きっぷ

根室本線の廃線予定区間の全駅訪問~「北の国から」は永遠だと実感

倉本聰さん直筆の北の国此処に始まるの木製看板

※訪問は2023年5月27日、動画あり。音声注意

バス停から歩くと広大な駅構内が

山部からバスで布部入口という停留所で下車。こういう「入口」というバス停名は経験上、10分近く歩くことを意味するのだが、私が乗ってきたのは12時59分のバス。乗車予定の列車まで時間はたっぷりある。山部まで行く際に平坦コースなのも確認済み。北海道の初夏のさわやかな風を感じながら歩を進める

先に線路というか側線と車止めに出会う。右奥に見える緑の建物が駅舎のようなので、かなりの距離。広い構内を持つ駅だったことがよく分かる

踏切を渡って駅舎の方に回り込む

ホームが見えてきた。駅構内へは手前から駅舎を経由せずに入れるようになっているが、敬意を表して駅舎から入ろう

駅舎に到着

布部駅は1927年(昭和2)の開業。すでにあった山部~富良野間に設置された(といっても富良野までは6キロ以上もある)。山部も同様の目的を持つが、森林開発と輸送が目的。当駅から戦後間もなくまで「森林軌道麓郷本線」という線路が伸びていた

新しく見える駅舎だが、おそらく開業時からのものを改築しながら現在に至っているようだ。ただしかつてに比べて幅が短くされている

駅名板は巨大なホーローである

次から次に来訪者が

布部駅の時刻表。現在、13時を回ったところなので1時間以上の待ち時間があるため、お昼としておにぎりをムシャムシャ食べる。山部駅周辺があんなに開けているとは思わず、富良野駅近くのスーパーで購入したものだ。ちなみに布部駅周辺は住宅街。富良野の中心部に近い駅の印象だが、商店はない

訪問時は18きっぷの期間外。土曜だったが、当然のように駅にいるのは私のみ。まぁ、のんびりしようと思っていたが、そうはならなかった。私がいる間に4組もの訪問者があったのだ。1人は明らかに同業者(鉄道ファン)で駅と周辺を撮影した後、あわただしく去っていったが、他は違った。そもそもレンタカーでやってきた1組と会話をすると「えっ!廃線になるのですか!」と驚きの返事が返ってきたぐらいだ

訪問者の目的はこちら

駅前に掲げられている倉本聰さん直筆の木製看板

倉本さん原作の「北の国から」はフジテレビのドラマで、冒頭シーンが主人公を演じた田中邦衛さんが東京から故郷に帰ってくる、布部駅に降り立つ場面。だから「此処に始まる」なのだ。ドラマについては、いちいち調べなくても概要は書ける。なぜなら私が浪人生時代を送っていた1981年の放送だからだ。秋に始まって春まで、いわゆる2クールの半年放送。最終回は何とかかんとか大学に合格して引っ越しの準備をしながら見ていた

ただそれは40年以上も前の話で、会話を交わした東京からの夫婦は30歳過ぎだという。どう考えても世代が合わない。その点を尋ねると、再放送でたまたまスペシャル版(放送終了後、20年にわたって何本か制作された)を見たことで、すっかりはまってしまい、以降、せっせと過去作品を見ているという。「麓郷に行くの?」と聞くと「今から行ってきます。初めてなんでうれしい」と、去っていった

麓郷(ろくごう)とは北の国からの舞台。駅の成り立ちについて「森林軌道麓郷本線」と記したが、その麓郷である。私も過去レンタカーで訪れたことがあるが、かなり遠かった記憶がある

麓郷の森は放送直後から観光名所となっている

駅は静かにたたずむ

駅は北の国からの放送終了を待っていたかのように1982年秋に無人化された。多くの観光客が訪れる麓郷だが、当駅からの距離がありすぎて麓郷訪問の拠点駅にはならなかった

ホーム側から見た駅舎

元々は島式ホームだったようだが、現在は片側だけが使用されている。側線は長らく使われていないようだ

こちらが駅名標。かなり年季が入っているが、今さらわざわざ塗装し直されることはないだろう。駅舎の将来についても現在、保存という話はないようだ。倉本さん直筆の看板は残ると思われるが…

ようやく富良野駅到着から5時間。ようやく当該区間の列車に乗ることができる

乗客は私一人だった

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根室本線の廃線予定区間の全駅訪問~大きな町とランプ小屋の残る駅

山辺駅の駅名標

※訪問は2023年5月27日

テレビ番組を参考に

朝の7時すぎの旭川駅。本日はここからスタート

素敵なラッピング車は7時39分発

富良野駅に到着。本日は富良野から先、新得までの根室本線を行く。来春での廃線が決まっている区間の各駅を訪問予定。ここからの乗り継ぎまでに2時間半も待たなければならないが、それは分かっていたことで、根室本線を逆向きに乗り、芦別駅などを訪問して折り返すなどしてやり過ごした

11時半に訪れたのは富良野駅のバス乗り場。11時35分発の西達布行きに乗る。テレビ東京のバス旅は欠かさず見ているが、全国の各駅訪問で参考になることが多い。もっとも現在の潮流でバス路線の廃線は鉄道よりもはるかに加速度がついていて。番組で放送したものの、その後廃線になっている区間も多いが、こちらはしっかり現役だ。番組では終点から山越えの13キロを歩いて幾寅に到達していたが、さすがにそんな技は私には出せない。目指すは富良野から2駅目の山部である

バスで約20分

山部駅前に到着した

悲運のロッジ駅

地方に行くと「駅前」というバス停ながら、全然「前」でないことも多いが、こちらはすぐ

ロッジ風の立派な駅舎を持つ

本当に廃線、廃駅になるのか?と思ってしまう。駅の開設は1900年(明治33)でギリギリ19世紀と120年以上の歴史を誇るが、駅舎はJR移管後の翌年にあたる1988年に新たに建てられたもの

根室本線は2016年8月、台風の影響で東鹿越~落合間が甚大な被害を受けた。その後、当該区間についてはバス代行としていたが(後に代行バスは東鹿越~新得に変更)、今年3月に来春での富良野~新得間の廃線が決まった。ちなみに「本線」と名のつく路線が途中で廃線によって分断される初の出来事となる(三セク移管を除く)

いわば山部駅自体はとても不運だったことになる。元々の駅付近は山部町の中心部(現在は富良野市)にあたり、バス停のある幹線国道沿いには飲食店やセイコーマートもある。急行停車駅でもあった

広い構内とランプ小屋

鉄道駅として重要な役割を果たしていたことは

ランプ小屋が残っていることからも分かる

隣接して倉庫も残る。木造の倉庫は入口の裸電球といい情緒たっぷりで、かなり古いものだと想像がつく

構内も広い。右側の部分にも側線があったようだ

ホームは千鳥状の配置。構内踏切で出入りする

駅舎内は広い。簡易委託も廃止され、完全に無人化されてから20年近く経つが、きれいにされている

さて、ここまで全く根室本線の鉄道写真が出てこないが、それは当該区間の本数の少なさのためだ。富良野~東鹿越間を走る列車は1日わずか4・5往復。当然、東鹿越~新得間の代行バスも同本数

富良野駅の時刻表だと東鹿越行きは7時17分に出た後は7時間後の14時14分までない。その後、16時48分があって、最終が19時2分。つまり私が富良野に到着した9時半ごろは7時間の空白区間だったのだ。結論からいくと、当駅だけが「乗降どちらもできない駅」となってしまった。もっとうまく回る方法はなかったのかと後悔むしている

次の目的地は布部駅。まだ12時半で列車は来ない。こちらもバスで向かうことにする

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抜海の宿、ご主人の機転で稚内から脱出

抜海駅の駅舎内にあった駅名標のイラスト

雨はあがったが宗谷本線動かず

前記事での抜海駅の写真を見ていただければ分かるが、駅訪問時、雨は全く降っていない。駅付近にも雨が降った痕跡はあるものの、すでに「お湿り状態」まで乾いている

だが結論から言うと、この時点で宗谷本線の運休は決まっていて、朝の9時すぎの時点で鉄道での移動は不可能となっていた

話を時系列で戻す

今回、お世話になったのは「旅人宿 ばっかす」。抜海の集落の中心部にある

前々回の記事で抜海駅からの郵便局までの地図を掲載したが、場所はほぼ同じ

宿の場所は郵便局のほぼ向かいにあたる

玄関には「テツ」の心を揺さぶるものも

夕食後の懇談の時間に、ご主人が「今日の夜中に大雨が降る予報です。明日の朝はあがっていると思いますが、宗谷本線は大雨が降ると路盤の問題ですぐに止まるからなぁ」。言葉通り、夜になって雨脚は強まり、寝るころには雷雨となっていた

雨はすっかりあがったが

朝の7時前に起床。雨は止んでいる。ご主人に運行情報を尋ねると「今は運行しているようです」との答えにホッとして周辺の散策

抜海は漁港で宿から出ると、ほどなく日本海に到達する。ただし晴天というわけではないので利尻富士は見えない。前日の車窓からも曇っていて見ることはできなかった。前回、稚内を訪れた際は2泊3日の旅程で車窓はもちろん、レンタカーで日本海沿いを走ったりしたが、その時も山の姿には出会えず。いつになったら利尻富士を拝めるのだろう、そんなことを考えながら

美味しい朝食。もちろん、ご飯はおかわりである

抜海からの列車は10時46分。時間はあるので朝食後、くつろいでいるとタブレットの画面と、それまでもずっとにらめっこしていたご主人が「ちょっとまずいですね」とつぶやく。稚内を6時36分に出た旭川行きの特急サロベツが途中で大幅にスピードダウンしているという

これはJR北海道の情報ではなく、ご主人の独自ネットワークによるもののようだ。ちなみにJR北海道の運行情報では「○」の定時運行となっている。幌延あたりに線状降水帯ができていて激しい雨となっている

「これは良くないですね。まず稚内まで行ってみましょう」。ご主人の提案で、稚内駅まで送ってもらうことに

今日中の旭川着にし東京~大阪並の大移動

前日「もし宗谷本線が動かなかったら」場合の提案がいくつかあった。私の場合、今夜のうちに旭川に向かわなければならないが、まず前提として「稚内~旭川のバスは現在ない」とのこと。北海道の場合、各地から札幌へと向かう交通網は発達しているが、途中の大都市とは意外と結ばれていない

そして「夕方以降、動く場合はあって、それを待つ」というものもあったが「最も確実なのは札幌まで長距離バスに乗り、JRの特急で旭川に折り返す」というもの。線路換算すると稚内~旭川は259.4キロ。旭川~札幌は136.8キロなので、つまり259.4+136.8+136.8=533キロもの大移動となる。これはどのぐらいの距離かというと、新幹線の東京~新大阪が552キロとほぼ同じにあたる。単純な所要時間はバスが6時間、JRが1時間半。もちろん乗り継ぎの時間もあるので、8時間もの長い旅

しかし今回ばかりは今夜のうちに旭川までたどり着かなければならない。過去の経験から、北海道の列車は雨以外にも動物と接触など、いろいろな要素があり、定時運行の壁があることはよく分かっているつもりで、今回の旅もゆったりめの日程を組んでいたが、唯一、明日の根室本線廃線区間だけは、かなりガチなスケジュールとなっている。これらを、まるまる動かすのは無理な相談である。もうひとつの手段として稚内から音威子府に向かう路線バスもあるが、こちらは4時間半もかかる上、そもそも音威子府から先の交通手段がどうなるか分からないため却下である

稚内へ向かう前、ご主人の好意で抜海駅に立ち寄ってもらう。前記事の写真はその時のもの

その道中、宗谷本線の本日運休がJRのHPでも発表された。1日6本の札幌行きバスは次が11時30分発で、その次が13時。「まだ発表されたばかりだし、稚内は雨が降っていないので、おそらく観光客は気付いていない方が多いはず。バスの空席はあると思いますよ」とのこと。稚内駅到着は9時45分

やはりというか当然というか、宗谷本線は本日、完全運休である(旭川近辺の部分運行区間については分からない)。たった5本の運休情報だが、稚内をこの時間以降に出る列車は、これがすべてである

駅ビル内のバスターミナル窓口へと急ぐ。場所もご主人に教えてもらった

窓口は長蛇の列…というわけではなく、並ぶことなく窓口へ。残り3席だったが、とにかく空いていてホッと一息(ちなみに私のすぐ後ろに並んだ方も同じ行動らしく、すぐ残り1席となった。「宿は富良野なんです」と嘆いていた)。17時20分札幌着なので、まともな時間に旭川までたどり着けそうだ

最近のビジネスホテルは待たずに機械でのチェックインとチェックアウトができることをウリにしているホテルが多い。これはこれで善し悪しがあり、夕方の混雑時にホテルに着いて、チェックインの列を見るとウンザリするし、われわれのような鉄オタは始発に乗るため、朝の5時にチェックアウトすることもしょっちゅうだが、前日にその旨を告げなければならないなど気を遣う必要がある。その点、キーボックスにカードキーをポイだけで終わるのは非常に楽

ただし、そこには公共交通機関の情報はない。今回は念のためにホテルに電話。宗谷本線がストップしているので到着が遅くなることを伝えたら「それは大変ですね。お気を付けておこしください」と丁寧な電話応対をいただいたが、ホテル到着後のチェックインは機械で行うのでねぎらいの言葉はない(それは良くない、と言っているのではない。前述したように、そのシステムの方が楽なことは多々ある。念のため)

それでも今回は人と人のふれあいによって生み出されるものが確実にあることを感じました

宿で購入したばっかすさんのタオル。もったいなくて、まだ「デビュー」していませんが、大切に使わせていただきます。というか、今回は果たせなかった宿から駅までの徒歩(抜海駅まで手ぶらで30分歩くと、後から車で荷物を届けてくれるそうです)をぜひ実行してみたいし、何より利尻富士を生涯一度も見られていない。必ずまた伺いますね。ありがとうございました

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最北の無人駅抜海駅に行ってきました(後編)

抜海駅の駅名標

※訪問は2023年9月1日

来年で生誕100年

一夜明け、朝の抜海駅にやって来た。宿のご主人に駅まで送っていただいた

いかにも「風雪に耐えました」という屋根を持つ木造駅舎

北海道の駅では財産票を探すのに苦労することが多く、結局は見つけられなかったことも多いが、こちらは駅名板のすぐ下に分かりやすく掲げられていた

抜海駅は1924年(大正15)の開業なので来年100歳を迎える。線路が稚内から伸びてきた。その2年後、宗谷本線はほぼ現在の形で全通となった(現在の南稚内駅が当時は稚内駅で、現在の稚内まで到達するのは2年後)。財産票によると現駅舎は1940年(昭和15)からのもの。おそらく外側の部分だけが1940年で、他は開業時からのものに手を加えられながら100年を迎えている

あえて稚内までの自動車地図を表示してみた。ちなみに鉄道利用でも所要時間はほとんど変わらない

味と風格のある駅舎

駅舎は外側よりホーム側から見た方が風格を感じる

ニュース映像や写真でよく目にするのは、こちらだ。そしてさらによく目にするのは

ホーム側にある駅名標。ホームに降り立たなくても車窓からでも大きくめを引く

ちなみに3つ並んでの「抜海」である

駅舎に入らなくてもホームに出入りできる構造となっているが、当然、駅舎内も味わいがある

駅舎へは北海道らしく二重構造の入口となっている扉で入る

駅舎内はきれいに清掃されている。ホーム写真で花壇があったが、こちらも含め、すべて地元の皆さんの献身活動によるものだろう

ちょっとした地元資料館にもなっているが、私の世代にとってはなんと言ってもテレビドラマ「少女に何が起こったか」である。当時スーパーアイドルだった小泉今日子さんの女優デビュー作。当駅がたびたび登場する。キョンキョンをいじめる役の女優さん、当時私にとっては初めて見る人だったが、最後のクレジットで「カクチカコ」と必ずルビがふられていた。その後、大女優となってルビは必要のない人となった。稚内の町もキョンキョンが来るというので大変な騒ぎになったそうである

全国各地の駅で今もたまに見かける温度計。すっかり壊れているものもあるが、こちらはしっかり正しい気温を刻んでいるようだ

存続がニュースに

そんな数々の歴史が詰まっている抜海駅だが、現在、駅の存続がたびたびニュースとして取り上げられている。事の起こりは2019年にJR北海道が「廃駅にしたいので、維持するなら自治体(稚内市)で費用負担してください」と表明したこと。その後、稚内市は毎年約100万円の維持管理費を予算計上してきたが、今年7月に2024年度での打ち切りを市長が表明した

報道によると稚内市は市街地とを結ぶ乗り合いタクシーを運行する意思があり、乗り合いタクシーといっても、住民だけでなく観光客も乗れるものにするという。要はコミュニティバスの新設である。廃駅に反対する地元住民は維持費となる100万円の寄付の申し出を行ったが、市はこれを拒否。かなりかたくなだ。要は観光資源としての抜海駅について評価しないということ

多くの自治体を巻き込む廃線とは異なり、単独の自治体の専権事項なので外野からどうこう言えることではないのだが、駅を観光資源のひとつとした小幌駅とは対照的な対応だということだ。自治体が管理、維持するローカル線の古い駅舎は全国に多数ある

抜海の地名は町の中心部に近い抜海岩にちなむ

私見だが、コミュニティバスになった場合、利用の観光客はほぼ皆無だろう。また当駅から南下することはできなくなる

前記事に続いての掲載だが、当日の私は10時46分の列車で南下である。夜までに旭川に着けばよいので、時刻表を見ながらのんびり進もう。いざとなればフリーパスを生かして特急に乗ればいいのである

だが実を言うと10時46分の列車に乗車することはかなわなかった。この日が6日間に及ぶ北海道の旅のハイライトになってしまったからだ

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最北の無人駅抜海駅に行ってきました(前編)

抜海駅の駅名標

※訪問は2023年8月31日

スタートは旭川空港から

今回の旅は旭川空港からのスタート。伊丹空港を7時出発の飛行機で到着したが、9時すぎの時点で6度…のはずはない。うまく撮れていませんでした。29・6度!暑い。8月31日の北海道って、こんなに暑かったっけ? 後で他の地域の駅で聞いた話だと前日は涼しかったのに、また急に暑さが戻ったという

旭川駅へ。5月末以来、3カ月ぶり。前回と同じく北海道フリーパスを購入

11時30分の名寄行き快速に乗車する

快速とはいっても単行。ただし北海道でも随分、新型車両の置き換えが進んでいるようだ

ほぼワンイシューの旅

初日と2日目は、ほぼワンイシューである。「抜海駅に行くこと」。稚内から2つ手前。最北の無人駅、最北の木造駅舎として知られる

ただ訪問は、なかなかハードルが高い。というのも1日3・5往復の列車しか停車がないから。近くにバス停もバス路線もない。ワンイシューになってしまうのもやむを得ない

徒歩?これは私にはムリ。稚内と抜海の間には南稚内駅があり、特急も停車する市街地の駅だが、ここからの1駅がレールで14キロもある

ちなみに

駅から抜海の中心地までは約2キロ。徒歩にして30分の道程。駅の周りには、ほぼ何もない。「周囲に何もない駅」と私も表現することがよくあるが、北海道の何もない駅には本当に何もない

しかも先に時刻表を掲載すると

このような3・5往復。早朝と夜になっての訪問は避けたい(地元の方の話では駅舎はともかく付近の道路は暗くなってからのクマ出没注意だそうだ)ので稚内(10時28分発)からやって来る10時46分の列車に乗り、駅を1時間、堪能した後、11時48分で折り返すというのが現実的なプランだ。この列車は12時7分に稚内に到着するので、再折り返しの形で稚内発13時1分の特急サロベツに乗車すれば旭川方面に向かうことができる。しかし稚内に10時にいるためには、前泊が必要となる。だったら、ということで抜海で宿をとることとした。日程面、経済面で「では、また今度」と簡単に行ける所ではない。だったら、現地に宿泊し2日にわたって抜海駅を堪能しよう(後述するが、結果的にこれが絶大な好チョイスとなった)

夕闇の抜海駅へ

宿の方(前述した通り、徒歩30分の抜海の中心にある)は稚内から18時21分着の列車で駅まで迎えに来てくれるという。そのためには旭川発13時35分、稚内着17時25分の特急サロベツに乗車し18時3分発の普通に乗らなければならない。ほんの少しだが、途中駅にも降りて最終的に特急は士別から乗車することに

士別から稚内まで特急で3時間以上もかかる。北海道の地図は全体図が示されることが多いので狭いように感じる方もいるかもしれないが、広いのである

フリーパスには表示されないので駅にあった料金表の写真を掲載する。上が乗車料金で下段が特急料金。軽く1万円以上を要する

無事に稚内到着。以前訪れたのは、まだ旧駅舎時代だったので久しぶり。17時30分だというのに気温は昼間の暑さが残っていて29・4度もある

いよいよ抜海に向かう。結構、胸が高鳴る。伊丹空港から11時間近くを経て、ようやく抜海に向かう北海道ならではのキハ54に乗車。舞台は整った

サボは「宗谷線」。どの区間でも使えるなぁ

18時21分、抜海に到着

交換可能駅で到着列車の上下ホームはしっかり守られている

本日、宿をともにする方もいらっしゃるようだ。夕闇の駅ならではの風情。これは昼間に来て、昼間に折り返しては味わえないもの。結構、感動したが、また明日もある。皆さんを待たせすぎてもいけないので、本日はいったん駅とお別れすることにしよう

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三セクの優等生・伊勢鉄道を全駅訪問8(終)~特徴あるJRとの接続駅は車窓にも注目

河原田駅の駅名標

※訪問2023年5月20日

伊勢鉄道の起点駅は二層構造

伊勢鉄道は河原田が起点、津を終点としているが、両駅ともにJRとの共同使用駅で駅の管理は河原田はJR、津はJRと近鉄となっている。また伊勢鉄道の車両は津で折り返すが、原則的に河原田始発着はなく(平日朝に1本のみ折り返し運行がある)、すべて四日市で折り返す。つまり河原田は単なる分岐点の扱いだ。関西本線亀山方面への乗換駅だが、快速の停車もない

その河原田駅

1890年(明治23)と、130年もの歴史を持つ駅だが20年前に現在の簡易的なものに建て直されている。もちろん無人駅。ICリーダーが置かれているが、伊勢鉄道方面へは使えない

駅舎内には構内案内図がある。駅舎は関西本線の名古屋方面側にあり、跨線橋で亀山方面そして伊勢鉄道のホームに向かう

写真だと手っ取り早い。JR線のホームを見下ろす形の高台に伊勢鉄道のホームはある。写真の向こう側が四日市方面で、この先で伊勢鉄道の列車は関西本線に合流する

駅舎から跨線橋を昇るとさらに分岐があり「伊勢鉄道乗り場」とかわいく、控えめに書かれている

やや古くなっているが、駅舎内には写真入りの伊勢鉄道ホーム案内がある

ちなみに当駅から亀山に向かっては「単線電化」、鈴鹿に向かっては「複線非電化」と初めて聞く方は「間違っているのでは?」と思ってしまう構造となっている

美しい駅名標

島式ホームには伊勢鉄道の駅名標。伊勢鉄道の全駅で降りてみて、JR東海のものとは異なるが、周囲に何もないようなホームだけの駅でも美しい駅名標が、それぞれ丁寧に設置されている、JR東海方式であることが分かった

四日市方面の列車がやって来た

河原田~四日市間はJRと伊勢鉄道、両社の列車が走っていて、もちろんどちらに乗るのも自由。青春18きっぷは使用できない伊勢鉄道だが、この区間に関しては青春18きっぷで伊勢鉄道の車両に乗車できる。四日市へ向かう利用者は駅の時刻表を見て、どちらの列車に乗車するのかを決める。昼間は関西本線、伊勢鉄道ともに1時間に1本の運行なので、この区間は1時間に2本、ダイヤも30分に1本となるよう工夫されている。もっとも名古屋行きの関西本線(この区間の昼間はすべて快速で四日市から快速運転となる)と四日市止まりで単行の伊勢鉄道では軍配が上がるのはJRで、そちらに時刻に合わせて駅に来るお客さんが多いようだ

ちなみに四日市駅の伊勢鉄道ホームは島式ホームの先っぽにある切り欠きホーム。遠くに車両が見えているが、130メートルとそれなりに距離はある

細くなったホームに単行車両がポツンと停車している(四日市駅の写真は2017年7月のもの)

津は進入の車窓に注目

そして津駅

多くの利用者でにぎわう津駅はすべての鉄道会社が中間改札なしで行き来できるようになっている。西側から順番に近鉄、JRとホームが並び、最も東側が伊勢鉄道のポジション

津駅では、ここだけが行き止まり構造

ホームには伊勢鉄道の時刻表。津駅はもちろん特急南紀も快速みえも停車するが、発車ホームも異なるため伊勢鉄道内で完結する(河原田~四日市含む)列車のものしか掲示されていない

車窓に注目

河原田、津では前後の車窓に注目である。河原田駅では高い場所から降りていき、関西本線と合流する部分が楽しいし、なんと言っても津では東一身田駅を出てからのJRとの合流地点が見逃せない。東一身田駅前後は単線区間だが、紀勢本線の線路が近づいてくると、高架のような構造物が目に入る。線路があるのかと凝視すると単なる高架があるだけだ。これは国鉄伊勢線時代から残るもので、合流の際、うまく紀勢本線をオーバーパスできるように造られたもの。伊勢鉄道は中瀬古~津が単線区間として残るが、三セク転換後に中瀬古以北を複線化したが、単線のまま残ったこの区間では、立派な分岐施設は使用されなかった。どうしても複雑な構造となるので工事予算の問題もあったと思われる。将来使用されるかどうかは微妙なところだが、準備に関してはすでに50年前にできていたことを確認するだけで価値はある

ここ数日、伊勢鉄道の公式X(旧ツイッター)を楽しみに見ています。主に鈴鹿サーキット稲生駅付近のものですが、人の波、波、波。インプレッションも凄い数。本日は、いよいよ日本グランプリ決勝の日です

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三セクの優等生・伊勢鉄道を全駅訪問7~幻の窓口を備えた路線唯一の駅舎

中世古駅の駅名標

※訪問は2023年5月20日

全駅訪問の必須アイテム

中瀬古駅に到着。伊勢鉄道の各駅を紹介してきたシリーズも同線単独駅の紹介は今回が最後となる。最後といっても総距離22キロで単独駅は8駅しかないのだから、すぐ終わる

のっけから、このような話で大変恐縮だが、日本中の駅を訪問する際の必須アイテムは、まずお手洗いである。男性目線と女性目線では大いに差があり、男性だと目線は格段に下がるのだが、それでもホームのみの駅で元々設置がなかったり、最近は駅舎のトイレが閉鎖されたりしていることも多い。冷え込む季節になると、生理現象の訪れが近くなるので、寒い朝、自販機の暖かい缶コーヒーが恋しくなってもお手洗いの存在を確認しないと絶対に手をつけないようにしている

最近はローカル線の列車でも車内にトイレが設置されていることが多いが、その観点からすると、伊勢鉄道においては「単独駅8駅のうち、お手洗いがあるのは2駅のみ」「車内にトイレはない」ので、訪問される方は(全駅訪問をするしないは別の話として)留意してほしいところ。もっとも伊勢鉄道単独区間は前述した通り、わずか22キロで所要時間30分しかない(四日市まで入れても40分)ので車内にトイレは必要ないと判断されたのも無理はない

将来を見越した駅舎

お手洗いがなぜ2駅のみかというと駅舎があるのは当駅と鈴鹿駅の2駅のみだから。さらに言うと男女別なのは中瀬古のみ

鈴鹿は高架を利用した駅舎だが、中瀬古は立派な駅舎。三セク転換後から7年を経た1994年、国鉄伊勢線が開業した1973年以来、単式ホームのみだった駅に新たに建てられた。いわば伊勢鉄道オリジナルの唯一の駅舎

跨線橋からの眺め。当駅から津までの間は単線区間となっているが、その様子がよく分かる。ちなみにその時に伊勢鉄道唯一のトンネルがある

駅前は新興住宅街

駅前は「太陽の街」として造成された新興住宅街が広がる

駅前は立派なロータリーがあり、コンビニもある。大学もある

これらの発展を見越して駅舎が建てられた。当駅までが複線化されたのは、そんな背景もある

伊勢鉄道内を走るJRの特急と快速は、伊勢鉄道内では原則鈴鹿のみの停車で他駅は通過するが、中瀬古駅に朝の四日市方面3本が停車する

駅舎内。三角屋根のガラスがおしゃれな形をしている。ただし国鉄伊勢線時代から、ずっと無人駅。改札手前には窓口があるが、実は駅舎ができて約20年間、一度も使われていない。将来に備えたものの、まだ需要が達していないということだろう。全国の駅に行くと、かつての窓口が閉鎖されていたり、ベニヤのようなもので、まるごと覆われていたりする光景を当たり前に見かけるが、駅舎ができてから20年近くの間、「デビュー」することがないままという例も珍しい

伊勢鉄道内では、いろいろな意味で貴重な中瀬古駅。訪問をおすすめしたい駅である

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三セクの優等生・伊勢鉄道を全駅訪問6~田んぼに囲まれる駅と自治体中心駅?

徳田駅の駅名標

※訪問は2023年5月20日

伊勢鉄道で最も新しい駅

德田駅で下車。三セク移管から4年を経て1991年に開業した伊勢鉄道で最も若い駅

鈴鹿サーキット稲生からだと右手に鈴鹿サーキットを見ていると間もなく到着する

ホームを降りると

両側に田んぼが広がる。訪問時は初夏だったので、日々移り変わる景色を実感できるのだろう

構造は

三セク転換後に誕生した伊勢上野駅と同様、スロープを昇ってホームにたどり着く形

伊勢鉄道はこの2年後に河原田~中瀬古が複線化された。当駅もその前に誕生していて、この構造は他駅でも見られるが、逆側のホームへは構内ではなく、高架線の下の道路をくぐって向かう

そして周囲は

繰り返しになるが、田園風景が広がる。そして私の筆が弱く、日々利用されている方には誠に申し訳ないが、ここまでで語ることが尽きてしまった。次の河芸駅に向かうことにする

旧河芸町の名を冠する

河芸駅。河芸といえば、平成の大合併まで独立の自治体だった河芸町である。2006年から津市となった。町内には近鉄名古屋線を含め、いくつかの駅があるが町名を名乗るのは1973年の国鉄伊勢線開業と同時に誕生した当駅のみ。もっともこれには理由があって近鉄の千里、豊津上野の2駅は戦前からのもので、河芸町の発足は戦後。しばらく町名を名乗る駅がなかったところに誕生したのが当駅

跨線橋から。一見すると片側にしかホームがなく、片方は通過線なのか?と思いかねないが

ホームは千鳥状に配されている。古い路線ではよく見かける構造だが、複線化が1993年と近年であることを考えると珍しい

そして写真で分かる通り、当駅は複線区間の中にあるすれ違い可能駅という貴重な存在。伊勢鉄道は中瀬古~津間は単線のまま(複線の用地は確保されている)で途中の3駅のうち2駅(伊勢上野、東一身田)は単式ホームだが、さすが河芸町の名を冠するだけあって交換可能駅。国鉄時代からすでに考慮されていたという。駅前にはロータリーがある。かなり期待されての「デビュー」だったのだ

駅の東側は農地が広がるが西側はビッチリ新興住宅街

旧河芸町役場(津市役所河芸庁舎)の最寄りであるが、近鉄の豊津上野駅からも近い

そして駅はといえば

駅舎に見えるが、ちょっと大きめの待合所。やや寂しい

駅前には河芸町のガイドマップがあった。立体的に描かれていて、なかなか立派なものだが、よく見ると役場は「河芸町役場」のままで位置も現在のものとは異なる。どうも津市となる前からのもののようだ。港を有していたこともあり、歴史的、地理的にも近鉄が有利となっていて商業施設を中心に考えると近鉄の2駅(利用者で圧倒しているのは千里駅)がともに町の中心となっている

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三セクの優等生・伊勢鉄道を全駅訪問5~車庫、本社のある中枢駅

玉垣駅の駅名標

※訪問は2023年5月20日

国鉄時代は唯一のすれ違い駅

玉垣駅に到着

当駅はご覧の通り、伊勢鉄道では唯一、ホームが島式構造。河原田~中瀬古間は三セク転換(1987年)後からしばらく経った1993年に、元々用意されていた用地を生かして複線化されているが、島式ホームはここだけ。ただ国鉄伊勢線時代から同線で唯一の列車交換可能駅だった

左に見えるのは車庫であり、伊勢鉄道の本社でもある。ホームに立つと

ちょうど車両のお掃除中。JR、私鉄を問わず全国各地で見られそうで以外と間近では見られない光景。見ていて飽きない

車庫の方を見ると、このような感じだ

本社はあるが無人駅

駅の周辺はビッシリ住宅街。西側には住宅街に混じって野球場や陸上競技場がある。東側に目を転じて幹線国道である23号線に向かっていくと道中にイオンタウンがあり、国道はいわゆるロードサイド店が並ぶ。もちろん駅周辺にも店舗は多い

側線が見られるのも、伊勢鉄道ではここだけ。保全用車両が停まっていた。車庫があるため、当駅発の列車も設定されている。途中駅では唯一の存在である

ただ本社があり、車庫もある玉垣駅だが実は無人駅。最初の写真で分かる通り、駅ホームには外からダイレクトで跨線橋を渡って入る

跨線橋には、このような注意。ホームへの跨線橋は線路で分断されている東西を結ぶには貴重な通路にもなっているようにも映り、現実に自由通路のように利用している地元の方の利用も見られたが、注意の対象はホームのようにも読めて微妙な表現ではある

こちらは縦式の駅名標。その下に注意書き。始発設定があるため、まれにホームが異なることもあるようだが、島式ホームなので問題ないだろう。また始発や終着の設定がある当駅は、構造上、追い越しができる線内唯一の貴重な存在でもある。7時59分の四日市行きは快速「みえ」の通過待ちをするようだ

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三セクの優等生・伊勢鉄道を全駅訪問4~門前町「東」の高架駅

東一身田駅の駅名標

※訪問は2023年5月20日

伊勢鉄道単独の南端駅

東一身田駅に到着。F1の話をしたばかりだが、気動車のエキゾーストノードも良いもの

ご覧の通りの高架駅。毎回のように書いているが、伊勢鉄道は国鉄伊勢線が高規格で造られたため、高架駅が多く、運行や周辺を行く歩行者、自動車の妨げにならないよう踏切もほとんどない。というか、1カ所あるのみ

そして中瀬古以南は単線ではあるものの、将来複線化できるようスペースも設けられている

お隣は津駅なので、伊勢鉄道単独駅では南端にあたる駅でもある。ただ南端といっても伊勢鉄道の単独駅同市で完結する列車の設定はない

3つのアクセス駅のひとつ

さて「東」が付くのだから、付かない一身田駅があるのではないかと思うかもしれないが、その駅は伊勢鉄道にはない。一身田はJR東海の紀勢本線の駅。紹介が遅くなったが、一身田は難読駅のひとつとして知られる。「いしんでん」と読む

そのJRの一身田駅

無人駅ながら華麗にして荘厳な駅舎を持つ(訪問は2022年3月)。紀勢本線の駅でも駅舎のバス停化は進むが、こちらの駅はおそらく大丈夫。一身田は真宗高田派総本山専修寺(せんじゅじ)の門前町だからだ。駅の開業は1891年と明治24年生まれ。現在の駅舎も1923年と大正12年からのもの。たまたま下校時で写真に生徒さんが写っているが、高田中学・高校の最寄りで利用者は多く、2021年のデータは1日2396人。利用者が多い時間帯などでは駅員さんが派遣される。ちなみに駅名は「いしんでん」だが、地名は「いっしんでん」。東一身田も国鉄伊勢線の駅として誕生した(1973年)ので「いしんでん」を採用している

一身田地区をはさむ形でJRの駅と伊勢鉄道の駅がある形

駅にも地図と説明があった

もうひとつの駅も

東一身田駅は一身田駅とは、あまりに対照的な無骨なコンクリート高架駅。国鉄時代から姿は変わっていないが、昭和40年代にこれだけの高架設備を造ったのだから、それはなかなかのものだと思う

駅舎と呼んでいいのかどうか、高架下の階段を昇っていくとホームに出る

ちなみに専修寺を目指すには、もうひとつ近鉄名古屋線の駅がある

東側にある高田本山駅。元々は「一身田町」という駅名で大正期に開業したが、間もなく現駅名となっている。こちらは専修寺からは離れる形にはなっているが、通学も含め、当駅の利用者も1日1413人。JRや伊勢鉄道に比べ、普通のみの停車ながら列車本数の多さが圧倒的に違う。現状では東一身田は他の2駅と比べると桁数が異なる利用者数となっている

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