北海道&東日本パス

不通区間の津軽線28・8キロを訪ねる~最果ての管理駅の現在

※訪問は2025年7月10日

中小国駅から約1時間

三厩駅へと到着。中小国駅からわんタクで約1時間の道程だった

駅前では朝の7時すぎに蟹田から今別まで乗車した代行バスが「休憩中」。このバスは8時2分に当駅に到着し、同7分に三厩体育館まで行って終着となる。ここまで戻って待機なのだろう。17時40分に三厩体育館を出て当駅経由で蟹田に向かうので長い休憩である

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聖徳太子がいなければ

三厩駅は平成の大合併まで存在した三厩村に基づく。「厩」とは、なかなか難しい文字だが、馬小屋で生を受けたという聖徳太子の「厩戸皇子」という名前を学校で習った方なら、触れた経験のある文字だ(ただし書け、と言われても書けないが)

村の名前も馬に基づく。当地には平泉で亡くなったとされる源義経が当地で3頭の馬を得て北海道へと逃げたという伝説があり、地名となった

当駅は今別町から外ヶ浜町に入ってすぐ(外ヶ浜町は飛び地となっているので、正確には1度外ヶ浜町から出て再び入る形となる)の場所にあるが、観光案内図でも義経ゆかりの場所が記され、義経が北海道に渡った伝説についても解説がある

かつては有人駅

三厩駅は1958年(昭和33)の開業。蟹田から延伸された終着駅となった

代行バスが三厩体育館まで行くのは、その付近が三厩の中心部だからだと思われる。駅自体は海から徒歩で10分ほどの高台にある

三厩駅が有名となった理由のひとつとして有人駅だったことが挙げられる。信号システムが遅れたおかげで、1日5本しかやって来ない駅にもかかわらず駅員さんがいたばかりか、今別、津軽浜名の3駅を管理し駅長もいた。映像や写真で積雪の中、駅業務に従事する職員の様子が紹介されていた

2019年に無人駅となったが、有人駅だった面影はまだ残る

龍飛埼への観光拠点としての役割も担い、駅舎内のこのイラストも駅が紹介される度に登場していた

ホームへと入る。錆びたレールはこの先で終わっている。以前と大きく様変わりしたのは、この部分で後述する

ホームとレールは今別駅と同じ光景。ずっと島式ホームだったが、2019年の無人化の際に片方だけの使用となった。ここに列車が来ることはもうない

2019年の思い出

三厩駅に来るのは6年ぶり。前回は2019年の8月終わりだった

この日のことは今もよく覚えていて、前夜は仙台に宿泊。仙台から東北新幹線で奥津軽いまべつで下車して津軽二股から津軽線に乗車。三厩駅へと赴いた。津軽二股から青春18きっぷを利用することにしたので、津軽線の車掌さんにサインをもらった。三厩駅は訪問の2カ月前に無人化されていたためで、2度とできない思い出となった

車内は18きっぱー専用列車のようになっていてホームは同業者(鉄道ファン)であふれていた

使い古されたサボが印象的

現在の錆びたレールと行き止まりの草むらを前掲したが、この時はポイントがあり、その先にスノーシェッドに守られた車庫が残っていた。無人化に伴い、ポイントも車庫もこの後撤去されることになる

駅でずっと一人

この時は、列車がすぐ折り返すということで滞在時間わずかで同業者とともにゾロゾロと再び列車に乗り込み青森方面へと戻ったが、今日は30分ほど時間がある。ただ6年前と決定的に異なるのは、当時は人であふれていた駅が、今回はやって来たのも1人、駅から出発したのも1人だったということ。つまり私がこの日、この時間帯にたまたま訪問しなければ、誰も来る人はいなかったということになる。「たまたま来た私1人だけ」のフレーズは過去何度も書いてきたが、鉄道ファンにも人気だったこの地で同じ体験をするとは思ってもいなかった

ホームから駅舎を眺める。宿泊もあった大きな駅舎だ

駅舎内の手作り観光新聞そして

駅ノート。訪問時は私1人だったが、間隔を空けずに次々と書き込みがある。駅を訪れた人の熱い思いが伝わってくる内容だった

お手洗いを借りた時に繰り返し書かれている「マムシ注意」の文字が気になって、草むら部分に入ることはできなかったが、前回がわずかな滞在で終わっただけに充実の時間だった

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不通区間の津軽線28・8キロを訪ねる~わんタクでの各駅訪問

※訪問は2025年7月10日

代行バスを昼間に補完

中小国駅の代行バス停留所。今別駅でも紹介したが、代行バスに加え「わんタク」の時刻表がある。ここから三厩駅へと向かうのだが、ここからは、そのわんタクを利用する。時刻表で分かるように現状では朝夕しかない代行バスを昼間に補完する形となっている

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路線バスと同じだが予約がおすすめ

わんタクは蟹田駅と龍飛埼灯台を結んでいる。代行バスは津軽線の代行なので三厩までしか行かない(正式には三厩のひとつ先の三厩体育館まで)が、こちらは観光名所の灯台まで運んでくれる。鉄オタ視点からだと青函トンネル記念館も通る。料金は1回の乗車につき500円だが、三厩までならJRのきっぷや定期券を持っていれば乗車できる。もちろん青春18きっぷや今回私が利用した北海道&東日本パスも有効。三厩までのJRの乗車券を所持しているが、その先は持っていない場合は追加料金300円

注意すべきは「定時便」「フリー便」の2種類があること。前者は写真にある時刻表通りに運行される1日4往復で、いわば路線バス。そして後者は、いわゆるデマンド型。パンフレット等では観光でも利用できると記されているので地元住民でなくても利用できそうだが、そちらについては最初から調べてもないので前者に絞って説明する

定時便は路線バスと同じなので停留所で待っていれば乗せてくれる。ただ運行はワゴン車なので時期や季節によっては乗り切れないこともあるので、その点は留意する必要がある

私も過去、各地のコミュニティに随分乗車し、ワゴン車タイプもかなり乗ったが、満員で乗り切れなかった記憶はない。ただわんタクについては龍飛埼という有数の観光地に向かうため混み合うこともあるため、事前予約がおすすめだ。わんタクのHPに予約用の電話番号とWEB予約ページがあるため、こちらが便利。私はWEB予約を行った(ただし電話予約は当日も可能だがWEB予約は前日まで)。予約が多い場合は追加のバスを用意してくれる

予約作業は極めて簡単だ。私の訪問時はどの車両もすいていて結果的には停留所で待っていても乗れたが、現地で聞いた話だと予約が多くて現実に追加のワゴンが用意されることもあるそうなので予約を推奨したい

そもそも予約しておけば、確実に乗れる。私は体験したことがないが、地方のバス路線では、いつも同じ人ばかりが乗っているので一見さんが停留所に立っていてもスルーされてしまうこともあるとか。また、この中小国駅は道路の片側にしか停留所の立っていない、これもよくある不安なパターンだが、予約しておけば停留所にいても向かいにいても運転手さんの方で探してくれる

片側しかない停留所の場合、平素は停留所の向かいに立って「お~い」と手を振るのだが、この日ばかりは停留所に立っていた。やって来たバスは向かいで停まってくれた。あとは乗車時に名前を告げれば良い。すでにきっぷを持っている場合は、そのむねを告げ、ない場合は降車時に支払う。交通ICも利用可能

停留所が多い分、他の利用も

わんタクはルート上では、どこでも乗降可能となっている。乗車については予約が必要だが、降車については運転手さんが分かるように伝えれば大丈夫。私が乗車した時のこと。これはフリー降車ではなく一般の停留所だったが、降車ボタンが押された際は気にもとめていなかったが、降車したのは明らかな同業者(鉄道ファン)。目的は明白で、おそらく新中小国信号場を見に行ったのだろう

徒歩だと20分。わんタクで降りると、ほぼ目の前である(代行バスの停留所にもなっている)。なるほど、と感心してしまった

またわんタクは代行バスに比べて停留所の数が若干多いが、私が興味を持ったのは

車窓から見えた青函トンネル入口広場。文字通り青函トンネルの入口が眺められる場所となっていて、出入りする新幹線や貨物列車を見ていられる子どもにも人気のスポットだという

2027年の津軽線廃線後の代行バスやわんタクの形やJRとの関係性はまだ未定だが、少なくともそれまでならフリーきっぷで乗ることができるので、代行バスと合わせてぜひ利用したいアイテムである

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不通区間の津軽線28・8キロを訪ねる~レールはピカピカそれでも旅客列車は来ない

※訪問は2025年7月10日

ワゴン車の代行バスで

今別駅前の代行バス&わんタクの停留所。わんタクについては後ほど触れるとして、私が今から乗車するのは代行バスの2便。8時13分発である。時刻表に記されているのは主にJRの駅だが、実際は他の停留所があるため、もっと細かく停まる

代行バスがやって来た。蟹田から今別までは大型バスだったが、この便はワゴン車。ただし2台での運行である

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農地の中にたたずむ駅

約30分で中小国駅に到着。幹線である県道から少し奥まった場所にある。バスの停留所は県道上にあるため少しだけ歩く。正面奥に踏切が見える。その左手の黄色い建物が駅の施設だろう

踏切手前の左側に駅があるが、1度渡ってみる。ここから先は農業用の道路らしく狭くなっていて、私がいる間も軽トラックの出入りを見かけた

振り返ると単式ホームの棒状駅が見えた。県道近くには多くの民家があるが、駅そのものは農地の中にポツンとたたずんでいる

JR東日本、JR北海道両社の駅

中小国駅の開業は1958年(昭和33)。前記事で紹介した今別駅と同じく、津軽線が蟹田~三厩で延伸、全線開業となった際に設置された。当初から現在の姿。周辺も当時から何があったというわけではないが、青函トンネルの開通によって鉄道ファンなら知らない人はいないほど有名な駅となった

青函トンネルを経て青森県へと入ってきた海峡線は、中小国駅の少し北側にある新中小国信号場で津軽線と合流する。信号場はJR北海道の管轄だが、そこに駅はないため信号場と中小国駅の間は津軽線と海峡線の重複区間とし、津軽線の起点駅を中小国駅とした。つまり中小国駅はJR東日本とJR北海道の共同使用駅となっている。共同使用駅や境界駅というと立派なターミナル駅を想像しがちだが、中小国駅については全く異なる。というのは中小国駅には北海道新幹線の開業以前からJR北海道の列車が停車することは一度もなく、停車はお隣の蟹田駅。蟹田駅の記事でも記したが乗務員の交代も蟹田で行われていた

ただそんな帳簿上の起点駅、共同使用駅だからこそ鉄道ファンは注目する。「中小国」は読めそうで読めない意外な難読駅だが、読めない鉄オタはまずいない。津軽線内では三厩、津軽二股と並ぶ青春18きっぷによる「必訪問駅」となっていた

ホームへはスロープで出入りする。雑草はきれいに刈り取られている

ホーム上に待合所があり、奥に部屋がある

当駅にも室内には時刻表がそのままだ

蟹田から新中小国信号場までは電化区間だが、電化は海峡線用のため当駅に停車するのは気動車のみだった

今別駅と中小国駅はともに旅客列車はやって来ない。ただレールはピカピカの「現役」であることが決定的に異なる。今も本州と北海道を結ぶ貨物列車が定期的に走るためだ。蟹田~当駅にかけては線路も生きているため、津軽線も当駅まで運行することは可能だが、利用者数からも、わざわざ折り返し設備を設ける必要はないと判断され、JR東日本は2027年春での廃駅を決めた。貨物列車の運行は続くため、あくまで帳簿上だが、津軽線は新中小国信号場が「終点」となる。JR北海道については正式な意思表明はないが、JR東日本を受けて信号場が「起点」になるのではないかと言われている

一度も旅客列車が停まらなかった起点駅。今はピカピカのレールで終焉の時を待っている

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不通区間の津軽線28・8キロを訪ねる~急速に自然に還る様子を目の当たりに

※訪問は2025年7月10日

何度も確認を繰り返し

津軽線の代行バスはすでに駅前に待機していた。後で分かったことだが、この大きなバスは利用者の多い時間帯仕様だ。青森から乗車して蟹田に到着したのが6時58分。代行バスの出発が7時8分なので接続時間は10分しかない。写真を撮っているうちに、すぐ出発の時間がやってくるので余裕はなかった。このバスは6時4分に三厩駅を出て蟹田駅に6時58分に到着する。つまりバスの到着時の様子を私は見られていない。蟹田駅から電車に乗ろうとするお客さん、特に高校生の数を見ると、このバスで蟹田駅まで向かう利用者はそれなりにいると思われる。ただ私が乗車したのは、時間帯的には逆向きなので乗客は私を含め5人だった

乗車時に北海道&東日本パスを提示しすると降車場所を尋ねられる。「今別駅」と答えると「奥津軽いまべつ?」「いや今別です」「新幹線の駅ではなくて?」「いや、単に今別。奥津軽いまべつではありません」という確認と念押しのやりとりがあって出発。それは無理のないことで、朝の7時の代行バスというのはお客さんもなじみの顔が多いだろうから、見たことのない旅人らしき人間に行先を今別と言われても運転手さんが疑問に感じるのは当然だ

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改修工事を終えたばかり

代行バスは北へと向かう。車で津軽半島を走ったことはないため、車窓には興味津々だ。途中、中小国信号所の付近を通る。道路から少し離れていて間近で様子を見るわけにはいかないが、架線の規模で雰囲気は分かる。新幹線駅の奥津軽いまべつ(在来線の津軽二股でもある)も過ぎて約40分。あっという間に今別駅に到着した

駅前から去っていくバスを見送る。車窓で分かったが、駅近くに来ると街に入る。このあたりが今別町の中心地なのだろう

振り返ると

今別駅の駅舎。まだ朝のム8時前だが、駅周辺からは家に出入りする人の姿と声がする。少なくとも農地の真ん中にある駅ではない。もっとも「駅の利用者」は私だけだが

駅舎に入ると、中はきれいにされている。イスの座布団が北国らしい。よく見るとエアコン完備だ。まだ朝の8時前で、この日はそれほど暑くはなかったため、冷房の出番ではなかったが、冬場も北国でよく見かけるストーブとは異なり、エアコンを使用するのだろう。駅舎は2017年に改修されたばかり

当時すでに無人化されていたので駅舎そのものの管理は町が行っていると思われる

駅舎内には豪雨被害以前からの時刻表が設置されている。あくまでも休止扱いなので、そのままなのだろう。鉄道が動いていないことを知らずにこの駅にやって来る人は、まずいないのもある

こちらはホームに向かう待合部分。奥にはきれいなお手洗いがある。ホームへ行こうとしたらドアは施錠されていて焦ったが、駅舎の外から入れるようになっていた

表現する言葉が見当たらない

スロープからホームに入る方式の単式ホーム。開業は1958年(昭和33)で蟹田~三厩が開業した際に設置された

ホームに出ると、そこにあるのは錆びたレールと、そこに覆いかぶさんばかりに成長している草木。ホームの雑草は定期的に刈り取られているようだが、そのコントラストが大きすぎる

同じ角度を駅舎寄りから。「51」と記されたキロポストが印象的だ

開業時は島式ホームですれ違いのできる構造だった面影が残る

こちらは逆方向。正式には、まだ現役の線路だが草むらの中に埋もれていく錆びたレールに現役感はない

こちらはホーム側から見た駅舎

駅舎の表側と駅舎内とは異なり、使用されることのなくなったホーム側は、どちらかというと放置状態だ

冬場は雪に覆われる駅周辺。それだからこそ、夏になると、ここぞとばかりに草木は急成長するのか。自然に還る速度を痛感した訪問だった

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不通区間の津軽線28・8キロを訪ねる~代行バス1日3本に一瞬驚く

※訪問は2025年7月10日

旧蟹田町の代表駅

あらためて蟹田駅(写真は12時前のもの)

旧蟹田町の代表駅で平成の大合併で外ヶ浜町となった

こちらは駅前の案内図。外ヶ浜町は今別町を挟んで三厩地区が飛び地となっている。津軽半島は他にも五所川原市、中泊町と平成の大合併で3つの自治体が飛び地になった。外ヶ浜町の町役場は旧蟹田町役場。津軽線では唯一の特急停車駅となった蟹田駅が中心駅となったのは自然な流れだった

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時の流れを感じる

後から出てくるが、津軽線に乗車したのは2019年が最後。その時は蟹田駅には降り立っていない。蟹田駅で降りたのは、まだ特急「白鳥」が走っていたころ。つまり北海道新幹線の開業前で、その時は今はなき津軽今別駅(現在は奥津軽いまべつという新幹線の駅になっている)で降りて津軽二股駅との乗り換えを楽しんだ。蟹田まで行けば特急が1時間に1本やって来るので青森までのアクセスは容易だった

現在の駅舎は東北新幹線が新青森まで延伸された2010年にリニューアルされたもの。まだ海峡線からの特急があった時代で、JR北海道によって函館から運行されてきた特急は当駅でJR東日本の乗務員への交代を行っていた

そのころは管理駅で、現在もみどりの窓口が残るが、窓口の開いている時間は限られる業務委託駅となっている

真新しい駅舎内は今もあまり変わらないが

時刻表からは優等列車が消え、三厩方面については運休中の案内とともに時刻表が隠されている。時の流れを感じる。朝夕にいくつかの運行があり、昼間は運行本数が少なくなる典型的なローカル線のダイヤだ。ちなみに隠されている三厩方面については鉄道時代は1日5往復という超閑散路線だった

三厩方面に線路が伸びるが、ここから先は列車では行けない。正確に言うと、列車は先にも進むが、それはすべて貨物列車で、旅客列車の運行が行われることはもうない。いろいろな意味で時の流れを感じる

それでも朝の蟹田駅はにぎわいを見せる。私が乗車してきた電車は折り返し7時9分発の青森行きとなるため、駅には家族に送ってもらった高校生がひっきりなしにやってくる

これはローカル線ではなく山陽本線のような幹線でも地方に行けば、おなじみの光景だ

代行バスで先に行きたいが

さて私の本来の目的はここからだ

運休中の蟹田~三厩については代行バスが運行されているが、最初に運行本数を見てがく然とした。何と1日3往復しかないのだ(日によっては下りが2本増える)。もともと1日5往復という路線だったので、そう多くはないと予想していたが、調べてビックリ。しかも運行は朝と夕方にあるだけ。蟹田からだと7時7分が始発で、次は16時20分までない。これでは訪問も何もないではないか

一瞬あきらめかけたが、さらに調べると

乗合タクシーの「わんタク」というものがある。一見デマンドの地元住民向け乗合タクシーに思えるが、定時便とそうでないものがあり、定時便については路線バスとほぼ同じ扱いのようだ

代行バスの空白時間帯を埋めるように運行されていて、こちらはJRのきっぷも有効。青春18きっぷや今回の北海道&東日本パスでも乗れるようだ。これでかなり安心。というか計画は随分立てやすくなった

ということで始発電車と連絡している代行バスで蟹田を出発である

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不通区間の津軽線28・8キロを訪ねる~早朝の青森から蟹田へ

※訪問は2025年7月10日

北海道&東日本パスでの青森から

7月10日のまだ朝6時前

まだ人もまばらな青森駅。昨年も東京からてくてく普通を乗り継いで青森までやって来たが、今年もそれとほぼ同じ行動をとっている。7月8日の早朝に東京を出て一ノ関、青森で宿泊した。今回は昨年とは異なり、ここ青森から津軽線に乗車する

巨大ターミナル駅だった青森は、もちろん今も県庁所在地青森の代表駅で要衝駅のひとつだが、新幹線が新青森発着となったことや青函連絡船の終焉、東北本線の三セク転換で優等列車が行き交う駅ではなくなっている。新たな駅ビルが建てられ、駅舎そのものは華やかになったが、改札は随分こじんまりとなった

これから6時16分発と表示された津軽線に乗車する

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ローカル線から幹線扱い再びローカル線へ

有名路線ではあるが、簡単に概略に触れておこう

津軽線は青森駅から津軽半島を北上し三厩へと至る55・8キロの路線。戦前から計画はあったが、実際に工事が始まったのは戦後になってから。1951年(昭和26)に蟹田までが開業。7年後の1958年に三厩まで全線開業した

しばらくは難読で難漢字の三厩の最果て感が鉄道ファンに愛されるローカル線だったが、事態が一変したのが青函トンネルの開通。トンネルを走り北海道と結ぶ海峡線の列車が津軽線を通ることになり、急激に脚光を浴びることとなった。1988年のこと。青森から海峡線の分岐となる中小国までが電化され、優等列車や貨物列車が行き交う華やかな路線となった。ただ海峡線の列車が来ない中小国~三厩は非電化のまま。分岐となる中小国には海峡線の列車は停車しないので、現実的には青森~蟹田に電車が入り、蟹田以北が非電化という形になり、蟹田は距離的にも青森から27キロと津軽線のちょうど真ん中あたりに位置するため、特急停車駅にもなって華やかさが増した蟹田を挟んで幹線扱いの区間と昔ながらのローカル線が共存する路線となった

だが転機は再びやって来る。2016年に北海道新幹線が開業すると青函トンネルを走る旅客列車は新幹線のみとなり、津軽線は貨物列車こそ走るものの、再び優等列車の走らないローカル線へと戻った。そして2022年8月に豪雨被害が発生。大きな被害を受けた非電化区間は、以降鉄道としての運行ができないまま今日に至る。現在は休止扱いだが、2027年春をもって鉄道としての津軽線は終わることになっている

今回は、休止区間28・8キロの駅訪問である

蟹田まで約40分

青森駅の駅名標はJR東日本ではおなじみの分岐型。油川に向かうのが津軽線だが、利用は新幹線の駅でもある新青森へと向かう奥羽本線が圧倒的に多いのは自明

側線に留置されている特急やリゾート列車に混じってホームのある線路の奥にこれから乗車する津軽線の始発電車で停車している

蟹田行きは、北東北ではおなじみの701型の2両編成

車内はこんな様子。結果的に私を含め5人の旅客で出発した

夏の穏やかな陸奥湾に沿って走る電車は

約40分で終着駅の蟹田に到着である

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2024年の降り鉄を振り返る(後編)

やってみたかった旅を決行

7月の1日から東京へ

一度やってみたかった「適当に旅をして飽きたらヤメ。現地でホテルを探す」旅を決行

品川駅を出発して常磐線、東北本線、IGRいわて銀河鉄道、青い森鉄道と乗り継いで青森まで。乗り鉄の方にとってはなんてことない作業でしょうが、とにかく1時間同じ乗り物に乗ると飽きてしまう体質の私にとっては大変なこと

東日本大震災前に足繁く通っていた時期もあるJヴィレッジに新設されたJヴィレッジ駅に降り立った時は感無量

青森まで到達した時は、それなりの感慨がありました

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この時に感じたのは都内のホテルのお値段。コロナ前にも都内のホテルの容量と価格に随分と悩まされましたが、東京五輪のおかげで容量は増えたものの、価格はさらに上がっている気がしました。そのおかげで7月以降、東京には一切立ち寄らず。来年に東京まで行く用事ができたため、早々に予約サイトをのぞいたところ、さらにめまいがするような料金になっていました。地元にいると気付かないものですが、大阪のホテル事情もなかなかのもののようです

7月の旅では、県庁所在地を避けて宿泊するという作戦が奏功し、かなりお安く宿泊することができました

帰って間もなく四国バースデーきっぷを利用。四国へはいつも旧交を温める目的が多いのですが、今回もその一環。以前から行きたかった伊予鉄の松前(まさき)駅は良かった

今年も宗谷本線がストップ

7月中旬以降、あまりの酷暑に青春18きっぷの連続使用記録ストップかと思っていたのですが、9月上旬に長野に行く用事ができたため購入して8月上旬に中央西線の各駅訪問。青空フリーパスからなぜか外れている3駅の訪問もこちらで消化できました

以降は猛暑で昨年に続き8月はどこにも出かけず、最終週に昨年に続いて北海道へ。昨年は大変な目に遭いましたからね。今年は昨年と違って無事に抜海駅から乗車…となったのですが、今度はそこから先が豪雨ということで先に行かない

抜海駅の撮影会となりました。その後はJR北海道が仕立ててくれたタクシーで名寄駅まで1時間半のタクシー旅という芸能人のような凄い体験(タクシー料金も見たことのない数字でした)。毎年ちょっとあり得ない体験をさせてくれる宗谷本線ですが、事実として残ったのは雄信内や南幌延という来春廃駅予定の駅へ行けなかったこと

特急「大雪」とのお別れをできたことだけが救い

考えてみれば去年も今年も何日間か北海道にいたその日だけピンポイントで宗谷本線が止まりました。前後は良いお天気。北海道旅の予定は1カ月以上前に組んでしまうのでさすがにどんな天候かまでは分からないのですが、この縁のなさはある意味凄い。実は10月の航空券タイムセールというのがあり、ラストチャンスにかけてみるか、と一瞬脳裏を横切りましたがやめておきました

そして6日間予定していた旅の台風進路がまずい、仕事に行けなくなると4日に短縮して慌てて帰ったのですが、過去に体験したことのないノロノロ台風は結果的には神戸・大阪はもちろん、北海道もほとんど影響なく本州の真ん中あたりで消滅するという、何のために日程を詰めたのか分からない結果となりました

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大糸線の全駅訪問

9月以降は行動が鈍っています

18きっぷの残りで、まだ紹介していない大糸線の各駅訪問そして紹介済みの大糸線増便バスに乗車しました

これまでは普通の景色だった南小谷駅での特急「あずさ」が見られなくなるとは、この時予想もしていませんでした。「とりあえず目の前にいるから撮っておくか」が鉄道にとっては大切なんだと痛感。3月まで現地訪問の予定はないので、これが最後の勇姿となりました

こちらもまだ紹介していませんが、10月は秋の乗り放題パスで大糸線の未回収駅の訪問。9月と同じく増便バスも利用して糸魚川経由で帰ってきました

こちらはすでに紹介しましたが、大糸線の非電化区間最初の駅である中土駅へ再訪。やはり良い駅です

10月後半は飯田線。つい先日まで記事をアップしていましたが、リニア駅の最寄りになるとされる元善光寺駅。リニア開業の際はどのような表情になっているのでしょうか

そして小和田駅。記事でも書きましたが、動物はもちろんのこと、昆虫やは虫類が苦手な方は冬場の訪問を強くおすすめします

11、12月はこちらは記事展開中の三岐鉄道の北勢線と三岐線の訪問。三岐線については、まだ全駅行けていないというか、あえて残している部分もあります。とにかく両線ともおもしろいのです

そして「新生18きっぷ」の旅は2本前の記事でも紹介した通り

自身にとって、来年の降り鉄のテーマは18きっぷの裁き方となっています

皆さんの2024年はどのように年でしたか。そして来るべき2025年が良い年でありますように

今年も1年ありがとうございました

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2024年の降り鉄を振り返る(前編)

仕事を始めて行動規模縮小

2024年も間もなく終わろうとしています。今年は年明けから少し仕事を始めたおかげで行動規模はやや縮小することになりました。それでも各地でいろいろな思い出を得ることができました。そこで駆け足ではありますが、今日そして明日で今年を振り返っていきたいと思います

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恒例の18きっぷ消化から

年明けは青春18きっぷの消化すら始まりました。毎年というか季節ごとにそうなのですが、18きっぷの最終日に向けてドタバタと旅を始めます。1月9、10日で広島県へ。呉駅で呉線の全駅訪問を完了させた後に三原で宿泊

翌日は福塩南線の全駅訪問を行いました。最後は久しぶりの高木駅。前回もそうだったのですが、自撮りに慣れていないとうまく撮れません。それなりに利用者のある駅ですから、電車の出発時間前になると人が集まってくる。「このオッサン何してんの?」と思われたでしょうね

2月はそう大きな動きはありません。滋賀県で食べた近江ちゃんぽん。チェーン展開しているこのお店が神戸駅にも出店していることを、かなり暑くなってから知りました。そろそろ行かなければ、と思っています

雪また雪

3月は新潟空港からスタート。まだ利用していなかった空港で、JALのタイムセールでチケットを確保。ただ地方空港あるあるで、飛行機が到着すると、空港バスが接続よくやって来るので本当に写真を撮るだけでした。この旅はある意味、2024年を決定づける旅になりまして

新潟市内は全くなかった雪が長岡あたりから猛烈に

宿泊した十日町は少し雪が積もっているな、という感じでしたが、翌日に新幹線全駅訪問の最後となった飯山を訪れた時は、目の前で雪がどんどん積もっていく姿を目の当たりにしました。北陸新幹線の敦賀延伸を目前に控え、暫定的にでも絶対に全駅訪問を達成しようという私的には価値ある訪問だったのですが、とにかく雪の印象が強すぎました

長野に移動すると雪はすっかり姿を消していてひと安心したのもつかの間、松本へと向かうと姨捨あたりから、また銀世界に。記事でも紹介しましたが、積雪の境目がこのあたりにあることが分かって興味深かったです

ということで松本では久しぶりの3月の大雪に遭遇して、たまたま手頃な電車があったからと雪の大糸線に乗車したことが今年を運命付けました。今年は何かと長野に通う1年になったのは、この日がきっかけ

帰って間もなくJR東日本のたびキュンパスを利用して

ガーラ湯沢を初訪問。3月半ばでこれだけの雪があることを地元では喜んでいらっしゃいました。新幹線のパワーというのは凄まじく

熊谷、宇都宮、那須塩原、新白河と寄り道したにもかかわらず当日の15時すぎには一ノ関に到着。平泉駅に立ち寄って一ノ関に宿泊した翌日からは18きっぷの登板。気仙沼からのBRT経由で仙台に到着。こちらもタイムセールで用意した飛行機で帰ってきました

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やはり18きっぷは広島

4月の声を聞いて18きっぷ消化は芸備線。過去に行ったことはあるが乗降ともにしたことのない駅に行ってみようと市岡駅へと坂根駅へ。市岡で2時間待ちとなりましたが、徒歩10分ほどの商店でお弁当がひとつだけ残っていて美味しくいただくなどして時間を潰せました。実は仕事がひとつ舞い込んできてスマホでのエクセル操作にかなり悪戦苦闘したことが時間つぶしの大きな要因でした

三次に宿泊して翌日は福塩線で未訪問の吉舎駅と河佐駅へ。朝から吉舎駅に行ったのはいいが、次の河佐への列車まで何と7時間の待機

安芸高田市の三江線代行バスで旧式敷駅へ訪問するなどして時間をつぶしました。前日の記事に書いたばかりですが、やはり広島県は18きっぷでした

今年一番印象に残った駅

帰宅してから行ったのは阪神電車の廃線跡巡り。阪神のしかも神戸市内に廃線があるなんて一般的にはほとんど知られていないと思いますが、50年以上前に線路の付け替えで廃線となった線路跡は今もくっきり残っています

4月は九州へ。延岡~宗太郎の1日1・5往復区間の全駅を無事に訪問。その後訪れた

立石駅。今は設備を持て余すほどの大きな駅。ひとつの役割を終えた駅というのは大好きなんですが、2024年では最も印象に残る駅となりました。そういえば阪和線の紀伊中ノ島駅の駅舎解体が話題になっているようですが、この後どうなるのでしょう

寒さに震えた北海道

5月の最終週は北海道へ。無事に予定していた行動を終えることができたのですが、とにかく連日寒かった。気温の10度台はそうでもないのですが、連日の風が強くて強くて。昨年の同時期にも北海道を訪れましたが、寒いと感じたことは一度もなかっただけに、ちょっと甘く見ていました。1日2・5往復の川端駅。周辺は意外と大きな集落で、レストランでお昼まで食べられたのは望外でした。道路交通のちょっとした要衝なんですね

6月はわたらせ渓谷鉄道そして宇都宮ライトレールに乗車

念願のひとつだった群馬県の「神戸駅」に行くことができて良かった。足尾駅周辺にサルさんがいっぱいいるとは知りませんでした

6月終わりは「青空フリーパスの券面に書かれた駅で唯一行ったこともなくて、どんな所かも知らない」木曽平沢駅を訪問。奈良井とある意味セットになっていることを知りました

列車遅延の関係で初めて降りることとなった倉本駅が素晴らしかった

かつて各地の登山駅で見られた山の情報板まで残っていて、これが後の中央西線の全駅訪問にもつながりました。大糸線と中央本線そして飯田線。今年の後半は長野県ばかりでした

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宿もとらずに鈍行に揺られ飽きたら終わりの北海道&東日本パス旅~その23(帰宅と旅のまとめ)

花巻空港から伊丹行きに搭乗

※訪問は2024年7月6日

別の経路も模索

花巻空港駅と空港を結ぶ路線バス。前記事で記した通り、盛岡からの空港バスが必ず花巻空港駅に立ち寄るようになったもので、空港までは10分もかからない。料金は320円。花巻空港HPによると花巻空港駅からタクシーに乗車すると1400円がめどらしいので4人旅だったら一人あたりの料金はさほど変わらない。空港バスは発着に合わせて運行されているので、JRとの接続はさほど考慮されているわけではないので空港でゆっくりしたい人ならタクシーもおすすめかもしれない

花巻空港はJRの各駅からさほど遠くはないので、いざバスに乗れなくてもそれほどお金をかけずにタクシーでたどり着ける利便性がある

ちなみに最も近い駅は釜石線で花巻と新花巻の間にある似内(にたない)で

ターミナルビルが移動したおかげで花巻空港駅より空港に近い駅となった。徒歩約30分。ただし無人駅で快速通過駅。花巻駅からだと9時49分発の次は14時40分と5時間ほど運行がない状況だ。もちろんバス路線はない。花巻空港駅で1度降りながら、わざわざ似内駅まで行って歩くと企画を思いついた。15時35分発の飛行機は似内駅を降りて50分後の離陸。道路は複雑そうではなく、おそらく間に合うはずだが、さすがに朝の時点の暑さで中止を決めた。駅から離陸まで2時間ほどあれば決行していたかもしれない…いや、さすがに暑さには勝てなかったと思う。列車には乗ったものの、おじけづいて次の新花巻まで行ってタクシー1800円という世界になっていたと予想する

東京行きの便はなし

花巻空港は「いわて花巻空港」の愛称が付けられている岩手県唯一の空港。開港は1964年(昭和39)。元々は東京便のための空港だったが、1982年に東北新幹線が開業。85年に上野~大宮が開業(それまでは大宮~盛岡の暫定営業だった)すると羽田行きはなくなった。大阪、神戸、札幌、福岡、名古屋と台湾行きの国際便がある

天候、経費は◎、体力、知力は×

花巻空港はこじんまりしていて利用は楽。バスの到着は出発の約40分前で、そのまま保安検査場に向かったが、検査場をくぐると売店がなく土産は買えず。もし今後利用される方がいれば留意してほしい

ということで無事に旅を終えられたわけだが、簡単に振り返りを

まず経費面。早めにタイムセールで航空券を買っていたこともあって

伊丹~羽田 8410円

花巻~伊丹 1万240円

北海道&東日本パス 1万1330円

後は空港まで、空港からのバス、電車代で合わせて3万2000円ほどグリーン利用も新幹線利用もこらえたので6日間の旅としては交通費は安く抑えられた。鉄道運賃については、そもそも盛岡~青森の三セクだけで5590円なので単純往復するだけで、ほぼ元をとれる。多くの駅で途中下車し、例によって戻ってまた進むを何度も行ったので、三セク利用の2日間だけで大幅に回収できている。東京まで戻らず東北から直帰という道程も、どうせ東京から大阪への旅費が発生するのだから、東北での滞在時間を増やせて正解だった

次いでホテルは

東京 9000円

いわき 5700円

北上  5500円

青森  6800円

盛岡  6300円

5泊で3万3300円。初日の東京が鬼門だったが、東京のホテルだけはおそろしく早めに確保して何とか1万円切り。ここからホテルそのものや予約サイト、携帯電話のポイントを使用したため実際は3万円で済んでいる。時期的にも7月1日からと、まだオフシーズンだったことも良かったようだ。同じホテルに1カ月後に泊まるともっと高かったはずだ。ということで経費面は合格(1日の食費も夜のビール代も含め東京以外は5000円以内で抑えている)

オフシーズンといえば、天候的に東北はまだ涼しかったことも幸いした。あまり触れなかったが、最初の5日間は小雨に何度も見舞われ、折りたたみ傘はすぐ取り出せるようにしなければならない状態だったが、トシをとると炎天下よりは全然マシだ。最終日の6日になって東北地方にもようやく本格的な夏到来となったようで、ギリギリ通り抜けたようで幸運だった

ただ問題はここから。目の前に来た列車に乗り、降りたいと思った駅で降り、宿もその日の到達点で適当に決めるという、ある意味会社員時代に憧れていた旅だったが、トシというのはどうも隠しようがない。記事にしたものもあったが、駅での時刻表の見誤りも何度かやらかしている。事前に時刻をチェック。駅に着いたら駅舎に張られている時刻表で再確認しながら上りと下りを間違うとか、トシのせいとしか言いようがない。ホテルを決めた瞬間に疲れが出て、まだまだ明るい夕方の4時にチェックインということもあった

きっぷの特性上や地域性で訪問時期は暑い時か寒い時に限られる。ということは1年後に再びチャレンジ、ということになるのだが、その時まで何とか体力と知力をキープしたいものである

道中かなり省略しながらも23回もかかってしまった旅の報告。長らくお付き合いくださり、ありがとうございました

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宿もとらずに鈍行に揺られ飽きたら終わりの北海道&東日本パス旅~その22(古風すぎる空港駅)

花巻空港駅の改札

※訪問は2024年7月6日

最初から決めていた道程

一昨年秋以来出会った釜石駅前の「鉄と魚とラグビーの街」の文字を見て花巻に戻る。滞在はわずか30分ほど

みどりの窓口も設置されている釜石駅だが、列車の本数はわずかにこれだけ。快速を除くと1日に8本の列車しかないため、限られた時間内で途中駅ウロウロというのはなかなか困難。本当は陸中大橋駅ぐらいは行きたかったが、今回はやむを得ない。花巻へと戻る

花巻駅で何か食べるのもありだったが、猛烈に暑くて食欲も出ない。売店でサンドイッチを買って、これが本日の昼食である。旅を始めてから連日のようにテレビで報じられていた東京の暑さが、北の地にもやって来たようで、この日の最高気温は30度を軽く超えるという。今日は帰る日なので、ある意味助かった

まだ時間があるため東北本線をちょっとウロウロして

花巻空港駅に到着。こちらについては5月に航空券を購入した時から決まっていた道程だった。まだ利用したことのない花巻空港へ空港アクセス駅から向かおう

ちょっと違和感の「空港アクセス駅」

花巻のお隣の花巻空港駅

複数パターンの駅名標が出迎えをしてくれる

空港アクセス駅だけあって、なかなか彩り鮮やか

だが駅舎を眺めると

実にクラシックな駅舎のお出迎え。空港アクセス駅というと近代的なコンクリート製を思い浮かべてしまう。近年、鉄道で空港にそのままアクセスが流行りとなったので、その印象がより強いが、こちらは開業時の1932年(昭和7)からの木造駅舎

駅はこの春から無人化され、券売機も撤去。ICリーダーだけが設置されている。戦前に空港駅があったのかも含め、違和感はある

違和感を解くカギは駅前ロータリーの石碑にある

「二枚橋駅開設50周年」とある

その隣には「花巻空港駅開業60周年」の石碑が並んでいる

駅の所在地は「花巻市二枚橋」。石碑で分かる通り、元々は二枚橋という駅だった

改名25年で本当のアクセス駅に

駅前のタクシー会社も二枚橋タクシー

大正期に設置された信号場が昇格した。もちろん当時、花巻空港はない。空港の開港は1964年。駅名にも変化はなかったが、JRとなった1988年に転機が訪れる。空港への近さから空港アクセス駅のような駅名へと改名されたのだ

とはいえ空港までの距離は2キロ。そして路線バスはあることはあったが本数は少なかった。2キロといえば徒歩30分ぐらいだが、空港へ手ぶらで向かう人はあまりいない。スマホで調べることなどできなかった時代。知らずに降りた人はタクシーで向かうしか手段はなかった。さらにその後、空港ターミナルビルが駅から遠い方に移転して距離約4キロとなった

駅舎内の地図には「距離4キロ 徒歩40分」とあるが

なかなか40分ではたどり着かないようだ。空港へは盛岡駅または花巻駅からの路線バスがアクセス手段とされ、単なるタクシー乗り場だった時代が長らく続いた(とはいえ、現行のタクシー料金も花巻空港HPによると花巻駅から1900円、花巻空港駅から1400円とそう大きくは変わらない)

転機が訪れたのは2013年のこと。花巻駅~空港のバス路線が廃止され、代わりに盛岡~空港のバスが当駅を通ることになった。現行の花巻空港への路線バスは当該便と北上駅からの2路線のみ。ただし後者の運行本数は多くはなく、また盛岡駅~空港のバス運賃が1500円なのに対して花巻空港駅~空港は320円と安く利用者の財布にも優しい。改名25年で本当の意味での空港アクセス駅となったのだ

私も多くの乗客とともに空港へ移動。無事、伊丹空港行きの飛行機で帰ることができた

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