銀世界から盛夏へ移行した大鰐線の残り駅を回収~周辺は静かな路線の中枢駅

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※訪問は2025年7月11日

意外と訪問が難しい?

津軽大沢駅に到着。見て分かる通り、車庫を備えている。そして運行の管理も当駅で行う。つまり大鰐線の中枢駅。そして電車による乗下車が意外と難しい駅である

というのもほとんどの時間で1時間に1本の運行となっている大鰐線は当駅で列車交換を行うことが多い。もちろん長時間の停車ではない。つまり当駅で降りると中央弘前、大鰐のどちら側からやって来ても必ず1時間の待機が生まれる。もっともこれだけの施設がそろっているのだから、ウロウロしていると時間はあっという間に過ぎ去る。もっと言うと両隣の義塾高校前、松木平とは大した距離ではない

2区間歩いても45分。当駅から義塾高校前までは20分、松木平までも30分とどちらの駅に行くにしても次の電車を待っている間に歩いて到着できる

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車両所などが移転

当駅は1952年(昭和27)の開業。弘前電気鉄道が中央弘前~大鰐を開業させた時に設置された1期生の駅だが、最初から中枢の駅だったわけではない

弘前電気鉄道時代に車庫と本社が置かれたのは西弘前駅(現弘前学院大前駅)だった。転機は1970年の弘南鉄道への譲渡。翌1971年に車両基地が当地へと移転してきた。おそらく都心部の西弘前では手狭だったのだろう。現在も周辺は農地が多く、当駅の1日あたりの利用者数(2023年)は14駅中7位の55人と、そう多い方ではない(もっとも路線内で3ケタの利用があるのは中央弘前と大鰐のみである)

そんな現状を表すようにかつての窓口は閉じられた無人駅。運行をつかさどる駅でありながら、現状当駅を始終着の列車は設定されていない。現時点で設定されていないのだから、2028年春の廃線まで、おそらくこのままだろう。ただし当然ながら運行や車両基地に携わる駅員はいる

駅舎の横から車両基地方面へは道路となっている。途中、何の注意書きも柵もなかったのでズンズン奥まで進んでみた。現役生活を終えたであろう車両も静かに時を過ごしている

ちょっと変わった駅舎

あらためて駅舎。駅舎の存在そのものが少ない大鰐線だが、パビリオン風の千年駅、石川駅とは構造が違う。何より1文字ずつ主張しているような駅名板もここにはない。おそらく他駅は弘南鉄道に移管されてからリニューアルされたが、ここは1952年から同じ姿なのだろう

駅舎の向かいにある介護施設。その1階部分に「弘南鉄道利用者トイレ」がある。男女別のきれいなもので、路線内では貴重な存在だといえる

私が電車を降りると小学生の一団がホームで待っていた。乗る様子がないので「あれ?」と思っているとすれ違いを行う電車に乗り込んでいった。地方のローカル線というと、高校生が主人公なのは言うまでもないが、統廃合が進み、地域によっては小学生にとっても貴重な足だということを再認識。小学生のグループなのでホーム上はにぎやかだ。こんな光景も間もなく失われるのかと思うと、ちょっと寂しい気持ちになる

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