中田駅

牟岐線の木造駅舎紹介3~「南」を冠する中心駅

南小松島駅の駅名標

※訪問は2023年7月21日

朝から多くの旅客でにぎわう

南小松島駅を訪問した至近は今年7月21日

列車が到着すると多くの乗降がある

到着は朝の8時過ぎで最も利用者の多い時間。この日から夏休みに突入しているので、高校生の姿は前日までとは異なるのだろうが、それでも多い。駅に降りる人も多いが、これから徳島市内への通勤通学を行う利用者はもっと多い

小松島市は徳島市のお隣でベッドタウンとなっている

こちらは駅舎。右側の空間はかつてJR四国が各地で経営していたパン店が入居していた。JRに移管して大きな変化のひとつとして「副業が可能になった」ことが挙げられる。意外と知られていないが、国鉄時代は「民業を圧迫する」との理由で飲食店やホテルの経営、不動産業などができなかった。副業が解禁になったことで売り上げに貢献する態勢が整い、JR四国でも利用客の多い駅は改装して店舗のスペースを作り出したがパン店については各地で撤退。残ったいくつかの店舗は別のパン店として再出発している

ちなみにJRから転換した各地の第三セクターについても国鉄と同じ理由で副業は禁止されていて、苦戦の原因となっていることを記しておく

当駅の開業は1916年(大正5)と前記事で紹介した中田と同じだが、財産票によると駅舎は1935年からのもの。前述した通り、JR移管時に改築され現在に至る

歩いた方が早い?

当駅は2022年の1日の乗降客は1418人で徳島県では6位。コロナ禍前までは1800人の利用があった。小松島市の中心駅だが「南」の冠が付くのは国鉄末期に廃駅となった小松島駅が存在したため。ただし長らく小松島の中心地は南小松島駅だった。小松島駅の誕生は1913年で、わずか3年違いで「南」が付くことになったとも言える。小松島駅の目的は当時、徳島で最も大きな港だった小松島港へ人と物を運ぶためだったので、駅の開設順が逆だったら「小松島港」という駅名になっていたかもしれない

そして、この小松島駅、実は南小松島駅とは実に近い

わずかに徒歩約10分

かつての小松島駅はステーションパークという公園となっているが、南小松島駅周辺から川を挟んで、ずっと小松島市中心街の街並みが続く。地図で分かる通り、川があるため南小松島駅からは線路を敷くことができず、ひとつ徳島寄りの中田からの分岐となっているが、南小松島駅から中田で乗り換えて小松島に行くより歩いた方が早かったのである。貨物輸送が衰えると小松島線が廃線となってしまったのは自然な流れだったのかもしれない

のぞみの泉が人気

南小松島は直営の有人駅(週末や時間帯によっては無人となる)。駅舎内には観光案内所も入居している。前回まで消えてしまった駅舎を紹介してきたが、さすがにこちらは大丈夫だと思う

ただし外から丸見えで、なおかつ清潔ではないというトイレの不備が最近ニュースとなっていたことは気になる点ではある

駅前には地下水の湧き出る「のぞみの泉」があり、地元の方が次々と水をくみに来ていた

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牟岐線の木造駅舎紹介2~駅舎への思いを強くさせた駅

中田駅の駅名板

※訪問は2021年8月4日

分岐駅、難読駅として有名

阿波中島駅で戦前からの駅舎とのお別れをしたその足で中田駅へ。今にして思うと、なぜ中田へ足が向いたのか、よく分からない。何かの予感が発動したのか、とにかく結果的には貴重な訪問となった

意表を突いた形の難読駅として有名。私的な感覚だが、難読駅には「元々の漢字が難しい」ものと「簡単な漢字なのに読み方が難しい」の2通りがあって、後者それも小学校低学年レベルでも読み書きできる漢字を使用しているものに価値があると考える。究極の形が「十三」だと思うが、こちらは駅の規模が大きすぎて難読ではなくなっている。普通しか停車しない支線の駅だったら難読駅クイズの常連になっているのになぁ、と思わずにはいられない

中田駅には、かつて小松島線の分岐駅という、もうひとつの顔があった。牟岐線は徳島から南下し、ここ中田から小松島線が分岐していたのだ。駅は1916年(大正5)の開業と歴史は古い。といっても、以前は徳島の船の玄関口だった小松島港へ直結するための、たった1区間、全長1・9キロという超ミニ路線。国鉄末期の1985年に廃線となったが、当時は「日本で一番短い路線」として知られていた

廃線跡は遊歩道として整備されていて簡単に小松島駅跡にたどり着くことができる

貴重な駅名標を撮りに

中田駅に到着。中田に足が向いた理由をあえて探すとなると、この駅名標を撮るため

同駅訪問はこの時、2回目だったが、駅舎に残る古い駅名標の写真を撮っていなかった。上書きされまくっているが、分岐駅だったことを示す貴重な駅名標。かなり古いものだと思われるが、徳島へ向かう際に「そういえば」と思い出して立ち寄った。もちろん、その後に起こることを知る由もない

通勤通学圏で利用者多数

小松島線の分岐としての役割はJR誕生を前に終わったしまったが、徳島まではわずか9・2キロ、列車の所要時間も15~20分と至近で通勤通学圏としては利便性に富むため、無人化されたもののコロナ前には1日の利用者が1000人を超えたこともある

かつての分岐駅の名残で駅前広場は広く、改築されながらも昭和戦前からの駅舎だった

財産票によると1936年(昭和11)からの駅舎。四国の駅はJR移管後、クリーム色を基本に塗装され直されているものが多いが、こちらもそのひとつ

構内踏切を渡ると島式の1面2線ホーム。真夏の青い空に小松島線の分岐の名残である側線が映えていた

そんな中田駅についての報が届いたのは昨年7月のこと。なんと駅舎が解体され、バス停駅舎に変わったというのだ。駅前にはマンションもあって、多数の利用者がいる駅だけにビックリした。訪問から1年も経っていない。雨の日の朝は雨宿りをするだけで大変だろう

と同時に駅舎の存続については全く油断ならないことを痛感。行ける場所であるなら、機会を逃さずに訪れ、記録を残しておかないと、と思った。今年7月にも現地を訪れ、いくつかの駅に降り立ったが、牟岐線の駅舎紹介はその一環である

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牟岐線の木造駅舎紹介1~きっかけは2年前の夏

阿波中島駅の駅名標

盛夏に大急ぎで駆けつける

話は2年前の8月4日にさかのぼる。猛烈に暑い日だった。私は牟岐線の阿波中島駅を大急ぎで目指していた

阿波中島駅。優等列車の停車駅ではなかったが、旧那賀川町の中心駅で周辺は開けている。住宅や店舗も目立つ

牟岐線はメイン国道である55号線に沿うように走っているが、国道からも近く、道路沿いにはロードサイド店が並ぶ

牟岐線では阿南のひとつ徳島寄り

前回の記事でも紹介したが、牟岐線は2019年にパターンダイヤを導入。牟岐線の特急を1日1往復のみにして他はすべて普通列車とする代わりに、徳島~阿南間については昼間も30分間隔で運行するというもの。距離にして24・5キロと牟岐線全体77・8キロの3分の1にも満たないが、この区間を利用する人にとっては利便性は増している

阿波中島駅は、その30分に1本区間にあるため本数は多い。利用者も400人近くあってJR四国の単線非電化区間の無人駅としては、かなり多い方だ

並列する2つの駅舎

財産票は昭和11年3月を示しているから当駅が開業した時以来の駅舎

無人化されて10年以上が経過。窓口は板でふさがれている

ホームはかつての島式の片側線路が撤去され、1面1線となっている

と、ここまでなら単なる駅舎紹介で猛暑に大慌てで四国を訪れた理由には何もならない。訪問の趣旨はここからである

ホームから駅舎に向かうと

駅舎の前に物置のようなものがある

近くで見ると、このバス停のようなものは「阿波中島駅」と駅名板が埋め込まれた新駅舎。駅舎解体の報を知り、押っ取り刀で現地に駆けつけた次第だった

別の角度から見ると新旧駅舎が並んでいる

駅構内には張り紙があった。駅舎新築と旧駅舎撤去の案内

全国各地で簡易駅舎への移行が進む。ただ大抵の場合、いつの間にかバス停のようになっている新駅舎を見るだけで、このように並立状態で眺めることは少なく、こうして見るとバス停化された駅舎がいかに小さいものかが、よく分かる。複雑な心境になるとともに軽いショックを受けた

悲しいことに何十年の歴史を持つ駅舎でも解体は一瞬で終わる。この日から、ちょうど2年が経過した今年7月に牟岐線に乗車したが、もちろん車窓から見えるものは、かつて駅舎があった広い空間とバス停化した駅舎だけだった

木造駅舎を中心に牟岐線の駅舎紹介をしていきます

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