※訪問は2025年7月11日
今日は歩く必要ナシ

名残惜しいが津軽大沢駅と別れる時間がやって来た

大鰐線には意表を突くような形でホーローの駅名標が残されているが、ここにも残る。随分と高い位置にあるのが印象的だ
さて前記事で津軽大沢駅は列車交換が行われる駅となっていて、当駅で下車すると必ず1時間待ちなければならなくなると記したが、この時間帯についてはその心配は無用である

こちらは当駅の時刻表だが、私が乗ってきた7時7分の中央弘前行きの後、平日に限っては7時36分という電車がある。JRにしろ三セク、私鉄にしろ、やはり駅訪問は全国どこでも通勤通学帯の朝がカギとなる。それにしても当駅には朝の6時台は電車がやって来ないことをこの時、あらためて知らされた。終電もなかなかの早さだ
高校生でにぎわう車内
こり後は2駅先の小栗山へと向かい、1駅戻って松木平へ。そこから市内中心部を目指し弘高下で下車して大鰐線コンプリートの予定。もちろん時間はまだまだあるので、大黒様きっぷをそのまま利用して弘南鉄道弘南線の各駅訪問も行うつもり

平日のみ運行のこの列車には多くの高校生が乗車していた。7時半過ぎという時間帯は沿線にいくつもある高校への通学列車の役割も果たしているのは容易に察しがつくが、学校数の割に利用客の数が少ない。私は各地のローカル線には、かなり乗っているが、学校の数を考えると座れない乗客が、もっといてもおかしくはない。これは大鰐寄りの義塾高校前でも感じたこと。これについては今後の記事でも考えてみたい
ホームと待合所のみの構造
電車はあっという間に2区間を走り小栗山駅へ。もちろんこの駅で降りる高校生はいないし下車したのは私だけだったが、代わりに何人かの生徒さんが乗ってきた

小栗山駅はご覧の通り単式ホームと待合所のみの構造。大鰐線のこの構造の駅は路線が開業してから設置されたものが多いが、当駅は1952年(昭和27)に前身の弘前電気鉄道が路線を開業した際からある1期生の駅。見る限り過去に貨物の扱いがあったようには見えない
私の写真では農地の中にある駅に見えてしまうかもしれないが、当駅付近まで弘前の郊外化が進んでいる。開業時は千年村に所在。1955年に千年村は弘前市の一部となっている。千年村が成立する前の明治の町村制施行までは小栗山村があった
手書きの文字がなんとも

宅地の横から小さな階段でホームに入る
さて当駅とは無関係の話だが、前日の津軽線訪問でも気付いたことに電話ボックスの形状がある

拡大するとこんな感じ。多くの駅でこのような形だった。近年、電話ボックスのお世話になることなどほとんどないので、じっくり眺めることはないのだが、表彰台に登るような形となっているのは、積雪対策なのだろうか。3月の訪問時はそもそも雪が積もっていたので全く気付かなかった
駅名標は小さな待合所に2つも掲げられている。先に挙げた写真ではホームに着き出すような形での「小栗山」の文字が随分と目を引くが、正面に回ると

板に漢字、ひらがなの並列で手書き文字が並ぶ。この手のものは地元の学校生徒によって描かれたものが多く「○○学校」の案内があるものだが、それはない。板そのものはかなりの年月を感じさせ、ほとんど何もない構内で大いにアピールをしていた


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