きっぷ

大糸線全40駅訪問最終章~湖畔の温泉宿で早々からのんびり

国道にある信濃木崎駅の入口案内

※訪問は2024年10月9日

午後3時過ぎに投了

2時間待ちの北大町駅から乗車してわずか1駅。信濃木崎駅で下車。北大町~信濃木崎の駅間距離は北大町が後からできた駅だけあって近く2・2キロ

徒歩でも30分ちょっとの道程だ。歩くにはちょうど良い季節(10月にしては寒すぎたが)。線路沿いに道路があって、いろいろな要素から歩いてくださいと言わんばかりの条件がそろっていて通常の駅巡りなら普通に歩いていただろうが、今日は2時間待機しても電車で1駅。と言いつつ前記事のカフェにたどり着くまでウロウロしたので、その間に信濃木崎まで着いているという話もあるが、それは後から「そういえばそうだな」と分かるもの。妙な効率の悪さは旅では必要悪のようなものでもある

そして歩かなかったもうひとつの理由は、駅からさらに10分以上歩く必要があったこと。それは宿までの道程で、まだ15時半にもなっていないが、今日の駅訪問はここで終了。時間的、ダイヤ的にはもう1駅行けそうだが、朝6時の名古屋からはかなり時間が経っているしギブアップ。投了である

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木崎湖畔の温泉へ

基本的には旅に出かけるとピジネスホテルに宿泊する。いろいろな考えはあるだろうが、気を遣わずに楽だしプライベートが確保されて安価。私にはちょうど良い。ただたまにはちょっと異なる空間をと、今回は今日そして明日と方向性を変えてみることにした。今回は木崎湖畔の木崎温泉にある「民宿やまや館」に宿泊する。その木崎湖温泉は信濃木崎駅から徒歩で10分ちょっと

信濃木崎の駅については次の記事で紹介する予定だが、もともとは木崎湖畔観光のアクセス駅としての役割も持っていた。だったらもう少し湖に近い場所に駅を設置しても良かったのではないか、とも思うが、それだと観光に特化していて周辺住民が利用するのに不便だったのだろう

線路に沿った道路を歩いていくとローソンが登場する。存在は宿の位置を地図で確認した時から分かっていて、随分と駅から離れて場所にあるもんだと思っていたが、国道が県道と交差して大糸線の線路をまたぐ場所に位置していて納得。個人的にも大歓迎で買い物をしてからローソンの左側の道路を進んでいくとすぐ

旅館街に到着

やまく館さんも、すぐの場所だった

のんびり過ごして早朝出発

宿に着いた時はまだ他のお客さんがいなくてお風呂は独占。のんびりしよう

早々にビールを飲んで部屋でウトウト。再度風呂に入って

夕食。10月というシーズンオフだったが、お客さんはかなりいて、木崎湖畔の宿も国際色は豊かだった。ライダーの方々もいた

翌朝も朝風呂からと思っていたが、朝6時の気温が3度という真冬のような寒さだったので、7時過ぎには宿を出る予定ということもあって断念

絶対に7時半の列車に乗る必要があったので6時半からの朝食の提供は大いに助かった。この日は炊き込みご飯のサービスもあった。最近は民宿でもwifiサービスが標準装備になりつつあるようで、それにも助けられた。季節や曜日によって料金は変動するのだろが、この日私が支払ったのは酒代も含め1万円もしなかった。大変満足して7時過ぎに宿を出発。これで今日は朝から元気に各駅を回れそうである

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大糸線全40駅訪問最終章~黒部ダム建設の拠点を担った駅で2時間待ち

北大町駅の駅名標

※訪問は2024年10月9日

稲尾駅と誕生日は同じ

北大町駅に到着。駅名標で分かる通り、信濃大町駅のひとつ北隣の駅。信濃大町駅以北は国鉄によって敷設された区間となる。そのため路線内では、国鉄建設による1つ目の駅となるが、開業は全通後の1960年(昭和35)の7月20日で先に紹介した稲尾駅と同じ誕生日。構造も同じく単式ホームと待合所のみの簡素な構造となっている

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2時間電車が来ない

駅の紹介より、先に時刻表を紹介しよう

簗場から12時56分でやって来た。同方向つまり信濃大町、松本方面は16時24分で、なんと3時間半後、南小谷方面も15時12分で2時間以上後と、まぁまぁ困る運行状況となっている。ただ駅の周辺は大町市の市街地域でもあり、住宅や商店もある。時間的にはランチタイムなので、あまりアテはないが、食事をして時間を潰せそうなら、ここに居座り無理そうなら30分ほど歩いて信濃大町駅を目指すつもりだ

ということで時間はいくらでもあるので駅をじっくり見ていこう。じっくりといってもすぐに終わってしまいそうだが、基本的には2両編成の列車しかやって来ないためホーム有効長は短い

住宅街の中に戦後10年以上も経って設けられたことから駅前広場といったものはなく、この階段のみが駅の内外を結ぶ導線だ

貨物の重要拠点

駅の南側には踏切があり、ホームと逆側に街が広がる。音楽ホールでもある大町文化会館は駅に隣接した形となっているが、この場所が北大町駅にとって大きな意味を持つ

この場所は関西電力の資材置き場だった。大町そして関西電力といえば、ピンと来る方も多いだろうが、資材は黒部ダム建設用のものだった。やがてここから県道が造られる

長野県道扇沢大町線。立山黒部アルペンルートと言った方が分かりやすい。関電トンネルの扇沢駅までのバスが信濃大町駅から出ているが、県道そのものの起点はここ文化会館。現在は観光ルートだが、もともとは黒部ダム建設用の資材を運ぶ道路として建設された。貨物列車で当駅付近まで運ばれた資材はトラックで現場まで運ばれた。駅としては旅客専用の駅だったが、大プロジェクトを担う駅だったのだ

ふらり入ってカフェで

さて肝心の時間つぶしだが、町をウロウロしているとカフェを発見

ホットサンドのセットで昼食としたのだが、地元のおなじみさんばかりの店内で会話は大いに盛り上がり、あっという間に時間が過ぎ去った。12月にも加古川線に乗車した際、西脇のカフェでこちらも地元トークに花が咲いた。地方の喫茶店にはこんな楽しみがある。西脇の場合は神戸からすぐの場所なので土地柄的な部分は共通点も多いが。さすがに大町には土地勘は全くない。初めて知ることばかりだったが、ひとつ分かったのは今日のように地元の方もビックリの急に寒くなる日があるということ。それがたまたまこの日だったようだが「立派なセーター用意して来るなんて偉いじゃない」と褒められた。お漬物やフルーツのお裾分けもあって楽しいひとときを過ごせた。ごちそうさまでした

信濃大町駅近くにあるのかなぁ、とちょっと困っていたドラッグストアも付近にあって助かった。あっという間の2時間で町の散策はほとんどできなかったが満足して駅に戻る

近年のデータはないが、おそらく100人は切っているであろう1日の利用者数の駅だが立派なお手洗いが設置されている。よく見ると「電源立地地域対策交付金」の文字。その前に立ち寄った簗場駅にも

年代は異なるが同じものがあった。観光地としての黒部ダムは認識していても建設については、ついつい忘れがちになってしまう。北大町の駅に来ても面影はほとんどないが、このようなプレートを見ると、当時のことをいろいろ思い巡らせてくれるのだ

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大糸線全40駅訪問最終章~湖畔観光、スキーの駅としてにぎわう

簗場駅の待合所にある方面案内

※訪問は2024年10月9日

ロッジ風駅舎は平成になってから

バスを降りて簗場駅へ。駅舎はロッジ風でおしゃれな感じだが

中に入ってみると簡易的なもの。もちろん無人駅

財産票によると2004年からのもの。「待合所」とされているので駅舎という感覚ではないようだ

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大糸線での最高標高

最近の数字は分からないが、おそらく現在の1日あたりの利用者は20~30人ほど。しかし以前の当駅はもっとにぎわいを見せていた

駅の前はすぐ中綱湖で湖畔の旅館街までは徒歩で10分もかからない。私の訪問時はシーズンオフだったが、旅館街のすぐ向こうにスキー場が見える。鹿島槍スキー場で、駅から歩いていけるスキー場である

簗場駅は1929年(昭和4)の開業。信濃大町以北の建設を行った国鉄が信濃大町から北へと線路を伸ばす際の一時的な終着駅だった(翌年、神城まで延伸されている)

転機を迎えたのは戦後となった1957年の大糸線全通以降。元々は国防用に敷設が始まり、全通時には終戦から10年以上が経過していた大糸線をレジャーに活用することになって、最初に着手したのが輸送力を充実させるための電化だった。松本から信濃大町までは信濃鉄道の手によって大正期に電化されていたが、信濃大町以北も一気に電化させようというもの。信濃大町~信濃四ツ谷(現白馬)までが1959年には電化される

以前の記事で白馬駅について紹介したが、最も脚光を浴びたのはスキーだった。沿線では、それまであったスキー場の拡充や新規オープンが相次いだ。その意味では夏場のレジャーにもなる仁科三湖を有する簗場駅は格好の対象だった。当駅の標高は827メートル。大糸線内で最も高い場所にあり、道理で肌寒いはずだが、電化後間もなく鹿島槍スキー場がオープン。当時は何本も乗り入れていた大糸線の優等列車も停車する駅となった

はがれた地図にあった駅

駅前にあったトレッキングコースの地図に目が行ってしまった

赤丸で囲った部分。紙で塞いだ部分がはがれていた。駅の部分を覆っていたようだが「ヤナバスキー場前」と書かれている。簗場駅の駅名標も

かつてあった隣駅を変更した跡が明白だが、簗場と南神城の間にはかつてヤナバスキー場前という駅があった。スキーの季節だけ営業する臨時駅だった

こちらは青木湖畔にあった。グーグル地図を拡大すると、もちろん駅はないが、今も「出入口」という表記だけが残る。1985年という昭和終わりごろのスキーブームのころに開業したヤナバスキー場だったが、2016年度に営業を中止しており、臨時停車もなくなり、やがて廃駅となった。存在していれば簗場駅よりも標高の高い位置にあったようだ。また現在は大糸線を北上すると簗場駅が大町市最後の駅となっているが、この駅も大町市にあった

簗場駅が簡易化されたのは、ちょうどそのころ

優等列車の停車があったことを物語るように、かつては長いホームがあったようだ

側線が保線用に残されている。かつての貨物ヤードだったのだろうか

ホームの待合室は古いものが残る

この時間帯は当駅で列車交換が行われる。再び信濃大町方面へと向かう

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大糸線全40駅訪問最終章~アテのないかもしれないコミュニティバスに乗車

簗場駅の駅名標

※訪問は2024年10月9日

稲尾駅前のバス停

稲尾駅を出た国道にある停留所

かわいい停留所があった。大町市のコミュニティバスである

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今回もお世話になります

駅巡りで困った時の強い味方、コミュニティバス。9月に中央西線の最北部分で塩尻市のコミュニティバスにお世話になって以来のことだ。列車がなければコミュニティバスである

これが時刻表。1日3・5往復で平日のみ運行というのはコミュニティバスの鉄則のひとつ。私が乗るのは青木・木崎方面。最初の写真で分かるかもしれないが、停留所があるのは稲尾駅を出た国道の向かい側。稲尾駅側にバス停はないが、注意書きに「道路の反対側で手をあげて運転手にお知らせください」と書いてあり、なかなか親切。過去の体験ではこのような案内はなく、ただバス停の向かいで「お~い」と手を振って停まってもらった

稲尾駅に到着したのが10時56分でバスの発車が11時32分。1日わずか3本ながら、まるで私のためにあるような運行だ。稲尾駅で降りたのは私一人、そしてバス停で待つのも私一人。電車がなければバスである

間もなくバスがやって来た。ただ「私のためにある」と言っておきながら、実は不安だらけなのだ。この路線は途中からデマンド化されるようで、簗場駅近くの停留所はデマンド路線の中にある。大町市の中心部から出るこのバス(もちろん信濃大町駅も通る)は付近の集落をクネクネと入念に回るようで、路線バス扱いの最も近い停留所で降りたとすると

線路沿いに30分ほど歩く必要があるらしい。しかしバス用の携帯アプリ(地方に行くと使用頻度が高いのでインストールしている)によると、簗場駅近くの停留所は乗ることはできないが、到着時間は書いてある。ひょっとして降車だけなら可能なのか? 時間はたっぷりあるので30分歩いても電車には楽勝で間に合うが、わざわざバスに乗って、その後30分も歩きたくはない

乗客は私のほかにはご老人の女性。明らかに地元の方で、コミュニティバスによくある運転手さんも顔を知っているお客さんのパターン。乗車時におそるおそる尋ねてみた

「湖端で降りたいのですけど」

事前に「こばた」と読むことを調べておいた。すると

「分かりました」

平静を装っていたが、この時の気分といったらなかった。心の中で何度もバンザイを繰り返していた

中綱湖畔の旅館街を通る

これで安心してバスの車窓に専念できる。どうやら千国街道の旧道を通っているようで、国道148号=千国街道と思い込んでいた私は認識が微妙に異なることを教えられた。また簗場駅は仁科三湖のひとつである中綱湖にほど近く、湖畔の旅館街をバスは抜けていった。実は今回の旅において、この付近の旅館への宿泊も考慮したこともあり「予約しかけた旅館は、ここなんだ」と思いながら車窓を眺める

先客のご婦人は、そのあたりで降りて残ったのは私一人。そして間もなく

無事、湖端に到着。このあたりはフリー乗降区間らしく簗場駅と言えば降ろしてくれたかもしれないが、駅とは目と鼻の先なので全く問題はない

大町市街行きは、やはりデマンドバスになっているが、大町市内から来る時は乗れたので良かった

中綱湖が美しい。私はバスに揺られて湖の向こうの集落のある場所からやって来た

ちなみにバスはこの先、簗場という停留所を通るが、駅名と同じながら、ここは駅からはやや遠い。もしバスで簗場駅を訪ねる人がいれば留意してほしい。まぁ、この記事を読んで訪ねる人はほとんどいないと思いますが

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大糸線全40駅訪問最終章~木崎湖ほとり2駅のひとつに残る駅名板

稲尾駅の駅名標

※訪問は2024年10月9日

「恒例」のホーム+待合所の駅

稲尾駅に到着。本日最初の訪問駅だが、名古屋を7時に出て最短距離で来たものの、すでに11時前となっている。ただダイヤ的に、どんなに早く行動しても名古屋からスタートする限りこの時間になってしまう

そして駅は大糸線ではおなじみのホーム+待合所のみの構造だ

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木崎湖ほとりの2駅

大糸線の車窓のハイライトのひとつである木崎湖畔の2駅のうちのひとつである海ノ口駅についてはすでに紹介済みだが、もうひとつの駅が、ここ稲尾駅。そして私の駅訪問については、ちょっと失敗している

両駅間は極めて近いのだ。しかも平坦コースで線路に沿った道路を歩くことができるので駅間距離の1・3キロとほぼ同じと、駅間徒歩のための大切な要素がそろっているのに前回思いつかなかった。しかも木崎湖が最も接近する景観の良い場所を歩くことができた。限られたダイヤで、これは見逃しのひとつだろう

地図で分かる通り、駅ホームからの眺望は農地を挟んでの木崎湖という形になる。10月上旬ということでまだ夏の香りも多少は残るが、山にかかった霞などもう少し早い時間帯なら、もっと美しかったと思う

全通後にあらためて新設

当駅は1960年(昭和35)の開業。大糸線の全通が1957年なので、その3年後に新規開業した。このタイミングで北大町、飯盛と同時に3駅が開業している。いずれも信濃大町より北の駅だが、このころは大糸線にとってエポックな時代で、戦前から国鉄によって敷設された信濃大町以北の電化が急ピッチで進んでいた時だった。全通からわずか2年後には信濃四ツ谷(現白馬)までが電化され、稲尾駅設置の1960年には信濃森上までが一気に電化。そのタイミングでの新駅誕生だった。地元からの請願があっての開業で、海ノ口駅までの距離が短いのもそのためだ。逆側の隣駅である信濃木崎駅までも2・2キロしかない

急ピッチで建設されたこともあり、ほぼ並行する国道に面していて簡素な入口があるだけで国道側からも分かるように駅名標は外向けの駅名板も兼ねるリバーシブルな形式だ。ホーム有効長も3両分しかなく4両編成の場合はドアカットが行われるという

そんなシンプルな構造の稲尾駅だが、ひとつ目を引くものがこちら

待合所に掲げられている駅名標。形式はクラシックなものに見えるが、随分真新しいと思ったら解説があった

うれしい気遣いというか心配りだ。わざわざモニュメントとして掲示しているという。電車から下車したのは私一人だけだった。最近のデータが調べても出てこなかったのだが、10年以上前で1日の利用者が10人ほどだったそうなので、おそらく今はそれ以上の数字ではないだろう。そんな小さな駅で出迎えてくれた駅名標に敬意を表したい

さて待合所の中にある時刻表を見ると

10時56分の電車でやって来たので上りも下りも1時間半運行がない

ちょうどあずさがやって来たが、もちろん当駅に停車するはずもない。さすがにここで時間をつぶすわけにはいかないので、ここからは別の交通手段で別の駅へと移動することにする

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大糸線全40駅訪問最終章~予想を上回る寒さに震える

信濃大町駅の跨線橋にある駅名標

※訪問は2024年10月9日

スタートは名古屋から

朝6時の名古屋は栄付近。まだ暗い。前夜は名古屋泊だったが朝方にかなりの雨が降って気温は低い。とはいえ残暑厳しく前日の昼間は長袖シャツ1枚で暑いぐらいだった。この時間帯でもその服装で十分だった

本日から秋の乗り放題パスを使用して大糸線の全駅訪問の総仕上げを行う予定。最後は1カ月前と同じく大糸線増便バスなどを利用しながらJR西日本区間の大糸北線のいくつかの駅を再訪して糸魚川から北陸新幹線に乗車するつもりだ

もっとも名古屋から乗り放題パスでトコトコ北上しては間に合わないので松本までは特急「しなの」で向かう。7時発のしなので松本着は9時すぎ

おなじみの「ま~つもと~」のアナウンスとともに下車したが「さ、寒い」。それが感想だった

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1年前に学んだこと

この時間帯の松本の気温は9度。身体が一ケタの気温に慣れていないので、ことのほか寒いが、とにかく大糸線に乗り継ごう。乗継ぎ時間はわずか10分ほど。大糸線ホームに向かうと

大きな置き案内が通路にあった。行く手をさえぎるように置かれているが、これは大いに助かる。何も知らず大糸線ホームまで行っていたら時間的に危なかったかもしれない

ということで無事乗車。行先を見ていただくと分かるが、1日3本しかない松本から南小谷への直通列車の1本(ダイヤ改正で2本になったようである)。これを逃すと悲惨というか今日の1日がほぼムダになってしまう

そしてバッグからセーターを取り出してシャツの上から着る。冬物の厚手のセーターだ。実は昨年の同時期にも高山本線の全駅訪問の仕上げを同じきっぷで行ったのだが、前日に氷見線や城端線で各駅訪問をしていた時は暑いぐらいだったにもかかわらず、早朝に富山から高山本線に乗り込み県境の猪谷で降りると寒さに震え上がってしまった。その時はシャツを2枚重ね着するという緊急対策を行ったものの、それでも寒い

県境付近にある簡易型ながらシェルターのようになっている打保駅の待合所で、ずっと身を潜めていた。その体験があるのでセーターを用意したのだが、これが大正解。おかげでこの後は寒いと感じることなく旅程をこなすことができた

信濃大町以北は工夫が必要

列車は約1時間で信濃大町に到着。ここで25分ものいわゆるバカ停車を行う(ダイヤ改正で15分ほどに短縮された)ので外に出てみる。当然だが松本よりさらに寒い。1カ月前に当駅に来た時は1時間半ほどの待ち時間の間、エアコン完備の待合室だったにもかかわらず、朝の9時前という時間帯で、暑い暑いと自販機の冷たい飲み物に2度もお世話になったことを考えると、わずか1カ月で隔世の感がある

ただ駅舎の外にあるお手洗いに行くと、その付近にいたご婦人同士が「今日は急に寒いねぇ」と会話していたので急に気温が下がったようだ。その証拠といっては何だが、自販機には「冷たい」しかない。運が悪いといえば悪いが、ホームと待合所のみの駅もこの先には待っている。雨に降られるよりは、はるかによい

そして

こちらが信濃大町駅の時刻表。これまで何度も書いているが松本~信濃大町は、昼間も1時間に1本の運行があるのに対し、信濃大町~南小谷はガクンと本数が減る。私は10時43分に乗車するが、これは7時21分から3時間20分後の運行。次は12時21分で1時間40分運行がなく、さらにその次は3時間近く運行がない。おそらく沿線の高校生に合わせたダイヤと思われるが、夜の駅訪問は基本的にやらない主義なので、18時以降はないのと同じ。このダイヤで途中の12駅(3駅は訪問済みなので9駅)を回らなればならないので、いろいろ工夫が要る。一応、自分なりに考えた作戦はあるので、まだ不透明な部分は残るもののスタートしよう

まずは信濃大町から3駅目の稲尾で降りてみた

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JR西9800ポイントで北陸新幹線の新駅訪問を行う~最後の駅は美しいピアノに惹かれる

加賀温泉駅の駅名標

※訪問は2025年3月3日

あっという間に最後の駅

加賀温泉駅に到着。1時間に1本の運行の時間帯もあるとはいえ、とにかく乗ったらすぐに到着するので新幹線の駅巡りは速い。サンダーバードの遅延があり、敦賀到着は9時20分だったにもかかわらず、13時半を回ったところで、もう最後の駅に到着である

当駅に来るのは、こちらも2022年の8月以来

その時の記事がこちら。新幹線を迎えるための突貫工事中という風情で、仮の駅舎で営業していましたが、かつては特急街道と呼ばれた北陸本線ならではの設備があちらこちらにあって、今こうやって見返すと、わずか2年半前とは思えない懐かしさがこみ上げてくる

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通過線を備えた対向ホーム

当駅は対向ホームに通過線を加えた構造。越前たけふ駅の記事でも触れたが、東海道山陽新幹線ではよくある形式だが、北陸新幹線の中では比較的貴重な存在。おそらく現行のダイヤでは通過線はそれほど必要ないが、将来の大阪、京都への延伸に備えてのものだと思われる

駅舎はこちら。ただタクシー乗り場の向こう側が一部工事中になっているようで、まだ発展途上のようだ

そちらまで足を運ぶとこのように見えるが、2年半前の訪問時にもこの形はできていた。「温泉郷の風情と城下町の歴史を感じさせる駅」としてデザインされ、紅殻(べんがら)という赤い塗料で塗られた弁柄格子をイメージしている

こちらはコンコースの様子

IRいしかわ鉄道の乗り場へは連絡通路を利用する

前回よく分からないまま歩いていくとたどり着いた住宅街の北口へは自由通路ができていて

駅舎というより通路入口のような姿になっていた

北陸新幹線今後は?

加賀温泉駅成立については

この時も記したが、特急停車を巡って両隣の駅の争いが続くので、中間の駅を特急停車駅にしたことは、あまりに有名だが、まだ山陽新幹線もない半世紀以上前の1970年(昭和45)に、その後新幹線の駅になることは想定していなかっただろう

構内には飲食店や土産店、観光案内所も入居しているが、ひときわ目につくのは

立派な駅ピアノだった。駅ピアノを巡ってはトラブルも報じられるが、ぜひ美しい姿のままずっといてほしい

これで北陸新幹線の新駅はすべて巡ったことになるが、肝心の大阪、京都への延伸は確定しながらも確定していないという状況が続いている。敦賀からは小浜経由で京都に入ることは決まったが、京都府内の水資源の問題や新幹線の「京都駅」をどこに設けるかで論議されている間に米原ルートが再燃したりで、まだ工事の着工もされていない。福井、石川という地方は元々が関西圏との結びつきが強く、歴史的な経緯もあって石川は名古屋、福井は京都との関係も深い。北陸新幹線の全通を待っている間に直接行ける東京に経済的なつながりも取られてしまう、という焦りは共通認識としてあるが、何をするにも大阪、京都、神戸という三都(北陸新幹線の場合は神戸は関係ない)が、なかなかまとまらないのが関西地区で、リニアの名古屋~大阪のコースにしても、あーだこーだで、このままだと東京~名古屋の先行開業になってしまいそうである

小浜線や湖西線の並行在来線問題もクリアになっていない。将来的に途中駅になる敦賀駅が巨大施設のターミナル駅となったことについて、かつての東北新幹線の八戸駅のように暫定的な終着駅にもかかわらず、将来的に手に余ってしまう、という声も聞こえるが、先行きが不透明なだけに敦賀駅のターミナル化は現時点では正解のようである

北海道新幹線も札幌までの延伸はまだまだ先になりそうだ。私が元気に新幹線に乗れるのはいつまでか、ということを考えても、もしかすると新幹線の駅訪問はこれが最後になるかもしれない

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JR西9800ポイントで北陸新幹線の新駅訪問を行う~イラストが絶品だった

芦原温泉駅の駅名標

※訪問は2025年3月3日

完成した駅と初対面

芦原温泉駅に到着。やって来たのは2022年8月以来2年半ぶり。今も明確に覚えているが、JRのうちに北陸本線の各駅を訪ねようという企画を行った時、最後に訪れた駅だった

2022年8月26日の訪問。前日に各駅をたっぷり回って、この日は青春18きっぷを温存(今は使えない技となった)。北陸鉄道をたっぷり乗って金沢からサンダーバードに乗り込んで芦原温泉で下車。これが北陸本線各駅最後の訪問だったが、工事途中の駅はすべてが「仮」状態で、駅の風情が一時的にせよなくなっていた時だった。もちろん今回はすべてが完了している

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新幹線と在来線の駅は別物か

今回訪れる駅で完全な新駅は前記事で紹介した越前たけふのみ。他は北陸本線時代に駅としては訪問済み。こういう時、いつも思うのが新幹線の駅と在来線の駅は別物か、ということ。例えば地下鉄丸ノ内線の東京駅とJRの東京駅は別物なのは明白だが、では新幹線の東京駅と在来線の東京駅は同じ駅なのか、となると微妙なところだ。新幹線の駅にも東海道新幹線の駅と東北新幹線の駅があって、それぞれ改札は別だ。特に認定機関があって決められているわけではないので自分で決めれば良いと思うが、個人的には別物ということにしている。今回のように整備新幹線では在来線が三セク化されて同じきっぷで移動できない別会社になってしまうので、これは別物ということになるが、在来線が残る路線でも別駅ということにしている。昨年3月に飯山駅でわざわざ北陸新幹線の駅を利用したのも、そんな理屈からだ

「ようこそ○○へ」は延伸開業した各駅に共通するものとなっている

改札を出ると駅の外へは木をふんだんに使用した通路で外に出られるが、この部分は公道扱いのようだ

こちらは西口の外観。少し分かりにくいかもしれないが、1階がハピラインふくいの駅で2階が新幹線の駅

駅と隣接、直結して飲食店や物販店が入る「アフレア」がある

朝からのダイヤ乱れで、どの駅に何時に列車が来るのか分からない状態で落ちつかなかったが、ようやくお昼にすることにして福井らしくソースカツ丼と越前そばのセット

子どもの声に振り返ると

アフレアには広い待合室があって、ここからハピラインふくいの駅にも新幹線の駅にも簡単に行くことができて両線の発車標もある

そろそろ新幹線ホームへと移動しようと歩いているとアフレアとの直結部分あたりで、子どもの声。「お母さん、なんで恐竜がお風呂に入っているの?」

振り返ると

恐竜が東尋坊近くの温泉につかっている。地元をすべて表す秀逸なイラストに感心してしまった

ちなみに2022年の記事でも触れているが、芦原温泉駅で降りても駅前には温泉街はない。当駅からだと約4キロ。えちぜん鉄道の「あわら湯のまち」駅が温泉街の最寄り。かつては両駅を結ぶ国鉄三国線が存在したが廃線となった。芦原温泉駅はそれまで町名の金津駅を名乗っていた。話は少しややこしいが、温泉への鉄路がなくなったことで温泉の玄関口だと分かりやすいように現駅名へい改称された

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JR西9800ポイントで北陸新幹線の新駅訪問を行う~延伸区間で唯一の完全新駅

越前たけふ駅の駅名標

※訪問は2025年3月3日

新幹線単独駅として建設

今回訪問する駅で全く新しい駅はひとつしかない。他の駅はいずれもこれまでの在来線の駅に併設する形で設けられた。しかもいずれもが北陸本線時代の特急停車駅のため、公式には新規開業ではあるが、イメージとしての新規開業ではない。そのひとつの駅へと向かう

サンダーバードで湖西線を敦賀に向かう際、敦賀の手前あたりから積雪が凄く、新幹線に乗り換えると福井が近づくにつれて雪は減っていったが、今度は小松から逆戻りする形なので車窓はどんどん雪が増えていく

そして越前たけふに到着である

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武生駅から車で10分

新駅の新幹線単独駅だけに用地はふんだんにあったようで、2面2線の対向ホームに中線の通過線2本を備えた構造。東海道、山陽新幹線ではよく見かける姿だが、北陸新幹線ではホームのない通過線を備える駅は高崎~敦賀では上越新幹線との分岐となる高崎以外では今回開業した越前たけふ、加賀温泉の2駅しかない。雪対策で通過線の上も屋根で覆われている

コンコースも広くとられている

駅舎は越前和紙の製作時に流れる姿をイメージしたもの

そして武生の中心地であるハピライン福井(旧北陸線線)の武生駅からは車で10分ほどの距離にある

新駅設置が決まった時、武生駅から歩いてすぐのところには福井鉄道の越前武生駅があった。平仮名が入る以外、全く同じ読みとなってしまうが、福井鉄道側が譲る形で2023年(令和5)に駅名を「たけふ新」駅とすることで混乱を避ける形となっている。ちなみにこの駅は以前の駅名は「武生新」駅。大正期からの駅名だったが、2010年(平成22)に越前武生と改名されたばかり。元の読みに戻った形だが、わずか13年の駅名だったことになる

微妙な駅間が生み出したもの

訪問時はすっかり雪景色だったが、駅前は現状では農地が広がる。ただ飲食には困らない

道の駅が併設されているため、こちらで食事ができる

バス500円駐車場無料

新幹線単独駅である当駅の大きな特徴は

駅前の広大な駐車場。600台分もの駐車場が無料となっていて、新幹線のパーク&ライドとなっているが、常時の盛況ぶりとなっていて開業から早々に止める場所がないと問題化している。北陸道の武生ICが至近で、車でのアクセスが良好なこともあるが、周囲には特に何もないことから容量は十分と予想していたところ、当駅には高速バスの停留所があり、新幹線ではなく長距離バスの利用者もこの駐車場を使用するようになった。また無料ということで長期間の出張や旅でも駐車場の需要が生じたという

その一方で低迷したのは武生駅とのアクセスで

これは訪問時の看板だが、おそらくすでにない。3月15日に運行を終えたからである。新幹線駅の開業からわずか1年で、最寄りの中心地へのバス路線がなくなるという話はあまり聞いたことはない。理由としてはわずか10~15分のバスの運賃が500円だったこと、500円を払ってバスで新幹線駅に向かうのなら、福井駅までハピラインふくいまで行った方がむしろ便利だったことが挙げられる。福井までは電車で20分で運賃は380円。しかも福井にはすべての列車が停車する。また逆方向はひとつ隣が敦賀で、電車の所要時間は30分で運賃も780円だが、大阪方面へと向かうには乗り換えが必要となるため、わざわざ1区間だけの乗車りために500円を支払う人は少なかったのだと予想されている

逆の見方をすると駐車場が無料ということで福井駅の方が近い場所に住んでいても当駅を利用する人も確実にいるとみられていて、地方の車社会が新幹線駅の開業によってあらためて浮き彫りになった形にもなっている

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JR西9800ポイントで北陸新幹線の新駅訪問を行う~2年半前とは全く異なる気候に参った

小松駅の駅名標

※訪問は2025年3月3日

前回は在来線の駅として

小松駅に到着。訪問は2022年の8月以来となるから2年半ぶり

その時は北陸新幹線の延伸により三セク化される前に、当時はまだ北陸本線だった各駅を訪ねた。そして小松で宿泊。ただ前回と今回とでは、あまりにも気候が異なっていた

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傘もあっという間に

元々、今回の旅は2週間前に行う予定だった。猛烈な寒波の予報を受け、出発の数日前に1週間の延期を決めた。1週間後は比較的温暖な予報で安堵していたら、家庭の事情で急きょ取りやめ。再延期となった。天気予報は決して良くはなかったが、2週間前よりはマシそうだし、何よりこれ以上の延期は自分の日程と照らし合わせても無理そうだ。WESTERポイント全線フリーきっぷは使用前だと払い戻しができるが、2000ポイント以上のキャンセル料が必要となる。2000ポイントを貯めるのに一体いくらのお金を使わなければならないのかと考えると、それも避けたい。ということで決行である。救いは早々に発券しなかったこと。発券前であれば、きっぷの期限内なら何度でも変更できる

ということで小松駅前。小松といえば小松製作所。新幹線側となる東口には、こまつの杜という施設となっていて、自由に入れる。展示されている重機は名所のひとつでもあり、私もそこで記念撮影をしようとしたが、ちょうどこの時間帯は猛烈な上に冷たい風雨で駅舎の外で傘をさそうとしたら、あっという間におちょこになってしまい、慌てて駅舎内に避難。傘はもう使えないので、駅舎の外までダッシュ。1枚パチリとやって戻ってくる、撮り逃げのような写真がこの1枚。もっと重機の近くまで行きたかったが、これ以上進むとずぶ濡れになりそうなので、ここが限界だった

こちら新幹線側となる東口の写真も同様の撮影。白山をイメージしているという。それだけにもっと全景が写る位置まで下がりたかったが、風邪にでもかかると大変なので、このあたりが限界だった。そういえば昨年の今ごろも同じような目に遭っていた

3月5日のことだった。北陸新幹線の延伸開業は前に、その時点で唯一の新幹線未訪問駅だった飯山駅を訪ねたのだが、その時は雨ではなく視界も不良となるような雪に見舞われた。北国なので、ありがちな話だが、3月という季節を考えるともう少し幸運な一面があっても良いのではないかと思ってしまう。もっともこの雪がきっかけで大糸線の全駅訪問につながるので、分からないものではあるのだけど

暖かい待合室で休憩

せっかく来たのだからと西口にも出向く。小松の町は主にこちら側つまり海側に広がっていて空港も海側。今回も最初の予定では西口のホテルに宿泊するつもりだった。小松製作所もあり、空港の玄関口ということもあってホテルは多い

こうも寒いと前回も訪れた小松うどんのお店に行ってみたが定休日。ということでしょうがない

待合室で出発を待つ。当然ながら快適そのもの。新幹線の駅ならではの設備に助けられた

新幹線の小松駅は通過線のない2面2線構造。通過線のない新幹線駅は整備班幹線では、よく見かける構造だ

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