
※訪問は2025年6月7日
さすがに歩くのはもう…

荒砥駅から赤湯方面を見る。とはいえ、しばらく列車は来ない。街中でのんびり蕎麦を食べたが、まだ1時間以上の時間がある。次に目指すのは鮎貝駅。次の列車を鮎貝で待ち構える旅程で、それほど大した距離ではない
線路に近いところを道路も走っているので道に迷うこともなさそうだが、つい先ほど長井駅から羽前成田駅まで歩いたばかりで、食事もして気力は薄れがち。念のためにと駅前にあるタクシー会社をダメ元でのぞいてみると運転手さんが待機中。これはラッキーと乗せてもらうことにした。同行者がいると半額になるのでタクシーという武器は結構強力である。ちなみに鮎貝までは1400円ほど。1人700円なので、それほど大きな出費ではない
唯一の後悔
ただし、ここでこの旅唯一の後悔をすることになる

こちらは荒砥駅にあった最上川橋梁(荒砥橋梁)の解説。長井線は1913年(大正2)の開業後、少しずつ鉄路を伸ばし、1922年に鮎貝まで到達した。この時点で左沢への延伸の話は、ほぼ終わっていて鮎貝で完結するはずだった。理由は地図を見てもらえば分かるが最上川の存在だ。当時の技術では、ここを渡るのは無理とされたが、古くからの地域の要衝である荒砥まで何とか鉄道を通してもらえないかという地元の熱意が通じて用いられた技巧は東海道本線の木曽川橋梁の引っ越しだった。東海道本線では車両の大型化や運行量の理由で、明治以来の橋梁が強度不足で建て替えることになっており、ならばと当地まで引っ越して架けられることとなった。おかげで現在も現役の明治以来の貴重な存在となった
そこでの後悔というのは、せっかくタクシーで移動できたのだから(実際に停める場所があるかどうかは分からないが)1度停まってもらって橋梁の写真を撮っておけば良かったというもの。道路と並行する橋梁を眺めるだけで終わってしまった
長い屋根がすごい
そして到着した鮎貝駅

空間にとにかく目を見張る
「鮎貝駅」と書かれた駅名板の向こうはいきなりホームで、これだけならよくある形かもしれないが、雨よけ、雪よけだろうか、駅前広場を長い上屋で囲っている。これだけだと異空間の印象だ
ただし左側に目を移すと

公民館がある。右端の赤丸の部分が駅の待合所だ。元々は古風な開業以来と思われる駅舎があった。山形鉄道のHPによると正面駅名標あたりに建っていたようだ。1922年(大正11)開業のかつての駅舎は三セク移管の数年後に現在の姿になった。開業時は鮎貝村に所在し、1954年(昭和29)から白鷹町。公民館を備えた駅の改修は白鷹町が担った。地名は当地を治めた鮎貝氏にちなむとされる

ホームに立つと、まさに絶景。目の前には田んぼと山の稜線が見える。向かいにスペースがあるが、かなり以前に2面2線の構造だった名残だ

地元の小学生による絵画が飾られている。フラワー長井線10周年とあるので1998年のもの。25年以上が経っているので描いた生徒もすっかり大人になっている
絶景に別れを告げて、今回の旅最後の駅に向かうことにしよう


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