※訪問は2024年4月3日
福塩北線では利用者最大
吉舎駅に到着。この列車は、ここでしばらく待機して三次へと折り返す
吉舎駅の時刻表。朝の府中方面への時刻表がなかなか壮絶だ。5時台に1本、6時台に1本しかない。前記事でも紹介したが、これは1本が吉舎止まりになったため。6時33分が朝の「終電」となっているが、この列車は7時50分に府中に到着するため府中に近い所では通勤通学、主に高校生の通学に利用される。ということは吉舎以南の福塩北線の利用者が極めて少ないと簡単に予想できてしまうのだが、福塩北線で最も利用者が多いのは、ここ吉舎である。2022年の1日あたりの乗降数は242人。芸備線との接続駅である塩町の262人とあまり変わらない。福塩北線の沿線で町としては最も大きい上下駅でさえ114人。以下は2ケタ前半の数字が並び、備後安田は2人、中畑はデータなしとなっているので限りなく0人なのかもしれない(ただし私は3年前の訪問で中畑駅から地元のご婦人と一緒に列車に乗った)
吉舎駅の利用が多いのは前記事でも触れた広島県立日彰館高校の最寄りだから。周辺駅の利用者数を見ても、当駅の利用者の多くが高校生の通学のためだということが分かる
なお12時58分の府中行き、14時1分の三次行きがともに斜体文字で記されているが、これは臨時列車
試験日や入学式など早めに終わりそうな学校の日程に合わせて運行されるもののようで、学校があるということは青春18きっぷで利用するのは難しいということになる。もちろん私の訪問日は当然運行されていない。その一方で福塩北線の訪問には実に便利な乗り物でもあるのだが、JR西日本のHPには掲載されておらず、運行日は調べるには現地の人に聞くしかないという、なかなか難易度の高い乗り物でもある。ただ今回の旅にあたり携帯アプリの時刻表を順に眺めていくと、アプリには時刻がしっかり掲載されていて驚いた。一体どうやって調べるのだろう
後鳥羽上皇の言葉に基づく
その吉舎駅は1933年(昭和8)の開業。塩町(当時は田幸駅)から当駅まで福塩北線が開業。以降2年は終着駅だった。駅舎は当時からのもののようだ
駅名板と入口ののれんが目を引く。のれんは日彰館高校の皆さんによるものだ
中央に「よきやどりかな」と書かれている。これは地名の由来で、承久の乱で後鳥羽上皇が隠岐へと流される際、ここに宿泊し「吉(よ)き舎(やど)りかな」と語ったという。駅が設置された際は吉舎町で平成の大合併で三次市となった
のれんはホーム側の改札にもあって
こちらは「銀山街道 吉舎」と記されている
銀山街道は石見銀山と港を結ぶ道で中国山地を抜け笠岡へ向かうコースと尾道へ向かうコースがあったとされ、途中の街は福塩線の路線とかなり一致する。街道があって集落と街ができ、ずっと後になって街を結ぶ鉄路が敷設された
息吹は今も残る
無人駅だが、事務所は残り木製の手荷物受付もそのままの姿。「精算口」の文字も残る
ホーム案内は手作りのようだが、こちらもかなり歴史を重ねている
3年前の同時期、福塩線の沿線はほぼ葉桜となっていたが、今年の開花はやや遅いようである。貨物ヤードもそのまま残る。福塩線ではJR移管とほぼ同じタイミングで貨物輸送が廃止された。役割を終えて40年近くが経とうとしている貨物ヤードの向こう側には自動車道の高架が見える
町の中心部を国道184号が貫くと同時に尾道自動車道も横断している。2014年に吉舎ICと三次がつながり、翌年に尾道へも全通となった。全線無料で吉舎からだと三次まで約10キロ、尾道までも約40キロで車だとあっという間に着いてしまう。福塩線の沿線も甲奴、世羅、尾道北の各ICを利用すれば上下や府中までもすぐである。ただ後鳥羽上皇や銀山街道は車で通過すると、気付かないものだというのもまた事実だと駅を降りてそう強く思った
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