私鉄

週末パス最後の旅はフラワー長井線~100年のホームと令和の豪華駅舎が共存

※訪問は2025年6月7日

路線名になった中心駅

赤湯から約30分。長井駅に到着した。路線名からも分かる通り、国鉄時代の長井線から路線を代表する駅となっている

長井軽便線という名称で1913年(大正2)に開業した長井線だが、最初は梨郷まで。長井までの開業は翌年だったが、梨郷~長井は11キロもあるのに路線名はすでに長井線だった。計画の時点ですでに長井が路線を象徴する駅だったことが分かる

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年季の入ったホームにしびれる

長井駅のホームは木材をふんだんに使用たものだ

ホーム上屋を支える柱には、古レール転用のような鉄材はなく美しく木が組み合わされている。番線表示もなかなか古そうだ

ホームの端はこんな感じ。ダメ押しのように斜めの支柱で支えられている。ホーム上屋はいつからのものか分からないが、確実に100年の時を刻んでいそうだ

駅舎とは島式ホームから構内踏切でつながっている。駅舎と逆側き新しめの住宅街。以前は住宅街との間に防雪林があったが公園となっている

側線が残り、その奥にはかつての貨物ホームが見える

そしてどの写真にも映り込む大きな建物は一体何だろうと思う人は多いはず

大きすぎて写真に入りきらない

その答えは構内踏切の行先にある。踏切から入っていくのだから、これは駅舎である

「長井駅」と記されているが、乗り換えのない単独の地方三セク路線の駅では立派すぎると言ってもよいだろう

こちらは外観。実は駅舎の建物は左側にも広がっていて

このような姿。写真で入りきらない。ワゴンタイプのコミュニティバスとのアンバランスが、より建物を目立たせているが、駅は長井市役所と一体化されているのだ。駅と市役所が一体化されている例は貴重だという

竣工は2021年。長井駅は戦前からの駅舎だったが、解体されて現在のものとなった

真新しい駅舎内。ロビーは待合室代わりにもなっていて、もちろんエアコン完備である。訪問日はそれほど暑い日ではなかったが、真夏や真冬は大いな味方となる

こちらは構内踏切への出入口。豪雪地帯、寒冷地でもあるため二重の自動ドアとなっている

山形鉄道の本社は当駅にあり、有人の直営駅となっている

ただ立派な駅舎はいいが、前記事で記した社員退職による減便により、次の荒砥方面行きはなかなかやって来ない。到着したのは9時27分で次の荒砥行きは11時19分と、約2時間の空き時間がある。駅周辺は長井市の中心部でもあるが、まだまだお昼を食べる時間ではないし店舗が開く時間でもない。立派な駅舎内は快適に過ごせそうだが、この日のうちに東京まで戻らなければならないことを考えると、1日8往復の列車は大切に使う必要がある

となると、2時間を利用して次の目的地(駅)までは必然的に徒歩タイムとなる

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週末パス最後の旅はフラワー長井線~大正期に全長30キロで「完了」した盲腸線

※訪問は2025年6月7日

米沢駅から再び赤湯駅

朝の米沢駅。前夜は米沢に宿泊した。米沢は山形県第4の都市であると同時に有名観光地。鉄道としても福島県と山形県の険しい県境を支えてきた要衝駅で山形新幹線も全種別が停車する。ただ「日本の都市あるある」で駅と街の中心地が離れている。十数年前に街中に宿泊したが、夜の街はお店も多くて楽しかった分、峠駅を訪れるべく早朝の列車に乗るため、ホテルにタクシーを呼んでもらう手間が必要となった。今回は長井線乗車が目標なので駅近くのホテル泊

フラワー長井線の始発駅である赤湯駅にあらためてやってきた。米沢から15分ほどである。当駅も山形新幹線の停車駅だが、もちろん在来線利用

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風情の異なる西口

上記の写真で分かる通り、赤湯駅は規模の大きい駅。駅名は平安時代からあったという名湯赤湯温泉にちなみ1900年(明治33)開業という長い歴史を持つが、当地の行政だと駅は赤湯町ではなく、隣町の和郷村に設置された。だから赤湯の温泉街は駅からやや離れている

和郷村を挟んで西側にあったのが宮内町。こちらも歴史ある町で赤湯駅が開業した時には赤湯町と同じくすでに町だった。そして、まずこの宮内町を目指したのが長井線である。戦後この3自治体は合併して1967年(昭和42)に南陽市が誕生するが、赤湯、宮内と2つの大きな町が名称を巡って譲らなかったために南陽という新たな都市名が作られたとか

現在の赤湯駅は新幹線開業直後の1993年にできたもの。パラグライダーを表現した形になっていて駅舎内も広くて大きい。タクシーやバスもこちらから発着する

こちらはJRの駅名標。それに対し、フラワー長井線を運行する山形鉄道の駅舎は西口となっていて

かわいいロッジ風の小さな駅舎。周辺はおそらく近年になって開発されたと思われる住宅街で商店もない。華やかな東口とは異なり、すっかりローカル線の風情だ。この駅舎は1988年(昭和63)に長井線が三セク移管された時に開業したもの

1日8往復へと減便

フラワー長井線は全長約30キロ。赤湯から最上川に沿うように白鷹町の荒砥駅とを結ぶ

赤湯駅の開業は1900年だが、13年後の1913年(大正2)には早くも長井線が開業する。前述した宮内町までが開業。翌年には長井駅まで到達し1923年には荒砥まで延伸された。大正12年のこと。元々は左沢とを結ぶことになっていた。現在の国道287号が走るコースである。ただ荒砥から先の工事は行われずに終わる。地図を見れば分かるが、荒砥から左沢の間はひたすら山中。おまけに当初の長井線は軽便線だった。難工事と採算面が考慮され、大正期から延伸が始まった長井線は大正期のうちに全線開業ということになった

山形鉄道への三セク移管は1988年(昭和63)。その前年に1度国鉄からJR東日本に移管されていたが、こちらも三セク移管時にワンクッション置くよくあるパターン

西口については山形鉄道の管轄で平時は駅員さんが配備されているが、日曜の朝ということもあってか無人だった

そして入口に時刻表が掲げられているが、1日8本の運行。そして小さくて見えないかもしれないが、左側に「お知らせ」の張り紙があり、4月1日付で「乗務員の退職に伴い現行ダイヤでの運行ができなくなりました」の説明書きがあった

新聞報道などによると、昨年から今年にかけ運転士4人と車掌1人が退職。それまでと同じ運行ができなくなったため、今春から上下4本ずつを間引いて計16本の運行となっている。乗客の減少より先に運転士の不足により路線バスが減便されるというニュースには最近よく触れてきたが、鉄道でも同じことが起きているのか、と思ってしまう。私が子どものころは、将来の夢として「列車の運転士」が必ず上位にいたものだが、地方においては事情が異なっていると感じざるを得ない

もっとも先週、山形鉄道に3人の運転士候補の入社が決まったという報道があった。こちらは朗報。ただ当然ながら6月の旅については、この減便ダイヤで行っている

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週末パス最後の旅はフラワー長井線~沿線では貴重な旧駅舎のひとつ

※訪問は2025年6月7日

かつては同型の駅舎が並ぶ

あらためて西大塚駅。赤湯側からだと米坂線の接続駅である今泉のひとつ手前にあたる。開業は1914年(大正3)で、その前年に赤湯~梨郷が開業していた長井軽便線を長井まで延伸する際に途中駅として設置された。以来、ずっと同じ姿だが、山形鉄道のHPでは駅ごとに「今昔物語」を伝えており、それを見ると長井線内の他の駅も、西大塚駅と似た姿をしていたことがよく分かる。近隣の駅が「そっくりさん」なのは、過去の他路線でもよく見かけた姿だが、おそらく同じ業者の手によるものなのだろう。ただし、今もその形を保っている駅はわずかとなった

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登録有形文化財に

残された西大塚駅は、その「ごほうび」として2015年8月に登録有形文化財となった。対象は駅舎本屋とプラットホームだが、それ意外にも見どころは多い

まずは駅名標。山形鉄道の駅名標になっていないので、以前からあったものか、あえて国鉄様式にしたものか。この西大塚駅はフラワー長井線で唯一、東置賜郡川西町に所在する駅で、それは同町の誕生した1955年(昭和30)から変わらない。設置時期はそれ以降のものということになる

到着時の写真だが、単式ホームとホーローも加えた駅名標の座り心地がいい

駅舎内にも空気は残る

駅の周辺には特に何があるというわけではなく農地の中にある住宅街という風情だ。赤湯を出た線路は最上川を渡って当駅に滑り込む。この後、長井線は最上川に沿う形で進んでいく。最上川流域に街ができているので鉄道もできたわけだが、同時に鉄道にとって最上川を渡るのは、かなりの難工事だったこともよく分かる

こちらは駅舎内の様子。無人駅だが駅員さんがいた時の雰囲気は残る。パンフレットなどが置かれているが、右手がきっぷの窓口、左手が手荷物受付だろう

財産票も残されている。「大正2年8月」と記されている。駅の開業は1年後なので、駅舎はその1年前に竣工していたことになる

こちらはサムネにもした駅名板だが、先述の山形鉄道「今昔物語」によると、山形鉄道の駅名板が掲げられた時代もあったようなので、雰囲気を出すために、あえて付け替えたようだ

こちらは横から眺めた駅舎。窓のアルミ補強は近年のものだろうが、板のくたびれた感じが当時の空気を運んでくるようだ

6月の1日は長いが、時間はすでに16時半となっている。この日は米沢泊。赤湯まで戻って米沢へと向かい、明日再び戻って荒砥を目指す

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週末パス最後の旅はでフラワー長井線~まずは登録有形文化財の駅へ

※訪問は2025年6月7日

数々の思い出がある週末パス

旅の始まりは伊丹空港からだった仙台空港から仙台駅に出て仙山線でいくつかの駅を訪問した後に山形へ

赤湯は山形新幹線の停車駅でもあるが、もちろん奥羽本線の在来線で移動する。赤湯駅では山形鉄道フラワー長井線の車両が待機中。この月の6月いっぱいで終了したJR東日本の週末パス。数々の思い出が詰まっているが、最後にフラワー長井線で利用することとした

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週末パスの特徴

こちらが今回利用した週末パス。発券が東京駅となっているのは同行の知人に購入をお願いしたからだ

販売を終了したきっぷなので説明は簡単にしておくが、南東北以南のJR東日本全線と、その沿線にある一部私鉄、三セクが乗り放題のきっぷ。名の通り週末の2日間で有効。祝日が重なって3連休となった場合は、そのうちの2日間で有効。大きな特徴は新幹線や特急に乗車した場合でも乗車券部分が有効だということ。つまり特急券だけ買えばよい。前回までの記事で利用していた北海道&東日本パスや青春18きっぷの場合、特急利用には乗車券も一から買わなければならず、新幹線ワープを考慮した場合、新たな出費をするべきかどうか大いに悩まされるが、週末パスの場合は追加料金なので悩みは少ない。また利用できる私鉄、三セクも地方の渋めの路線が勢ぞろいしているので利用価値は高い。いつも書いていることだが、私鉄や三セクは運賃が高いことが多いので心強い味方なのだ

記憶にあるだけでも、私はこの週末パスを利用して、しなの鉄道、上田電鉄、長野電鉄、阿武隈急行、福島交通、アルピコ交通に乗車した。西日本在住の私にとって唯一の困った点だった前日販売については最近、えきねっとで事前購入すれば発券は当日でもOKとなっていたので利便性が上がったと感じていた矢先の販売中止だった

とにかく未乗路線として残っていた、このフラワー長井線は週末パスの販売があるうちにぜひ行かなければならないと今回の旅となった

ラーメン大好き小泉さんとともに

乗車したのは「ラーメン大好き小泉さん」ラッピング車両。赤湯駅のある南陽市ではラーメンによる町おこしを行っていて2016年には市役所に日本初のラーメン課が設けられた。その縁で人気漫画とのコラボが行われているが、2年前からそのラッピング車両が走っている

実はこの時点で時間は16時。どうやっても、ここから長井線を進んく時間はないが、せっかく今日も明日も長井線を乗降自由なのである。そして明日もそれほど時間があるわけではない。だったら1駅でも回収しようと選択したのが

登録有形文化財の西大塚駅である

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2028年春の廃線が発表された弘南鉄道大鰐線を雪中行軍~いったん中締め次回は盛夏

※訪問は2025年3月10日

もうひとつの学校駅へ行くはずが

銀世界のりんご畑を宿川原駅のホームで眺めながら中央弘前行きに乗り込む。次に向かうのは次に向かうのは弘高下駅。中央弘前のひとつ手前。大鰐線は14駅中4駅が学校名を冠した駅となっているが、今回の訪問では最後となる。今日はJRの弘前駅近くに宿をとっている。繁華街という意味では中央弘前付近に泊まる方がお店もいろいろありそうだが、翌日が朝早いことを考えると、さすがに弘前駅前である

弘高下から弘前駅までは徒歩で約20分らしい。弘高下で降りてのんびり弘前駅まで歩けばホテルに着くころには夕暮れの手前ぐらいになるのでは、という計算だ

ただ「らしい」と書いたのは訳があって、その行程をとれなかったのだ。膝の痛みがかなりピークに達しつつあって、さすがに断念

中央弘前まで乗り通すことに

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車中で気付いたこと

川沿いを3分ほど歩き

最初に降りた蓬来橋のバス停に到着。現在の時刻は16時過ぎ。バス停を降りたのが11時前だったので、5時間ぶりの帰還。それほど長い時間ではないが、随分と密度の濃い5時間だった

ここから先のことは

この時にも書いたが、時計回り一方通行のバスがこんなに時間がかかるとは思わなかった。次に来る時は大丈夫

さて大鰐から乗車した際、気付いたものがある

りんごの吊り革。そう言われると過去にどこかの媒体で見た記憶がある。これだけ何度も乗り降りしていて全く気付かなかったのは、乗車した電車がいずれもガラガラだったからだ。朝夕の通勤通学ラッシュを外すように乗ってしまったこともあるが、電車が来る→乗る→空いている席に即座るの繰り返しである。徒歩予定がある時はドアの前に立って車窓をひちすら凝視するので、こちらも吊り革には目が行かない。大鰐が始発駅だったので、やや余裕があったからだ

最多利用の駅で1日251人

2023年度の駅別利用者数を見ると、1日あたりの利用が最も多いのはもちろん中央弘前駅だが、その数は251人。2位の大鰐駅が150人で以下は2ケタ以下。弘南鉄道のもうひとつの路線である弘南線は弘前駅が1037人、黒石駅が624人であることを考えると、寂しい数字となっている

沿線には学校が多い。にもかかわらず学校最寄り駅の利用が、いずれも2ケタにとどまっているのはJRやバスとの競合、また学校がスクールバスを運行していたりするからだという。それでも廃線を2028年春と3年先にしたのは2025年度に入学する生徒さんの卒業時期を考慮したため。明確で責任ある意思表示と言える

弘前電気鉄道として開業したのが1952年(昭和27)。地方の私鉄として経営は決して楽ではなかった大鰐線だが、私自身は間もなく当地に赴く予定である。7月上旬を盛夏といって良いのかどうか分からないが、昨今の気候状況だと、もう盛夏といって良いだろう。その際は弘南線も回るつもりだ。銀世界とは真逆の景色を眺めよう

こちらは駅の待合所で見かけた弘南鉄道の除雪車「ラッセル君」のポスター。土俵入りまで行うまわし姿のラッセル君。一瞬「えっ?」と思ってしまうかもしれないが、青森県は数多くの名力士を輩出した相撲どころで、ラッセル君は力持ちでもあるのだ

ラッセル君とは無縁な季節になりそうだが、残る駅をすべて訪問してから、あらためて大鰐線を詳しく紹介するつもりです

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2028年春の廃線が発表された弘南鉄道大鰐線を雪中行軍~利用者最少の駅まで根性見せよう

※訪問は2025年3月10日

ちょっと迷った末に

こちらは鯖石駅前の「継電器室」。当駅が交換可能駅になった時に設置されたものか。次の中央弘前行きは約30分後にやって来る。それまで雪景色でも眺めて過ごそうか、と思いつつ地図を眺めていると、ふとあることに気付いた。「30分以内に歩けば宿川原駅も訪問できるんじゃないか?」

ただしこれは正直迷うところではある

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痛む膝と地方幹線道路あるある

鯖石と宿川原の距離感はこんな感じ

線路の駅間距離は1・3キロで歩いても大して変わらない。徒歩20分と指南されたので十分間に合いそうだ。ただ石川駅から義塾高校前駅まで歩いた際、水たまりを飛び越えた時にズキンとなった膝が痛い。しかしここで宿川原を回収すれば義塾高校前から大鰐までの6駅すべてが回収できる。7月にも当地訪問を考えているため、大鰐のひとつ手前の駅をポツンと残しておくのはいかがなものか。ちょっと迷った末に

ゴーサインである。こちらは鯖石駅近くにあったもの。何か確認しようと思ったが雪で近づけない。というか余裕がない。とにかく前へ進むのみ

宿川原への道程は7号という幹線国道を進む平坦コース。以前の記事にも書いたが、この日は気温10度超えで晴れそして無風。積雪に目を奪われがちだが、徒歩には絶好のコンディション。これだけの積雪を眺めながら気持ちよく歩ける環境というのは、そうはなさそうなぐらいの徒歩日和だったが、とにかく膝が痛い

それでも歩く

駅間徒歩を行う時は、二度とない機会だと思ってまめに写真を撮るのだが、後で見るとこの1枚しかなかった。よほど余裕がなかったのだろう

ご覧の通りさすが一桁国道。歩道もきれいに除雪されていて歩くことに何も問題はない。もちろん車はビュンビュン走っている。もっとも「地方幹線道路あるある」で車の通行量は凄いが歩いている人はほとんどいない。朝だったらワンちゃんの散歩の方に出会うものだが、15時という時間ではそれもない。ドライバーの方からすると、大きめのリュックを背負って足を引きずりながら誰もいない国道を歩く年寄りはきっと奇異な不審者に見えたに違いない。実は「通報されたらどうしよう」とちょっと思った(笑)

そして列車出発の10分前に無事到着した

移動の歴史を持つ利用者「2」の駅

無事に到着した駅は奥に見える山の積雪と重なった景色が美しい

スロープから単式ホームに入る。待合所があるだけの簡素な構造。当駅の開業は1952年(昭和27)で、大鰐線の1期生だが見た目が妙に新しいのは2002年に移転しているからだ

地図で見ると鯖石寄りに宿川原大橋があるが、以前はもっと大鰐寄りにあった。駅は橋に寄り添うような場所にあったが、橋の移転と同時に鯖石寄りに200メートル移転した。当駅は町村制施行で大鰐村(現大鰐町)の一部となった宿川原村に基づく。「宿川原」を検索すると全国に無数に同様の地名があることが分かる。その中にはもちろん南武線の宿河原駅(川崎市)もある。「宿川原 時刻表」で検索したところ、こちらの駅は上位ではなく南武線の駅のほか、大阪府茨木市の宿川原停留所が出てくる。1970年の万博会場付近はかなりウロウロした方だが、恥ずかしながら国道171号沿いのこの地名は全く知らなかった。そしてバスの本数も多い。検索上位に来るはずだ

話は少しそれたが、川に近い宿という意味で全国に多くの「宿川原」があるのだろう。地図にある駅近くを通る県道201号はおそらく国道7号の旧道で集落がある。ただ駅と橋の移転は集落からやや離れただけでなく平川の向かいにある集落からも遠くなってしまい、そのためか当駅の2003年度の1日あたりの利用者数は、わずかに2人とJRの閑散ローカル線のような数となっている

ホームの向かいはりんご畑となっている。これはこれで美しい景色で現在は全く異なる景色となっているのだろう。ただ駅の実用という意味では、りんご畑に面しているのでは利用者が少ないことは容易に想像できる

電車がやって来た。山の積雪にりんご畑そして単式ホーム。鉄道の写真としては映えるものかもしれないが、かつては集落と橋の結点に駅が存在したことを思うと、少し寂しい気持ちになってしまう

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2028年春の廃線が発表された弘南鉄道大鰐線を雪中行軍~細長ーい待合所が印象に残る

※訪問は2025年3月10日

再び大鰐町へ

石川プール前から1駅大鰐方面へと戻って鯖石駅に到着

この駅間はわずか800メートルということは前記事に書いたが、うまい具合に20分で折り返しが来るダイヤとなっていたので、これは電車に乗る一択だろう

のんびり歩くとほぼ同時刻着となりそうだ。もっともいずれにせよ当駅でのんびりした待ちタイムになってしまうのだが

そして再び大鰐町に入っている。駅の北側にある橋が市町の境界になっているようだ

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ひときわ目立つ待合所

駅でとりわけ目が行ってしまうのはホームの待合所。細くてぐーんと高く感じる。なぜこのような構造になっているかというと、当駅は駅舎もないホーム+待合所のみの駅ながら列車交換可能駅だからだ。現在は朝の通学時間帯を除くと昼間は1時間に1本の運行となっているが、以前はもっと多かった。1981年(昭和56)には快速運転を実施、交換設備のある駅を増やすことになって白羽の矢が立ったのが、ここ鯖石

そのためホームを100メートル大鰐寄りに移設したが、スペースの確保にも限界があったようでホーム幅は現在のものが手一杯。現在の姿となった(過去のホーム跡らしきものがあるかどうか見たが確認できなかった)。通過列車があると危なそうだが、現在は快速の運転はなくその心配はない。待合室横にぶら下げられた使用されていない列車案内表示になごりが残るのみだ

待合所はその際にできたものだが、中に入ると細さがよく分かる

所狭しという表現がピッタリだが、当駅の1日あたりの利用者数(2023年)は30人。そのような状況が訪れるかどうかは分からない。ちなみに14時58分着の電車で降りたのは私のみだった

正式駅名は魚ヘンに青

当駅を語る上で、もうひとつ見逃せないのが「正式駅名」である。この記事もずっと「鯖石」と書いているが、サムネや待合所の写真を見ていただければ分かるように「鯖」の文字は右側が「青」。弘南鉄道HPにも鯖石という駅名の隣に「駅名のサバ=魚へんに青」と注意書きがある。要は駅名の旧字体が環境依存文字になっていてPCで文字化けする可能性があるため、このような表記になっている

環境依存文字については、文章の最後に「●」は「●の下に●」と注釈が入ることが多いが、近年はその存在そのものが一般的に浸透していて、超有名人などについては注釈なしで、その部分だけひらがなにすることが多くなっている。今書いている記事については、ひとつひとつ●になってしまうのも面倒なので「鯖」の文字を使わせてもらっている

そもそも鯖石は当地で地名で江戸時代にはその名が見られるそうだが、当時は「青」が使用されていたが、現在は「鯖」が使用されていて「青」は駅のみとなっている。駅の開業は1952年(昭和27)と大鰐線の一期生で、現在に至るまで「鯖」に変更することは十分可能だったと思われるが、ここまで「青」で頑張ってきた。さすがにこれから駅名が変更されることはないだろう

こちらは構内踏切からのホームの様子。減便によって交換設備は不要になってしまったのかと思いきや、朝の7時台と8時台の計2本、当駅での列車交換が見られ、そのもようは弘南鉄道HPに動画でアップされている

開業当初から駅舎が設置されることはなかった駅。一見、何もないようで実は歴史や環境依存文字までも教えてくれる駅である

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2028年春の廃線が発表された弘南鉄道大鰐線を雪中行軍~路線の最新駅は全国唯一の「プール駅」

※訪問は2025年3月10日

2つの自治体のみに所在

前回記事の続きになるが、大鰐駅の様子。ちょうど旅行者らしき若いカップルが券売機できっぷを求めるところだった。繰り返しとなるが、大鰐線内の有人駅は中央弘前と大鰐の2駅のみ。他の駅には券売機すらないのでご留意いただきたい

大鰐から乗車して3駅目

石川プール前に到着した。ここから中央弘前まですべての駅が弘前市に所在する。大鰐線の各駅は弘前市と大鰐町にしか所在しない。全14駅(起終点含む)のうち13駅が弘前市、残る3駅が大鰐町。これまでの各駅紹介では、もともとの所在自治体を記してきたが、1952年(昭和27)と戦後の開業の大鰐線でも駅の所在自治体の統合が進んできたことが分かる

大鰐からやって来ると鯖石までが大鰐町、石川プール前からが弘前市と市町境をまたぐ形になっているが、両駅間の距離はわずか800メートルしかない

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唯一の平成生まれ

石川プール前駅の開業は2002年と平成14年で大鰐線唯一の平成生まれ駅。義塾高校前駅の記事でも触れたが、こちらの開業が1987年の昭和62年で二番目に新しい駅となっているので15年の差がある。もっとも平成になって新駅がどんどんできているようなら廃線にはならないのだが

単式ホームに待合所のみの簡素な構造。待合所は部屋の形にはなっておらず、いわゆる吹きさらしだ。銀世界の存在が雰囲気を後押ししているが、周辺にはこれと言って何もない。国道7号線方面まで歩けば集落がある

「これ」というもの、それがすなわちプールである

尼崎市の駅はちょっと違う

雪に埋もれて何のことか分からなくなっているかもしれないがホームに隣接して「弘前市立温水プール石川」がある。温水プールを造るのだから、周辺にはもともと何もないはずだ。地図を見ていただくとプールに隣接して清掃工場があることが分かるが、そこから出る熱を利用した温水プールとなっている。駅は温水プールとほぼ同時開業。つまりほぼプール利用者のための駅となっている

こちらは駅の出入口とプールの位置。駅の構造について待合所は吹きさらしと記したが、寒い日でもギリギリまで施設内にいれば、風雪の中、長時間駅で待つこともないのだ

そして当駅で特筆すべきは「日本唯一のプール前駅」だということ。プールが付くだけなら阪神電車に「尼崎センタープール前」駅があるとのツッコミを受けそうだが、こちらは泳ぐためのプールではない。30代のころ、5年ほど尼崎市民だった。それより前の若いころはボートレースに随分凝っていたことがあって、こちらの駅には随分とお世話になったが「泳ぐプールだと思って降りてみたら違った」という勘違い話を耳にしたことがないほど「プール前」が泳ぐプールでないことは認知されている

温水プール石川のHPを見ると料金は大人も1回330円と安い。年末年始以外は基本的に開館しているようだ。当駅の2023年度の1日あたりの利用者数は21人。コロナ禍前はもっと多い数字だったようだ。敗戦後の当館アクセスがどうなるかはまだ未定だが、子ども同士、中高生同士でプールに行く手段が減ってしまうのは残念である

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2028年春の廃線が発表された弘南鉄道大鰐線を雪中行軍~駅名が一致しない珍しい共同使用駅 

※訪問は2025年3月10日

終点ならぬ起点駅に到着

大鰐駅に到着。これで大鰐線は完乗である。そして当駅は路線の起点駅。弘前市の中心部にある中央弘前からここまでやって来たのだから、中央弘前が起点で大鰐が終点だろうと思ってしまうが真逆。これはなぜかというと、以前の記事でも紹介した通り中央弘前から先への延伸計画があったからだ

中央弘前から先も板柳まで延伸することになつていたので起点は大鰐。ただしこれはあくまでも帳簿上のもので実際に乗ってみると大鰐駅には終点感が漂っている

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除雪車とのランデブー

あらためて大鰐駅。除雪車と旅客用電車のランデブーが美しい。降りて気付いたのだが、この日一度も見かけなかった同業者(鉄道ファン)が何人か同乗していて皆さんと並んでの撮影会となった。これだけいらっしゃるのなら前記事で紹介した義塾高校前駅での積雪の岩木山をバックにカーブ状ホームに入線する「ツーショット」もおすすめしてあげたくなった

大鰐駅は奥羽本線の大鰐温泉駅との共同使用駅。共同使用駅にもいろいろなパターンがあって、こちらは改札は別だが改札内でホームはJRと弘南鉄道で自由に移動できる形式

改札内は自由移動という形式はかつての国鉄が三セク化されたものに多く見られ、元々が同じ会社なのだから使用ホームもそのままということになっている

大鰐駅のようにJRと(一度も国鉄になったことのない)私鉄によるホームの移動も自由という形式は意外と少なく、有名なのは三重県における津、松阪、伊勢市の近鉄とJRによる共同使用だが、三重県内でも鳥羽や桑名のように自由な往来ができなくなった駅もあり、どちらかといえば減少傾向にある。確かに完全なライバル関係にある会社、路線が改札内の空間を共有しているのは、なかなか現代風ではない

そしてさらに特筆すべきなのは共同使用駅でありながら駅名が異なるという点。ホームも同じなのだから駅名は同じにするのが利用者にとって便利だろうと思うが、弘南鉄道は「大鰐」、JRは「大鰐温泉」である。このパターンはなかなか珍しく、大鰐から比較的ご近所のJR東日本と津軽鉄道の「五所川原」「津軽五所川原」、JR九州とくま川鉄道の「人吉」「人吉温泉」ぐらいしか思いつかないが、人吉については元々が国鉄の同駅だった

スイマセン行けませんでした

もっとも駅名が異なるといっても最初からそうだったわけではない。最初はともに「大鰐」「五所川原」だった。大鰐駅については国鉄駅の開業は1895年(明治28)と、なかなか古い。弘前電気鉄道の乗り入れは半世紀以上後の1952年(昭和27)だ。1970年に弘南鉄道に経営が移ったタイミングで「弘南大鰐」と最初の駅名変更。ところが1986年の国鉄民営化の1年前に再び「大鰐」に戻る。先の記事でも触れたが、同じタイミングで新石川駅も石川駅へと変更されている。これで1年後に発足したJR東日本と弘南鉄道で同駅名となったが、今度はJRが1991年(平3)に「大鰐温泉」と現在の駅名としたため、せっかくの同駅名回帰はわずか5年で終わりを告げてしまった

当駅は2面3線のJR、島式の弘南鉄道と計5つのホームがあり、弘南鉄道は4、5番線。ともに行き止まり形式となっていて冬場は最初の写真のように除雪車が留置されているようだ

JRと弘南鉄道のホームは跨線橋で結ばれている。駅の出入口は南北にあるが、北口は弘南鉄道のみの出入口、南口はJRと弘南鉄道の出入口はそれぞれ別に存在している。つまりJRのきっぷで大鰐温泉駅で降りても北口からは出られないわけで

はがれかけているが、このような注意の張り紙がある。ただ私がこの日持っているのは弘南鉄道のフリーきっぷ。堂々と南口(の弘南鉄道出入口)に行けるわけで、跨線橋を登って向かう-というのが、ごく普通の行動なのだが、とにかく膝の痛みがかなりのものになっていて跨線橋の階段は無念のパス。これ以上悪化して動けなくなるわけにはいかない

北口にはかわいい駅舎があって駅員さんはここにいる。以前は南口しかなかったそうだが、1981年に北口ができて利便性が向上した

駅舎は道路に面しているわけではなく通路を歩いて外へと出る

こちらは駅舎というより駐車場と社員詰所の雰囲気

左側に目をやると、すっぽり雪に覆われたバス停があり、間近まで行くことも困難だが「予約制バス」と記されていた

現在は14時半。もう少し頑張ってみよう

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2028年春の廃線が発表された弘南鉄道大鰐線を雪中行軍~うらやましいほどの絶景に思うこと

※訪問は2025年3月10日

JR駅との分岐

JRの石川駅へと向かう途中に道案内がある

周辺は住宅地。東奥義塾高校・中学への道程を示している。右手前に行けばJRの石川駅。今は携帯アプリがあるので困った時はスマホを開けばいいが、以前だと住宅街の中で道に迷ってしまうかもしれない

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遠い200メートル

JRの石川駅である

普通のみの停車だが2面3線と立派な構造。奥羽本線は当駅を境に大鰐温泉(弘南鉄道の大鰐駅と所在地は同じ)側と弘前側で単線と複線に分かれる。そして大鰐温泉から再び複線区間となるのだが、1区間だけ単線となっている理由が大鰐線唯一の陸橋だと何となく想像できるのは現地で初めて分かることである

その石川駅だが、跨線橋から駅の全景を見る時間はあったにもかかわらず、やめた。どうも先ほどの水たまりをジャンプする際に膝に負担がかかったようで階段は極力パスすることにした。駅の待合室にはすでに電車を待っている東奥義塾の生徒さんがいた。来た道を戻っていよいよ義塾高校前駅を目指すことにしよう

「義塾高校前」と書かれた立派な案内看板があるが、実はここから以外と遠い

JRの石川駅と大鰐線の義塾高校前駅の関係性はこんな感じ

徒歩10分ほどと意外と遠い。地図で分かる通り、直線距離だと200メートルほどだが、この間には農地が広がっていて道路はなく回り込む必要がある

雪の向こうに

歩いていくと雪の向こうに駅が見えた。手前はおそらく農地だろう

そして義塾高校前に到着。単式ホーム構造で1987年(昭和62)の開業で大鰐線では2番目に新しい駅

周辺は農地ばかりで、もともと駅を設置する理由もない場所だが、弘前市の中心部にあった東奥義塾が当地に移転してきたことに伴い、新駅が設置された

ホームには待合室そしてきっぷうりば。平日朝の利用者が多い時間に駅員さんを派遣できる態勢が整っている

待合室は多くの生徒にも対応できるよう広く作られている

多くの生徒さんが集まり始めた。まだ13時半を過ぎたところだが、これは聖愛中高前駅でも見た光景で本日は試験などで早めに終わる日なのだろう。彼らは13時43分の弘前方面行きに乗るようだが、私は13時50分の大鰐行きに乗る

2番目に新しいとはいっても40年近い歴史を持つ義塾高校前。ほとんど通学に特化した駅だが、2023年度の1日あたりの利用者数は53人と通学駅としては少し寂しい。JRの石川駅も学校最寄りとなっているために競合しているともいえるが、すでに紹介した聖愛中高前駅が63人、弘前学院大前駅が93人と学校最寄り駅の利用者は決して多いとは言えず、このあたりに廃線理由のひとつがあるといっても良いぐらいだ。そのあたりはあらためて触れてみたい

私が乗車する大鰐行きがやってきた。雪の岩木山を背に入線してくる電車。もちろん四季それぞれの景色があるのだろう。日々、こんな景色を見ながら電車に乗れるのは実にうらやましい限りだが、それは私があくまで一見さんだからなのか

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