キハ40

氷見線の各駅訪問~古代より栄えた路線の最重要駅は「ふしぎなふしき」

伏木駅の駅名標

※訪問は2023年10月18日

※動画あり(音声注意)

越中国分からは徒歩移動

氷見線訪問の最後に選んだのは伏木駅。ただ1時間に1本というダイヤが日中も確保されている城端線に比べ、氷見線は昼間に2時間ほど運行のない時間帯がある。私が越中国分に着いたのは15時39分で、その時間帯は避けたつもりだったが、ここで40分待つと次は伏木で1時間待たないと高岡へ戻れない。ということで、その40分を有効に利用すべく伏木までは徒歩移動

といっても、それほど困難なことではない

ほぼ線路に沿った平坦な道路を20分ちょっと歩くといいだけ。最近は携帯アプリのおかげで迷うことなく目的地に行けるようになったが、そのようなものがない時代は道路と線路が近いかどうかで安心感が大いに異なっていた。そもそも何分かかるかは自分で判断するしかない。そんな経験が多すぎたためか、今も徒歩で駅間移動する際は、道路と線路が近いかどうかを判断材料にしてしまう。なお、朝から城端線をウロウロしていた私には、立山連峰が見えるかどうかの結論は出ていたので雨晴駅方面には歩かなかった

ということで、当然ながらほぼアプリ通りの時間で伏木に到着。重厚感漂う駅舎である

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古代より越中の中心地

駅舎には「ふしぎなふしき」と書かれているが、とにかく手前の郵便ポストがとても気になる

屋根に乗っかっているのは大伴家持さん。伏木は古代においては越中国の中心地とされ、国府が置かれた。歌人として有名な大伴家持が国司として赴任したのは746年。そのため万葉集には伏木をはじめとする歌が多く詠まれている。そのため付近の施設には「万葉」の文字が多く付けられている。周辺の住所には「国府」「一宮」といった文字が並ぶ。かつては伏木町という自治体だったが、戦時中に高岡市に編入となっている

駅前に義経と弁慶の像もある

詳細な解説があるが、渡し船を待っていた「おたずねもの」の源義経が身分を見破られそうになったところ、弁慶がとっさの判断で主人である義経をボコボコにして難を逃れたという通話に基づく。雨晴海岸と同様に有名な伝説である

伏木をさらに繁栄させたのは江戸時代になってから。日本海の物資運搬として知られる北前船の寄港地となり、重要拠点となった。氷見線の敷設はこの流れからのもの。中越鉄道が砺波平野の農作物を運搬するために現在の城端線そして氷見線を建設した。まずは伏木へつなげることが重要だとして、まずは1898年(明治31)に高岡~城端を全通させると、2年後には高岡~伏木が鉄路でつながった。伏木駅の開業も同時期の1900年(明治33)である。伏木から氷見までの延伸に12年も要したことは、これまでの記事でも書いてきたが、とにかく伏木の港への貨物輸送を行うことが最優先だったのだ

延伸計画もあった

このように栄えてきた現在の駅舎は昭和初期からのもの

駅舎には伏木観光推進センターが入居していて窓口業務を担当。みどりの窓口業務も行う(ただしe5489サービスの受け取りはできない)

島式ホームで側線を持つ

かつては貨物輸送でにぎわった当駅は現在、定期の貨物列車はやって来ないが、今もまだJR貨物の駅である

番線案内は字体や大きなローマ字併記の表記を見ると、かなり古くからのものが残されているようだ

氷見線を建設したのは中越鉄道だが、国鉄となってからは延伸計画があった。能登半島を横断して七尾線の羽咋駅までを結ぶもの。そうなれば、わずか14キロの盲腸線ではなくなっていたはずだが、こちらは計画だけで未成線にもならずに現在に至っている

氷見線とお別れする時が来たようだ。電光の案内標識は越中中川駅と同じものだが、音は随分と異なる。氷見方面がカーブとなっているので徐行するのか、けたたましく音が鳴ってから、列車の姿が見えるまで随分と時間がかかり、姿が見えた瞬間に音が鳴り止むというのも、また越中中川とは違うようだ

どちらかというと、こちらがオリジナルなのだろう。無骨な雰囲気も、また良しである

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氷見線の各駅訪問~路線内で最も若い駅は立山連峰へのワクワクポイント

越中国分駅の駅名標

※訪問は2023年10月18日

唯一の戦後生まれ

越中中川から越中国分にやって来た

ご覧の通り、棒状ホームと待合所のみの駅。城端線で何度も見てきた光景だが、駅舎のない駅は氷見線で当駅のみ。さらに言うと戦後に生まれ駅は越中国分の一駅しかない。他の6駅はいずれも中越鉄道によって設置されているので、国鉄によって設けられた唯一の駅ということになる

1953年(昭和28)の開業。最も若いといっても70歳を超えている。城端線の戦後生まれの駅と同じく、当初から旅客営業のみで貨物の実績はない。もっとも住宅地に囲まれた、このスペースでは貨物の取り扱いは無理というもの。国分は地名だが、近くにあった越中国分寺に基づくとされる

カーブ手前の「溜め」

越中国分駅の位置はちょっと独特である

高岡から内陸部を通ってきた氷見線は伏木を出たあたりで左へと急旋回。海岸と一定の距離を保ちながら、ここ越中国分まで来ると海岸に接近。列車が駅を出発すると、すぐ海岸に突き当たるような形になって、この後、海に沿って雨晴へと向かう。ここは氷見線の絶景ポイントだが、その意味で越中国分は「果たして立山連峰の美しい景色を見られるのかどうか」のワクワク感を停車中の列車で味わえる、いわば「溜め」の地点

ホームの先には海が見える。先端まで行くと、そこは海。線路に沿って道路もあるが、より海に近いのが線路となっている

高校生でにぎわう

こちらは逆向きの景色。立派なキロポストに「9」の文字だけが随分余白を残して書かれているが、高岡からちょうど9キロなのだ

当駅は県立伏木高校の最寄りでもあり、訪問の時間は15時40分。帰宅の生徒さんが集まり始めた

待合所に張られている縦の駅名標。最初はどのような形だったか分からないが、にじんだ文字が何ともいえない味を出している

掲げられている絵画については、ちょっと分からなかった

ホームから出ると、すぐ踏切。「旧」とあるが、おそらく奥の車が通れる踏切が新しいものなのだろう。こちらは車の通行ができないようになっていた

雨晴を手前に、ついつい素通りしがちな駅だが、ホームに降り立つかどうかは別として乗車中の列車から「溜め」と「ワクワク感」「ドキドキ感」を体感してほしい駅である

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氷見線の各駅訪問~路線ぶっちぎりの最多利用者を誇る駅は高校生の手によるもの

越中中川駅の駅名標

※訪問は2023年10月18日

※動画あり音声注意

城端線から氷見線へ

ちょっと古い話ばかりになってしまったが、ようやく近い話となる。時系列が飛び飛びとなってしまっているが、この日は早朝に家を出て

城端線の残る2駅を回収後、高岡経由で氷見線に乗車することにした。とはいえ7駅しかない氷見線なので、残る駅は3つ。目指すのは高岡のお隣の駅で、わずか1・7キロしか離れていない。しかも線路はグルリと回り込むようになっているので、ショートカットするように歩いても大した距離ではない

そして「乗車」と書いたが、駅到達の手段は列車でも徒歩でもなくバスである。徒歩以外では万葉線で近くまで行くという手段もあるが、ちょうど高岡の駅前から近くまで行くバスがあったので、そちらに乗車

待っていたのは随分とカラフルな駅だった

文教地区に設置の駅

カラフルではあるが、立派な木造駅舎である。開業は1916年(大正5)。1900年(明治33)に高岡~伏木が中越鉄道によって敷設されているので、15年以上が経って新たに設置された。当時の駅名は単に「中川」。現駅名になったのは国鉄になった開業の3年後。「中川駅」は私鉄も含めると全国に数あるが、奥羽本線の中川駅が明治生まれ。他のJR(国鉄)の駅は国名が冠せられている

駅の位置については駅前の案内図が分かりやすい

お城(跡)があって市役所、法務局、美術館、文化ホール。複数の高校がある。高岡の文教地区。駅があって当然の場所。中越鉄道の開業時は高岡の次は能町だったが、最初は近すぎると判断されたのか

そんな場所にあるため、利用者は氷見線で断トツ(高岡駅を除く)。2021年の1日あたり乗降者数は2542人。2位の氷見が1258人なのでダブルスコア。駅付近の3つの高校が大きく寄与していると思われる。訪問時は15時ごろだったが、朝のホームは大いににぎわっているのだろう

駅舎は地元高校生によるデザイン

駅舎は開業時からのもののようだが、駅舎のデザインは駅最寄りの高岡工芸高校の生徒さんによるもの

2009年からのものらしい

こちらはホームのイラスト

有人駅で「きっぷを持たずにホームへ出ることはできません。入場券代150円いただきます」と張り紙があるが、近い将来無人化されることが決まっている

デザインに同化するようにクラシックな「出口」案内があった

駅舎に掲げられた駅名板。こちらはJRでなくなっても、そのまま使えそう

利用は多い駅だが、設置時は「停留所」で今も単式ホーム。貨物扱いをしたことはない

15時ということで、そろそろ下校の時間になったようで駅にも高校生が集まり始めた。氷見行きの列車が実に軽快な音とともに入線してきた

入線の音楽とキハ47のきしむ音のアンバランスさがかえっていい。三セク転換後は入線音がどうなるかは分からないが、いつまでも聴いていたい音である

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城端線の全駅訪問を思いつく~戦後生まれの棒状駅からスタート

東石黒駅の駅名標

※訪問は2023年9月10日

1時間に1本の運行

高岡から約40分。東石黒駅が本日最初の訪問駅

こちらが当駅の時刻表

城端線は基本的に1時間に1本の運行で高岡~城端を走る。臨時扱いの観光快速を除くと、すべてが普通列車で、平日の朝のみ高岡からあいの風とやま鉄道に乗り入れて富山まで直通する列車が2本運行されている。話はそれるが、この2本は高岡~富山で見られる貴重な気動車ということになる。運用にあたるのは、いわゆる「タラコ」のキハ40、47

1時間に1本というのはローカル線では本数の多い方だ。元々はひとつの路線だった高岡からの氷見線は、城端線より少ない。前記事で記した通り、全体で14駅しかも30キロの中に詰め込まれているので全駅訪問はそれほど難易度は高くない。2キロにも満たない駅間もあるため、徒歩も駆使すれば次の列車に間に合ってしまう。もっとも訪問当日は9月10日と、まだまだ酷暑の日だったので、できるだけその手段は避けよう

駅の開業までは戦争をはさむ

東石黒駅は棒状ホームと待合所のみの簡素な構造

立派なキロポストがホームに建っているが、開業当初から現在の姿

設置は戦後の1951年(昭和26)。駅が造られることは戦前から決まっていたが、戦争をはさんで開業となった。駅の構造が旅客営業のみの対応なので貨物の運用は最初からない

駅名は1954年まで存在した東石黒村に基づく。東石黒村は福野町を経て現在は南砺市。ちなみに東石黒村があったのだから石黒村もあったが、こちらは戦後、福光町に入る形となった。ただし今はともに福光町

福野、福光の両駅は19世紀からの歴史があり、その中間に設置されたため、距離も近い

線路に沿って真っ直ぐ歩くと福野の街に入り、福野駅に着くことができる。線路とともに歩けるという駅巡りでは絶好のルート。ただ繰り返すが、この暑さでは歩かないのである

駅の全景はこんな感じ

自転車置き場があり

踏切横の小さな階段を昇ってホームに入る

ただし駅全体を見ると

その気になれば、小さな土手を上がると柵もなく容易にホームに入れてしまう、よく北海道で見られる構造。もちろん、それが合法的なものかどうかは不明。1日に50人ほどが利用する駅で、滞在中はどのような入り方、降り方を地元の皆さんがされるかどうか注目していたが、ちょうど朝の通勤通学の時間帯が終わったばかりで駅にやって来る人はいなかった。ずっとホームにいたのは明らかに同業者(鉄道ファン)で、なおかつ駅訪問を趣味としているであろう方と私の2人きりだった

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リベンジ岩徳線最終項~錦帯橋を眺めながらゴールへ

バス車窓からの錦帯橋

2022年12月28日12時20分

全駅訪問は分岐駅で

両端(岩国と櫛ヶ浜)を除く岩徳線の全駅、13駅目となった川西に到着しました。1日約1000人の乗降があり、13駅の中では最も利用者の多い駅(正確には岩徳線の単独駅ではなく錦川鉄道との共同駅ですが、管轄はJRです)。大きく寄与しているのは駅からすぐの岩国高校で、イメージ的にはいつも高校生でにぎわっています。学校は冬休みのはずなのに、お昼過ぎのこの時間、降りた私と入れ違いに多くの高校生が乗っていきました

ここから錦川鉄道と分岐するので0キロポストがホームに設置されています。当駅と柱野駅の間の山中にある信号所が正式な分岐点

駅名標は分岐駅のものとなっていますが「清流新岩国」が補強された形となっているのは駅名が御庄から変更されたため

ホームの名所案内。錦帯橋の最寄りは西岩国のようなイメージがありますが近いのはこちらで十分に徒歩圏内。今日は錦帯橋には行かないのでゴールの西岩国を目指します

川西~西岩国は1・9キロしかないのですが、錦川を渡らなければならないので歩くと遠回りする必要がある。ただ次の列車までは1時間あるので余裕もあるし、この時間帯は気温12度という天気予報通りのポカポカ気候になっていたので30分の徒歩は苦痛でも何でもありません。ちなみに錦川を渡った所のコンビニを西岩国駅とは逆方向に行くと錦帯橋はすぐ

最多利用者で錦帯橋の最寄りとは、とても思えない川西駅の全景。バリアフリーもなく山の斜面に設けられた単式ホームに階段で上がります。駅舎もありません

メインストリートである県道までは車がなんとか通れる細い道で結ばれていて駅前ロータリーもありません

幸運のち不運

西岩国を目指し歩き始めます。すると幸運が舞い降りました

バス!

実は事前に調べて川西駅から歩いていく道中のバス停で列車到着から6分後に西岩国駅近くを通って岩国駅に行くバスがあることは分かっていたのですが、駅からバス停まで5分ほどかかる上、駅で写真など撮っていたら、とても無理だとあきらめていたのですが、バスに遅れがあった様子。駅到着から10分以上経っていましたが、もしかして遅れがあるかな、とチラチラ振り向きつつ歩いていました。これはラッキー。もちろん乗ります

バスは一度錦帯橋に向かい、そこからUターンするような形で岩国駅へと向かいます。観光需要もあるのでしょうが、錦帯橋付近が旧岩国町の中心部だということも大きい。私も思い違いをしていたのですが、川と橋の写真だけを見て山中の秘境にある橋だと信じ込んでいる人は多い。考えてみれば岩国城はすぐそこだし、誰もいない山中にこんな立派な橋を造る必要はないですよね。錦帯橋の住所は岩国市岩国1丁目です

とにかく10月の経験が生きました

コースの逆を進んでいるのですから東錦見の停留所で降りればいいのです。バス停から5分も歩けばゴールです。これでこそリベンジだ、と意気込んで歩いていくと、屋根部分が先に見えて結果を知りました

あ然

今日は12月28日ですよ。工期はとうに終了していますが…

ふれあい交流館は開館日だったので話を聞くと、工事が遅れているとのこと。これだけはどうしようもないですが、結論からすると西岩国駅の立派な姿を見るというリベンジは達成できずに終わりました

中の部分の写真だけ撮って帰るとします。ただ全駅訪問というミッションは果たせたので、そちらについては良かったとしておきましょう

岩国までは錦川鉄道で。たった1区間ですが同社の観光仕様の列車に乗れて良かったです

岩徳線で惜しいのは、西岩国から川西に至る際、錦川の蛇行のおかげでギリギリ錦帯橋の姿が見えないこと。ほんの少しでいいので北側を走れば車窓から錦帯橋の勇姿が見られるし、駅から徒歩10分圏内で観光利用者も多かっただろうな、と思います。現状では錦帯橋観光は岩国駅からのバス一択に近い状況となっています

山陽新幹線の新岩国駅を設置する際、西岩国駅を通るルートも検討されましたが、すでに街ができていて工事が難しい上、遠回りになるとの理由で案は消滅したそうです

いろいろな意味で悲運だった岩徳線ですが、全駅訪問を終えた今は、いろいろな歴史を体感できた有意義なものだったと感じています

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リベンジ岩徳線その7~ハイライトは思わぬ形で

柱野駅の駅名標

2022年12月28日12時

無人駅中の無人駅での問い合わせ

柱野駅からの側道?かどうか分からない。真っ直ぐ行くと、かつては貨物ヤードだったかもしれない場所に行き着いて終わります。そんな雰囲気たっぷりの駅近くで写真を撮っていると、背後から「ちょっと聞きたいんだけど」との声。振り向くと明らかに70代以上と思われる男性。「どうしました?」と言うと

「ここで新幹線の切符は売っているんかな?」

絶句してしまいました

前回の記事でも紹介しましたが、いわば「無人駅中の無人駅」。駅舎もない。こんなところで新幹線のきっぷはおろか、きっぷなんて販売しているはずもない。そもそも「無人」なんですから

大変申し訳ないのですが、一瞬「大丈夫か?この人」と思ってしまいました

だが、ゆっくり話を聞いていくと、そうではないことが分かりました

この方、もともとは地元の出身なのですが数十年前に町を出て、今ははるか離れた都市に住んでいます。本当に久しぶりに里帰りをしたため、変わりすぎた沿線の様子が分かっていないのだとか

個人情報になるので詳細は記しませんが、車のナンバーを見ると、この付近では絶対見ることのないものです。車があるのに、なぜ新幹線のきっぷなのかというと、あまりにも遠いので業者に依頼して車だけを別に運んでもらい、帰りもそのようにする、という。確かにこのナンバープレートの所まで車で行こうとすると現在正午の今、出発しても日付変更線前に到着できるかどうか怪しい

ようやく会話の中身を理解した私。「玖珂は大きな駅だから売っているかな」と尋ねてくるので「いや、ちょっと確実ではないですね」とスマホを取り出す。土地勘がないので、この山中では何も分かりません。すると意外なことが分かりました

山陽新幹線の新岩国駅まで車で5分。そんなに近いとは知りませんでした。過去、新岩国には何度か訪れ、錦川鉄道の清流新岩国駅との乗り換えもしてきましたが、柱野駅との距離間は知らなかった。ただ考えてみれば柱野からすぐ東側に錦川鉄道との分岐となる信号所があり、柱野駅の前を流れているのは御庄川。清流新岩国の元の駅名は御庄なので、そのように思考回路を働かせれば納得です

「車にカーナビはありますか?」と尋ねると、ないというのでスマホの地図を見せ「川の向こうの道を真っ直ぐ行くと、すぐ新岩国に着きますから」と言って無事に道案内をすることができました

それにしても新岩国駅の開業は1975年と50年近く前。車を運転する年齢ではなかったことを考慮しても一体、故郷を離れたのは、いつのことなのかと思ってしまいました。ご本人は「大昔」と言うので、詳しくは聞きませんでしたが

散策で思いにふける

車が去った後、あらためて周辺を散策。川の向こう側まで行ってみます

駅の階段の屋根がかすかに見えます。ここにもバス停があって新岩国駅から錦帯橋を経由して岩国駅に行くバスがありますが、1日2本の運行しかない。逆方向は山中に入って行くので玖珂には行かないようです

どちらかというと駅側ではなく、川の反対側に民家は多いようです

御庄川を渡る橋梁が見えます。2つの橋梁を経て、さらに3キロものトンネルは昭和初期では難工事だったと容易に察しがつきます。あそこを渡るキハ40の赤い姿を写真に収めてダッシュしてもギリギリ間に合うかな、と一瞬頭をよぎりましたが、さすがにギャンブルはやめて駅に戻ります。それにしても、ここから5分で新幹線の駅に着くとは、ちょっと想像できません

あらためて駅を見ると無骨な駅名板に屋根付き階段、わずかに顔を出す構内踏切に駅名標と、なかなかの勇姿です

構内踏切の入口。警察官は来るのでしょうか?

再び構内踏切を渡る。融雪剤がここでもまかれていますが、もうそれが必要な気温ではありません

列車到着を告げる音がしました。ちゃんと機能しています。山陽本線のままだったら、通過列車もバンバンあったんだろうな、と思いながら列車に乗り込みます。柱野がいろいろな意味で岩徳線のハイライトになるとは予想していませんでした。全駅訪問まで、あと一駅

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リベンジ岩徳線その6~岩徳線イチの駅でした

柱野駅の縦駅名標

2022年12月28日10時

ゴールが決まっているゆえに

徳山にやってきた時点で岩徳線13駅(両端の岩国と櫛ヶ浜はのぞく)のうち未訪問駅は2。川西と柱野です。岩国側に偏っていますが、これは最初に「ゴールは西岩国にする」と取めごとをしたからです。10月に改修中の駅舎を見て膝から崩れそうになりましたから。今回の旅は岩徳線のリベンジでもあります

そのために

山陽本線で岩国まで戻ります。岩徳線は11時すぎまでないので山陽本線で10時8分に徳山を出れば11時15分に岩国に着き、同21分発の岩徳線徳山行きに乗ることができる(このダイヤは今年3月の改正で微妙に変わっていて徳山発10時11分→岩国着11時22分→岩徳線岩国発11時26分となっています)

岩国の乗り継ぎは6分しかなく途中、何かのアクシデントで山陽本線が遅延すると行程が完全崩壊するのでヒヤヒヤしましたが、無事に到着

5時間ぶりに岩国の岩徳線ホームに戻ってきました。すっかり明るくなっていますね。というか、もうお昼前で好天に恵まれ暖かい。すぐ出発だったので、その必要はありませんでしたが、風もなく待合室は不要な陽気でした

すごいものが続々

目指すのは岩国から3駅目の柱野。柱野で40分ほど過ごして岩国行きで折り返し川西へ。川西から西岩国までは徒歩30~40分と思われるので今日の気候なら、ちょうど良いでしょう

しかし、そんな先のことを考える余裕なんてないほど柱野では、いろいろと「見せて」いただきました

15分ほどで柱野に到着。1934年の全通時に開設。全通と同時に山陽本線となったので山陽本線の駅として誕生しています

駅は高台の盛り土というか山の斜面に造られています。当駅から徳山側へ1駅の欽明路までは岩徳線の中では最も長い6・7キロもあります。これは欽明路の項でも触れましたが3キロ以上の欽明路トンネルがあるからで欽明路が平成に誕生したことを考えると、もともとの駅間である柱野~玖珂は8・6キロもの距離がありました。トンネルのほかにも2つの橋梁があって岩徳線では最大の難工事だったことがうかがえます。この駅間にはバスもないので全駅訪問には、なかなかハードルの高い駅となっています

島式ホームの柱野はさすが山陽本線の駅として造られただけあって長い長いホームを有しています。そんな長い列車は今は走らないのでブロックされていますが欽明路トンネル手前の駅なので交換設備は残され、当駅ですれ違いを行う列車も設定されています

左横にはどこにもつながらない道路のようなものが見えますが側線があったようにも思える

年季の入った待合所がホーム上にありますが、手前に引き戸があることから以前は左側にも壁もしくは窓があったのでしょう。片側だけになった理由は分かりません

感心するのは、まだ早い

跨線橋ではなく構内踏切で改札に向かいますが

そこにあるのは駅名板。どう見ても本来の使い方ではないですよね。金網の上に掲げてあったものが時刻表を設置する際、完全に隠れてしまうことから、この位置に来た、いや置いたと考えられます

まだまだあります

階段を降りるとこのようになっています。勝間駅と違って屋根は残してもらったようですが、少し前の写真では階段の両脇は以前は立派な木が何本もあって森が階段を包むかっこいい形になっていたものが、今はきれいに刈り取られている。火事対策でしょうか

現在の駅としての施設はこれだけですが、以前はちゃんと駅舎があったようで駅前は大きな広場となっていて、さらには

池と庭園があった跡が。きっと緑も多い立派な駅だったのでしょう。少しずつ痕跡が残っているのがすごいなぁ、これは岩徳線でナンバーワンかも、と写真を撮っていると後ろから声をかけられました

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リベンジ岩徳線その5~考えさせられる現実

2022年12月28日9時40分

大混雑の車内

徳山に到着。エスカレーターに久しぶりの対面

時期は冬休みで朝の通学時間帯の高校生は少なかったのですが、朝の9時を過ぎて「おでかけ」の高校生で車内はあふれかえっていました。編成は単行の2両の2パターンのようですが、学校の休みなどは関係なく、いつも同編成になっているらしく私が高水からの徳山行きに乗車したのは9時過ぎ。その時点で単行列車はすでにギリギリ座れるかどうかの混雑ぶりでしたが、一駅ごとに大量のお客さん、ほとんど高校生のようでしたが、どんどん乗ってきて車内は大混雑

10月の訪問時の朝の通学帯についても触れました

この時は「バス転換なんて無理だろう」と思いましたが、今回は「これで廃線論議になるとしたら」と感じました。日本中のローカル線は、かなり乗っていますが、私鉄や三セクも含め、もっと閑散としている路線を数多く知っています。なかなか厳しいというか、いろいろ考えさせられる現実です

さて早朝に起きてコンビニおにぎり1個食べただけなので、かなりお腹が減ってきました。かなり活動してきた実感がありますが10時にもなっていない。岩徳線はここから2時間近く運行がなく、まだ朝食タイムということで

吉野家で朝食。一息つきました

無人化翌日の訪問

大混雑の岩徳線でしたが、半分以上の乗客がドッと降りたのは櫛ヶ浜でした。山陽本線との分岐駅で岩徳線はすべての列車が徳山まで乗り入れますが、帳簿上は岩徳線の終点はこちらになります。この日は櫛ヶ浜付近でイベントが開催された形跡はなく、高校生が大量に降りたのは、ここで乗り換えてショッピングモールに向かったのでしょう

その櫛ヶ浜についても触れておきます。訪問は前回、岩徳線を回った前日の10月2日

開設は昭和初期ですが駅舎は、いかにも昭和40年代の国鉄コンクリ駅舎

規模は大きくホームは3本もあります。ただし機能しているのは山陽本線の2面と岩徳線の4面

こちらは駅舎と一体となっている山陽本線の下りホームの駅名標

明らかに国鉄時代からのものと思われる古文字がいくつか残っています

こちらは岩徳線ホームへの案内

こちらは岩徳線ホーム

周南市のスポーツセンター最寄りで「津田恒美メモリアルスタジアム」の愛称を持つ周南市野球場も一帯にあって、各種イベント開催日は大いににぎわいます。この日はイベントの開催はなかったよう、と記したのは、そのためです。学生の利用も多い駅です

にもかかわらず

改札付近には「10月1日から無人駅」の案内が。つまり訪問は無人化翌日

これまでも無人となる時間帯はあったようですが、イベントなどで臨時の駅員さんが派遣される時以外、窓口が開くことはありません。1日に1500人ほどの乗降がある駅ですが定期利用が多いのでIC改札だけで十分と判断されたのでしょう。これも時代の流れですか

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リベンジ岩徳線その4~感謝

高水駅の駅名標

2022年12月28日8時40分

かつての終着駅

高水に到着しました。岩徳線は岩国側、徳山側から工事が進められ徳山側からは1934年3月に当駅まで到達。同年12月に全通するまでの間、終着駅となっていました。2003年まで存在した熊毛町の中心駅で、岩徳線単独(錦川清流線も含める)の13駅中6駅しかない駅舎があります

跨線橋から眺めると、かつては2面3線の大きな駅だったことが分かります

駅にはタクシーがいます。というか駅前にタクシーの営業所がある。私の訪問時間がたまたまだったのかもしれませんが、タクシーを見たのはこちらと周防高森、玖珂そして西岩国のみ

瀬戸内海沿いを走る山陽本線は高水の南側では山中を走っていて、最も北側となるあたりに高水は近い。島田駅には車で10分程度。1台にかかった声が聞こえたので分かりましたが、島田駅への迎えが出ていました。その時に地図を眺め、近いことが分かりました

駅舎は開業時からのもの。老朽化が進んでいることは否めませんが「高」「水」「駅」と、それぞれが立体化している駅名板は、なかなかお目にかかれません

JR移管後まもなく無人化されています。老朽化の進行は駅員さんがいないことも大きいと思いますが、立派な駅舎はあるのにお手洗いは撤去されています。その代わりに周南市が立派なお手洗いを設置してくれています。今回も寒いので何かと近くなるのですが、大河内、勝間そして当駅と周南市設置のお手洗いに大変お世話になりました。駅舎の古いトイレというと事実上、男性しか利用できないものが多いのですが、周南市設置のものはどれも立派なもので感謝の念でいっぱいです。お手洗いがあることで寒い中、駅前の自販機で缶コーヒーも安心して買うことができました

ツルのはく製

駅で目につくのは

ツルのはく製です。ナベヅルの本州唯一の飛来地(越冬地)であるツルの里の最寄り駅となっています(8キロ離れていますが)。各地にいたナベヅルが明治以降、捕獲の対象となり激減する中、熊毛町を経て現在は周南市の旧八代村だけが捕獲禁止として保護してきたそうです

周南市のホームページにはナベヅルの飛来情報が細かく更新されていて、今年は3月20日にすべてのツルが北帰行したとありました

駅前の観光案内のエリアは旧熊毛町のもの。「八代のツル」も記されています

この案内も山口県でよく見かけるもの。9時になって、ようやく日差しらしいものを感じられるようになってきました。全駅訪問も先が見えてきました。一度徳山まで出ることにします

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リベンジ岩徳線その3~豊臣秀吉も絶賛

勝間駅の駅名標

2022年12月28日8時20分

歴史を刻む

勝間に到着しました。もう8時半になろうとしているのに、まだ霧は残ります。霜はビッシリでホームの白いものは融雪剤だと思われます。それほど冷え込みが予想されたのでしょう

築盛の高台にある駅で見晴らしはいいのですが、お出迎えは今は使用されない向かいのホーム。現在は1面のみの使用

かつては2面だったということは、それなりの歴史があるわけで岩徳線の「初期」からのメンバー

今は立ち入ることができませんが、もともとのホームは長く山陽本線の駅らしいことが分かります

現在は平成の合併で周南市となりましたが、20年前までは熊毛町。その由来となったと思われる熊毛神社は至近

大内氏や毛利氏からも大切にされ、山陽道をたどって当地に宿泊した豊臣秀吉が「勝間」という地名を聞き「縁起の良い名前だ」と感心したという由緒ある場所。同日の設置となったお隣の高水駅とは駅間2キロちょっとと、当時としては短いのですが、駅の設置理由は納得できるものです

屋根まで撤去

高台のホームからは階段で外に出るのですが

外から見ると

こんな感じで実に寂しい。私は列車で到達しましたが、別の手段でここまでやってきたら大河内駅のように新設された単式ホームの駅かと思ったかもしれません

自転車置き場となっているあたりに、10年以上前まではJAの建物があり駅の待合室も設けられていたそうですが、今はなく周南市が設置した立派なお手洗いが建てられています(私的には大いに助けられたのですが)

さらに言うと事前に少し勉強したものとは何か違うというか違和感がある

その時は気づかなかったのですが、すでにJAの建物がなくなってトイレが建てられている最近の写真と比べるとホームに向かう階段にあった屋根が撤去されているのです

現在は階段を上った場所にあった駅名板は階段の入口にあり(同じものの流用かどうかは不明)、屋根をくぐる形で階段があったのですが、その屋根も撤去されている。そんなに古いものではないようですが、屋根までなくなると寂しくなりますね

それなりのにぎわいがあったと思わせるのはタクシー乗り場の存在。駅前が狭かったためか道路を挟ん向かいに設けられていますが、タクシーの常駐があるのかどうかは私の滞在時間では分かりませんでした

再びホームに戻ります。周辺は住宅街で、1日に300人ほどの乗降と、それなりの利用はある駅にもかかわらず、ちょっと寂しい気持ちになりました

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