井関駅

永遠の未成線・名松線を全駅訪問~エピローグは坂道

伊勢石橋駅の駅名標

2023年3月15日

全駅訪問完了はいいものの

井関駅で名松線全14駅(松阪駅のぞく)訪問を終えたのはいいものの、大きな問題があります

当然ですが帰宅しなければならないのです。別の言い方をすれば、ここ井関駅からの脱出。とにかく近鉄の駅へと向かわなければ大阪方面へは帰れない。逆に言うと近鉄のどこかの駅へ行ければ、後は何とでもなります

名松線は路線そのものが行き止まり構造で、家城~伊勢奥津の山中の駅から近鉄の駅へはつながりようがない。家城~松阪間の平野部の駅と近鉄の駅とは、車だとすぐの場所にあるのですが、両者を結ぶバスというのがほとんどないのです

そもそもゴール方法に問題があって、伊勢奥津から松阪行きに乗車して井関で降りた以上、次の松阪行きは2時間後でさすがにそれは待っていられません。ということで乗り継ぎが便利な一志そして松阪での乗り換えは不可能。もっとも逆方向の伊勢奥津行きですら1時間半後ですから、現在の時刻が16時過ぎということもあって、それも待っていられないし、乗ったところで先のアテがありません

道中からどうしようと迷っていたのですが、ひとつ薄いながらアテがあったのは、井関駅だからこそあるバスです。山中から、ここ井関を経て近鉄の川合高岡駅を経由、最後は久居駅に行くバスが1時間に1本ある。これは貴重な存在なのですが、下調べでは、なぜかこの時間だけ2時間空いている。ただバスについては下調べと現実が微妙に異なっていることも過去にかなりあって、それに期待したのですが駅前のバス停でチェックすると、当然のように下調べの通りでした

ということで

またもや徒歩

結局は最後も徒歩ということになりました。最も簡単なのは川合高岡まで行くことでバス道に沿って歩けば30分ちょっとで歩けるはず。しかし調べると、もうひとつ伊勢石橋という駅の方が距離的には近いようです。川合高岡は何度か行ったので、ここは一度も行ったことのない伊勢石橋まで歩いてみることにしましょう

こんな感じの行程となります

井関駅から西へ歩き踏切を渡ると、あとはほぽ一本道のようですが、なかなかの茂みが待ち構えていますね。当然のように難問を突きつけられました

凄い坂が待っていました…泣

地図ではそこまでは分かりません。ただここまで歩いてきた以上、引き返すことはもう無理。今日はかなり歩きましたが上り坂は初めて。携帯アプリがない時代だったら、絶対にあり得ないコース

小さい峠のようになっていて、そこを下って雲出川が見えると川に沿って大きめの集落がありました。ただここから近鉄の駅へはまだかなりの距離があって、珍しい光景だな、と思いつつ

夕陽を眺めながら、今日のお友達である雲出川を渡りましたが、後で調べると伊勢川口の項で触れた中勢鉄道は川沿いにこの集落付近を抜けていて途中には駅跡に駅名標のレプリカも建てられているとか。もっとも、この時の私は疲労困憊、先を目指すことばかりを考えていて、そんな余裕はありませんでした

近鉄大阪線の駅とは思えず

その後、再び農村地帯に入り、進んでいくと架線が見えてきました。これで終わりだと思うとドッと疲れが出てきます。電化区間の駅というのは、写真撮影で架線がじゃまになることも多いですが、遠方から見つける時は便利ですね

その伊勢石橋駅。着いて驚いたのですが

全くのホームだけの駅でした。どうもかつてあった駅舎は撤去されたらしい。中勢鉄道との乗り換え駅の役割も果たしていたようですが、そんな雰囲気はありません

もちろん近鉄大阪線の駅なので複線。両側にホームと待合所があるのみ

こちらが時刻表。少し前まではもっと本数があったのですが、コロナ禍で昼間の運行が1時間に1本となりました。私の到着は17時前でしたので30分間隔の時間帯。名松線と比べると夢のような本数です

ちなみに私が滞在する間、17時という帰宅時間帯だつたにもかかわらず、ホームは私の貸切でした

電車がやって来たので、これで全駅訪問の旅は終了です

ホームはずっと貸切でしたが降りる人も誰もいませんでした。なお、この付近の近鉄の駅では当駅のみ極端に利用者が少なくなっています。他の駅では名松線の1日の乗客より多いのではないか、というほど利用者がいるのですが、事前知識なしで訪れた近鉄の駅がピンポイントで「駅舎なし」「貸切」と名松線の駅と同じワードだったことが、何かこの日を物語っているようでした

なお、気になる名松線の将来についてですが、JR東海の社長は昨年の記者会見でJR各社が軒並み路線ごとの収支を発表する中、東海のみが発表していないことについて「収支という形で発表する予定はない」「(JR東海管内でバス転換や廃線についての)予定は当面ない」と話しています

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永遠の未成線・名松線を全駅訪問~ゴールは不屈の路線のかつての終着駅

井関駅の駅名標

2023年3月15日

伊勢鎌倉15時27分→井関16時10分

伊勢鎌倉から松阪行きに乗ります。井関で降りれば、名松線の14駅(松阪のぞく)の全駅訪問となります。家城はどうやっても長時間停車で訪問となるのですが、先に伊勢奥津、一志、伊勢八太の3駅を終えておいて良かったです。特に伊勢八太に関しては居眠りによる乗り過ごしという副産物。当日は「あちゃー」でしたが、その1駅分が効いています

年明けの訪問では乗客全員が…

話を少しだけ戻します

今年1月8日に伊勢奥津を訪ねた時のこと

この時は前日に廃駅の池の浦シーサイドなどを訪問して松阪泊。翌日は始発で出発。伊勢奥津で折り返して一志で下車。近鉄に乗り換えて津に行き、再びJRに乗車。紀勢本線で亀山→柘植を経て信楽鉄道に乗車しました

年明け早々の日曜日でしたが松阪からの乗車は数人。一志でさらに数人が乗り込んできて、これは雰囲気で分かったのですが、おそらくは同業者(鉄道ファン)ばかり。学校もお休みの始発には地元の方の利用が少ないことは理解しているつもりでしたが、誰も途中駅で降りない。となると、ますます同業者色が濃くなり、降りる時に分かったのですが、11人の乗客全員が青春18きっぷの利用者でした。フリーきっぷの利用は路線の実績になりませんので、数字的には、この日、この時間帯の乗客は0人、運賃収入も0円ということになります

この例で分かるように、名松線の利用者はそう多くない、というかかなり少ない。特に家城から山中に入っていく伊勢奥津までの区間は、そもそも住民が少なく、モータリゼーションの浸透とは異なる側面で利用者が大幅に減っています

名松線が何度も廃線危機に面したことは

この時にも触れましたが、最大の危機は2009年10月の台風被害で家城~伊勢奥津の数十カ所で崩落などの被害が出て、JR東海が打ち出したのは「JR運行によるバス代行」。この山中は過去にもたびたび台風被害を受けており、1982年には全線が10カ月にもわたって運休したこともあります

JR側は「今後も同様の被害に遭う可能性がある」としてJR路線そのままの運賃でのバス転換を提案。公式見解にはありませんでしたが赤字路線だったことが大きな要因であることは明らかです。この時点で、赤字地方交通線の対象から外れた、平行する代替道路未整備の問題は、ほぼ解決していました

これに対し、路線維持を望む津市や三重県の対応は迅速でJR側が出した山間部や河川部の修復や将来にわたる維持責任についても受け入れ、治水、治山工事は自治体が行うことで問題は解決。2016年3月に6年半という長期間の運休を経て全面復旧しました。いわば盲腸線ともいえる路線でのこのような復旧は奇跡的。不屈の路線です

以前の終着駅は利用者最小

井関に到着しました。これで全駅訪問完了。付け加えると、すべての駅で乗車もしくは下車を行うことができました

ちなみに「いせぎ」と読みます。微妙に難読です

名松線は1929年8月に松阪~権現前が開通した後、1930年3月に当駅までが開通しました。1931年9月に家城までが開通したので1年半の間、終着駅だったことになります

ただし現状はこのような感じで、基礎部分が残っているため、ここに駅舎があったと考えられますが、正式な記録が出てきませんでした。構内も広く、かつてはすれ違い可能だったような構造ですが、現在は1面

待合所は古いもののようで財産票があったので見ると

1929年(昭4)とありました。駅の開業は1930年3月なので3カ月もさかのぼって待合所ができたことになりますが、古いものであることは間違いないようです

この井関駅ですが、松阪~一志と伊勢大井~家城の平野部のちょうど中間にあり、この部分だけが山中となっていて周囲に民家は少ない。利用者は名松線で最小となっています

ある意味、ゴールにふさわしい場所だったかもしれません

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