八戸線

JR東日本パス ファイナルを前に~秋を振り返る えきねっと連打

本八戸駅の駅名標

2022年10月16日7時30分

八戸の中心地は本八戸です

旅は最終日となりました。朝の本八戸駅

八戸の中心駅は本八戸。八戸ではありません。八戸まで鉄路が到達したのは1891年の明治24年とかなり早い。上野から青森まで全通した際に駅が設置されましたが、当時の駅名は尻内で、しかも上長苗代村という八戸町(当時)ではない自治体でした

さすがにこれでは不便すぎると現在の本八戸まで約6キロの支線ができたのが、その3年後。これが延伸して現在の八戸線となりました。当時は八ノ戸という駅名で明治のうちに八戸駅になっています

動きがあったのは戦後かなり経ってからのことで、まず上長苗代村が八戸市に。その後、尻内駅が八戸駅となり、八戸駅が本八戸駅となったのは1971年の昭和46年と戦後20年以上が経過してから

ただし駅としての格は高く、手元に東北本線が全線電化された1968年の時刻表があるのですが、寝台夜行も含めて1日5本運転されていた上野~青森の特急は、うち3本が仙台を出ると途中の停車駅は盛岡と尻内のみ。残る2本は盛岡のみの停車ですから、かなり偉い。一ノ関も花巻も通過です

今の感覚をあてはめるわけにはいかないのですが、当時は尻内=八戸という認識が、しっかり根付いていたのでしょうね

似たような例としては山陽本線の竜野駅と姫新線の本竜野駅があります(ともに兵庫県)。こちらは直線距離はたいしたことはないのですが、列車で行こうとすると大変な大回りと時間が必要となります。両駅を鉄道でつなぐ計画が消滅したことでこのような形になっています

八戸の中心駅ですから、立派な駅舎と改札を持ち、みどりの窓口も設置されています

観光式の駅名標。島式1面2線で40年以上前に高架化されています

日曜でしたが休日も登校する生徒さんがいて朝のホームはにぎわいます。平日はもっと多いのでしょう

ただ話はちょっとややこしいのですが、本八戸は八戸の中心駅ですが、町の中心地までは徒歩で10分以上かかる場所にあって、ちょっと離れています。前日の到着は19時前で、もちろん真っ暗。ホテルは繁華街に近い所に集まっていて、今は携帯アプリがあるのでいいですが、ひと昔前だったら駅からホテルまで行くのには地図を頼りにするか、ホテルに電話するかしていたでしょう

真っ暗だなぁ、と思っていたところから急にネオンでいっばいの繁華街に出るのでちょっと驚いてしまいました

八戸線は八戸から本八戸をまたいだ鮫までは多くの部分運行がありますが、本八戸駅からの中心部への距離もあってか、八戸駅から八戸の中心部まではバスが昼間も10分間隔の高頻度運転を行っており、新幹線から中心部へのアクセスは、こちらに軍配が上がっているようです

ただもちろん、フリーきっぷを握っている私は八戸までは列車の一択です。東日本パスを利用される方も、おそらくバスなど乗らないでしょうから(笑)、駅からの距離は心に留めておいてください

新幹線の座席確保に難航

列車は約10分で八戸に到着。言い忘れましたが、舌鼓を打つことで訪ねる機会も多い八食センターは八戸駅から1時間に1本、100円バスが出ているので、こちらが便利です

八戸駅です。2002年から8年間、東北新幹線の終着駅でした

八戸線はJRですが、かつての東北本線は青い森鉄道に移管されているので駅名標もJRの部分はこれだけ

いよいよ、旅の最終日にして初めて有料列車に乗るわけですが、昨夜から困っていることは新幹線の座席確保。ここから盛岡まで行って秋田新幹線に乗り換え、大曲から横手経由で北上線に乗るのですが、自分の予想した以上に座席がない。前夜の食事中から何度もえきねっとをチェック。その度に残り1席とか2席とか。ただ最後の北上から東京までの東北新幹線はいずれもB席(3人掛けの中央)で、過去の東海道山陽新幹線のエクスプレス予約連打の経験から、もう少し辛抱すれば他の座席が空くのでは、と予想していたのが甘く、途中で「0」になって焦った(泣)

指定券は発券しなければならないのですが、盛岡での乗り換えは数分しかなく発券するなら15分ほど時間がある八戸しかない。朝起きると何とか空いていて助かりました

もはやA席とかB席とか言ってられません。とにかく滑り込みセーフで一安心

前回も行けなかった蕪島。次回は行ってみたいですね

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JR東日本パス ファイナルを前に~秋を振り返る 三陸鉄道完乗と久慈市の思い出

10月15日17時

久慈ダッシュに遭遇

久慈へと向かう車内は混んでいて座れてはいても身をよじることなど不可能でラグビーボールのつり革を眺めることぐらいしかできませんでした

宮古から三陸鉄道の終点である久慈までは70キロとなかなかの距離。1時間50分かけて久慈へ到着。これで盛からの約160キロを完乗しました。160キロというと東海道本線の東京~清水が169キロなので、その長さが分かります

ここからは八戸線に乗り換えて本日の宿である本八戸を目指すわけですが、三陸鉄道の久慈到着が16時54分で八戸線の久慈発が17時ちょうどと接続が良すぎる。こういう時に何が起きるかというと

JR連絡口の「久慈ダッシュ」。乗ったと思ったらすぐ発車。乗車列車は当然混雑している上に、夕闇に包まれているので完乗の感慨を味わう間もありませんでした。おそらく3月に利用期間が来るファイナルも同様の混雑が予想されるので、宮古での混雑も含め、利用を予定している方は留意してほしいと思います

あまちゃん以前に訪問

さて久慈の滞在は事実上、0分になってしまいましたので少し思い出話におつきあいください。過去1度だけ久慈を訪れたことがあります。11年前の2012年4月のGW直前のこと。3月に八戸線が東日本大震災から1年を経て全面復旧したので乗りに来ました

宿泊地はもちろん久慈ですが、テレビドラマの「あまちゃん」は2013年4月からですから、まだ世間ではそれほど知られていません。私はもっと不勉強。夏の甲子園で当時から注目選手だった川上憲伸の徳島商と死闘を繰り広げたのが岩手代表の久慈商(現在は久慈東)が死闘を繰り広げたことを知っていたくらい

当時は東京で勤務していたのですが、同僚がかつて岩手で勤務していたため「海女さん」「翡翠(ひすい)」「鉄の町」「柔道」「石油備蓄基地」など、それから1年も経てばすっかり有名になっていたことを教えてくれました

東京から久慈へは二戸まで新幹線に乗車し、JRバスで向かうのがメインルート。約70分で結びます

震災からまだ1年で東北新幹線も「はやて」が多く走っていました(はやぶさは時速300キロ以上の列車)

せっかく行くのだからと

大奮発でグランクラスに初乗車

セコい私は、せっかくなんで酒をいやほど飲んでやろう、なんて思っていたのですが午前中ということもあって、たいして飲めなかったことを今でも覚えています

それでも東京から二戸まではやてのグランクラスに乗るなんて今は不可能ですから、貴重な体験です

三陸鉄道にも少し乗りました。こちらは久慈から田野畑までが復旧した直後。時間の関係で陸中野田までしか行けなかったのですが

道の駅が併設されている当駅で久慈までのきっぷを買うと

硬券だったため、感動しました

久慈の繁華街は駅を中心に形成されているようです

どう頼んだのか記憶にないのですが次から次へと魚を食べました。写真だけがいっぱい残っています

ホテルの住所が「川崎町」で、川崎製鉄の大きな工場があったことにちなんでいると知って感心しながら翌朝、駅に行き

後に「本州を走る最後の非冷房キハ40」として有名になった列車で八戸へ向かいました

車窓がとても良かったです

この時は八戸までの1時間40分をたっぷり堪能しました

さて昨秋の現実はどうかというと本八戸着は18時34分。大きな街なので夜の街に繰り出し2軒も行ってしまいました。明日は最終日。そういえばこの2日間、一度も優等列車も有料列車も乗っていませんね

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