※訪問は2020年3月1日
周辺は住宅街
雨晴からひとつ戻って島尾に到着。1面1線という、いわゆる棒状駅だが、かつては2線だった痕跡がある
次の駅は終点の氷見、ひとつ手前は雨晴と有名駅に挟まれた格好で、もちろんべるもんたも停車しない。多くの人が通過してしまうであろう駅だが、こんな駅こそこの目で見たい、訪れたいというのが降り鉄ならではの思考である
周辺は住宅街。駅舎は新しいもので、長らく1912年(明治45)の開業以来の駅舎が使用されてきたが、JR移管後の1990年(平2)に現在のコンクリート駅舎となった。すでに国鉄末期に無人駅となっていた…と書いていくと、有名駅に挟まれた普通の駅、と思ってしまうが、いろいろ調べると、実はちゃんと目的があった駅だったということが分かる
海水浴場を望む
島尾駅の駅舎は海とは逆側にある(それは雨晴も同じ)が、海側に向かうと間もなく海浜公園そして海岸へと出る
この島尾海水浴場が駅が設置された目的のひとつ
氷見線は城端線を敷設した中越鉄道によって建設された。伏木までは1900年(明治33)までに開業したが、そこから先は海岸沿いの工事だったこともあって12年の歳月をかけ、島尾まで到着。その半年後に氷見までの1区間が開業して全線開業となった(1912年の7月30日までが明治45年、以降が大正元年なので、島尾駅の開業は明治、氷見駅の開業は大正となる)。つまり半年間は終着駅だった
中越鉄道は風光明媚な島尾の海岸を海水浴場として開発、集客を図ろうと考えた。雨晴海岸と同じく立山連峰の眺望は素晴らしい。海水浴の季節はもちろん、そうでない時期もこの景色だけで集客が図れると結論付け、駅を設置し、海水浴場や遊園地の経営に乗り出した。レジャー施設と一体化した鉄道経営は、この時期のトレンドだったといえる
その「作戦」は見事に当たり、多くの旅客が島尾駅に降り立つことになった。海浜公園は遊園地の跡で、島尾海水浴場は現在も夏になれば多くの人でにぎわう県内屈指の海水浴場そしてキャンプ場となっている。千葉県の内房線各駅でも触れたが、道路事情も悪く、マイカーなどない時代は海水浴には鉄道で向かうというのが当たり前で、その旅客は収入の柱ともなっていたのだ
今はひっそりと
現在の島尾駅はひっそりしている。訪問時が海水浴やキャンプの季節とは、ほど遠かったこともあるかもしれない。現駅舎の完成時はすでに無人駅だったことは先述したが、事務室は設けられている
かつての栄華を物語るように駅の敷地は広くイベントで当地を訪れた中学生による記念植樹もされていた
駅舎は新しくなったが、屋根の上屋は以前のものが使用されているようだ。こんな歴史に触れながら、駅訪問を行うと「来て良かった」と思うのである。ちなみに現在の駅舎は海にちなんで船を模したものだという
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