3月24日11時半

連続停車は画期的なことでした

武生の次は北へひとつお隣の鯖江で下車します

現在、鯖江駅を走る特急の主力は大阪行きのサンダーバードと米原or名古屋行きのしらさぎの2種類。もうひとつ朝夕に通勤者用の特急があります。サンダーバードの停車パターンは両駅を通過するか、両駅とも停車するかの主に2パターン。しらさぎは東京からの新幹線乗り継ぎ要素が強いのですべて停車します。通勤特急は当然停車

この2駅連続停車は、国鉄時代の特急では、ある意味御法度でした。急行と特急では料金が大いに異なり(その規定は今も残っていますが定期急行がないので有名無実状態です)、高いカネを払っている(取っている)のだから停車駅は限りなく少なくしないと意味がない、差別化できないとの考えがあり、近い場所に有力な駅が2つある場合は交互にどちらか停車させる千鳥パターンをとっていました。私が実際に体験したものでは神戸市の神戸と三ノ宮、広島県の福山と尾道などがそうでした。そもそも特急は原則全車指定席です

しかし国鉄の最後の方に「エル特急」が出現。お高いイメージの特急にもっと乗ってもらおうと、自由席を設けて停車駅も増やした「エル特急」は大いに受けました。今では信じられないことですが昔の急行というのはグリーン車以外は冷房が付いていないことも普通にあったのです。おまけに座席は4人BOXの背中直角シート。これまで停まらなかった駅にも停まるようになったし、少々高いカネを払っても特急車両で気持ちよく行こうという方が多かったのでしょうね。「でしょう」と書いたのは貧乏学生だった私には特急なんて高嶺の花。帰省の際に新幹線に乗るのが目一杯のぜいたく(半分ぐらいは大垣夜行でした)で、平素の旅行では急行を探して乗っていましたら

ただエル特急の効果は抜群で、主要路線の急行があっという間に衰退してしまいました。やはり自由席の採用が画期的なことだったと思います。別の角度から見れば、体のいい値上げだったわけで、コロンブスの卵というか、これを考えた人は凄い

めがねの街とコンクリ駅舎

鯖江は国鉄式の平面コンクリートです。私はこの「ザ・国鉄」駅舎が大好きなんです。近年、急速に姿を消していますが日本海側はかなり残っているイメージがあります

姿を消している理由としては老朽化ももちろんありますが、このようにコンクリートで固めた駅舎を規模の大きな駅に造ると、線路を挟んで駅舎の反対側にいる人は「駅前にいながら駅までが果てしなく遠い」状態になってしまいます。規模が大きければ大きいほど、線路の本数は多く踏切を設ける場所もどんどん遠くなります。駅ができた当時は街の中心部に向けて駅舎があり、それほど問題にならなかったことが時代が進むにつれて問題になっていきます。それを解決するのが橋上駅舎化や高架化で片方だけの古い駅舎は各地で姿を消していっています

解決策のひとつは歩行者のための地下歩道を造ることで、ここ鯖江も

地下の自由通路ができています。「めがねのまち」のシルエットが、さすが鯖江という感じがします

戦前に既にメガネの製造で東京や大阪を上回り、現在はメードインジャパンのメガネの95%を誇るメガネの街

こうやってメガネストリートを歩くこともできるようです

さて駅に戻ります

「きっぷ売場」の文字がいいですね。明らかに国鉄時代からのものと思われますが、いつまでも残ってほしいです

今も残る「特急」

さて手元に1988年3月の時刻表があります。JR移管後1年。既に昼間の急行は姿を消しています

サンダーバードもスーパー雷鳥もまだなく、エル特急雷鳥がずらり並んでいます。まだ昼行で大阪と青森を結んだ特急・白鳥は健在ですが、こちらはエル特急ではなく武生と鯖江は通過です。他はしらさぎと加越。しらさぎが名古屋行き、加越が米原行きなので、夜行を除くと今とほとんど同じ特急パターン。既に両駅停車が多くなっていますが、武生のみというダイヤが多い。しかし鯖江のみというのもチラホラ。昔の特急の名残が残っています。実は今も数少ないながらも存在していてサンダーバード上りで武生のみ停車が4本、鯖江のみ停車が1本、下りでは武生のみ停車が3本あります(鯖江のみはありません)。停車パタンの基準については分かりませんが、こうやって時刻表を眺めていると私は楽しくなってしまいます

 

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