弘南鉄道弘南線を行く~渋い駅舎が残る駅は引っかけクイズのような難読地名

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

※訪問は2025年7月11日

平賀の隣駅で弘前市との境界近く

館田駅にやってきた。車両は地元の高校によるラッピング列車

黒石側から見ると、黒石市、平川市と進んできた弘南線は当駅を過ぎると間もなく市境となる平川を渡り、弘前市となる。いわば市境の駅だ

スポンサーリンク

パッと見て駅名読めますか?

なかなか渋い駅舎が出迎えてくれる。当駅は1927年(昭和2)の開業。弘南鉄道が弘南弘前(現弘前)から津軽尾上まで開業した際に設置された弘南線の一期生である。駅舎はいつのものからかは分からないが、おそらく開業時からのものと思われる。そして何よりも駅名だ

ホーム側から見た駅舎に駅名標が掲げられるという特殊な構造により、答えは分かってしまうが、「館田」と書いて「たちた」と読むが、これは難易度が高い。あくまでも私的な推測だが、あまりの難読ぶりに、ここに駅名標を掲げたのではないか

ちなみにホームの駅名標はこちら。ローマ字、中国語、ハングルも含め「たちた」である。「たちだ」ではなく「たちた」というのも難読ポイント

またパッと見て「舘田だな」と思い込んで「たちた」と答えた方は正解だが、その場合は文字は「舘」となる。こちらは「館」である。今は人名を手書きすることがほとんどないので間違うことはほとんどないが、ワープロすらも登場していないころは俳優の舘ひろしさん、アナウンサーの古舘伊知郎さんを手で書く際は「館」と書いてしまう人が多かったが、逆の現象だ

そもそも路線内には村名に基づく「田舎館駅」がある。当該記事でも記したが、大館、角館など東北地方には「館」を「だて」と読む地名が多い。それに基づいて「だてだ」と読んでしまう人もいるかもしれない。すぐ近くに「だて」と読ませる駅を置いておいて、こちらは異なる読みという巧妙な引っかけ問題にもなっている(当然だが、そのようなことを考えて駅は設置していない)

一部が消えた駅舎

島式ホームのかたわらには側線そしてホーム跡が残る。貨物ホーム跡のようだ。当駅も昭和の終わりごろまで貨物扱いを行っていて、まだ40年ほど前の話。今は宅地になっているようだが、かつてのホームの上が新しい宅地という構造もなかなか分かりやすい。住んでいる方にその認識はあるのだろうか

こちらは駅舎の中。ベニヤで覆われた部分がきっぷ売り場と改札口だったのだろう。無人化されてまだ20年ほどなので跡がくっきり分かる

そしてこちらが駅舎の外観

駅舎の入口は正面を向いているのではなく線路と並行方向を向いている。JRも含め、たまに見かける構造だが、どちらかというと少数派。駅正面に広場が作りにくい場合にこのような構造になるが、写真で見た限りは駅正面に十分な空白がある。ちょっと不思議な感じもするが、実は駅舎右側の草むらになっている部分もかつては駅舎だったのだ。駅で働く人のためだったのだろう。2階建ての立派な建物だったが、無人化された後に撤去された。少し前の写真を見ると分かりやすい。それが横向きの出入口の理由である

難読の駅名から駅の構造、風格ともに強く印象に残る駅だった

にほんブログ村 鉄道ブログへ

にほんブログ村 鉄道ブログ 駅・駅舎へ

↑2つクリックしていただけると励みになります




      </section data-src=

SNSでもご購読できます。

コメントを残す

*