きっぷ

グリーンきっぷの2日間~パノラマカー再チャレンジ

岡山駅の発車案内

2月21日6時

これまでの記事は数ヶ月前の振り返りが多かったですが、今回は旅を終えてすぐのものとなります

とにかく寒い朝

朝の6時。まだ暗い三宮駅前。牛丼店で朝食を摂り新神戸駅が6時半

こうして見ると昭和の新幹線駅という雰囲気に満ちあふれていますね。昨年50歳となりました。今回はその50歳が大きく関連する旅です

手元にあるのは

ご覧のようにJR西日本全線と智頭急行線が2日間、新幹線も含め乗り放題で6回までグリーン車に乗れる。グリーン車の上限回数には普通指定席も含まれるので、グリーン車に乗った方が得ですがグリーン車の設定がない特急も存在します

条件は「50歳以上でおとなび会員であること」「使用7日前までの購入」の2点で3月21日までに旅を終えなければなりません。ちなみに3日間用2万3000円、5日間用2万7000円というのもあって、価格的にははるかにお得ですが、こちらは2人以上での利用が条件となるので一人旅については事実上、2日間用になってしまいます(類似の1人用もありますが、それについては後述)

自由席については乗り放題となっています。まず

さくらの自由席に乗ります。実はすでに5回分のグリーン券を発行済みで、もう1回残っているのですが、こちらはいざという時のためにとっておきます。まずは岡山まで。35分ほどで到着するので自由席で十分。朝の7時にもかかわらず、かなりのお客さん。さくらの自由席は1~3号車で2号車の座席数が最も多い。新幹線の自由席は偶数号車を狙うのが基本ですが、皆さん慣れているのか2号車の列が一番長かった

岡山に到着

山陽新幹線の岡山延伸の数年後にできて長年親しまれてきた噴水ですが路面電車の線路を駅前まで延伸することで撤去されることになり、水は抜かれていました。先ほどの新神戸駅といい、今回の旅は山陽新幹線岡山延伸がキーワードになっています

それにしても寒い。三宮ではまだ早朝と思っていましたが8時前の時点で凍てつく寒さとは、このようなことを言うのか、というほど寒い。この日の最高気温は5度から6度という予報でしたが、おそらく現在の体感は0度ぐらいではないでしょうか。先が心配です

勝利が見えた

そんな今回の旅。最大の目的は「特急やくものパノラマカーに乗ること」。この1点です。グリーンきっぷを購入した動機は、この1点と言っていいぐらい

来年、やくもには新型車両が導入される予定で、おそらくその時には姿を消します。こういうものは、その時が近づけば近づくほど混み合ってくるので早いうちに乗っておいた方がいいに決まっています。ちなみにパノラマカー(グリーン車)は1号車ですから、下り(岡山発)でないと先頭になりません。パノラマカー設置車両は1日4往復ですから、チャンスは4回。ただし午後の2本は岡山発が17時5分と20時5分なので明るい景色を楽しむということも考えると事実上、2回ということになりました

それをふまえ、一昨年9月にもチャレンジしたのですが見事に不発。パノラマカーの運行は時刻表で分かるのですが、そこには「パノラマ型でない日があります」との注意書きがしっかり記載されています。注意書きの日にもろに重なってしまったようです。あのガッカリ感はハンパなかった

それから1年半。再チャレンジの機会が巡ってきたわけです。朝のパノラマカーは8時5分と9時5分発。このうち9時5分は「スーパーやくも色塗装」になっていて人気が集まるのは確実なので避けましょう。旅程を決めたのが3週間前で座席を調べると

最前列が空いています

何も考えずに予約ボタンを押しました

やくものグリーン車は左からA、B、Cの順でCが単独席。運転席は左にあるので見晴らしが良い順となると圧倒的にCが最上級で、そこからB→Aとなるのですが、私にはこれで十分です

後は「注意書きの日」にならないことを祈るだけ。前回の経験から入線前でも結果が判明することが分かっています。遠くに待機している車両が見えるのです

そして結果は

勝利!

これはうれしかったなぁ

早速乗り込みます。いやいや感激。スーッと走り出した時はちょっと緊張しました

山陽本線と伯備線は倉敷で分岐します。下り列車については線路上を横切らないで済むように高架の渡り線を行きます。これまで数え切れないほど見た景色ですが、前面展望だと全く違いますね

岡山から10分ほどで倉敷に到着。いよいよ伯備線に入ります

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JR東日本パス ファイナルを前に~秋を振り返る 悲運の北上線を経て東京へ

北上駅の駅舎

2022年10月16日14時

「快速」のある北上線

ほっとゆだ駅に戻ってきました

休日に登校した高校生が帰宅するため駅に集まってきました。14時23分発の列車を逃すと前列車と同様、次の上りも下りも3時間運行がないので逃すと大変です

さて横手駅でも掲載した写真ですが

横手駅の北上線列車

方向幕に「快速」とあるのがお分かりかと思いますが、一般的にイメージする快速とは少し違う。北上線は両端の横手と北上を除くと途中に駅が13あるのですが、その中の小松川駅1駅だけを通過するものです

昨年の春までは他に2駅の快速通過駅があり、この2駅は冬季は全列車が通過する駅として、ある意味有名でしたが廃止され、1駅だけを通過する快速が「誕生」したわけです。播但線(兵庫県)の非電化区間である寺前~和田山で長谷駅ひとつだけを通過するためにあった快速と似ている(現在は全駅停車となり快速は消滅)

快速の設定は横手行きの下りで3本、北上行きの上りで1本設定されていて、私は貴重な1本に乗車したわけです。もっとも設定云々より、そもそも北上~横手の全線を走る列車は1日6・5往復しかありません

北上線は大正期に全通した古い路線です。東京から秋田を目指す路線としては福島で東北本線から分岐する奥羽本線がメインルートですが、福島と山形の県境で有名だった4駅連続のスイッチバックがあったように険しい峠越えがあり、重量のある貨物列車には負担の多い路線でした。そこで仙台経由で負担の少ないルートという目的もあって敷設されました。全国で問題となっている、いわゆる赤字ローカル線はトンネルや高架技術の乏しい時代に造られたものが多く、スピードに難点があり高速道路との競争に勝てないものがほとんどですが、北上線は当時にできたものとしては線形が良く、貨物などの長大編成にも重宝され、奥羽本線でトラブルがあった時の迂回ルートとしても重要な役割を担いました。特急の定期列車が走ったこともあります

ところが秋田新幹線設置の際に選ばれたのは戦後に全通した田沢湖線。東京から来た場合、北上線からでは盛岡の手前で分岐してしまうのが難点だったのでしょうが、わざわざ遠回りとスイッチバックをしてまで東京から秋田のルートが設定されてしまったわけで、平成になって駅名を陸中川尻からほっとゆだに変更するなど「ゆだ」を冠する駅名に3駅変更、SLが走ったこともありましたが、SL運行は10年以上行われておらず、貨物輸送もなくなっています(ただしJR貨物の免許は続いていて、いつでも貨物列車が走れる状態)。冬季通過駅や1駅通過の快速が登場することが利用者の数を物語っているともいえます。とても不運な路線です

北上駅は国鉄駅舎

ほっとゆだからは45分で北上に到着

戦後に各地で建てられた国鉄コンクリート駅舎が健在なターミナル駅。黒沢尻駅として明治期に設置されました。黒沢尻は当時の町名で北上市の中心地。花園の高校ラグビーに登場する学校にその名前をよく聞きます。戦後の合併で北上市が誕生した際、現駅名となりました。ちなみに写真で分かるように「きたかみ」です

北上線の列車は主に0番線の切り欠きホームを利用します

お隣の駅の解説付き駅名標

ここから新幹線で東京に向かいます

ユニークなオブジェがあります

当駅からは「はやぶさ」も「やまびこ」も東京に向かいますが自由席のあるやまびこが圧倒的に多い。基本的には1時間に1本、東京行きがあります。座席については以前に説明した通り、B席しか確保できませんでしたが、比較的早い時間でこのような状況だったので夕方以降はもっと凄かったのだと思います

入線時に前3両の自由席が見えましたが、この時点でほぼ満席の様子。盛岡始発で途中駅は新花巻だけでしたが、2駅で座席は埋まったようです

もっとも発車すると私のお隣のC席は東京まで誰も座って来ず、私から見える所ではD、E席が並んで空きっ放しという「多客期あるある」が起きていました。私的にはC席に誰も来ずに良かったわけですが(宇都宮を過ぎた時点でC席に移動しました)、もしもC席の指定券を持ったまま自由席に座った人がいるなら、あまり感心できないことです

これで振り返りは終わりですが3月のファイナルでも利用を予定しています。ただ現時点できっぷは購入したものの現時点で指定席確保はなし(笑)。旅程はほぼ決まっていて宿も確保しましたが、細かい移動が多くなりそうで指定席をいちいち取っていたら、権利がすぐなくなってしまいそう。それでもこの時の教訓から最後の長距離だけは指定を取るべきかな、と思っています

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JR東日本パス ファイナルを前に~秋を振り返る ほっとゆだの3時間待ちで感動話

ほっとゆだ駅の構内

2022年10月16日11時10分

空白時間で目にとまったバス

ほっとゆだ駅です。駅舎に温泉があることで知られます

と同時に北上線では唯一、駅員さんがいる駅。以前は管理駅でもありましたが、今は業務委託化していて窓口の営業時間も限られたものとなっています

到着は11時8分。そして次の北上行きは14時23分で何と3時間超待ち。こういう時には対向列車に乗り、少し横手方面に戻って再び北上に向かうという作戦がよく成立しますが、実は横手方面への列車も14時23分発。要は当駅で列車交換を行う同時発車で駅には14時過ぎまで1本の列車も来ないわけです

近郊駅へ行くバスはないかと調べたのですが日曜とあって、そう多くはないもよう

風呂に3時間も入れるわけもなく、では時間的に駅前の観光案内所にあるレストランで食事、となるのですが結構な列ができています。なかなか参った

と目の前にバスの姿が

コミュニティーバスのようです。行き先を見てもどこなのかさっぱり見当もつきませんが、運転手さんに尋ねてみる

「どこか食事できて風呂も入ったりできる所に行きますか?」

何ともあつかましい質問ですが、湯本温泉まで10分ぐらいで美味しいご飯屋さんと公衆浴場があると教えてくれました。特にその食堂はオススメで帰りのバスも列車にちょうど間に合う時間とのこと。間もなく出発というので乗り込みます

美味で大にぎわいの食堂

県道1号線を和賀川沿いに行くバス

10分もかからず湯本温泉に到着しました

バス停でほっとゆだ方面の時間を再確認。歩いていくと別のバス停があって、ここはどんなバスが来るのかとみると

メニュー表になっていて笑ってしまいました

結論から言うと風呂は午後からのオープンで入れなかったのですが、「日曜日はやっているかなぁ」という食堂は開いていました。まだ11時半すぎですが大にぎわい。あまりにも美味しそうだったので

たぬきそばとチキンライスを平らげてしまいました

バスの時間まではまだまだあります。いざとなればたいした距離ではないのでタクシーを呼んで駅まで戻ればいい

穏やかに晴れる秋の日で景色もいい。と、そこには足湯がありました。先客がいらっしゃったので写真はありませんが、しばし先客のご夫妻とお話していると、ちょっと感動してしまいました

ご夫妻は東北のとある所からお越しなのですが、ご夫人には西日本に50年以上も文通を続けている方がいらっしゃるという

携帯で瞬時にメールを送ることができる時代ですが、それでも手書きの文章や凝った便せんで連絡し合う文通には根強い人気があるようです

今は分かりませんが、昔は少年少女向け雑誌に必ず「文通相手募集」のコーナーがあり「○○県の○歳です」という自己紹介に応募すると編集部経由で転送されていました

ただ手書きの文章しかない時代ですから、なかなかの手間だし、互いの生活環境も変わって、そうは続かないものです。それが同世代の女性と中学生の時から、ずっと続いているとか。個人の話なので詳しくは書けませんが、互いの引っ越しや結婚があっても続けられ、今は地元の名産品を送り合う仲になっていること、20年に1度ぐらい合うことなど、良いエピソードばかりで時間が経つのを忘れて聞き入ってしまいました

バス停近くに喫茶店があるのを見つけ、そこで小休憩。バスで駅に戻ると、ちょうどいい時刻。ほっとゆだ駅までわざわざ出かけながら名物の駅舎温泉には入れませんでしたが、それ以上の良い時間を過ごせました

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JR東日本パス ファイナルを前に~北上線に初乗車

ほっとゆだ駅の駅名標2つ

2022年10月16日10時10分

3年ぶりに出会った駅名標

大曲駅での立派なキロポスト。秋田新幹線としては、秋田まで続きますがミニ新幹線で在来線と同じ軌道を走るため、田沢湖線としてはこちらが終着駅となります

このようなものを見ると路線の運不運を感じざるを得ません。田沢湖、角館と観光地を走る田沢湖線ですが、元々は地味な路線で現在も在来線の本数は極めて少ない。特に岩手県と秋田県の県境越えとなる赤渕~田沢湖間は1駅の区間が18キロもあって、ここを走る普通は1日3・5往復。八戸線の時にも引用した1968年の時刻表(復刻版)を見ても6往復(当時は他に急行が2往復していた)しかない。まだまだ鉄道が元気だったころにそれだけの本数しかなかったのですから、新幹線に「昇格」したのは凄いことだし、スイッチバックという、あまり導入したくない方式をわざわざ採用したのも凄い決断だったと思います

似たような例としては岡山から山陰方面へと向かう伯備線もそうで、現在、他の陰陽連絡線が苦戦する中、幹線としての地位を築いていますが、山陽新幹線の新大阪~岡山暫定開業がなければ…ですね

さて、ここからは奥羽本線で横手に向かい北上線に乗ります

3日間の旅の最終日ですが、仙台スタートということもあり、最初の2日間は一切優等列車や有料列車に乗車していないので2万2150円の元を取れていません。実際に同行程の旅をした場合は三陸鉄道のフリーきっぷを使用したり、八戸線では長距離きっぷを買っての途中下車を選択したでしょうから運賃の違いはあるかもしれませんが、最初の2日間は

仙台~柳津 1340円(JR)

柳津~盛 1880円(BRT)

盛~釜石 1100円(三陸鉄道)

釜石~久慈 3050円(三陸鉄道)

久慈~本八戸 1170円(JR)

で8540円分しか使用していません。別の言い方をすれば有料列車に乗らずに8540円も使用したことになるのですが

ということで最終日は新幹線にバンバン乗って元を取りに行きたいところですが、やっぱりローカル線に乗ってしまいますね

その横手では

久しぶりにナゾの「ホーム横断型駅名標」と再会。2019年夏に青春18きっぷで新青森から奥羽本線をつらつらとやって来て(長かった)以来です。両隣の駅が表示されていそうで、されていないというユニークなもの。レールと垂直に掲げられているので表示しようがありません。駅の改良工事を行った際、これだけポツンと残ったようです。それにしても珍しい

北上線へもダッシュの結果…

北上線は横手と東北本線の北上を結ぶ約60キロの路線です

かつては仙台から秋田方面を目指す際の短絡ルートとしての地位を築いていましたが、田沢湖線が新幹線ルートとなり、地図上(線路上)では大回りをして向かう方が速くなってしまったため、立場が逆転してしまいました。横手と北上を直通する列車は1日6・5往復しかありません

ですから乗り遅れをするわけにいきません。10時29分に横手に着いて横手発北上行きの発車は10時37分。乗り換えにはちょうど良い時間ですが、前日からの満員状態が身体に染みついています

列車が見えてきて階段を足早に降りる

同業者(鉄道ファン)の姿も見えます。座席確保はできるのか、まぁ、ほっとゆだまでは30分なんで立つのもやむを得ないか…と乗り込むと

ガラガラでした

すっかり拍子抜け。ちなみに先に掲載した横手の駅名標は、ガラガラを確認して再び跨線橋を駆け上がって撮ったもものです。どうもこの期間でも人気がないのか、たまたま乗車した時間帯に人がいなかったのかは不明です

とにかくほっとゆだに到着です

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JR東日本パス ファイナルを前に~秋を振り返る 新幹線スイッチバック

大曲駅の駅名標2つ

2022年10月16日9時50分

秋田新幹線内の再会

八戸を8時11分に出た東北新幹線。盛岡までは、どちらかというとガラガラ。上り方面は、まだ皆さん活動されていないようです。立席と言いながらも余裕の着席

盛岡からは秋田新幹線。盛岡着が8時43分で盛岡発が8時48分。5分しか乗り換え時間がなく、今回の旅の最重要ポイントでしたが無事に乗り継ぐことができました。前夜、盛岡まで行って安全に宿泊する方法もありましたが、せっかくなんで来る機会の少ない八戸に泊まろうということになり、その分この乗り換えのリスクがあったのですが無事にクリア。秋田新幹線に乗車します

前記事で書きましたが指定席が1度「0」になり、一夜明けたら「1」になっていたため大慌てで確保した座席。当然ながらデッキまで人であふれています。秋田新幹線は全車指定で立席特急券制度を導入しているため「すいません。そこ私の席です」という光景が見られそうなものですが、さすが東日本パスを利用される方は指定席が満席だった時点で、そのあたりの事情は分かっているようで、そのような場面はありませんでした

しかし、ふと車内を見渡すと見知った顔の2人が

前夜、八戸で食事していると隣の座席のカップルが「明日はどこ行こう?」なんて会話をしていたのです。東北新幹線だと見どころはこちら、秋田新幹線だとこちら、なんて、あーでもない、こーでもないとやり合っていました。「ははーん、あちらも東日本パスだな」。察しはつきます。結果は出ないまま先に店を出ていきましたが、その2人が並んで座っていてビックリ。驚いたのは再会ではなく並んで座っていることです。どうやって座席を確保したのか考えてしまいました。元々、秋田新幹線の座席を持っていたのかなぁ、などと首をひねっているうちに角館で降りていかれました

話は少しそれますが、角館も駅から武家屋敷などの観光地がある中心部までは結構な距離があります。10年以上前に宿泊した時、駅から15分ほど歩いた記憶があります

鉄道的な見どころが多い

秋田から1時間。大曲に到着しました。盛岡を出た時、秋田までは満員状態だろうと思っていましたが、田沢湖でドッと降り、立っている人はめっきり減りました。角館でまた降りて空席もある状態に。これはちょっと意外でした

その大曲。2本の新幹線が止まっていますが新幹線(ミニ新幹線ですが)としては珍しいスイッチバック構造となっています

列車止めがあります

スイッチバックらしく駅名標はこんな感じ。ただし

在来線(奥羽本線)は普通。秋田新幹線を田沢湖経由にしたので、このような構造になりました

さらに大曲から秋田方面へは新幹線が標準軌、奥羽本線が狭軌なのでレールが3本ある三線軌条となっています

分かりやすい説明がありました。鉄道会社は原則的に同じ線路幅を採用しているので意外と見られない構造。「JR東日本唯一」と書かれていますね。青函トンネルができるまでは「JR唯一」でした。角館に泊まったのは秋田内陸縦貫鉄道に乗るのと、これを体感したいためでした

私鉄では複数の線路幅を持つ会社もありますが、この構造は線路の維持管理が面倒なので、現在は車庫回送などの短い区間でしか採用されていません

また青函トンネルは有料列車でしか乗車できない上に途中で降りることはできないので貴重な構造ともいえます

2019年8月にも大曲に来ましたが、その時は夜で、しかも20分近い停車時間に降りただけでした

大曲といえば花火ですね

商店街にも、さすがの名前が付いています

奥羽本線に乗り換えます

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JR東日本パス ファイナルを前に~秋を振り返る えきねっと連打

本八戸駅の駅名標

2022年10月16日7時30分

八戸の中心地は本八戸です

旅は最終日となりました。朝の本八戸駅

八戸の中心駅は本八戸。八戸ではありません。八戸まで鉄路が到達したのは1891年の明治24年とかなり早い。上野から青森まで全通した際に駅が設置されましたが、当時の駅名は尻内で、しかも上長苗代村という八戸町(当時)ではない自治体でした

さすがにこれでは不便すぎると現在の本八戸まで約6キロの支線ができたのが、その3年後。これが延伸して現在の八戸線となりました。当時は八ノ戸という駅名で明治のうちに八戸駅になっています

動きがあったのは戦後かなり経ってからのことで、まず上長苗代村が八戸市に。その後、尻内駅が八戸駅となり、八戸駅が本八戸駅となったのは1971年の昭和46年と戦後20年以上が経過してから

ただし駅としての格は高く、手元に東北本線が全線電化された1968年の時刻表があるのですが、寝台夜行も含めて1日5本運転されていた上野~青森の特急は、うち3本が仙台を出ると途中の停車駅は盛岡と尻内のみ。残る2本は盛岡のみの停車ですから、かなり偉い。一ノ関も花巻も通過です

今の感覚をあてはめるわけにはいかないのですが、当時は尻内=八戸という認識が、しっかり根付いていたのでしょうね

似たような例としては山陽本線の竜野駅と姫新線の本竜野駅があります(ともに兵庫県)。こちらは直線距離はたいしたことはないのですが、列車で行こうとすると大変な大回りと時間が必要となります。両駅を鉄道でつなぐ計画が消滅したことでこのような形になっています

八戸の中心駅ですから、立派な駅舎と改札を持ち、みどりの窓口も設置されています

観光式の駅名標。島式1面2線で40年以上前に高架化されています

日曜でしたが休日も登校する生徒さんがいて朝のホームはにぎわいます。平日はもっと多いのでしょう

ただ話はちょっとややこしいのですが、本八戸は八戸の中心駅ですが、町の中心地までは徒歩で10分以上かかる場所にあって、ちょっと離れています。前日の到着は19時前で、もちろん真っ暗。ホテルは繁華街に近い所に集まっていて、今は携帯アプリがあるのでいいですが、ひと昔前だったら駅からホテルまで行くのには地図を頼りにするか、ホテルに電話するかしていたでしょう

真っ暗だなぁ、と思っていたところから急にネオンでいっばいの繁華街に出るのでちょっと驚いてしまいました

八戸線は八戸から本八戸をまたいだ鮫までは多くの部分運行がありますが、本八戸駅からの中心部への距離もあってか、八戸駅から八戸の中心部まではバスが昼間も10分間隔の高頻度運転を行っており、新幹線から中心部へのアクセスは、こちらに軍配が上がっているようです

ただもちろん、フリーきっぷを握っている私は八戸までは列車の一択です。東日本パスを利用される方も、おそらくバスなど乗らないでしょうから(笑)、駅からの距離は心に留めておいてください

新幹線の座席確保に難航

列車は約10分で八戸に到着。言い忘れましたが、舌鼓を打つことで訪ねる機会も多い八食センターは八戸駅から1時間に1本、100円バスが出ているので、こちらが便利です

八戸駅です。2002年から8年間、東北新幹線の終着駅でした

八戸線はJRですが、かつての東北本線は青い森鉄道に移管されているので駅名標もJRの部分はこれだけ

いよいよ、旅の最終日にして初めて有料列車に乗るわけですが、昨夜から困っていることは新幹線の座席確保。ここから盛岡まで行って秋田新幹線に乗り換え、大曲から横手経由で北上線に乗るのですが、自分の予想した以上に座席がない。前夜の食事中から何度もえきねっとをチェック。その度に残り1席とか2席とか。ただ最後の北上から東京までの東北新幹線はいずれもB席(3人掛けの中央)で、過去の東海道山陽新幹線のエクスプレス予約連打の経験から、もう少し辛抱すれば他の座席が空くのでは、と予想していたのが甘く、途中で「0」になって焦った(泣)

指定券は発券しなければならないのですが、盛岡での乗り換えは数分しかなく発券するなら15分ほど時間がある八戸しかない。朝起きると何とか空いていて助かりました

もはやA席とかB席とか言ってられません。とにかく滑り込みセーフで一安心

前回も行けなかった蕪島。次回は行ってみたいですね

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JR東日本パス ファイナルを前に~秋を振り返る 三陸鉄道完乗と久慈市の思い出

10月15日17時

久慈ダッシュに遭遇

久慈へと向かう車内は混んでいて座れてはいても身をよじることなど不可能でラグビーボールのつり革を眺めることぐらいしかできませんでした

宮古から三陸鉄道の終点である久慈までは70キロとなかなかの距離。1時間50分かけて久慈へ到着。これで盛からの約160キロを完乗しました。160キロというと東海道本線の東京~清水が169キロなので、その長さが分かります

ここからは八戸線に乗り換えて本日の宿である本八戸を目指すわけですが、三陸鉄道の久慈到着が16時54分で八戸線の久慈発が17時ちょうどと接続が良すぎる。こういう時に何が起きるかというと

JR連絡口の「久慈ダッシュ」。乗ったと思ったらすぐ発車。乗車列車は当然混雑している上に、夕闇に包まれているので完乗の感慨を味わう間もありませんでした。おそらく3月に利用期間が来るファイナルも同様の混雑が予想されるので、宮古での混雑も含め、利用を予定している方は留意してほしいと思います

あまちゃん以前に訪問

さて久慈の滞在は事実上、0分になってしまいましたので少し思い出話におつきあいください。過去1度だけ久慈を訪れたことがあります。11年前の2012年4月のGW直前のこと。3月に八戸線が東日本大震災から1年を経て全面復旧したので乗りに来ました

宿泊地はもちろん久慈ですが、テレビドラマの「あまちゃん」は2013年4月からですから、まだ世間ではそれほど知られていません。私はもっと不勉強。夏の甲子園で当時から注目選手だった川上憲伸の徳島商と死闘を繰り広げたのが岩手代表の久慈商(現在は久慈東)が死闘を繰り広げたことを知っていたくらい

当時は東京で勤務していたのですが、同僚がかつて岩手で勤務していたため「海女さん」「翡翠(ひすい)」「鉄の町」「柔道」「石油備蓄基地」など、それから1年も経てばすっかり有名になっていたことを教えてくれました

東京から久慈へは二戸まで新幹線に乗車し、JRバスで向かうのがメインルート。約70分で結びます

震災からまだ1年で東北新幹線も「はやて」が多く走っていました(はやぶさは時速300キロ以上の列車)

せっかく行くのだからと

大奮発でグランクラスに初乗車

セコい私は、せっかくなんで酒をいやほど飲んでやろう、なんて思っていたのですが午前中ということもあって、たいして飲めなかったことを今でも覚えています

それでも東京から二戸まではやてのグランクラスに乗るなんて今は不可能ですから、貴重な体験です

三陸鉄道にも少し乗りました。こちらは久慈から田野畑までが復旧した直後。時間の関係で陸中野田までしか行けなかったのですが

道の駅が併設されている当駅で久慈までのきっぷを買うと

硬券だったため、感動しました

久慈の繁華街は駅を中心に形成されているようです

どう頼んだのか記憶にないのですが次から次へと魚を食べました。写真だけがいっぱい残っています

ホテルの住所が「川崎町」で、川崎製鉄の大きな工場があったことにちなんでいると知って感心しながら翌朝、駅に行き

後に「本州を走る最後の非冷房キハ40」として有名になった列車で八戸へ向かいました

車窓がとても良かったです

この時は八戸までの1時間40分をたっぷり堪能しました

さて昨秋の現実はどうかというと本八戸着は18時34分。大きな街なので夜の街に繰り出し2軒も行ってしまいました。明日は最終日。そういえばこの2日間、一度も優等列車も有料列車も乗っていませんね

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JR東日本パス ファイナルを前に~秋を振り返る 多客にじぇじぇじぇ

宮古駅の駅名標

2022年10月15日12時15分

ユニークな企画列車

釜石から宮古に向かいます

ギャラリー列車のヘッドマークが付けられています

車内には全国から寄せられた風景画を展示。10月いっぱいで1編成のみの運行だったようで幸運でした

絵で埋め尽くされています

車内にはAKB48のメンバーが2013年に訪れた際のサインも

釜石~宮古間は盛岡~宮古~釜石を結ぶJR山田線の一部区間で東日本大震災前までは宮古~久慈が北リアス線、盛~釜石が南リアス線でその間をJRの線路でつなぐ形となっていました

東日本大震災の後、8年の歳月をかけて今から乗車する釜石~宮古間が三陸鉄道として復旧しました。現在はすべてをリアス線として第三セクター最長の163キロにも及ぶ路線名となりました

東京からの「始発」と重なる

1時間半揺られて宮古に到着

まずゴルゴ13にゴミの注意をされる。「はぁ、気をつけます」と頭を下げて改札を出たころはまだ余裕だったのですが

人が散らばったタイミングで駅舎の写真を撮ったのですが、かなりのにぎわいです

宮古までの乗車列車は同業者(鉄道ファン)の姿もチラホラいましたが、ボックス席を一人で利用とはいかないまでも、余裕をもって座れていましたが、宮古から先は大変な雰囲気が漂います

乗車列車の宮古到着は13時46分。実はその直前の13時30分に盛岡から宮古に山田線の列車が到着していました。山田線はダイヤの薄い(少ない)列車で盛岡と直通する列車は1日4往復しかありません(ほぼ並行して走る特急・急行バスが1時間に1本の間隔で運行されている)。山田線の盛岡発が11時9分。その前は盛岡発6時32分なので、東京からは無理。つまり東京からやって来ようとすると11時9分が「始発」になるのです

今日は土曜。前日にBRTに乗車する際「明日は凄い人なんだろうな」と思ったことが三陸鉄道でも起きているわけです。青春18きっぷでは三陸鉄道には乗れませんが、東日本パスでは乗ることができる。週末パスでも乗ることはできません。BRTの項でも触れましたが、誰しも考えることは同じです

8年ぶりの宮古

次の久慈行きは15時5分発。13時54分発にも乗り継げたのですが、それではあまりにも余裕がないので、ここで昼食とします

宮古は駅周辺が町の中心部となっています

宮古には8年ぶり。2014年4月に北リアス線が完全復旧した時に来ました

三陸鉄道の本社建物。以前の宮古駅は三陸鉄道とJRが別の駅舎になっていて、こちらが三陸鉄道の駅舎でもあったのですが、2019年に釜石~宮古が三陸鉄道として復旧した際にJRの駅舎が共通の駅舎となり、駅の管理者もJRから三陸鉄道へとなりました

駅前にはC58の車輪とプレートが設置されています

戦時中の1944年3月に雪崩で鉄橋が崩落、貨物列車が脱線した事故を伝えるものです

渋めの食堂に入り

腹ごしらえ。駅に戻ります

管理は三陸鉄道ですが、みどりの窓口ありはあります。発券業務は三陸鉄道に委託されているはず。8年前に来た時は東京で用事があり、東京経由の大阪行きという乗車券を買ったのですが「宮古~大阪の乗車券って、どのぐらい売れるのだろう」と思ったものです

発車案内は両社ともにあります

山田線の時刻表。ある意味、壮観です

時計で分かる通り、乗車は発車5分前。なんとかギリギリ座れましたが、発車直前に乗り込んでくる方も多く、出発時は

じぇじぇじぇ~!の混雑ぶりでした

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JR東日本パス ファイナルを前に~秋を振り返る ドラマロケ地と本州最東端の駅

2022年10月15日9時20分

テレビドラマのロケ地

恋し浜のお隣の甫嶺へやってきました

列車だと真っ直ぐにトンネルを抜けていきますが、車だと海沿いを回り込む形

駅の場所は越喜来湾の奥深い場所。「おきらいわん」と読むそうです。難しいですね

盛り土の上に設けられています。恋し浜ほどの段数ではありませんが、ホームへは階段で入ります

単式1面1線。国鉄盛線時代からの駅ですが、駅の設置は1973年。この時代はすでに駅舎のない駅は普通に造られていて当初からホームのみの駅だったようです

ホームからの眺め。湾の入口に防潮堤が造られています。東日本大震災では大きな津波に襲われ、駅も盛り土が削られレールが流失する被害に見舞われました

盛り土の駅は防潮堤の役割を果たしてくれたそうです

上野樹里さん主演のドラマ「監察医 朝顔」のロケ地になっています

かつて金山があったそうで「金のしずく」の愛称が付けられています

本州最東端の駅は復活したばかり

釜石をまたいで次に訪れたのは岩手船越。山田町になります

かわいい駅舎です

甫嶺駅からは50キロ近くありました。三陸鉄道の釜石~宮古間は震災前まではJR山田線の一部でした。三陸鉄道として復旧するまで8年もの時間を要しました

駅舎はJR時代のものを使用しています

地図でも分かるように線路は海岸を伝うように敷かれているため、地形に沿って東側にせり出す形になっています。つまり

本州最東端の駅

解説文もあります

ホームへは駅舎からも駅舎の横からも入れます

駅舎内の様子

2面2線ですれ違いができる構造。ホーム同士は構内踏切で結ばれています

柱の駅名標。手書き感がいいですね

かつては貨物輸送も行われていたようで側線が残っています

かなりいい時間になってきました。釜石駅まで戻ってレンタカーを返却し、再び三陸鉄道に乗ることにします

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JR東日本パス ファイナルを前に~秋を振り返る 恋愛スポット恋し浜駅

恋し浜駅に到着した三陸鉄道の列車

2022年10月15日8時50分

恋4駅のひとつ

東日本パス2日目の午前は三陸鉄道の駅訪問。ただし今日の宿泊地は八戸でお昼過ぎには釜石を出なければならないのでレンタカー利用です。東日本パスではレンタカーの割引もあります。駅のみどりの窓口でも受付はありますが、釜石ではJRの駅レンタカーというより、隣接するトヨタレンタカーが請け負っているので、直接トヨタレンタカーに向かっても大丈夫

目指すのは恋し浜駅

仙台から八戸までは三陸沿岸道路という専用自動車道があり、車でもスイスイ着いてしまいます

こちらは大船渡市で盛の手前まで戻る形になりますが30分。三陸鉄道でも所要時間は、ほぼ同じ。盛からだと3駅目。15分もかかりません

ホームまでは、かなりの階段がありますが、スロープでも行けます

その階段脇には

ピンクのポストと自販機。駅名から想像できるように、恋愛のパワースポットとしても有名になっています

日本に「恋」が付く駅は4駅しかありません。JR北海道の母恋(室蘭市)、西武鉄道の恋ヶ窪(東京都国分寺市)、智頭急行の恋山形(鳥取県智頭町)とこちら。私も4駅目の訪問となりました

駅の開設は1985年。線路はすでに国鉄盛線として開業していましたが三陸鉄道に転換された後、トンネルとトンネルの間に新設されています

駅名の変更で話題に

元々は地名から「小石浜」という駅名でした。その後、地元で獲れるホタテが「恋し浜」というブランドだったことから、駅名変更の要望が出て2009年に現駅名になると全国から訪れる人が一気に増えました

階段を登りきると「幸せの鐘」。デザインになっているのは「恋し浜」というブランドのバラだそうです。なかなか細かい

そして有名なのは待合室にある「ホタテ絵馬」。ホタテ貝を利用しての絵馬で恋愛祈願以外にも合格祈願、勝利祈願があるようでした

こちらは平仮名のみですので駅開設時からあるもののよう。なかなか「そそる字体」です

恋し浜駅誕生時にできた歌だそうです。以前は「藍の磯辺 小石浜」という愛称でしたが「愛の磯辺 恋し浜」になっています

駅名標です。ホームからは越喜来湾が一望できます。このタイミングで列車待ちのご婦人が来て少し話を。駅は高台にあるため津波の被害は免れたものの、すぐ下に見える黄色の屋根の工場まで襲ってきたそうです

列車がやってきました。朝なので2両編成。観光用列車も定期運用に入っているのですね

ふと気付くと駅には若いカップルの姿。列車で来たのでしょうか。おじゃまかもしれないので退散することにしました

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