越中山田駅の駅名標

※訪問は2023年9月10日

駅訪問の鉄則

油田から7駅進んで

越中山田で下車。7駅といっても17キロしかない。高山本線なら40キロほど進みかねないが、とにかく駅が多い。待合所が前々記事で紹介した東石黒と同じ形状で理解できると思うが、こちらも戦後の新設駅。棒状ホームと待合所のみの構造で貨物の扱いをしたことは一度もない

開業は1951年(昭和26)の8月10日。同日に東石黒駅そして東野尻駅とともに設置された。ちょっと意外だが、路線内で「越中」が付くのはここだけ

次は終点の城端。過去に訪問済みということや滞在時間が短くなることで今回は城端はスルーとしたが、ローカル線において終点駅の手前というのは駅を巡る上で重要。比較的早い時間に折り返してくることが多いので、ここで待つという手段もあるし、折り返しまでの時間を利用して次の駅まで徒歩で先回りすれば、2駅を回収できる

昨年は名松線の比津駅と伊勢八知駅を訪問した際、この手段を利用した

駅への手段が鉄道以外になく、徒歩もままならない時は、じっと待機。越美北線の越前下山という駅は、とても歩くような道路ではないので、そちらの方法を利用した

小学校の名前を残す踏切

もっとも越中山田駅については、1時間に1本の運行があり、両隣の駅までもそう大した距離ではないので、のんびり折り返しを待つことにする

隣駅は終点の城端ということで線路の先には山々が迫っている

駅名は1952年まで存在した山田村に由来する。駅周辺には集落がある。駅の開業翌年に福光町となり、現在は南砺市(富山県には、もうひとつの山田村があり、こちらは2005年まで存続。現在は富山市となっている)

こちらは駅の遠景。ホームへは踏切横の小さな階段から入ることになるが、その踏切をぼんやり見つめていると、気になる文字があった

「山田小学校」とある

踏切名も「山田小学校踏切」となっている。だが周囲に学校らしきものは見当たらない。調べると、かつて駅付近には、山田村立から福光町立となった山田小学校があった。明治初期から100年以上の歴史を持つ学校だったようだが、1981年に閉校となっている

「山田小学校のあゆみ」というサイトを参考にこの記事を書いているが、生徒さんたちは越中山田駅の清掃活動に取り組んでいたようでたびたび表彰も受けている。金沢鉄道管理局長からの表彰もあり、最後は国鉄総裁賞も受賞。ただし小学校のあゆみの次の行が閉校式だった…

閉校から40年が経過しても、新しい看板に更新されながら小学校は残っている

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