中央本線

青空フリーパスの木曽平沢ってどんなところ?~奈良井駅の意外な数字

古い街並みが残る奈良井宿

※訪問は2024年6月22日

出発に要する大変な時間

ホームにまで立派に「奈良井宿」と記されている奈良井駅は有人駅ではあるが、簡易委託駅であり駅員さんはいるが、きっぷ販売に特化されていて改札業務は行わない。つまり乗務員がきっぷや料金の収集にあたるわけだが、当駅を通る電車はほとんどがワンマン運転で、運転士さんが集札業務にあたる

運転士部分のドアのみが出口となり、私もこの時期から8月にかけて何度か当駅を通る電車に乗車したが、下車する人の数が多くて長蛇の列となる。観光客を主体とする駅という性格から途中の無人駅から整理券で乗車して現金で下車というお客さんは少なく、どこかの主要駅からのきっぷを渡すだけだったり、青春18きっぷや青空フリーパスのような見せれば終わりというきっぷを持つ人がいる一方で、塩尻方面から乗車してきた人の中にはSuicaで乗車してきた人もいて(JR東日本区間の中央本線と篠ノ井線の松本まではIC区間)、処理に時間がかかったりする。塩尻から5駅ということもあって首都圏方面からの利用者が多い

出発を待っているだけの私としては駅巡りに影響を与える遅延が気になるところで、数分間の遅れで出発することもしばしば(奈良井~贄川は単線区間で、ここから南はいくつかの単線区間がある)だが、乗っているといつの間にかダイヤが時刻表通りになっているから不思議である

その度に「なんで週末やハイシーズンに特急の臨時停車がないのかな?」と思っていた。手元に9月号の時刻表があるが、9、10月で「しなの」が臨時停車するのは10月12日の1日のみで、これはJR東海が力を入れる「さわやかウォーキング」の実施日。奈良井から古来、中山道の難所だった鳥居峠を経て藪原駅に向かうもので、藪原にも臨時停車があるようだ。少し前までさわやかウォーキングの開催を知らず、本来は閑静な駅に多くの乗下車があって面食らうことが多かったが、最近は時刻表を見てJR東海の同一路線で2カ所の臨時停車があるのを見ると、すぐピンとくるようになった(笑)

なぜ臨時停車がないのか

こちらは駅舎内の様子。訪問時は11時台に上下の電車が同じような時間帯に来ることも重なって、待合室はどんどんお客さんが増えてきた。きっぷ売り場を利用するお客さんも、それなりにいて外国の親子4人連れは京都までのきっぷを買おうとして、翻訳機などを駆使してのきっぷ販売に時間を要したりしていた

窓口の特徴は、かつての手荷物受付が今は荷物一時預かりになっていること。観光案内所も兼ねてはいるが、日本中の古風な駅で見られる手荷物受付跡のほとんどは、今は固く閉ざされているところがほとんど。荷物の性格は異なるが、荷物を渡す機能が今もあるのは貴重な光景だ

と、このように駅としてのにぎわいぶりを記してきたが、データを見て驚くことがある。2022年度の中央西線各駅利用者

JR東海区間の中央西線には39の駅がある。ここから他路線の利用者が多い金山と塩尻を省くと37駅。その中には名古屋市内や名古屋への通勤通学となる大都市区間も含まれるが、奈良井駅の利用者は1日わずか89人で37駅中29位。おそらくこの数字には18きっぷや青空フリーパスのようなフリーきっぷは含まれておらず、途中下車した人も入っていないはずで実際の利用者はもっと多いのだろうが、下から数えた方が圧倒的に多く、奈良井から塩尻方面へ2駅の宿場町である贄川の183人とはダブルスコアである。2022年といえば、まだコロナの影響が残っていて、ならばコロナ禍前の2019年を調べると、確かにやや多いが、それでも140人ほどである。数字だけを見ると特急をわざわざ停車させるほどでもない数字だ

これには周辺人口の側面があって、観光地ではあるものの駅周辺の人口はそれほど多くはなく、通勤通学といった生活駅としての利用が少ないからだと思われる。では駅周辺を埋め尽くす観光客の皆さんはどうやって来たのか、ということにもなるが、実態としては鉄道利用よりも車利用の方が圧倒的に多いという

ぜひ列車利用を

鳥居峠の話が出たが、奈良井宿は中山道の宿場町としては最も標高の高いところにあり、当時の旅人にも貴重な宿場だったという。奈良井駅の標高も高い。すでに触れたが、JR東海では最も高いところにある駅だ

駅にはこんな遊び心も。東京スカイツリーが「武蔵(ムサシ)国」に基づいて634メートルなのは有名な話だが「クサシ」は聞いたことがない。末尾が「34」と同じことから、このような造語にしたのだろうが、さすがに吹き出してしまった

こんな遊び心もある奈良井駅。ぜひ訪れてみてほしい。もちろん電車利用をお願いします

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青空フリーパスの木曽平沢ってどんなところ?~奈良井駅の観光資源ぶりに驚く

奈良井駅の駅名標

※訪問は2024年6月22日

現在とは異なる中央東線と西線

徒歩30分で到着の奈良井駅。誰もが知る奈良井宿の最寄りだが、私は初訪問。たまたまなのだが、この日朝6時すぎに名古屋を出てから下車した駅は中津川、上松、木曽平沢の3駅で、いずれもコンクリート駅舎。中央本線の中でJR東海エリアとなる、いわゆる中央西線は古い駅舎が多数残る。いずれもかつての中山道の宿場町の雰囲気を壊さないための配慮もあると思われるが、この日初めて出会う木造駅舎には、やはり感慨がある

駅舎入口の駅名板の横には「M42(1909年)10月」の財産票がある

奈良井駅の開業は1909年の12月1日なので、駅舎は2カ月前に竣工していたのだろう。塩尻から当駅までが開通して約1年間終着駅だった。当時の名称は中央東線。中央本線の各駅を回って初めて知ったことだが、現在の中央東線、中央西線とは位置付けが異なる。現在は塩尻を境に東線、西線となっているが、当時は線路もつながっておらず、塩尻方面からと名古屋方面から延伸されていった順に、それぞれが東線、西線となっていて路線名も中央東線、中央西線が正式名称。全線がつながって正式に中央本線と名付けられた。国鉄でずっと採られていた路線名の付け方で、将来的につながる予定ではあるが、つながらないうちは同一路線名にするわけにはいかず「○○北線」「○○南線」と名付ける。「越美北線」(福井県)のように工事が中断したまま再開されることはなく、恒久的な路線名になってしまうこともある

現在は塩尻で運行が分断され、別会社の運行となっていることもあって塩尻を境とした東線、西線の印象がより強いが、国鉄末期までは塩尻駅の位置は現在とは若干異なっていて中央本線はそのまま直通できるが、東線→篠ノ井線はスイッチバック構造と今とは全く逆の構造だった。線路がつながるまでの、あくまで暫定的な東線、西線だったのだ

工夫が凝らされた駅舎

奈良井駅が(現在の)中央西線の他の駅舎と多少異なるのは、開業から今日まで手が入れられ続けていること

わざわざこのような木版が張られている。観光客の多さゆえのものだろう

駅を降りるとすぐ奈良井宿が広がる

奈良井宿は中山道34番目の宿。中央西線は中山道の宿場町と一体化しているように敷設されていて、他にも宿場町の駅はあるが、駅からの距離も近いことで観光客も多い

駅を降りると奈良井宿の大きな看板があって駐車場がある。右側にイスが見えるが、係員の方が席を立ったタイミングを待って写真撮影

すぐに広がる宿場町は重要伝統的建造物群保存地区となっていて景観を壊さないよう昔からの建物が残されている。まだ朝の10時だが、週末とあって歩いている人の姿も多い。土産物店や飲食店、旅館が並ぶ

詳細な解説文も複数ある。私は木曽平沢まで行く際に当駅を通過したのは9時15分ごろだったが、それでも当駅ではかなりの下車があった。この後、当駅付近では11時ごろまで滞在したが人はどんどん増えていった。もちろん外国人の姿も目につく。観光資源としての力を感じる

ただし、ときおり行われる臨時停車を除くと奈良井は普通のみが停車する駅となっている

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青空フリーパスの木曽平沢ってどんなところ?~特に短い駅間距離

木曽平沢駅から奈良井駅は徒歩でも可能な距離

※訪問は2024年6月22日

年に一度の漆器祭

前記事でも掲載した木曽平沢駅の時刻表。きっぷの有効は当駅までなので、9時21分に到着した私が中津川方面に折り返すには11時9分まで待たなければならず、さらにその列車に乗車しても2時間待ちとなってしまう

ということでお隣の奈良井に向かうには、最も有効な手段は徒歩である

中央本線の中津川~塩尻は山中の鉄路とあって駅間距離は5~8キロと長いところが多いが、この木曽平沢~奈良井に関しては線路の距離がわずか1・8キロ。道路は鉄道に全く寄り添っているわけではないが、それでも2キロほど

グーグル地図の木曽平沢駅の位置情報が微妙にずれている(ホームの端が駅となっていて駅舎の位置とは異なる上、国道に面するように記されている)ので、うるし塗りお手洗いのある公園からの経路を示すが、奈良井川に沿った良い景色である

うるし塗りのお手洗いからすぐの場所が木曽平沢のメインストリート。旧村役場方面に向けて大きめの集落が続き、漆器の店舗が居並ぶ。一帯は建造物群保存地区となっていて昔からの街並みが残されている。この道路は旧中山道でもある

年に一度、6月上旬の週末に「木曽漆器祭」が行われ、各店舗がイチオシの商品を並べ全国から人々が集まる。この日は木曽平沢駅も特急が臨時停車し、応援の職員も駆けつけ有人駅になるという。青空フリーパスの「終着駅」となっている理由のひとつはこれだろう。期間中は無料のシャトルバスも奈良井との間で運行される。私の訪問はその2週間後で、いわば「祭りの後」だったことになる

標高900メートルの爽やかさ

こちらが駅にあった木曽平沢の周辺案内図。駅は列車交換設備設けるため、1959年(昭和34)に以前の場所から中津川寄りに約500メートル現在の場所に移築されたが、このおかげで、元々短い奈良井までの距離がさらに短くなった。私のように1駅歩いてしまおうという人間(どれぐらい存在するのか分からないが)にとっては、7~8分は時間短縮となったわけで、ポイントは大きい

現在の国道と合流して、またすぐ旧中山道を進むべく奈良井川を渡る。これから向かう奈良井駅は934メートルとJR東海の駅ではもっとも標高の高い駅である。そして木曽平沢駅も915メートル。神戸の六甲山が931メートルなので、ほぼ同じ高さ。6月下旬ともなると、かなり暑くなっていたが、標高900メートルともなると、まだまだ爽やかだった

踏切を渡ると線路の分岐が見えてきた。駅はすぐそこ

周辺案内図にあった解説によると、木曽平沢は河川敷だった場所で広い平地となっていたため、江戸時代になって人が多く住むようになった。奈良井宿の枝郷という位置付けで、元々は木曽漆器の産地はほとんどが奈良井だったが、エリアが人の多い平沢に拡大。やがては平沢が漆器の主役に変わったという。鉄道についても線路が敷かれた明治期は奈良井から近すぎるため駅は設置されなかったが、昭和に入ると周辺人口の多さから木曽平沢駅の開業となった。

青空フリーパスのエリアが奈良井までではなく木曽平沢までとなったのは、距離も近すぎる奈良井と木曽平沢がセットとなっているからだと思われる

奈良井駅のホーム端までやって来た。駅舎へは、もう間もなくである

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青空フリーパスの木曽平沢ってどんなところ?~漆塗りのトイレを経て列車の空白を考える

木曽平沢駅の駅名標

※訪問は2024年6月22日

昭和生まれの楢川村の中心地

木曽平沢の駅舎。ご覧のように鉄筋コンクリートの造り

駅舎内で「漆塗りの町」を知ったので、駅名板の色合いにも納得がいく。背景の木の部分も同様だ。その横には「S35」(1960年)と記された財産票がある

木曽平沢駅の開業は1930年(昭和5)。両隣の奈良井、贄川が明治生まれなのに対して当駅はかなりの弟となる。先の2駅はいずれも中山道の宿場町なので先に駅が設けられた理由なのだろうが、この木曽平沢も江戸時代から漆器生産で知られた町だった。明治になって成立した楢川(ならかわ)村は当初、楢川、贄川の2駅を有していたが、後に村の中心地は木曽平沢となり、村役場も当駅が最寄りとなった。ちなみに旧役場を中心とした村の中心地は線路が通っているにもかかわらず、駅から若干離れていて、なおかつわざわざ高台に造られているよう感じるが、それは中央本線の容量が増えたことによって、駅のすれ違い設備が必要となり、500メートルほど名古屋寄りに駅を移動させたため

あくまで想像だが、かつての駅はこのあたりにあったと思われる。地図を見れば分かるが、このような歩き方をするとは思えないので実際は10分もかからないはず。また現在の木曽平沢駅の位置はグーグル先生の指定する場所は明らかにおかしい。ホームの端の駅名標の場所が指定されていて駅舎は私が印をつけた場所だ

それが1959年のことで現在の駅舎はそのころに建てられたもの。そしてこの500メートルというのは私の道程にはとても貴重なものとなる(後述)

なお楢川という村名は「奈良(なら)井」「贄川(かわ)」という2つの村名を足したもので、村役場はその間である木曽平沢に置かれた経緯があるという。その楢川村は平成の大合併で塩尻市となった

こちらは駅の運賃表だが、松本までわずか590円という金額で駅の場所がなんとなく想像がつく。この後も中央西線に何度か乗車することになるが、週末に松本へ出かける人々で車内は混み合っていた

目にとまった張り紙

木曽平沢の駅舎内で目についたものがある

うるし塗りのお手洗い。これはぜひ体感しなければならないだろう

駅から階段を降りると

公園がある。写真の通り駅を見上げる形となっている。この階段がグーグル先生から精度を奪っているのかもしれないが、そこに目的はあった

重厚な木造のお手洗い。この時の利用者は私のみだったが、トイレ内の写真をパシャパシャ撮るのは、マナーの面でどうかとも思えるので、実際に訪問して体感していただきたい

さてこちらは駅の時刻表。私は9時21分の塩尻方面行きでやって来たが、きっぷのルール上ここから先には行けないので中津川方面へと折り返すことになる。その場合は11時9分発で1時間半以上の空白がある。好天には恵まれていたが、さすがにうるし塗りのお手洗いだけで90分の時間つぶしをするわけにはいかない。ということで、この空白時間の有効活用を考えることとする

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青空フリーパスの木曽平沢ってどんなところ?~いよいよ木曽平沢駅に到着

木曽平沢駅の駅名標

※訪問は2024年6月22日

薄いダイヤは工夫が必要

いよいよ木曽平沢へと向かおう。その前に中央本線のダイヤの概要を少し

こちらは上松駅の時刻表。前記事で触れた通り、私は名古屋方面からの8時23分の特急でやって来て、同47分の普通で木曽平沢へと向かう(後に上松駅では長時間の停車、いわゆる「バカ停車」が多いことを知って、ちょっと後悔した)。いくら予備知識なしで向かうとはいえ、ダイヤや駅間距離ぐらいは調べておかないと、旅程は立てられない

上松から塩尻方面へと向かう列車はほぼすべてが松本行きで1日2本(始発と16時台の1本)の当駅始発があるが、パッとみて分かる通り動脈ともいえる幹線のローカル区間のもので、通勤通学時間帯以外の昼間の運行が極めて少ない。中央西線は特急は1時間に1本の運行があり、ローカル区間では普通より特急の本数の方が多いぐらいだが、これも定番。名古屋近郊区間を過ぎると特急で名古屋から松本、長野へとお客さんを運ぶ方が重要なのだ

昼間の運行を見ると名古屋からの中央本線は、瑞浪までは1時間に3本が運転され、このうち1本が瑞浪止まり、残る2本が中津川止まりで本数は多い(種別はいずれも快速だが、通過駅は多治見以南のわずかな駅)が、問題はここから塩尻側で、岐阜県の境界となる坂下までは、たった2駅の区間運転があったり、長野県に入って最初の大きな駅となる南木曽までの運行もあるが、南木曽から塩尻側は上松駅のような時刻表となる。だから薄いダイヤをぬって各駅を訪問するには工夫も必要となる

高台の鉄骨駅舎で見たものは

ただ本日の目的はとにかく木曽平沢へと行くことなので、8時47分に乗車

線路の距離はほぼ30キロ。決して線形が良いとは言えない中央西線だが、駅の数も少ない上に、さすが電車のパワー。所要時間は34分

なお地図で見ると飯田線の線路が並行しているようにも見えるが、線路と線路の間は、木曽山脈の高い山々で簡単に往来することはできない

9時21分の到着

高台の2面2線構造

キロポストは東京からの距離である241・4キロを示すものだろう。お隣の奈良井は観光地としても有名だが、JR東海で最も標高の高い駅としても知られ、ここ木曽平沢駅も標高900メートル超。上松駅も標高700メートルと高地の駅だが、電車によって200メートルも登ってきたことになる

ということで駅舎へと向かう。こちらも上松と同じく木造駅舎ではないようだ

無人駅ということは分かっているというか、容易に想像できていた

ちなみに週末の当駅で下車したのは私だけ。展示があったのでのぞいてみる。ガラスに反射して展示物の写真はうまく撮れなかったが、より分かりやすいものがあった

なるほど、こういうことだったのか。青空フリーパスの限界駅であることのナゾがほぼ解明できた瞬間だった

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青空フリーパスの木曽平沢ってどんなところ?~森林鉄道と寝覚の床

上松駅の駅名標

※訪問は2024年6月22日

気になる車内アナウンス

上松駅に到着。意外と初見では読めないプチ難読駅は上松町の代表駅。駅名はかつての上松宿に基づく。朝夕に上下1本ずつ、1日に計2往復の特急が停車する。その朝の長野行きに乗車すれば、20分後にやって来る塩尻方面への普通に乗ることができる計算だ。このあたりは幹線の電化区間とはいえ普通のダイヤは薄いので特急をうまく使えば効果的に乗ることができる。青空フリーパスならではの芸当

材木の森林事業で古来より栄えた。江戸時代は尾張藩の重要な財源だったという。いわゆる名所案内も木製でお出迎え

ここにも書かれているが

跨線橋にも書かれている「寝覚の床」

こちらの名所案内にも一番上に書かれている寝覚の床とは木曽川が岩を浸食しながらできた景勝で、名称については千年以上ここに住んでいた翁の伝承から来たという説や、竜宮城で良い思いをした浦島太郎が目覚めて現実に戻った場所という説もある

特急「しなの」に乗車すると、ときおり車内アナウンスによる紹介がある。進行方向に向かって左側。ただ以前は木曽川そのものが急流で、水位も高かったが、治水によって平素の川は穏やかになり、姿は変化しているという。一見するとゴツゴツ岩が並んでいるだけなので、寝覚の床というロマンチックな名前とのギャップによって分からないこともあるため、通り過ぎた際は再びアナウンスが入る

火災によってコンクリ駅舎で再建

いわゆる中央西線には古くからの木造駅舎が多く残るが、ここ上松駅は1910年(明治43)の開業で、木材の町として栄えてきたにもかかわらずコンクリート駅舎となっている。これは1950年(昭和25)に町で大火があり、駅舎も全焼したため

財産票によると翌年にコンクリート駅舎として再建された

上松駅は木曽山中に400キロにもわたって張り巡らされた木曽森林鉄道の拠点のひとつだった

こちらは解説文。役割はもちろん木材の運搬だが、旅客輸送も行っていた。その代替バスは現在も上松町を走る

材木の町ながらコンクリート駅舎となってしまった上松駅だが、駅の至るところに木材でアピールされている。駅に着くと最初の木製の名所案内に始まり、ラッチも木製で「ようこそ」の歓迎板も木製

きっぷ売り場も木材のアピールがある

駅前の観光案内所も木造である

なおJR移管後に全線きっぷ売り場(みどりの窓口と同意)が設置されたが、現在は簡易委託駅となっている

現在は秋場所中ということで、こちらの写真で上松駅を締めくくろう

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青空フリーパスの木曽平沢ってどんなところ?~早朝出発で気になる駅へ寄り道

中津川駅の駅名標

※訪問は2024年6月22日

唯一の「知らない駅」

朝6時前の名古屋駅。最も日が長い時期なので、すっかり明るい

6時13分の中津川行きに乗車する。中津川より北に向かおうとすると名古屋からは、この電車が一番早い。もっとも7時発の特急に中津川のすぐ先で追い越されてしまうのだけど

手には過去何度もお世話になった青空フリーパス。週末は通年販売されていて当日購入も可。もちろん、このブログにも何度も登場している。JR以外は伊勢鉄道が利用できるのがミソで、伊勢鉄道の全駅訪問もこのきっぷで行った。高山本線の全駅訪問や参宮線、記事化していないが武豊線全駅訪問にも登板している

利用エリアが広いことが特徴で、名古屋から飯田に行って帰って来られるのか?と思ってしまう。それぞれの方面の限界はきっぷに明示されているが、こうやって見ると終着駅、乗り換え駅、JR西日本との境界駅が並ぶ。当然だが知名度の高い駅ばかりだ

と、その中に少なくとも全国的な知名度はどうかという途中駅が2つ。きっぷで見ると東海道本線の二川駅そして中央本線の木曽平沢駅。二川は豊橋の東隣の駅で、かつての宿場町。ここまでが豊橋市となっていて、最初にJR東海がIC乗車券「TOICA」を導入した時の限界駅だったという歴史がある。JR東海では青空フリーパスと同趣旨の「休日乗り放題きっぷ」を発売していて、こちらは豊橋以東のJR東海区間がフリーエリアとなっている。二川は両方のきっぷが利用できる緩衝地点のようになっていて、もちろん下車したこともある

そしてもうひとつが木曽平沢である。私が無知なだけなのかもしれないが、全く知識がない。ちなみにひとつ手前が観光地としても有名な奈良井宿で知られる奈良井駅である。奈良井が限界駅なら、このような疑問は持たないだろう。もっと言うと、木曽平沢以北はたった3駅挟むと塩尻で、ここからはJR東日本エリア。つまりはJR東海エリアでありながら、青空フリーパスで行けない駅が3駅のみ存在する不思議。これはぜひとも解明したいと名古屋前泊の旅となった

「ならでは」の特急乗車

電車は1時間20分で中津川に到着。当駅は中央本線における名古屋近郊区間の北限的な意味合いを持つ。名古屋からの普通及び快速は必ず当駅までで運行は分断される。また当駅を境に運行本数がガラリ変わる

そして

中津川からは特急ワープを利用。ワープといっても特急券の追加だけで乗車できる。青空フリーパスの特徴として在来線特急に乗車する際は、乗車券は有効で特急券だけ買えば良いルールがある。これもいろいろな路線で活用してきた

目指すは上松。木曽平沢に行く前に降りてみたい駅だった。時刻表を見ると上松まで特急利用すると後続の普通にスムーズに乗り継げる。そしてご覧の通り、自由席特急料金は50キロまでなら660円と安い。乗車した「しなの」はもちろん名古屋始発で、乗車した普通よりも約50分遅い7時発。ゆっくり名古屋から乗車しても良いのだが、それだと自由席特急料金は1440円もかかってしまう。ここは800円ほど節約しよう

上松までは特急で約30分の道中となる

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今こそ違った乗継割引の使い方をしよう

大阪~金沢間で運行されているサンダーバード

来春で廃止

JR各社は先日、来春での乗継割引の廃止を発表しました。新幹線から在来線特急へ乗り継ぐと在来線の特急料金が半額になるというこの制度。ちょうど1年前に岡山駅の乗継割引が発表された時にも記事を書いています

まさか1年後に乗継割引の記事を書くことになるとは思ってもいませんでした

システムの詳細については、この時にも記しているので参照していただきたいのですが、なぜなくなるのか、どのぐらいの影響が出るのかを分かりやすい例で示してみましょう

駅弁1個分の料金

9月に長野県に行ってきました

新幹線で名古屋まで行き、特急「しなの」に乗り換えます

こちらが往路のきっぷ

そしてこちらは帰路のもの。乗車駅は異なりますが、チケットには「乗継」と印字されています

往路では名古屋駅で

駅弁を購入しましたが、乗継割引の特急料金を見ると名古屋~篠ノ井の正規料金は、この倍になるわけですから、駅弁に加えビールを買っても、まだおつりが来ます。単純に駅弁だけ買うなら1500円と、かなり高級なものが買えます

JR各社は「チケットレスの増加によって需要が減った」を理由に挙げていますが、少なくとも関西や東海地区の新幹線沿線から長野県に行く手段は「新幹線+特急しなの」の一択ですから、この区間の需要が減るはずがない。というか窓口や自動券売機できっぷを購入すると自動的に半額割引が適用されます。私的にはきっぷに全く興味がない、言い値で支払うという方にも、私のような「1円でも安く乗車してやろう」と考える鉄オタにも公平な制度だと評価しています。鉄道料金は元々、こうでした

今回の決定は体のいい値上げであると同時に、鉄道会社にとっては紙のきっぷを減らして経費削減を図る良い機会となっています

新幹線の1区間料金に注目

10月にはサンダーバードと北陸新幹線で新高岡まで行き、氷見線と城端線の全駅訪問を完成させてきました

これがその時のきっぷです。もちろん乗継割引が適用されていますが、ここで注目してほしいのは金沢~新高岡の特急料金。サンダーバードは指定席ですが、新幹線は自由席としました。なぜかというと、この区間は自由席と指定席で大きく料金が異なるからです

特急料金は季節や利用日によって変動しますが、この記事を書いている本日(2023年11月6日)の料金だと金沢~新高岡の指定席料金は2200円なのに対し自由席は880円と大きく差があります。原則的に両者の金額の差は指定席料金の530円ということになっていますが、新幹線の1区間については「特定特急券」という自由席利用に限り適用される料金があり、その料金は約900~1000円ほど。この制度は後から新幹線駅が誕生した場合でも元々の区間に適用され、例えば東京~新横浜(品川駅ができた)、名古屋~豊橋(三河安城ができた)などがこれにあたります

新幹線の1区間なんで仮に自由席が満席でも気にすることはありません。1区間の新幹線利用も在来線利用と所要時間に大きな差がある場合は結構な人気で、私の知るところでは東京~新横浜や博多~小倉は利用者が多い

在来線特急だけ利用する

さて、ここから本題となります。おそらく分かっている人は分かっていて既に利用されている方法かもしれません。道義的な部分もあるので文字にするのは私も控えてきましたが、乗継割引制度は、あと半年もないので書いてしまいます

大阪~金沢の在来線特急料金に注目してください。写真のきっぷはe5489で購入したもので、やや正規料金とは異なりますが、大阪から金沢まで行こうとしてサンダーバードに乗り込むと(2023年11月6日の料金)、指定席特急券が2950円、自由席特急券が2420円となります

一方、新高岡までは乗継割引と特定特急券が二重に適用されるので金沢まで指定席利用なら2350円、自由席利用なら2090円

なんと新幹線まで利用して遠くに行く方が特急券は安くなってしまいました。両方の制度を組み合わせた結果、こんなことが起きるのです

つまり最終目的地が金沢であっても特急券を新高岡まで買い、乗車券は金沢まで買えば数百円お安く旅ができるということ。新幹線のきっぷは放棄となってしまいますが、指定席なら乗りたい人に迷惑をかける可能性があるのでおすすめできませんが、必然的に自由席となるので迷惑はかからない

この利用法は乗継割引が適用される駅へ在来線特急を長時間乗車する際、有効になります。乗継割引が適用される駅や特急にも制限がありますが、今は簡単に特急料金が検索できる時代。ぜひ、これからの数ヶ月で利用する機会があれば試してほしいところです

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川岸駅、今のうちに

川岸駅の駅舎

2月に中央本線川岸駅の駅舎改築が発表されました

20230208_na01川岸駅-1

完成予想図も描かれていますが、現在よりも簡易なものになることだけは間違いありません

駅が100周年で簡素化というのも、よく分からないのですが、早めに告知してくれるだけありがたいことではあります。5月から工事に入ると記されているので4月中には訪れたいところです

同駅については昨年10月に訪れました

JR東日本の駅でありながら、やって来るのはJR東海の車両ばかり。中央本線の駅でありながら、やって来るのは飯田線の電車ばかりと、駅そのものも、なかなかユニークなのですが、それ以上に長い歴史を持つ駅舎があります

周囲の雰囲気もとてもいい。この時はJR東日本は新幹線も特急も乗り放題というフリーパスを持っていて「18きっぷでも十分じゃないか?」と半ば思いながら、中央本線の旧コースの駅を意地になって回りきったのですが、今となっては良かった、と思っています

岡谷から1駅なので、それほど難易度は高くありません。ぜひ訪問を

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終日の沼にはまる~トリを飾るのにふさわし過ぎる駅だった

信濃川島駅の縦駅名標

2022年10月23日16時30分

降りたのは私一人

中央本線の新線と旧線の環状線。ようやく最後の駅

正確には16時36分で降りたのは私一人。というより、手前の小野でほとんどの人が降りてしまいました

もう少しいい角度の写真を撮りたかったのですが、ご覧の通り黄色い線がここ。ホームが狭くて角度がつけられない。そして駅名標が2つ並んでいます

川岸にも残っていた旧式のものと

観光仕様のもの。わざわざこれが作られた理由は分かりませんが、JR東日本のすべての駅にある標準的なものは設置されていません。というより、2つ並べて置かれることの方も珍しいのですけど

ホームからの景色は

こんな感じで自転車置き場がポツンとある以外は、何もありません。ただ目の前の国道153号は塩尻と伊那を結ぶ重要道路なのでひっきりなしに車が往来します。生活音は全くなくエンジン音だけが響くローカル線の駅でよく見かける光景だといえます

ただここまでは車窓からも見られる。この後、私はひたすら感嘆することになります

驚きの連続

当駅の住所は辰野町大字上島。まとまった集落ははここから南へ10分ほど歩いたところで上島の街はさらに南側にある。両隣の辰野と小野が明治の敷設時に開設された駅であるのに対し当駅は戦後10年が経ってから。辰野と小野のちょうど中間点に設けられていて上島の集落に接した場所に駅を作ると辰野までの距離が近すぎて運行上、あまり役に立たない(すれ違いがしにくい)と考えられたとしか思えません

自転車置き場にはポツンと1台。これはホームから見て分かりましたが、ホームへの階段の向こうにポッカリとトンネル。入ってみます

ホーム下のトンネルをくぐるとすぐ右手の階段を昇るようになっていて、すでに撤去されたホームへ向かうのですが、そこには何と

駅舎があります。一瞬、物置か倉庫かと思いましたが、奥には電話ボックスも見えるので、これは駅前ロータリーなのでしょう

ちゃんと駅名板もあるし

もちろんドアも開いて中もきれいに掃除されています。椅子も設置されているので駅舎です。というか正確には待合室なのかもしれません

振り返るとこんな感じ。駅舎(待合室?)側にはかつてホームがあり2面2線構造だったのですが撤去されてしまいました。ホームの撤去はよくある話ですが、普通は駅舎側が残される。その意味では驚きです

ちなみに駅舎側もひたすら農地で、民家がポツン、ポツンと見えるだけ。なぜこのような構造になったのか不思議ですが、個人的な推測としては国道153号の源流となっている三州街道の旧道は、この地点では駅舎側を通っていて、駅の設置時点ではこちら側に比重が置かれていたのではないかということ。そのうち153号側が重要になっていき現在のホームが残ったのではないでしょうか。国道まではロータリーというより小さな未舗装の道があるだけだもの

ある意味の斬新さ驚いて再びホームに戻ります

駅舎が逆側にあるということで時刻表はホーム入口にあります。形状からすると駅名標だったのでしょうか。奥に待合所も見えますが、その位置まで車両が到達することはなさそう

さらにこの駅にはキロポストが2つあって驚く

岡谷からの13・9キロの下の部分が消えてしまったのか

ホームの勾配標の向こうにはもうひとつキロポストがあって、こちらは新線ができる前からのもののようですが東京駅からの距離とは微妙に合いません。神田からのものでしょうか

ちなみに現状、中央本線で唯一、すれ違いのできない駅となっています。また利用者ですが、私の使用している資料だとデータなし(汗)。ウィキペディアには乗員8人と記されていたので乗降16人ということになります。17時4分発の電車がやってきました。私はこの30分間、駅を独り占めです

生活音のない中、アナウンス音だけが響きます。電車は既に点灯。これに乗らないと大変というか、ちょっと夜の当駅にポツンと一人1時間半は怖いかも。秋の陽が落ちるのは早く、東塩尻信号場付近ではもう真っ暗で何も見えませんでした。思いつきから終日の新線旧線環状線の沼にはまってしまい、モバイルバッテリーも残り0%になってしまいましたが、最後の最後で良い光景に出会えました。とても満足です

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