黒石駅

弘南鉄道弘南線を行く~50分待つのなら腹ごなしに黒石から1区間を歩いてみる

※訪問は2025年7月11日

乗車中に距離を調べた

黒石やきそばをいただいて黒石駅に戻る。といっても黒石駅の敷地そのものは大きく、食事をしたすごう食堂さんの真ん前はもう敷地内となる

食事中に弘前行きはすでに出発してしまっていたため、1時間に1本の路線で待ち時間が50分ほどできてしまった。こういう展開になるだうと当駅に来る直前の車中から、目を凝らして徒歩コースをチェックしていた。これなら30分もあれば歩けるのではないかというのが結論。では歩いてみよう。昼からビールとしなかったのは、これが理由。腹ごなしも兼ねてのものだ

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どちらのコースも同タイムだが

徒歩コースを調べると線路をはさんで北コースと南コースがある。こうやってグーグル地図を見ると、時間の少ない南コースとなるが、ナビタイム先生が示したものはともに23分コース。なぜかというと北コースを左に折れる地点が、もっと手前で地図で細い線となっている道路を行くように指南されているからだ。先にグーグル先生を見ていたら、この細い線はちょっと危ないと感じたかもしれないが、先にパッと開けたのはナビタイム先生の方だった

しかも私はその時、バス案内所跡を見るべく、駅の北側にいたので必然的に北コースとなった

この真新しい道路は

さっそく歩き始める。南コースは古くからの黒石の街を歩いていくようだが、こちらは新興住宅地のように新しい家が並ぶ。そして店舗も見当たらない

やがて現れたファミマで買い物をしつつ、ちょっと休憩。と、ここでようやく気付いたことがある。地図を見ていただければ、弘南線はこれから目指す境松駅から90度の弧を描くようにして黒石駅に向かうのだが、なぜそのようなコースになったかというと、折れた地点から国鉄の黒石線と並行して黒石駅へと向かっていたからだ

ということは、私が歩いているコースは廃線跡ということになる。この時の記事にも記したが、大正期に川部から黒石までのわずか6キロを結んで誕生した国鉄の黒石線は弘南鉄道の黒石乗り入れによって利用者が減り、弘南鉄道黒石線として再スタートしたものの、1998年(平成10)に廃線となった。廃線からまだ30年経っていない。廃線跡だとすると、この両側は線路を挟むようになっていた場所で、新しめの道路も住宅街も説明がつくのである

さらに進むと水田が現れ、岩木山を望む美しい景色に出会う

そして前述した「細い線で描かれた道」へと導かれる。こうやって記事を書いている今は、グーグル地図も見ているので、細い線の理由は何となく理解できるが、その時は砂利道への誘導にちょっとビビった。前回弘前にやってきた3月だったら、雪で埋もれているか、足下の悪い状態で、つまりは徒歩は困難なんだろうな、と思いながら進んだ

どちらがいいとか悪いのではなく、徒歩利用の場合、グーグル先生は比較的広くて分かりやすい、車でも行けるコースを指南してくれるのに対し、ナビタイム先生は超短絡コースを教えてくれる時があるので、うまくはまった場合は破壊力十分が、悪天候などの場合、思わず絶句してしまうコースに誘導される。過去にも雪で埋もれていたり、巨大で深い水たまりで前進できなかったことがあった。徒歩でも無理なコースというのは、それなりに人が生活している場所ではなかなか出会わないものだが、そこに見導いてくれるのだから、ある意味、貴重なガイドである

やがて境松駅が見えてきた

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弘南鉄道弘南線を行く~黒石に来たら、これを食べないわけにはいきません

※訪問は2025年7月11日

駅舎内にも張り紙

黒石駅への到着は11時26分だった。一応、私なりに時間を考えて来たつもりだ

駅舎内をウロウロしていると

観光案内所の表示とともに、このような張り紙を発見。そう、このために到着時間を考慮したのだ。弘南線の昼間は1時間に1本の運行。1時間遅いと12時26分となって、ちょうどお昼時と重なり、お店の混雑が予想される。ではさらに1時間後となると、ちょっと遅い。ここ黒石の状況は分からないが、飲食店にはランチタイムの後に休憩時間となって次はディナータイムという営業形態が多い。ランチタイムは基本的に13時半や14時までである。だったら間に合わない。まだ比較的すいている時間帯となると、11時26分の一択だったのだ

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黒石やきそばとは

全国各地のB級グルメで黒石やきそばは、高い知名度を誇る。そして関西からの到達難易度を考えると、せっかく来たこの機会を逃すわけにはいかないのだ。これが弘前のものだったら「また来ることもあるだろう」で済むが、弘前から電車で45分。しかも列車はここで行き止まりで、来たコースを戻るしかないという地域性を考えると、ふだんは旅先のお昼なんぞはコンビニおにぎりや、コンビニ菓子パンで済ます私も、何としても現地で食べる(ここがポイント)黒石やきそばである

黒石まで来た電車は15分ほどで、弘前方面へと折り返す。駅巡りの「平常運転」ならば、15分で駅及び周辺のチェックをして引き返すが、さすがにその1時間後までパスである

では混み合う前にさっそく、となったが黒石には数多くのやきそばを扱う店舗がある。横手やきそば(秋田県)や鍋焼きラーメン(須崎市)でも見た光景

あまり駅から離れるとこの後の行動に影響するので、できるだけ近いところと

駅からすぐの、すごう食堂さんに入る

駅舎内の張り紙にもあったように、黒石市は「やきそばの街」をPRしている。黒石には、いわゆるやきそばとつゆやきそばがあり、黒石市のHPによると「戦後まもなく作られ、昭和30年頃には子供のおやつとして10円単位で売られていた黒石やきそば。太い平麺が特徴で、甘辛いソースがたっぷりのくせになる美味しさ」とあり、こちらが普段われわれが連想するやきそば

つゆやきそばについては「昭和30年代後半、中学校近くのお店で生まれた『つゆそば』が、近年市内のあちらこちらで作られるようになりました。『黒石やきそば』に『つゆ』をかけた『黒石つゆやきそば』は、全国でも珍しい庶民の味」と記されている。ここはつゆやきそばをいただこう。先客は私のほかに50代ぐらいの男性。結構高そうなカメラをテーブルの上に置いている。どう見ても同業者(鉄道ファン)である。後に電車で同乗したことも付け加えておく(笑)

間もなく待望のつゆやきそばが到着

普通のやきそばに出汁がかけられている。黒石やきそばの特徴はうどんにも見えてしまう「太平麺」で、モチモチ感が何とも言えない。出汁と絡んだやきそばが良いハーモニーを生み出している

B級グルメという言葉

「B級グルメ」という言葉は、かなり以前からあったと記憶するが、新聞社に長くいた私の感覚では普通にメディアに登場するようになっのたは最近のこと。そもそも「B級」と言われた方はうれしいのか、という前提がある。このあたりは「秘境駅」と同じで、そこで暮らしている人は、うれしいのか、というのと似ていて、私は基本的には秘境駅という言葉は使用しない

変化が起きたのは2000年代に「B-1グランプリ」が始まってからで、出品する方々は自ら名乗っているのだから公認だろうということになって「B級グルメ」という言葉が普通に使われるようになった。JR東海が飯田線のいくつかの駅を秘境駅と認定したのも同様だ(それでも私は秘境駅と記する時は「JR東海によると」という言葉を入れるようにしている)

とにかく満足。正直言って、まだまだ食べられる。次はつゆのないやきそばを別のお店をはしごして食べたいぐらいだったが、まずはここまでにしておこう。つゆやきそばも出汁はうどん、そばのものからラーメンのものまで、さまざまな味があるらしく、次は黒石に宿をとって食べ歩き、食べ比べをしたいと本気で思うようになった

さて焼きそばというのは実にビールに合う食品だが、ここはグッとがまんした。次の行動があるからだ

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弘南鉄道弘南線を行く~弘前から17キロ、12駅目の終着駅に到達

※訪問は2025年7月11日

津軽尾上から12分

津軽尾上から戦後に延伸された区間を行く。といってもすでに田舎館までは行ったので同じ区間を再び走ることになるが、田舎館から2駅目

終点の黒石に到着した。弘南線は弘前も含め全13駅。総距離は16・8キロ。大鰐線が13・9キロとそれほど変わらず、合わせても30キロほど。県庁所在地でもなく、国鉄転換からの三セクでもないす地方の私鉄が、ここまで頑張って来られたのは、総距離の短さもある

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典型的な頭端駅の姿

私は頭端駅が好きだ。線路と並んで車止めがある光景にひかれる。そしてこの景色は、ある意味私鉄ならではのものだともいえる。JRにももちろんあるが、全国に線路網を張り巡らせようとした国鉄の歴史から路線の長さからすると、その数は少ない

黒石駅は、頭端駅の最たる姿で奥に改札そして駅舎がある。降りる人がいないように感じるのは構内の写真撮影などをしていて改札を出るのが最後になったからだ

オレンジ色の「出口」が目を引く。改札の駅員さんは私が来るのをずっと待ってくれていた。遅くなってすいません

改札口の手前には重量計が置かれている。さすがにこれは現役ではないだろう

国鉄から客を奪う

駅舎内には観光案内所も設置され、自動券売機もある

弘南線が黒石まで延伸されたのは1950年(昭和25)。当時の駅名は「弘南黒石」。なぜ「弘南」が付いたかというと、駅前には1912年(大正1)に、先に黒石に乗り入れていた国鉄の黒石線の駅があったため。これで弘南線は全通となったが、大きく影響を受けたのが国鉄だ。黒石線は川部から分岐するいわば支線で、弘前から黒石への唯一のアクセスルートだった。五能線の分岐でもある川部は鉄道の要衝だったのだ。黒石線は弘前からの直通運転も行っていたが、スタートから電化され(弘南鉄道は戦前に非電化で開業したが黒石延伸の直前に電化された)、すべての列車が弘前とダイレクトに結ばれている弘南鉄道とは利便性に差があった。当時の運賃は国鉄の方が安かったようだが、利用者が選んだのは本数も多い弘南鉄道だった

わずか6キロしかなかった黒石線は結果的にギブアップ。国鉄末期に弘南鉄道へと譲渡され、弘南鉄道黒石線として再出発となった。国鉄路線が三セク移管されるのではなく民間の鉄道会社に引き継がれるという珍しい例となった。1984年のことである

到着時の写真にもチラリと写っているが、黒石駅にはもうひとつのホームが残る。弘南鉄道では黒石線を譲り受けたことで、構内の改良工事を行うとともに、それまでの国鉄の線路からの連絡線を設けて同改札内での乗り換えができるようにした。駅名も黒石に改められた

ただ電化されている弘南線に対し黒石線は非電化のまま。そもそも弘前方面から黒石に行こうとするとスイッチバック構造になってしまうので、弘前からの直通運転は行われず、また弘前方面から川部乗り換えで黒石に向かう際、それまでは国鉄の通し料金だけで済んでいたものが、黒石線6キロの乗車のために国鉄+弘南鉄道の料金が必要となり、利用は低迷。わずか14年後の1998年に廃線となった。残ったホームは黒石線のものだ。上記の地図は黒石駅と川部駅を結ぶものだが、直線コースは道路となり、代替バスは今も1日6往復、両駅間を結んでいる

それでも国鉄からの路線譲渡は今も形として引き継がれている。弘南鉄道では、その際に駅舎も新築。それが現在のものだ

駅舎の隣にはぽっかり空き地がある。駅舎新築の際、スーパーを招致して駅とセットのような形となっていたが、スーパーは5年前に撤退。初見だと唐突とも思える縦長の駅舎は、その名残である

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