駅を出るとJRと近鉄をオーバーパスしながら、回り込むようにして「標準軌」「狭軌」「ナローゲージ」の3線が並ぶ有名な踏切を経て西桑名に滑り込む

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近鉄時代の面影がそのまま

私が降りたのは西桑名方面ホーム。駅舎はご覧のように逆側にある。木製の柱や屋根の瓦は近鉄時代とほぼそのまま

阿下喜方面のホームにある駅舎の入口は狭いが、奥行きはある

縦長の待合室からホームへ入る形となっていて、お手洗いはホーム上にある

1914年(大正3)に北勢鉄道が開業した際に同時設置された。当時の所在自治体は益生村。益生といえば、近鉄名古屋線の益生駅は目と鼻の位置にある

もっとも現実的に急行通過駅の益生駅と馬道駅での乗り換えは、そう多くはない

豆知識となるが、益生駅は開業した1929年(昭和4)には西桑名駅を名乗っていた。現在の北勢線の西桑名駅は当時、大山田駅を名乗っていた。近鉄の西桑名駅は1930年に現在の益生駅に改名。その翌年には北勢線(当時は北勢鉄道)の大山田駅が西桑名駅となった。つまり名称交換となったわけだが、西桑名駅の記事でも紹介した通り、桑名駅の東側にあるにもかかわらず西桑名駅となっているのは大山田村に変わって西桑名町という自治体が誕生したため

近鉄の駅も自治体名になったことになる。益生村は1933年に桑名町に編入されて、そのまま桑名市になった。西桑名町も1937年に桑名町となった。つまり現在はともに桑名市に所在するわけだが、桑名市の地図だけを見ると益生駅が西桑名駅を名乗っていた方が、どちらかというと自然なのが歴史のおもしろさである

西桑名行きホームは出入りフリー

当駅の最も大きな特徴は西桑名行きホームが自由に出入りできるようになっていること。北勢線の駅は三岐鉄道移管後、駅舎の建て直しも含め、すべての駅で自動改札機が設置され自由に出入りできないようになった。無人駅で改札機を通れないきっぷを所持している場合は、遠隔操作によって開閉が行われるのだが、残り1区間の当駅にでは西桑名行き列車に限り、降車時は乗務員が集札にあたる。乗車の際は乗車証明書の発行機を利用して桑名西駅で精算するか、駅舎側に設置されている券売機できっぷを買ってこちらのホームに来ることになる。ただし阿下喜方面のホームは自動改札機を抜けないと入れない

かつては構内踏切で両ホームは結ばれていたようで跡も残るが、柵で入れないようになっている。西桑名方面のホームを利用する人は絶対に1区間のみの利用しかないのだから、駅舎の逆側に住んでいる人の利便性を考慮しての措置だろう

駅周辺は古い街並みが残る場所で慣れた人でないと自動車で侵入するのも、ためらわれる立地で北勢線特有のパーク&ライドは不可能だが、西桑名までは1区間しかなく、そもそも徒歩でも行ける距離である

話はややこしいが、北勢線の線路が大きく回り込むようになっているため、桑名駅の「西口」までは歩いても大した距離ではない。それでも当駅の利用者は2023年のデータで1日あたり560人で13駅中6番目の数字となっている

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カワイイ電車は開業110年 北勢線を行く~その7 終着駅ならではの雰囲気

阿下喜駅の駅名標

※訪問は2024年11月20日

終着駅は日本最西端のナローゲージ駅

北勢線の終着駅、阿下喜に到着。車止めを見ると心がときめいてしまう「終着駅フェチ」として、全国どこに行っても櫛形ホームの景色は心躍るものがある

ホームにはこのような表示も

「日本最西端のナローゲージ駅」とある。ある意味マジで、ある意味ちょっとシャレている。シリーズの最初で記した通り、現在ナローゲージを運行するのは、北勢線の他には四日市あすなろう鉄道(三重県)、黒部峡谷鉄道(富山県)しかない。最西端争いをするとしたら同県内で比較的近い所にある四日市あすなろう鉄道しかないことを分かった上での表記だろう。両社ともに、ずっとコトコト電車を走らせてほしい

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古くからの町の証明

北勢線の項で何度も繰り返しているような気もするが、ここ「阿下喜」(あげき)も、なかなかの難読。三重県のHPなどによると、阿下喜には「上木」の表記もあり、ヒノキの大木が生い茂っていて御用木に上げたから上木となったとか、ウグイスをお上に献上したところ、年貢を減らされたので阿(あまね)く下に喜んで阿下喜になったなどの説があるようだが、難読の地名というのは、古くから存在する町の証明でもある

風格ある駅舎は三岐鉄道に移管されて新たに建てられたもの。立て書きの駅名に風情を感じる

当駅は1931年(昭和6)の開業。前記事でも述べたが、北勢線は阿下喜へ至る最後の1区間が難工事で、1区間だけの開業まで10年以上を要した。旅人にとっては、山中を行くナローゲージの車両は車窓も含め趣深いものだが、こうして調べるまで、その努力は知らなかった

開業時は阿下喜町(直前に村から町になった)。戦後に町村合併で北勢町となり、平成の大合併を経ていなべ市。北勢というのは、もともとは自治体名ではなく地域を指す言葉で、敷設した北勢鉄道そして北勢線の由来にもなっている

駅の周辺には阿下喜の町が広がる

表現は正しくないかもしれないが、難工事を経てもこの地まで鉄道を通したことがよく理解できる。駅前にはすぐコンビニ。当然お世話になったが、降り鉄にとって駅からすぐのコンビニは大いに勇気づけられる存在だ

いなべ市役所の最寄りともなっている。かつては駅から徒歩10分程度の現在の北勢庁舎が市役所だったが、2019年に新庁舎が誕生して駅からは少し遠くなった

有人駅でエアコン完備の待合室を有する。駅前広場は新駅舎誕生の際に拡張されタクシー、バスの発着所となっていて

3つ並ぶ地域バスの停留所を前に「これに乗って三岐線の駅まで行きたい」と思った

軽便鉄道博物館

当駅で忘れてはならないのが

軽便鉄道博物館

ホームと並んで転車台があり

かつて活躍した車両が残されている

解説によると阿下喜延伸に合わせて製作され、昭和50年代まで同じ近鉄だった現在の四日市あすなろう鉄道で走っていたという。開館日は月に2日。いつかはそれに合わせて必ず来たい

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カワイイ電車は開業110年 北勢線を行く~その6 いなべ市の代表駅で半数が折り返す

楚原駅の駅名標

※訪問は2024年11月19日

発車番線に注意

楚原駅に到着。ご覧の通りの2面2線構造だが、昼間は半数が当駅で折り返す。朝のラッシュ時が終わると西桑名から当駅までが30分に1本、当駅から終点の阿下喜までは1時間に1本の運行となる。それゆえ西桑名行きは発車ホームが異なり

ホームの時刻表には発車番線が表示されている。時刻表を見ると分かるが、折り返し以外の阿下喜まで向かう列車と阿下喜からやって来る列車が必ず当駅で列車交換を行うのも特徴のひとつ

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いなべ市員弁町

楚原駅の駅舎。近鉄から三岐鉄道への移管の際、駅の統廃合が行われ、従来の駅舎も自動改札機の遠隔操作に対応するため、多くの駅で建て直しが行われたが、当駅は近鉄時代のまま。現在の駅舎が1992年(平成4)に新築されたばかりということもある。北勢線では数少ない有人駅のひとつととなったことも、そのまま利用される一因ともなっている

当駅は1914年(大正3)に現在の西桑名駅である大山田から当駅までの敷設が完了して北勢鉄道が新規開業した際の終着駅としてスタートした。当駅から先の部分は山中の難工事続きで、先に紹介した麻生田駅を含む阿下喜東駅(後に六石と改名され、三岐鉄道移管で廃駅)までが2年後に開業したものの、終点の阿下喜まで到達したのは1931年(昭和6)のことだった。駅の開業時は大泉原村に所在。1941年に員弁町となったが、最初に開業したことでも分かるように地域の中心でもあった。「楚原」も現在も当駅の利用者は多く、2023年の1日あたりの乗降客数は991人で西桑名、星川に次ぐ第3位である。有人駅となっているのもよく分かる。いなべ市の市役所最寄りは阿下喜駅だが、いなべ市の中心駅は人の多さからも楚原駅となっている

ちなみに鉄道むすめも「楚原さん」である

駅の住所は「いなべ市員弁町楚原」。平成の大合併でいなべ市が成立した後も旧町名はそのまま使われているが、「員弁」はもちろん「いなべ」と読むため、すべて平仮名にすると「いなべしいなべちょう」と「いなべ」が続く。市が誕生した際、「員弁」が難読だとして平仮名となった。当時は駅名にしても平仮名にすることが流行った時代でもあった。楚原もかなり古い文献に登場していて鎌倉時代には伊勢神宮領として「曾原」の表記があり「蘇原」という表記も見られるという

住宅街にたたずむ

駅の周辺はかなり規模の大きい住宅街

甲子園の高校野球やレスリングでも知られる「三重県立いなべ総合学園高校」の最寄りでもあり、駅の利用者数に大きく貢献している

訪問時はたまたま駅員さん不在の時間帯だったが、駅舎の待合室はエアコン完備で多くの利用者に対応している

緑の布製シートの屋根は近鉄を強く意識させるもの。最初に時刻表を見た時は、なんでこの駅で半分が折り返すのだろう、と思っていたが、行って納得、調べて納得だった

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カワイイ電車は開業110年 北勢線を行く~その5 ロードサイド店の一角で「復活」

星川駅の駅名標

※訪問は2024年11月19日

新規開業も路線で2位の利用者

麻生田駅から桑名市内へと戻って星川駅で下車。当駅は2005年と三岐鉄道移管後に新たに設けられた単式ホームの駅だが、路線内では数少ない有人駅のひとつ。しかも2023年の利用者数は1日1019人と北勢線13駅の中では西桑名駅(3461人)に次ぐ第2位。事実上、西桑名駅は桑名駅と一体化しているので、ある意味1位と言ってもいいぐらいだが、数字の理由については現地を訪れると一目瞭然となる

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車窓からの景色

阿下喜方面から西桑名を目指すと星川駅の手前で車窓にMEGAドンキが見える。これだけだと、ありきたりな光景で「ドンキぐらいあるだろう」と思ってしまうが、駅から出ると、ちょっと驚く

左にあるのが駅舎で正面にあるのが三洋堂書店で右がMEGAドンキ。つまりこの2店舗と敷地を共有し、ロードサイド店の一角に駅がある格好となっている

周辺の店舗はこれだけではない。駐車場を出るとすぐ国道421号で、東名阪自動車道の桑名インターも至近であるためファミレス、回転寿司などのチェーン飲食店のほか、病院やチェーンホテルなど多くの施設が集まる。北勢線沿線では駅近辺が最もにぎやかな場所となっている。

別の駅を移転開業

当駅は三岐鉄道移管後に、500メートルほど離れた場所にあった「坂井橋」という駅を移転して新規開業した形をとっている

旧駅は、まさに坂井橋の近くにあった。員弁川を渡る貴重な橋の近くでマイカーなど存在しない大正期の開業時は貴重な場所にあったといえるが、駅前にスペースがない。北勢線は三岐鉄道移管後にパーク&ライドに重点を置く駅を目指しているので現在の場所が選ばれたのだろう。坂井橋駅は星川駅開業と同時に廃駅となっている

駅舎を正面から見ると

デザインはまさに「星と川」だが、駅の住所ともなっている星川は古い地名である。桑名市のHPによると、大和(奈良県)の星川から移住してきた人びとによって開発されたと考えられていて、平安時代の文献には「星川市庭(いちば)」という物資交換の市場が記録されていて、員弁川に港もあったという

そのように古い地名なので、実は過去にも「星川駅」が存在した。しかも2回も。初代は北勢鉄道の開業(1914年)と同時に設置され、現在の駅より西の嘉例川を渡った先にあったが、ホームを設置するスペースがないということで間もなく廃止。昭和になって嘉例川の砂利を運搬する目的で嘉例川西岸付近に2代目の星川駅ができたが、戦時中の電力節約のあおりを受けて休止駅となり、戦後20年以上を経て正式に廃駅となった。名称だけなら現在の駅は復活した3代目となるが、正式には坂井橋駅の移転という形になっている。駅間の近い北勢線ならではの話でもある

暑さも寒さも凌げるエアコン完備の待合室も備え、早朝や夜間以外の駅員さんがいる時間帯では定期券も買える。利用者数第2位にふさわしい施設を備えている

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2024年の降り鉄を振り返る(後編)

やってみたかった旅を決行

7月の1日から東京へ

一度やってみたかった「適当に旅をして飽きたらヤメ。現地でホテルを探す」旅を決行

品川駅を出発して常磐線、東北本線、IGRいわて銀河鉄道、青い森鉄道と乗り継いで青森まで。乗り鉄の方にとってはなんてことない作業でしょうが、とにかく1時間同じ乗り物に乗ると飽きてしまう体質の私にとっては大変なこと

東日本大震災前に足繁く通っていた時期もあるJヴィレッジに新設されたJヴィレッジ駅に降り立った時は感無量

青森まで到達した時は、それなりの感慨がありました

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この時に感じたのは都内のホテルのお値段。コロナ前にも都内のホテルの容量と価格に随分と悩まされましたが、東京五輪のおかげで容量は増えたものの、価格はさらに上がっている気がしました。そのおかげで7月以降、東京には一切立ち寄らず。来年に東京まで行く用事ができたため、早々に予約サイトをのぞいたところ、さらにめまいがするような料金になっていました。地元にいると気付かないものですが、大阪のホテル事情もなかなかのもののようです

7月の旅では、県庁所在地を避けて宿泊するという作戦が奏功し、かなりお安く宿泊することができました

帰って間もなく四国バースデーきっぷを利用。四国へはいつも旧交を温める目的が多いのですが、今回もその一環。以前から行きたかった伊予鉄の松前(まさき)駅は良かった

今年も宗谷本線がストップ

7月中旬以降、あまりの酷暑に青春18きっぷの連続使用記録ストップかと思っていたのですが、9月上旬に長野に行く用事ができたため購入して8月上旬に中央西線の各駅訪問。青空フリーパスからなぜか外れている3駅の訪問もこちらで消化できました

以降は猛暑で昨年に続き8月はどこにも出かけず、最終週に昨年に続いて北海道へ。昨年は大変な目に遭いましたからね。今年は昨年と違って無事に抜海駅から乗車…となったのですが、今度はそこから先が豪雨ということで先に行かない

抜海駅の撮影会となりました。その後はJR北海道が仕立ててくれたタクシーで名寄駅まで1時間半のタクシー旅という芸能人のような凄い体験(タクシー料金も見たことのない数字でした)。毎年ちょっとあり得ない体験をさせてくれる宗谷本線ですが、事実として残ったのは雄信内や南幌延という来春廃駅予定の駅へ行けなかったこと

特急「大雪」とのお別れをできたことだけが救い

考えてみれば去年も今年も何日間か北海道にいたその日だけピンポイントで宗谷本線が止まりました。前後は良いお天気。北海道旅の予定は1カ月以上前に組んでしまうのでさすがにどんな天候かまでは分からないのですが、この縁のなさはある意味凄い。実は10月の航空券タイムセールというのがあり、ラストチャンスにかけてみるか、と一瞬脳裏を横切りましたがやめておきました

そして6日間予定していた旅の台風進路がまずい、仕事に行けなくなると4日に短縮して慌てて帰ったのですが、過去に体験したことのないノロノロ台風は結果的には神戸・大阪はもちろん、北海道もほとんど影響なく本州の真ん中あたりで消滅するという、何のために日程を詰めたのか分からない結果となりました

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大糸線の全駅訪問

9月以降は行動が鈍っています

18きっぷの残りで、まだ紹介していない大糸線の各駅訪問そして紹介済みの大糸線増便バスに乗車しました

これまでは普通の景色だった南小谷駅での特急「あずさ」が見られなくなるとは、この時予想もしていませんでした。「とりあえず目の前にいるから撮っておくか」が鉄道にとっては大切なんだと痛感。3月まで現地訪問の予定はないので、これが最後の勇姿となりました

こちらもまだ紹介していませんが、10月は秋の乗り放題パスで大糸線の未回収駅の訪問。9月と同じく増便バスも利用して糸魚川経由で帰ってきました

こちらはすでに紹介しましたが、大糸線の非電化区間最初の駅である中土駅へ再訪。やはり良い駅です

10月後半は飯田線。つい先日まで記事をアップしていましたが、リニア駅の最寄りになるとされる元善光寺駅。リニア開業の際はどのような表情になっているのでしょうか

そして小和田駅。記事でも書きましたが、動物はもちろんのこと、昆虫やは虫類が苦手な方は冬場の訪問を強くおすすめします

11、12月はこちらは記事展開中の三岐鉄道の北勢線と三岐線の訪問。三岐線については、まだ全駅行けていないというか、あえて残している部分もあります。とにかく両線ともおもしろいのです

そして「新生18きっぷ」の旅は2本前の記事でも紹介した通り

自身にとって、来年の降り鉄のテーマは18きっぷの裁き方となっています

皆さんの2024年はどのように年でしたか。そして来るべき2025年が良い年でありますように

今年も1年ありがとうございました

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2024年の降り鉄を振り返る(前編)

仕事を始めて行動規模縮小

2024年も間もなく終わろうとしています。今年は年明けから少し仕事を始めたおかげで行動規模はやや縮小することになりました。それでも各地でいろいろな思い出を得ることができました。そこで駆け足ではありますが、今日そして明日で今年を振り返っていきたいと思います

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恒例の18きっぷ消化から

年明けは青春18きっぷの消化すら始まりました。毎年というか季節ごとにそうなのですが、18きっぷの最終日に向けてドタバタと旅を始めます。1月9、10日で広島県へ。呉駅で呉線の全駅訪問を完了させた後に三原で宿泊

翌日は福塩南線の全駅訪問を行いました。最後は久しぶりの高木駅。前回もそうだったのですが、自撮りに慣れていないとうまく撮れません。それなりに利用者のある駅ですから、電車の出発時間前になると人が集まってくる。「このオッサン何してんの?」と思われたでしょうね

2月はそう大きな動きはありません。滋賀県で食べた近江ちゃんぽん。チェーン展開しているこのお店が神戸駅にも出店していることを、かなり暑くなってから知りました。そろそろ行かなければ、と思っています

雪また雪

3月は新潟空港からスタート。まだ利用していなかった空港で、JALのタイムセールでチケットを確保。ただ地方空港あるあるで、飛行機が到着すると、空港バスが接続よくやって来るので本当に写真を撮るだけでした。この旅はある意味、2024年を決定づける旅になりまして

新潟市内は全くなかった雪が長岡あたりから猛烈に

宿泊した十日町は少し雪が積もっているな、という感じでしたが、翌日に新幹線全駅訪問の最後となった飯山を訪れた時は、目の前で雪がどんどん積もっていく姿を目の当たりにしました。北陸新幹線の敦賀延伸を目前に控え、暫定的にでも絶対に全駅訪問を達成しようという私的には価値ある訪問だったのですが、とにかく雪の印象が強すぎました

長野に移動すると雪はすっかり姿を消していてひと安心したのもつかの間、松本へと向かうと姨捨あたりから、また銀世界に。記事でも紹介しましたが、積雪の境目がこのあたりにあることが分かって興味深かったです

ということで松本では久しぶりの3月の大雪に遭遇して、たまたま手頃な電車があったからと雪の大糸線に乗車したことが今年を運命付けました。今年は何かと長野に通う1年になったのは、この日がきっかけ

帰って間もなくJR東日本のたびキュンパスを利用して

ガーラ湯沢を初訪問。3月半ばでこれだけの雪があることを地元では喜んでいらっしゃいました。新幹線のパワーというのは凄まじく

熊谷、宇都宮、那須塩原、新白河と寄り道したにもかかわらず当日の15時すぎには一ノ関に到着。平泉駅に立ち寄って一ノ関に宿泊した翌日からは18きっぷの登板。気仙沼からのBRT経由で仙台に到着。こちらもタイムセールで用意した飛行機で帰ってきました

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やはり18きっぷは広島

4月の声を聞いて18きっぷ消化は芸備線。過去に行ったことはあるが乗降ともにしたことのない駅に行ってみようと市岡駅へと坂根駅へ。市岡で2時間待ちとなりましたが、徒歩10分ほどの商店でお弁当がひとつだけ残っていて美味しくいただくなどして時間を潰せました。実は仕事がひとつ舞い込んできてスマホでのエクセル操作にかなり悪戦苦闘したことが時間つぶしの大きな要因でした

三次に宿泊して翌日は福塩線で未訪問の吉舎駅と河佐駅へ。朝から吉舎駅に行ったのはいいが、次の河佐への列車まで何と7時間の待機

安芸高田市の三江線代行バスで旧式敷駅へ訪問するなどして時間をつぶしました。前日の記事に書いたばかりですが、やはり広島県は18きっぷでした

今年一番印象に残った駅

帰宅してから行ったのは阪神電車の廃線跡巡り。阪神のしかも神戸市内に廃線があるなんて一般的にはほとんど知られていないと思いますが、50年以上前に線路の付け替えで廃線となった線路跡は今もくっきり残っています

4月は九州へ。延岡~宗太郎の1日1・5往復区間の全駅を無事に訪問。その後訪れた

立石駅。今は設備を持て余すほどの大きな駅。ひとつの役割を終えた駅というのは大好きなんですが、2024年では最も印象に残る駅となりました。そういえば阪和線の紀伊中ノ島駅の駅舎解体が話題になっているようですが、この後どうなるのでしょう

寒さに震えた北海道

5月の最終週は北海道へ。無事に予定していた行動を終えることができたのですが、とにかく連日寒かった。気温の10度台はそうでもないのですが、連日の風が強くて強くて。昨年の同時期にも北海道を訪れましたが、寒いと感じたことは一度もなかっただけに、ちょっと甘く見ていました。1日2・5往復の川端駅。周辺は意外と大きな集落で、レストランでお昼まで食べられたのは望外でした。道路交通のちょっとした要衝なんですね

6月はわたらせ渓谷鉄道そして宇都宮ライトレールに乗車

念願のひとつだった群馬県の「神戸駅」に行くことができて良かった。足尾駅周辺にサルさんがいっぱいいるとは知りませんでした

6月終わりは「青空フリーパスの券面に書かれた駅で唯一行ったこともなくて、どんな所かも知らない」木曽平沢駅を訪問。奈良井とある意味セットになっていることを知りました

列車遅延の関係で初めて降りることとなった倉本駅が素晴らしかった

かつて各地の登山駅で見られた山の情報板まで残っていて、これが後の中央西線の全駅訪問にもつながりました。大糸線と中央本線そして飯田線。今年の後半は長野県ばかりでした

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2024年を振り返る前に自身の「18きっぷ依存度」を診断してみました

早速の3日間利用

2024年も間もなく終わりです。本来なら、まず今年の振り返りなどをするところですが、10月に入ってビックリの発表がありました

早速、先日利用してみましたが、その振り返りとともに、今夏までの青春18きっぷは当ブログにも大きく貢献してくれたので、私的な依存度も自ら診断してみました

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お試し利用はすべて日帰り

こちらが新しい青春18きっぷ。変更点については上記に再録した過去記事を読んでいただくとして、とにかく1日3333円以上の元を取らなければなりません。ということで、今回やってみたのは3日連続の日帰り行脚

加古川線

湖西線

日生(赤穂線)のカキオコツアーで過ごしました。私の場合はバンバン途中駅で降りる上に逆戻りしてまた進むという行動をしょっちゅうするため、運賃的には簡単に元をとれます。日帰りとなると、なおいっそうで、100キロの壁となる1690円の区間を単純往復すれば、おつりが来るので問題ありません。ただ当然ながら日帰り区間というのは過去に行ったことのある場所ばかりになってしまいます。せっかく自動改札機を通れるのだから近場にしようという考えもありましたが「う~ん、なんだかなぁ」という部分は否めません。今回は加古川線に行くという明確な目的があった以外は思いつきに近いものでした。これまでのルールなら、まず加古川線をやっつけて、それから4回はどうしようか、思っていたはずですが、とにかく1度乗ると絶対に3日続けて使用しなければならない(1日や2日で1万円分使えれば回収したことになりますが)ので、いろいろ考える必要があります

変更時にも書きましたが、大阪から名古屋まで在来線のみで移動しても3410円なのです。途中、新快速があり、本数も多い区間ですが3時間かかります。3333円の壁はかなり高い。5日券だと1万2050園で1日2410円とハードルはグンと下がりますが、5日続けて利用できる、つまり旅ができるというのは、かなり恵まれた環境にある人でしょう。私自身は今回はお試しとして利用して側面が大きい

ブログ記事の貢献度はどうなのか

では自身がどれぐらい18きっぷに依存している(頼りにしている)のか、記事の本数を数えてみました(結構しんどい作業だった)。ブログを開始したのが2022年の9月。昨日までに619本の記事をあげていますが、18きっぷを利用した旅の記事本数は

200本

なんと3分の1の記事が「18きっぷ経由」のもの。新幹線の全駅訪問ではもちろん使用していないし、JRだけでなく私鉄や三セクの記事もあります。また私は過去一度も北海道で18きっぷを利用したことはなく、当ブログを立ち上げてからは四国、九州で18きっぷを使用したことはありません。それを考えるとものすごい数です

地域別のチェックまでさすがにしていませんが、パッと見た感じでは広島、岡山両県では18きっぷと秋の乗り放題パスの登板がほとんど。岡山県ではやくもに乗ったりするので必ずしも18きっぷとは言えないのですが、優等列車のない広島県では、この2種類以外のきっぷをほとんど使っていません。新幹線に乗る時はエクスプレス予約かe5489ばかりなので、JR西日本の広島支社というか、中国統括本部には全く貢献していません(笑)

これからは思い出に

数年前、18きっぷの旅をしている最中、こんなことがありました。1日に万単位の利用者があるかなり大きな駅でのこと。もちろん自動改札機のある駅です。改札を出ようとすると先客の方がムニャムニャ中。よくある光景ですが「参ったな」と待っていると、対応中の駅員さんとは別の駅員さんが私に気付き、対応中の駅員さんの背中越しに18きっぷをチェック。「どうぞ」と手で合図してくれたので、改札を出ると数メートル歩いたところで「お客さん、きっぷは!」の大声。先ほどまで対応していたというか、まだ対応中の駅員さんでした。同僚の駅員さんの行動が見えなかったのでしょう

振り返ると私も駅員さんも悪くはないのですが、あまりの大声というか怒鳴り声に周囲の人が一斉に立ち止まって私を見ました。利用の多い駅なので、相当な数です。さすがに私も「この人、不正乗車している」という目で見られることにイラッときて「後ろの人に見せた」と言いながら18きっぷを提示しました(後ろの人はいなくなっていました)

その駅については写真を撮っただけで10分後にまた改札に戻ってきましたが、当然のようにその駅員さんはまだ改札にいて、気まずい空気が流れました(笑)。もうこんなことはなくなります

考えてみると、このような小さなトラブルはしょっちゅう全国で起きたいたのかも。こんなことでも両者の対応の仕方によっては、大きめのトラブルになるかもしれません。また最初の入場時に改札でもらうハンコはインクがにじんで見にくくなることも多かった

高校野球の甲子園連続出場ではないけれど、もうどのぐらい連続で18きっぷを利用しているか、私自身も分からないぐらいになっています。春の18きっぷシーズンは何らかの作戦を練って臨むつもりです

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