※訪問は2025年1月15日
文字通りの中心駅
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時系列は異なるが、北総鉄道の訪問駅紹介をしていきたい。降り立ったのは千葉ニュータウン中央駅。文字通り、千葉ニュータウンの中心地で周辺は住宅地や商業施設が並ぶ。2022年度の1日の利用者数は2万1451人。これは北総鉄道の全14駅(京成高砂)の中では第2位の数字。1位は新鎌ヶ谷駅の2万3188人だが、コロナ禍でやや落ち込んだ数字であり、新鎌ヶ谷より多く首位となった年もある。3位は東松戸駅の1万9213人だが、新鎌ヶ谷、東松戸という他路線との乗り換え駅ではなく、単独駅(厳密には京成の成田空港スカイアクセス線との共同使用駅で2路線が乗り入れているが、同じ線路と同じホームを使用している。写真は私が乗車してきたスカイアクセス線のアクセス特急)だけに、数字の多さが目立つ
正式には千葉ニュータウン鉄道の駅
当駅は1984年の開業。北総鉄道は成田空港スカイアクセス線で成田空港までつながっていることから、近年の駅と思われがちだが、当駅まで到達したのは昭和59年。鉄道の歴史と並行させるとまだ国鉄があった時代だ。昨年40歳の誕生日を迎えたことになる。印西牧の原までの延伸は1995年なので10年以上、終着駅だった
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そのためか前記事で紹介した印旛日本医大駅と比べるとクラシックな駅舎だ。そして、この駅舎を所有するのは「千葉ニュータウン鉄道」という会社である。施設のみを所有する、いわゆる第三種鉄道事業者となっていて、北総鉄道や京成電鉄はそれを利用する第二種鉄道事業者となっている
北総鉄道の京成高砂~小室は同社が建設にあたったが、小室から当駅を含む印旛日本医大までを敷設したのは「住宅・都市整備公団」と、その前身となる「宅地開発公団」。大都市近辺で宅地開発を行っていた、いわゆる特殊法人だが、当地においては千葉県の宅地開発の大事業ということで鉄道建設も行った。だから当駅の開業時の路線名は「住宅・都市整備公団千葉ニュータウン線 」という、新交通システムのような路線名だった。当時の北総鉄道は「北総開発鉄道」という、こちらも開発にこだわった会社名だったので、後に第二種鉄道事業者となったことで、1988年という昭和最後の年に京成高砂からの路線名すべてが「北総・公団線」に。その後、沿線の人口増が当初の見込みより鈍く、高額の運賃などもあって客足が伸びなかった公団は経営が苦しくなったため、京成電鉄が子会社化することになり、2004年に千葉ニュータウンが発足。路線名は現在の北総線となった。同年に北総開発鉄道も北総鉄道となった。なお住宅・都市整備公団は自社の車両も保有。現在も現役で走っている
新幹線駅の予定地は
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駅の周辺案内図。千葉ニュータウンの中心地らしく公共施設だけでも、かなりビッシリ書き込まれていて
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駅からは高層ビルや商業施設も見えるが、ふと見下ろすと
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背後のマンション群と比べると、ソーラーパネルがビッシリ並べられている違和感のある空き地がある。どう見ても鉄道の用地だが、これは成田新幹線駅のために確保された土地だ。成田空港(当時は新東京国際空港)と東京駅を結ぶ予定だった成田新幹線。東京駅は新幹線駅の施設を利用して京葉線の駅が造られているのは有名な話だが、空港~東京で唯一の途中駅として予定されていたのが、千葉ニュータウン駅だった。当地で現在の北総線と接続の予定で、当初の計画では北総線到達の前、新東京国際空港の開港となった1978年より前に新幹線の駅ができる予定だった。ただ新幹線は走ることなく、千葉ニュータウン中央駅は国鉄があった時代に開業したと先述したが、それより少し前となる1987年のJR民営化の際に成田新幹線は未成線となることが決定した
もちろん当時、ソーラーパネルによる大規模な発電所があったわけではなく、40年近く前に消滅した成田新幹線の計画そのものを知らない世代は、この空間をどのように眺めているのか、ちょっと考えてしまった
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