神杉駅の駅名標

※訪問は2024年4月3日

どうする7時間

福塩北線の残る2駅の回収。1駅目の吉舎は無事終わったが、問題は残る1駅の河佐駅。ただ

時刻表で分かる通り、現在は8時過ぎ。次の河佐方面は15時11分で7時間後だ(12時58分は臨時列車で本日の運行はない)

さすがにここで7時間過ごすわけにはいかないので、あの手この手の時間つぶしを発動することにする

まずは芸備線の神杉駅で降りてみる。こちらは2年前に芸備線の三次~備後落合の全駅訪問を行って以来の訪問だが、塩町と神杉の二択で前回は神杉で乗車したものの下車はしていなかったため、下車することにした。また塩町は場所的に過去複数回降りていて、神杉の桜がきれいだったこともある

なぜ下車しなかったかというと、前回はなかった石碑にその理由がある

立派な石碑だ。元々は塩町を名乗っていたが、それまでの田幸駅が福塩線の接続駅となって塩町に改称。それに伴い当駅は神杉駅となった。田幸駅は後からできたので、駅間距離は短く1・5キロしかない。ゆえに列車を待っている間に徒歩移動となった

線路沿いには歩けないが、それでも20分で到着してしまう。もっとも私は近道を行こうと田んぼのあぜ道チャレンジを決行。例によって(?)失敗したので30分以上かかってしまったのだが(笑)

本日二度目の体験

神杉は駅舎とホームまで距離があり、その間には旧貨物ヤードや留置線が残っている。駅舎側からのホームの姿が私は好きである。2年前の写真にも右側に見える無蓋車があったので、これはしばらく「不動」なのかもしれない

三次に戻る

と、本日2度目の貸切体験。青春18きっぷシーズンのローカル線ではなかなかできない体験を1日2度もしたことになる

三次で乗り換え

ひとつお隣の西三次駅へ。かつてはここが三次駅だった。現在の三次駅は備後十日市を名乗っていたが、三次町と十日市町、他の6村が合併して三次市が成立した1954年に駅名変更。3年前までは三次駅時代の面影を残す立派な駅舎があったが解体され、ホームのみが残る駅となっている

周辺は住宅街だが、三次駅に近すぎるためか利用者は三次~広島で最少の1日10人(2022年)となっている。貨物輸送でも栄えた駅で、広めの構内に雰囲気は残るが、切り株だけにされた木と雨ざらしのベンチがやや寂しい

三江線跡と三次名物も

再び三次に戻り

バスに乗り込み三江線の駅跡訪問。こちらはすでに記事化した

またまた三次に戻り、今度は昼食。三次名物の唐麺焼き。お腹は満たされたが、まだ時間はある。7時間というのは長い

向原駅へ

「山陽新幹線開業記念 向原町国鉄職員一同」とある

時代の転換期を表している

そして今日何度目になるのか、三次に戻ってようやく福塩線の午後の部が始まる

待ちに待った府中行き。ようやく乗車となるが、青春18きっぷというのは実に便利なもの、偉大なものだと改めて思った

にほんブログ村 鉄道ブログへ

にほんブログ村 鉄道ブログ 駅・駅舎へ

↑2つクリックしていただけると励みになります