安房天津駅の駅名標

※訪問は2023年12月14日

お隣は安房鴨川

勝浦からグンと南下して安房天津駅に到着。勝浦からだと5駅目で約17キロ。20分ほどで到着するが、駅名で分かる通り、すでに上総の国から安房の国に入っている。外房線の「終着駅」である安房鴨川までもう1駅。ただし昼の時間帯は、すべての列車は内房線にそのまま入って木更津まで運行される(多くの列車は安房鴨川で長時間停車するので乗り換えとあまり変わらないが)

前記事の勝浦駅の項で千葉から大原まで延伸されてから勝浦まで到達するのに14年かかったと記したが、勝浦から南側の延伸も時間がかかった。地形的に平地が少なくトンネル工事などが必要だったからで、上総の国の南端である上総興津駅まで開通したのが1927年(昭和2)で、1913年の勝浦到達から14年。安房の国に入り、安房鴨川まで到達して全線開業となったのは、さらにその2年後。安房天津駅の開業も全通時の1929年だった。上総一ノ宮到達から30年近くが経過していた。時代は明治から大正を通り越して昭和へ。難工事だったことがうかがえる

元々は天津町

安房天津の駅舎。広くて大きい。特急停車駅ではない(前後の安房鴨川と安房小湊にすべての特急が停車する)が、規模は大きくコミュニティーセンターとの合築。JR移管直後に現在の駅舎となったようだ

駅の開業当時は天津町。天津町は1955年に小湊町と合併して天津小湊町となり、2005年(平成17)の平成の大合併で鴨川市となった。特急停車駅は安房小湊駅に譲ったが、かつての町役場(現在は市役所の支所)は安房天津駅が最寄り

役場近くが海で町の中心部。国道128号の旧道が町中を貫いている。天津は漁業で栄え、勝浦の記事でも述べた通り、紀州(和歌山)との縁が深い地域で、紀伊の国から黒潮とともに多くの漁民が移住してきた歴史を持つという。九十九里浜とは対照的に天然の好漁場となる外房のリアス式海岸は漁業で繁栄した

駅舎内の案内図が分かりやすい

手書きの地図に癒やされる

そんな安房天津駅だが、現在は無人駅となっている。国鉄時代に無人化され、簡易委託を経て再び無人駅となった

しかし地元の小学生による周辺地図もあって心はなごむ

駅構造は2面2線。10両編成に対応できるようになっているホームは長い

さて、いちいち念を押すまでもないことだが

駅名は「あわあまつ」である。普通に読めばたどり着けそうで、決して難読地名ではない。ただランチタイムを含め、ついつい聞き慣れた、言い慣れた言葉を…

そんな読み方があるはずがない、とわざわざ書いているのは、恥ずかしながら自分が一瞬、そう思ってしまったからである

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