中央本線

青空フリーパスの木曽平沢ってどんなところ?~漆塗りのトイレを経て列車の空白を考える

木曽平沢駅の駅名標

※訪問は2024年6月22日

昭和生まれの楢川村の中心地

木曽平沢の駅舎。ご覧のように鉄筋コンクリートの造り

駅舎内で「漆塗りの町」を知ったので、駅名板の色合いにも納得がいく。背景の木の部分も同様だ。その横には「S35」(1960年)と記された財産票がある

木曽平沢駅の開業は1930年(昭和5)。両隣の奈良井、贄川が明治生まれなのに対して当駅はかなりの弟となる。先の2駅はいずれも中山道の宿場町なので先に駅が設けられた理由なのだろうが、この木曽平沢も江戸時代から漆器生産で知られた町だった。明治になって成立した楢川(ならかわ)村は当初、楢川、贄川の2駅を有していたが、後に村の中心地は木曽平沢となり、村役場も当駅が最寄りとなった。ちなみに旧役場を中心とした村の中心地は線路が通っているにもかかわらず、駅から若干離れていて、なおかつわざわざ高台に造られているよう感じるが、それは中央本線の容量が増えたことによって、駅のすれ違い設備が必要となり、500メートルほど名古屋寄りに駅を移動させたため

あくまで想像だが、かつての駅はこのあたりにあったと思われる。地図を見れば分かるが、このような歩き方をするとは思えないので実際は10分もかからないはず。また現在の木曽平沢駅の位置はグーグル先生の指定する場所は明らかにおかしい。ホームの端の駅名標の場所が指定されていて駅舎は私が印をつけた場所だ

それが1959年のことで現在の駅舎はそのころに建てられたもの。そしてこの500メートルというのは私の道程にはとても貴重なものとなる(後述)

なお楢川という村名は「奈良(なら)井」「贄川(かわ)」という2つの村名を足したもので、村役場はその間である木曽平沢に置かれた経緯があるという。その楢川村は平成の大合併で塩尻市となった

こちらは駅の運賃表だが、松本までわずか590円という金額で駅の場所がなんとなく想像がつく。この後も中央西線に何度か乗車することになるが、週末に松本へ出かける人々で車内は混み合っていた

目にとまった張り紙

木曽平沢の駅舎内で目についたものがある

うるし塗りのお手洗い。これはぜひ体感しなければならないだろう

駅から階段を降りると

公園がある。写真の通り駅を見上げる形となっている。この階段がグーグル先生から精度を奪っているのかもしれないが、そこに目的はあった

重厚な木造のお手洗い。この時の利用者は私のみだったが、トイレ内の写真をパシャパシャ撮るのは、マナーの面でどうかとも思えるので、実際に訪問して体感していただきたい

さてこちらは駅の時刻表。私は9時21分の塩尻方面行きでやって来たが、きっぷのルール上ここから先には行けないので中津川方面へと折り返すことになる。その場合は11時9分発で1時間半以上の空白がある。好天には恵まれていたが、さすがにうるし塗りのお手洗いだけで90分の時間つぶしをするわけにはいかない。ということで、この空白時間の有効活用を考えることとする

にほんブログ村 鉄道ブログへ

にほんブログ村 鉄道ブログ 駅・駅舎へ

↑2つクリックしていただけると励みになります

青空フリーパスの木曽平沢ってどんなところ?~いよいよ木曽平沢駅に到着

木曽平沢駅の駅名標

※訪問は2024年6月22日

薄いダイヤは工夫が必要

いよいよ木曽平沢へと向かおう。その前に中央本線のダイヤの概要を少し

こちらは上松駅の時刻表。前記事で触れた通り、私は名古屋方面からの8時23分の特急でやって来て、同47分の普通で木曽平沢へと向かう(後に上松駅では長時間の停車、いわゆる「バカ停車」が多いことを知って、ちょっと後悔した)。いくら予備知識なしで向かうとはいえ、ダイヤや駅間距離ぐらいは調べておかないと、旅程は立てられない

上松から塩尻方面へと向かう列車はほぼすべてが松本行きで1日2本(始発と16時台の1本)の当駅始発があるが、パッとみて分かる通り動脈ともいえる幹線のローカル区間のもので、通勤通学時間帯以外の昼間の運行が極めて少ない。中央西線は特急は1時間に1本の運行があり、ローカル区間では普通より特急の本数の方が多いぐらいだが、これも定番。名古屋近郊区間を過ぎると特急で名古屋から松本、長野へとお客さんを運ぶ方が重要なのだ

昼間の運行を見ると名古屋からの中央本線は、瑞浪までは1時間に3本が運転され、このうち1本が瑞浪止まり、残る2本が中津川止まりで本数は多い(種別はいずれも快速だが、通過駅は多治見以南のわずかな駅)が、問題はここから塩尻側で、岐阜県の境界となる坂下までは、たった2駅の区間運転があったり、長野県に入って最初の大きな駅となる南木曽までの運行もあるが、南木曽から塩尻側は上松駅のような時刻表となる。だから薄いダイヤをぬって各駅を訪問するには工夫も必要となる

高台の鉄骨駅舎で見たものは

ただ本日の目的はとにかく木曽平沢へと行くことなので、8時47分に乗車

線路の距離はほぼ30キロ。決して線形が良いとは言えない中央西線だが、駅の数も少ない上に、さすが電車のパワー。所要時間は34分

なお地図で見ると飯田線の線路が並行しているようにも見えるが、線路と線路の間は、木曽山脈の高い山々で簡単に往来することはできない

9時21分の到着

高台の2面2線構造

キロポストは東京からの距離である241・4キロを示すものだろう。お隣の奈良井は観光地としても有名だが、JR東海で最も標高の高い駅としても知られ、ここ木曽平沢駅も標高900メートル超。上松駅も標高700メートルと高地の駅だが、電車によって200メートルも登ってきたことになる

ということで駅舎へと向かう。こちらも上松と同じく木造駅舎ではないようだ

無人駅ということは分かっているというか、容易に想像できていた

ちなみに週末の当駅で下車したのは私だけ。展示があったのでのぞいてみる。ガラスに反射して展示物の写真はうまく撮れなかったが、より分かりやすいものがあった

なるほど、こういうことだったのか。青空フリーパスの限界駅であることのナゾがほぼ解明できた瞬間だった

にほんブログ村 鉄道ブログへ

にほんブログ村 鉄道ブログ 駅・駅舎へ

↑2つクリックしていただけると励みになります

青空フリーパスの木曽平沢ってどんなところ?~森林鉄道と寝覚の床

上松駅の駅名標

※訪問は2024年6月22日

気になる車内アナウンス

上松駅に到着。意外と初見では読めないプチ難読駅は上松町の代表駅。駅名はかつての上松宿に基づく。朝夕に上下1本ずつ、1日に計2往復の特急が停車する。その朝の長野行きに乗車すれば、20分後にやって来る塩尻方面への普通に乗ることができる計算だ。このあたりは幹線の電化区間とはいえ普通のダイヤは薄いので特急をうまく使えば効果的に乗ることができる。青空フリーパスならではの芸当

材木の森林事業で古来より栄えた。江戸時代は尾張藩の重要な財源だったという。いわゆる名所案内も木製でお出迎え

ここにも書かれているが

跨線橋にも書かれている「寝覚の床」

こちらの名所案内にも一番上に書かれている寝覚の床とは木曽川が岩を浸食しながらできた景勝で、名称については千年以上ここに住んでいた翁の伝承から来たという説や、竜宮城で良い思いをした浦島太郎が目覚めて現実に戻った場所という説もある

特急「しなの」に乗車すると、ときおり車内アナウンスによる紹介がある。進行方向に向かって左側。ただ以前は木曽川そのものが急流で、水位も高かったが、治水によって平素の川は穏やかになり、姿は変化しているという。一見するとゴツゴツ岩が並んでいるだけなので、寝覚の床というロマンチックな名前とのギャップによって分からないこともあるため、通り過ぎた際は再びアナウンスが入る

火災によってコンクリ駅舎で再建

いわゆる中央西線には古くからの木造駅舎が多く残るが、ここ上松駅は1910年(明治43)の開業で、木材の町として栄えてきたにもかかわらずコンクリート駅舎となっている。これは1950年(昭和25)に町で大火があり、駅舎も全焼したため

財産票によると翌年にコンクリート駅舎として再建された

上松駅は木曽山中に400キロにもわたって張り巡らされた木曽森林鉄道の拠点のひとつだった

こちらは解説文。役割はもちろん木材の運搬だが、旅客輸送も行っていた。その代替バスは現在も上松町を走る

材木の町ながらコンクリート駅舎となってしまった上松駅だが、駅の至るところに木材でアピールされている。駅に着くと最初の木製の名所案内に始まり、ラッチも木製で「ようこそ」の歓迎板も木製

きっぷ売り場も木材のアピールがある

駅前の観光案内所も木造である

なおJR移管後に全線きっぷ売り場(みどりの窓口と同意)が設置されたが、現在は簡易委託駅となっている

現在は秋場所中ということで、こちらの写真で上松駅を締めくくろう

にほんブログ村 鉄道ブログへ

にほんブログ村 鉄道ブログ 駅・駅舎へ

↑2つクリックしていただけると励みになります

青空フリーパスの木曽平沢ってどんなところ?~早朝出発で気になる駅へ寄り道

中津川駅の駅名標

※訪問は2024年6月22日

唯一の「知らない駅」

朝6時前の名古屋駅。最も日が長い時期なので、すっかり明るい

6時13分の中津川行きに乗車する。中津川より北に向かおうとすると名古屋からは、この電車が一番早い。もっとも7時発の特急に中津川のすぐ先で追い越されてしまうのだけど

手には過去何度もお世話になった青空フリーパス。週末は通年販売されていて当日購入も可。もちろん、このブログにも何度も登場している。JR以外は伊勢鉄道が利用できるのがミソで、伊勢鉄道の全駅訪問もこのきっぷで行った。高山本線の全駅訪問や参宮線、記事化していないが武豊線全駅訪問にも登板している

利用エリアが広いことが特徴で、名古屋から飯田に行って帰って来られるのか?と思ってしまう。それぞれの方面の限界はきっぷに明示されているが、こうやって見ると終着駅、乗り換え駅、JR西日本との境界駅が並ぶ。当然だが知名度の高い駅ばかりだ

と、その中に少なくとも全国的な知名度はどうかという途中駅が2つ。きっぷで見ると東海道本線の二川駅そして中央本線の木曽平沢駅。二川は豊橋の東隣の駅で、かつての宿場町。ここまでが豊橋市となっていて、最初にJR東海がIC乗車券「TOICA」を導入した時の限界駅だったという歴史がある。JR東海では青空フリーパスと同趣旨の「休日乗り放題きっぷ」を発売していて、こちらは豊橋以東のJR東海区間がフリーエリアとなっている。二川は両方のきっぷが利用できる緩衝地点のようになっていて、もちろん下車したこともある

そしてもうひとつが木曽平沢である。私が無知なだけなのかもしれないが、全く知識がない。ちなみにひとつ手前が観光地としても有名な奈良井宿で知られる奈良井駅である。奈良井が限界駅なら、このような疑問は持たないだろう。もっと言うと、木曽平沢以北はたった3駅挟むと塩尻で、ここからはJR東日本エリア。つまりはJR東海エリアでありながら、青空フリーパスで行けない駅が3駅のみ存在する不思議。これはぜひとも解明したいと名古屋前泊の旅となった

「ならでは」の特急乗車

電車は1時間20分で中津川に到着。当駅は中央本線における名古屋近郊区間の北限的な意味合いを持つ。名古屋からの普通及び快速は必ず当駅までで運行は分断される。また当駅を境に運行本数がガラリ変わる

そして

中津川からは特急ワープを利用。ワープといっても特急券の追加だけで乗車できる。青空フリーパスの特徴として在来線特急に乗車する際は、乗車券は有効で特急券だけ買えば良いルールがある。これもいろいろな路線で活用してきた

目指すは上松。木曽平沢に行く前に降りてみたい駅だった。時刻表を見ると上松まで特急利用すると後続の普通にスムーズに乗り継げる。そしてご覧の通り、自由席特急料金は50キロまでなら660円と安い。乗車した「しなの」はもちろん名古屋始発で、乗車した普通よりも約50分遅い7時発。ゆっくり名古屋から乗車しても良いのだが、それだと自由席特急料金は1440円もかかってしまう。ここは800円ほど節約しよう

上松までは特急で約30分の道中となる

にほんブログ村 鉄道ブログへ

にほんブログ村 鉄道ブログ 駅・駅舎へ

↑2つクリックしていただけると励みになります

川岸駅、今のうちに

川岸駅の駅舎

2月に中央本線川岸駅の駅舎改築が発表されました

20230208_na01川岸駅-1

完成予想図も描かれていますが、現在よりも簡易なものになることだけは間違いありません

駅が100周年で簡素化というのも、よく分からないのですが、早めに告知してくれるだけありがたいことではあります。5月から工事に入ると記されているので4月中には訪れたいところです

同駅については昨年10月に訪れました

JR東日本の駅でありながら、やって来るのはJR東海の車両ばかり。中央本線の駅でありながら、やって来るのは飯田線の電車ばかりと、駅そのものも、なかなかユニークなのですが、それ以上に長い歴史を持つ駅舎があります

周囲の雰囲気もとてもいい。この時はJR東日本は新幹線も特急も乗り放題というフリーパスを持っていて「18きっぷでも十分じゃないか?」と半ば思いながら、中央本線の旧コースの駅を意地になって回りきったのですが、今となっては良かった、と思っています

岡谷から1駅なので、それほど難易度は高くありません。ぜひ訪問を

にほんブログ村 鉄道ブログへ
にほんブログ村

にほんブログ村 鉄道ブログ 駅・駅舎へ
にほんブログ村

終日の沼にはまる~トリを飾るのにふさわし過ぎる駅だった

信濃川島駅の縦駅名標

2022年10月23日16時30分

降りたのは私一人

中央本線の新線と旧線の環状線。ようやく最後の駅

正確には16時36分で降りたのは私一人。というより、手前の小野でほとんどの人が降りてしまいました

もう少しいい角度の写真を撮りたかったのですが、ご覧の通り黄色い線がここ。ホームが狭くて角度がつけられない。そして駅名標が2つ並んでいます

川岸にも残っていた旧式のものと

観光仕様のもの。わざわざこれが作られた理由は分かりませんが、JR東日本のすべての駅にある標準的なものは設置されていません。というより、2つ並べて置かれることの方も珍しいのですけど

ホームからの景色は

こんな感じで自転車置き場がポツンとある以外は、何もありません。ただ目の前の国道153号は塩尻と伊那を結ぶ重要道路なのでひっきりなしに車が往来します。生活音は全くなくエンジン音だけが響くローカル線の駅でよく見かける光景だといえます

ただここまでは車窓からも見られる。この後、私はひたすら感嘆することになります

驚きの連続

当駅の住所は辰野町大字上島。まとまった集落ははここから南へ10分ほど歩いたところで上島の街はさらに南側にある。両隣の辰野と小野が明治の敷設時に開設された駅であるのに対し当駅は戦後10年が経ってから。辰野と小野のちょうど中間点に設けられていて上島の集落に接した場所に駅を作ると辰野までの距離が近すぎて運行上、あまり役に立たない(すれ違いがしにくい)と考えられたとしか思えません

自転車置き場にはポツンと1台。これはホームから見て分かりましたが、ホームへの階段の向こうにポッカリとトンネル。入ってみます

ホーム下のトンネルをくぐるとすぐ右手の階段を昇るようになっていて、すでに撤去されたホームへ向かうのですが、そこには何と

駅舎があります。一瞬、物置か倉庫かと思いましたが、奥には電話ボックスも見えるので、これは駅前ロータリーなのでしょう

ちゃんと駅名板もあるし

もちろんドアも開いて中もきれいに掃除されています。椅子も設置されているので駅舎です。というか正確には待合室なのかもしれません

振り返るとこんな感じ。駅舎(待合室?)側にはかつてホームがあり2面2線構造だったのですが撤去されてしまいました。ホームの撤去はよくある話ですが、普通は駅舎側が残される。その意味では驚きです

ちなみに駅舎側もひたすら農地で、民家がポツン、ポツンと見えるだけ。なぜこのような構造になったのか不思議ですが、個人的な推測としては国道153号の源流となっている三州街道の旧道は、この地点では駅舎側を通っていて、駅の設置時点ではこちら側に比重が置かれていたのではないかということ。そのうち153号側が重要になっていき現在のホームが残ったのではないでしょうか。国道まではロータリーというより小さな未舗装の道があるだけだもの

ある意味の斬新さ驚いて再びホームに戻ります

駅舎が逆側にあるということで時刻表はホーム入口にあります。形状からすると駅名標だったのでしょうか。奥に待合所も見えますが、その位置まで車両が到達することはなさそう

さらにこの駅にはキロポストが2つあって驚く

岡谷からの13・9キロの下の部分が消えてしまったのか

ホームの勾配標の向こうにはもうひとつキロポストがあって、こちらは新線ができる前からのもののようですが東京駅からの距離とは微妙に合いません。神田からのものでしょうか

ちなみに現状、中央本線で唯一、すれ違いのできない駅となっています。また利用者ですが、私の使用している資料だとデータなし(汗)。ウィキペディアには乗員8人と記されていたので乗降16人ということになります。17時4分発の電車がやってきました。私はこの30分間、駅を独り占めです

生活音のない中、アナウンス音だけが響きます。電車は既に点灯。これに乗らないと大変というか、ちょっと夜の当駅にポツンと一人1時間半は怖いかも。秋の陽が落ちるのは早く、東塩尻信号場付近ではもう真っ暗で何も見えませんでした。思いつきから終日の新線旧線環状線の沼にはまってしまい、モバイルバッテリーも残り0%になってしまいましたが、最後の最後で良い光景に出会えました。とても満足です

にほんブログ村 鉄道ブログへ
にほんブログ村

にほんブログ村 鉄道ブログ 駅・駅舎へ
にほんブログ村

↑2つクリックしていただけると励みになります

終日の沼にはまる~塩尻の思い出

10月23日15時30分

懐かしい写真

再び塩尻駅へ戻ってきました。今日、塩尻のホームに降り立つのは4回目です。朝の10時に着いて、そこから6駅を訪ねるのに5時間半が経過してまだ終わっていない。岡谷については特急利用しているにもかかわらずです。実に効率の悪い行動をしている。もっと早く新線と旧線の環状線回りを思いついていたら、本数の多いみどり湖は後回しにするとか、いろいろやりようはあったのでしょうが、しょうがない。ここで50分の待機

塩尻駅というば、ここですよね

日本で唯一のホームぶどう園。ただ長大な塩尻駅のホームの端にあるので自分が利用するホームが別だと結構遠い

私が初めて塩尻駅に降り立ったのは今から30年ぐらい前のことでした。駅を降りたら相当な積雪。翌朝の仕事に備えて前日夜に入ったのですが、雪の中の業務でかなり大変でした。ですから鉄道関連の思い出は全くありません

次に訪れたのが、それから20年近くが経過した2011年の9月。この時は休暇で新宿からあずさに乗って小海線をウロウロして諏訪湖近くに宿泊。翌日は松本に泊まって塩尻まで戻って今回主役の旧線を経て辰野に行き、ひたすら飯田線を南下。途中で疲れてしまって飯田に宿泊しました

その時、塩尻で乗車した電車は今も明確に覚えています

郵便車を改造したクモハ123系。今は宇部線や小野田線の運用として有名ですが123-1から123-6までがあり、新線ができて旧線が支線扱いになった時にやってきたのが、この123-1。そのままJR東日本の所属となりました

ただそんな事情は後から知ったことで、いきなり目の前に現れてビックリ。今は技術が進んでいますが、当時は電車というのは床下に入れるものが多く最低単位が2両とされていた中、郵便車を改造して1両単行として宇野線で走っているのは高松に住んでいた時に見ていましたが、JR東日本が1両だけ所持しているのは知らなかった

2から6までは今も宇部線や小野田線で現役のはずですが、トップナンバーのこちらは今はありません。フォルダを引っかき回しても、この写真しかないということは1枚しか撮っていなかったのかも。もっと撮っておけば良かった。今としては惜しいことです

待合室では120周年のちょっとした写真展が行われていました

こういうものを見ていると時間はすぐに潰せます

帰路も決定

そして帰還コースも決まりました。朝の時点ではいろいろ考えていて大糸線を抜けて糸魚川から北陸新幹線→北陸本線、乗り放題なので新型あずさで新宿まで行っての東海道新幹線、あずさを甲府で降りて身延線→東海道新幹線などなど。ただ飯田線で豊橋まで行って…というコースは頭の片隅にもなかった(笑)。話としてはおもしろいけど、そもそも家までたどり着くのかという話ですよね

ただこの時間になってしまうと中央本線の名古屋経由というノーマルなルートしかありません

早めにきっぷを確保しましょう。乗り継ぎ割引があるのでエクスプレス予約は使いません

週末や行楽シーズンの夕方以降の名古屋行き特急「しなの」は、いつもめちゃくちゃ混むのでヒヤヒヤしましたが、何とかこの時点では数席空いていました。私が乗る時がたまたまそうなのか分かりませんが、しなのって当日のきっぷ需要が多いようで前日のシートマップで楽勝、と思っていても、いざ乗ると人だらけということが多い。この日も乗車すると自由席は座れない人もいる混雑だったようです

ともあれ、座席も確保できたことで最後の信濃川島に向かいます

にほんブログ村 鉄道ブログへ
にほんブログ村

にほんブログ村 鉄道ブログ 駅・駅舎へ
にほんブログ村

↑2つクリックしていただけると励みになります

終日の沼にはまる~車窓を含め見どころの多い小野駅だった

小野駅の駅名標

10月23日14時30分

信号場跡と盆地の一望は必見

電車のダイヤの悪さなど諸条件が重なって、たった4キロお隣の信濃川島訪問が2時間後になってしまいました。実際の私の行動は、ここにいてもしゃーない、と40分後の塩尻行きで1時塩尻に戻ってしまうのですが、中央本線旧線の見どころなどもお伝えしたいと思います

東京方面からやって来た線路は松本盆地を目指す上で、いずれにせよどこかの峠を越えなければなりません。明治期に選ばれたのは善知鳥峠でした。「うとう」は海鳥(PCで入力すると一発変換できました)で山中に迷い込んだヒナを追って親鳥がここまでやってきたという言い伝えによるものですが、当時の敷設技術なのでできるだけトンネルを造らないように線路は行きます。峠越えのため、塩尻と小野の間は駅間が10キロもありますが塩尻から来ると車窓左手に盆地が一望できます。盆地が一望というと松本から篠ノ井線を北に行った姨捨駅が有名ですが、それに似た感覚があります。少し残念なのは森の木が多すぎて全面展望とはいかないところですが、それでも一見の価値はあります

そして姨捨といえばスイッチバックですが、ここにもスイッチバックがありました。単線区間で駅間が10キロもあるため、どこかに信号場(すれ違う場所)を設置しないと列車本数が増やせないと昭和になって設置されたのが東塩尻信号場。そしてせっかくだからと戦後は臨時駅(国鉄では仮乗降場と呼んで北海道にはかなりあった)のようにして付近の住民が旅客利用もできるようにしていました

ここで以前記事にしたみどり湖駅近辺の地図をもう一度

かつて信号所があったあたりは旧線と新線が接近していることが分かります。みどり湖駅の設置は信号場廃止による利用者救済の意味もあったようです

塩尻からの車窓では右手となりますが、その跡は廃止から40年が経ってもしっかり残っています。ホーム跡も残ります

ホーム跡は明確には写っていませんでした(謝)。ぜひ乗車して確認してください

小野宿で栄える

さてようやく小野駅です

かつては小野宿として栄え、明治期の線路敷設とともに駅も設置されました。駅前は国道です。屋根の文字が国鉄ぽい

入口の駅名板の雰囲気は縦と横で異なりますが川岸駅で見たものと同じ。同時期に付けられたものなのでしょう

簡易委託できっぷを発売していますが15時までのようで、駅でボーッとしていると「閉めますがきっぷはよろしいでしょうか?」と声をかけてくださりました

こんな文字がありました

さて実際の私は訪ねていないのですが、行けば良かったと激しく悔いたことを紹介しておきます。当駅から徒歩10分のところに神社があります

小野神社と矢彦神社という2つの別の神社が並んでいるのです。しかも矢彦神社については神社だけが辰野町の飛び地になっていて、なかなか興味深い。私は寺社仏閣については詳しくないし、実際に訪問もしていないのでこれ以上のことは語れませんが、40分後の電車でわざわざ塩尻まで戻って、そこで1時間の時間つぶしをするのなら参拝してみたかった。帰宅してから知っても遅い。思いつき旅で駅と線路の点と線ばかりだけ見ていると、こんなこともあります

にほんブログ村 鉄道ブログへ
にほんブログ村

にほんブログ村 鉄道ブログ 駅・駅舎へ
にほんブログ村

↑2つクリックしていただけると励みになります

終日の沼にはまる~アジフライが導き出した答えは?

塩尻駅の3方向駅名標

2022年10月23日13時30分

18きっぷでも行けるんじゃない?

みどり湖から1駅。塩尻に戻ってきました。みどり湖駅にあった料金表が残像として残っています

新線と旧線の「環状線」7駅のうち5駅は訪問しました。今回はここで打ち止めにして塩尻以北の駅を訪問する手もあるし、せっかく特急も乗り放題のチケットを持っているのだから、先ほどはたった7分で終わったあずさにもう少し乗ってみたい気もします。ただあと2駅かぁ、となるとここで終わるのもハンパな気がする。そもそも残る2駅へのダイヤが薄いのです。なかなか悩む。いずれにせよ次の旧線は14時19分なので腹ごしらえ

アジフライ定食のお供に時刻表という、いかにもオタクな行動に店員さんに「どこに行かれるのですか?」と話しかけられるほど(笑)

そもそも「環状線回りは青春18きっぷで十分では?」という前提がある。いっぱい新幹線に乗ったので既にきっぷの元はとっていますが、目一杯優等列車に乗るのが普通の思考というもの

しかし一昨年にはグリーン車も含めて乗り放題というJR西日本のきっぷ(グリーン車は回数制限あり)で大糸線のJR西日本区間の全駅訪問や越美北線の駅巡りという、意味不明な行動を行った私としてはここで決断

残る2駅を訪問することになりました

悩ましいダイヤ

ただ問題は前述したダイヤです。この時間帯は2時間に1本程度の運行しかありません。岡谷から回り込もうとも、途中駅はたった2つで結局は、このダイヤに巻き込まれるのですから、あまり意味はない。唯一の希望は小野と信濃川島の駅間が4キロと徒歩でも何とかなりそうなこと。こちらも峠越えとなっている旧線は塩尻~小野間は10キロもあるものの、小野~信濃川島は比較的短い。こういう可能性もあるかと先ほど辰野から塩尻を目指した際、車窓を凝らしていたのですが、線路にほぼ並行して国道が走る理想のコース。それほど急勾配は感じず、特に小野から信濃川島を目指すと緩い下り坂になっていました。季節的には歩くのも、そう苦にはなりません

線路と国道が一体していて歩いてください、今日のような秋晴れの日はウォーキングしてください、と言わんばかりのコースですよね

しかし塩尻から辰野へ行って折り返してくる列車は20分ほどの滞在で戻ってくるため、これから乗車しようとしている列車は小野に14時32分着。辰野から折り返し塩尻行きとなる列車は信濃川島発15時10分なので38分後の発車。小野駅で写真を撮ったりしていると、少なくとも3分程度は消費するので30分ちょっとしか残らない計算です。4キロを30分ちょっとは相当なダッシュが求められるので、この案は却下。となると2時間以上のロスタイムが出てしまいますが残る希望は比較的大きな町である小野駅にタクシーがいること。だったら余裕です。自分のルールとしてタクシーは最後の手段ですが、これはやむを得ない。たいした料金にはならないはず

ということで

小野駅に到着。かなりの方がゾロゾロ降りました。簡易委託で駅員さんもいるようですがフリーきっぷなので出入りも自由だとばかりに、まずは駅を出てタクシーの存在を確認

××ハイ、いませんでした(泣)

駅前にかつてのタクシー会社の建物らしきものはありましたが、現在は営業していないようで辰野から呼ぶ必要があるようです

ということでじっくり小野駅を観察することができる時間が与えられました(苦笑するしかない)

かつては2面3線だったことが分かります

その先には立派な保線車両が停まっていました。こんなに間近で見るのは初めてです。時間もあることだし動くところも見られないかなぁ

にほんブログ村 鉄道ブログへ
にほんブログ村

にほんブログ村 鉄道ブログ 駅・駅舎へ
にほんブログ村

↑2つクリックしていただけると励みになります

終日の沼にはまる~「みどり湖経由」って何なの?

みどり湖駅の駅名標

2022年10月23日12時30分

思いつきが後々に…

結果から先に言うと

この日は地図に表示された「中央本線の新線と旧線の全駅巡り」をすることになりました。塩尻と岡谷の乗下車は特急停車駅でもあり何の問題もないのですが、想像以上に難易度が高い。結果的に「終日の沼」にはまることになりました

ただ今日中に帰らなければならない、お昼すぎのこの時点でも私はそんなことは考えていなかった。最初の2日間が時刻表とにらめっこしながらだったので、最終日はいつぞやの高山本線のようにケセラセラで行こうと思っていました

そもそもJR東日本の駅なのにJR東海の車両ばかりがやって来る川岸駅に来てかなり満足していました。次は駅から離れるわけですが、岡谷~駒ヶ根間の飯田線は昼間は大体1時間に1本ぐらいで運行されているわけですが、私の訪問時間帯は、岡谷行きが2時間空く。次にやって来る電車は12時34分の辰野方面で辰野で旧線の塩尻行きに連絡するので、こちらの方が早く塩尻に行けます

「とりあえず塩尻に戻るか」てな感じで辰野で乗り換え。旧線の車窓を若干、気にしつつ次の訪問をみどり湖にしました。ああ、このときに旧線の駅でひとつでも降りていれば…それは後で後悔したことなので、その時に触れます

三河安城のように連呼され気になる駅

「みどり湖経由」という言葉をよく耳にします。新線を行きますよ、という意味なんですが、特急に乗ると停まりません。東海道新幹線に乗った際の三河安城のように妙に気になる。では行ってみようとなりました。塩尻到着は13時6分。中央本線上りは13時12分なので、すぐ発車です

1駅なので、たった4分で到着。乗車電車は…

ご覧のように再びJR東海車。飯田線へは岡谷始発以外にも中央本線からの乗り入れがあります。4本が東側から、3本が西側からで私は、その西側からの1本にたまたま乗り合わせたわけです。こちらは松本始発で飯田へ向かうもの。グルリ1周して再び川岸に行けるわけですね。さすがに行かないけど(笑)

そのみどり湖駅

駅名は近くにある人造湖にちなんだもの。駅の住所は「塩尻市大字上西条道畑」と随分漢字が並ぶものですが、1983年の新線開業で松本まで約20分というアクセスの良さもあり、地図でも想像できるように周辺は分譲地の住宅街となっています

ホームは堀削地に設置されています。2面2線ですが駅舎はありません

階段でホームから出ると

すぐに公道。ホームとホームの間は、この公道を利用いることになります

その公道から俯瞰すると背景も含め、なかなか良い景色が広がります

おもしろいのは

ほぼ公道上に時刻表が掲げられていること。駅舎がないため、予備知識なしで通りがかると「エッ」となるかもしれません

ホーム入口にはICタッチと乗車駅証明書の発行機

電車がやってきました。さすがにJR東日本車両でした

にほんブログ村 鉄道ブログへ
にほんブログ村

にほんブログ村 鉄道ブログ 駅・駅舎へ
にほんブログ村

↑2つクリックしていただけると励みになります