きっぷ

根室本線の2駅を紹介~車窓からグッとくる茂尻駅

茂尻駅の駅名標

※訪問は2023年9月3日

本来は滝川~富良野全駅予定も

根室本線の廃線予定区間である富良野~新得間の全駅については先日までに紹介するつもりだったが、本来の予定だと富良野~滝川間の駅もすべて回る予定だった。それが宗谷本線の思わぬトラブルですべての訪問を変更せざるを得なくなり、来年以降に持ち越しとなってしまったが、その中でも訪問できた2駅について、いろいろな事情を含んでいることもあり紹介します

まずは茂尻駅

前夜は滝川に宿泊。ジンギスカン松尾本店に立ち寄り迎えた朝、滝川から3駅目となる茂尻に到着

この駅については車窓からの眺めの時点でグッとくる

このたたずまいというか存在感。赤平は必ず行くとして(芦別は訪問済み)他は2駅ほどしか行けないな、と思っていたが前日の車窓からの眺めで最優先に決定

これは車窓からも見えるのだが「もしり」のひらがな3文字に心を揺さぶられるものがある。北海道でおなじみのホーローが目に入らないぐらいだ

茂尻炭鉱の中核

駅舎については後回しにして、まずは外に出てみよう

うーん、ザ・高台である。駅の周辺は住宅街。かつて栄えた茂尻炭鉱の中核をなす地域でもあった。急行「狩勝」も停車していた

かなりの規模の町が広がる

階段から駅はまさに「見上げる」

そして駅舎は

かなり風雪に耐えた感がある

茂尻駅の開業は1918年(大正7)。すでに現在の根室本線の形は出来上がっていて、お隣の赤平駅も5年前に開業していたが(当時の駅名は上赤平)、新たに茂尻炭鉱を開坑することになり、炭鉱の貨物専用駅としてスタート。8年後に旅客駅となった。駅舎は当時からのもの。急行停車駅でもあったため、大きな駅舎を持つ

駅舎内も驚き

そしていよいよ駅舎内である

駅舎の写真を見てもらえば分かるが、窓の部分が板張りになっている

つまり朝も昼も中は薄暗い。訪問は朝の8時だったが、一体この暗さは何だろうと思ってしまう

そして左側に見える

ツルの絵画。丁寧に陳列されているが、一体なぜここにあるのか分からなかった

大正期から戦前、戦中そして戦後と休みなく石炭が産出されていた茂尻炭鉱だが、エネルギーの転換期に起きた1969年のガス爆発事故をきっかけに閉山。露天掘りは続いたものの1974年には完全に使命を終えた

1965年、まだまだ元気だったころの風景画も飾られていた

再び駅構内に戻る

ホームとは跨線橋で結ばれている。右手の跨線橋と駅舎の間の空間からもホームに入れる、つまり駅舎には入らなくても済むようになっている

カサカサと乾いた音がしたので身構える。世の中の活動が始まっている時間帯ではあるが、やはり怖さはある。すると奥の茂みから出てきた小動物がスルスルと駆け抜けていった。イタチ風だったが、硬直してしまった分、写真は撮れなかった

次の目的地である東滝川に向かおう

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根室本線の廃線予定区間の全駅訪問~これが最後の光景

下金山駅にやってきた列車

※訪問は2023年9月2日

空間が物語るものは

下金山駅では約1時間の待ち時間があった。最後の駅を味わうにはちょうど良い

ホームと駅舎の間に広い空間がある。側線があったことは明白だ

島式ホームは片側のレールがはがされ、1面のみが使用されている。富良野~東鹿越間の各駅でも、かつては貨物輸送の重責を担った痕跡が各駅にあったが、これほど見事にレールが消えているのは、ここだけ。たとえ使用されていなくてもレールが残るのとなくなっているのとでは受ける感じが異なる。大きな空白と空間が寂しさを後押しするようだ

ホーム側にある平仮名の駅名板

もちろん無人駅。「JR北海道」の文字があるのでJR移管時は有人だったのかと思って調べてみたが、それより前に無人化されていた

下金山駅は1913年(大正2)の開業。すでに山部、金山の両駅が開業していて、その間に設置された。目的はやはり木材輸送。1939年に駅そのものが若干の移動をしたこともある。現在の駅舎は国鉄末期の1983年にそれまでの駅舎を改築したものだが、ほぼ時を同じくして無人化されているので窓口は一度も使用されていない可能性もある。そもそもの無人化は貨物扱いの廃止が理由なので旅客を相手にしたきっぷ販売という意味合いは終わっていた

周辺には集落が広がる

当駅にはこの区間を走る1日1往復の快速のうち、上りの滝川行きは通過するが、停車駅の金山駅とは異なり、駅を中心に小さいながら集落が広がる

民家も商店のほか

郵便局もある

そしてバス停

3カ月前は泣きが入ってしまったが

1日3往復運行の占冠村営バスの停留所には、しっかり時刻が記されていた。これだったら安心して待っていられたと思うが、話としては盛り上がらない。今となっては記事に抑揚ができたことに感謝しよう。もっとも、そのおかげで当駅のみが未訪問のまま終わってしまったのだが

100年以上続いたありふれた光景が

周辺の散策を終え、駅に戻る。駅前には未舗装部分もあるもののロータリーがあり、手入れされた花壇があった

手元にJR移管後から1年の時刻表(復刻版)がある。石勝線が開通した後で、この時点ですでに1日7・5往復(うち1本は落合折り返し)となっているが、それに加え滝川から函館本線に入って札幌に向かう急行「狩勝」が1往復運行されている。狩勝の名前は現在、快速に受け継がれている。話は少しそれるが、この急行には「新得~札幌を途中下車せず札幌以遠に行く場合は石勝線・千歳線経由の乗車券・急行券でそのまま乗車できます」との注意書きがある。もちろん距離も所要時間も大きく異なっていて、今ならマニア垂涎の長距離急行となっていただろう。ただ当時は石勝線を走る特急そのものの本数が少なく、帯広を約1時間半後に出る特急が必死に追いかけても、わずか2分差で狩勝が先に札幌に到着する。たった2分というのも今だったら、大いに人気となっていたに違いない

駅舎隣の倉庫を改めて見学し

最後にもう一度駅名標の写真を撮る

バス転換後はどのような態勢になるのだろうか。都市間バスのノースライナーの項でも少し触れたが、現状、廃線予定の区間内では価格的にバスの方が鉄道より若干安い。ノースライナーは新得の後は富良野までの間、南ふらの(幾寅)と山部に停車するのみの、いわば特急である。それに対しバス転換となると、おそらく東鹿越を除く現在の各駅または、その近くに停車するのだろう。車両も路線バス仕様なのか観光バス仕様なのかは分からないが、現行の運賃をそのままあてはめると、場合によっては路線バス仕様(もしくは小型バス)の遅いバスの方が乗り心地が悪い上に運賃が高い、ということになりかねない

富良野方面行きの列車がやって来た

前日の宗谷本線ストップにより、初めて訪問した駅は2日間で落合、下金山の2駅のみになってしまったが、これも忘れられない思い出となった

「晩夏の雲と列車」。100年以上、あたりまえだったこの光景は来年からはもう見られない。私にとっては、ホームに入線する列車の姿そのものが、おそらく最後である

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根室本線の廃線予定区間の全駅訪問~待機3時間超、最後の駅に降り立つ

下金山駅の駅名標

※訪問は2023年9月2日

まず時間をつぶそう

富良野駅への到着は10時50分。ここから最後の1駅となる下金山に向かうのだが、当駅発の次の列車は14時14分。3時間半もの待機時間がある

まず向かったのは富良野カレー。15年ほど前、3年続けて富良野を訪れたことがあり、その後も富良野を訪れている。その度にいろいろな富良野カレーのお店に行っているが、今回は最も有名な「唯我独尊」さん

開店前だが、長い行列ができている。以前はバスターミナルが隣接していて初めて富良野に来た時は、ここからバスに乗った。ネット情報はまだ少ない時代でバス乗車の際、気付いたのがこちら

牛乳も美味しかった

次いで富良野駅から

11時53分発のノロッコ号に乗車。こちらも久しぶり。とにかくフリーパスを有効に利用しよう

ノロッコ列車の車窓を味わう。さすがにこの時期はラベンダー目的の観光客も少ないようで、車内はすいていた

本来は、この列車しか止まらない夏季臨時駅の「ラベンダー畑」で下車するのだろうが、そうするとラベンダー畑駅で1時間半近くも待機しなければならない。この日は9月に入った北海道とは思えない猛暑だった。過去の訪問経験から、農地の中にポツンとある駅で時間をつぶすのは困難を極める。中富良野駅まで歩いても大した距離でないことは分かっているが、中富良野駅の接続までギリギリの時間だ。仮にラベンダー畑駅で待機または徒歩数分のファーム富田を訪れとしても富良野駅到着は13時59分。乗車列車まで15分の乗り継ぎと絶妙にも思えるが、北海道の列車にはトラブルがつきもの。乗り継ぎができなかった、は元も子もないので中富良野で下車

当然の話だが、当駅で下車したのは私だけだった。わざわざノロッコ列車をここで降りる人なんていない

当駅から初めてファーム富田を訪れた時は、時間に制限があって、ここからタクシーに乗ったことを覚えている。確かその時は駅員さんがいたと記憶するが、今は無人駅となっているようだ

「再会」に盛り上がる

中富良野から富良野に戻り、ここで1時間をやり過ごした後、ようやく根室本線に乗車。早朝と違って凄い人だ。さすが青春18きっぷ期間だと実感。早めに並んだのでなんとかギリギリ座れたが、座ってみるとお隣にどこかで会った人の姿が…

朝に落合駅で会った方々。この記事だけだと降りようとしたら運転手さんに驚かれるぐらいの寂しい駅だったようだが、実は多少異なる。降りてみると男女4人の皆さんが駅にいて、私が降りたバスではなく20分後の東鹿越行きを待っていた。いずれも人生の先輩の方々。首都圏が来られているそうで、近くに北海道訪問の際の「拠点」というか、知人宅があるという。駅舎の写真を撮る際「申し訳ありません。駅の写真を撮りたいので一瞬離れてもらって良いですか」と頭を下げたことから会話が始まった。一番盛り上がったのは年金の話だったけど(笑)

皆さんとは幾寅で別れたのだが、またもや出会いがあるとは思わなかった。富良野で過ごして落合駅近くの拠点に戻る最中だという。聞くと富良野には昼間から飲んで食ってカラオケも楽しめる店があるとか。「なんだ、言ってくれれば、ご一緒できたのに」なんて言われる。とにかく元気で陽気な皆さんだった。青春18きっぷの季節では、一度別れた方と後に再会というケースは多々あるが、いずれも同業者(鉄道ファン)ばかりで、このようなケースはレアである

最後の駅に到着

14時37分、下金山に到着。朝の5時半に旭川駅の改札を抜けてから9時間も経っていた

車中の4人の皆さんが手をふってくださる。まさか見送られながら下金山駅に降り立つことになるとは思わなかった。どう見ても皆さん、青春18きっぷの利用者とは思えないので、1日の平均利用者が数人という落合駅の利用者数向上に大きく寄与してことだと思う(フリーきっぷはカウントされない)

いかんせん列車本数が少ないので時間帯によってはグーグル先生は路線バスで終点まで行き、そこから徒歩30分なんてマニアックなルートを教えてくれるようだが、どうやっても最後に乗るのは同じ列車になる

その下金山駅。車内は混雑しているが降りるのは私ぐらいだろうと思っていたが、明らかに親子と思われる2人が青春18きっぷを提示して下車。おそらく私と同じく、ここで1時間近くいて東鹿越から折り返してくる富良野方面行きに乗るのだろう。私も貴重な最後の1時間を過ごすことにする

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根室本線の廃線予定区間の全駅訪問~都市間バス乗り場までの距離に注意

旭川と帯広を1日3往復するノースライナー

※訪問は2023年9月2日

停留所まで徒歩10分以上

落合から幾寅に到着したのは8時59分。次の東鹿越行き代行バスは14時56分でなんと6時間後。さすがにこれは待っていられないというか、それだと残る下金山に行けない

下金山より富良野寄りの駅に行って、下金山で下車、東鹿越からの折り返しを待つというのが最も手堅い方法だろう。とにかく富良野へ向かおう。いずれにせよ時間をつぶさなければならないが、だったら富良野だということで選択したのが都市間バスの「ノースライナー」。帯広~旭川を1日3往復運行していて鉄道路線にあてはめると根室本線から富良野線に乗車するのと、ほぼ同コース

3本のうち1本が9時55分に南富良野町を通過するので、こちらに乗車すると富良野駅に10時49分に到着する。ただし停留所は、幾寅駅からはやや離れている

「道の駅 南ふらの」がその場所。道の駅なんで携帯アプリでも簡単に検索できそうだが、せっかく案内所があるのだから、幾寅駅に隣接する「南富良野町情報プラザ」で尋ねることに。携帯アプリは確かに便利だが、過去の経験から地元特に案内所の方に直接尋ねる方が一番手堅いことは分かっているつもりだ

「駅前を左に行ってガソリンスタンドを右に折れ、真っ直ぐ行くと左手に町役場があって、さらにその先の右手にあります。10分ちょっとぐらいです」

実に分かりやすい説明だった

実際に歩いてはいないが情報プラザで教えてもらったのはグレーのコース。実際に歩いていないので何とも言えないが、グーグル先生の推奨ルートより情報プラザで教えてもらったコースの方が目標物が多く分かりやすいと思う

案内所の方なので簡潔明瞭なのは当然といえば当然だが、手慣れた説明で私のように幾寅駅から道の駅までの道程を尋ねる例が多いのだとも感じた

プリンで一休み

教えてもらった通り、役場を左手に見ながら進む。グーグル先生が徒歩15分と示しただけあって、すぐには見えない所に道の駅はあった

入口に到着。ここまでが徒歩10分ほどで建物までは、それなりに距離があるので15分というのは、かなり正しい

建物の入口にバス停はあった。ちなみに情報プラザでバス停の位置を確認すると「建物の前にあります」。これは貴重な情報だった。停留所は道路に面しているかもしれず、広い敷地内で迷わず停留所に行くことができた

少しだけだが時間があったので

「にわとり牧場のブリン」をいただく。こういう旅ばかりしていると、駅で降りてもお手洗いを借りるだけや、せいぜい自販機の缶コーヒーで終わってしまうことが多々なので、このようなシチュエーションになれば、少しでも現地に貢献したいものである

本日のクマ出没情報。まぁ、この時間帯のこの場所は大丈夫だろう

ノースライナーとは

こちらが停留所と時刻表

前述した通り、ノースライナーは旭川~帯広を1日3往復する。全行程の所要時間は4時間。途中、多くの停留所が設けられているが、旭川からなら途中の旭川空港や富良野駅では乗車しかできず、ここ南ふらのから先は、今度は下車しかできない。帯広からなら、その逆となる。南ふらののみ両方向の乗降が可能。今回の根室本線部分だけを抽出すると新得~富良野は約90分。高速道路は経由しないが、さすが北海道の道路というか鉄道の120分に勝る(ただし東鹿越の代行バス乗り継ぎで10分ほどのロスがある)。料金はというとノースライナー1600円に対し鉄道1890円と、こちらもバスが少しお得

旭川~帯広の全線乗車の場合はノースライナー3600円、鉄道4070円(帯広~新得を特急利用すると、さらに特急料金が加算される)と、これもバスがお得。時間については鉄道だと何度も乗り換えがある分、バスの圧勝である

私が乗車した南ふらの(幾寅)~富良野に限るとノースライナー800円で鉄道970円。こうして見ると、バスは鉄道料金を強く意識している気がならない

そして乗車の際に最も重要なのは「原則・予約制」だということ。これは予約が優先されるが、当日の出発時間に空席があれば乗車も可能だということ(発売場所については公式HPで)。普段の利用者数が全く分からないので、私は「発車オーライネット」で事前購入しておいた

ノースライナーが到着。ここで10分ほど休憩をとるようだ

北海道で乗る初めての都市間バスに心が躍る…と記したいところだが、前日予定外の稚内~札幌のバスに乗車することになり、6時間も堪能したばかりである(笑)。もっともそのバスに乗っていなければ事前予約していたこのバスにも乗車できていないところだったので、その点は感謝しかない

車内はwifiが合ってUSBポートで充電もできる

この日は青春18きっぷの期間で午後から乗車した根室本線は大変混雑していたが、結果から先に言うと、この日についてはバスには十分空席があったようだ

また来春にバス転換される根室本線だが、時間や料金についてノースライナーとの棲み分けをしっかりしないと、代替バスとしての機能が早々に失われてしまうと感じたことは事実だ

無事に富良野着。時刻は10時50分。乗車する東鹿越行きは14時14分。3時間半ほど時間をつぶさなければならない

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根室本線の廃線予定区間の全駅訪問~ぽっぽやの舞台は今も観光客でにぎわう

幾寅駅のホームには入ることができる

※訪問は2023年9月2日

駅そのものが映画の主役

落合から代行バスで幾寅駅で下車

駅名板は「幌舞駅」。右隅の上の方に小さく「幾寅駅」とプレートが張られているが、こちらが正式駅名。言うまでもないが「幌舞」とは映画上の架空の駅である

1999年公開の映画「鉄道員(ぽっぽや)」で主演の高倉健さんが駅長を務める幌舞駅の舞台だった。布部駅の記事でドラマ「北の国から」の冒頭シーンで登場すると記したが、当駅が趣を異にするのは駅が舞台である主役だったこと。駅舎をはじめ当時使用されたセットがそのまま残され、駅舎内は記念館として高倉健さんはじめ、ゆかりの方たちが映画で実際に身につけた衣装なども、展示されている

9年前、新得から富良野方面への列車に乗車したのも当駅訪問が目的だった。駅が「現役」のうちに見ておこうと今回、再訪問となった次第

奥が展示コーナーとなっている。貴重な展示品の数々はすぐに時間が経ってしまうほど充実しているが、権利関係が分からないので写真の掲載はここまでにしておく

肖像権は関係ないと思われるので、こちらの写真だけは掲載しておこう。映画用に作成された時刻表とサボ。美寄も架空の駅だが旭川までの直通、接続、休日運休など、鉄オタ視線だと、なかなか凝っている。幌舞と美寄の運行があるのは、映画の設定が間もなく廃線を迎えるローカル線の終着駅だったから

セットもそのまま

駅舎外では当時使用されたセットがそのまま

だるま食堂は映画内で登場した駅前食堂。キハ40は映画用に改造されたもので、廃車となった車両の前の部分だけが当地で展示されている

健さんと広末涼子さんが出会ったお手洗いも残る。訪問は朝の9時で少し早かったが、今も全国から鉄道員ファンが集まる観光地となっている

南富良野町の中心地

当駅を訪れた人が、ちょっと驚くのは駅周辺がにぎやかなこと。こちらは映画のためではなく、元々が南富良野町の中心地だから。「南富良野」という駅は存在しないので勘違いしやすい

駅からすぐの所に市役所もあり、コンビニや商店、高校もある。駅の開業は1902年(明治35)で120歳を超えている。今回の廃線予定区間で落合駅が狩勝峠へのアクセス駅、他の駅が木材や石灰石など貨物輸送が主目的だったのに対し、当駅は旅客輸送も大きな目的のひとつだった

駅に隣接して南富良野町情報プラザがある

落合とは違って、幾寅ではホームに入ることができる。かつては島式ホームだったと思われ、向かいには貨物用の側線もあったようだが、現在は単式ホームで1本の線路があるのみ。といっても、ここに列車が来ることはもうないのだけど

駅名標付近は雑草の手入れも行われている

ホームから駅舎へは階段を降りて入る。現在は代行バス輸送なので、最初に目にするのは「幌舞」と書かれた駅舎だが、9年前に訪れた時は、この階段で出迎えられ「ようこそ幌舞駅へ」(小さく幾寅と書いてある)の文字に心躍らせた

高倉健さんの北海道を舞台とした映画としては「駅 STATION」「幸せの黄色いハンカチ」をリアルタイムで見た。前者は留萌本線の増毛駅が舞台、後者はメインのシーンは夕張が舞台だったが、駅としては当時国鉄池北線だった陸別駅が登場した。いずれも利用者減によって廃線、廃駅となってしまった。幾寅駅については自然災害による廃線。何か、ここ数年の日本列島を物語っている気がしてならない

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根室本線の廃線予定区間の全駅訪問~訪問難易度高の最古の「落合駅」

落合駅の駅舎

※訪問は2023年9月2日

運転手さんに驚かれる

無事定時に富良野を出発した根室本線の東鹿越行き

5月の終わりに来て以来、3カ月ぶりの訪問。線路が続いているように見えるが、その先で途切れている。線路そのものも来春で終わりである。そして私がこの景色を見るのは、おそらくこれが最後となる。今日のうちにもう一度、下金山駅訪問で廃線予定区間に乗車するが、ここは通らない

代行バスに乗車。東鹿越発8時6分。この時刻の代行バスに乗車するには地元の方でない限り、富良野線沿線か滝川からの根室本線沿線に宿泊するしかなく、それだけで難易度は上がるが、そこは青春18きっぷの季節である。十数人が乗車。ほとんどが同業者(鉄道ファン)。(人のことは全く言えないが)鉄オタのパワーを感じた

バスに乗り込み

公式には現役の踏切だが、7年間にわたって警報器が鳴っておらず、このまま鳴ることなく終わる踏切を通ると寂寥感がある。南富良野町の中心地である幾寅を抜けると落合に到着。約20分のバス旅だった。降りようとすると運転手さんに「えっ!降りるんですか?」とビックリされた

交通手段が限られる落合駅

落合駅。運転手さんには驚かれたが、土曜日ながら学校に行くのか高校生など2人が待機中。実はこの後、20分後の8時48分の東鹿越行きがやって来る。もちろん私もそれで幾寅に向かう予定だ。というか、これしか方法を思いつかなかった。富良野~東鹿越間は1日4・5往復の運行なので代行バスも同じ本数しかない

こちらは駅舎内の代行バス時刻表だが、これに乗車できないと新得、富良野いずれ方面に向かうにしても6~7時間バスは来ない。新得方面からは14時台、17時台で来ると1時間以内に折り返しがやって来るが、その方法をとると今度は幾寅に行けない

もうひとつ、当地に来るには前回お世話になった占冠村営バスがある

こちらは5月に占冠駅を訪問した時に撮ったもの。9月に代行バス区間の駅を訪問することが決まっていたので研究のため撮っておいた。午後からだと東鹿越からの代行バスが15時21分に幾寅に到着するので、1時間待てば村営バスが落合駅に運んでくれる。そうなると17時9分の代行バスで富良野に向かえるが、そうなると前回取りこぼした下金山駅に行くのが難しいし、何よりラストチャンスなので朝のうちに行動しておきたいので、これはプランBとした。もうひとつ、トマムに宿泊すれば朝から順調に回れるコースもありそうだが、こちらは予算の問題で却下である

元々の代行バスの始終着駅

そんな落合駅は2016年8月の台風被害後の約半年間は代行バスの始終着駅だった。新得駅で根室本線と石勝線が分岐するのは誰もが知るところだが、その分岐点は新得駅よりむしろ落合駅に近いことは意外と知られていない

現在、代行バスは狩勝峠越えの旧線に近いコースを行くが、現在のレールはグルリと南側を行く。随分遠回りのように見えるが、これは勾配緩和のためのもの。石勝線と根室本線の分岐は、落合からわずか4キロの信号場。落合~新得はレールで28キロもあるので、4キロはわずか。新得発着となったのは2017年春からである(ただし早朝の6時8分の東鹿越行き始発バスは落合始発となっている)

その落合駅は駅舎には入れるが、ホームへの入口は閉鎖されていて立ち入ることはできない

少し前までは自然に還ったような草むら状態だったようだが、現在は草は刈り取られている。帳簿上は現役駅なのにホームに入れないという現実は、ちょっと寂しい

そんな当駅は現役では最古の「落合駅」だ。落合とは川同士、道同士が交わる場所で全国各地に落合の地名はあるが、JRで国名などが付かない落合は、ここのみ

陸前落合(仙山線)

美作落合(姫新線)

備後落合(芸備線)

落合川(中央本線)

が他にあるが、明治生まれ(1901年=明治34)は当駅のみ。狩勝峠越えの出発となる駅として設置された側面もあるため、南富良野町の中心地である幾寅よりも開業は早く、機関区が設置されたこともある

ただし利用者は最少。鉄道ファンでなくても知っている、おそらく知名度的に一番の備後落合より少なく1日1桁である

駅前は小さな集落となっている。駅にいた2人の乗客は貴重な利用者だった。私にとって各地の落合駅では最後の訪問は本当に最後(ちなみに学生時代は西武の下落合、地下鉄の落合の中間に住んでいてどちらの駅も利用していた。落合南長崎駅はまだないが、その付近に住んでいたこともある)。ホームに立つこともできない訪問だった

わずか20分の滞在。幾寅に向かう代行バスがやって来た

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根室本線の廃線予定区間の全駅訪問~再チャレンジも朝からトラブル

富良野駅の駅名標

※訪問は2023年9月2日

車内騒然のアナウンス

まず前提として、こちらの翌日となります

旅に出ると現地での飲食店訪問を心がけていますが、さすがに昨日は疲れていて旭川駅前のイオンで夜の値引きが行われている食材を購入しておやすみなさい

というのも

朝の5時半に旭川駅にいなければならないから。もちろんホテルの無料朝食もパス。今回は前回訪問できなかった下金山、落合に加え、9年前に訪問したきりの幾寅駅の現役としての雄姿も目に焼き付ける予定

5時41分の富良野行きはすでに入線していた。前日、道内の鉄道は雨による影響を大きく受けていたようだが、富良野地方は影響なかったようだ。しかも本日の天気予報は暑いぐらいの晴れ予報。すっかり安心していたが、突然「出発を30分遅らせます」のアナウンス。理由は保線作業関連のようだったが、その30分は致命的である。この列車は富良野で8分という絶妙の接続で根室本線の東鹿越行き→代行バスへとつながる

北海道の鉄道は天候以外にも動物との接触など、数々の理由で遅延することが多く、私も過去何度か体験しているので、比較的ゆったりした道程を組むことにしているのだが、この日だけ「超ガチンコ」日程を組んである。予約優先のバスもすでに確保している。翌日の夜までに札幌に入ればいいので、翌日はフリーの予備日のようなものだが、ここだけは譲れない事情があった

この日は土曜日。すでに乗り込んでいるこの列車は「休日運休」なのだ。つまり明日の日曜は運行そのものがない。ちょっと先のことを聞かなければならないな、と前方の運転席の方に行こうとすると、私より先に数人が立ち上がり、ドヤドヤと運転席へ

5月の訪問時と大いに変わった点、それは今は青春18きっぷシーズンということ。皆さん、富良野での接続がないと困るのである。確かに土曜日の朝5時台だというのに利用客は多い

18きっぷの重要列車

実はこの列車は「乗り鉄」さんの18キッパーにとっては大切な1本で、富良野を7時17分に出ると代行バス経由で新得着が9時14分。11分の接続で新得発が9時25分。この列車は10時20分に帯広に到着して、6分というこれまた絶妙の接続で釧路に12時54分に着くことができる。まだ先があり、約30分後の13時25分の根室行きに乗れて終着が15時57分。時間的にもランチタイムで釧路での30分で食事を済ますことも買い物もできるのだ。普通や快速の本数が極めて少ない北海道では極めて重要度の高い1本。降り鉄の私には不可能なチャレンジだが、乗り鉄の方にとっては10時間以上もかけて根室までたどり着ける騒然となるのも無理はない

「確認しますので、しばらくお待ちください」で一同はいったん解散。しばらく経っての結論は「富良野では根室本線が接続待ちをするが、その後は分かりません」というもの。線路が途中で途切れているため、このような措置になってしまったのだろうが、先々までの道程をしっかり印字していたグループは下車してしまった。おそらく特急課金による札幌からの千歳線ルートを選択したと思われる

私はといえば、落合駅への道を再び探らなければならなくなったが、とにかく乗りながらプランBを考えることにする

で、結果はというと列車は30分遅れでなく17分遅れで出発。途中駅での列車交換や車両切り離しによる長時間停車を大幅に短縮

なんのことはない。富良野にはほぼ定時に到着

7時17分の東鹿越行きも遅延することなく定時出発となったのだ。まさに「杞憂」で、旭川で下車した方が、とてもお気の毒となった。と同時に北海道における青春18きっぷ利用の難しさを痛感

とにかく滝川始発の東鹿越行きに無事乗車。3カ月ぶりに富良野~東鹿越を乗車する

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根室本線の廃線予定区間の全駅訪問~半世紀の乗換駅にピリオド

新得駅の縦駅名標

※訪問は2023年5月29日

今は貴重な9年前の思い出

金山駅から占冠村営バスで無事脱出できてから2日後、私は新得駅にいた。この日は旅の最終日。夕方の飛行機で関空に向かう。小幌駅を含め5日間、付き合ってくれた北海道フリーパスとも今日でお別れ。時刻表の上では乗り放題の特急でもっと遠い所まで行くのは可能だが、北海道の鉄道というのは天候以外でも動物の接触があったりと、トラブルに遭遇する可能性が高いので午前中は石勝線の「特急しか来ない駅」2駅から新得に向かい、お昼すぎには千歳線沿線に戻ることに。そのあたりまで行けば、空港までは多数のルートがある

新得駅に降り立つのは9年ぶり

これは2014年8月の写真。特急と快速「狩勝」のランデブー。もうすでに7年間見られなくなっている光景だ

ホームは閑散としているようだが違う。青春18きっぷのシーズン。特急から跨線橋を上り下りする猛烈な「新得ダッシュ」が一段落した後。「もう座れない」とあきらめ発車間際の写真を撮ったものだ

新得といえば

こちらは駅舎内

全列車が停車する。管理駅でみどりの窓口のほか、指定席を購入できる券売機も設置されている

名物の駅そば。過去2回訪問したが、いずれも営業時間外だった。札幌のホテルで朝食をモリモリ食べたが、これは別腹というもの。当然、美味しくいただいた

改札内のホームからも注文できる。今ではあり得ない話だが、昔は「列車に持ち込む」と言えば、プラスチックの容器に入れて提供してくれたものである

石勝線前から機関庫の駅として栄える

新得駅の開業は1907年(明治40)。前記事で紹介した金山駅が開業したのが1900年なので、7年遅い。なぜかというと、有名な狩勝峠を越えるのに苦労したからである。富良野方面からの鉄路は1901年に現在、お隣の駅となっている落合まで到達したが峠越えに時間を要した。新得駅には開業後、峠越えに備えた機関区も設置された。今さら書くことではないかもしれないが、日本三大車窓として知られた狩勝峠は1966年に新線開業で見られなくなった。ちなみに、こちらはあまり取り上げられないが東鹿越駅の記事で紹介したダム建設による新線も同時に開業している

新得駅に大きな転機が訪れたのは国鉄末期の1985年の石勝線開業。根室本線との分岐駅、接続駅となり、駅の重要度は増した

ただし、それは札幌への短絡線ができたことで、新得~滝川の根室本線がローカル線に転落することを意味するものでもあった

代行バスは当駅始発着。ただし当然のことながら駅舎内からは出発しない

色あせた駅名標。来春から「おちあい」の部分が消えるのに合わせて新調されるだろうから、廃線の日までは、おそらくこのままだ

のりかえ案内も新調されるのだろう。ただし、あくまでバス転換なので「のりかえ」の文字は、そのままなのかもしれない

今回の北海道旅はこれで終了。次回は9月の北海道訪問を決めていたので、その時にバス代行区間となる幾寅、落合と未訪問に終わった下金山を訪ねることを誓って駅を離れた。もっともこの時点では稚内から旭川への過酷な移動が待っているとは予想だにしていなかったのだが…

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根室本線の廃線予定区間の全駅訪問~主役がバス停になってしまったお話

金山駅の駅名標

※訪問は2023年5月27日

占冠村営バスのお世話になります

各地を訪れていて20年ほど前と現在で大きく変わった、と思えるひとつは路線バスの時刻表を簡単に把握できるようになったことだ。列車の時刻については時刻表を見れば分かるが、路線バスについては現地に行ってみないと分からないことが多かった。言い方は悪いが、旅をする上で最初から予定にはなく、現地で遭遇できればラッキー、そんな感じ

それがネットの発達によって、まず長距離バスの時刻が簡単に分かるようになった。高速道路の発展によって、鉄道のライバルとして高速バスが大きく立ちはだかることになったのも、時刻を簡単に検索できるようになったことが大きいと思う。以前も高速バスについては時刻表の後ろの方のページに記載があったが、あくまで大判と呼ばれる大きいサイズの時刻表に限った話で、すべてが網羅されているわけではなかった。それがネット社会の到来で「鉄道以外にもこんな行き方があるのか」と周知されるようになると、新路線が次々と誕生し、やがてはローカル路線バスも路線や時刻を容易に探せることとなった

前ふりが随分長くなったが、今回利用させてもらったのは「占冠村営バス」。普通の旅きもちろん、駅巡る旅でも十分に使用できる「かゆい所に手が届く路線」で9月に現地を再訪した際も、利用をかなり考慮した。いずれにせよ20年前ならちょっとあり得ない話である

東鹿越のひとつお隣、金山へと折り返し。前の記事で説明したように、この区間はダム建設の影響で線路の付け替えや廃駅ができたため、1区間が13キロもある。かなやま湖観光の入口にもあたるが、おそらくそちらの利用はほとんどないと思われる

古い駅舎と設備が残る

古い駅舎が残る。鉄路が残る富良野~東鹿越間の駅では長い歴史を持ち、山部駅と同じ1900年(明治33)の開業。山部はJR移管後の駅舎だったが、こちらは手が加えられてはいるものの、当時からの駅舎ともされる

現在もすれ違い可能な2面2線構造。訪問時は冬支度というより、シーズンの役割を終えた後で除雪車が側線にたたずんでいた

木材輸送の拠点としても重要視されてできた駅でもある

ホーム側からの駅舎。「かなやま」の駅名板が独特

ホーム上には山部と同じくランプ小屋が残る。来春以降どうなるかは不明だが、こんな景色がまたひとつ失われるのは寂しい

背後には立派な建物

多くの人が当駅で働いていたことを物語る

JRになってからも使用されていた形跡はあるが、現在は廃屋状態。こういう建物はエアコンの室外機の有無によって使用された時期を推察するが、ここは北海道。エアコンは無縁だっただろう

バス停を訪れ絶句

と、ふだんの記事なら、ここで終わってしまうのだが、実は話の本題はここから

駅の遠景。国鉄時代に廃線となった富内線が当駅まで延伸される計画もあり、かなり規模の大きな駅だったことが分かるが、私が訪れるのは規模の極めて小さいバス停である。駅舎前にはデマンド制のバス停があったが、こちらはもちろん使えず、この砂利道に面した国道。そこに「金山駅前」バス停があるはず、と訪れてみると停留所はあった。しかし

停留所はあるが時刻表がない。というか外れている。強烈な不安に襲われる。ちなみに私が乗車するのは向かいの道路で、こちら側には停留所が見当たらない。これはよくある話で、過去何度も停留所の向かいで「お~い」と手を挙げてバスに乗せてもらったが、時刻表が外れているのは初めての体験

さらに言うと、駅前の国道はとても寂しい所にある

景色としては山中の国道

次の停留所は「金山」で、ほんの少し歩くと金山の集落があることは容易に察しがついたが、そんな余裕はない。なぜかというと列車到着が15時23分で携帯アプリなどによるとバスの時刻は15時39分。駅で写真を撮っていると10分ほどがすぐ経過してしまい、もう歩く時間はないのである。道程を作成した時は、15分の乗り継ぎなんて立派すぎると自賛したものだが、この展開は予想していなかった

付け加えると、この国道237号は幹線道路でありながら、交通量の少ないところで、列車は1日数本ながら、車はビュンビュン通る道路上でバスを待つ体験も数々したが、こんな寂しい経験は初めて。明るい時間なのが救いで、とにかく待つしかない、と大きな不安とともに停留所の向かいの道路に立っていると、ちょっと遅れ気味に小型のコミュニティバスが姿を見せた

道路に身を乗りだして手を振ると無事止まってくれた

ドッと汗が噴き出てきた。と同時に重要なミッションを失念。このバスは10分ほど走ると下金山駅を通る。占冠のバスだけに、この区間で降りられるかどうか運転手さんに確認。もし降りられるのなら、2時間の時間つぶしが必要だが、下金山駅を訪問しようと考えていた(この時期の北海道の日中は長い)。2時間潰せないのなら、1時間待てば東鹿越行きが来るので、もう一度この区間を乗車するのも悪くないな、などと考えていたが、しょう然としているうちにバスは下金山を通過していた

ということでバスは無事に富良野到着。前夜に続き、本日も旭川に宿泊する。連泊なので重い荷物を持たなくてもいい、なんて悦に入っていたのが、はるか昔のことのように感じる

こちらが1日3往復の貴重な占冠村営バスの富良野駅時刻表。大変お世話になりました。ちなみにバスに乗車して知ったのですが、私が乗車した付近は自由乗車区間。つまり道路で手を挙げればバスが止まってくれる区間となっていました。もし今後も訪問される方がいれば、ご参考に

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根室本線の廃線予定区間の全駅訪問~わずか3カ月で運命が変わった「終着駅」

東鹿越駅の駅名標

※訪問は2023年5月27日

代行バスの接続駅

布部から列車に乗り込み、2駅飛ばし東鹿越に到着。線路はここで途切れていて、先の区間は代行バス輸送となる。到着時刻は14時59分。代行バスが幾寅方面からやって来るのは時刻表では15時4分。バスの到着を待って列車も折り返す。時刻表では15時12分発でバスも15時13分に幾寅へ折り返すことになっているが、少なくとも私の訪問日についてはバスもほぼ正確にやって来た

駅舎横には「バス停車位置につき駐車禁止」の注意書き

子供が元気に飛び出してきたが、列車→バスもバス→列車も、かなり同業者(鉄道ファン)が多い。青春18きっぷの期間外ではあるが、この日は土曜日。旅客はそれぞれ十数人ずつだが、半分以上はそのようだ。前々日は小幌駅を訪問したが、室蘭本線車内で見かけた方もいる。車中で「この人は絶対に同業だ」と確信したが、洞爺で降りてしまったため、自分の見込み違いかと自信喪失したが、そうでないことが分かり、ホッとする(笑)

多くの側線を持つが

多くの側線を持つ駅で現在もJR貨物の駅ということになっているが、貨物運輸はとうに終わっていて臨時駅扱い。ホーム上には実に分かりやすく「石灰石」が置かれていて、これが駅を物語る。かつては、駅に近い日鉄鉱業の東鹿越鉱業所からの石灰石輸送が行われていた。ちなみに日鉄鉱業の鉱業所といえば、伯備線の井倉駅から見えるものもそうである。他の鉱業所への輸送もあった。側線の数々はそのなごりだ

ただ貨物輸送で栄えた駅の利用者数はどうかというと駅の位置で明らか

駅前に広がるのはダム湖のかなやま湖。民家は全くない。元々は集落があったが、ダム工事とともに沈んだ。金山と当駅の間にあった鹿越駅はダム工事に伴い、線路が変更され信号場を兼ねた仮乗降場となった末、正式駅の再昇格はならず国鉄末期に廃止された

駅としての歴史は東鹿越の方が浅く、戦時中の1941年(昭和16)に輸送力増強のための貨物を取り扱う信号場として設置。戦後間もなく正式駅に昇格した

だがダムができる以前から信号場として設けられたぐらいなので、当時から利用者は少なく、ダム湖完成後は、役割は石灰石輸送とかなやま湖観光のための駅としての位置付け

名所案内は、ダム関連のものばかりだが、当然のように観光客のほとんどは車利用である

廃駅決定の直後に

このような状況なので、1日の利用者は極めて少なく、JR北海道も廃駅を決定。2016年6月のことで、翌春に70年の歴史にピリオドを打つはずだったが、同年8月の降雨災害で根室本線が大きな被害を受けたことから、10月に代行バスの発着場となり、廃駅予定だった翌春も被害からの復旧が見込めないことから、駅として存続することになった

以降、鉄路の「終着駅」として利用されていたが、2024年春の廃線が決定。廃駅予定からの復活を経て、今度は廃線に伴う措置で廃駅になるという数奇な運命をたどることになった

立派な駅舎を持つ。利用者は少なかったが、石灰石の貨物輸送が行われていたため、駅員さんが必要だったためだ。1997年の貨物輸送の終了で無人化されている

窓口は塞がれているが、きれいに清掃されている

ホームは島式1面2線で、一応現役となっているが、実際に使用されているのは片側のみ。私は代行バスには乗り継がず、乗車してきた列車に再び乗り込み、折り返すことに。本当は列車も代行バスも去った駅の静寂を味わいところだが、とにかく4・5往復の区間。なかなかそうはいかない。わずか10分ちょっとの滞在で名残惜しく駅を去らねばならなかった

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