豊科駅

成り行きで大糸線の全駅訪問になってしまった話~こんな足下こそ徒歩15分「あったかいんだから」

※訪問は2024年3月6日

本日の教訓は「急がば回れ」

大糸線の原型が信濃鉄道によって敷設された信濃大町~松本であることは、これまで何度も記してきた通りだが、基本形が私鉄ということで「駅間が短い」という特徴がある。一部を私鉄が造り、全線工事を国鉄が引き継いだ例としては福塩線(広島県)があるが、こちらも私鉄部分の駅間距離が短いのは、福塩線の項で記した通り

この時も駅間徒歩を2つほど行った。原型が私鉄だった福塩線の福山~府中と大糸線の松本~信濃大町には、もうひとつの共通項があって、昼間はほぼ1時間に1本の運行である。この1時間に1本という運行は駅巡りにはある意味、ちょうど良い本数で行ったり来たりを繰り返せば、ほど良い滞在時間で駅訪問ができる。もっとも行き詰まって結局は、ほぼ1時間の時間つぶしが必要となってしまうこともあるが、そんな時の最強武器は「徒歩」となる。まぁ、これについては駅間徒歩の距離限界には個人差があるので何とも言えないが、私の場合は1時間以上空いてしまうのなら4キロまでは歩いてみることにしている

さらに言うと、距離以上に重要なのは気候で、トシをとると炎天下に15分も歩けない。かといって風ビュービューの真冬もイヤだ。だから徒歩という手段を使うのは春の青春18きっぷ期間が多い

前置きが長くなったが、ここで豊科駅前の周辺案内図である

ふと見ると赤丸で囲った豊科と南豊科の駅間が極めて近いことが分かる。ここはグーグル先生の出番であろう

うーん、これは近い。実はちょうど前述した行き詰まりの時間帯で豊科駅で待ち時間が発生していた。この時は大糸線全駅訪問など考えていなかったので執念じみたものはなかったが、駅でボーッとするぐらいなら歩いてみよう。幸いなことに現在は15時。午後になって気温も上がり体感で10度近くにはなっているのではないか。もっと幸運なことに無風である。ちょうど良いではないか。ただし松本駅から北松本駅を歩く際、近道を行こうとして誰も踏みしめていない雪の路地に突っ込んでしまい大変な目に遭ったので、その学習機能を生かしてできるだけ広くて立派な道を行こう。スマホ液晶をできるだけピンアウトで広げた結果、地図では「18分」と表示されている線路から最も離れたコースを行くことにする。「急がば回れ」が本日の教訓だ

簡易的なようで簡易的ではない新駅舎

ということで実際には15分を切るペースで順調に広い道を歩き続けて南豊科駅に到着。かなり広い2車線道路で歩道もある。これだけ広いと積雪を避けながら歩くことも可能。もっともそこまで余裕がなく道路の写真を撮ってはいなかったけど

南豊科駅は真新しい駅舎だった。開業は1926年(大正15)。豊科駅の開業から10年以上遅れて豊科と中萱の間に設置された。4月14日で先に紹介した島高松と同日の開業。後から付け足す形で駅が新設されるのも大糸線の特徴である

現在の駅舎は2020年に新築されたものなので、まだ4年。一見すると簡易的なものにも見えるが

訪問時は時間外だったが、無人駅ではない。JR東日本の子会社による業務委託駅で改札も行われるようだ。周辺は新しい家が並ぶ住宅街で最寄りの高校が2つもあるため、1日の利用者は約1500人で実は豊科とそう大きくは変わらない

ホームは棒状の単式。貨物駅になったことはないが、島式ホームになる予定があったかのような構造だ

そしてふと目にとまったのは

きれいな待合室。先客がいる。入ってみるとエアコンが設置されていてポカポカだ。ちょっと前に流行した「あったかいんだから」のフレーズが勝手に出てくるほどだった。夏季は逆に涼しいのだろう。お手洗いもあるので安心して自販機で暖かい缶コーヒーをいただいた

ホームへの経路はスロープでバリアフリー対応

さて新築同様の当駅だが、気になるのはそれ以前の姿だ。戦前からの駅舎があったことは分かっているが一体どのような姿か、と思った方はグーグル地図で南豊科駅を指すとよい。ここの写真には旧駅舎の勇姿がしっかり残されている

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成り行きで大糸線の全駅訪問になってしまった話~安曇野市中心駅の地名由来に驚く

※訪問は2024年3月6日

長野らしい地名だと思っていただけだったが

穂高の次は豊科で下車

前回の穂高駅の記事で「大糸線には知名度の高い駅が多い」と記したが、当駅もそのひとつ。見方によっては難読駅だが、かなりの人が読めるのではないだろうか。駅の所在地は、かつては豊科町だった。平成の大合併で周辺の町村と合併して安曇野市が誕生したが、市役所は豊科駅近くにある

長野県には「○料」という地名が多い。「更科」「蓼科」がパッと思いつく。安曇野市内には「明科」があり、こちらは篠ノ井線の駅にもなっている。「料」が多い理由としては、信濃の国で多く獲れる「科(シナ)の木」は「信濃の木」がなまったもので、地名にもよく使われるようになった、など諸説あるようだが、とにかく「豊科」も「科シリーズ」の一環だろうと勝手に考えていたが、この地名は明治になってからできたもの。複数の村が合併する際、それぞれの地名である「鳥羽(とば)」「吉野(よしの)」「新田(しんでん)」「成相(なりあい)」の頭文字をとって作られたという。新しい地名をそれぞれの頭文字をとって並べるというのは、よく聞く話だが、わざわざ長野らしい「科」を入れたことが凝っていて、なおかつニクい

路線では貴重な管理駅

安曇野市内の駅では、観光客の多い穂高の利用者の方が多いが、鉄道駅としては豊科の方が上位となる。大糸線内では松本を除くと管理駅は豊科、信濃大町、白馬、南小谷の4駅のみ。うち白馬、南小谷の2駅が「村」に所在するのが大糸線らしいが、その4駅のうちのひとつ(JR西日本区間の各駅は北陸広域鉄道部の管轄となっている)

豊科駅は1915年(大正4)の開業。大糸線の駅紹介で何回か触れているが、大糸線の信濃鉄道は豊科~松本市(現北松本)を開通させたことが始まりで、その後、北へと線路を伸ばし国鉄によって全通された。いわば基礎となる駅

現在の駅舎は2007年(平成19)に大幅リニューアルされた。以前は無骨な駅舎だったが、いわゆる「スイス風」に変更

ただ駅舎の基礎部分は旧来のものをそのまま使用しているようだ。ちなみにワイン造りも行う安曇野スイス村は駅から車で数分の場所にある

また長野自動車道の安曇野ICも至近である

これもまた大糸線内では貴重な自動改札機が設置されている。現時点ではSuica使用不可の改札機である。指定席券売機も設置されているが、みどりの窓口は昨年に営業を終えていて、管理駅なので人は常駐しているはずだが、改札業務も含め早朝と夜は休み。おかげで夏の青春18きっぷのハンコをもらうのに苦労したが、それについては当該記事で触れるつもり

撤去が続くJR東日本ならではの写真入り駅名標もまだ現役。駅舎の駅名板にも白鳥が描かれているが、豊科は白鳥の飛来地として有名でもある

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