青春18きっぷ

加古川線100年、阪神淡路大震災から30年~その1 新生18きっぷの旅は早朝から

谷川駅の駅名標

※訪問は2024年12月10日

早朝の尼崎駅からスタート

時刻は朝の6時前。冬至目前のJR尼崎駅前は真っ暗だ

手には改訂されて初めて手にする青春18きっぷ。たまたま18きっぷ期間の初日となったわけだが、それは今回の件とあまり関係ない。少しでも寒さがマシなうちに、というのが本音である。さらに言うと3日間利用のこの日がメインイベントであって、朝の時点では翌日と翌々日のことは考えていなかった。前日の時点では天気が悪ければ、訪問日を翌日か翌々日に変更してもいいと思っていたほどだ

前記事で三岐鉄道北勢線での自動改札機におけるオペレーターとの通話システムについて記したが、その時に例として挙げたJR西日本の同システムは尼崎ほどの大きな駅にもある。西口は有人だが、東口はほぼ無人状態で、ここを通らなければならないが、新生18きっぷはここでの面倒な作業は必要なくなった

とにかく6時1分の福知山線福知山行きに乗車して出発である

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多くの高校生でにぎわう

大阪から福知山に行くには、この列車が事実上の始発となる。福知山線のさらに早い便もあるが、宝塚や新三田止まりで福知山まで行かない。また時間が経つと福知山線は篠山口での乗り換えが必要となるため貴重な1本。過去何度乗ったか分からない。ただ4両編成という窮屈さで朝の5時台という時間ながら、かなりのお客さんがいる。今日は座れないということはないだろうが、18きっぷの最盛期は大阪から乗らないと着席に危険信号が灯る列車である

何とか座席にはありついて篠山口も通り過ぎて下車したのは

1時間半後の谷川駅。「たにがわ」ではなく「たにかわ」と読む

広い待合室がある。5年以上前に来た時は自販機が並んでいる場所が売店だったはずだ。待合室で多くの人がテレビを見ていた。今もテレビはあるようだが、訪問時は消えていた

それでも1899年(明治32)の開業で昭和初期に改築された立派な駅は多くの高校生でにぎわっていた。過去、高校生の記憶がないのは当駅訪問が週末ばかりだったからかもしれない。自宅からご両親に駅まで送ってもらう地方都市ではおなじみの光景

緑の窓口もあって一部の特急も停車する

にぎわうホームの片隅に

ただ私が用事があるのは

跨線橋の隣を抜けての切り欠きホーム

西脇市行きの電車が待っていた。100周年のヘッドマークが付いている。加古川線は昨年暮れの12月27日に100周年を迎えた。式典のニュースもテレビで流れていたが、厳密に言うと全通100周年で、野村(現西脇市駅)~谷川が開通して現在の加古川線の形となった。手がけたのは播丹鉄道という播磨と丹波から1文字ずつとった会社である。国鉄の谷川駅に間借りの形となった。それゆえ福知山線と加古川線の線路はダイレクトにはつながっていない

線路そのものはつながっているが、スイッチバックのような形をとらなければならないので旅客列車は直通できないのに等しい。それが問題になるとは、30年前の阪神淡路大震災まで誰も予想だにしていなかっただろう

加古川線ホームは現在、番線の数字も与えられず単に「加古川線のりば」となっているだけで、まるで別会社のようで現状を物語っているようでもある

30年前は多くの人が谷川線と福知山線の間にあるホームを慌ただしく行き来していた。今回は再確認の半日旅である

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2024年の降り鉄を振り返る(後編)

やってみたかった旅を決行

7月の1日から東京へ

一度やってみたかった「適当に旅をして飽きたらヤメ。現地でホテルを探す」旅を決行

品川駅を出発して常磐線、東北本線、IGRいわて銀河鉄道、青い森鉄道と乗り継いで青森まで。乗り鉄の方にとってはなんてことない作業でしょうが、とにかく1時間同じ乗り物に乗ると飽きてしまう体質の私にとっては大変なこと

東日本大震災前に足繁く通っていた時期もあるJヴィレッジに新設されたJヴィレッジ駅に降り立った時は感無量

青森まで到達した時は、それなりの感慨がありました

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この時に感じたのは都内のホテルのお値段。コロナ前にも都内のホテルの容量と価格に随分と悩まされましたが、東京五輪のおかげで容量は増えたものの、価格はさらに上がっている気がしました。そのおかげで7月以降、東京には一切立ち寄らず。来年に東京まで行く用事ができたため、早々に予約サイトをのぞいたところ、さらにめまいがするような料金になっていました。地元にいると気付かないものですが、大阪のホテル事情もなかなかのもののようです

7月の旅では、県庁所在地を避けて宿泊するという作戦が奏功し、かなりお安く宿泊することができました

帰って間もなく四国バースデーきっぷを利用。四国へはいつも旧交を温める目的が多いのですが、今回もその一環。以前から行きたかった伊予鉄の松前(まさき)駅は良かった

今年も宗谷本線がストップ

7月中旬以降、あまりの酷暑に青春18きっぷの連続使用記録ストップかと思っていたのですが、9月上旬に長野に行く用事ができたため購入して8月上旬に中央西線の各駅訪問。青空フリーパスからなぜか外れている3駅の訪問もこちらで消化できました

以降は猛暑で昨年に続き8月はどこにも出かけず、最終週に昨年に続いて北海道へ。昨年は大変な目に遭いましたからね。今年は昨年と違って無事に抜海駅から乗車…となったのですが、今度はそこから先が豪雨ということで先に行かない

抜海駅の撮影会となりました。その後はJR北海道が仕立ててくれたタクシーで名寄駅まで1時間半のタクシー旅という芸能人のような凄い体験(タクシー料金も見たことのない数字でした)。毎年ちょっとあり得ない体験をさせてくれる宗谷本線ですが、事実として残ったのは雄信内や南幌延という来春廃駅予定の駅へ行けなかったこと

特急「大雪」とのお別れをできたことだけが救い

考えてみれば去年も今年も何日間か北海道にいたその日だけピンポイントで宗谷本線が止まりました。前後は良いお天気。北海道旅の予定は1カ月以上前に組んでしまうのでさすがにどんな天候かまでは分からないのですが、この縁のなさはある意味凄い。実は10月の航空券タイムセールというのがあり、ラストチャンスにかけてみるか、と一瞬脳裏を横切りましたがやめておきました

そして6日間予定していた旅の台風進路がまずい、仕事に行けなくなると4日に短縮して慌てて帰ったのですが、過去に体験したことのないノロノロ台風は結果的には神戸・大阪はもちろん、北海道もほとんど影響なく本州の真ん中あたりで消滅するという、何のために日程を詰めたのか分からない結果となりました

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大糸線の全駅訪問

9月以降は行動が鈍っています

18きっぷの残りで、まだ紹介していない大糸線の各駅訪問そして紹介済みの大糸線増便バスに乗車しました

これまでは普通の景色だった南小谷駅での特急「あずさ」が見られなくなるとは、この時予想もしていませんでした。「とりあえず目の前にいるから撮っておくか」が鉄道にとっては大切なんだと痛感。3月まで現地訪問の予定はないので、これが最後の勇姿となりました

こちらもまだ紹介していませんが、10月は秋の乗り放題パスで大糸線の未回収駅の訪問。9月と同じく増便バスも利用して糸魚川経由で帰ってきました

こちらはすでに紹介しましたが、大糸線の非電化区間最初の駅である中土駅へ再訪。やはり良い駅です

10月後半は飯田線。つい先日まで記事をアップしていましたが、リニア駅の最寄りになるとされる元善光寺駅。リニア開業の際はどのような表情になっているのでしょうか

そして小和田駅。記事でも書きましたが、動物はもちろんのこと、昆虫やは虫類が苦手な方は冬場の訪問を強くおすすめします

11、12月はこちらは記事展開中の三岐鉄道の北勢線と三岐線の訪問。三岐線については、まだ全駅行けていないというか、あえて残している部分もあります。とにかく両線ともおもしろいのです

そして「新生18きっぷ」の旅は2本前の記事でも紹介した通り

自身にとって、来年の降り鉄のテーマは18きっぷの裁き方となっています

皆さんの2024年はどのように年でしたか。そして来るべき2025年が良い年でありますように

今年も1年ありがとうございました

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2024年の降り鉄を振り返る(前編)

仕事を始めて行動規模縮小

2024年も間もなく終わろうとしています。今年は年明けから少し仕事を始めたおかげで行動規模はやや縮小することになりました。それでも各地でいろいろな思い出を得ることができました。そこで駆け足ではありますが、今日そして明日で今年を振り返っていきたいと思います

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恒例の18きっぷ消化から

年明けは青春18きっぷの消化すら始まりました。毎年というか季節ごとにそうなのですが、18きっぷの最終日に向けてドタバタと旅を始めます。1月9、10日で広島県へ。呉駅で呉線の全駅訪問を完了させた後に三原で宿泊

翌日は福塩南線の全駅訪問を行いました。最後は久しぶりの高木駅。前回もそうだったのですが、自撮りに慣れていないとうまく撮れません。それなりに利用者のある駅ですから、電車の出発時間前になると人が集まってくる。「このオッサン何してんの?」と思われたでしょうね

2月はそう大きな動きはありません。滋賀県で食べた近江ちゃんぽん。チェーン展開しているこのお店が神戸駅にも出店していることを、かなり暑くなってから知りました。そろそろ行かなければ、と思っています

雪また雪

3月は新潟空港からスタート。まだ利用していなかった空港で、JALのタイムセールでチケットを確保。ただ地方空港あるあるで、飛行機が到着すると、空港バスが接続よくやって来るので本当に写真を撮るだけでした。この旅はある意味、2024年を決定づける旅になりまして

新潟市内は全くなかった雪が長岡あたりから猛烈に

宿泊した十日町は少し雪が積もっているな、という感じでしたが、翌日に新幹線全駅訪問の最後となった飯山を訪れた時は、目の前で雪がどんどん積もっていく姿を目の当たりにしました。北陸新幹線の敦賀延伸を目前に控え、暫定的にでも絶対に全駅訪問を達成しようという私的には価値ある訪問だったのですが、とにかく雪の印象が強すぎました

長野に移動すると雪はすっかり姿を消していてひと安心したのもつかの間、松本へと向かうと姨捨あたりから、また銀世界に。記事でも紹介しましたが、積雪の境目がこのあたりにあることが分かって興味深かったです

ということで松本では久しぶりの3月の大雪に遭遇して、たまたま手頃な電車があったからと雪の大糸線に乗車したことが今年を運命付けました。今年は何かと長野に通う1年になったのは、この日がきっかけ

帰って間もなくJR東日本のたびキュンパスを利用して

ガーラ湯沢を初訪問。3月半ばでこれだけの雪があることを地元では喜んでいらっしゃいました。新幹線のパワーというのは凄まじく

熊谷、宇都宮、那須塩原、新白河と寄り道したにもかかわらず当日の15時すぎには一ノ関に到着。平泉駅に立ち寄って一ノ関に宿泊した翌日からは18きっぷの登板。気仙沼からのBRT経由で仙台に到着。こちらもタイムセールで用意した飛行機で帰ってきました

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やはり18きっぷは広島

4月の声を聞いて18きっぷ消化は芸備線。過去に行ったことはあるが乗降ともにしたことのない駅に行ってみようと市岡駅へと坂根駅へ。市岡で2時間待ちとなりましたが、徒歩10分ほどの商店でお弁当がひとつだけ残っていて美味しくいただくなどして時間を潰せました。実は仕事がひとつ舞い込んできてスマホでのエクセル操作にかなり悪戦苦闘したことが時間つぶしの大きな要因でした

三次に宿泊して翌日は福塩線で未訪問の吉舎駅と河佐駅へ。朝から吉舎駅に行ったのはいいが、次の河佐への列車まで何と7時間の待機

安芸高田市の三江線代行バスで旧式敷駅へ訪問するなどして時間をつぶしました。前日の記事に書いたばかりですが、やはり広島県は18きっぷでした

今年一番印象に残った駅

帰宅してから行ったのは阪神電車の廃線跡巡り。阪神のしかも神戸市内に廃線があるなんて一般的にはほとんど知られていないと思いますが、50年以上前に線路の付け替えで廃線となった線路跡は今もくっきり残っています

4月は九州へ。延岡~宗太郎の1日1・5往復区間の全駅を無事に訪問。その後訪れた

立石駅。今は設備を持て余すほどの大きな駅。ひとつの役割を終えた駅というのは大好きなんですが、2024年では最も印象に残る駅となりました。そういえば阪和線の紀伊中ノ島駅の駅舎解体が話題になっているようですが、この後どうなるのでしょう

寒さに震えた北海道

5月の最終週は北海道へ。無事に予定していた行動を終えることができたのですが、とにかく連日寒かった。気温の10度台はそうでもないのですが、連日の風が強くて強くて。昨年の同時期にも北海道を訪れましたが、寒いと感じたことは一度もなかっただけに、ちょっと甘く見ていました。1日2・5往復の川端駅。周辺は意外と大きな集落で、レストランでお昼まで食べられたのは望外でした。道路交通のちょっとした要衝なんですね

6月はわたらせ渓谷鉄道そして宇都宮ライトレールに乗車

念願のひとつだった群馬県の「神戸駅」に行くことができて良かった。足尾駅周辺にサルさんがいっぱいいるとは知りませんでした

6月終わりは「青空フリーパスの券面に書かれた駅で唯一行ったこともなくて、どんな所かも知らない」木曽平沢駅を訪問。奈良井とある意味セットになっていることを知りました

列車遅延の関係で初めて降りることとなった倉本駅が素晴らしかった

かつて各地の登山駅で見られた山の情報板まで残っていて、これが後の中央西線の全駅訪問にもつながりました。大糸線と中央本線そして飯田線。今年の後半は長野県ばかりでした

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2024年を振り返る前に自身の「18きっぷ依存度」を診断してみました

早速の3日間利用

2024年も間もなく終わりです。本来なら、まず今年の振り返りなどをするところですが、10月に入ってビックリの発表がありました

早速、先日利用してみましたが、その振り返りとともに、今夏までの青春18きっぷは当ブログにも大きく貢献してくれたので、私的な依存度も自ら診断してみました

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お試し利用はすべて日帰り

こちらが新しい青春18きっぷ。変更点については上記に再録した過去記事を読んでいただくとして、とにかく1日3333円以上の元を取らなければなりません。ということで、今回やってみたのは3日連続の日帰り行脚

加古川線

湖西線

日生(赤穂線)のカキオコツアーで過ごしました。私の場合はバンバン途中駅で降りる上に逆戻りしてまた進むという行動をしょっちゅうするため、運賃的には簡単に元をとれます。日帰りとなると、なおいっそうで、100キロの壁となる1690円の区間を単純往復すれば、おつりが来るので問題ありません。ただ当然ながら日帰り区間というのは過去に行ったことのある場所ばかりになってしまいます。せっかく自動改札機を通れるのだから近場にしようという考えもありましたが「う~ん、なんだかなぁ」という部分は否めません。今回は加古川線に行くという明確な目的があった以外は思いつきに近いものでした。これまでのルールなら、まず加古川線をやっつけて、それから4回はどうしようか、思っていたはずですが、とにかく1度乗ると絶対に3日続けて使用しなければならない(1日や2日で1万円分使えれば回収したことになりますが)ので、いろいろ考える必要があります

変更時にも書きましたが、大阪から名古屋まで在来線のみで移動しても3410円なのです。途中、新快速があり、本数も多い区間ですが3時間かかります。3333円の壁はかなり高い。5日券だと1万2050園で1日2410円とハードルはグンと下がりますが、5日続けて利用できる、つまり旅ができるというのは、かなり恵まれた環境にある人でしょう。私自身は今回はお試しとして利用して側面が大きい

ブログ記事の貢献度はどうなのか

では自身がどれぐらい18きっぷに依存している(頼りにしている)のか、記事の本数を数えてみました(結構しんどい作業だった)。ブログを開始したのが2022年の9月。昨日までに619本の記事をあげていますが、18きっぷを利用した旅の記事本数は

200本

なんと3分の1の記事が「18きっぷ経由」のもの。新幹線の全駅訪問ではもちろん使用していないし、JRだけでなく私鉄や三セクの記事もあります。また私は過去一度も北海道で18きっぷを利用したことはなく、当ブログを立ち上げてからは四国、九州で18きっぷを使用したことはありません。それを考えるとものすごい数です

地域別のチェックまでさすがにしていませんが、パッと見た感じでは広島、岡山両県では18きっぷと秋の乗り放題パスの登板がほとんど。岡山県ではやくもに乗ったりするので必ずしも18きっぷとは言えないのですが、優等列車のない広島県では、この2種類以外のきっぷをほとんど使っていません。新幹線に乗る時はエクスプレス予約かe5489ばかりなので、JR西日本の広島支社というか、中国統括本部には全く貢献していません(笑)

これからは思い出に

数年前、18きっぷの旅をしている最中、こんなことがありました。1日に万単位の利用者があるかなり大きな駅でのこと。もちろん自動改札機のある駅です。改札を出ようとすると先客の方がムニャムニャ中。よくある光景ですが「参ったな」と待っていると、対応中の駅員さんとは別の駅員さんが私に気付き、対応中の駅員さんの背中越しに18きっぷをチェック。「どうぞ」と手で合図してくれたので、改札を出ると数メートル歩いたところで「お客さん、きっぷは!」の大声。先ほどまで対応していたというか、まだ対応中の駅員さんでした。同僚の駅員さんの行動が見えなかったのでしょう

振り返ると私も駅員さんも悪くはないのですが、あまりの大声というか怒鳴り声に周囲の人が一斉に立ち止まって私を見ました。利用の多い駅なので、相当な数です。さすがに私も「この人、不正乗車している」という目で見られることにイラッときて「後ろの人に見せた」と言いながら18きっぷを提示しました(後ろの人はいなくなっていました)

その駅については写真を撮っただけで10分後にまた改札に戻ってきましたが、当然のようにその駅員さんはまだ改札にいて、気まずい空気が流れました(笑)。もうこんなことはなくなります

考えてみると、このような小さなトラブルはしょっちゅう全国で起きたいたのかも。こんなことでも両者の対応の仕方によっては、大きめのトラブルになるかもしれません。また最初の入場時に改札でもらうハンコはインクがにじんで見にくくなることも多かった

高校野球の甲子園連続出場ではないけれど、もうどのぐらい連続で18きっぷを利用しているか、私自身も分からないぐらいになっています。春の18きっぷシーズンは何らかの作戦を練って臨むつもりです

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大糸線の増便バスに再乗車、キハ120と組み合わせる~その5 大糸南線で唯一の非電化駅

中土駅の駅名板

※訪問は2024年10月11日

国道は離れた場所を行く

中土駅の駅前

3年前は「交通 安全宣言」の向こうから南小谷駅へと向かう小谷村村営バスがやって来たことを覚えている

ただ交通安全をうたうほど車の交通量があるわけではない。いわゆる「塩の道」で大糸線とほぼ並行して走る国道148号は中土駅から離れた場所を走る

増便バスは駅前まで来て再び国道に戻るのにはかなりの回り道となるため、停留所は温泉施設「サンテインおたる」に設けられている。同所から中土駅までは1・2キロ離れていて徒歩なら15分以上かかりそうな距離である

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元は合成地名

駅名は、かつてあった中土村に基づく。これはいわゆる合成地名で「中谷」「土谷」の2つの地名の頭文字をとって村名にしたもの。1958年(昭和33)に北小谷村、南小谷村と合併して小谷村が発足した際に自治体としては消滅しているが、駅が開業した1935年(昭和10)はまだ中土村が存在した。ただし駅の所在地は南小谷村だった

村の中心地は徒歩なら小1時間ほど離れた場所にあったが、地形上、中心地に鉄路を通すことは不可能だったのだろう

こちらは駅舎内の様子。きれいにまとめられていてテーブルもある。こちらは少なくとも開業時のものではない。そしてきれいに清掃されている

かつての駅の写真が飾られている。戦争を挟み20年以上も終着駅だったことで写真にも重みがある。駅員さんの姿も写っているが

もちろん現在は無人駅。国鉄末期には無人化されていたがきっぷ売り場の窓口跡に

かつてホームにあったと思われるホーロー駅名標が保存されていた

きれいな駅舎内とともに地元の方の愛情を感じる

電化、非電化の分かれ目

駅前には商店そしてタクシー会社があるが、商店については現役ではない。たばこ店のホーローと遠くからも識別できる「たばこ」の文字はローカル線の定番である

再びホームに出る。時刻は10時を回ってきたが暑くなってきた。先ほどの商店前には自販機はある。冷たい缶コーヒーを買って白馬から着てきたセーターを脱いでバッグにしまう。2時間ほど前、一ケタの気温に白馬駅でブルブルしていたのがウソのようだ

島式ホームだが、平岩駅と同様に片側は役割を終えていて、と同時に構内踏切もすでに踏切ではなくなっている

大糸線では1957年(昭和32)の全通から間もなくして電化の機運が高まった。元より松本~信濃大町の信濃鉄道が敷設した区間はすでに電化されていたため、工事は延伸という形で進めめことができる。当初の目的だった国防の意義はなくなっていたが、温泉、登山、スキーと当時の観光の要素がすべてそろっていたため、国鉄によって敷設されたしなの信濃大町以北も電化して観光路線として強化することになった。工事は順調に進み、白馬(当時は信濃四ツ谷)までは早くも1959年に、翌年には信濃森上までが電化された。その後は少し時間がかかったが、1967年に南小谷までが電化。そして…と言いたいところだが、電化はここまで。現在の形となった

当駅も含め、大糸線の県境部分は数々の自然災害が発生した場所でもある。豪雨に山崩れ、地震。中土駅も豪雨で何度か水浸しになった。駅舎が新しく感じるのは、その度に修復が行われたからだろう。電化に伴う難工事と自然災害への危機感が電化の歩みを止めた。その結果、戦前に開業した松本から当駅までの大糸南線で南小谷~中土のみが非電化区間となった

かつては転車台もあった終着駅に現在やって来る列車はキハ120の単行。民営化時に電化区間と非電化区間で、かつての大糸南線で1駅だけ所属会社も変わることになるとは、電化工事がストップした時点では誰も考えなかったに違いない

2022年度の中土駅の1日あたりの利用者は2人となっている

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成り行きで大糸線の全駅訪問になってしまった話~雪景色旅のちょっとしたエピローグ

安曇追分駅の駅名板

※訪問は2024年3月7日

駅前食堂のある風景

前日からの積雪が残る大糸線沿線だったが、不思議なことに有明駅あたりから雪の量は減って当駅付近はかなり少なくなっていた。この後、松本まで戻ったが松本に近づくにつれ、残雪量は増えていったので、前日の雪は松本中心のものだったようだ

安曇追分の駅前風景。2軒の駅前食堂があった。のれんが出ているので営業中だと思われる。旧国鉄の駅というのは町外れに設置されることが多く、そこそこの都市でも駅を降りてみたら何もない、ということが多く、そんな中で癒やされるのが駅前食堂。ただその風景も失われつつある。お客さんはいても後継者がいない、というのが大きな理由のひとつのようだ

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なぜか私が

さて、なぜいきなり駅前食堂の話から始めたのかというと、安曇追分駅の駅舎内が「緊急駅前食堂」になったからである

前記事でも紹介した駅舎内の様子だが、実は写真はこの角度のものしかない。撮ろうにも撮れなかった。というのも私と同じ電車で下車したご婦人の3人組グループが持参のお弁当を広げて食べ始めたから。弁当といっても駅弁ではない。自宅で作ったものだ。もちろんお茶もペットボトルではなく水筒持参である。私も昼食のお時間だが、松本駅近くのコンビニで買った恒例のコンビニおにぎり。外は寒いので駅舎内でほおばる。同世代の男性1人、女性3人が駅舎内でランチタイムというシュールな光景。どこからどうというわけではなく会話になり、話を聞くと今日の朝、神奈川県からやって来たという。この駅近辺の一体どこへ?と尋ねると、ある施設の名前。名前だけなら私も知っているが、徒歩ではちょっと無理な場所だと推測できる上、そこって穂高駅からのバスがあるんじゃないの?

「どうやって行くのですか」と、おそるおそる尋ねると当駅からバスが出ているのだという。なるほど、で、バスは一体何時に?と聞くと

「知らない」

秒で答えが返ってきた。私のあ然メーターはあっという間に振り切れてしまった。そういえば駅前の停留所の時刻表なんて見た景色はなく、即お弁当を広げていた。「大丈夫?」と言うと「なんとかなるでしょ」の回答。もちろんここには観光案内所などないので、私が代わりに調べてあげた

「バスは次は○時○分発で降りるのは○○という停留所。ただ帰りは○時○分に乗らないと戻ってこられませんよ」

だが、出発のバスまではかなりある。「タクシーがあるでしょう」と聞かれたので「ここには常駐してないよ」。ついでにグーグル先生とナビタイム先生の両者による徒歩時間を調べると軽く1時間以上はかかるようだ。伝えると「わー、そんなにかかるんだ。ありがとう」とサラリ。決してつっけんどんな言い方ではなく、自然な感じだったので、それ以上私も突っ込まなかったし、とりあえず施設までたどり着けば、帰る方法は教えてくれるだろう

ただ私が感じたのは、ケセラセラ的な旅の原点である。私も成り行き任せの旅は好きだし、ブログ内でもケセラセラという言葉はよく使うが、さすがに列車の数がどのぐらいあるかは調べている。ましてや地方でバスに乗るとなると、事前準備は入念の上に入念である。今はスマホひとつあれば、沿線情報は入手できるし、タクシーも呼べる。自分の若いころはそうだったなぁ、と思った次第(ただ時刻表は必ず調べていた)

半年あまりでなくなったもの

松本まで戻ってしなのに乗り込む。あずさとの並びだ

手には大阪までのチケット。乗継割引の使用はこれが最後である。もちろん分かった上での購入

名古屋経由のしなのは数多くお世話になった乗継割引のひとつ。在来線特急が半額になることで、ちょうど駅弁代になる。これからは駅の立ち食いそば&きしめんで済まそう

こちらは前々日に新潟駅で買った青春18きっぷ。この時は新潟、松本、一ノ関、三ノ宮、三次と各地でハンコをもらったが、もうそれもできない。半年ちょっとで、長年私の旅を支えてきたものもすっかり姿を消し、ひとつの曲がり角を感じている

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成り行きで大糸線の全駅訪問になってしまった話~18きっぷ駅舎とホーム越しの絶景に旧駅名を思う

安曇追分駅の駅名標

※訪問は2024年3月7日

リアルすぎる駅舎と財産票

有明のお隣の安曇追分に到着。この日最後の訪問駅だ。大糸線では安曇野市には9つもの駅があるが、最も北にある駅となっている。市内には篠ノ井線の駅も2つあるが、ちょっと意外なことに「安曇」が付く駅は当駅ひとつしかない。ちなみにサムネ写真の駅名標で分かるようにローマ字にすると「azumi」で、こちらは安曇野市も同様に「azumino」だが、ひらがなにすると駅名は「あずみ」で自治体名は「あづみ」となっている

ホームは島式の1面2線。ただ写真で分かるように上り下りでホームは固定されていない。構内踏切の駅でよくある形式だが、すれ違いがない場合は、駅舎と反対側のホームを使用して遮断機ができるだけ降りないようにしている

その構内踏切を渡って駅舎に入ろうとすると、いきなりこのような文字のお出迎え。手書きの明朝体が凄い。否が応でも期待は高まる

そしてまさに期待通りの駅舎。当駅は1915年(大正4)の開業。有明から信濃松川(当時は池田松川)まで延伸された際に設置された

この後の記事を読んでくれなくなるかもしれないので、書くのに躊躇してしまうが大糸線の古い駅舎というのは、数が少なくなっている。元々、ホームと待合所のみの駅が多いのもあるが、この十数年で新しく生まれ変わったり簡易化したりで、この後の記事では年季の入った木造駅舎はほとんど出てこない。その分、こちらで楽しんでいただきたい

JR東日本の駅では見かける機会が減っている財産票が当駅には残る。ただ残ってはいるが判別不能だ。「昭和」の文字の下に、わざわざ「大正」と手書きされているので、もちろん張られたのは昭和になってからだろうが、張ってから竣工期を書こうとしたものかもしれない。「財産票そのものが財産」のたまにある例だが、開業時からのものだと判断しておこう

分岐駅の歴史と絶景

かつて当駅からは池田鉄道という昭和戦前に12年だけ運行された幻の鉄道が運行されていた。鉄道の来なかった池田町への運行を地元有志が担ったものだが、痕跡はほとんどない。わずかに駅舎側にあるホームらしきものの小さい土台がそうではないか、と推察できるぐらい

池田鉄道については、また別の駅紹介で行う予定だ

駅は現在、安曇野市による簡易委託で窓口は午前中のみの営業となっている。安曇野市は篠ノ井線の駅も含め、各駅で簡易委託を担って頑張っているが、それに応えた形になったのが、2022年春の青春18きっぷのポスターら当駅が選ばれたこと。安曇野市のHPによると、大糸線の駅が18きっぷのポスターに選ばれたのは初めてのことだったという

駅を出たところからホームの駅名標を写そうとしたら

いやいや、これは絶景としか言いようがない。昨日は曇天だったが、今日は晴天で北アルプスの山々が美しすぎるし、ホーム周辺の残雪もいい味付けとなっている

実は当駅は開業時の駅名は「アルプス追分」だった。しかし登山者にとっての最寄りは、お隣の有明駅で、間違って当駅で下車する登山者が多く、わずか4年で現駅名に変更されたという歴史がある。ただこうやって景色を目の当たりにすると、ここはまさにアルプス追分である

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成り行きで大糸線の全駅訪問になってしまった話~安曇野観光の拠点を譲った駅

有明駅の駅名標

※訪問は2024年3月7日

全ドア開閉は当駅まで

有明駅に到着。当駅も大糸線の中で知名度の高い駅である。松本から当駅までの列車は車掌乗務の有無にかかわらず、すべてのドアが開く。当駅を過ぎるとワンマン運転の列車は1両目の後部ドアから乗車、降車時は運転士のいる先頭ドアのみとなり、きっぷの回収と運賃支払いが行われる。列車によっては当駅まで車掌が乗車し、以北はワンマン運転となる場合もある。大糸線の列車は原則2両編成(JR東日本の電車に単行運転はない)。つまり松本~有明でドアをひとつにすると旅客が多く時間がかかりすぎると判断されていることになる。有明折り返しの列車の設定もある

有明駅は島式の1面2線。構内踏切で跨線橋はない。開業は1915年(大正4)。信濃鉄道が穂高から1区間延伸させて暫定的な終着駅とした柏矢町、穂高それぞれの項で説明したが、この年の1月に松本市(現北松本)~豊科が開業すると、6月に柏矢町、7月に穂高と1カ月に1区間のペースで延伸が行われ、有明への到達は8月。現在の信濃松川駅(当時は池田松川)まで延伸されたのは9月のことなので、終着駅としての働きは2カ月未満である

観光拠点としての役割

有明駅に与えられた役割は安曇野観光そして登山の拠点だった。開業当時、有明村があったが、駅の所在地は北穂高村。有明村とは、やや離れていた。戦後に両村は穂高町などと合併して新たな穂高町となり、同じ自治体となっているが(現在は安曇野市)、今も駅の住所は安曇野市穂高北穂高である。このような事情がありながらも有明駅となったのには、穂高の次の駅を北穂高とするよりも、著名な有明山にちなんだ駅名とした方が分かりやすいとの判断だろう

駅舎は木造で戦前からのもの。リニューアルはされているが、山小屋風の駅舎は変わらない。登山の拠点駅を意識したものだろう。駅舎の柱を支える石は重厚である

現在、定期的に大糸線に入る優等列車は1日1往復の「あずさ」だが、以前は多くの優等列車が東京からの直通列車として入っていた。さかのぼり始めるとキリがないが、最も著名なものは急行「アルプス」だろう。こちらはJR移管後も夜行便として残っていたが、新宿方面から中央本線をやってきて一部は松本止まり、一部は大糸線に乗り入れていたが、70年代初期までは穂高に停車する優等列車はなく有明停車だった。それが国鉄末期の80年代に入ると穂高への停車が始まり特急も停車するようになった。一方で有明に停車する急行はどんどん減っていった。バスも含めた観光拠点は穂高となり、大糸線の定期優等列車が1日1往復の特急となった現在、有明に停車する優等列車はなくなった

現在の有明駅は簡易委託駅。1日の利用者は有明駅が約400人、穂高駅が約2000人と大きく差がついている

それでも立派な駅名板が掲げられているのは、重責を担った当駅への敬意だろう

駅舎内にはリニューアル前の駅名板が残る

もう一度ホームへ。優等列車が数多く停車していた時代からの留置線が、かつての名残だが架線は残され、まだ現役。緊急時用に備えられているという

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成り行きで大糸線の全駅訪問になってしまった話~109年前は安曇野への唯一の架け橋

梓橋駅の駅名標

※訪問は2024年3月7日

車窓が下車の合図

柏矢町から5駅松本方面へと戻って梓橋で下車。この駅で降りた理由、それは車窓に見えたこの文字のため

当駅が安曇野の入口であることを示した木標。これを生で見るために降りた。例によって、この時点では何の予習もしていないので降車のモチベーションのすべてだったわけである

単式ホームの駅だが、かつては島式ホームだったようで、使用されなくなった片側ホームは留置線となっている

大糸線オリジナル駅のひとつ

当駅は1915年(大正4)の開業。大糸線の前身である信濃鉄道が豊科~松本市(現北松本)を開業させた際に設置された。現在この間の駅数は多い(というかかなり多い)が、スタート時は豊科と松本市以外は明盛駅(現一日市場)そして梓橋の4駅のみ。つまり大糸線のオリジナル駅のひとつw当駅は1915年(大正4)の開業。大糸線の前身である信濃鉄道が豊科~松本市(現北松本)を開業させた際に設置された。現在この間の駅数は多い(というかかなり多い)が、スタート時は豊科と松本市以外は明盛駅(現一日市場)そして梓橋の4駅のみ。つまり大糸線のオリジナル駅のひとつである

なぜ早々に駅が設置されたかというと

私の想像も入るが梓川の対岸にあったから。川を渡れば安曇野である。駅名はここに架かる梓橋からとられた。現在の梓橋は地図で分かる通り、県道にかかる橋を指すことが一般的だが、信濃鉄道が開通した時に道路の橋はまだなく、松本地区と安曇野地区を結ぶ唯一の橋は、鉄道の橋だった

ちなみに当時の所在地は「高家村」。戦後に豊科町となり、現在は安曇野市。今も駅の所在地は「安曇野市豊科高家」だが、読みは高塚と書いて「たきべ」と読む。交通として重要な梓橋があることで駅名になったのだろうが、普通に自治体名を冠していたら、屈指の難読駅となっていたかもしれない

ホームでリンゴを

梓橋の駅舎は真新しいもの

かつては戦前からの駅舎があったが、2015年に改築された

簡易委託駅でホームは森土の高台にあるため、大糸線では珍しく跨線橋ではなく地下通路から入る形。梓川の増水で鉄道橋が大きな被害を受けたため、1967年(昭和42)に橋の付け替えが行われ、ホーム位置もわずかに変化した

目につくのは、この案内板。ホームでの栽培といえば塩尻駅のぶどうが有名だが、こちらはリンゴ

残念ながら季節が季節でお目にかかることができなかったことが残念である

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成り行きで大糸線の全駅訪問になってしまった話~クラシックな駅舎にクラシックなホーロー

柏矢町駅の駅名標

※訪問は2024年3月7日

こちらも合成駅名

突然、大糸線の全駅訪問を目指すことになり

松本駅の大糸線乗り場へ。とはいえすでに11時になっていて、今日は15時ごろの特急「しなの」で帰宅するため、それほど時間はない。持ち時間の範囲で頑張ろう

松本から14キロ。約30分の電車旅。わずか14キロで30分も要するのは駅数が多いため。松本から9駅目。14キロで9区間もあるのだから、出発するとすぐ到着のイメージだ

ご覧のように1面1線の単式ホーム。右側に「いかにも」のスペースがあるが、かつては島式ホームだったらしい

かつての島式ホームの跡を利用したと思われるスロープで駅舎へと向かう。その駅舎はというと

どう表現して良いのか、いかにも「駅」である。最近見かけなくなりつつある1文字ずつ分離した駅名板がいい味を出している

開業は1915年(大正4)。松本と豊科を結んでいた信濃鉄道が延伸された際に設置された。豊科~松本市(現北松本)から開業したのが1月で柏矢町までの1区間延伸が6月。一時的に終着駅だったが、まさに一時的で1カ月後には穂高まで延伸。その後も続々と延伸され、翌年には信濃大町まで信濃鉄道としての全線が開通した

駅舎は開業時からのものとされる。ユニークなのは駅名で「柏矢町」という地名は当時も今もない

駅の所在地は「安曇野市穂高柏原(かしわばら)」。駅から近い2つの地名である「柏原」と「矢原(やばら)」を合わせて駅名としている。柏原駅といえば、近畿圏に3駅もあって、それぞれ微妙に読み方が異なることで知られるが、そのまま地名を付ければ、もうひとつの柏原駅が誕生していたかもしれない

ただ当時の所属自治体は西穂高村。戦後まで続いた自治体で1954年(昭和29)に合併して穂高町となっているが、それまで自治体としての「町」になったことはなく、なにゆえ「町」が付いたのかは調べても分からなかった。そもそも長野県内の自治体の「町」は「まち」が原則(唯一、阿南町のみ「ちょう」)で、柏を「はく」と読んだことも含め、私にとっては謎のままである

思わぬ発見

駅前には住宅街が広がる。単式ホームの駅とはいえ、1日に1000人以上と利用者も多い

安曇野市の簡易委託駅。安曇野市内の駅は篠ノ井線の駅も含め、営業時間は異なるものの、市の簡易委託でいずれも駅員さんがいる

そして

こちらは駅の窓口利用を促進する案内。来春にはIC乗車ができる区間となるが、駅の将来について現時点での発表はない

駅舎内では

「指差確認」のギリギリ残されたホーロー。いつからあるのかは分からないが、少なくとも10年20年というものではない。そしてもうひとつ

これはもっと貴重だ。思えば城端線の戸出駅で同じようなものを見た

戸出にあったものは「計量器使用事業場」で、やや文言は違うがおそらく同じ意味のもので、旅客の荷物を計る駅に与えられた認可のようだが、富山県から遠く離れた長野県で、ちょっと感動の再会となった

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