※訪問は2025年3月10日

終点ならぬ起点駅に到着

大鰐駅に到着。これで大鰐線は完乗である。そして当駅は路線の起点駅。弘前市の中心部にある中央弘前からここまでやって来たのだから、中央弘前が起点で大鰐が終点だろうと思ってしまうが真逆。これはなぜかというと、以前の記事でも紹介した通り中央弘前から先への延伸計画があったからだ

中央弘前から先も板柳まで延伸することになつていたので起点は大鰐。ただしこれはあくまでも帳簿上のもので実際に乗ってみると大鰐駅には終点感が漂っている

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除雪車とのランデブー

あらためて大鰐駅。除雪車と旅客用電車のランデブーが美しい。降りて気付いたのだが、この日一度も見かけなかった同業者(鉄道ファン)が何人か同乗していて皆さんと並んでの撮影会となった。これだけいらっしゃるのなら前記事で紹介した義塾高校前駅での積雪の岩木山をバックにカーブ状ホームに入線する「ツーショット」もおすすめしてあげたくなった

大鰐駅は奥羽本線の大鰐温泉駅との共同使用駅。共同使用駅にもいろいろなパターンがあって、こちらは改札は別だが改札内でホームはJRと弘南鉄道で自由に移動できる形式

改札内は自由移動という形式はかつての国鉄が三セク化されたものに多く見られ、元々が同じ会社なのだから使用ホームもそのままということになっている

大鰐駅のようにJRと(一度も国鉄になったことのない)私鉄によるホームの移動も自由という形式は意外と少なく、有名なのは三重県における津、松阪、伊勢市の近鉄とJRによる共同使用だが、三重県内でも鳥羽や桑名のように自由な往来ができなくなった駅もあり、どちらかといえば減少傾向にある。確かに完全なライバル関係にある会社、路線が改札内の空間を共有しているのは、なかなか現代風ではない

そしてさらに特筆すべきなのは共同使用駅でありながら駅名が異なるという点。ホームも同じなのだから駅名は同じにするのが利用者にとって便利だろうと思うが、弘南鉄道は「大鰐」、JRは「大鰐温泉」である。このパターンはなかなか珍しく、大鰐から比較的ご近所のJR東日本と津軽鉄道の「五所川原」「津軽五所川原」、JR九州とくま川鉄道の「人吉」「人吉温泉」ぐらいしか思いつかないが、人吉については元々が国鉄の同駅だった

スイマセン行けませんでした

もっとも駅名が異なるといっても最初からそうだったわけではない。最初はともに「大鰐」「五所川原」だった。大鰐駅については国鉄駅の開業は1895年(明治28)と、なかなか古い。弘前電気鉄道の乗り入れは半世紀以上後の1952年(昭和27)だ。1970年に弘南鉄道に経営が移ったタイミングで「弘南大鰐」と最初の駅名変更。ところが1986年の国鉄民営化の1年前に再び「大鰐」に戻る。先の記事でも触れたが、同じタイミングで新石川駅も石川駅へと変更されている。これで1年後に発足したJR東日本と弘南鉄道で同駅名となったが、今度はJRが1991年(平3)に「大鰐温泉」と現在の駅名としたため、せっかくの同駅名回帰はわずか5年で終わりを告げてしまった

当駅は2面3線のJR、島式の弘南鉄道と計5つのホームがあり、弘南鉄道は4、5番線。ともに行き止まり形式となっていて冬場は最初の写真のように除雪車が留置されているようだ

JRと弘南鉄道のホームは跨線橋で結ばれている。駅の出入口は南北にあるが、北口は弘南鉄道のみの出入口、南口はJRと弘南鉄道の出入口はそれぞれ別に存在している。つまりJRのきっぷで大鰐温泉駅で降りても北口からは出られないわけで

はがれかけているが、このような注意の張り紙がある。ただ私がこの日持っているのは弘南鉄道のフリーきっぷ。堂々と南口(の弘南鉄道出入口)に行けるわけで、跨線橋を登って向かう-というのが、ごく普通の行動なのだが、とにかく膝の痛みがかなりのものになっていて跨線橋の階段は無念のパス。これ以上悪化して動けなくなるわけにはいかない

北口にはかわいい駅舎があって駅員さんはここにいる。以前は南口しかなかったそうだが、1981年に北口ができて利便性が向上した

駅舎は道路に面しているわけではなく通路を歩いて外へと出る

こちらは駅舎というより駐車場と社員詰所の雰囲気

左側に目をやると、すっぽり雪に覆われたバス停があり、間近まで行くことも困難だが「予約制バス」と記されていた

現在は14時半。もう少し頑張ってみよう

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