※訪問は2025年7月11日

津軽尾上から12分

津軽尾上から戦後に延伸された区間を行く。といってもすでに田舎館までは行ったので同じ区間を再び走ることになるが、田舎館から2駅目

終点の黒石に到着した。弘南線は弘前も含め全13駅。総距離は16・8キロ。大鰐線が13・9キロとそれほど変わらず、合わせても30キロほど。県庁所在地でもなく、国鉄転換からの三セクでもないす地方の私鉄が、ここまで頑張って来られたのは、総距離の短さもある

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典型的な頭端駅の姿

私は頭端駅が好きだ。線路と並んで車止めがある光景にひかれる。そしてこの景色は、ある意味私鉄ならではのものだともいえる。JRにももちろんあるが、全国に線路網を張り巡らせようとした国鉄の歴史から路線の長さからすると、その数は少ない

黒石駅は、頭端駅の最たる姿で奥に改札そして駅舎がある。降りる人がいないように感じるのは構内の写真撮影などをしていて改札を出るのが最後になったからだ

オレンジ色の「出口」が目を引く。改札の駅員さんは私が来るのをずっと待ってくれていた。遅くなってすいません

改札口の手前には重量計が置かれている。さすがにこれは現役ではないだろう

国鉄から客を奪う

駅舎内には観光案内所も設置され、自動券売機もある

弘南線が黒石まで延伸されたのは1950年(昭和25)。当時の駅名は「弘南黒石」。なぜ「弘南」が付いたかというと、駅前には1912年(大正1)に、先に黒石に乗り入れていた国鉄の黒石線の駅があったため。これで弘南線は全通となったが、大きく影響を受けたのが国鉄だ。黒石線は川部から分岐するいわば支線で、弘前から黒石への唯一のアクセスルートだった。五能線の分岐でもある川部は鉄道の要衝だったのだ。黒石線は弘前からの直通運転も行っていたが、スタートから電化され(弘南鉄道は戦前に非電化で開業したが黒石延伸の直前に電化された)、すべての列車が弘前とダイレクトに結ばれている弘南鉄道とは利便性に差があった。当時の運賃は国鉄の方が安かったようだが、利用者が選んだのは本数も多い弘南鉄道だった

わずか6キロしかなかった黒石線は結果的にギブアップ。国鉄末期に弘南鉄道へと譲渡され、弘南鉄道黒石線として再出発となった。国鉄路線が三セク移管されるのではなく民間の鉄道会社に引き継がれるという珍しい例となった。1984年のことである

到着時の写真にもチラリと写っているが、黒石駅にはもうひとつのホームが残る。弘南鉄道では黒石線を譲り受けたことで、構内の改良工事を行うとともに、それまでの国鉄の線路からの連絡線を設けて同改札内での乗り換えができるようにした。駅名も黒石に改められた

ただ電化されている弘南線に対し黒石線は非電化のまま。そもそも弘前方面から黒石に行こうとするとスイッチバック構造になってしまうので、弘前からの直通運転は行われず、また弘前方面から川部乗り換えで黒石に向かう際、それまでは国鉄の通し料金だけで済んでいたものが、黒石線6キロの乗車のために国鉄+弘南鉄道の料金が必要となり、利用は低迷。わずか14年後の1998年に廃線となった。残ったホームは黒石線のものだ。上記の地図は黒石駅と川部駅を結ぶものだが、直線コースは道路となり、代替バスは今も1日6往復、両駅間を結んでいる

それでも国鉄からの路線譲渡は今も形として引き継がれている。弘南鉄道では、その際に駅舎も新築。それが現在のものだ

駅舎の隣にはぽっかり空き地がある。駅舎新築の際、スーパーを招致して駅とセットのような形となっていたが、スーパーは5年前に撤退。初見だと唐突とも思える縦長の駅舎は、その名残である

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