大鰐駅

銀世界から盛夏へ移行した大鰐線の残り駅を回収~車窓で答え合わせをしながら次の駅へ

※訪問は2025年7月11日

天候に恵まれ

出発を待つ弘南鉄道の電車。6時50分発に乗車する。大鰐駅の5番ホームは保線車両の留置などに使われ、旅客列車の発着は基本的に行われない。3月に訪問した時は除雪車が停車していたが、その姿はもちろんない。すがすがしい朝。気温は25度にもなっていない。伊丹空港から東京経由で北海道&東日本パスを利用して北上してきたが、東京では軽く30度超えだったものが、青森に到着してからは最高気温が26度ぐらいという日が続いている。最初は「さすが北国の青森」と思っていたが、私の訪問タイミングがたまたま恵まれていただけだったようだ

これについては後ほどあらためて触れるが、3月の大鰐線乗車の際も、ふだんの私の生活では見ることもない自分の身長よりも高く積まれた雪を目の当たりにしながら各駅訪問を行ったが、気温は10度超えで、しかも無風。全く寒くはなかった。むしろ徒歩には適切な気候だった。弘南鉄道の旅は私にとって、いずれも天候に恵まれたといえる

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こうなっていたのか、と感心しながら

電車の側面には、ちょっとおしゃれなサボが掛けられていた

大鰐線の全14駅で未訪問駅は4駅。3月に来た時、途中で全駅訪問は無理だと分かった時点で終点の大鰐に近い駅を優先的に回ることにした。次回来た時に中央弘前に近いが残っていた方が効率が良いと考えたからだ。また駅間距離の近い区間も隣同士で残すことにした。1時間に1本の運行なので、歩いた方が早い区間は歩いてしまえば良い。その結果、津軽大沢から松木平、小栗山と3駅続けて残り、もう1駅は膝が痛くて断念した弘高下である

ところが大鰐線再訪問を前にJRで大鰐温泉駅まで行ってから戻ってくる作戦に急きょ変更。それはもう1度車窓から確認したかったからでもある

自分の中ではおそらく忘れることのない弘南鉄道の石川駅から奥羽本線の駅を歩いた駅間徒歩である。携帯アプリの指示するままに歩こうとすると、目の前には雪しかなく、自力で別ルートを考えたら大きな水たまりに道を阻まれ、それでもエイヤとジャンプしたら膝を痛めてしまった2つの思い出。大鰐温泉まで行ってUターンする形をとれば、雪のない時はどのような姿になっているのかが分かる。弘前から大鰐温泉への奥羽本線では弘南鉄道との交差部分を中心にじっくりと眺め、今度は路線内で唯一の高架となっている部分から眺めると、ああ、雪に埋もれていたアプリ指示の場所にはちゃんと道があったんだな、膝を痛めた水たまりは当然ないな、とJRと弘南鉄道の往復で「答え合わせ」も完了。さすがにもう一度道程を歩いてみよう、という考えには至らなかったけど(笑)

ちょっとした感慨にふけっているうちに電車は17分で津軽大沢駅に到着。ご覧のように、見ただけで、なかなか「そそる」駅である

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銀世界から盛夏へ移行した大鰐線の残り駅を回収~ようやく跨線橋を渡ってみた

※訪問は2025年7月11日

4カ月を要してたどり着いたJRの改札

大鰐温泉駅の改札。4カ月前はここまで来ることはできなかった。ラッチはなく有人の時間帯は駅員さんが立ってきっぷの回収をするのだろう

ただしまだ6時40分。無人の時間帯だ。JR全線の乗車券、指定券を買うことができると記されているが、みどりの窓口とはなっていない。特急停車駅ながら扱いは簡易委託駅のようだ

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足湯も備える

大鰐温泉の駅舎。開業は130年前の1895年と明治期だが、現在の駅舎は昭和30~40年代の典型的なコンクリ駅舎。大鰐町の代表駅にして大鰐温泉の最寄り。最寄りというか、駅前が温泉街となっている。全国には「○○温泉」という駅名ながら、温泉街まで遠い駅がいくつもあるが、ここは名前に偽りなし。鎌倉時代んらの名湯で大鰐からの駅名変更も十分うなづける

駅前には大きなワニと一体となった足湯がある。「こんなところだったのか」が実感

3月に訪問した際の記事。当駅に来る前、弘南鉄道の石川駅からJRの石川駅の間を歩いた時、膝を痛めてしまい跨線橋を渡ることができずJRの方に行くのを断念した。ちなみにもう痛くはないが、まだ違和感が残っている状態だ

大鰐駅へと向かう

さてここからようやく本来の目的である弘南鉄道大鰐線の大鰐駅である。つまり大鰐温泉駅から大鰐駅へと向かう。弘南鉄道では南口にあたる駅舎はJRの駅舎の隣にある

以前は駅員さんがいたが、現在は無人化されている。券売機もなく単に待合室状態。私の訪問時はJRも無人の時間帯。前記事で「どちらで降りても事実上同じ」と記したのは、そういう意味合いだ。厳密にはJR、弘南鉄道とそれぞれの乗客が、それぞれのきっぷを持ってそれぞれの出入口を利用することになるが、今回の私は両社のフリーきっぷを持っているのでどちらも利用できる

4カ月前は渡れなかった跨線橋で、いよいよ大鰐駅へ

弘南鉄道の方へ行こうとすると跨線橋が狭くなる。そしてJRのきっぷしか持っていない人は、ここから先には行けない。駅に出口が複数あるのなら、○○口という風に方角や地名が入るものだが、弘南鉄道には北口と南口があるが、JRの出口は1つである。「JR出口」と表示されているのも、そのためである

弘南鉄道のホームにやってきた。ここは4カ月前にも見た光景。懐かしい

すでに中央弘前行きの電車が出発を待っている。訪問記事と読み比べていただければ分かるが、とにかく景色の違いに驚く。弘南鉄道とJRのホームの間はビッシリ雪が埋まっていたのに、今は青い夏の空。あまりにも対照的だ

共同使用駅の概念とは違うかも

弘南鉄道のホームまで来て目につくのは、こちらの注意書きである

わざわざ「JR」と上書きしたり、「弘南大鰐」の「弘南」の部分を隠してみたりという工夫ばかりが目につくが、これはどういうことかというと前述した通り、JRのきっぷしか持っていない人はこちらの出口からは出られません、との意味だ

JRで降りると線路を挟んで南北を往来するにはかなり回り道をする必要がある

こちらは3月訪問時のもので張り紙はめめめくれかけているが、通り抜けをするには入場料が必要だということが書かれている

訪問時の記事で「いろいろな形式はある」と前置きしながらも共同使用駅とした。ただ共同使用駅の概念のひとつとして「どこからも出入りできる」というのがあるだろう。ホームの導線に共有部分はあるとしても「隣接する駅」という表現が近そうだ

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銀世界から盛夏へ移行した大鰐線の残り駅を回収~異なる会社のパス2つを同時使用

※訪問は2025年7月11日

朝6時台の弘前発奥羽本線からスタート

朝6時20分の弘前駅

前日は津軽線の運休区間を回り、夕方までに弘前入り。本日は弘南鉄道大鰐線の残り駅回収と同社の弘南線の各駅訪問を行う予定。前回の訪問からちょうど4カ月。景色は大きく変わった。当時は弘前の駅前にも雪が残り、沿線はどこもまだ高く積もる雪に囲まれていた

まさに雪中行軍だったが、東北の夏はやや遅いとはいえ、もう盛夏といっても良い季節。朝の6時でも当然半袖シャツ1枚である。幸運にも宿泊していたホテルの朝食が朝6時からで、大盛ごはんを素早くかき込んで出発である

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初めてのフリーパス同時使用

6時27分発の奥羽本線秋田行きに乗車。大鰐線の駅訪問なのに、なにゆえJR乗車なのかというと、ここから大鰐温泉駅へと向かい、そこから大鰐線に乗車しようというプランである。すでにスマホで弘南鉄道のフリーパス「大黒様きっぷ」を購入している。そして弘前~大鰐温泉のJR区間は津軽線でも使用した北海道&東日本パスを利用する。結論から言うと、本日JRを利用するのはこの区間のみ。運賃にしてわずか240円だが、7日に東京から利用を開始したこのパスはもう十分に1万1530円の元を取っている。しかも明日の最終日も青い森鉄道でたっぷり乗下車するので本日の出番はこれだけで問題ない(ちなみに初日の出番も浜松町~上野のみだった…笑)

フリーきっぷというのは、とりあえず元を取るのが先決なので異なる会社のものを2枚同時に使用するということは、なかなかない。私も初体験。ほんの少しだけエグゼクティブな気分になれる

電車はわずか2区間の13分で大鰐温泉駅に到着。ちなみに弘南鉄道だと13区間で30分以上を要する。後方に弘南鉄道の出口があるが、当然ながらJRの出口から出よう。両社のフリーきっぷを持っているし、事実上ここから出ても大勢には影響ないのだが、それについては後述する

奥羽本線のこの区間は過去何度も乗車しているが、大鰐温泉での下車は初めて。もっと言うと、途中に石川駅があるだけの2区間約12キロの車窓をこんなに凝視したのは初めてのことだ。特に石川駅前後では「こんな風に大鰐線とクロスするんだ」「こんな風に別れてまた合流するんだ」と興味津々。これも3月そして今回の主役があくまで大鰐線だからだろう

行先案内にしびれる

向こうに弘南鉄道の大鰐駅と電車が見えている。跨線橋でつながっているが、JRは大鰐温泉、弘南鉄道は大鰐と駅名が異なる

JRの大鰐温泉駅は開業が1895年(明治28)と古く今年で130歳。新宿駅とも「10歳」しか変わらない。当時の駅名は大鰐である。地名の由来については調べるまでもなく駅に解説があった

アイヌ語に基づくという。JR東日本の東北の駅では、このような地名の由来についての案内板をよく見かけてとても勉強になるし、何より調べる手間が省けてブログ記事の作業がはかどる(笑)

弘南鉄道の大鰐駅開業は1952年(昭和27)と、ずっと後のことだ。敷設は弘前電気鉄道が行い、駅名は国鉄との同名に気を遣ったのか、嫌がったのか弘南鉄道に営業が譲渡された際に「弘南大鰐」という駅名となっている。大鰐駅に戻ったのは1986年のこと。ただJR移管後の1991年(平成3)にJRの駅名が大鰐温泉となって現在に至るため、弘南鉄道の駅は55年もの歴史を持ちながら、JR(国鉄)と同駅名だったのは1952~1970と1986~1991の半分にも満たない。駅名の追っかけっこをしている感じだ

改札を出ようとして振り返ると跨線橋手前の番線案内に目が釘付けとなった

奥羽本線の各駅、弘南鉄道大鰐線の各駅に混じって「大阪」の文字。明らかに異彩を放っている。東北地方に大阪という地名があるのかと思ってしまいそうだが、おそらく日本海縦断特急「日本海」の停車駅だった名残だろう。定期運用の終了は2012年春とまだ13年しか経っていないが、はるか昔のことのように感じてしまう。2028年春の大鰐線廃線とともに案内板も作り替えられて大阪の文字も消える運命だと思う。ただ見方を変えると何度も作り直すのは面倒なので、少なくともそれまでは残るはず。この駅で最もしびれた瞬間だった

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2028年春の廃線が発表された弘南鉄道大鰐線を雪中行軍~駅名が一致しない珍しい共同使用駅 

※訪問は2025年3月10日

終点ならぬ起点駅に到着

大鰐駅に到着。これで大鰐線は完乗である。そして当駅は路線の起点駅。弘前市の中心部にある中央弘前からここまでやって来たのだから、中央弘前が起点で大鰐が終点だろうと思ってしまうが真逆。これはなぜかというと、以前の記事でも紹介した通り中央弘前から先への延伸計画があったからだ

中央弘前から先も板柳まで延伸することになつていたので起点は大鰐。ただしこれはあくまでも帳簿上のもので実際に乗ってみると大鰐駅には終点感が漂っている

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除雪車とのランデブー

あらためて大鰐駅。除雪車と旅客用電車のランデブーが美しい。降りて気付いたのだが、この日一度も見かけなかった同業者(鉄道ファン)が何人か同乗していて皆さんと並んでの撮影会となった。これだけいらっしゃるのなら前記事で紹介した義塾高校前駅での積雪の岩木山をバックにカーブ状ホームに入線する「ツーショット」もおすすめしてあげたくなった

大鰐駅は奥羽本線の大鰐温泉駅との共同使用駅。共同使用駅にもいろいろなパターンがあって、こちらは改札は別だが改札内でホームはJRと弘南鉄道で自由に移動できる形式

改札内は自由移動という形式はかつての国鉄が三セク化されたものに多く見られ、元々が同じ会社なのだから使用ホームもそのままということになっている

大鰐駅のようにJRと(一度も国鉄になったことのない)私鉄によるホームの移動も自由という形式は意外と少なく、有名なのは三重県における津、松阪、伊勢市の近鉄とJRによる共同使用だが、三重県内でも鳥羽や桑名のように自由な往来ができなくなった駅もあり、どちらかといえば減少傾向にある。確かに完全なライバル関係にある会社、路線が改札内の空間を共有しているのは、なかなか現代風ではない

そしてさらに特筆すべきなのは共同使用駅でありながら駅名が異なるという点。ホームも同じなのだから駅名は同じにするのが利用者にとって便利だろうと思うが、弘南鉄道は「大鰐」、JRは「大鰐温泉」である。このパターンはなかなか珍しく、大鰐から比較的ご近所のJR東日本と津軽鉄道の「五所川原」「津軽五所川原」、JR九州とくま川鉄道の「人吉」「人吉温泉」ぐらいしか思いつかないが、人吉については元々が国鉄の同駅だった

スイマセン行けませんでした

もっとも駅名が異なるといっても最初からそうだったわけではない。最初はともに「大鰐」「五所川原」だった。大鰐駅については国鉄駅の開業は1895年(明治28)と、なかなか古い。弘前電気鉄道の乗り入れは半世紀以上後の1952年(昭和27)だ。1970年に弘南鉄道に経営が移ったタイミングで「弘南大鰐」と最初の駅名変更。ところが1986年の国鉄民営化の1年前に再び「大鰐」に戻る。先の記事でも触れたが、同じタイミングで新石川駅も石川駅へと変更されている。これで1年後に発足したJR東日本と弘南鉄道で同駅名となったが、今度はJRが1991年(平3)に「大鰐温泉」と現在の駅名としたため、せっかくの同駅名回帰はわずか5年で終わりを告げてしまった

当駅は2面3線のJR、島式の弘南鉄道と計5つのホームがあり、弘南鉄道は4、5番線。ともに行き止まり形式となっていて冬場は最初の写真のように除雪車が留置されているようだ

JRと弘南鉄道のホームは跨線橋で結ばれている。駅の出入口は南北にあるが、北口は弘南鉄道のみの出入口、南口はJRと弘南鉄道の出入口はそれぞれ別に存在している。つまりJRのきっぷで大鰐温泉駅で降りても北口からは出られないわけで

はがれかけているが、このような注意の張り紙がある。ただ私がこの日持っているのは弘南鉄道のフリーきっぷ。堂々と南口(の弘南鉄道出入口)に行けるわけで、跨線橋を登って向かう-というのが、ごく普通の行動なのだが、とにかく膝の痛みがかなりのものになっていて跨線橋の階段は無念のパス。これ以上悪化して動けなくなるわけにはいかない

北口にはかわいい駅舎があって駅員さんはここにいる。以前は南口しかなかったそうだが、1981年に北口ができて利便性が向上した

駅舎は道路に面しているわけではなく通路を歩いて外へと出る

こちらは駅舎というより駐車場と社員詰所の雰囲気

左側に目をやると、すっぽり雪に覆われたバス停があり、間近まで行くことも困難だが「予約制バス」と記されていた

現在は14時半。もう少し頑張ってみよう

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