東舞鶴駅

若狭湾に沿って走る84キロのローカル電化路線小浜線を行く~舞鶴など昔の話

何事も今のうちに

こちらは前日の17時40分に東舞鶴駅に到着した際のホームの様子。小浜線から舞鶴線へすぐ乗り継げるようになっている。何の気なしに撮った写真だが、しばらくすると車両が代替わりして、かなり時間が経ってから「あの時乗ったなぁ、見たなぁ」と思うことがしぱしぱ。すっかり様変わりするのは駅だが、車両については全く専門外の私でも懐かしさのあまり写真を眺めてしまう。つい先日、青春18きっぷで岡山へと出向いた際、赤穂線に乗ると「食パン改造車」に出会った。以前は「ラッシュ時にこんな2両編成に詰め込むなんて酷いな」と思っていたものだが、もう間もなく姿を消すと思うと感慨がこみ上げてくる

もっとも北海道で話題となったキハ40についてはJR西日本では広い範囲でバリバリの現役。いわゆる「タラコ車」だが、こちらはまだまだ主役の座から降りそうにない

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早朝の東舞鶴を歩く

朝は悠然とバイキングの食事でスタートする。今日についてはのんびりと駅訪問をしながら敦賀へと向かうつもり。どうやっても今日だけで全駅訪問は無理なので、気候が変わったころに再訪の予定。また同時進行のように湖西線の各駅訪問も行っていて、いくつかの駅で降りながら帰路へとつく。湖西線も小浜線同様に北陸新幹線の影響を受ける可能性のある路線で、こちらは今後の様子を見てから記事化したい

まだ7時になっていないアーケードを駅に向かって進む

「ようこそ」の案内表示にロシア語まで入っている

駅の改札口には7時前に到着。有人になるのは8時からだそうで、随分遅く感じるが、ここから出発する人より8時ごろから降りてくる人の方が多いのだろう

こちらが時刻表。京都までの特急が8本もある。この特急は福知山駅で大阪方面への特急と神業連絡を行うが、小浜線と比べ随分と待遇が違う。しかも始発が5時台なのに比べ、終電は20時39分しかも小浜止まりと店じまいも早い。流動の特性がこのようになっているのだろう

駅で見た写真

改札の外にもお手洗いがあるのでま繁華街とは逆方向の出口に行くと、かつて多くの線路が並んでいたと思われる場所は芝生広場。規模の大きさを感じる

そして駅構内の写真。軍港だった舞鶴は終戦と同時に引き揚げの舞台となる。国外にいた日本人の多くが戦後3年でほぼ帰国したのに対し、ソ連によるシベリア捕虜抑留もあって、ソ連からの帰国は遅れ、最後の帰国は1958年と戦後13年も経ってから。舞鶴港へ最初に帰国船が到着したのが1945年10月7日で、舞鶴市では10月7日を「舞鶴引き揚げの日」としている。以降、66万人もの人が舞鶴港へ引き揚げてきた

30年以上前、当時港で取材した元新聞記者の方に話を聞いたことがある。引き揚げてきた人、迎えた家族、引き揚げ船が着く度に夫を探す家族の話はいずれも中身の濃い話だった

と同時に原稿を送る苦労も聞いた。今のようにネットにつなげば写真を送れる時代では当然なく、FAXなんてものが登場するのは何十年も後だ。原稿については電話で吹き込む(電話で原稿を読み上げて会社にいる人が原稿用紙に書く。私もギリギリその時代を知っている)ことができるが、写真についてはそうはいかない。有力な送信手段は伝書鳩だった。ハトの足にフィルムを装着して「空輸」する。訓練されたハトは無事、大阪まで運んでくれたそうだが、ハトにも個体差があって締め切りに到着しないこともしばしば。「○○新聞のハトは優秀やった。うちのはアカン」と30年以上前のことをボヤいていた

さらにもうひとつ、これは舞鶴とは関係ない余談だが、今から70年前の大阪鉄道管理局。建物は平成の声を聞いても大阪駅の北側にまだ残っていたと思うが、そこに詰める鉄道担当の記者には「国鉄パス」なるものが国鉄から与えられていた。全国の国鉄路線が年中乗り放題という大判振る舞いなもので、携わった方は、ほとんどこの世を去っていると思われるので、その頃の話をすると、新幹線などというものは走っていない時代、顔写真も張っていないパスは重宝され、社内では夏休みの日程を社員がそれぞれ割り振って使い回ししていたとか。その後、とある新聞社が「国鉄が記者にこのような便宜をはかっている」という記事を出して、そのパスもなくなったという。今だったらあっという間に世の中に拡散して大変なことになりそうだが、ある意味牧歌的な話ではある

話は随分横道に行ってしまったが、閑話休題

1時間以上トコトコと揺られて棒状ホームの駅で降りた

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若狭湾に沿って走る84キロのローカル電化路線小浜線を行く~東舞鶴に宿泊して知ったこと

※訪問は2025年3月26日

京都府の一部も金沢支社の管轄

小浜線の終点となる東舞鶴駅に到着。以前は多数の側線を持つ大きな駅だったが、今は高架の島式1面2線のみの駅となっている。当駅までが小浜線、当駅より先が舞鶴線となっていて線路はそのままつながっているし、一見すると途中駅のように見えるが、運行は完全に分断されていて、列車によっては短い乗り継ぎ時間で、そのまま前進できる

小浜線はJR西日本の金沢支社の管轄となっているため、小浜方面からやって来ると、当駅の手前までが金沢支社の管轄つまり松尾寺駅も含め、近畿2府4県となる京都府の一部まで金沢支社の線路と駅があることになる。東舞鶴駅は帳簿上では舞鶴線の所属となり、駅そのものは近畿統括本部の管轄となっている

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全く異なる東舞鶴と西舞鶴

東舞鶴駅は高架駅。地上駅時代だった以前とは駅の様子もすっかり変わり、管理駅の座も降りているが、重要駅であることに違いない。到着が17時40分だったということは、写真を改めて見て思い出したのだが、春を間近にこの時間帯でもまだ明るい

今日は東舞鶴に宿泊する。朝に長浜を出て小浜線内をウロウロしながらここまでたどり着いた。駅を降りるとすぐに大きなアーケードがあって街の規模を知る。駅は過去に何度か来たが、街を歩くのは初めて。もちろん宿泊も初めてである

前回の若狭高浜駅の記事で高浜町が舞鶴の経済圏にあることを初めて知ったと記したが、初めて東舞鶴に宿泊して知ったことがある。こちらについては「そんなことも知らなかったのか」と言われそうだが、事実なのでしょうがない。それは「東舞鶴と西舞鶴は全く別の町」だということ

あまりに鉄オタ生活が長くて、全国にある「東○○駅と西○○駅」の違いぐらいにしか思っていなかったが、古くからの城下町である西舞鶴と軍港として発展した東舞鶴は全く性格の異なる都市で、別の自治体だった。西舞鶴地区は元々が舞鶴町、東舞鶴地区は新舞鶴町という自治体で、昭和になって、それぞれが舞鶴市、東舞鶴市となり、戦時中に軍の意向もあって合併して現在に至る

確かに駅の歴史を見ると、開業はともに1904年(明治37)11月3日と同じ日だが、西舞鶴駅は舞鶴駅、東舞鶴駅は新舞鶴駅としてスタート。つまり自治体名と同じ駅名だった。といっても駅名だけ眺めると、すっかり新幹線の「新○○駅」に慣らされてしまった現在は、同じ自治体にある駅と思ってしまいそうだが

駅から徒歩で10分ほどのホテルに宿泊。チェックインの手続きをしている間にあたりはすっかり暗くなっていた

2食付きのプランを選択。最近は外に出るのがおっくうなのと、コスト的な両面で、このようなプランがあれば積極的に利用している。館内のレストランでシチューの夕食を摂り、後は近所のコンビニで購入した酒とつまみを部屋でチビチビやりながら長浜からの1日は終了。明日は今日とは逆にゆるゆる敦賀方面を目指すことになる

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