私鉄

開業50年超 日本最古のダイエーを訪ねる~その2 取り壊しは誤情報?

ダイエー曽根店のお好み焼き店

※訪問は2024年10月17日

そもそもの訪問のきっかけは

こちらは衣料品売り場。とにかく最上階を目指す

今回、20数年ぶりに当地を訪れたのは店舗取り壊しの情報が春から流れ続けていたからだ。とくにユーチューブでは訪問記が多数挙げられ、SNSでは「10月から取り壊し」に基づいた情報があふれていた

これは早めにお別れを言いにいかなければならないな、と思いつつなかなかきっかけがなく、時が流れていったが、現地を訪れたX(旧ツイッター)のフォロワーさんから「まだ大丈夫」との声をいただき、この日の訪問となった。確かに当初言われていた10月にとっくに入っているが、ダイエー曽根店のHPは何も変わらず、今週のチラシが入っている

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貴重だった駐車場は今も変わらず

当店が重宝されてきたのは駐車場の存在だ。「そんなあたりまえのことを言うな」との声が聞こえてきそうだが、私が生活のために当店を利用していた90年代、梅田から15分ほどの大都市圏で、万単位の利用者がある駅前のスーパーに駐車場は少なかった。近隣の人が徒歩や、せいぜい自転車で通うものがスーパーマーケットだった

当時、私は服部天神(そのころの駅名は服部)と庄内の間ぐらいのやや服部寄りに住んでいた。最寄りは服部で徒歩10分弱。ただ徒歩圏にスーパーがないのが悩みで、買い物はいつも駐車場のある曽根まで車で出かけていた。この景色は今も変わらない。日常的に都市部のスーパーを車利用している方なら、この光景に違和感を覚えるのではないだろうか

今も人が受付を行うアナログ式なのだ。現在は無人で機械が受付をするシステムがほとんど。この仕組みは少なくとも私の周囲にはない

お好み焼きで一息

6階にやってきた。喫茶店、中華といろいろなお店があり、どこに入るか迷ってしまう。私の記憶にある姿とほとんど変わらない。理髪店はヘアカラーのお店に姿を変えたようだが

迷った末にお好み焼き屋さんに入ることに

関西の人間らしく、お好み焼き定食。美味い

お店の方に建物の取り壊しについて尋ねてみた。と、帰ってきたのは、やや意外な答え

「ここのところ、来られるお客さんにずっと聞かれ続けているのですよ。ただわれわれは何にも聞いていないので」

どちらかというと、その質問は、もうウンザリという風情だった

ことの発端は豊中市の発表

瞬く間にダイエー曽根店取り壊しのニュースとなったのは豊中市の発表による。古い建物の耐震性の診断に当ビルも含まれていて、他の建物の多くが「耐震改修」「実施済み」とある中、当ビルについては「建替え」「令和6年10月着工予定」となっている。つまり10月から取り壊し工事が始まる、ということだ。だが、この記事を書いている時点で工事が始まったという情報は流れていない。それどころかダイエー曽根店のHPでは、おせち料理の受付まで記されている。少なくとも10月から解体工事が始まるというのは誤情報だったことになる。考えてみればお店で働く方々の処遇もあり、店舗の閉店は、それなりの告知があって行われるものだ。私もフライング発進した感はあるが、発表主が豊中市とあっては信じるのも無理はない

ただ、ことは老朽化ではなく耐震性。何らかの処置は必要だというのは想像に難くない。気になるのは

道を挟んだ向かいにスーパーの「KOHYO」が営業していること。曽根駅の高架下にあり新しい。ダイエーと同じく、こちらもイオン傘下の店舗で、こんな近い所で競合しているのは、やや不思議でもある(三宮でも隣同士で営業しているが)

考えてみれば、デパート並に「なんでもそろう」が、全盛期のダイエーの標準店舗だった。6階の飲食店街などは、ショッピングセンターのフードコートに慣れきった今の私たちにとっては、斬新な昭和の姿である

お好み焼き店は12月の予定まですっかり決まっているという。飲食街の雰囲気を味わうだけで貴重な体験だし、フロアに立つと20代、30代前半のころが蘇ってきた。必ず年内にもう一度訪れようと決めて曽根駅へと向かった

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開業50年超 日本最古のダイエーを訪ねる~その1 新入社員を迎えてくれた建物

曽根駅の駅名標

※訪問は2024年10月17日

20数年ぶりに下車

おことわり 今回の記事は10月17日時点での情報です

大阪府豊中市にある阪急宝塚本線の曽根駅で下車。以前はあたりまえのように降りていた駅だが、久しぶり。20年は軽く超えていると思う

2面4線の高架駅で規模は大きい。ただ優等列車の停車は朝の通勤通学帯の梅田行き準急のみで、基本的には普通のみ。4線のホームを持つのは待避用のためだが、昼間については待避線の出番はないダイヤとなっている

私が初めてこの駅で降り立ったのは1986年(昭和61)4月の社会人になりたて。当時は同じく2面4線ながらも地上駅で構内踏切でホームを移動する構造だった。宝塚本線内では蛍池駅も構内踏切だった(今もホームに構内踏切の跡が残っている)が、今にして思うと昼間でも10分間隔で普通と急行が上下で運行される駅で、よくもまぁ構内踏切が設けられていたなぁ、という感じがするが、当時は何も考えずに受け入れていた

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目指すは駅前のダイエー曽根店

今回の目的は駅前のダイエー曽根店訪問である。こちらのダイエーには初めて曽根駅で降りた後、10年以上にわたってお世話になった

6階建てでビル全体がダイエー。こちらも今となっては凄いことで、単なる食料品スーパーではなく、総合ショッピングセンターとなっているダイエー唯一の存在である

そもそもダイエーそのものが全国で姿を消している昨今だが、近畿圏ではまだかなりの店舗が残っていて、特に神戸市内では多くの店舗があり、商品はイオンのものばかりながら、日常的にダイエーを利用している人は多いと思う。ただしいずれもが食料品スーパーにほぼ特化したもので、曽根店のように衣料も扱っています、飲食店のテナントも入っています、というショッピングセンター形式は当店が営業を開始した1971年はダイエーでもよくある形態だったが、徐々に姿を消して今は当店のみ。神戸・三宮店も数年前にスーパー以外はすべて専門店の形式となった。さらに言うと、いつの間にか最古参のダイエーとなっている

買い物、飲食、バス待ち、床屋と用途多数

社会人生活の最初の住居は同じく宝塚本線の庄内だった。その後、服部へと転居する。梅田から見ると庄内は豊中市に入って最初の駅で、以下服部、曽根と続く。理由は当時の会社の最寄り駅が服部だったから。ただ場所は服部駅から徒歩20分と結構な距離で、そのため通勤用のバスを1時間に1本ほどの割合で走らせていた。とはいえ服部の駅前は狭く、バス乗り場は曽根に設けられていた。だから何かと曽根で降りることは多かった。バスは1時間に1本なので早めに行って、6階の飲食店街で食事をしたり、コーヒーを飲んだり。今でも覚えているが、出張から大阪空港に帰ってきて蛍池経由で曽根で降りたものの、バスは行ったばかり。参ったなぁ、と大きい荷物を持ったまま理髪店での時間つぶしとなった

1階は普通にスーパーで

途中に衣料や雑貨のコーナーはあって5階は100円ショップや文具店、眼鏡店などが入居している。私が向かうのは6階の飲食街である

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宇都宮ライトレールに初乗車~終点は路面電車のみが走る日本で唯一の自治体

芳賀・高根沢工業団地の駅名標

※訪問は2024年6月16日

恥ずかしながら初めて知った

ゆいの杜中央から10分ほどで宇都宮LRTは終点の芳賀・高根沢工業団地停留場に到着。降車したのは私を含め4人。1人は不明だが、残る3人はいずれも同業者(鉄道ファン)。近年は時刻表を持ち歩く人が少なくなったので、JRでは同業者の判別がしにくくなっているが、ここでは一目瞭然。なぜなら1日乗車券が首からぶら下げる仕組みだから

終着駅の恒例行事は車止めを撮ること。路面電車らしく終着駅といっても駅舎はなく、もちろん無人

宇都宮LRTの盛況ニュースが流れる中、この人数はあまにも少ないと思われるかもしれないが、停留所名で分かる通り、駅前には工場がドンとあって、他は農地が広がる。LRT利用者の多くは工場への通勤者で平日と週末で利用者が大きく異なる停留所となっている。LRTの路線的な性格からこのような停留所が多い

ここからは恥ずかしい話となるが、いつも通り予習をしない私は現地に来るまで沿線にこのような巨大な工場団地が広がっているとは知らなかった。もっと言うと、この終着駅は芳賀町にあるから。この停留所名を含む最後の4駅はいずれも芳賀町に所在しているが、地元の方にはまことに失礼ながら、そもそも芳賀町という自治体を存じ上げなかった。正確な路線名が「宇都宮芳賀ライトレール線」であることは知識としてあったが、2つの自治体名とは分からなかった(会社名は宇都宮ライトレール株式会社である)

日本で「唯二」そして「唯一」

平成の大合併が進行した現在、そもそも路面電車が郡部を走ることはそう多くはない。芳賀町ともうひとつは高知県のいの町と2自治体だけ。いの町はとさでんが走る。旧自治体名は伊野町で、かつてセンバツ高校野球でKK擁するPL学園を倒して優勝した伊野商業で全国に知られるようになった。ただ、いの町内はJRの土讃線が貫いていて中心駅はJRの伊野。特急停車駅である。芳賀町については、もともと町内に鉄路がなかったため、LRTの開業によって路面電車のみが走る自治体となった。つまり日本で「唯二」であり「唯一」の自治体が誕生したことになる

宇都宮LRTの全長は14・6キロ。鬼怒川を越えると蛇行するように進んでいるのは主な工業団地や施設、ニュータウンを通るため。大きなカーブも存在するが、そこは路面電車の特性が生かされている。30年以上前からあったLRT構想は工業団地の誕生で市内の渋滞が酷くなったことに起因するという。工事にあたっては専用軌道がわずか5・1キロで、他は従来の道路との併用区間で渋滞がより激しくなる、バス事業者を圧迫するとの反対意見もあったが、開業から1年で出だしは好調。9月13日には累計利用者が500万人に達した。当初の予測よりも3カ月早いという

停留所を2区間戻って芳賀町工業団地管理センター前で下車。理由は簡単で生理現象のため。路面電車の宇都宮LRTは車内はもちろん停留所にも当然お手洗いはない。この停留所は芳賀町内、町外を走るバスも集まるトランジットセンターとなっていて、タクシーのほかパーク&ライドの駐車場、駐輪場も備えられている芳賀町の交通の中心地としと整備されている。もちろんお手洗いも備わっている(各停留所のお手洗いの有無については宇都宮LRTのHPで紹介している)

宇都宮LRTは東武宇都宮駅方面へへの延伸がほぼ決まっている。現在は宇都宮駅東口のみに停留所があるが、北側から回り込むような形で在来線ホームと東北新幹線ホームの間を通す大がかりな工事が行われ、西口にも停留所が設けられる。また電圧の問題解消は分からないが、東武との乗り入れ構想もあるらしい

道路を直角に曲がって宇都宮駅の電車がやって来た。最初の宇都宮LRT体験はここで終了。小山、宇都宮は何かと来る用事が多い場所なので、駅で降りては今後も工事の進ちょくを見守りたいと思う

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宇都宮ライトレールに初乗車~車庫、本社のある停留所から鬼怒川を渡る

平石停留所の駅名標

※訪問は2024年6月16日

始終着設定も多数の2面4線構造

平石で下車。当停留所はグリーンスタジアム前と並ぶ2面4線構造。共通項は始終着電車の設定があること

ホーム間移動は構内踏切で行う。見た通り、駅舎らしきものは見当たらず周辺は農地が広がっているが、ここは路線内で2カ所しかない定期券売り場のある停留所。ひとつは私が最初に1日乗車券を購入した宇都宮駅東口にある定期券売り場で、もうひとつがこちら。農地が広がる停留所の一体どこで定期券を買えるのかとなると、ここには宇都宮LRTの本社がある

徒歩2分の場所にある本社に定期券売り場が設けられている。この地図だけではよく分からないかもしれないが、駅前の案内図だとよく分かる

平石から分岐する形で車庫への引き込み線があり、本社の所在地となっている

こちらでは、もちろん1日乗車券も購入できるが、営業は平日のみ。訪問時は日曜だったので、もちろん門扉は閉ざされていた。平日だと中まで入って車両基地に並ぶ電車を間近で撮影できたのかもしれないが、今日はここまで。1日乗車券については宇都宮駅周辺で2カ所の他に、こちらと道の駅はがの計4カ所で販売されているが、1日乗車券を購入するとすれば宇都宮駅だろう。平日のみ営業の本社でどのぐらいの売り上げがあるか興味があるところではある

専用軌道で鬼怒川を渡る

宇都宮駅東口から道路上の併用軌道を走ってきた電車は、平石の手前から専用軌道に入っている。車両基地があるのも新たに設けられた専用軌道だからこそ

路面電車に乗車していることを一瞬忘れてしまう車窓で鬼怒川を渡る。全長14・6キロの宇都宮LRTのうち専用軌道は6キロにも満たない。他区間は道路で自動車と空間を共有する併用軌道となっている。専用軌道が終わり、工業団地に入っていくと間もなく、現在J2の栃木SCのホームグラウンドである栃木グリーンスタジアムが見えてくる。前述した通り、スタジアムに隣接するグリーンスタジアム前は始終着が設定されている停留所。多数の利用者があると見込まれる日は臨時列車の発着ができるようになっている

平石あたりから農地と工業団地という風景ばかりの車窓だったが、ニュータウンであるゆいの杜付近まで来ると、再び生活感のある車窓となる

この10年で街作りが始まっていて併用軌道である道路にはスーパーや家電量販店、飲食店などロードサイド店がズラリと並んでいる

車の通行量も多い。ゆいの杜には3つの停留所があるが、宇都宮駅までの所要時間は30~40分となっている

ここから終着駅を目指す

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宇都宮ライトレールに初乗車~意外な形状の1日乗車券に驚く

宇都宮ライトレールの車体

※訪問は2024年6月16日

桐生から宇都宮へ大正から令和の移動

時系列的にはこちらの続きとなる

この日は桐生に宿泊。両毛線で小山を経由して宇都宮へ

本日はここから「宇都宮ライトレール(LRT)」に初乗車する。前日は大正元年開業という駅を回り、本日はライトレール。今さら説明する必要はないが、こちらは昨年8月の開業。110年以上の時空を越えての訪問となる

開業当初は大盛況のニュースが関西でも伝えられていたが、さすがにそろそろ落ち着いてきただろう、との予想の元での初乗車。まずは1日乗車券をとチケット売り場に行くと長蛇の列でビックリ。並んでいる人のすべてがすべて1日乗車券購入ではないようで、並んでいると人気飲食店のように職員の方が一人一人に用件を尋ねてくる。1日乗車券の旨を告げるとすぐ入手できた

3両すべてのドアからの乗降が可能

全国各地で、いろいろな鉄道会社の1日乗車券を購入してきたが、首からぶら下げる形のものは初めて。他の乗客からは一目瞭然となるため、恥ずかしがり屋の利用者もいるようで「乗車時と降車時にぶら下げてくれれば大丈夫ですから」と教えられる。もっとも私の場合は職業柄、現場では常にこういう取材証を首からぶら下げてウロウロしていたので恥ずかしさは全くない

そして宇都宮LRTは乗降時に3両編成のすべてのドアが開くことが特徴である

そしてIC乗車の場合はすべてのドアからの乗降が可能(現金の場合はホーム上の発券機で整理券を受け取り降車時は運転士のいる先頭車両の先頭扉で現金を支払う)。多客の時間帯も乗降がスムーズに行えるようになっている。ただ「ピッ」とやらない、紙製の1日乗車券はどうすればいいのだ?と思う間もなく職員の方が「首からぶら下げていただくと運転士側からのカメラでチェックできるようになっているので、すべてのドアから乗降できます」との説明があった

なお1日乗車券には餃子券付きの1300円や温泉コラボの2000円バージョンもあるが、私が購入したのは乗車券のみの1000円バージョン。詳細は宇都宮LRTのホームページで

日中と週末は12分間隔で1時間5本の運行がある。原則的には終点の「芳賀・高根沢工業団地」停留所までの運転。夜になると車庫のある「平石」停留所までの運行が増え、終電は平石行きとなる

例によって予備知識ほとんど入れずの訪問でスーッと動き始めると、まずは宇都宮の中心部。オーバークロスとなっている道路を併走する乗用車とともに、そのまま駆け上がり、そして降りる

日曜日のお昼前。立ち客も多いかなりのお客さんとともに出発したが、平石の手前である「宇都宮大学陽東キャンパス」停留所で、ファミリー客を中心に半分以上のお客さんが降りてしまった。日曜日なので大学は関係なく、こちらはショッピングセンター「ベルモール」の最寄りだった。サブ駅名はネーミングライツでベルモール前となっている

とりあえずはどこかの駅(停留所)で降りてみようということになって車庫のある平石で下車することとした

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わたらせ渓谷鐵道に初乗車~その9(最後を締めるのは素のままの木造駅舎)

上神梅駅の駅名標

※訪問は2024年6月15日

最後の訪問はもちろんこちら

トロッコ列車を大間々で降りて1駅折り返し。わ鐵訪問最後の駅となりました。ラストを締めるのはここしかないでしょう。上神梅駅。時間は17時15分だが、1年で最も日の長いこの時期はまだまだ夕刻の気配すらない

単式ホームを降りると駅舎の内側がお出迎え。これだけでもう十分すぎる

ラッチもおそらく一度も手が入っていないもの

こちらは正面からの様子

1912年(大正元年)の開業時からの駅舎がそのままの形で残る。「そのまま」と記したのは、窓枠や入口などのガラス部分にアルミ補強が一切施されていないからだ。古い木造駅舎は全国各地に残るが、アルミ補強が一切ない駅舎は、さらに絞り込まれ少数派となる。これはやむを得ないことで木造の建築物を維持するためには、ガラス部分は強度を保つためアルミで補強するしかない

ちょっと変わったところでは、2年前に訪れた松浦鉄道の蔵宿駅

こちらは駅舎内に店舗を開店させるため、扉や窓枠をアルミ補強したが、その後撤退する際に元の「木」だけの姿に戻したという、さらに珍しい例だった(その後、再び店舗が入居しているようで現状は不明)

住所は「大間々町上神梅」。町村制施行前は上神梅村と下神梅村があった。「神梅(かんばい)」の地名については諸説あるが、崖地が多い渡良瀬川沿いの地を「かんば」と言い、当て字として「神梅」が採用されたという説もある

日々の清掃のたまもの

わ鐵は大間々以北は本数が大きく減ることは以前も伝えた通りだが、ここ上神梅も大間々から1駅進んだだけで駅周辺は静寂となる

当駅は水の神様として知られ、県内一の初詣客でにぎわう貴船神社と直線距離では目と鼻の先となっているが、渡良瀬川にさえぎられ徒歩だと遠回りを余儀なくされる。駅の利用者数は1日20人ほどで神社へはみどり市の中心部からの車利用が多いようである

駅舎前から線路に沿って歩くとアスファルトの広場があり駐車場になっているが、ここはかつての貨物線跡らしい。なぜ知っているのかというと近所の方が教えてくれたからだ。駅前で写真を撮っていると「いい写真撮れましたか?」と話しかけてくれた。当駅にはいつも同業者(鐵道ファン)が来るようだ

駅舎内はきれいに清掃されていて駅前の花壇もきれいに手入れされている。近所の方々が毎朝、きれいに清掃するという。これも過去何度も書いていることだが、地方の無人駅を日々きれいに清掃する地元の方には、その度に頭が下がる思いだ

廃校となった駅近くの小学校の話など、いろいろな話を聞かせていただいた

だからこそ駅名板、入口、改札とゴミひとつ落ちていないこんな写真も撮ることができる。少し傾いたラッチが趣を高めている

駅舎そしてプラットホームはもちろん登録有形文化財となっている

足尾銅山との歴史や駅名の由来や変遷、そしてホームのレストラン、トロッコ列車。サルとの思わぬ対面もあった。短い時間ではあったが、濃度の高いわ鐵の旅だった。次回は日光を経由する行程で訪れてみたい

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わたらせ渓谷鐵道に初乗車~その8(登録有形文化財の駅舎からトロッコ列車乗車)

足尾駅のホーロー駅名板

※訪問は2024年6月15日

開業以来の駅舎

足尾駅の駅舎は開業した1912年(大正元年)以来のもの。わ鐵の駅舎の多くは三セク転換後に新たに建て直されたが、当駅はそのまま残されている。木造駅舎の駅でよく見かけるが、丸いポストが残されているのも景観を損なわないようにするためだう

駅舎は登録有形文化財となっていて、当駅ではその他にも

レンガ倉庫やプラットホームが登録有形文化財となっている

駅舎は基本的には無人。「基本的」と記したのは

営業時間が短いから。旧足尾線時代からの中心駅のはずなのになぜ、と思われるかもしれないが、それは旧足尾町の中心地はお隣の通洞駅となっているからで、足尾銅山の観光などは通洞駅が拠点となっている。もっとも厳密に言うと、この両駅間に足尾の街並みが広がっていて

両駅間はほぼ線路に道路が並行していて歩いても10分ほどの距離である

古典的な多くの駅と同じく改札と手荷物受付が並んでいる。もちろん手荷物受付は現役ではないが、木製の凝った形が往時を物語る

当駅はいろいろな賞を総なめにした映画「海街diary」のロケ地でもある。私も見たこの作品は鎌倉が舞台となっているが、足尾駅も山形県にある温泉地の駅という設定で登場するので、あらためて見る機会があれば、ぜひ見逃さないでいただきたい

トロッコ列車で大間々へ戻る

構内には貨物車の入れ替え作業に使用されていた機関車であるスイッチャーも、役割を終えて保存されている

足尾駅訪問を終えたら、ここからはトロッコ列車に乗車する

わ鐵の人気観光列車であるトロッコ列車には「わたらせ渓谷号」「わっしー号」の2種類があり、前者は機関車によるけん引式で冬季は休業、後者は自走式のディーゼル車で通年の運行。機関車の機回しが必要な渓谷号は大間々~足尾のみの運行だが、わっしー号はその必要がないので桐生~間藤の全区間で運行が可能となっている

乗車には整理券が必要で1回の乗車ごとに一律520円(子どもは半額)

整理券はわ鐵の有人主要駅や旅行会社で販売しているが、ローソン、ミニストップでも購入が可能。予約状況はわ鐵HPで公開されているが、人気列車なのでかなり埋まっている。旅の予定が決まったら、事前にコンビニで購入するかHPで購入するのがオススメ

また整理券があれば車内は自由席のわっしー号と整理券を提示して乗車時に座席指定を受けるわたらせ渓谷号の違い、季節ごとの運行本数やダイヤなど詳細は、わ鐵HPを参照していただきたい

もうひとつ重要なことは乗車券+整理券で乗車できるトロッコ列車は、群馬県内の私鉄、JRで広く利用できる「ぐんまワンデーローカルパス」では乗車できない。別途乗車券もしくはわ鐵の1日フリーパスが必要になるので留意していただきたい

美しい車窓を見ながら大間々に到着。時刻はすでに17時になろうとしているが、1年で最も日が長いこの季節はもう少し時間がある。最後にもう1駅訪問する場所が残っている

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わたらせ渓谷鐵道に初乗車~その7(静態と動態、思わぬすぎる出会い)

足尾駅の駅名標

※訪問は2024年6月15日

10年超の遭遇

間藤からひとつ戻っていよいよ足尾駅に到着

いきなり古典的なホーローそして、いつ設置されたのか考えるだけで興味をそそる「海抜六四〇米」の木板のお出迎え。開業は1912年(大正元年)。沢入駅から当駅までが延伸した際に終着駅として設置された。前記事でも紹介したが、足尾本山まで延伸されたのは2年後。これは貨物専用線だったが、途中に間藤駅が設置され、当駅までが旅客輸送の対象となった。つまりは栃木県に鉄路が入ってきた。旧足尾線のわ鐵は群馬県と栃木県にまたがるが、全線の4分の3が群馬県となっていて敷設の目標だった足尾銅山を含む栃木県側の部分は少ない

そんな歴史ある駅で出迎えてくれたのが

キハ35ではないか。静態保存の状態はお世辞にも良いとは言えないが、貨物ヤードに停まっている。東京時代の2011年の久留里線以来の再会だ

駅訪問の際は基本的に予習はせずに行くことにしている。初対面の気持ちを大切にしたいから。こうやって記事を書いている時のデータや歴史は駅に着いてからの待ち時間や、下手すると帰宅してからの調べたものがほとんど。だからその分、見落としも多いが、それも一期一会だと思っている

だからその分、このような「出会い」の感動も大きい。もっともこんな大きなものを見落とすはずもないが

SLが役割を終え、ディーゼル車の需要が高まったころ、非電化の通勤通学路線に多く投入された列車。ご覧のように戸袋がないのが特徴で、ドアは吊り下げられたような形になっている

現在は旧車両が使用されているローカル線の駅も、扉の高さに合わせて列車が停車する部分だけホームがかさ上げされているが、以前はそうではなく「よっこらしょ」とホームから昇るように車両に入る必要があった。写真は貨物ヤードのホームなので旅客用ホームとの高さの違いは分からないが、かなり高低差がある。バリアフリーの発想がない時代、お年寄りは大変だったと思う。それを少しでも緩和するため、ドア入口に段差を設けたため、強度や重量の問題があって戸袋を作れなかった。それでこのような特徴ある姿になったのだ

私にとってのキハ35はなんと言っても和田岬線。和田岬線に乗車したことがある方は分かると思うが、兵庫と和田岬の2駅しかない同線はドアが開く方向も片側しかない。そのため開かずの扉側は完全に閉鎖された上、一部の座席が取っ払われて立席専用のようなスペースとなっていた。わずか5分で到着するので問題なかったのだろう。この車両は2001年の電化まで使用された

解説文があった。「現在でも久留里線で活躍」と記されている。久留里線でも10年以上前に運用が終わっているので少なくとも十数年前から、このままの状態だったことが分かる

「動態」との出会い

足尾駅は2面2線構造だが、キハ35が保存されている貨物ヤードは駅舎側で、逆側の森となっている部分にもかつての貨物列車の栄華を物語るように多くの側線が残る

駅名標とともにキハ35を撮ろうとしたら、その間に何かが登場。よーく見ると

おサルさん。カメラを構えていると森の方から線路を横切りホームにひょいと乗ったと思うと一心不乱に花を食べている。花に実があったのかもしれないが、さすがに近づく気はしない。この写真はズームで撮ったもの

少なくとも私が駅でサルと出会ったのは、これが2回目

昨年3月の名松線・伊勢竹原駅以来だ。この時は駅前の民家にある農作物を失敬するために現れた1匹のみだったが側線が残る森の方を眺めると

いることいること。森の中にサルの集団が生息しているのか。ひょっとして最初に目撃したサルにならって花を食べるためゾロゾロと線路を渡ってくるのではないかと身構えたが、皆さんルールがあるのか「勝手踏切」の利用者は1名のみだった

ということで、ソロソロとおサルさんたちから離れて駅舎へと向かう

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わたらせ渓谷鐵道に初乗車~その6(鉄道紀行バイブルの終着駅)

間藤駅の駅名標

※訪問は2024年6月15日

一気に終点へと向かう

一気に終点の間藤駅に到着した。これでわ鐵は全線完乗となった。終着駅らしく奥に車止めが見える

三セク化されるまでは、ここからもう1区間線路が続いていた。足尾本山駅という貨物駅だった。足尾鉄道によって敷設された路線は1912年(大正元年)に足尾まで延伸された後、2年後の1914年に足尾本山まで延伸。これをもって足尾線の全通とされるが延伸が8月で3カ月後の11月に間藤駅が開業。足尾~足尾本山はあくまでも貨物支線の扱いだったが、中間に設置された間藤で旅客営業を始めたことで間藤から足尾本山の約2キロは長らく貨物専用線として利用されることとなった

足尾銅山は1973年(昭和48)に閉山したが精錬事業用の貨物運行は続けられ、終了したのは国鉄がJR民営化された1987年のこと。以降は休止扱いの駅となり、そのままわ鐵に引き継がれたが、三セク転換と同時にJR東日本のみならずJR貨物の駅としても廃止。そのまま放置され1998年(平成10)に鉄道免許が失効して自動消滅となった。線路が途切れたのはその後のこと

終着駅としては珍しく勾配標が残るが、間藤駅は写真で分かるように20パーミルを越える坂の途中に設置され、昭和半ばのSL時代までは当駅でスイッチバックして足尾本山へと向かう必要があったという。勾配標はその名残ともいえる

駅舎内に張られる時刻表2万キロ

駅舎内には「時刻表2万キロの終着駅」の展示コーナーがある。作家の宮脇俊三さんの記した全国乗りつくし(完乗)の「時刻表2万キロ」は当駅が最後に降りた駅ということで、全国からファンが訪れるようになった。宮脇さんは続く「最長片道切符の旅」と合わせ「完乗」「最長片道切符」の存在を広く世間に認知させた。時刻表2万キロが1978年(間藤駅で降りたのは1977年)、最長片道切符の旅が1979年の発刊。現在のようにスマホ片手に情報を集められる時代ではない。いわばこの2冊の本は鉄オタのバイブルでもあった

展示コーナーには間藤駅を描いた時刻表2万キロの部分や宮脇さんの年表、自筆原稿などが飾られている

日光までバスでつながる

現在の駅舎は三セク転換後のもの。無人駅だが立派な駅舎を有する。当駅までもかなりのお客さんが乗っていたが、かなりの方が当駅でそのまま折り返す観光客のようだった

駅舎内の時刻表は終着駅らしく到着時刻と出発時刻を併記したもの。朝は数分滞在しただけで、すぐ折り返してしまうものが多いが。昼間は駅を堪能する時間が十分あるダイヤとなっている。私は14時45分着の15時9分発で折り返した。駅訪問なら昼間を推奨する

この間藤駅のもうひとつのポイントは駅から日光までバスでつながっていること

これも知名度の高いコースで所要時間は30~40分。わ鐵と日光を同時に楽しめるようになっている。間藤駅の所在地は日光市なので当たり前のことのように思えるが平成の大合併までは足尾町だった。途中は山ばかりなので、ある意味貴重なルートである

その分、本数は決して多くはなく1日6本(訪問時のダイヤ)。これからの紅葉の時期は渡良瀬川沿線の車窓も含め、利用者が多い路線になるという。訪問の際は時刻を調べてから出かけてほしい

駅名標にはニホンカモシカが描かれているが「ニホンカモシカに出会える(かもしれない)」が駅のウリのひとつ。ただあくまでも「かもしれない」を忘れずに

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わたらせ渓谷鐵道に初乗車~その5(神戸と書いて「GODO」の列車レストラン)

神戸駅の駅名標

※訪問は2024年6月15日

「KOBE」の方が難読

「ごうど」駅に到着。有名すぎる存在になっているが、「神戸」と書いて「ごうど」と読む

古い駅舎が残る。わ鐵の駅舎は三セク転換後に建て直されたものが多いが、こちらは木造駅舎がそのまま使用されている

駅名板もかなり古いものが使用されているが

よく見ると漢字の「戸」の部分に修正された跡がある

開業は1912年(大正元年)。名前は「神土駅」だった。開業時は東村(現在はみどり市)に所在。その東村は明治の町村制施行時に神戸村などが合併して誕生したもの。つまり地名は昔から神戸だった。現在も駅の所在地は「みどり市東町神戸」である。ただ駅を設置するにあたり、兵庫県の神戸駅と同じになってしまうということになり「神土」の文字を充てた。以来80年近く「神土駅」を名乗ってきたが、JRから切り離され、三セクとなった際に本来の地名である「神戸」となった。このあたりは「そおり」だった読みが地名の本来の読みぶある「そうり」となった前記事で紹介した沢入駅と似ている。駅名はもちろん、読みだけの場合でも全国とつながるJRの駅名変更はとても手間のかかるものだ。そのあたりの対応はわ鐵内でも相老駅とは対応が異なる

こちらは接続駅ゆえの対応だろう

ただ俯瞰的に見ると神戸育ちの私からでも「こうべ」と読むのは難読の部類に入る。人名も含め、最も多いのは「かんべ」だろう。「ごうど」さんも私の周囲にいたが「こうべ」さんは、私は会ったことがない。「博多」「札幌」なども大都市ゆえに誰でも読めるが、ローカル線の普通のみの停車駅だったら難読駅となっていただろう

途中下車のできる駅

神戸駅のもうひとつの特徴として私鉄や第三セクターでは例が多くない「途中下車可能駅」だということが挙げられる。整理券では当駅までの料金を徴収されて無理だが、乗車券を持っていれば途中下車が可能。それは、こちらも有名な

構内に「列車のレストラン 清流」が設けられているから

かつて東武を走っていた特急車両をそのまま利用している。週末のお昼時ということで多くの利用がありレストラン内の写真は撮れなかったが

舞茸ごはん定食をいただくことに

こちらは駅舎に張られていた清流の案内。当駅は無人駅なので列車利用がなくてもレストラン利用は可能

こちらは清流入口だが、入店した際にいた団体さんらしき人々が一斉に出たと思ったら、また入ってくる。列車の利用者と合わないな、と思っていたら駅の外には貸切バスの姿。大間々駅でもトロッコ列車に乗車するための団体バスが広場に待機していた。列車の本数が限られているため、施設利用もしくは観光列車の最寄りへは団体バスの運行。これは1日3往復しかない只見線でも旅行会社が採用している方法。鉄道とバスをミックスしての観光は今後のローカル線やローカル私鉄の在り方のひとつだと思う

ホームの構造は元々は2面3線。わ鐵となってレストランができた時に1線をレストラン用の車両を置くようになった

またレストランは使用せずとも当駅に列車が到着した際は売り子さんが飲み物や弁当などを販売する

お腹も満たされ、この後は栃木県に入っていこう

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