JR北海道

根室本線の廃線予定区間の全駅訪問~「北の国から」は永遠だと実感

倉本聰さん直筆の北の国此処に始まるの木製看板

※訪問は2023年5月27日、動画あり。音声注意

バス停から歩くと広大な駅構内が

山部からバスで布部入口という停留所で下車。こういう「入口」というバス停名は経験上、10分近く歩くことを意味するのだが、私が乗ってきたのは12時59分のバス。乗車予定の列車まで時間はたっぷりある。山部まで行く際に平坦コースなのも確認済み。北海道の初夏のさわやかな風を感じながら歩を進める

先に線路というか側線と車止めに出会う。右奥に見える緑の建物が駅舎のようなので、かなりの距離。広い構内を持つ駅だったことがよく分かる

踏切を渡って駅舎の方に回り込む

ホームが見えてきた。駅構内へは手前から駅舎を経由せずに入れるようになっているが、敬意を表して駅舎から入ろう

駅舎に到着

布部駅は1927年(昭和2)の開業。すでにあった山部~富良野間に設置された(といっても富良野までは6キロ以上もある)。山部も同様の目的を持つが、森林開発と輸送が目的。当駅から戦後間もなくまで「森林軌道麓郷本線」という線路が伸びていた

新しく見える駅舎だが、おそらく開業時からのものを改築しながら現在に至っているようだ。ただしかつてに比べて幅が短くされている

駅名板は巨大なホーローである

次から次に来訪者が

布部駅の時刻表。現在、13時を回ったところなので1時間以上の待ち時間があるため、お昼としておにぎりをムシャムシャ食べる。山部駅周辺があんなに開けているとは思わず、富良野駅近くのスーパーで購入したものだ。ちなみに布部駅周辺は住宅街。富良野の中心部に近い駅の印象だが、商店はない

訪問時は18きっぷの期間外。土曜だったが、当然のように駅にいるのは私のみ。まぁ、のんびりしようと思っていたが、そうはならなかった。私がいる間に4組もの訪問者があったのだ。1人は明らかに同業者(鉄道ファン)で駅と周辺を撮影した後、あわただしく去っていったが、他は違った。そもそもレンタカーでやってきた1組と会話をすると「えっ!廃線になるのですか!」と驚きの返事が返ってきたぐらいだ

訪問者の目的はこちら

駅前に掲げられている倉本聰さん直筆の木製看板

倉本さん原作の「北の国から」はフジテレビのドラマで、冒頭シーンが主人公を演じた田中邦衛さんが東京から故郷に帰ってくる、布部駅に降り立つ場面。だから「此処に始まる」なのだ。ドラマについては、いちいち調べなくても概要は書ける。なぜなら私が浪人生時代を送っていた1981年の放送だからだ。秋に始まって春まで、いわゆる2クールの半年放送。最終回は何とかかんとか大学に合格して引っ越しの準備をしながら見ていた

ただそれは40年以上も前の話で、会話を交わした東京からの夫婦は30歳過ぎだという。どう考えても世代が合わない。その点を尋ねると、再放送でたまたまスペシャル版(放送終了後、20年にわたって何本か制作された)を見たことで、すっかりはまってしまい、以降、せっせと過去作品を見ているという。「麓郷に行くの?」と聞くと「今から行ってきます。初めてなんでうれしい」と、去っていった

麓郷(ろくごう)とは北の国からの舞台。駅の成り立ちについて「森林軌道麓郷本線」と記したが、その麓郷である。私も過去レンタカーで訪れたことがあるが、かなり遠かった記憶がある

麓郷の森は放送直後から観光名所となっている

駅は静かにたたずむ

駅は北の国からの放送終了を待っていたかのように1982年秋に無人化された。多くの観光客が訪れる麓郷だが、当駅からの距離がありすぎて麓郷訪問の拠点駅にはならなかった

ホーム側から見た駅舎

元々は島式ホームだったようだが、現在は片側だけが使用されている。側線は長らく使われていないようだ

こちらが駅名標。かなり年季が入っているが、今さらわざわざ塗装し直されることはないだろう。駅舎の将来についても現在、保存という話はないようだ。倉本さん直筆の看板は残ると思われるが…

ようやく富良野駅到着から5時間。ようやく当該区間の列車に乗ることができる

乗客は私一人だった

にほんブログ村 鉄道ブログへ

にほんブログ村 鉄道ブログ 駅・駅舎へ

↑2つクリックしていただけると励みになります

根室本線の廃線予定区間の全駅訪問~大きな町とランプ小屋の残る駅

山辺駅の駅名標

※訪問は2023年5月27日

テレビ番組を参考に

朝の7時すぎの旭川駅。本日はここからスタート

素敵なラッピング車は7時39分発

富良野駅に到着。本日は富良野から先、新得までの根室本線を行く。来春での廃線が決まっている区間の各駅を訪問予定。ここからの乗り継ぎまでに2時間半も待たなければならないが、それは分かっていたことで、根室本線を逆向きに乗り、芦別駅などを訪問して折り返すなどしてやり過ごした

11時半に訪れたのは富良野駅のバス乗り場。11時35分発の西達布行きに乗る。テレビ東京のバス旅は欠かさず見ているが、全国の各駅訪問で参考になることが多い。もっとも現在の潮流でバス路線の廃線は鉄道よりもはるかに加速度がついていて。番組で放送したものの、その後廃線になっている区間も多いが、こちらはしっかり現役だ。番組では終点から山越えの13キロを歩いて幾寅に到達していたが、さすがにそんな技は私には出せない。目指すは富良野から2駅目の山部である

バスで約20分

山部駅前に到着した

悲運のロッジ駅

地方に行くと「駅前」というバス停ながら、全然「前」でないことも多いが、こちらはすぐ

ロッジ風の立派な駅舎を持つ

本当に廃線、廃駅になるのか?と思ってしまう。駅の開設は1900年(明治33)でギリギリ19世紀と120年以上の歴史を誇るが、駅舎はJR移管後の翌年にあたる1988年に新たに建てられたもの

根室本線は2016年8月、台風の影響で東鹿越~落合間が甚大な被害を受けた。その後、当該区間についてはバス代行としていたが(後に代行バスは東鹿越~新得に変更)、今年3月に来春での富良野~新得間の廃線が決まった。ちなみに「本線」と名のつく路線が途中で廃線によって分断される初の出来事となる(三セク移管を除く)

いわば山部駅自体はとても不運だったことになる。元々の駅付近は山部町の中心部(現在は富良野市)にあたり、バス停のある幹線国道沿いには飲食店やセイコーマートもある。急行停車駅でもあった

広い構内とランプ小屋

鉄道駅として重要な役割を果たしていたことは

ランプ小屋が残っていることからも分かる

隣接して倉庫も残る。木造の倉庫は入口の裸電球といい情緒たっぷりで、かなり古いものだと想像がつく

構内も広い。右側の部分にも側線があったようだ

ホームは千鳥状の配置。構内踏切で出入りする

駅舎内は広い。簡易委託も廃止され、完全に無人化されてから20年近く経つが、きれいにされている

さて、ここまで全く根室本線の鉄道写真が出てこないが、それは当該区間の本数の少なさのためだ。富良野~東鹿越間を走る列車は1日わずか4・5往復。当然、東鹿越~新得間の代行バスも同本数

富良野駅の時刻表だと東鹿越行きは7時17分に出た後は7時間後の14時14分までない。その後、16時48分があって、最終が19時2分。つまり私が富良野に到着した9時半ごろは7時間の空白区間だったのだ。結論からいくと、当駅だけが「乗降どちらもできない駅」となってしまった。もっとうまく回る方法はなかったのかと後悔むしている

次の目的地は布部駅。まだ12時半で列車は来ない。こちらもバスで向かうことにする

にほんブログ村 鉄道ブログへ

にほんブログ村 鉄道ブログ 駅・駅舎へ

↑2つクリックしていただけると励みになります

抜海の宿、ご主人の機転で稚内から脱出

抜海駅の駅舎内にあった駅名標のイラスト

雨はあがったが宗谷本線動かず

前記事での抜海駅の写真を見ていただければ分かるが、駅訪問時、雨は全く降っていない。駅付近にも雨が降った痕跡はあるものの、すでに「お湿り状態」まで乾いている

だが結論から言うと、この時点で宗谷本線の運休は決まっていて、朝の9時すぎの時点で鉄道での移動は不可能となっていた

話を時系列で戻す

今回、お世話になったのは「旅人宿 ばっかす」。抜海の集落の中心部にある

前々回の記事で抜海駅からの郵便局までの地図を掲載したが、場所はほぼ同じ

宿の場所は郵便局のほぼ向かいにあたる

玄関には「テツ」の心を揺さぶるものも

夕食後の懇談の時間に、ご主人が「今日の夜中に大雨が降る予報です。明日の朝はあがっていると思いますが、宗谷本線は大雨が降ると路盤の問題ですぐに止まるからなぁ」。言葉通り、夜になって雨脚は強まり、寝るころには雷雨となっていた

雨はすっかりあがったが

朝の7時前に起床。雨は止んでいる。ご主人に運行情報を尋ねると「今は運行しているようです」との答えにホッとして周辺の散策

抜海は漁港で宿から出ると、ほどなく日本海に到達する。ただし晴天というわけではないので利尻富士は見えない。前日の車窓からも曇っていて見ることはできなかった。前回、稚内を訪れた際は2泊3日の旅程で車窓はもちろん、レンタカーで日本海沿いを走ったりしたが、その時も山の姿には出会えず。いつになったら利尻富士を拝めるのだろう、そんなことを考えながら

美味しい朝食。もちろん、ご飯はおかわりである

抜海からの列車は10時46分。時間はあるので朝食後、くつろいでいるとタブレットの画面と、それまでもずっとにらめっこしていたご主人が「ちょっとまずいですね」とつぶやく。稚内を6時36分に出た旭川行きの特急サロベツが途中で大幅にスピードダウンしているという

これはJR北海道の情報ではなく、ご主人の独自ネットワークによるもののようだ。ちなみにJR北海道の運行情報では「○」の定時運行となっている。幌延あたりに線状降水帯ができていて激しい雨となっている

「これは良くないですね。まず稚内まで行ってみましょう」。ご主人の提案で、稚内駅まで送ってもらうことに

今日中の旭川着にし東京~大阪並の大移動

前日「もし宗谷本線が動かなかったら」場合の提案がいくつかあった。私の場合、今夜のうちに旭川に向かわなければならないが、まず前提として「稚内~旭川のバスは現在ない」とのこと。北海道の場合、各地から札幌へと向かう交通網は発達しているが、途中の大都市とは意外と結ばれていない

そして「夕方以降、動く場合はあって、それを待つ」というものもあったが「最も確実なのは札幌まで長距離バスに乗り、JRの特急で旭川に折り返す」というもの。線路換算すると稚内~旭川は259.4キロ。旭川~札幌は136.8キロなので、つまり259.4+136.8+136.8=533キロもの大移動となる。これはどのぐらいの距離かというと、新幹線の東京~新大阪が552キロとほぼ同じにあたる。単純な所要時間はバスが6時間、JRが1時間半。もちろん乗り継ぎの時間もあるので、8時間もの長い旅

しかし今回ばかりは今夜のうちに旭川までたどり着かなければならない。過去の経験から、北海道の列車は雨以外にも動物と接触など、いろいろな要素があり、定時運行の壁があることはよく分かっているつもりで、今回の旅もゆったりめの日程を組んでいたが、唯一、明日の根室本線廃線区間だけは、かなりガチなスケジュールとなっている。これらを、まるまる動かすのは無理な相談である。もうひとつの手段として稚内から音威子府に向かう路線バスもあるが、こちらは4時間半もかかる上、そもそも音威子府から先の交通手段がどうなるか分からないため却下である

稚内へ向かう前、ご主人の好意で抜海駅に立ち寄ってもらう。前記事の写真はその時のもの

その道中、宗谷本線の本日運休がJRのHPでも発表された。1日6本の札幌行きバスは次が11時30分発で、その次が13時。「まだ発表されたばかりだし、稚内は雨が降っていないので、おそらく観光客は気付いていない方が多いはず。バスの空席はあると思いますよ」とのこと。稚内駅到着は9時45分

やはりというか当然というか、宗谷本線は本日、完全運休である(旭川近辺の部分運行区間については分からない)。たった5本の運休情報だが、稚内をこの時間以降に出る列車は、これがすべてである

駅ビル内のバスターミナル窓口へと急ぐ。場所もご主人に教えてもらった

窓口は長蛇の列…というわけではなく、並ぶことなく窓口へ。残り3席だったが、とにかく空いていてホッと一息(ちなみに私のすぐ後ろに並んだ方も同じ行動らしく、すぐ残り1席となった。「宿は富良野なんです」と嘆いていた)。17時20分札幌着なので、まともな時間に旭川までたどり着けそうだ

最近のビジネスホテルは待たずに機械でのチェックインとチェックアウトができることをウリにしているホテルが多い。これはこれで善し悪しがあり、夕方の混雑時にホテルに着いて、チェックインの列を見るとウンザリするし、われわれのような鉄オタは始発に乗るため、朝の5時にチェックアウトすることもしょっちゅうだが、前日にその旨を告げなければならないなど気を遣う必要がある。その点、キーボックスにカードキーをポイだけで終わるのは非常に楽

ただし、そこには公共交通機関の情報はない。今回は念のためにホテルに電話。宗谷本線がストップしているので到着が遅くなることを伝えたら「それは大変ですね。お気を付けておこしください」と丁寧な電話応対をいただいたが、ホテル到着後のチェックインは機械で行うのでねぎらいの言葉はない(それは良くない、と言っているのではない。前述したように、そのシステムの方が楽なことは多々ある。念のため)

それでも今回は人と人のふれあいによって生み出されるものが確実にあることを感じました

宿で購入したばっかすさんのタオル。もったいなくて、まだ「デビュー」していませんが、大切に使わせていただきます。というか、今回は果たせなかった宿から駅までの徒歩(抜海駅まで手ぶらで30分歩くと、後から車で荷物を届けてくれるそうです)をぜひ実行してみたいし、何より利尻富士を生涯一度も見られていない。必ずまた伺いますね。ありがとうございました

にほんブログ村 鉄道ブログへ

にほんブログ村 鉄道ブログ 駅・駅舎へ

↑2つクリックしていただけると励みになります

最北の無人駅抜海駅に行ってきました(後編)

抜海駅の駅名標

※訪問は2023年9月1日

来年で生誕100年

一夜明け、朝の抜海駅にやって来た。宿のご主人に駅まで送っていただいた

いかにも「風雪に耐えました」という屋根を持つ木造駅舎

北海道の駅では財産票を探すのに苦労することが多く、結局は見つけられなかったことも多いが、こちらは駅名板のすぐ下に分かりやすく掲げられていた

抜海駅は1924年(大正15)の開業なので来年100歳を迎える。線路が稚内から伸びてきた。その2年後、宗谷本線はほぼ現在の形で全通となった(現在の南稚内駅が当時は稚内駅で、現在の稚内まで到達するのは2年後)。財産票によると現駅舎は1940年(昭和15)からのもの。おそらく外側の部分だけが1940年で、他は開業時からのものに手を加えられながら100年を迎えている

あえて稚内までの自動車地図を表示してみた。ちなみに鉄道利用でも所要時間はほとんど変わらない

味と風格のある駅舎

駅舎は外側よりホーム側から見た方が風格を感じる

ニュース映像や写真でよく目にするのは、こちらだ。そしてさらによく目にするのは

ホーム側にある駅名標。ホームに降り立たなくても車窓からでも大きくめを引く

ちなみに3つ並んでの「抜海」である

駅舎に入らなくてもホームに出入りできる構造となっているが、当然、駅舎内も味わいがある

駅舎へは北海道らしく二重構造の入口となっている扉で入る

駅舎内はきれいに清掃されている。ホーム写真で花壇があったが、こちらも含め、すべて地元の皆さんの献身活動によるものだろう

ちょっとした地元資料館にもなっているが、私の世代にとってはなんと言ってもテレビドラマ「少女に何が起こったか」である。当時スーパーアイドルだった小泉今日子さんの女優デビュー作。当駅がたびたび登場する。キョンキョンをいじめる役の女優さん、当時私にとっては初めて見る人だったが、最後のクレジットで「カクチカコ」と必ずルビがふられていた。その後、大女優となってルビは必要のない人となった。稚内の町もキョンキョンが来るというので大変な騒ぎになったそうである

全国各地の駅で今もたまに見かける温度計。すっかり壊れているものもあるが、こちらはしっかり正しい気温を刻んでいるようだ

存続がニュースに

そんな数々の歴史が詰まっている抜海駅だが、現在、駅の存続がたびたびニュースとして取り上げられている。事の起こりは2019年にJR北海道が「廃駅にしたいので、維持するなら自治体(稚内市)で費用負担してください」と表明したこと。その後、稚内市は毎年約100万円の維持管理費を予算計上してきたが、今年7月に2024年度での打ち切りを市長が表明した

報道によると稚内市は市街地とを結ぶ乗り合いタクシーを運行する意思があり、乗り合いタクシーといっても、住民だけでなく観光客も乗れるものにするという。要はコミュニティバスの新設である。廃駅に反対する地元住民は維持費となる100万円の寄付の申し出を行ったが、市はこれを拒否。かなりかたくなだ。要は観光資源としての抜海駅について評価しないということ

多くの自治体を巻き込む廃線とは異なり、単独の自治体の専権事項なので外野からどうこう言えることではないのだが、駅を観光資源のひとつとした小幌駅とは対照的な対応だということだ。自治体が管理、維持するローカル線の古い駅舎は全国に多数ある

抜海の地名は町の中心部に近い抜海岩にちなむ

私見だが、コミュニティバスになった場合、利用の観光客はほぼ皆無だろう。また当駅から南下することはできなくなる

前記事に続いての掲載だが、当日の私は10時46分の列車で南下である。夜までに旭川に着けばよいので、時刻表を見ながらのんびり進もう。いざとなればフリーパスを生かして特急に乗ればいいのである

だが実を言うと10時46分の列車に乗車することはかなわなかった。この日が6日間に及ぶ北海道の旅のハイライトになってしまったからだ

にほんブログ村 鉄道ブログへ

にほんブログ村 鉄道ブログ 駅・駅舎へ

↑2つクリックしていただけると励みになります

最北の無人駅抜海駅に行ってきました(前編)

抜海駅の駅名標

※訪問は2023年8月31日

スタートは旭川空港から

今回の旅は旭川空港からのスタート。伊丹空港を7時出発の飛行機で到着したが、9時すぎの時点で6度…のはずはない。うまく撮れていませんでした。29・6度!暑い。8月31日の北海道って、こんなに暑かったっけ? 後で他の地域の駅で聞いた話だと前日は涼しかったのに、また急に暑さが戻ったという

旭川駅へ。5月末以来、3カ月ぶり。前回と同じく北海道フリーパスを購入

11時30分の名寄行き快速に乗車する

快速とはいっても単行。ただし北海道でも随分、新型車両の置き換えが進んでいるようだ

ほぼワンイシューの旅

初日と2日目は、ほぼワンイシューである。「抜海駅に行くこと」。稚内から2つ手前。最北の無人駅、最北の木造駅舎として知られる

ただ訪問は、なかなかハードルが高い。というのも1日3・5往復の列車しか停車がないから。近くにバス停もバス路線もない。ワンイシューになってしまうのもやむを得ない

徒歩?これは私にはムリ。稚内と抜海の間には南稚内駅があり、特急も停車する市街地の駅だが、ここからの1駅がレールで14キロもある

ちなみに

駅から抜海の中心地までは約2キロ。徒歩にして30分の道程。駅の周りには、ほぼ何もない。「周囲に何もない駅」と私も表現することがよくあるが、北海道の何もない駅には本当に何もない

しかも先に時刻表を掲載すると

このような3・5往復。早朝と夜になっての訪問は避けたい(地元の方の話では駅舎はともかく付近の道路は暗くなってからのクマ出没注意だそうだ)ので稚内(10時28分発)からやって来る10時46分の列車に乗り、駅を1時間、堪能した後、11時48分で折り返すというのが現実的なプランだ。この列車は12時7分に稚内に到着するので、再折り返しの形で稚内発13時1分の特急サロベツに乗車すれば旭川方面に向かうことができる。しかし稚内に10時にいるためには、前泊が必要となる。だったら、ということで抜海で宿をとることとした。日程面、経済面で「では、また今度」と簡単に行ける所ではない。だったら、現地に宿泊し2日にわたって抜海駅を堪能しよう(後述するが、結果的にこれが絶大な好チョイスとなった)

夕闇の抜海駅へ

宿の方(前述した通り、徒歩30分の抜海の中心にある)は稚内から18時21分着の列車で駅まで迎えに来てくれるという。そのためには旭川発13時35分、稚内着17時25分の特急サロベツに乗車し18時3分発の普通に乗らなければならない。ほんの少しだが、途中駅にも降りて最終的に特急は士別から乗車することに

士別から稚内まで特急で3時間以上もかかる。北海道の地図は全体図が示されることが多いので狭いように感じる方もいるかもしれないが、広いのである

フリーパスには表示されないので駅にあった料金表の写真を掲載する。上が乗車料金で下段が特急料金。軽く1万円以上を要する

無事に稚内到着。以前訪れたのは、まだ旧駅舎時代だったので久しぶり。17時30分だというのに気温は昼間の暑さが残っていて29・4度もある

いよいよ抜海に向かう。結構、胸が高鳴る。伊丹空港から11時間近くを経て、ようやく抜海に向かう北海道ならではのキハ54に乗車。舞台は整った

サボは「宗谷線」。どの区間でも使えるなぁ

18時21分、抜海に到着

交換可能駅で到着列車の上下ホームはしっかり守られている

本日、宿をともにする方もいらっしゃるようだ。夕闇の駅ならではの風情。これは昼間に来て、昼間に折り返しては味わえないもの。結構、感動したが、また明日もある。皆さんを待たせすぎてもいけないので、本日はいったん駅とお別れすることにしよう

にほんブログ村 鉄道ブログへ

にほんブログ村 鉄道ブログ 駅・駅舎へ

↑2つクリックしていただけると励みになります

特急「ニセコ」に乗ってきました

ニセコ駅に停車中の特急ニセコ

思わぬ空席

9月4日の朝、心躍らせ札幌駅へ

特急「ニセコ」の入線です。鮮やかなピンク色。乗車ホームは、こちらに乗るお客さん、撮影だけの方であふれていましたが、珍しい列車だからか、向かいのホームでたまたま出くわした方の撮影も多かった

前日の朝、宿泊した滝川のみどりの窓口でダメ元で尋ねたところ、窓際の空席がひとつだけある、とのことですぐ発券してもらいました。値段がついていないのは「北海道フリーパス」を使用したため

貴重な特急ニセコ

「ニセコ」は札幌と函館を結ぶ臨時特急。函館本線を行きます。この記事を読まれている方には多くの説明は不要でしょうが、北海道の大動脈のひとつである札幌~函館は千歳線から室蘭本線経由で長万部から函館本線に「合流」する、海回りの特急「北斗」が1時間に1本の割合で運行されています。そのため本来のメインルートだった函館本線は小樽~長万部間のいわゆる「山線」については、優等列車が運行されないローカル線となっています。蘭越~長万部に至っては1日4・5往復の運行しかありません

その区間を走るニセコは貴重な特急列車。私も過去、山線は2度乗車していますが、優等列車で走行したことはありません

運行は9月のこれだけ。いずれも週末をまたいだ形での運行

停車駅は手稲、小樽、余市、倶知安、ニセコ、昆布、黒松内、長万部、森、新函館北斗、五稜郭。山線内に多めに停車するのがポイントです。札幌発函館行きは7時56分発→13時23分着。函館発札幌行きは13時55分発→19時28分着の1日1往復。函館行きは余市、ニセコ、長万部で、札幌行きは長万部、ニセコ、倶知安でそれぞれ10分ほど停車するので一度座席を離れることも可能で、各駅ではおもてなしがあります

座席は一番端に

5両編成で全席指定席(今年から自由席はなくなりました)。最も札幌側となる1号車は「はまなすラウンジ」のフリースペースで車窓を眺めやすくなっています

この日は昆布で宿をとっていましたが、山線完乗や長万部で温泉、カニめしを味わいたいこともあって長万部までの乗車となりました。そして座席は前掲の写真で分かる通り、5号車の14番D。つまり函館方面に向かって最前列。最前列というとロマンを感じるかもしれませんが

運転台はデッキの向こうにあるため、単なる車両の最前列。これはどういうことかというと、ラウンジカーから最も離れているということ。車窓的には山側となります。もしかすると、最も人気がない座席となるかもしれませんが、私としては座れただけで満足なので何も不満はありません

各駅でのおもてなし

手稲を過ぎたころ、車内を歩いてラウンジカーまで行ってみました。早い時間でしたが、すでにいっぱいだったため、写真は掲載できません。ラウンジカーでは乗車記念の顔出しパネルがあります

小樽で4分間の停車。駅員さんの歓迎と見送りがあります

余市ではアップルパイなどの特産品売り場が大人気

余市はソーラン節発祥の地ということで

ご当地キャラの「ソーラン武士」にカメラを向けるとポーズをとってくれました

余市といえば、こちらも忘れてはなりません

外国の方でにぎわうニセコ駅

羊蹄山は雲がかかっていました

ニセコから車内では特産物の販売があり「のむヨーグルト」を購入

長万部に到着。あっという間の3時間半。こちらでは、ご当地キャラの「まんべくん」がお出迎えてしてくれました。名残惜しいですが、私はこの後、昆布まで引き返します

曜日によって変化するおもてなし

このニセコ号。昨年までは観光用車両の「ノースレインボー」で運行されていましたが

今年からはキハ261の「はまなす編成」が充当されています。ラウンジカーがあることから基本的には観光用ですが、定期運行列車の代走の役割も果たせるように製造されました。電源コンセントに加え、車内wifiも完備

繰り返しますが全席指定席なので要注意。物販品やおもてなしについては日によって異なります。詳しくはJR北海道のホームページで

週末は余市やニセコで下車するお客さんも多かったようですが、私が乗車した月曜日は一人旅=おそらく同業者(鉄道ファン)が多く、ほとんどの方が函館方面を目指したようでした

毎年9月の山線を彩るニセコ号。乗車できて幸運でした

にほんブログ村 鉄道ブログへ

にほんブログ村 鉄道ブログ 駅・駅舎へ

↑2つクリックしていただけると励みになります

残された留萌本線を全駅乗降~乗降1日ワンチャンの駅で締める

北秩父別駅に到着

2023年5月26日16時20分

1日2本始発は16時台

北秩父別駅に到着しました。北海道でよく見かける、いわゆる「板張りホーム」の駅。留萌本線4駅で最後の訪問。段階的に廃線が進んでいる留萌本線の駅は他の駅すべてが立派な駅舎を有しています

当駅を語る前に、まずはお隣の秩父別の時刻表を見ていただきたいと思います

朝の一番に深川~石狩沼田ノンストップ便があって、石狩沼田行きは6本。うち4本が「北秩父別通過」と青文字で注釈が付けられています

ということは現実の北秩父別の時刻表はこうなります

本数が多いとか少ないとかいう以前に石狩沼田行きの「始発」が16時21分ということに驚きます。宗太郎駅の記事で早朝と夜しか列車が来ないと記しましたが、冬場でと暗くなってからようやく始発がやってきます。もちろんこれは「日本で一番遅く始発列車が来る駅」となっています(単方向という意味で)

「最終列車」の18時23分で来ると、その後は1本の列車すらありません。午前中に石狩沼田からやって来て16時台で石狩沼田に戻るという方法もありますが、駅訪問では、あまり現実的ではないことを考えると、深川方面から16時21分に到着して同44分で戻る-の一択しかないことになります

逆に言うと、どうしても列車で降りて帰りたくなりました

立ち入る人はいない立ち入り禁止

ホームに降りると目に入ってくるのは、なぜかロープ

立ち入り禁止となっていますが、ここに立ち入る人はまずいないでしょう。立ち入りは、すなわちダイブとなってしまいます

横から見ると、こんな感じ

板張りホームには跡が残っていますが、昨夏までは、ホーム上に木造の待合所がありました。ネット上などで待合所の傾きが話題になり、JRと秩父別町が確認。直後に使用禁止となりました。直後に石狩沼田~留萌の2023年3月での廃線が発表され、その後に残る路線も2026年での廃線が決まりました

待合所は秩父別町が管理していましたが、町が調べたところ資産としてはJRのものでも町のものでもないことが判明。待合所を撤去した上で、駅の入口に新たな待合所を設けました

それがこちら。物置形式ですが、冬の寒さはしのげます

待合所の中の様子。ベンチと時刻表、料金表がありました

駅ノートも設置されています

駅から見えるのは農地と自動車道

北秩父別駅の周辺は農地とわずかな民家があるだけ。一番近いバス停へも徒歩で10分以上かかります。1956年に仮乗降場として設置され、1987年のJR発足時に正式駅に昇格。駅の周辺は設置時から、あまり変わっていないと思われます。ただ駅の真横を走る深川留萌自動車道だけは、明らかに当時はないもの。ローカル線の傍らを自動車専用道が走る光景は、今風です

今回、私はひとつ手前の秩父別から乗車したわけですが、夕方の下校時間ということで私と入れ替わりに何人かの高校生が降りてきて、なおかつ車内にはまだ数人の高校生がいました

ただ北秩父別で降りたのは私のみ。現状、1日の利用者は数人のようです。撤去した後の待合室については、利用者がいるということで新たに設置されました。ただホームについては柵でも設ければ安全なのでしょうが、利用者数と、あと3年で廃線ということを考慮すると、このままの状態なのかもしれません

背後からホームを見る。右が新設された待合所。今回の待合所閉鎖で、待合所の所有者は不明で、なおかつ設置の経緯すらも不明という、「分からないばかり」ことが分かりました。住民が自ら建てたようですが、いかにも牧歌的な話です

駅前には踏切と道路。立派な道路ですが、車もほとんど通りません

わずか20分の滞在。深川へと戻ることにします

板張りホームはサイズが小さく、1両分のサイズにも足りません。でも北海道のワンマン車は前乗り前降りなので問題ない

乗車は私一人でした

にほんブログ村 鉄道ブログへ>

にほんブログ村 鉄道ブログ 駅・駅舎へ

↑2つクリックしていただけると励みになります

残された留萌本線を全駅乗降~どうする滞在160分

2023年5月26日13時40分

ホーローラッシュでのお出迎え

秩父別に到着しました。ホームに降りると

ホーローの縦の駅名標が、これでもかと並んでいます。全国で消えつつあるホーローの駅名標ですが、北海道では多くの駅で現役。にしても並びすぎでしょう。しかも横を向いたり、奥にあったりと並びもカオス気味。ホーローが並んでお出迎えも北海道ではたまに目にします

北一已のお隣で、こちらもなかなかの難読。元の駅名は「筑紫」で1910年(明治43)ですから、100年以上の歴史を持ちます。「筑紫」「秩父別」ともにアイヌ語の由来で、秩父別町のHPによると「通路のある川」という意味の「チックシベツ」に由来。村名が秩父別だったことで戦後、駅名も秩父別に変更されました

筑紫という住所表示はなくなっていますが、橋の名前やお店

町を歩いていると公共施設の名前にも見ることができました。どうして町を歩いたかについては後述します

ここまで順調すぎた

駅舎は重厚な造り。何度か手を加えられていますが、1934年にできた駅舎が原型となっているもよう

入口部分も駅名板も町の代表駅にふさわしいもの

かなり以前に無人化されていますが駅舎内はきれいです

さて、ここまでの道程を振り返ると

深川12時36分→12時51分 石狩沼田 13時→13時11分 北一已 13時32分→13時38分 秩父別

と極めて順調。深川を出てから1時間で秩父別に到着し、駅数は4駅(深川のぞく)なので、早くも残るのは北秩父別駅のみ。王手、リーチがかかったことになります

ただ問題はここから

とにかく全駅乗降を目指す

こちらが時刻表で私は13時38分の石狩沼田行きで降りたわけですが、次の列車は16時18分と何と2時間40分後。これは長い

ただ手段はないことはなく、まずはバス。駅から徒歩数分のバス停から乗車すると北秩父別駅まで徒歩15分ほどの停留所へ7~8分で連れていってくれます。ただバスも1日5本の運転で発車が15時45分と、停留所からの徒歩を考えると、そうアドバンテージがあるわけではありません

となると、もうひとつ移動手段があって、実は秩父別~北秩父別の駅間は2・4キロしかなく、線路沿いを歩くのは不可能のようですが、それでも歩けない距離ではありません

カーブする線路をショートカットするコースもあって30分で着いてしまいます。道中は坂のない平坦コースであることは最初に石狩沼田まで乗車した時に確認済み。この日は曇り気味ながら雨の心配はなさそうで、なんといっても北海道の5月末ですから、徒歩には問題のない気温でした

これでも時間が余ってしょうがないぐらいですが、ちょっと考えてこの案も却下。早朝の室蘭駅での時間の勘違いから始まり、深川に着いた時点で今日は全駅の乗降を目指すと決めたのです。ここは160分、駅周辺で過ごすことにします

にほんブログ村 鉄道ブログへ>

にほんブログ村 鉄道ブログ 駅・駅舎へ

↑2つクリックしていただけると励みになります

残された留萌本線を全駅乗降~難読駅クイズの常連は移転駅

北一已駅に到着

2023年5月26日13時10分

なかなか目にしない漢字だが言葉としては普通に使用している

北一已駅です。深川から1駅目で難読駅クイズではかなりの頻度で出てくる駅。「きたいちやん」とは、なかなか読めないですが地名です。駅の住所は「深川市一已町」

こちらの地名には、もうひとつポイントがあって、このように大きくしてみると、分かるのですが最後の文字は「己」ではありません。「已」です。最後の一本を書く際、微妙に突き抜ける必要があります。なかなか見かけない文字ですが「やむ」から変換すると出てきます。誰もが「やむを得ない」「やむを得ず」という言葉は普通に使用していると思いますが、漢字を使用すると「已む」が充当されます。ここからはこの記事を書くにあたって調べたことですが、「止む」は雨のようにずっと続いてきたことが終わることで「已む」は完全に終わることを意味します。鉄オタをしていると、いろいろな知識がつきますね(笑)

「イチャン」とはアイヌ語で鮭の産卵場を意味し、明治になって地名をつける際、団結のため「一にして已む」との意味で村名になったそうです

ただ本来、文字というのは駅名標のように大きく書くものではありません。現在のようにスマホやPCを使用する時代とは異なり、手書きの時代に「己」と「已」は、なかなかうまく書き分けというか、書かれたものを読み分けできないのは当然で、戦後の1955年に開業した駅は長らく「北一己」と誤った文字が使用され、JRに移管されても平成になっても誤使用のまま正式駅名になっていましたが、97年にようやく「正式地名に変更」されています。自分の経験で振り返ると携帯電話とPCを初めて個人で買ったのが96年(スマホなんてものは当然ない)、職場でも文字入力がワープロからPCに替わりつつあるころでした。それまで(おそらく分かっていながら)ずっと誤使用を続けていたとは、なかなか牧歌的な話です

戦後10年経ってからの駅舎としては

こちらは駅舎ですが、ホーム側から見たもの。国鉄時代に無人化されていて駅舎周りには柵も何もありません。深川は言うに及ばず、逆側のお隣となる秩父別はそれなりに利用がありますが、こちらは1日1人とか2人というレベル。よくぞ駅舎が残ったものです

トタン屋根も入口も駅らしい三角形で統一されたデザイン。冬の寒さを考慮した二重の入口となっています。ただ1955年開業のものとしては、北海道の風雪を考慮しても、三角が基本のデザインも含めてなかなか古い。駅舎を覆っている灰色は不燃パネルのようです

それもそのはずで、この駅舎は留萌本線と同じく深川から出ていた深名線(1995年廃線)の宇津内仮乗降場の駅舎を移築したもの。ダム湖建設と木材運搬のために設置された宇津内駅は工事完了で需要が落ち込み、戦後間もなく仮乗降場に格下げ。その後、仮乗降場としても廃止されましたが、ちょうど同じタイミングで開業したのが北一已。宇津内の駅舎が不要になったことを知った一已村の皆さんが、解体された駅舎を運んで、この地で再建したとか(北一已開業時は、まだ宇津内仮乗降場は現役でしたが、廃止となる前に移転されたようです)

田んぼの中にたたずむ駅

駅周辺は田んぼが広がります。深川は北海道の米どころ

農地の中にポツンとたたずむ駅舎。利用者を考え、こうして俯瞰すると、本当によく駅舎が残ったと思います

駅舎内はきれいに掃除されています。1955年の開業時は交換設備も備え、もちろん駅員さんもいたようで、戦後にわざわざ新設されたのですから需要もあったと思われますが、84年に単式ホームとなったことで無人駅となりました。当時は全国隅々まで自動閉塞は進んでおらず、すれ違いを行う駅では駅員さんが必要でした

構内では花園が造られ、ちょうど目を噴き始めていました。管理されている方と後に出会うことになるのですが、マリーゴールドで7月がちょうど見ごろとのこと。おそらく今ごろはきれいな花が咲いているはず

こちらも北海道でよく見かける姿。階段を使用しなくても昇れるのですが、小さな階段を昇ってホームで次の列車を待ちます

にほんブログ村 鉄道ブログへ>

にほんブログ村 鉄道ブログ 駅・駅舎へ

↑2つクリックしていただけると励みになります

残された留萌本線を全駅乗降~増毛まで完乗の思い出

増毛駅の駅名標(2013年6月28日)

2023年5月26日13時10分

前回訪問は11年前

石狩沼田から北一已まで戻って下車しました

留萌本線に乗車するのは11年ぶりのことです。前回の訪問は2012年の6月28日。そのころは東京に住んでいました。その時は羽田から旭川まで飛行機に乗り、空港から美瑛駅へ。そこから一度富良野まで行き、富田ファームを目指しました

富田ファームから徒歩で行ける夏だけの臨時駅「ラベンダー畑駅」を利用したかったから。ノロッコ号しか停車しないので意外と利用が難しい駅です。その日は旭川に宿泊して留萌本線目指して出発しました

この旅はフリーきっぷとは無縁で、その都度きっぷ購入していました。全く記憶にないのですが美瑛の窓口で富良野から旭川を経由した増毛までの乗車券を買っています。これで道中は2日間、途中下車をしたい放題にはなったのですが、なぜ富良野ではなく美瑛で購入したのか、さっぱり分からない。おそらく美瑛の窓口を利用したくなったのではないかと思われます

留萌で途中下車

深川からキハ54に乗車。2両編成で、うち1両は客扱いをしないJR四国のような運用。2両のうち1両は、そのまま増毛に向かい、もう1両は留萌で切り離されて深川へと折り返していました

留萌で途中下車

お昼でも、と降りたのですが、デジカメのSDカード容量がまずいものになったことに気付き、留萌でなんとか、と祈るように思っていたところ、徒歩圏内に家電量販店があって助けられたことが強く思い出として残っています

蕎麦は売り切れ

深川~増毛間は66・8キロ。当時から本線としては短い方でした。札幌までの延伸計画があったが、かなわず増毛止まりのままだったとされます

留萌であらためて乗車して増毛へ。最初に乗った留萌行きは、それなりにお客さんがいたのですが、留萌からは私ともう一人、たった2人の利用客での出発でした

増毛といえば、当時は駅舎内で夏季のみ行っているそばが有名でしたが、すでに売り切れだったのか、この日の営業は行っていなかったのか、残念ながら食べることはできませんでした

その分、駅については満喫しました

当時、増毛から出発する列車は1日7本(うち1本は休日運休)。ほとんどの列車は留萌方面からやって来ると、10分ほどで折り返していくのですが、1日に1本、14時47分の到着列車は出発が15時38分と50分も駅にいてくれました

もちろんそれを狙っていったのですが

周辺散策の時間もありましたが、当時の北海道としては、かなり季節外れとなる猛烈に暑い日でした

戻りは整理券で乗車。旅に出るとフリーきっぷを使用することが多いので意外と整理券のお世話にはならないので、たまに利用すると新鮮

この日は滝川泊まりだったので、15分ほど乗車した特急の車内で車掌さんからきっぷを購入

なぜ滝川に泊まったかというと

翌朝、新十津川から札幌に向けて出発するため。新十津川の風景として有名だった、お子さんに見送られての出発でした

この時からわずか11年。もちろん当時は廃線の前提で訪れたわけではありません。ただ今回紹介した駅はラベンダー畑をのぞいて、いずれも今はありません

にほんブログ村 鉄道ブログへ

にほんブログ村 鉄道ブログ 駅・駅舎へ

↑2つクリックしていただけると励みになります