JR東日本パス ファイナルを前に~秋を振り返る 憧れの街釜石

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釜石駅の駅名標

2022年10月14日17時40分

駅から街への距離に注意

盛から約50分。釜石に到着しました。東日本パスの特徴は三陸鉄道も利用できることです。これで翌日は大変な思いをすることになるのですが、この時点では知るよしもありません。もう既に真っ暗です。駅のイルミがきれいですね

本日は釜石に宿泊します。その時は気付かなかったのですが、今こうして写真を見ると記念撮影の方がチラホラ。行程は分かりませんが、皆さん私と同様に東日本パスでここまで来たのだと思われます

釜石に来たのは初めてです。以前から1度来たいと思っていました

気仙沼もそうでしたが、釜石もJRの駅から街の中心部まではやや遠い。国鉄時代にできた駅は基本的にその形が多いので、あまり深く考えずに駅前の宿をとると夜に食事をするのも大変、ということがよくあります。鉄道というのは需要を考慮して、それなりに人口のあるところにできました。ただ既に街が形成されているところにはレールが敷けないので街外れに駅が設ける、という理屈は考えてみれば当然なんですが、今と違ってネットで事前に情報を知ることができなかった時代は駅を降りると何もなかった、という経験を私も数多くやらかしてきました

釜石の駅舎は中心部とは逆側に駅舎があり、そこから回り込むようにして川を渡り街の中心部へ向かうことになるので歩くと15分ほどかかります。ホテルもこの付近に集まっています。私はその中間点あたりに宿をとりました

ホテルに荷物を置くと夕食の時間で刺身を堪能して

最後は白ご飯までいただいて大満足でした

ラグビーの街

さてホテルに着くと

早速のお出迎え。釜石はラグビーの街でもあります

到着時は夜で分かりにくかったのですが翌朝の駅でも

並んでいました。スタジアムを造り、ラグビーW杯の会場都市になったのも記憶に新しい

私が東京で学生生活を送っていた時代が、ちょうど新日鉄釜石の日本選手権7連覇の時で毎年1月15日の成人の日に国立競技場で行われる日本選手権と、スタンドで揺れる大漁旗は風物詩でした。大学のスター選手ばかりでなく、地元出身のたたき上げの選手が赤いジャージーで躍動する姿を私もスタンドから見ていました。地元からの応援のおじさんたちもラグビーに詳しくてビックリしたものです

県民の皆さんには申し訳ないのですが、昭和の当時、私が岩手県で知っている都市となるとまず釜石を挙げていたように思います。そんな人が全国にも多かったのではないでしょうか

駅を降りると歓迎の文字にも「ラグビーの街」と刻み込まれています

もう40年近く前のことですが、そんな思い出があるだけに、ぜひ訪れてみたい町のひとつでした

三陸鉄道とJRが乗り入れ

私的な思い出話が長くなりすぎました

ようやく鉄道の話です

釜石駅にはJRの釜石線と三陸鉄道が乗り入れ

駅舎もJRと三陸鉄道が並んでいます。ホームが一体化しているのは盛駅と同じ構造。以前はJRの単独駅でしたが三陸鉄道の開業で盛と釜石がつながり、山田線の宮古~釜石間が三陸鉄道になったことで両社の駅となりました

両社の車両が並びます

こちらがJRの改札。管理駅でみどりの窓口あり。駅舎は東日本大震災の翌年に大きく改装されています

三陸鉄道の入口。三陸鉄道の開業は新日鉄釜石の7連覇のころですが40年前とほぼ同じだと思われます

三陸鉄道は窓口に発車標があるのがいい

こちらはホーム。震災前まで宮古~釜石間はJRの山田線だったこともあり、盛から当駅を経て宮古へ直通する列車は、この4番線にしか入れなくなっています(つまり当駅ではすれ違いができない)

釜石駅の開業は戦時下に入りつつあった1939年。釜石線の全通は戦後で、戦時中は釜石の鉱山と製鉄所の輸送のため貨物列車が宮古経由でフル稼働していました

朝の景色。「釜石に来た」という実感を得ることできました

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