きっぷ

完了2年がかりの呉線全駅訪問~開業時に設置された明治期以来の駅

坂駅の駅名標

※訪問は2024年1月9日

呉線では5位の利用者

呉線の沿線は平成の大合併が続き、いわゆる「郡部」は坂町しかない(分岐駅の海田市はのぞく)。人口1万2000人の坂町だが、鉄道駅は3つもあって、いずれも呉線。既に紹介した小屋浦、水尻そして今回紹介する坂駅である

その坂町に到着。駅名から分かる通り、同町の中心駅

2面3線のホームを持ち、1903年(明治36)に海田市~呉が開業した時に設置された5つの駅のひとつ。2021年の1日の利用者数は5584人で呉線内では5位(三原と海田市をのぞく)

以前は国鉄型のコンクリ駅舎だったが、2000年に現在の橋上駅舎となった

橋上駅舎と商業施設

こちらが以前から駅舎があった南口。橋上駅舎になったことで、海側となる北口とは自由通路で結ばれた。北口はいわゆる再開発地域となっていて、大型店舗が並ぶほか、広島翔洋高校や町役場もあって利用者が増えている。広島翔洋高校は平成になって坂町へと移転してきた

こちらは北口。国道31号は北口側を走っているため、大型店舗はロードサイド店でもある

橋上駅舎にあった周辺図。「商業施設」とだけ書かれ、いつ設置されたものかは分からないが、北口の方に大きなスペースがさかれている。町の中心が北口に移りつつあるのか

呉線が開業したころは坂村だった。戦後の1950年(昭和25)に坂町となって現在に至る

なおグーグル地図を見ると、坂町には「横浜」がある。かつては横浜島という島が埋め立てによって陸続きとなったという

無人駅ではないが、時間帯によっては無人となるようだ。みどりの窓口は昨年に営業を終了したが、みどりの券売機が設置されている。呉線では全線でIC乗車が可能だが、開閉式の自動改札機を導入しているのは6駅のみ(三原と海田市のぞく)で、そのうちのひとつ

坂町の鳥がメジロだということは小屋浦駅の項でも紹介したが、坂駅の屋根の緑っぽい色はメジロをイメージしたものとなっている

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安芸高田市「お太助バス」で三江線の駅跡を目指す

式敷駅で出発を待つバス

※訪問は2024年4月3日

予報通り朝からの雨

芸備線で三次まで到達した翌朝の三次駅。この日はあいにくの雨で、朝7時すぎのこの時点では、それほどの雨でもないが、天気予報によると終日降り続き、ときおり激しい雨になるとか

この日は福塩北線で未回収の2駅を訪問する予定だが、長い昼休みがある福塩線はダイヤ的に午前と午後に分けて訪問せざるを得ない。その合間の時間を利用して旧三江線の駅跡を訪れることに。2年前も同様の行程で

船佐駅そして

長谷駅を訪れたが、今回はバスの終点まで行くことに

三次駅前を10時2分に出る安芸高田市「お太助バス」。これで式敷駅跡まで運んでくれる。写真でも分かる通り、雨はかなり激しくなっていた

駅の所在地となると三次からの三江線は4駅目の船佐から安芸高田市に入り、式敷までの4駅が安芸高田市。お次の香淀で再び三次市となるが、たった1駅で島根県へ。と思ったら3駅を経て再び三次市となり、そこから再度島根県となる。江の川沿いに芸術的に敷設されていて、市境や県境を複数またぐためだが、いざ廃線となっての代替バスとなると自治体単位での住民サービスの側面があるため、鉄路と同様にバスで、というのは、なかなか難しい。三次駅からは三江線沿線へのバスがあるが、江の川が市境になっていることもあって、三次市沿線と安芸高田市沿線では別路線となっている

式敷駅に到着

道中、長谷駅の前を通過したが階段を上がったところにあった味のある駅舎は姿を消していた

2年前は駅舎内にも入れるようになっていてバスの待合所の役割を果たしているのかと思っていたが、バスの停留所から微妙に離れた位置にあるため、役割を終えたと判断されたのか

そして約30分で式敷駅に到着。駅舎もそのまま残っている

駅名標は外されているがホームと線路はほぼ当時のまま。三江線では貴重な列車交換のできる駅だった。三次側からの三江線は1955年(昭和30)に当駅までやって来て、8年間終着駅だった

式敷という地名には後鳥羽上皇が立ち寄った際に使用した敷物に由来するという

1面2線の島式ホームと、もう1本の線路と貨物ヤード(この付近を貨物列車が走ったことはないようだが開業時に準備されていたようだ)があり、こちらは立入禁止の柵がなかったので上がってみる。こうして見ると急速に自然に還りつつあるようだ

いろいろ計画したものの

今回、当地を訪れることを決めてから、いろいろと行程を考えてみた。まず最初に思いついたのは江津方面の隣駅となる香淀駅訪問。三江線は式敷駅を出た後、江の川を渡り再度三次市に入るが、江の川沿いに大きく弧を描くので式敷からの直線距離は意外と近い

国道をショートカットすれば徒歩も十分可能な距離で、香淀まで行けば三次駅からの別のバス路線がある。三次行きのバスは13時ごろなので、時間的には余裕がある。ただしこの部分はほとんどがトンネルとなっていてトンネル内の徒歩環境は行ってみないと分からない

三次駅のバス時刻表。私が乗車したのは式敷三次線で、その下にある川の駅三次線が香淀に向かう路線。ともに1日5往復と本数はある方だ

もうひとつは、もっと簡単で、お太助バスが式敷駅で50分ほど待機する時間を利用して三次側の隣駅である信木駅まで行く行程。この駅間は近く、30分もあれば十分に歩ける。道路もほぼ一本道。信木駅は川沿いの低地に器用に設けられ、立派な駅舎はなかったが「川に近い駅」だった

雨の予報に、それぞれプランA、プランBとしたが、結論から言うと、あまりの激しい雨にすべて中止。残念ながら、ちょっと歩く気にはなれず、江の川を渡る式敷大橋の近くに行くこともかなわず駅舎で待機となった

駅舎内の様子。お手洗いもあるので雨でも過ごすには問題ない。駅前の商店は営業はすでにしていないようだが、自販機はちゃんとあって(しかも100円自販機)、暖かいコーヒーはいただくことができた

こちらはバスの時刻表

駅には「三江線 式敷駅 1955~2018」のスタンプがあり、デザインは名産の柚子(柚子の産地については三次市となる香淀駅からの方が近いようだ)

三江線沿線のバスについては、線路的には広島県の飛び地となっている伊賀和志駅方面への路線もあり、こちらは島根県内となる口羽駅付近も通る。便によっては石見都賀駅まで達するようである。次回は他の路線バスも利用して訪れてみたい

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青春18きっぷで芸備線の未乗降駅を目指す~その6(2年間でなくなったものと再構築協議会)

東城駅の駅舎

※訪問は2024年4月2日

※動画あり。音声注意

わずか2年間で再現できなくなった旅

国道沿いにあった新見市営バスの停留所。前回は備中神代駅からこのバスを利用してここまでやって来た。風にあおられ張り紙がゆがんでいるが、よく見ると

路線バスからデマンド化されたようだ。つまるところ、2年前の私の旅はもう再現できないのである(ただし市岡駅の項で紹介した新見から当駅付近、市岡を経て旧哲西町の中枢部に至る1日2往復の路線バスは健在)。地元の方にとって便利になったのかどうかは私には分からないが、地方都市のコミュニティバスによくお世話になる私はバスに乗車してみると、ほぼ貸切だった、という経験を何度もしている

東城経由で三次へ

複雑な気持ちで駅へと戻り、列車を待つ。今日は三次に宿泊する

駅に隣接して公民館がある。訪問時は屋根の修復工事をしている最中で、初めて来ると駅舎かと思ってしまう建物は今も利用されているようだ

いろいろな鳥のさえずりとともに16時36分発の東城行きがやって来た。この日は春休みの最中で空席はあったが、新見駅へ通学する高校生にとっては帰宅時の貴重な列車(次の列車は2時間後)で2年前に乗車した際は満員だった。岡山県内を走る新見~東城は一応、通勤通学に対応したダイヤとなっていて東城~備後落合より本数の多い平日は1日6往復となっている(備後落合行きの早朝1本は当駅通過)

広島県に入り東城に到着

前述した通り、新見方面と備後落合方面へは本数がかなり異なる。そして三次へはもう列車では行けない。現在は17時前で2時間後に備後落合行きはあるが、その先に行くことはできない

ただ列車はないがバスはある。東城~備後庄原を結ぶバスが1日に4~5往復していて(平日と週末で異なる。1本は広島駅行き)

この17時13分に乗車する。庄原への「最終」で貴重な一本

随分とこぶりなバスだが、すぐに中国自動車道を快走するので驚いた。備後庄原へは40分かからず着いてしまう

東城から庄原までショートカットで、しかも高速利用なので、そりゃ早い。ただし料金は1360円

備後庄原では備後落合発17時11分の三次行きを途中で追い越し待ち受ける形になる。バスの到着は17時49分で芸備線の出発は17時59分。つまり東城、備後庄原とも10~15分程度の絶妙な乗り継ぎで三次まで行けてしまう。坂根駅のバス廃止とは別の意味でまたもや複雑な気持ちになってしまった

再構築協議会の開催

さて芸備線を巡っては、全国初となる再構築協議会が3月26日にスタートした。昨秋にできた法律に基づくもので、国と鉄道会社、沿線自治体が鉄道の在り方や交通手段の再構築について話し合うもので、分かりやすく言うと赤字路線を廃線にしたい鉄道会社が「自治体の抵抗が激しいので国も考えてください」というもの。乱暴な言い方をすると鉄道会社(基本的にはJRとなる)が「国の(廃線)決断を期待する」といいうことになる。大きな全国ニュースとして取り上げられたのは、もしこの法律に基づいて廃線が決まれば、全国各地で多くの赤字路線がドミノ式に廃線となってしまう可能性があるからだ

芸備線の中でも主に対象となっているのは今回列車とバスで乗り継いだ新見~備後庄原で、報道によるとJR西日本が利用者の少なさを説明。各駅の利用者数まで開示したという。数字だけを見ると、駅だけでなく、列車も時間帯によっては1日3往復区間の東城~備後落合では利用者ゼロがあるという

ただし列車の調査は4月の春休みとGWの間のようで、観光客の端境期を狙ったという見方ができなくもない

1987年に国鉄からJRになった際、新見~備後落合は1日8往復が運行され、うち6本が三次直通だった(1本は途中から急行にる運用)。その後8往復が5往復となり、2005年から現在の3往復となった。徐々に運行が削減される課程でJR側と自治体の話し合いができなかったのかが悔やまれるが、ちょうど平成の大合併のころでもあり、鉄道事情まで手が回らなかったという事情もあるだろう

しかし1日わずか3本では利用しようにも利用できないのも事実

その一方で、こういう時に必ず出るバス転換の話だが、誰がどう責任をもって路線を維持するのかの問題もある。過去、廃線後の代替バスが全国で運行されたが、利用者数と資金面でバス路線そのものが廃線になってしまった例は数多い。また現在はバス運転士の不足で都会のバス路線も廃止を余儀なくされている。しかも鉄道の廃線は大きなニュースとなるが、バス路線の廃止ニュースはひっそりとしか扱われず、いつの間にか地方の町が衰退していく

私が利用した東城~庄原のバス路線があることを調べ(おそらく乗っていない)、バスの方が便利で早いという意見もあるようだが、これは単に両方の駅とその周辺を結ぶためだけのもので、途中の町はすべて通過している上、1360円という料金は日常利用ではちょっと出せない金額である

全国各地で地方路線の現状は厳しく、今回訪れた坂根駅は伯備線との接続駅である備中神代のお隣の駅で、そちらを利用する人が多いのでは、と思う方もいるかもしれないが、備中神代駅の1日の利用者は12人(2021年)しかいない。新型特急で話題を集めた伯備線も新見以北の普通の運行は、昼間は3~4時間に1本という閑散区間となっている

コロナ禍になってからのここ数年で鉄道会社の経営も苦しくなり、芸備線ばかりがクローズアップされることになっているが、うまく議論が進まないと「そもそも田舎は要らない」ということにもなりかねない。会議の場所が、新見でも庄原でも三次といった現地ではなく、広島というのが少々不安ではあるが、良い知恵を絞り出せることを期待しよう

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青春18きっぷで芸備線の未乗降駅を目指す~その5(キリ番県道だった)

坂根駅を出発するキハ120

※訪問は2024年4月2日

遅い桜

駅前ロータリー。かなり広く以前は駅前もそれなりの規模だったことが想像できる

今回、岡山から北上する際の伯備線の車窓から見えたのは美しく咲き始めた桜で山の上の方まで一斉に開花しつつあった。それが芸備線に乗って市岡駅に降り、付近を散策。坂根に降り立っても、まだまだ固いつぼみばかり。随分気候が違うのだな、と思っていたが、この後、当日中に訪れた東城、備後庄原、三次は満開間近だった。今年は3月が冷え込み4月になると急に陽気となったため、桜も大慌てで咲いて、あっという間に散り時を迎えたようだが、さほど離れていない場所での桜前線の違いは興味深いとともに、植樹された時期は分からないが、今後も駅を見守ってほしいと感じた

坂根駅の時刻表。市岡とほぼ同じだが、私は15時53分の新見行きでやって来て、16時36分の東城行きに乗車予定。もっとも正確には「予定」ではなく「マスト」である。約40分の待機だけで乗降の両方が果たせるのだから、大変優秀。もっとも40分では、そう遠くまで行くことは不可能。市岡の150分をもっとうまく振り分けてくれれば、理想だが、1日5・5往復では、なかなかそううまくはいかない。ただ15時台から18時台の2往復を使いこなせば、伯備線にありながらも事実上は芸備線の駅で列車以外の訪問が困難な布原にも降り立つことができる

控えめすぎる駅への案内

再び国道182号。この国道は新見と福山を結ぶ当地では主要な道路で芸備線とほぼ並行して県境を越え東城へと至り、東城から一気に南下して福山へと向かう

新見側から東城方面へと向かうと、このような標識があるが、実は坂根駅の存在を示すものはこれだけしかない。写真には写っていないが、道路を挟んだ右側に民家が並ぶ小さな集落がある。駅の入口へとなる道路部分にはいくつかの民家が見えるが、いずれも人の気配はない

注目すべきは「200」の数字。これは県道200号を意味して「坂根停車場線」という名称がある。国道と駅を結ぶ短い道路が県道になっているのは普通にあることで

先日紹介した呉線・安登駅の「日本一短い県道」

他に記憶にあるのは、こちらは北海道の話で主管はどうなっているかは分からないが、2015年9月に間もなく廃駅となる「白滝シリーズ」訪問の際、当時の

上白滝駅に向かう道路。極めつけは

旧白滝駅が国道にほぼ張り付いているにもかかわらず、ちゃんと駅との数メートルを結んでいた道路にも、それぞれ名称はあった(現状は私には不明)

一方、神代川を渡った125メートルで舗装もちゃんとされている県道200号には道路番号は付いているものの道路名はなく、従って坂根の文字はない。そもそも坂根駅への方向は標識にあるが、駅までどのぐらいの距離があるのか明記されておらず、しかもこれは頭上にある道路を通る運転手用のものだ。中国自動車道がなければ国道から駅もよく見えるだろうが、見通しは悪く、言い方を変えると駅の存在そのものがスルーされている状況。これで良いのだろうか

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青春18きっぷで芸備線の未乗降駅を目指す~その4 (衝撃から2年を経ての再訪)

坂根駅の駅名標

※訪問は2024年4月2日

アクリル板の乗降「2人」駅

市岡から坂根まで1区間の乗車。これまでの記事で書いた通り、国道に沿った緩やかな下り坂で歩くには絶好。徒歩で30分ぐらいで行ける距離だが「乗り降りを目指す」のが目的である以上、これは乗るしかないのである。乗車列車は三次から新見まで乗り継げる、これもまた1日1本の列車で、車両は私が市岡で下車したものの折り返し。事実上の1日1本なので、最初に新見から乗車した備後落合行きと同様に満員。もちろん座れないが、すぐ降りるので最前方に進む

駅間距離は2・6キロなのですぐ到着なのだが、この間にも比較的平地にもかかわらず、JR西日本名物の25キロ制限区間があって、ちょっと時間はかかる

とにかく無事到着だ。降りたのは私一人。乗車はなかったと思う。ないのも当然で2021年の統計では、当駅の乗降客は1日2人。これは芸備線内では道後山、高と並ぶ数字。乗降客データで1人という数字は基本的にないので「同率最下位」かというと、さらに下というか番外編があり内名、備後八幡の2駅は「データなし」となっている。ちなみに前記事まで紹介していた市岡は14人

この数字は1日平均なので、1週間続けて利用した人が1人いても年間の数字にならすとあまり影響しない。また青春18きっぷなどフリーきっぷの利用者はカウントされない。だから今回の私はノーカウントである。このフリーきっぷの概念は列車の乗客数も同様で、今回のように超満員の列車となっても18きっぷでの利用者は乗客がいないのと同じ扱いとなる。もっとも18きっぷのこの区間の利用者は、ほとんどが乗り通しだろうけれど

アクリルの壁がある簡易駅舎となっている。見て分かるが右手にトイレがあり、左手には自転車置き場。2年前は自転車が1台停まっていたが、今回はなかった。それでも銀のバス停の簡易駅舎と比べると雨風はある程度防げる形式だ

単式ホームだが、かつては2面構造だったことが分かる。開業は1930年(昭和5)。備中神代~矢神が開業した際、途中駅として設置された。開業時からの因美線にあるような木造駅舎だったが、20年前に現在の形となった

2年前の驚き

前回は備中神代からバスで当駅までやって来た。もし列車での到着だったら、かなり印象は異なっていたと思うが、ワゴン車の新見市営バスであらかじめ坂根駅での下車を告げていたため、運転手さんに「この奥に駅があるから」と停留所で降りた時の衝撃は忘れられない

今回も停留所がある国道182号まで3分ほど歩いて再現してみよう

「なんだぁ、これは」

声が出そうになった。目の前にあるのは中国自動車道。自動車専用道があるのはいいが、築堤の上を走っているので駅はのぞきこまないと見えない

中国自動車道がこの付近を通るようになったのは1978年のこと。駅が全く分からないという状況での建設によくどこからも文句が出なかったと思うが、まだまだ芸備線はこの付近でも1日に十数往復が運行されていたころである。当時は大きな心だったのか

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青春18きっぷで芸備線の未乗降駅を目指す~その3 (お弁当に救われたが消えた風景も)

市岡駅の駅舎

※訪問は2024年4月2日(動画あり。音声注意)

周辺を歩いてこそ分かること

150分も待ち時間があるので「何か」を求めて歩き始める。「何か」とは、まずは清涼飲料の自販機そして、できれば食料。ローカル線の各駅訪問をしていると前者については何とかなるものだが、後者については、ほぼあきらめである。岡山駅のコンビニで菓子パンを2つ買っておいた。ペットボトルの水は半分ほど残っているが、150分もあると何かと不安である

もっとも何のあてもなく歩いたわけではなく、とても便利なグーグル先生のストリートビューで予習はしておいた

駅からすぐのところにあったのは市岡簡易郵便局。規模や形態は違えど、駅付近に郵便局はかなりの確率である。都会で暮らしていると気付かないが、郵便局というのは全国各地を支える存在だと、こういう時に感じる

さらに歩くと

踏切にある案内。駅も郵便局も市岡だが、現在の住居表示に市岡という地名はないようだ。駅の所在地は新見市哲西町上神代となっているが、阿弥陀堂の名前も市岡。この向こうが元々の市岡の地域なのか。もうひとつの「ヱ」は「え」と読むのだろうが、ちょっと全体の読みは分からない。せっかく郵便局があったのだから、もろもろ聞いておけば良かったと後悔している

さらに進むと酒蔵があった。私は無知だったが「三光正宗」(さんこうまさむね)という有名なお酒。同社のホームページによると、明治時代に哲西から米国に移民した創業者の宮田重五郎という方がイチゴ農園で成功。10年後に帰国して日本酒造りを始めたという。名前は三光山に由来し、酒造メーカーにもかかわらず社標にイチゴが入っているのはイチゴ農園の体験に基づく。車なら地酒の1本も買っていくのだが残念

そして駅からブラブラ歩くこと15分

到着したのは「郷趣膳 水上」さん。周辺では貴重な店舗でコンビニというか、古風な言い方をするとよろずやというか。ここでは弁当も売っていて尋ねると残りが1つだけあるとか。時間は14時になろうとしていた。超ラッキー。惣菜が入っている容器に暖かいご飯を入れてくれるスタイルで600円。ついでにビールとペットボトルのお茶も購入(内容については許可済み)

買い物ついでに周辺の話も聞く。随分人が減ったという話から、出没しては何かをかすめとっていくサルの知恵が働き過ぎて困るという話まで。食料も手に入って有意義な時間だった

駅の待合室でお昼とした。食べ終わったころには駅に到着してから1時間以上が経過していた。天候にも恵まれ、歩いてこそ分かることが多くて良かった

消えた「国鉄」の文字

お腹も満たされ駅を細部まで見ることにする

まず大きな変化があった。これは到着時にすぐ分かったことだが

駅に隣接する元商店と思われる民家から「国鉄旅行連絡所」の看板が消えていた

こちらが2年前の写真。社会人1年目まで国鉄を利用していた私も国鉄旅行の連絡所がどのような役割を果たしていたのか分からないが、これでこの看板が残るのは私が知る限り同じ芸備線の道後山駅のみ(ていっても2年以上訪れていないので現状は不明)となった。また福塩線の道上駅には今年1月の時点で残っていることを確認している

市岡駅が開設された際の記念碑が残されている

裏には駅の設置に功績があった人の名前が記されているが

宮田重五郎さんとは前述した三光正宗を起こした方だ。駅に戻って会社概要を調べていただけに、すぐ分かった。名前に反応できる分、あらためて訪問した甲斐があったと感じた

新見行きがやって来た。1区間だけの旅で坂根駅に向かおう

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青春18きっぷで芸備線の未乗降駅を目指す~その2 (150分どう過ごす?)

市岡駅の駅舎

※訪問は2024年4月2日

戦後生まれの棒状駅

超満員の乗客を乗せた列車は備後落合に向けて去っていった。市岡駅は国道182号に沿った住宅街に設置された駅でレールの上まで宅地が並んでいる。単式ホームなのは、ある意味当然だが、この駅については最初から棒状ホームだったようだ

芸備線の全歴史を振り返り始めると文字数が足りないので当駅にだけついて説明すると、広島~備後庄原は芸備鉄道という私鉄が敷設し、備後庄原~備中神代は国鉄として建設された。全通は1936年(昭和11)で翌年、芸備鉄道も買収されて全線が国鉄となった。まだ戦時買収ではないが、措置としてはそれに近い。備中神代側からは1930年に矢神まで敷設されたが当時の途中駅は坂根のみ。市岡駅の誕生は1953年で備後落合~備中神代では内名と並ぶ戦後生まれの駅である。だから両隣の駅へは比較的近い

立派な駅舎を持つ。それまでも開業時からの木造駅舎があったが、2000年(平成12)に「市岡ふれあいセンター」という建物となった。森林事業によるもので美しい木をふんだんに使用している。左半分は駐輪場。右側には立派なお手洗いもある

思い出す昨年5月の北海道

と駅の紹介をしたところで、この後どうするかである。まず時刻表を見よう

1日3往復の備後落合~東城とは、やや異なり岡山県側の備中神代(事実上は新見)~東城はもう少し本数がある。平日は1日5・5往復(早朝の新見発備後落合行きは当駅を通過する)。その「もう少し」を利用しようとやって来たわけだが、私は13時19分で到着。この後、お隣の坂根で乗下車すべく折り返しの新見行きに乗るのだが、それは15時49分発で、ちょうど2時間半待ち。まぁまぁ、というか、かなり長い。2時間半といえば、新大阪から新幹線に乗ると東京まで着いてしまう

150分の待機といえば、昨年5月の北海道での秩父別駅を思い出す。あの時は160分の待機だったが

秩父別駅から徒歩10分もかからないとところに道の駅があり、もちろん食事もでき、入らなかったが入浴施設があった。駅の近くにはセイコーマートもあって、意外と時間は早く過ぎたが、市岡駅近くには何もない。清涼飲料の自販機もない。ここ旧哲西町(平成の大合併で現在は新見市)にも道の駅はあるが、それは矢神駅より、さらに東城寄りにあって歩くと1時間以上はありそうで、次の乗車は矢神になってしまう

その付近までは1日2往復の路線バスがあり、2年前はこれを利用して矢神駅まで行き、今回乗車した芸備線に先回りしたが、今回はもちろん12時38分の「最終」は出発した後。こうなると付近の散策しかなく

私にある知識は2年前に坂根から歩いた記憶

①坂根から市岡までは緩やかな上り坂で徒歩30分ほど。国道沿いなので道には迷わない

②道中、商店はなく自販機もない

③車の交通量は多いが、人とは全く出会わず、会ったのは民家のワンちゃんだけで随分怒られた

である。③はともかくとして(笑)、坂根方面に向かっても何もないことは分かっている上

地図を見ると矢神の方に歩いていけば、施設や店舗もあるようだ。幸いなことにこの時間帯で気温20度で晴れという、歩くと汗をかきそうな絶好の気候。時間だけはいっぱいあるので歩を進めることとした

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青春18きっぷで芸備線の未乗降駅を目指す~その1  (大混雑の1日1本)

市岡駅の駅名標

※訪問は2024年4月2日

姫路駅の立ち食いそばからスタート

岡山から新見経由で芸備線を目指す。お決まりのコースといえばお決まりである。というか、午前中の芸備線列車は新見に前泊しない限り物理的に乗れない。となると備後落合で3つの列車がそろう1日1本の新見発12時58分しかない(平日のみ運行の新見発7時3分は岡山から伯備線の始発に乗れば間に合うが)

姫路駅ホームの駅そばを朝食として

相生から岡山まで1区間は新幹線ワープ。かつてのスター列車は今、こだま専用車両として余生を過ごしている。相生~姫路は山陽新幹線で最も1駅間距離が長く新幹線の1区間特例(自由席だと安く乗車できる。2区間の場合もあり)の恩恵を最も受けられる区間である

なんてエラそうなことを書いているが、何のことない、またもやと言うべきか時刻表を微妙に読み間違え、相生ダッシュを経て在来線で岡山まで行ったのでは新見発の芸備線に間に合わないことに途中で気付いたからだ。まぁ新幹線課金さえすれば、すぐに解決することなので問題ない

伯備線ホームに行くと特急「やくも」が出発の時を迎えていた

国鉄特急はカウントダウン。大変な人気だが、昨年パノラマグリーンも堪能した。後発の伯備線普通に乗車する

旅の理由

今回の旅の理由は「芸備線の未乗降駅で乗降すること」。ちょっとややこしいが「訪問済みだが列車利用したことのない駅で乗降する」のが目的だ。対象は1日3往復で知られる新見~備後落合の2駅

2年前の3月にもこの区間の全駅訪問は行っているが、その時の行程は

岡山→(やくも)→生山→(伯備線普通)→備中神代→コミュニティバス→坂根→(コミュニティバス)→市岡→(路線バス)→矢神→(芸備線)→内名→(芸備線)→布原→(芸備線)→野馳→(芸備線)→新見

で初日を終え、新見で宿泊。翌朝から主に東城以降の広島県の駅訪問となった

なお、わざわざ生山まで行って折り返したのは備中神代からのコミュニティバスの乗継ぎが新見からの伯備線普通と同時刻となっているため、(当時はあった)駅舎の写真すら撮る時間がないと判断してバス発車1時間前に備中神代に着くようにしたためである。また布原と備中神代は伯備線の駅だが、布原は芸備線列車しか停車しないため、芸備線扱いとした

つまり初日の行程では

坂根駅 バスで訪問して徒歩で去る

市岡駅 徒歩で訪問してバスで去る

となっていて乗降はない。駅に列車が停車する場面を見たのは車窓からのみ。今回はその2駅の「空白」を埋めるのが目的である

アナウンスとともに立ち上がる乗客

岡山からやくもではなく普通に乗車したのは、お金を節約するのも目的だが、接続を考えると、あまり意味がないから。見送ったやくもは11時13分発で新見着は12時15分。普通は11時24分発で新見着は12時55分。新見駅で3分という芸術的な接続で芸備線の事実上の1日1本に乗せてくれる18きっぱーのための列車なのだ。悪天候による遅延の場合は私も確実に芸備線に乗るため特急利用したかもしれないが、この日は快晴で天気予報でも新見は最高気温20度超えが予想されていて何の問題もない。伯備線の普通は順調に進んでいく。車内には明らかに同業者(鉄道ファン)と思える人の姿もチラホラいたが、平日だったため、それほど混んではなくて余裕である

ところが新見のひとつ手前の石蟹で、なかなか出発しない。間もなく車内アナウンスで「伯備線遅延で行き違い列車を待つためしばらく停車します」

いやいや、ちょっと待ってくれ。この1日1本に接続しないと私は何のために来たんだ、と焦る。3分の乗り換えなんて、もう無理だろうと思っていめと、しばらく経って再びアナウンス。「芸備線の備後落合行きはこの列車の到着を待って出発します」

確実に車内に広がる安堵の空気。もちろん私もその一人なのだが、新見に近づき「芸備線は地下道を通って1番線からの発車です。ご利用の方はお急ぎください」のアナウンスがあると、何人かが立ち上がりドア付近に立つ。私も含め同業者の正体がバレた瞬間である(笑)。3両編成だったので、私の想像以上にいるようだ。もっとも鉄道に興味もない人は何も思わないだろうが

ダッシュの列。もちろん私もその一人。とにかく多くの青春18きっぱーは奈落の底に落ちずに済んだのである

単行のキハ120は凄い人だった。この列車には昨年9月の週末にも乗車したが、18きっぷのシーズンでもないのに座席はすべて埋まっていた。都会の朝のラッシュ時のような混雑ぶり。今週末は今春の18きっぷ最後の週末となる。新見から備後落合までの約1時間半を座りたい方は、特急利用するか岡山発9時56分のもう一本早い普通の利用をおすすめする。いずれにせよ車窓を楽しむのはかなり早い時間から待機しないと無理だと思われる

ただ当の私はといえば、市岡までは20分なので、それほど苦にはならない

満員の列車から降りたのは私と高校生1人。当駅に停車する列車を外から初めて見た。ちょっと感慨はあるが、実は大変なのはこれからなのである

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完了2年がかりの呉線全駅訪問~たった5年で休止→復活→拡張→移転の歴史

川原石駅の駅名標

※訪問は2024年1月9日

輸送力強化の駅

川原石に到着。ご覧の通りホームは極めて狭い

列車が去った後の構内を見ると

狭いホームが向き合っている。前記事、前々記事と輸送力強化のための「新駅」を紹介してきたが、当駅もそのひとつ。ただ異なるのは新駅ではなく移転した駅だということ

川原石駅は1935年(昭和10)の開業。海田市~呉は1903年(明治36)に開業していたが、三原まで全通した際に呉~吉浦間に設置された。ただし、それはまさに設置というもので地元の要望に応えた駅のホームは1両分しかなく、当時導入が開始されたガソリンカーという単行列車のためのものだった

その後、戦時色が強まっていくにつれ燃料の節約でガソリンカーは廃止。川原石駅も列車が止まることができなくなったので1940年に休止される。戦後もしばらく放置状態だったが、戦後13年も経過した1958年に復活。ただし1両分のホームというわけにはいかないので、初代駅のすぐ近くに6両分のホームを設けて新たな川原石駅とした

しかし現在の感覚だと信じられないかもしれないが客車中心の当時の鉄道事情では、6両以下という編成は少数派で、それ以上の編成列車は当駅を通過していた。1968年10月の時刻表(復刻版)を見ると、広島行きの列車は5時39分が始発で次が8時35分。もう通勤通学の時間は終わろうとしている。昼間はほぼすべての列車が停車しているが、夕方になるとまた通過だらけで広島から呉への列車は15時51分の次が5時間以上も空けて21時31分。かなりの残業か一杯やってからでないとホームに降りることはできない時間である

つまり旅客が多い朝夕ラッシュ時は必然的に長い車両となるので停車することができない困った駅だったのだ。それでも呉までは、わずか1・2キロの距離だったので地元住民は呉駅を利用していたと思われる

しかし、そんな川原石もJR移管の際にようやくホームが拡張され、すべての普通列車が停車するようになった

複線化対応のため移転

次に転機が訪れたのは呉線の輸送力強化。新設の水尻駅、復活のかるが浜駅とともに単式ホームの川原石駅でも列車交換(すれ違い)ができるようにしようということになったが、住宅密集地に設置された単式ホームは交換設備を設ける余裕がないということで500メートル広島側へと移設することになった。それが現在の川原石駅

私が降りたのは呉方面ホーム。ホームはそれぞれ独立していて駅舎はない

向かいのホームへは公道を通るよう案内されている。呉線内では須波駅と同じ構造だが、こちらは当初から駅舎はない

広島方面の入口も狭い場所に器用に造られている

ホームからは工場が一望

現在のホームからは工場群がよく見える。この付近では軍事機密を守るということで1937年に車窓からの景色を見えなくする目隠し板が設置され、広島から呉方面へと向かうと吉浦あたりから車掌や憲兵が窓を閉めるよう指示を与えたという。右手前の建物は、おそらく「敵から目立ちやすい」との理由で黒く塗装され直されたものが、そのまま残っていると思われる

さて今回の心残りは旧駅跡を訪問できなかったこと。たった500メートルの距離だが、30分ほどの滞在時間で住宅密集地の小路を迷うことなく行って、今はホームもない駅の跡地を確認して戻ってこられるかどうか不安だったので断念したのだが

帰宅後に調べると開業記念碑がある。これはちょっと後悔

駅のすぐ近くにある建物は呉市立港町小学校。昭和30年代に全国でこぞって建てられ、私が子供のころは神戸市内でもいくつか円筒型校舎が見られたものだが、いつの間に姿を消した。こちらの校舎も建て替えの話が出ているそうだ

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完了2年がかりの呉線全駅訪問~32年ぶりに復活した海水浴場最寄り駅

かるが浜駅の駅名標

※訪問は2024年1月9日

ひらがな駅に到着

かるが浜駅に到着。ご覧の通り、すべてではないが、ひらがな駅

開業は1999年(平成11)の2月7日で、前記事の水尻駅と同日。天応~吉浦の間に設置された。写真で分かる通り、島式ホームで交換(すれ違い)可能。ということは、設置の理由は水尻と全く同じで海田市~呉の輸送力強化、列車本数を増やすため

ただし水尻が全くの新規開業駅だったのに対し、かるが浜は復活駅というのが多少事情が異なる点だ。復活といっても、かつては仮停車場で正式な駅ではなかった。また夏季のみの臨時停車場でもあった

元々は漢字の駅名

「元祖かるが浜駅」ともいえる狩留賀停車場は1928年(昭和3)に設置された。海水浴客対象で夏のみの臨時営業

狩留賀一帯は呉線によって発展した。それまでは、ほとんど住む人がいなかったが、呉線開業によって注目が集まり、大正期に海水浴場が開業。その頃はマイカーというものはほとんどなく、多くの人は吉浦駅を利用していたと思われるが(かるが浜~吉浦は現在も1・2キロしかない)、せめて海水浴のシーズンだけは、との要望で開業

当時の全国の流行りは海水浴+別荘のセット販売モデル。昭和初期で、まだまだ平和を楽しむ余裕があったころで、狩留賀一帯も別荘地として発展していくが、そのような時期は長く続かず、軍事工場の工員用の寄宿舎ができ、戦時中は海水浴場も軍関係の施設に利用されるようになって海水浴場用の臨時駅は本来の目的を失う

戦後は一帯が進駐軍(英連邦軍)の接収対象となり、臨時駅が復活したのは接収解除の1952年。以降、1967年まで続いたが利用者減により終了した。つまり、2度の復活を遂げた駅ということになる

駅名はひらがなが採用された。当時ひらがなの駅が流行ったのもあるが、広島県内では芸備線に狩留家駅(芸備線のIC乗車北限として知られる)があり、読みは同じで1文字違いなので、そちらへの配慮もあったと思われる

ホームからは海を望むことができる。臨時駅の廃止後にあった新線付け替えによって線路は高台を走ることになった

駅舎というものはなく、入口に券売機が置かれ

盛土下の入口からホームに入る。簡易型の自動改札機が置かれている

海水浴場は今も現役

駅から間もなくのところに海水浴場は今も現役である

正月明けの訪問で砂浜を訪れる人はもちろんほぼいないが、新駅(復活駅)誕生直前に海水浴以外でも楽しめる「ロマンチックビーチかるが」に改造されている。前記事で紹介した水尻とともに平成の新駅はいずれも海水浴場最寄りの駅である

こちらは公園内の地図。駅からは徒歩2、3分と至近

ただし地図そして交差点、さらには駅前のバス停も使用されているのは漢字の「狩留賀」である

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