私鉄

グリーンきっぷの2日間~在来線特急乗り継いで500キロ

スーパーはくとのグリーン指定券

2月21日17時50分

3時間20分の旅

倉吉から3時間20分ほど。終点の京都に到着です。3時間超えは長いといえば長いですが、あっという間に感じました。私鉄の有料特急にもいえることですが在来線特急というのは、都会部分を走る時、多くの人がホームに並んでいる中を悠然とやり過ごすエグゼクティブ感がたまらない。そんな車窓を眺めていると、すぐでした。新幹線にはその感覚は生まれませんから

特にスーパーはくとは姫路~京都間では追加料金なしの電車では凶暴ともいえるスピードを持つ新快速が15分間隔で運行される、その合間をぬって走るので気動車としては驚くべき速さです。当初は電化計画があり、智頭急行側はやる気満々だったそうですが、因美線の電化がJR西日本の予算不足によって実現されず気動車になった経緯があります

姫路を過ぎると車窓からもホームも人の姿が増えていきます。西明石からは複々線ですが、姫路から西明石までは単なる複線。この間は貨物列車も走るし、普通(明石以東は快速になります)も走る。遅延が起きた時、確かに有料特急の存在はじゃまなのかもしれません

ちなみにJR西日本のフリーきっぷは、フリー区間に智頭急行が含まれているものがほとんど。今回のきっぷもそうでした

同一ホームでサンダーバードを待つ

京都に到着。スーパーはくと完乗のミッションは終了しました

有名な0番線ホーム。各地に存在する0番線は切り欠きなことが多いのですが京都駅は違います。そのまま出発できる。案内表示にある18時9分のサンダーバードに乗車します。米子から一気に当日中に金沢まで行くなんて、なかなか強引な移動ですがきっぷの有効期間が2日間しかないのと、この日のうちに金沢まで行かないと翌日の重要ミッションに影響が出るため、この日のうちに移動です

今回の移動で最も乗り継ぎがタイトだったのは、ここで20分しかない。朝の雪で伯備線も数分の遅れが出ていてヒヤヒヤしていましたが無事乗り継げそう

すぐに次の電車が来る(サンダーバードの前に草津線直通が入る)ので慌ただしく作業が行われます

その間、ちょっと外の空気を吸いに行く

寒い。車内でウトウトしていた目が一瞬で覚めました

写真ではよく分からないかもしれませんが雪が舞っています。日が長くなってきたなぁ、なんて感じる余裕はなくすぐ構内に戻る

サンダーバードの入線。おそらく前身の雷鳥時代から何百回も乗っていますが京都から乗車したのは初めてです

そもそも在来線特急同士の乗り換えをした記憶がほとんどない。JR四国で宇和島方面から岡山へと行く際に「宇和海」と「うずしお」を乗り換えたことはあります。四国で働いていた時は高松から同様に「いしづち」「宇和海」を何度も乗り換えました。高知で「南風」と「あしずり」を乗り換えたこともあります。ただこれは予讃線、土讃線という同一路線によるもので、全く赤の他人の路線の乗り換えをしたのはいつ以来なのか全く思い出せません

座席は念願のこの席。念願も何も座席確保の時点で1人席はここしか空いていませんでした。グリーン車って繁忙期以外はそんなに混んでないイメージですが、サンダーバードのグリーンはいつもお客さんでいっぱいの印象です。何か特別な気分に浸れる席です

金沢到着は20時13分。倉吉から520キロの鉄道移動でした。米子からだと570キロ。東京~新大阪より長い距離を移動したことになります。朝の新神戸~岡山~米子を入れると今日は一体どのぐらい乗ったのでしょう…もう計算しません(笑)

それよりも心配なのは、金沢に近づくと夜の車窓からも分かったしんしんと降る雪。明日は少しは暖かくなってほしいと祈るのみです

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グリーンきっぷの2日間~スーパーはくとが京都始発の理由

スーパーはくとのグリーン券

2月21日14時

スーパーはくとのグリーンに初乗車

倉吉駅に戻ってきました

ラーメンを食べたばかりなのに駅弁を購入(笑)

まぁ、食べられますよ。朝の6時の朝食以降は何も食べていなかったのですから。順調に行けば、この後は夜の8時過ぎまで何も食べられません

肉系かカニ系か迷ったのですが、肉系としました

少しだけ時間を戻すと

14時24分発のスーパーはくとに乗るべく改札へ。常時駅員さんがいるステンレス改札は減少する一方なので貴重な鉄道風景になりつつあります

ホームでは既にスーパーはくとがスタンバイ

山陰本線内は倉吉~鳥取間しか走らない上、途中の停車はないので地上ホームとしてはここだけでしか見られない光景です

発車まで10分以上ありますが、さすが始発駅(上り下りの概念だと終着駅)。もう乗れるようです

スーパーはくとのグリーン車は初めて乗ります。入口が格好いい。原則5両編成でグリーンは4号車の半分。スーパーはくとにもパノラマカーはありますが、グリーンは対象となっていません。両端の指定席か自由席がパノラマカーの可能性あり。可能性としたのは私が乗車したのは写真のように貫通式なので、この場合はパノラマにはならないからです

座席は1対2。在来線グリーン車で見る形

グリーンの網棚は飛行機のような開閉式で、細かい部分でこだわりを感じる。なお普通車も含めて電源コンセントあり。後からの設置ですがニーズに対応しています

非電化も高速運転

鳥取から因美線に入り、智頭から智頭急行に乗り入れ。山陽本線の上郡で再びJRの線路に戻り、後は山陽本線と東海道本線をひた走ります

姫路で山陽新幹線と接続するダイヤとなっていて名古屋、東京へスムーズに行けます。もちろん新大阪、京都にも新幹線乗り換えが多少速いですが、乗り換えの面倒と運賃を考えると、ほとんどのお客さんはそのまま乗車すると思われます(ここは重要な点)

智頭急行については改めて取り上げたいと思いますが、元々は国鉄智頭線として計画され工事も始まっていながら、国鉄の経営悪化によって凍結されていた路線が第三セクターとして1994年に開通したものです。特筆すべきはほぼ高架の高規格路線となっていること。鳥取自動車道の全通は2013年で約20年後ですが、自動車専用道に先駆け最高時速130キロという気動車最速の高速運転を実現したことでバスに優位性を逆転されることはありません。好調な路線です

智頭急行の登場は影響が大きく、山陽新幹線+伯備線のルートで近畿圏から米子へのコースが新たにできたのとは対照的に同じ県内の鳥取は速達性という意味で取り残されていたのですが、京都~鳥取間は山陰本線の特急に比べ1時間近くも短縮されました。その後、岡山から鳥取のルートにも利用され、今は特急のスーパーいなばが走ります。考えてみれば岡山と鳥取は隣県で因美線という路線があるにもかかわらず、わざわざ兵庫県経由でしかも上郡でのスイッチバックまでして特急を走らせるというのは凄いアイデアです

気になるニュース

鳥取県の山中に入ると雪景色が広がります

こちらも岡山と鳥取の県境付近、特に岡山側は豪雪地域となっていますが、お構いなしにビュンビュン走ります

そのように利便性に優れたスーパーはくとですが、気になるニュースが昨年5月から入っています。鳥取県知事が「JR西日本がスーパーはくとを姫路発にしようという提案を必ず持ち出してくる」と語ったもので、県議会の答弁ですから公式発言です

スーパーはくとには智頭急行所有の車両が使用されますが、JRは智頭急行に使用料を払っています。この金額が年間15億円で姫路発にすることによって大幅に縮小したい意向のよう。うがった見方をすれば、新幹線からの乗り継ぎにすると新幹線代ももうかると計算しているのでは?とも思ってしまいます

しかし京都からのお客さんは別として大阪や神戸の人がわざわざ新幹線乗り継ぎを選択するとは、とても思えません。新快速で姫路に向かうでしょう。ただいつも混雑している新快速に乗ってから乗り換えるぐらいならバスを選択するというのが普通の考え。好調な輸送が一転、旅客の大幅減を招くのは自明です

そもそも、なぜスーパーはくとが京都始発になっているかというと、山陰本線ルートの代替機能を担っているから。1988年3月の時刻表(復刻版)が手元にあります。既にJRに移管され、伯備線の電化も完了。城崎温泉(当時の駅名は城崎)までも電化されていますが、京都~鳥取は特急「あさしお」が1日3本、大阪~鳥取は、これは今もある特急「はまかぜ」が同じく3本運行されています。城崎止まりの特急も普通や快速での乗り継ぎが設定されていて現行のダイヤよりはるかに多い。これらが智頭急行の登場で、ほぼすべて消滅してしまったわけです。それを今さら京都、大阪からの直行はやめます、では話が成り立たない

ただスーパーはくとの京都~大阪間の利用者が少ないことは鳥取県知事も認めているようです。好調な利用者をわざわざ減らすなど論外なので、落としどころがあるとすれば、そのあたりだと思います

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JR東日本パス ファイナルを前に~秋を振り返る 三陸鉄道完乗と久慈市の思い出

10月15日17時

久慈ダッシュに遭遇

久慈へと向かう車内は混んでいて座れてはいても身をよじることなど不可能でラグビーボールのつり革を眺めることぐらいしかできませんでした

宮古から三陸鉄道の終点である久慈までは70キロとなかなかの距離。1時間50分かけて久慈へ到着。これで盛からの約160キロを完乗しました。160キロというと東海道本線の東京~清水が169キロなので、その長さが分かります

ここからは八戸線に乗り換えて本日の宿である本八戸を目指すわけですが、三陸鉄道の久慈到着が16時54分で八戸線の久慈発が17時ちょうどと接続が良すぎる。こういう時に何が起きるかというと

JR連絡口の「久慈ダッシュ」。乗ったと思ったらすぐ発車。乗車列車は当然混雑している上に、夕闇に包まれているので完乗の感慨を味わう間もありませんでした。おそらく3月に利用期間が来るファイナルも同様の混雑が予想されるので、宮古での混雑も含め、利用を予定している方は留意してほしいと思います

あまちゃん以前に訪問

さて久慈の滞在は事実上、0分になってしまいましたので少し思い出話におつきあいください。過去1度だけ久慈を訪れたことがあります。11年前の2012年4月のGW直前のこと。3月に八戸線が東日本大震災から1年を経て全面復旧したので乗りに来ました

宿泊地はもちろん久慈ですが、テレビドラマの「あまちゃん」は2013年4月からですから、まだ世間ではそれほど知られていません。私はもっと不勉強。夏の甲子園で当時から注目選手だった川上憲伸の徳島商と死闘を繰り広げたのが岩手代表の久慈商(現在は久慈東)が死闘を繰り広げたことを知っていたくらい

当時は東京で勤務していたのですが、同僚がかつて岩手で勤務していたため「海女さん」「翡翠(ひすい)」「鉄の町」「柔道」「石油備蓄基地」など、それから1年も経てばすっかり有名になっていたことを教えてくれました

東京から久慈へは二戸まで新幹線に乗車し、JRバスで向かうのがメインルート。約70分で結びます

震災からまだ1年で東北新幹線も「はやて」が多く走っていました(はやぶさは時速300キロ以上の列車)

せっかく行くのだからと

大奮発でグランクラスに初乗車

セコい私は、せっかくなんで酒をいやほど飲んでやろう、なんて思っていたのですが午前中ということもあって、たいして飲めなかったことを今でも覚えています

それでも東京から二戸まではやてのグランクラスに乗るなんて今は不可能ですから、貴重な体験です

三陸鉄道にも少し乗りました。こちらは久慈から田野畑までが復旧した直後。時間の関係で陸中野田までしか行けなかったのですが

道の駅が併設されている当駅で久慈までのきっぷを買うと

硬券だったため、感動しました

久慈の繁華街は駅を中心に形成されているようです

どう頼んだのか記憶にないのですが次から次へと魚を食べました。写真だけがいっぱい残っています

ホテルの住所が「川崎町」で、川崎製鉄の大きな工場があったことにちなんでいると知って感心しながら翌朝、駅に行き

後に「本州を走る最後の非冷房キハ40」として有名になった列車で八戸へ向かいました

車窓がとても良かったです

この時は八戸までの1時間40分をたっぷり堪能しました

さて昨秋の現実はどうかというと本八戸着は18時34分。大きな街なので夜の街に繰り出し2軒も行ってしまいました。明日は最終日。そういえばこの2日間、一度も優等列車も有料列車も乗っていませんね

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JR東日本パス ファイナルを前に~秋を振り返る 多客にじぇじぇじぇ

宮古駅の駅名標

2022年10月15日12時15分

ユニークな企画列車

釜石から宮古に向かいます

ギャラリー列車のヘッドマークが付けられています

車内には全国から寄せられた風景画を展示。10月いっぱいで1編成のみの運行だったようで幸運でした

絵で埋め尽くされています

車内にはAKB48のメンバーが2013年に訪れた際のサインも

釜石~宮古間は盛岡~宮古~釜石を結ぶJR山田線の一部区間で東日本大震災前までは宮古~久慈が北リアス線、盛~釜石が南リアス線でその間をJRの線路でつなぐ形となっていました

東日本大震災の後、8年の歳月をかけて今から乗車する釜石~宮古間が三陸鉄道として復旧しました。現在はすべてをリアス線として第三セクター最長の163キロにも及ぶ路線名となりました

東京からの「始発」と重なる

1時間半揺られて宮古に到着

まずゴルゴ13にゴミの注意をされる。「はぁ、気をつけます」と頭を下げて改札を出たころはまだ余裕だったのですが

人が散らばったタイミングで駅舎の写真を撮ったのですが、かなりのにぎわいです

宮古までの乗車列車は同業者(鉄道ファン)の姿もチラホラいましたが、ボックス席を一人で利用とはいかないまでも、余裕をもって座れていましたが、宮古から先は大変な雰囲気が漂います

乗車列車の宮古到着は13時46分。実はその直前の13時30分に盛岡から宮古に山田線の列車が到着していました。山田線はダイヤの薄い(少ない)列車で盛岡と直通する列車は1日4往復しかありません(ほぼ並行して走る特急・急行バスが1時間に1本の間隔で運行されている)。山田線の盛岡発が11時9分。その前は盛岡発6時32分なので、東京からは無理。つまり東京からやって来ようとすると11時9分が「始発」になるのです

今日は土曜。前日にBRTに乗車する際「明日は凄い人なんだろうな」と思ったことが三陸鉄道でも起きているわけです。青春18きっぷでは三陸鉄道には乗れませんが、東日本パスでは乗ることができる。週末パスでも乗ることはできません。BRTの項でも触れましたが、誰しも考えることは同じです

8年ぶりの宮古

次の久慈行きは15時5分発。13時54分発にも乗り継げたのですが、それではあまりにも余裕がないので、ここで昼食とします

宮古は駅周辺が町の中心部となっています

宮古には8年ぶり。2014年4月に北リアス線が完全復旧した時に来ました

三陸鉄道の本社建物。以前の宮古駅は三陸鉄道とJRが別の駅舎になっていて、こちらが三陸鉄道の駅舎でもあったのですが、2019年に釜石~宮古が三陸鉄道として復旧した際にJRの駅舎が共通の駅舎となり、駅の管理者もJRから三陸鉄道へとなりました

駅前にはC58の車輪とプレートが設置されています

戦時中の1944年3月に雪崩で鉄橋が崩落、貨物列車が脱線した事故を伝えるものです

渋めの食堂に入り

腹ごしらえ。駅に戻ります

管理は三陸鉄道ですが、みどりの窓口ありはあります。発券業務は三陸鉄道に委託されているはず。8年前に来た時は東京で用事があり、東京経由の大阪行きという乗車券を買ったのですが「宮古~大阪の乗車券って、どのぐらい売れるのだろう」と思ったものです

発車案内は両社ともにあります

山田線の時刻表。ある意味、壮観です

時計で分かる通り、乗車は発車5分前。なんとかギリギリ座れましたが、発車直前に乗り込んでくる方も多く、出発時は

じぇじぇじぇ~!の混雑ぶりでした

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JR東日本パス ファイナルを前に~秋を振り返る ドラマロケ地と本州最東端の駅

2022年10月15日9時20分

テレビドラマのロケ地

恋し浜のお隣の甫嶺へやってきました

列車だと真っ直ぐにトンネルを抜けていきますが、車だと海沿いを回り込む形

駅の場所は越喜来湾の奥深い場所。「おきらいわん」と読むそうです。難しいですね

盛り土の上に設けられています。恋し浜ほどの段数ではありませんが、ホームへは階段で入ります

単式1面1線。国鉄盛線時代からの駅ですが、駅の設置は1973年。この時代はすでに駅舎のない駅は普通に造られていて当初からホームのみの駅だったようです

ホームからの眺め。湾の入口に防潮堤が造られています。東日本大震災では大きな津波に襲われ、駅も盛り土が削られレールが流失する被害に見舞われました

盛り土の駅は防潮堤の役割を果たしてくれたそうです

上野樹里さん主演のドラマ「監察医 朝顔」のロケ地になっています

かつて金山があったそうで「金のしずく」の愛称が付けられています

本州最東端の駅は復活したばかり

釜石をまたいで次に訪れたのは岩手船越。山田町になります

かわいい駅舎です

甫嶺駅からは50キロ近くありました。三陸鉄道の釜石~宮古間は震災前まではJR山田線の一部でした。三陸鉄道として復旧するまで8年もの時間を要しました

駅舎はJR時代のものを使用しています

地図でも分かるように線路は海岸を伝うように敷かれているため、地形に沿って東側にせり出す形になっています。つまり

本州最東端の駅

解説文もあります

ホームへは駅舎からも駅舎の横からも入れます

駅舎内の様子

2面2線ですれ違いができる構造。ホーム同士は構内踏切で結ばれています

柱の駅名標。手書き感がいいですね

かつては貨物輸送も行われていたようで側線が残っています

かなりいい時間になってきました。釜石駅まで戻ってレンタカーを返却し、再び三陸鉄道に乗ることにします

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JR東日本パス ファイナルを前に~秋を振り返る 恋愛スポット恋し浜駅

恋し浜駅に到着した三陸鉄道の列車

2022年10月15日8時50分

恋4駅のひとつ

東日本パス2日目の午前は三陸鉄道の駅訪問。ただし今日の宿泊地は八戸でお昼過ぎには釜石を出なければならないのでレンタカー利用です。東日本パスではレンタカーの割引もあります。駅のみどりの窓口でも受付はありますが、釜石ではJRの駅レンタカーというより、隣接するトヨタレンタカーが請け負っているので、直接トヨタレンタカーに向かっても大丈夫

目指すのは恋し浜駅

仙台から八戸までは三陸沿岸道路という専用自動車道があり、車でもスイスイ着いてしまいます

こちらは大船渡市で盛の手前まで戻る形になりますが30分。三陸鉄道でも所要時間は、ほぼ同じ。盛からだと3駅目。15分もかかりません

ホームまでは、かなりの階段がありますが、スロープでも行けます

その階段脇には

ピンクのポストと自販機。駅名から想像できるように、恋愛のパワースポットとしても有名になっています

日本に「恋」が付く駅は4駅しかありません。JR北海道の母恋(室蘭市)、西武鉄道の恋ヶ窪(東京都国分寺市)、智頭急行の恋山形(鳥取県智頭町)とこちら。私も4駅目の訪問となりました

駅の開設は1985年。線路はすでに国鉄盛線として開業していましたが三陸鉄道に転換された後、トンネルとトンネルの間に新設されています

駅名の変更で話題に

元々は地名から「小石浜」という駅名でした。その後、地元で獲れるホタテが「恋し浜」というブランドだったことから、駅名変更の要望が出て2009年に現駅名になると全国から訪れる人が一気に増えました

階段を登りきると「幸せの鐘」。デザインになっているのは「恋し浜」というブランドのバラだそうです。なかなか細かい

そして有名なのは待合室にある「ホタテ絵馬」。ホタテ貝を利用しての絵馬で恋愛祈願以外にも合格祈願、勝利祈願があるようでした

こちらは平仮名のみですので駅開設時からあるもののよう。なかなか「そそる字体」です

恋し浜駅誕生時にできた歌だそうです。以前は「藍の磯辺 小石浜」という愛称でしたが「愛の磯辺 恋し浜」になっています

駅名標です。ホームからは越喜来湾が一望できます。このタイミングで列車待ちのご婦人が来て少し話を。駅は高台にあるため津波の被害は免れたものの、すぐ下に見える黄色の屋根の工場まで襲ってきたそうです

列車がやってきました。朝なので2両編成。観光用列車も定期運用に入っているのですね

ふと気付くと駅には若いカップルの姿。列車で来たのでしょうか。おじゃまかもしれないので退散することにしました

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JR東日本パス ファイナルを前に~秋を振り返る 憧れの街釜石

釜石駅の駅名標

2022年10月14日17時40分

駅から街への距離に注意

盛から約50分。釜石に到着しました。東日本パスの特徴は三陸鉄道も利用できることです。これで翌日は大変な思いをすることになるのですが、この時点では知るよしもありません。もう既に真っ暗です。駅のイルミがきれいですね

本日は釜石に宿泊します。その時は気付かなかったのですが、今こうして写真を見ると記念撮影の方がチラホラ。行程は分かりませんが、皆さん私と同様に東日本パスでここまで来たのだと思われます

釜石に来たのは初めてです。以前から1度来たいと思っていました

気仙沼もそうでしたが、釜石もJRの駅から街の中心部まではやや遠い。国鉄時代にできた駅は基本的にその形が多いので、あまり深く考えずに駅前の宿をとると夜に食事をするのも大変、ということがよくあります。鉄道というのは需要を考慮して、それなりに人口のあるところにできました。ただ既に街が形成されているところにはレールが敷けないので街外れに駅が設ける、という理屈は考えてみれば当然なんですが、今と違ってネットで事前に情報を知ることができなかった時代は駅を降りると何もなかった、という経験を私も数多くやらかしてきました

釜石の駅舎は中心部とは逆側に駅舎があり、そこから回り込むようにして川を渡り街の中心部へ向かうことになるので歩くと15分ほどかかります。ホテルもこの付近に集まっています。私はその中間点あたりに宿をとりました

ホテルに荷物を置くと夕食の時間で刺身を堪能して

最後は白ご飯までいただいて大満足でした

ラグビーの街

さてホテルに着くと

早速のお出迎え。釜石はラグビーの街でもあります

到着時は夜で分かりにくかったのですが翌朝の駅でも

並んでいました。スタジアムを造り、ラグビーW杯の会場都市になったのも記憶に新しい

私が東京で学生生活を送っていた時代が、ちょうど新日鉄釜石の日本選手権7連覇の時で毎年1月15日の成人の日に国立競技場で行われる日本選手権と、スタンドで揺れる大漁旗は風物詩でした。大学のスター選手ばかりでなく、地元出身のたたき上げの選手が赤いジャージーで躍動する姿を私もスタンドから見ていました。地元からの応援のおじさんたちもラグビーに詳しくてビックリしたものです

県民の皆さんには申し訳ないのですが、昭和の当時、私が岩手県で知っている都市となるとまず釜石を挙げていたように思います。そんな人が全国にも多かったのではないでしょうか

駅を降りると歓迎の文字にも「ラグビーの街」と刻み込まれています

もう40年近く前のことですが、そんな思い出があるだけに、ぜひ訪れてみたい町のひとつでした

三陸鉄道とJRが乗り入れ

私的な思い出話が長くなりすぎました

ようやく鉄道の話です

釜石駅にはJRの釜石線と三陸鉄道が乗り入れ

駅舎もJRと三陸鉄道が並んでいます。ホームが一体化しているのは盛駅と同じ構造。以前はJRの単独駅でしたが三陸鉄道の開業で盛と釜石がつながり、山田線の宮古~釜石間が三陸鉄道になったことで両社の駅となりました

両社の車両が並びます

こちらがJRの改札。管理駅でみどりの窓口あり。駅舎は東日本大震災の翌年に大きく改装されています

三陸鉄道の入口。三陸鉄道の開業は新日鉄釜石の7連覇のころですが40年前とほぼ同じだと思われます

三陸鉄道は窓口に発車標があるのがいい

こちらはホーム。震災前まで宮古~釜石間はJRの山田線だったこともあり、盛から当駅を経て宮古へ直通する列車は、この4番線にしか入れなくなっています(つまり当駅ではすれ違いができない)

釜石駅の開業は戦時下に入りつつあった1939年。釜石線の全通は戦後で、戦時中は釜石の鉱山と製鉄所の輸送のため貨物列車が宮古経由でフル稼働していました

朝の景色。「釜石に来た」という実感を得ることできました

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JR東日本パス ファイナルを前に~秋を振り返る BRTから三陸鉄道へ

盛駅のJR駅舎

10月14日16時30分

路線バスで100キロ

大船渡線BRTの終着、盛に到着しました。もう周囲は薄暗くなりつつあります

柳津から最初のBRTに乗車したのが11時47分。途中、気仙沼での1時間半の休憩を挟んでいますが、5時間後のBRT完乗となりました。ちなみに食事もせずにやって来たとすると15時7分の到着となります

考えてみれば約100キロの路線バスで旅したことになります

地図を眺めるとかなりの移動ですね。全国各地の路線バスはよくお世話になりますが、北海道以外で100キロも路線バスで移動したのは初めて

3月の東日本パスは青春18きっぷの季節とすっぽり重なります。どこから入ってどう出るかを決めなければなりませんが、BRTは青春18きっぷでも使用できます。うまく組み合わせると、良い旅ができると思います

三陸鉄道との結点

盛駅は大船渡線と三陸鉄道南リアス線の乗り換え駅

JRと三陸鉄道の駅舎が並んでいます

盛の駅名標。JR(BRT)は終点です

岩手開発鉄道という鉄道ファンには有名な貨物専用の鉄道会社(旅客輸送については廃止)が石灰石の輸送を担っています。私は貨物には詳しくないのですが、いわゆる「ホキ」が並んでいることは分かりました

JRと三陸鉄道の線路もつながっています。かつては釜石を目指していた国鉄盛線が現在の南リアス線の原型です。ただ国鉄時代は釜石までは、つながらず途中で終わっていました。三セク転換が決まったことで工事が再開され、1984年の南リアス線開業と同時に盛~釜石が全通しています

盛線の部分開業は1970年。3年後に釜石まで15キロの所まで進んで工事は中断。70年代に全国で見られた「赤字になりそうだけど工事が進められていた」路線のひとつで、手元に1982年の時刻表(復刻版)があるのですが、21・5キロの盲腸線だった盛線は1日わずか5往復の運行。三陸鉄道ができなければ20年にもたたずに終わった路線になっていたかもしれません

夕方なので高校生の皆さんの下校時間で駅前はにぎわいをみせていました

盛は大船渡市で最も利用者の多い駅ですが、港に近い大船渡駅があり、盛と大船渡の間がメインストリート。かつては盛のお隣の駅が大船渡で、かなり距離がありましたがBRT転換後は途中に2つの駅を設けて利便性を図っています

三陸鉄道で本日の宿泊地である釜石に向かいます

三陸鉄道といえば

のんさんのポスターが出迎えてくれました

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一度やってみたかった名松線と近鉄の乗り換え~その3

川合高岡駅の駅名標

2022年10月29日14時45分

すぐ見えています

いよいよ川合高岡に向かいます。もう今さら「いよいよ」ではないのですが、寝過ごさずに一志駅に到着したと過程すると駅舎を出ると普通に住宅街が目に入ってきます。右手が踏切となっている通りに出て左手を見ると

信号の向こうに見えてます。駅に地図がありました

一目瞭然の近さ。駅前の信号待ちに引っかからなければ徒歩3分ほどで、盛夏でも文句を言わず歩ける距離です

そして地図でも分かる通り、付近は旧一志町の中心地です。一志町の発足は戦後で、それまでは川合村、高岡村が別にあり、駅名はそれにちなんだもので、1930年11月の開設時(当時は参宮急行電鉄ですが近鉄と表記します)から変更されていません

またJR(国鉄)と私鉄というと、国鉄の方が先にできたのだろうと思われる方が多いかもしれませんが、名松線と近鉄大阪線については事情が異なります

川合高岡駅の開設時点では、まだ大阪までの線路はつながっていませんでしたが、わずか1ヶ月後の1930年12月に全線開通しています。同年には急ピッチで現在の伊勢中川~伊勢市(現在の近鉄山田線)も開業しており、大阪から直接、伊勢神宮まで行けるようになりました。12月20日の全通というのは初詣に間に合わせるためのものでしょう

これに対し名松線は名前の通り、松阪から名張を目指して同時期に工事が行われていたものの、近鉄が全通した時点ではまだ家城にも至っておらず1935年に伊勢奥津までたどり着いた時点で工事は中止。もともとは桜井から名張を経て松阪を結ぶ予定でしたが、すべて近鉄が先に線路を通してしまったため、工事を続ける意味がなくなってしまったのです

一志駅は名松線の全通後に伊勢田尻駅として設置されています。つまり川合高岡よりもかなり後。現役名となったのは一志町の発足から10年以上も経ってのことで、町の歴史を考えると代表駅は川合高岡になるのかもしれません

根性で帰阪

川合高岡はの駅舎です

名古屋から出たこの日は亀山で紀勢本線に乗り換えた後は、ずっと非電化路線ばかりに乗車していたので架線を見ると新鮮ですね

信号待ちをしていると大阪方面への電車が行ってしまいました。実は近鉄の時刻表は一切調べていません。名松線と違って本数はあるだろうと、あまり気にしていなかったのですが時刻表を見てぼう然

昼間は1時間に1本しかない。コロナ禍で30分に1本の運行が減便されていたことを知らなかった。私が逃したのは14時46分で、たまたま30分に1本のダイヤに戻るタイミングで助かりましたが、もう1時間早ければ1時間待ちのところでした

当駅は急行通過駅です。近鉄の急行は伊勢中川を出ると川合高岡、伊勢石橋、大三(おおみつ)の3駅だけを飛ばして榊原温泉口から桜井まで16駅も続けて停車するという、なかなかの運転。もっとも昼間の普通はすべて東青山止まりで東青山~青山町も急行が1時間に1本という運行です

無人駅でICリーダーはあるものの、訪問時は使えなかったので乗車票を発券。近鉄でこの機械のお世話になるとは思いませんでした

ホームは2面2線

名張行きに乗車

名張では特急に連絡しますが特急料金920円を節約して急行に乗車。当駅始発だったので確実に座れます

鶴橋着は17時12分。川合高岡から、ほぼ2時間。青春18きっぷに近い乗車でした

鶴橋で精算してJRに乗り換えました

ネット時代を実感

年明けの1月にも一志駅と川合高岡駅を歩きました。この日は松阪に宿泊して伊勢奥津まで名松線に乗車した後、一志まで戻ってきたのですが一志からの乗車が多くて驚きました。ちなみに3連休で青春18きっぷ期間でもあり、乗車客が(私を含め)ほぼ全員、同業者(鉄道ファン)だったのですが、この乗り換えが広く知られているんだなぁ、と思いました。両駅は「近い」というだけで乗り換え案内はされていません。当然ダイヤの接続も考慮されていません

名松線も本数は多くなく、川合高岡も普通のみの停車ということで、この乗り換えは知る人ぞ知るだったのですが、今はサイト検索でも普通に出てきたりします。ネット時代を感じます

さて話は戻って一志駅

窓口が閉鎖されお金の置き場だけ舌のように残る、よく見る形ですが時刻表に注目。名松線のダイヤはほぼ均等に2時間に1本。これを見て将来の名松線全駅訪問に、がぜんやる気が出てきました。普通は朝の通勤通学時間に本数を増やすもので、それを利用して各駅を回るのが効率的なのですが、その方法は使えそうにない。本数は少ないながらも一部区間はコミュニティーバスはあるのですが週末はお休み。となると青空フリーパスは使えず、と、なかなか難関が多く、これはかえってファイトがわきます。作戦を練った上で、いつかぜひ実行したいものです

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一度やってみたかった名松線と近鉄の乗り換え~その2

一志駅のホームと駅名標

2022年10月29日14時40分

一志は貴重な駅舎のある駅

伊勢八太駅から歩くこと25分。一志駅に到着しました

思うほか時間がかかったのは川合高岡駅をできるだけ見ずに進もうとした結果、小さな川を渡れず行き止まりをくらって来た道を戻ったりしたから。せっかく初めての乗り換えを味わいたいのに、その導線が先に判明するのは嫌じゃないですか

伊勢八太駅の写真はのどかな田園風景が広がっているように見えますが、駅のホームがある側は普通に住宅街。歩いているうちに近鉄の線路が迫っていることも分かる。名松線というと、いかにも秘境の山中を走るイメージがありますが、それは家城を過ぎたあたりから

地図で見るとよく分かりますが

先の記事で紹介した高茶屋駅からも近い。久居経由で津もすぐで十分な通勤通学圏です

こうして眺めるとJRと近鉄が競合関係にあるのもよく分かります。もっとも利用実態は競合というよりコールドゲームなんですが

一志は棒状駅ですが

駅舎はあります。名松線はホームと待合所のみ、という構造の駅が多いので駅舎がある駅は貴重。階段でホームに上がる形になります

高度な引っかけ問題

財産票によると駅舎は1968年と比較的新しい。コンクリートなのも分かります。ホームを約300メートル松阪方面に移動させた時に建てられたそうです。その際に駅名も伊勢田尻から一志となりました

国鉄末期に無人化されていますが荷物受け取りの跡も窓口の跡も残っています。ラッチ(改札口)はなく

よく見かけるきっぷの回収ボックスが残りますが、JR東海はきっぷも料金もきちんと回収するので出番はないと思われます

一志の駅名標。こうして見ると両隣の駅の漢字は想像つかないですね。ながめて分かったのですが、かなり高度な引っかけ問題になっていて伊勢八太は前回紹介したので分かるとして、もうひとつも、いかにも「伊勢○」という駅のように思ってしまいます

正解は「井関」なんですが、伊勢八太を知ってしまうと逆に正解は永遠に出てこないかもしれません

誰もが知る国民栄誉賞受賞者を輩出

一志というのは、かつての町名です。現在は津市となっていますが、津市になったのはまだ最近で2006年なので20年も経っていません。旧町役場も最寄りとなっていますが、両隣の伊勢八太、井関よりもかなり後に開設されていて、近鉄の川合高岡よりも後の開設です

この一志町はレスリングの吉田沙保里さんの出身地。知らない人はあまりいないでしょう

地元が紹介される時は必ず「津市出身」となって、それは間違いではないのですが、最初に五輪で金メダル獲得した時はまだ合併前で「一志町出身」。「一志町ってどこ?」と話題になりました。次の大会で連続金メダルに輝くと「津市出身」となっていたので「あれ?」と思いました

全国的な平成の大合併で多くの都市や町村が自治体としての名前から消えましたが、こういう時、地元の方は一抹の寂しさを感じるのかもしれません。駅名だけしっかり残っているのは良いことです

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